鬼火へ
「末法燈明記」は偽書にあらず へ

末法燈明記 白文へ
末法燈明記 訓読へ
「末法燈明記」やぶちゃん訳に対する読者からの要請によるやぶちゃんの語釈

末法燈明記   やぶちゃん訳 (copyright 2006 Yabtyan

[やぶちゃん注:私の行った「円福寺本存覚師書写真筆本(龍谷大学学術情報センター所蔵本)」の訓読を元に、語釈の一部を訳文に挟み込んだりして、極めて自由な現代語訳を行った。文脈上、語句や文を補わないと意味が通じないと判断した部分には〔 〕で挿入してある。割注や頭注は該当箇所近辺に【 】で挿入してある。表記できない字については、白文・訓読と同様に注ページにリンクさせてある。また、文脈上のブレスを考えて、訓読文以上に改行を増やした。2006年10月2日現在、読者から要請があった語について語釈を作成した。上のリンク及び該当語句からもリンクを張った。
 再三述べているように、私は仏典・古文献の専門的知識を全く持っていない。文法や瑣末な部分のみならず、核心的な宗教的思想的概念の訳にも、極めて重篤な誤読及び曲解があるであろう。従って、これは学術的な資料としての価値を全く持たない。これは御自身で訓読される時の参考にのみ用いられたい。なお
将来は、読解上、不足している語釈及び本文に引用されている仏典の該当部分の原典との異同校合も行いたいとは思っているが、最早、そのような分不相応の夢を懐く私の脳内が「精神の末法」と言えるのかも知れぬ。なお、難解な仏教用語についてのみは、訓読ページに示した、松原祐善著「末法燈明記の研究」の本文篇脚注及び昭和五十九(1984)年法藏館刊 真継伸彦現代語訳「親鸞全集2 教行信証(下)」の注等を一部参照にした。]

 

末法燈明記   やぶちゃん訳 (copyright 2006 Yabtyan

 

 そもそも、仏と、その説かれた法が、一如であるという真理に則って、それを守り、それを民に教え広める者は、「法王」(=「仏法の教えの王」)であり、この世のすべての世界を併合して、すべての民に生きる上での正しい在り方を教え示す者は、「仁王」(=「高い仁徳を持った国王」)である。従って、そのような仁王と法王とは、共にこの世に現われて、すべての衆生を正しく導き、真諦(仏の絶対的真理)と俗諦(国法や道徳律といったこの世の相対的真理)の二つが助け合うことによって、それら二つの教えを広めるのである。それ故に、深遠なる奥義を示す仏典が国中に満ち、正しい真理を語る言葉が天下に溢れることになる。


 ところが、ここに於いて今、拙僧らは、僧尼に対する行状を改めよとの詔勅(=国法)の厳しい適用範囲に内包され、それを遵守しようとはするものの、時にそれを犯したとして厳罰に処せられる、誠に、一身の心さえ休まるところがない。


 しかし、そもそも仏法には正・像・末の三つの時空間が存在し、そこに生きる人間にもまた当然、三種の本質的な性質の違いがある。従って、教化の実際的方法や僧団の戒律も、時代によって当然、交替する。それぞれの教化と制度への批判や賞讃の言葉も、人によって当然、食い違う。揺るぎなく見える中国の羲・文王・孔子の三古の聖人でさえもそれぞれ移り変わったのであり、その三者の衰滅の在り方も個別的で当然、一様ではない。釈迦入滅後の五百年間に於ける人間の智慧・悟達の内容もまた当然、異なるのである。どうしてたった一つの相対的な教化の方法で救うことができ、たった一つの相対的な聖人の理わりによって心と世界を統合することができようか、いや、できない。


 故に、ここで正・像・末の時期に段階的な優劣が厳然として在ることを詳らかにし、あるいは破戒・持戒の僧尼の如何なる存在であるかをはっきりとさせよう。その解析には三段階がある。最初に正・像・末の時期を決定し、次に破戒・持戒の僧と名指す者の現存在を規定し、最後に現存在に於ける真の教えとは何かを示し、対比的にその違いを示す。

 まず最初に、正・像・末を決定しようと思うが、これには諸説があって同一でない。まずは一説を述べる。玄奘三蔵の弟子、大乗派法相宗の祖、慈恩大師窺基は『賢劫経』を引用して、「釈迦涅槃の後、正法五百年、像法千年、この千五百年の後、釈迦の法は滅び尽きる」という。末法については言及していない。他の説に従うならば、〔正法を千年とするのだが、〕その間にも、尼が僧に対して必ず守らねばならない八敬に従わなくなり、精進にも熱心でなくなってしまうが故に、とても正法が五百年から更に増して、千年も続くとは考えられない。故に、この説には依拠できない。また『涅槃経』には、「末法の世にあっても、十二万人の大菩薩衆が存在し続け、法を堅持して滅ぶことはない」とある。しかし、これは現世を離れた上位の菩薩衆の内実について語ったものであって、またこの説にも依拠できない。〔故に、慈恩大師窺基の正法五百年及び像法千年の説を以って正・像・末とし、法滅尽による末法の存在をも決定するのがよいのである。それを、以下に証明する。〕

 問いて言う。

 もしそうであるとすれば、正法・像法併せて千五百年の間に、如何なる現象が生じるのであろうか?

