鬼火へ 
「末法燈明記」は偽書にあらず へ
末法燈明記 訓読
末法燈明記本文(白文)へ
末法燈明記 やぶちゃん訳へ

[やぶちゃん注:書き下し文は、電子テクストの底本とした、円福寺本存覚師書写真筆本(龍谷大学学術情報センター所蔵本)の訓読に原則として従いつつ、句読点を打ち、適宜改行し、内容のコアごとに行空けを行った。また、一部の難読語にルビを振り、送り仮名は読み易さを考えて、かなりの部分を、現行の送り仮名表記に合わせ、濁音も用い、相当に自由に補ってある(補った部分を括弧等で示すと読みが煩わしくなるので省略した)。また、訓読に苦慮した部分については、親鸞の「教行信証」化身土巻の「末法燈明記」引用部分(同書の複数の刊行物及びWeb上の複数テクストを参照)、また、1978年法藏館刊の松原祐善著「末法燈明記の研究」に所収する本文篇も参考にした。

・引用される経・仏典は『 』表記を、引用部分は「 」表記を用いた。

・割注や脇注及び、「云云」以外の一マスに複数文字を入れてある部分は、【 】で該当部分を括って、該当箇所もしくはその近辺に入れた。

・私が個人的に難読語と判断したものには、直後に( )で読みを歴史的仮名遣いで示した。但し、「末」(まち)・「滅」(めち)・「佛」(ぶち)と「つ」を「ち」と読んでいる点や、意味を判読するのに関わらない(と勝手に判断した)仏教用語独特の読みについては表示していない。

・誤字と思われるものには、直後に〔 〕で正字を示した。

・白文同様、表記できない字については、注ページにリンクさせてある。

白文ページでも述べた通り、私は仏典・古文書の専門的知識を持っていない。訓読にも重大な誤りがあるであろう。従って、これは学術的な資料としての価値を持たない。これは御自身で訓読される時の参考にのみ用いられたい。]

 

末法燈明記   伝教大師作集

 

 夫れ一如に範衞(はんゑ)して以て化を流す者は法王、四海に光宅し以て風に乘〔垂〕ずる者[やぶちゃん注:ここは「風を垂れる者」と読むべきか。]は仁王。然れば則ち仁王・法王、互に顯して物を開し、眞諦・俗諦逓(たがひ)に因て教を弘む。所以に玄籍、宇内に盈ち、嘉猷、天下に溢てり。

 

 爰に愚僧等、天網に率容し、嚴科を俯仰して、未だ寧處するに遑(いとま)あらず。

 

 然るに法に三時有り、人に又三品有り。化制の旨、時に依て興替し、毀讚(くゐさん)の文(もん)、人に逐(したが)ひて取捨す。夫れ三古の運、盛衰同じからず。後五の機、慧悟(ゑご)又異なり。豈に一途に據(よ)りて齊(ととの)はんや、復た一理に就きて整(ととの)はんや。

 

 故に正・像・末の階降を詳かにして、或は試みに破持僧の行事を彰(あらは)さん。中に於て三有り。初めは正・像・末を決し、次に破持僧の事を定め、後には教を擧げて比例す。

 

 初めに正・像・末を決すとは、諸(もろもろ)の説同じからず。且(しばら)く一説を述べん。大乘の基、『賢劫經』を引きて云く、「佛涅槃の後、正法五百年、像法一千年、此の千五百年の後、釋迦の法、滅盡す」と。末法を言はず。餘の所説に准(なぞら)ふるに、尼、八敬(はつけう)を修せずして懈怠なり。故に法、更に増せずと。故に彼に依らず。又『涅槃經』に、「末法の中に於て、十二万の大菩薩衆有らん、法を持ちて滅せず」と。此れ上位に據るが故に又用ゐず。

 

 問ふ。若爾(しか)らば千五百年の内の行事、如何。

 

