「末法燈明記」やぶちゃん訳に対する読者からの要請によるやぶちゃんの語釈

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・八敬(はっきょう):始めて女性の僧である比丘尼を仏陀が認めた時(佛陀の養母であるマハーパジャーパティーの出家)、比丘尼が比丘に対して厳守しなければならないと仏陀が立てた八つの戒律。バラモン教の影響を引きずった強烈な男尊女卑で、僧集団にあって比丘尼が最低の地位であったことを示す。順序や内容には異動があるようであるが、概ね以下の八つである。(1)受戒後百年を経た比丘尼であっても、新しく戒を受けた比丘に最高の礼をなさねばならない。(2)比丘尼は、比丘の居ない場所で安居(修行を休息すること)してはならない。(3)比丘尼は、半月ごとに比丘に懺悔をし、教えを請わねばならない。(4)比丘尼は、夏安居(げあんご:夏の暑い時に行われる比較的楽な修業)の終わりの際、比丘と比丘尼の僧集団に対して懺悔をし、教えを請わねばねばならない。(5)僧残罪(僧としての重罪であるが懺悔によって救われると規定された罪)を犯した際は、半月の間、懺悔と苦役を受けねばならない(比丘の場合は六日間でよかった)。(6)比丘尼にならんとする者は、その最初の二年間の修業が終わって具足戒(比丘の戒は250戒しかないが、比丘尼は347戒もある)を受ける際、必ず比丘と比丘尼の双方から受戒しなくてはならない。(7)比丘尼は、如何なる理由があっても、比丘を批判して罵ったり、誹謗したりしてはならない。(8)比丘尼は、比丘の罪や過失を知っても、それを指摘したり、告発したりしてはならない。

 

・無生法忍:中村元「仏教語大辞典」によれば、『無生の法理の認証の意。空であり、実相であるという真理を認め、安住すること。一切のものが不生不滅であると認めること。ものはすべて不生であるという確信。忍は忍可、認知の意で、確かにそうだと認めること。真実の理をさとった心の安らぎ。不生不滅の理に徹底したさとり。無生忍ともいう。』とある。「私」というちっぽけな「執着するところの生」はそもそも存在しないし、この世の事象自体がそもそも実体を持たず、生成消滅と現象もない、すべての存在は不生不滅であるという真理を悟った時、真の安寧を得られる、そのような境地を「無生法忍」ということであろう。

 

・三階梯:三段階。

 

・前三果:声聞(しょうもん)の悟りの位、段階。預流果(須陀洹[しゅだおん]=聖者の流れに入った状態)、一来果(斯陀含[しだごん]=人を惑わす九種類の迷いの内の六つから解き放たれて天上界に生まれたが、残る三つのために再び人間界に還り悟りを開くことを定められた状態)、不還果(阿那含[あなごん]=前記の六つの迷い全て殻解き放たれて、もはや人間界には還らない状態)、阿羅漢果(一切の煩悩から解き放たれて涅槃に入り、二度と輪廻転生することのなくなった窮極の悟りの状態)の四つの内、前の三段階を指す。

 

・陰魔・死魔・煩悩魔・天魔:信心修行の妨げとなるものを名指したもの。陰魔は五陰魔とも言い、信心修行者の五陰[肉体や心の働きといった身心の全存在]の活動の不調和を指す。死魔は、死という現象そのものを指す。煩悩魔は、人を死に至らせる煩悩を指し、天魔は天子魔の略で、正しい仏道に入らんとする者を妨げる働きすべてを指す。最後の天魔は、天邪鬼とも同一視され、欲界六天の頂上、第六天にいる魔王とその眷属をであるという具象性を持っている記載が多い。

 

・八不浄:不浄なものとして、僧侶が蓄えたり、殖産したりしてはならない八つのもの。(1)田、宅、園、林。(2)野菜等の植物の栽培。(3)穀物や布地。(4)使用人や奴婢。(5)家畜。(6)金銭や財宝。(7)金銀等の装飾品。(8)鍋釜等の炊事用具。

 

・涅槃寂静印:まず「印」とは、「法印」で、対象が仏教(内道)のものであるか、非仏教(外道)のものであるかを判断するための基準尺度としての根本原理をいう。その内に三法印が存在し、諸行無常印は、一切の現象は常に生滅流転して常住のものはないという原理を、諸法無我印は、一切の存在には固定した実体=我というものはないという原理を、涅槃寂静印は一切の煩悩が滅尽した無苦安穏の状態である絶対安住の境地が必ず在るという原理を指す。

 

・十方界(じっぽうかい):天台宗の教義で人間の心の全ての状態を十種に分類したもの。輪廻転生するところの地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天上界の六道(りくどう)に、声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界の四聖道(しょうどう)を加えたもので、十界(じっかい)とも言う。声聞は、仏の真実の声を聞くことのできる心の状態を、縁覚は、あらゆる事象を「縁」として悟ることのできる状態を、菩薩とは仏の教えを実践する存在を、仏とは真理を完全に悟った存在を指す。

 

・漏尽:本来は「煩悩が尽きる」という意味で、ここでは「漏尽通」すなわち煩悩をすべて滅尽する能力という意味で用いた。

 

・清浄な地:国王の支配する土地を神聖視した表現。本来、王の踏んだ場所は絶対不可侵の聖域として、王以外の者が踏むことが許されなかった習慣は汎世界的にある。

 

・甘露な水:国王の仁政の単純な比喩表現であるが、一言言っておくと、甘露とは本来、天から授けられる不老不死の薬を指し、中国では天子が仁政を行えば、天から降るとする。武帝が宮殿上に作らせた承露盤は有名インドでは「アムリタ」と言い、神々の飲み物であるネクターである。煩悩を消し去って不死となり、更には死者を蘇生させるとする。それが仏教に取り入れられ、「仏の悟り」を比喩する語となったのである。また、仏陀誕生の折り、龍が下って甘露を注いだという逸話から、四月八日の灌仏会では幼ない仏陀像に甘茶をかける習俗が生まれたのである。