 答えよう。


 『大術経』の記述を考えてみるに、「釈迦入滅の後、最初の五百年間は、大迦葉といった七人の賢い聖人が、次々に教えを守って、正法は滅ぶことがない。しかし、その五百年の後、正法は完全に滅尽する。続く六百年代になると、九十五種の外道(=異教の教え)が競うように生まれ出る。しかし、そこで馬鳴菩薩が世に出、その諸々の外道を打ち伏せる。七百年代になると、今度は龍樹菩薩が世に出、そうした外道や邪見の幟りを打ち摧く。けれども、続く八百年代にあっては、僧は放埓となり、わずかに一人か二人の僧のみが悟達を得るのみとなる。続く九百年代に至れば、僧尼は奴婢の如く賤しい者として扱われる。続く一千年代にあっては、肉の穢れを観想して煩悩の滅却を促す不浄観の教えを広め、導こうとしても、誰もが怒り恨んで、それを修めようと欲しない。続く千百年代には、僧と尼が皮つるみをし、数少ない持戒の僧尼を誹謗中傷する。千二百年代には、諸々の僧尼に、悉く子供がいる。千三百年代には、出家の、染まっているはずの袈裟が、在家の象徴である白に変ずる。千四百年代には、比丘・比丘尼・優婆塞(男性の在家仏教信者)・優婆夷(女性の在家仏教信者)といったすべての出家、在家の仏弟子と名指す者達すべてが、忌まわしくも賤しい猟師の如くなって、仏宝・法宝・僧宝の三宝への供物を売り払う。千五百年代には、③④彌国に二人の僧があって、互いに教えの是非を争った結果、遂に相手を殺すというところにまで至る。これによって、仏の真の教えは、人々の手の届かぬ遥かな海の底の龍宮へと、完全に隠れてしまうことになるのである。


 『涅槃経』の第十八巻及び『仁王経』などにも、これと同じ意味内容の文章がある。そうして、これらの経文に従うならば、以上の正・像千五百年の後は、戒律・禅定・智慧のすべてが存在しなくなる。

 故に『大集経』の第五十一巻には、言う。「私が滅度し涅槃した後、最初の五百年には、諸々の僧などは、私の正しい教えに従って、堅固に解脱するであろう【最初に聖者の果報を得られる者が多いので、解脱と名づける。】。次の五百年には、堅固に禅定するであろう。次の五百年には、堅固に教えを聴聞するであろう。次の五百年には、堅固にただ寺のみが造られるであろう。その後の五百年には、あろうことか、堅固に闘争や論争のみが行われるであろう。こうして仏法は完全に姿を隠して埋もれてしまうのである云々」と。

 この意味は、最初の三度の五百年間には、次に記す順に、戒律、禅定、智慧の三つの教えが、それぞれの時期に、堅固にそれぞれ保持できる。即ち、上述した正法五百年と、像法千年(前半五百年、後半五百年)の二つの時空間がこれである。しかし、造寺以後の部分は、すべて末法の世の出来事である、ということである。

 それ故に窺基の『般若会釈』に言う。「正法五百年、像法千年、この千五百年の後、釈迦の法は滅び尽きる」と。

 故に我々は証明し得たのである、これ以後の二つは末法に属するものであるということを。

 問う。

 もしそうであるとすれば、今の世は、正しくどの時代に当たるのであるか?

 答えよう。

 釈迦入滅後の現在までの年代の数え方については多くの説があるのであるが、ここでは、まず二つの説を挙げよう。

 一つには、北斉の地論宗南道派の学僧、法上師などが、『周異記』に依って説くもので、「釈迦は、周の第五代、穆王の満五十一年壬申の年に入滅した」というものである。もし、この説に依るならば、その壬申の年より我が日本国の延暦二十年辛巳に至るまで、千七百五十年である。

 二つには、費長房などが、魯の『春秋』に依って説くもので、「釈迦は周の第二十一代の、匡王班の四年壬子の年に入滅した」というものである。この説に依るならば、その壬子の年より我が日本国の延暦二十年辛巳に至るまで、千四百十年である。

 故に我々は知るのだ、今のこの時は〔両説の中間をとって〕、像法の最後の時代であると。

 この時に当たっての仏教徒の振舞いは、既にして、末法の世と同じである。即ち、末法の世にあっては、言葉による教えのみがあって、修行も、それによる解脱も存在しない。〔それまでの仏法の教えが機能していた正法・像法の時代であるならば〕、戒律があれば当然、破戒があるであろう。しかるに末法の世に於いては、既にして戒律がない。そのような世にあって、どのような戒を破ることによって、破戒が生じるというのか、いや、破戒など、ない。破戒さえないのであるから、どうして持戒があることがあろうか、いや、持戒も当然、ないのである。