 答ふ。『大術經』を按(あん)ずるに、「佛涅槃の後、初めの五百年には、大迦葉等の七賢聖僧、次第に正法を保持して滅せず、五百年の後、正法滅盡す。六百年に至りて、九十五種の外道競ひ起る。馬鳴(めみやう)、世に出でて諸の外道を伏す。七百年の中に、龍樹、世に出でて邪見の幢(はたほこ)を摧く。八百年に於て、比丘、貪欲を縱逸(じゆういち)して、僅かに一二人、道果を得る有らん。九百年に至りて、奴(ぬ)を比丘と爲し、亦婢を尼と爲さん。一千年の中に、不淨觀を聞きて、瞋恚して欲せず。千一百年に、僧尼、嫁娶(けしゆ)し、尼(ひに)を毀謗(くゐはう)せん。千二百年には、諸僧尼等、倶に子息有らん。千三百年には、袈裟變じて白からん。千四百年には、四部の弟子、皆〔獵〕師のごとし。三寶の物を賣らん。千五百年に③④彌(くせんみ)國に二(ふたり)の僧有りて、互ひに是非を起して遂に相ひ殺害(せちがい)せん。仍りて教法、龍宮に藏(おさま)らん」と。

 

 『涅槃』の十八および『仁王』等に、復た此の文有り。此等の經文に准(なぞら)ふるに、千五百年の後に、戒・定・慧有ること無きなり。

 

 故に『大集經』の五十一に言ふ、「我が滅度の後、初めの五百年には、諸の比丘等、我が正法に於て解脱堅固ならん。【割注:初め聖果を得るゆゑに名を解脱と爲す。】次の五百年には、禅定堅固ならん。次の五百年には、多聞堅固ならん。次の五百年には、造寺堅固ならん。後の五百年には鬪諍堅固にして、白法(ひやくほふ)穩沒(おんもち)す云云」と。

 

 此の意は、初めの三箇の五百年には、次のごとく、戒・定・慧の三法、堅固にして住することを得。即ち上に引く所の、正法五百、像法一千の五百【左脇注:二字意吉しと爲す無し】二時是れなり。造寺已後は並びに是れ末法なるが故に、基(き)の『般若會の釋』に云く、「正法五百年、像法一千年、此の千五百年の後は、行の正法、滅盡す」と。[やぶちゃん注:脇注の「二字意吉しと爲す无し」の訓読には自信がない。]



 故に知んぬ、造塔已後並びに末法に屬す。


 問ふ。若し爾らば、今の世は、正(まさ)しく何れの時にか當たれる。



 答ふ。滅後の年代に多くの説ありと雖も、且らく兩説を擧げん。


 

 一には法上師等、『周異記』に依りて言ふ、「佛、第五の主、穆王滿五十一年壬申に當りて入滅す」と。若し此の説に依らば、其の壬申より我が延暦二十年辛巳に至るまで、一千七百五十歳なり。



 二には費長房等、魯の『春秋』によらば、「佛、周の第二十一の主、匡王班四年壬子に當りて入滅す」と。若し此の説に依らば、其の壬子よりわが延暦二十年辛巳に至るまで、一千四百十歳なり。



 故に知んぬ、今時は、是れ像法の最末の時なり。彼の時の行事、既に末法に同じ。然れば則ち末法の中に於て、ただ言教(ごんけう)のみ有りて行證無し。若し戒法有らば、破戒有るべし。既に戒法なし、何れの戒を破するに由りてか破戒有らん。破戒尚ほ無し、何(いか)に況や持戒をや


 故に『大集』に云く、「佛涅槃の後、無戒、州(くに)に滿たん云云」と。


 問ふ。諸經律の中に、廣く破戒を制して衆に入ることを聽(ゆる)さず。破戒、尚ほ爾(しか)なり、何(いか)に況や無戒をや。而るに今重ねて末法の無戒を論ずるに、豈に瘡(きず)無くして、自(みづか)ら以て傷むに非ざらんや。
 


 答へて曰く、此の理、然からず。正・像・末法の所有の行事、廣く諸經に載せたり。内外の道俗、誰(たれ)か披諷せざらん。豈に自身の邪活を貪求して、持國の正法を隱蔽(おんぺい)せんや。但し、今論ずる所の末法には、唯だ名字の比丘のみ有り。此の名字を世の眞寶と爲す。更に福田無し。設(たと)ひ末法の中に持戒の者有りとも、既に是れ恠異なり。【左送り仮名:とすること(、)】市に虎有るがごとし。これ誰か信ずべき。