 故に『大集経』に言う。「釈迦入滅の後、無戒の者が、この世界に満ちるであろう云々」と。

 問う。

 諸々の経典や律の中では、どれも破戒の者を戒めて僧衆に入れることを許していない。破戒した者すら許されないのであるから、ましてや無戒の者が、僧たることを許されるであろうか、いや、許されるはずがない。しかしながら、あなたは、何度も末法の無戒について平然と論じている。が、それは、傷を受けていない者が、痛いと感じることと違わないであろうか、いや、同じだ。そんなことは、在り得ないことである。末法の世の僧が、無戒でありながら、自身が悪逆の存在であると思わないということは、当然、在り得ないことではないだろうか?

 答えよう。

 ここで私が説いている道理は、そうではない。正・像・末の、それぞれの時代のに於ける人間の在り方については、広く諸経に記載されてはいる。それを、内外のすべての僧や俗人の誰一人として、つま披いて読まないことがあろうか、いや、当然、皆、読むであろう。そのような中にあって、どうして僧たる者が、おのれの邪まな生活を貪り求めて、国を正しく保つところの正しき仏法を隠蔽するなどということが、あり得るであろうか、いや、あり得ない。しかし、今論じているのは末法の世のことである。末法の世には、有名無実の僧だけしか、存在しない。そうして、だからこそ、有名無実の僧であっても、世の仏法の真の宝としなければならぬのである。そうでなければ、仏法の福徳を生み出す者がいなくなってしまうからである。もし、末法の世に持戒の僧侶がいると仮定すれば、それは既にして、怪異なのだ。都会の中に虎がいる、ということと、全く同じである。そんなことを一体、誰が信じられようか、いや、信じられない。即ち、末法の世に、持戒の僧は、一人として、存在しないのである。

 問う。

 正・像・末のことは、確かに、既に諸々の経典に記されてはいる。それでは、あなたの言う、末法の世に於いて、有名無実の僧を世の仏法の真の宝とする、ということは、どの経典に出ているのか?

 答えよう。

 『大集経』の第九巻に言う。「譬えるならば、本物の黄金を、無価の宝(=価い)がつけられないほどの貴い宝とすることと、同じである。もし本物の黄金がなければ、銀を無価の宝とする。もし銀がなければ、良質の銅や、金や銀や銅に似せて錬った合金を無価の宝とする。もし良質の銅や合金がなければ、赤銅・白銅・鉄・ハンダ・錫・鉛を無価の宝とするのである。このようなものは、すべての世の、即ち、異なった時空間の総体としての世に於いての、「無価の宝」なのである。さて、〔それを仏法に適応すると、〕もし正しき仏法による〔悟達を得た如来のような〕無上の宝がいなければ、仏法の教えに依らずに、または師の導きに依らずに、十二因縁の観想や無常を通して悟りを得た縁覚の者を、無上の宝とするのである。もし縁覚がいなければ、小乗の修業を通して悟りを得た阿羅漢を、無上の宝とする。もし阿羅漢がいなければ、その他の賢人や聖人と呼ばれる者たちを無上の宝とする。もしその他の賢人や聖人と呼ばれる者たちがいなければ、禅定を得た凡夫を、無上の宝とする。もし禅定を得た凡夫がいなければ、清らかに戒を保っている者を、無上の宝とする。もし清らかに戒を保っている者がいなければ、漏戒破戒の僧を、無上の宝とする。もし破戒の僧がいなければ、髭や髪を剃って身に袈裟を纏っただけの、無戒名字の者(=有名無実の僧)
を、無上の宝とするのである。そうする所以は、仏道以外の九十五種の外道(=異教の教え)を広めんとする者どもに比べれば、有名無実の僧であっても、〔仏法の教えという一本のゆるぎない線上に於いて、〕最上第一であるからである。従って、そうした有名無実の僧は、世俗の人々の供養布施を受けるのは当然であり、その存在は当然、仏法の福徳そのものなのである。それは何故か? 有名無実の、知らずに自分自身を破滅させている、こうした僧の存在そのものが、そのまま、衆生に仏法を畏敬させることとなっていることにほかならない故である。もし有名無実の僧であっても、その人を守り、生活を支えてやり、安穏に住まわせてやることができたならば、何時か、この有名無実の僧の面倒を見た人は、必ずやいくばくもなくして、現世にあって往生の真意を悟る無生法忍の境地を手に入れるであろう。」と。【以上で経文の引用を終わる。】

 この文章の中には、八段階の無価の宝が示されている。所謂、如来、縁覚、阿羅漢とならんことを志した修行者たる声聞及び、その声聞の三階梯たる前三果、禅定を得た凡夫、持戒の者、破戒の者、無戒名字の者(=有名無実の僧)で、その順序に従って、それぞれの者が、正・像・末の時代にあって、無価の宝となるのである。最初の如来から声聞及び前三果までの四段階は正法の時の、次の禅定を得た凡夫から破戒の者までの三段階は像法の時の、そうして、最後の一つ、無戒名字の者(=有名無実の僧)は末法の時の、無価の宝なのである。

 以上によって、明らかに証明されたのである、破戒も無戒も、これらは、全て、紛れもなく真実の宝であると。

 問う。

 あなたの言に従って先の経文をしっかりと読んでみると、確かに、有名無実の僧も、無価の宝でないことはない。正に無価の宝ということになる。だが、それでは何故に、『涅槃経』と『大集経』等の経に、「国王・大臣が破戒の僧を供養施主すると、国に飢饉・戦乱・疫病の三種の災いが起こり、遂に来世に地獄に堕ちる」と説かれているのか? 破戒の僧ですら、なおこのような結果を引き起こすのであるから、まして無戒の僧を供養施主した場合、どうして悲惨な結果とならないことがあろうか、いや、必ず、悲惨な結果となる。それなのに、今、釈迦如来は、同じ破戒の僧について、ある経典では今のように論難し、別なある経典では賞讃している。それでは、一代の不世出の聖人の説法の中に、相反する評価を下すという、決定的な咎があることになってしまうではないか? そんなことは、あろうはずがないのに。

 答えよう。

 それらの経典に説かれてある道理は、そういう意味ではない。『涅槃経』等の経にあるそれらは、とりあえず、正法の世の破戒を禁じているのであって、像法や末法の世の僧についての破戒を説いているのではない。「破戒」という、名指す言葉は同一であっても、それを名指している、その時空間が、異なっているのである。そうした時空間に応じて、ある時は禁じ、ある時は許す。それこそが一代の不世出の聖人である、広大無辺な釈迦如来の御心なのである。故に、世尊にあって、相い反した説法の咎などというものは、全く存在し得ないのである。

 問う。

 もしそうなのだとしたら、『涅槃経』等の経は、正法の世の破戒だけ禁じており、像・末の世の僧についての破戒を説いているのではないということを、どうして知ることができるのか?

 答えよう。

 先に引用した『大集経』の所説の、八段階の真の宝のようなものが、その証左である。すべてが、それぞれの時空間に応じて、無上の宝とされるからである。

 但し、正法の世の破戒僧は、清浄な持戒の僧たちを穢すが故に、釈迦は堅くこれを禁じて、僧団にお入れにならなかったのである。

 このように解する所以は、『涅槃経』の第三巻に、次のように説かれているからである。「如来は今、広大無辺な無上の正法を、諸王・大臣・宰相・僧・尼・優婆塞・優婆夷にお委ねになられた。この諸国の王・大臣及び僧・尼・優婆塞・優婆夷といった四部衆らが、定・戒・慧を学び修業せんとする多くの学徒らを教え励まして、ひいては彼等学徒に、より上位の定・戒・慧へと自律的に伸ばす力を、得させることになるに違いない。もし、この定・戒・慧の三品の法を学ばないような者がいたり、正法を謗るようなものが居たりしたならば、大臣や四部の衆が、当然、しっかりとした懲罰と矯正を行って、その咎を懲らし、正しく治すに違いない。このように導く王や大臣らは、無量の功徳を得て、彼等には、まさに微塵の罪さえもあることがないであろう。私、釈迦の涅槃の後、そのように、持戒の僧がいて、正法を護持するであろう。正法を打ち破らんとする者を見ては、即ち、あざやかに追放し、叱責し、懲らし、正しく治してやる。これこそが私の弟子であり、真に「声聞」、即ち、私の教えを聞く者、である。彼が得る福徳、それはもう、量り知ることができないほどである。若しくは、逆に、持戒の僧が、正法を打ち破らんとする者を見ていながら、捨て置いて、叱責しないとしたら、それこそ正に、知りなさい、この人は仏法に於ける、「仇き」であると。」と。

 また『大集経』巻二十八に言う。「もし国王がいながら、国内に於いて、私の仏法が滅びようとするのを見て、捨てて擁護しようとしないとしたら、時空間を超越した無量世界に於いて生じたところの、如来の恩恵も戒も智慧も、ことごとく皆、滅び失われて、その国内に、飢饉・戦乱・疫病の、三種のおぞましい出来事を現出させることとなり、あるいは、王の命が果てて後も、人々は地獄よりも地獄的な現世の生地獄の苦しみに陥ることとなる。」と。

 また、同じ『大集経』の巻三十一に言う。「釈迦のおっしゃることには、頻婆沙羅大王よ、あなたは、寧ろ、私の正法にかなっている僧ただ一人を守護するのがよく、数え切れないあまたの悪僧どもを護るべきではない。今、私はただ二人にのみ、僧としての神聖にして貴重な品の掌握管理と保守保全を委ねている。その一人は、羅漢の中でも禅定の八つの解脱の階梯をすべて経た者、二人目は、声聞の修業の初果(第一階梯)を終えた者たる須陀洹人(スロータアーパンナ)である云々。」と。