 

 問ふ。正・像・末の事、已に衆經に見えたり。末法の名字を世の眞寶と爲(す)ることは、何の聖典【右脇注:經か】に出でたる。

 

 答ふ。『大集』の第九に曰く、「譬へば眞金(しんこむ)を無價(むげ)の寶と爲(す)るがごとし。若し金無くば、銀を無價の寶と爲す。若し銀無くば、鍮石(ちうしやく)・僞寶(くゐほう)を無價の寶と爲す。もし鍮石・僞寶無くば、無價と爲す。若し僞寶無くば、【左脇注:(「無價と爲す。若し僞寶無くば、」の部分を指して)已上七字意无し】鍮石(ちうしやく)・赤白銅(しやくびやくどう)・鐵(てち)・白(はくらふ)・鉛・錫を無價の寶と爲す。是くのごとき一切の世間に無價なり。若し佛法無くば、縁覺無上なり。もし縁覺無くば、羅漢無上なり。もし羅漢無くは、餘の賢聖衆を以て無上と爲す。もし餘の賢聖衆無くば、得定(とくぢやう)の凡夫をもって無上と爲す。若し得定の凡夫無くば、淨持戒を以て無上と爲す。若し淨持戒無くば、漏戒の比丘を以て無上と爲す。若し漏戒の比丘無くば、鬚髮(しゆはち)剃除して身に袈裟を著(き)たる名字の比丘をもて無上の寶と爲す。餘の九十五種の異道に比すせば、最も第一爲(た)り。應に世の供を受け、物の福田爲(た)り〔る〕べし。何を以ての故ぞ。能く身を破りて、衆生、怖畏する所なるが故に。若し護持し、養育し、安置するもの【左送り仮名:すること】有れば、是の人、久しからずして忍地を得ん」と。【割注:已上經文】

 

 此の文の中に八重の無價有り。所謂、如來、縁覺・聲聞及び前三果、得定の凡夫、持戒・破戒・無戒名字、其の次第のごとく、各(おのおの)、正・像・末法の時、無價の寶爲(た)り【左送り仮名:正・像・末法の時と爲(な)す無價の寶なり】。初めの四は正法の時、次の三は像法の時、後の一は末法の時なり。此れに由りて明らかに知んぬ、破戒・無戒、咸(ことごと)く是れ眞寶なり。

 

 問ふ。伏して前の文を觀るに、破戒名字、眞寶ならざる莫し。何故ぞ『涅槃』と『大集』等の經に、「國王・大臣、破戒の僧を供(く)すれば、國に三災起こりて、遂に地獄に生ず」と。破戒、尚爾(しか)り、何(いか)に況や無戒をや。而るに今、如來、一の破戒に於て、或いは毀(くゐ)し、或いは讚す。豈に一聖の説に兩判の失(とが)有らんや。

 

 答ふ。此の理、然らず。『涅槃』等の經には、且らく正法世の破戒を制して、像法末代の比丘に非ず。其の名同じと雖も、時に異あり。時に隨ひて制許(せいこ)す。是れ大聖の旨なり。ゆえに世尊に於て兩判の失無し。

 

 問ふ。若し爾からば、何を以てか知らん、『涅槃』等の經に、但だ正法所有の破戒を制止して、像・末の僧に非ずとは。

 

 答ふ。引く所の『大集』所説の八重の眞寶のごときは、是れその證なり。皆當時の無價の寶と爲(た)るが故に。

 

 但し、正法の時の破戒比丘、清淨衆を穢すが故に、佛固く禁制して衆に入れたまはず。

 

 然る所以は、『涅槃』の第三に云く、「如來、今、無上の正法を以て、諸王・大臣・宰相・比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷に付屬したまふ。是の諸國の國王・大臣及び四部の衆、當に諸学人等を勸勵して、上の定・戒・智慧を増長することを得さしむべし。若し是の三品の法を學せざること有らば、懈怠して戒を破し、正法を毀(そし)る有らば、大臣・四部の衆、應に當に苦治すべし。是くのごとき王臣等、無量の功徳を得て、當に小罪有ること無かるべし。我が涅槃の後、其の方面に持戒の比丘有りて、正法を護持せん。壊法の者を見ては、即ち能く駈遣し、呵嘖し、戀〔懲〕治せん【左送り仮名:する】。是れ我が弟子、眞の聲聞なり。福を得んこと無量なり。若しくは善比丘、法を壊する者を見て、置きて、呵嘖せずば、當に知るべし、是の人は佛法の中の怨なり」と。