 このような破戒の禁制を説く経文の教えは、確かに事実として数多ある。しかし、皆これらは、正法の時代に於いて破戒を禁じることを明示した禁制の経文である。像・末の教えではない。その所以は、像法の時期や末法の時代に於いては、誰一人として正法を修行することがないので、正法として謗るべきものがないのである。示すべき正法が存在しないのに、一体、何を「法を謗る」と名指すことが出来ようか、いや、出来ない。戒として破るべきものがないのである。破るべき戒が存在していないのに、一体、誰を「破戒する者」と名指すことが出来ようか、いや、出来ない。また、その時代の大王には、護るべき人としての真の在り方というものがないのである。護るべき人としての真の在り方が存在しないのに、一体、何を真理とし、それに反するから「飢饉・闘争・疫病の三種の災いが現出する」とか、「戒律や定【脇注:この「定」は衍字。[やぶちゃん注:この文脈では、「行」は「定」と同じ「生命を持った人としての真の在り方」という義で用いられていると思われ、表現がだぶるので衍字である、という意味の脇注と判断しておく。]】や智慧が滅ぶ」などと名指すことが出来ようか、いや、出来ない。また、像・末の時代には、悟達する者がいないのである。一体、どのようにしたら、僧としての神聖にして貴重な品の、掌握管理と保守保全を委ねることを「二聖にのみ許す」と名指すことが出来るであろうか、いや、出来ない。


 以上によって、明らかに証明されたのである、以上の所説は、全て、正法の時代に、持戒の僧が存在する時に、破戒の僧が存在するが故に取り決めたものであるから、それは限定された条件の中での規約であると。


 次に、像法千年の中、初めの五百年間には、持戒僧は次第に減少し、破戒僧が次第に増加する。この像法の時代にあっては、戒律と修行は存在していても、悟達を得る者はいない。

 故に『涅槃経』の第七巻に言う。「迦葉菩薩が釈尊に申し上げてお聴き申し上げたことには、

『世尊よ、仏(=如来)の所説なるものには陰魔・死魔・煩悩魔・天魔の四種の魔が存在します。もし魔の所説と仏の所説とがある時、私は、如何にすればそれを分別することができるのでしょうか? 加えて、諸々の民ぐさがおりますが、その中には魔道に従ってしまう者もあれば、また仏説に正しく従える者もおります。このような異なった動きを示す人々は、またどうすれば魔道と仏説の違いを正しく知って正しく分別することができるのでありましょうか?』


 世尊は迦葉に、告げておっしゃられた。


 『私が涅槃入滅して七百年の後に、ここに魔王波旬(=魔の王たる悪魔)が次第にその姿を現わし、しきりに私の正法を崩し破壊しようとするであろう。それは譬えば、おぞましい殺生者たる猟師が、身に法衣を纏って、巧妙に人々を騙すようなものである。魔王波旬のやり口もまた、これと全く同じである。僧や尼の姿、優婆塞・優婆夷の姿に化け、更にはまた、須陀洹人(スロータアーパンナ)の姿に化け、あるいは、阿羅漢の姿、ひいては法性身の御仏の姿にさえ化けるであろう。魔王は、その邪悪なる煩悩に満ち満ちた有漏の本体でありながら、煩悩なき無漏の身に化けて、私の正法を破壊しようとするであろう。ここに魔波旬は、正法を破壊することを目的として、まさに次の言葉で人々を騙すに違いない。


 《釈尊は、舍衞国の祇陀精舍(=祇園精舎)に居た折、諸々の僧に、奴婢や下僕や家僮を召使い、牛・羊・象・馬などを家畜として飼育し、材料としての銅や鉄、鍋や釜、調理用の大小の銅盤など、豊かな日常生活の必需品を備蓄し、田を耕し、種を植え、その収穫物を直接に売買したり、または市場で商いし、豊富に穀物や米を儲けることをお許しになっている。このような民ぐさのあり様について、釈尊はその大慈大悲のゆえに衆生を憐憫して、これら全てを蓄えることを許しているのだ》と。


 このような□□【この□□は衍字。】経文・戒律は、悉くこれ魔説である云々』と。


【冠注:釜 「篆隷万象名義」後半に言う、反切は「ふ」、食器の一種。煮るために用いるもの。また「鬴」の字にも作る。「宋」[やぶちゃん注:未詳。何らかの語義書名の略称。]。に言う、反切は「ふ」、黄帝が始めて製造したとされるもの。】

【冠注:鍑 「篆隷万象名義」後半に言う、反切は「ふ」、器である。釜に似て、しかも大きい。「宋」[やぶちゃん注:未詳。何らかの語義書名の略称。]。に言う、反切は「ふく」、釜の一種で口の大きいものである。但し一説に言う、小さな釜であるとも。】


 既に語られているを見た、「世尊涅槃入滅の七百年の後、魔王波旬が次第にその姿を現わすであろう」と。


 以上によって、明らかに証明されたのである、この時代の僧は、次第に、僧が備蓄してはならないとされる八種の不浄物である、不動産、食用栽培植物、穀物や織物、使用人、家畜、貨幣や財宝、高価な装飾品、鍋釜や食器などの炊事用具を、貪り蓄えるようになるということを。


 このように破戒を正当化する妄説を偽作すること、まさにこれこそが魔説なのである。これらの経文【「(経文の)中」の意味。】に、明確に年代を指して、具体的に細かく僧の破戒のあり様が説かれているのである。これは疑うことはできない。今はただ、その一例を挙げたに過ぎないが、その他の妄説については、これを推して知るがよい。

 次に、像法の時代の後半には、持戒僧は悉くいなくなる勢いで、実に少くなり、破戒僧は圧倒的多数を占めることとなる。

 故に『涅槃経』の第六巻に言う、「釈尊は、菩薩(=修業する者)に告げて言った、真に仏法に帰依している「善男子」という存在は、譬えば迦羅の林のようなものである。その樹林で圧倒的な優勢種であるのは当然、迦羅迦の木で、その迦羅迦の有毒である実が九割を占めているとしよう。ここにある人が、そのことを知らずに、迦羅の林で収穫した実を市に持ってやってきて、売った。さて、この林の中には、たった一本、迦羅迦ではない木が生えていた。それは実が薬となる鎭頭迦と名指すものであった。さて、迦羅迦の木と鎭頭迦の木と、この二つの木の実は互いに極めて似ており、分別することができない。その果実が熟する時、一人の女がいて、悉く皆これらの実を一緒に拾い取った。鎭頭迦の実はその中に、ただ一割あるのみである。圧倒的多数の迦羅迦の実を売るのに、〔無知な女から、この実を買った〕無知な少年は、当然の如く、またその有毒なる迦羅迦の実を判別することは出来ない。故に迦羅迦の実を買って、食い終わって、忽ち、命を落とした。たまたま近くにいた女の知人が、この事件の顛末を聞き終えて、すぐに女人に尋ねた。お姉さんよ、貴女はどこからこの木の実を持ってきたのか、と。それに対して女は、すぐにその採取した場所を指差した。人々はそこで言った。あそこには数え切れない迦羅迦の木があって、その中に、たった一本の鎭頭迦の木があるだけだ、と。その場にいて、女から実を買った人々は皆、このことを知ってしまうと、笑って、その女から買った、握っていた実を皆捨て去ってしまった。真に仏法に帰依している「善男子」の存在のありがたきも、僧衆の中に守られるべき「八不浄の戒」を守り得る存在のありがたきも、実にまた、このようなものなのである。僧衆の中にあって、あのような八不淨の戒めを、全く守ることなく、かえって平然と受け入れ、八不浄物をおぞましくも備蓄する者が甚だ多い。せいぜい、たった一人ぐらいだけ、清淨なる持戒僧がいるきりで、その一人のみが、あのような八不淨の戒めに抵触することがなく、しかも、すべての人が、八不淨の戒めを破って、おぞましい備蓄をしていることの邪まなることを、ただその一人だけが知っているのである。しかも、そのような数少ない持戒の者が、圧倒的多数の破戒の者の中にいて、まぎれ隠れて見えずに、しかも存在しており、さりながら、その存在を明確に分別し、はっきりと取捨できないことは、この林の中の、一本の有用なる鎭頭迦の木のようなものなのである」と。

 また『十輪経』に言う。「もしも私の教えに従って出家したにも関わらず、悪行を行使する者は、これは出家した修行者を名指す「沙門」ではないのにも関わらず、自ら「沙門」と称しているのであり、また煩悩を離れた清浄なる行ないを名指す「梵行」を為していないにも関わらず、自ら「梵行を為している」と称しているのには違いないであろう。しかしである、しかし、このような僧であっても、よく一切の天・龍・夜叉などの八部衆によって守られてきた、如来の世界の絶対的真理たる一切の善と一切の功徳(=真如法性)の隠された法蔵(=一切の仏法の真の教え)を美事に開示するのである。即ち、このような存在であっても、衆生のための善知識(=仏法の正しい道理を教え、法益を垂れて導いてくれる先達)なのである。欲が少なくて足るを知るというような聖人ではないと雖も、曲がりなりにも鬚や髪を剃り落とし、法服を纏っている。このような存在となった因縁によって、この者の存在は、よく衆生のために、その善根を増し伸ばさせ、諸天・諸人に於いて本来の善道の在り方を開示するのである。あるいは、破戒の僧とは死人と同じであるけれども、一度、戒を受けた以上、その受戒によるはかり知れぬ余徳があることは、丁度、牛の胆石である、牛黄のようなものである。ここに養ってきた牛が死んだとしても、その胆石がこの上なき上薬となるが故に、人々は殊更にこの牛黄を採取することは、また、麝香の場合と同じである。死んだ後に香料としてこれを用いることがあるのと全く同じなのである云々」と。

 我々は既に、「有毒の実のなる迦羅の林の中に、薬用となる実をつけるたった一本の鎭頭迦の木がある」という言葉を知った。これは像法の時運が、既に衰えてしまい、破戒僧が世に満ち満ちて、僅かに一人か二人の持戒の僧しかいないことを譬えているのである。

 また言っている、「破戒の僧は、これは死人と同じであるとは言え、丁度、麝香鹿が死んで、しかもその臭腺が香料として用いられるのと同じである。このような存在でさえも、衆生の善知識となるのである」と。

 以上によって、明らかに証明されたのである、この像法後期の時代にあって、ようよう「破戒の僧」と名指されてきた存在を、「世の福田(=福徳を齎す者)」として、許されたのだということを。これは前に提示した『大集経』に説くことと同じである。

 次に、像法の時期の後、まさに末法に至って、遂に全くここに戒や律は消滅する。釈尊は、この時の齎す運命を遥かに知り尽くされていたからこそ、末法の世の世俗の民を救はんとして、有名無実の僧を褒め讃えて、「世の福田」の存在となしたのである。

 また『大集経』の第五十二巻に言う、「もし後の末法の世に、私の教えの外延にあって、鬚や髪を剃り落とした、身に袈裟を纏うだけの有名無実の僧がおり、もしその僧の施主となる人がいて、その僧に布施供養するならば、その施主となった人は計り知れぬ無量の福を得るであろう」と。

 また『賢愚経』に言う、「もし施主がいたとして彼は、まさに将来の末法の時代において仏法が尽きなんとしている折に、僧が妻を複数もうけてそれを蓄え、子を何人ももうけて抱きかかえている姿を見ることになるであろうが、しかし、かかる有名無実の僧侶であっても、普段は崇敬は勿論のこと、法事に不可欠な四人以上が集まった折などには、施主を含むすべての人々よ、まさに彼等を敬まい拝むに当たっては、釈尊の十大弟子にして智慧第一の舎利弗や、同じく神通第一の大目連などに対したのと同じようにせねばならないのである」と。

 また言う、「もし破戒や無戒で身に袈裟を纏っただけの者を打ったり、罵ったりしたとしたら、その罪は、万徳の仏の肉身から血を流したことに等しい。もし私の教えに従って、鬚や髪を剃り落として、身に袈裟を纏う者がいたとすれば、その者がたとえ戒を持っていないとしても、彼等は、悉くすでにその受けたところの予定調和たる涅槃寂静印によって、またしっかりと涅槃が自ずから行われることの確約と保証がなされているのである。従ってこの人は、まさに正しく、諸人や諸天といった他者に対して、教化し、涅槃への正しい道程を示すことが出来る。この人には、即ち、十方界を遍く尽くす真実であるところの三宝の中に於いての、心から仏法を敬うところの信心を既にして生じているのである。それはまさに一切の九十五種の外道(=異教の教え)に勝っているのである。その人は、必ず速かに涅槃に入ることが出来るのである。それはすべてのその他の在家の俗人たちに勝っているのである。但し、在家のままで、特に往生の真意を悟る無生法忍の境地を手に入れることのできた在家得忍の人は除く。この故に、諸天諸人は当然、この戒を持たない人を供養しなければならないのである」〔と〕。

 次に『維摩經』に言う。「悟りを得た仏の十の尊称である、如来・応供・等正覚・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏世尊の十号の中の、初めの如来・応供・等正覚の三つの号を聞くこと〔による無余涅槃へ速やかに至る功徳〕は、悟りを得た者が、もし正しく遍く説法しているのであれば〔悟りを得た者が、正しく遍く説法しないことは在り得ないことであるから、当然〕、どんなに途方もない時間が経っても尽きることはない云々」と。

 これらの諸経では、皆、それぞれの説く対象としての年代をはっきりと示しており、そこでは、未来の末法の時代の、有名無実の僧を世の導師とする〔と説いている〕。もし正法の時代の禁制の文辞をもって、末法の時代の有名無実の僧を戒めるとするならば、教えと機根(=心に内在するところの、受けた仏の教えに即応して発心を起こす力とが互いに背いて、それぞれの時空間の「人」という現存在と、正法の絶対的存在とが合致しないであろう。それ故に『律』に言う。「禁ずるものではないものを禁ずれば、却って、何もかも見通す天眼・自他の過去の存在を知尽する宿命・煩悩から解脱し悟達する能力たる漏尽の、仏の三明の智慧を断ち切ってしまい、仏の意思に反した禁制を立てて説くことになるのだ。ああ、それは、何と罪なことであろう!」と。

 以上を以って、経典を証左としての、正法・像法・末法の三つの時空間の証明を終った。

 最後に現存在に於ける真の教えとは何かを示し、対比的にその違いを示すと、

 末法の時代に於いては、法爾(=現存在)としては正法はことごとく破壊され〔たかのように見え〕、身・口・意の三業の働きは、記すに堪えぬまでに乱れ、四儀たる行住坐臥のあらゆる行為が、教えに完全に背いている状況にあるであろうことは、既に『像法決疑経』に説かれている通りである。

 「もしまた人がいて、塔頭や寺院を造り、三宝を供養するとしても、それらを心から敬い、大切に保つこともなく、僧を招いても、寺に住まわせておきながら、飲食・衣服・湯薬(=混合調剤した生薬を分包したもの)を賄うこともなく、それどころか逆に、僧に暇ま乞いをして〔強引に頼み込んで[やぶちゃん注:「乞仮」であれば「休暇を願い出る」意となるが、原文の「假」が同定できないので、ここは文脈上、〔 〕内のようにとった方が文意が通る。]〕、僧の食物を喰らおうとさえする。貴賤を問わず、あらゆる者達が、すべてのあらゆる衆僧に対して、そのように理不尽にも欲するのである。こうしたすべての者は、悉く仏の利益に背く行いをなして、悉く悩み、苦しみ、心を侵し、損なうこととなる。このような輩は、永く三途川を渡って地獄に堕す」と。

 今、俗世間を観察すると、まさに盛んに、ここに記されたままのことを行っているではないか。「時の宿命」は、確かに、そのようにして、やって来てしまったのだ。それは、「人の非」によって齎されたものではないのだ。信者である檀越は、既に檀越の志しが失われている。一体、誰が僧を非難することが出来ようか、いや、出来ぬ。僧が求めようとしても、求めるべき正しい「行」そのものが、最早、存在しないからである。

 また、『遺教経』に言う。「出家が一日車や馬に乗れば、五百日分の物忌みで清めねばならない、という。それに比して、現在世の修行者の負っているところの罪を考えたら、どうして彼らが清浄に持戒することによる德を示すことができると言えようか、いや、とても言えたものではない。」と。

 また、『法行経』に言う。「私の弟子が、もし一人だけ請じられて供養を独り占めにしたならば、その者は正しき国王の清浄な地の上を歩むことは出来ないであろう。その者は正しき国王の地の甘露な水を飲むことは出来ないであろう。五百の恐ろしい形相の鬼が、常に彼の前に現れて、一歩の歩みさえも遮るのだ。五千の恐ろしい形相の鬼が、常に彼について来て、罵しって言うのだ、『お前は、仏法を害する大賊だ!』」と。

 『鹿子母経』に言う。「僧が一人だけ請じられて供養を独り占めにしたならば、それが五百人の羅漢であったとしても、なおそれを福田と名指すことは出来まい。逆に、もし、たった一人の、姿ばかりで内実のない悪僧であっても、その人に施しをしたならば、無量の福を施主は得る」と。

 現在世の出家得道した人々は、既に一人だけ請じられて供養を独り占めにすることを好んでいる。そのような者が、一体、何処〔の田〕に福を植えることが出来るというのか、いや、出来ない。持戒の人を、どうしてこの福を植え得る人に加えることが出来ようか、いや、「持戒の人」はそもそも存在しない以上、それも出来ないのだ。既に、すべての僧は、正しき国王の清浄な地の上を歩むこともなく、また、正しき国王の地の甘露な水を飲むことを許さない。[やぶちゃん注:「正しき国王の地の甘露な水を飲むことも許されない」の意であろう。]五千の恐ろしい形相の鬼が、常に『お前は、仏法を害する大賊だ!』」と罵るのだ。ああっ! 持戒をしていると思い込んでいる僧の救い難い罪であることよ! どうして、以上のような状況にあって、己を「持戒の僧」と思い込んでいるという過ちを改められよう、いや、改めることは望めないのである。

 また『仁王経』に言う。「もし私の弟子が、国政の役人として登用されたとしたら、それは私の弟子では、最早、ない。〔そのような国政にあっては、〕大小の僧の集団(=教団)を設けて、お互いがお互いを脅かし、縛りつけることとなるであろう。まさにそのような時に於いて、仏法は、滅び、没してしまうのだ。このような国政こそが、仏法を破り、ひいてはその国を滅ぼす因縁となるのである云々」と。


 『仁王経』等から推し量るに、「国教としての僧の統率者を崇める」という行為を以って、その行為自体が即ち、「僧が破戒し俗となった」ということを意味するのである。あの『大集経』等に、無戒と稱する者を以って、世を済度する宝となすとする。どうして、国を滅ぼすイナゴを留めようとして、遂に法灯を保とうとする宝たる者を捨てようとするのか。

 〔破戒も無戒も存在しない以上、〕まさに破戒・無戒の二つのものを分別せず、共に一つのありがたき仏飯として餐するがいい。有名無実であろうとも、「僧」や「尼」は、絶えることはなく、仏法の神韻を伝える梵鐘の音は、永遠に失われることはない。故にこそ、「末法の世の教え」を真実と考えて、それにふさわしい「在るべき国政」を在らしめよ。

 

末法燈明記 終

 

延文三年戊戌の七月五日、円福寺の存覚が、原本より、これを書写したのだけれども、その訓点に関しては、論理的に整合するとは思えないと判断した部分があったので、愚僧の考えるところに従った訓点を採用した。

                                       ⑱<花押>