 

 又『大集經』二十八に云く、「若し國王有りて、我が法の滅せんを見て、捨てて擁護せずば、無量世に於て修する施と戒と慧と、悉く皆滅失して、其の國の内に三種の不詳の事を出し、乃至、命終して生地獄に至る」と。

 

 又同經の三十一に云く、「佛の言、大王、寧ろ如法の比丘一人を守護して、無量諸惡比丘を護らざれ。今、我唯二人の賞護を聽す。一には羅漢の八解脱を具する、二は須陀洹人なり云云」と。

 

 是くのごときの制文の法、往往に衆法多し。皆是れ正法に之を明かす制文なり。像・末の教に非ず。然る所以は、像季・末法には正法を行ぜざれば、法として毀るべき無し。何をか毀法と名づけん。戒として破すべき無し。誰(たれ)をか破戒と名づけん。又其の時の大王、行として護るべき無し。何に由りてか三災を出し、及び戒・定【脇注:意無し】・慧を失せん。又像と末との時には、證果の人無し。如何にして彼に二聖に聽護せらるることを明かさん。故に知んぬ、上に説く所は、皆正法の世に持戒有る時、破戒有るに約す故に。

 

 次に像法千年の中に、初めの五百年には、持戒漸く減じ、破戒漸く増す。戒行有りと雖も證果無し。

 

 故に『涅槃經』の七に云く、「迦葉菩薩佛に白(まう)して言(まう)さく、『世尊、佛の所説のごときは四種の魔あり。若し魔の所説及び佛の所説、我當に云何(いかに)してか分別することを得べき。諸の衆生有りて、魔行に隨遂する、又佛の所説に隨順する者有り。是くのごときの等の輩、復た云何(いかに)か知らん』と。佛、迦葉に告げたまはく、『我が般涅槃の七百の後に、是れ魔波旬漸く起こりて、當に我れの正法を〔沮〕壞(そかい)すべし。譬へば獵師の身に法衣(ほふえ)を服(き)たらんがごとし。魔波旬も又復た是くのごとし。比丘比丘尼の像、優婆塞優婆夷の像と作(な)り、又復た須陀洹の身を化作し、乃至、阿羅漢の身及び佛の色身を化作せん。魔王、此の有漏の形を以て無漏の身と作(つくり)て、我が正法を壊せん。是れ魔波旬は、正法を壞せんが爲に、當に是の言を作すべし。佛、舍衞國の祇陀精舍に在りて、諸の比丘に、奴婢・僕使、牛・羊・象・馬、乃至、銅・鐵、釜(ふ)・鍑(ふく)、大小銅盤、所須(しよしゆ)のものを受畜し、耕田・種植、販賣・市易(しやく)して、穀米を儲くることを聽(ゆる)したまふ。是くのごときの衆事、佛、大慈の故に衆生を憐愍して之を畜ふることを聽すと。是くのごときの□□【左脇注それぞれの□=判読不能の字の左にそれぞれ「意无し」】經律、悉く是れ魔説なり』云云」と。

【冠注:釜 玉に云く、扶(ふ)甫(ふ)切[反切:ふ]、鍑の屬。煮る者。亦鬴に作る。宋に云く、※(ひ)武(ぶ)切[反切:ふ]、黄帝始めて造りし事。
[やぶちゃん注:「※」=[(へん)月+(つくり)ヒ]という字には他に「び・へい・ばい」の読みがある。]

【冠注:鍑 玉に云く、方(はう)宥(いう)切[反切:ふ]、器なり。釜に似、而して大なり。宋に云く、方(はう)副(ふく)切[反切:ふく]、釜にして大口なり。一に曰く、小釜なりと。】
[やぶちゃん注:「似」は[(にんべん)+政]であるが、誤字と判断した。] 

 


 既に云ふ、七百歳の後、波旬漸く起こると。故に知んぬ、彼の時の比丘、漸く八不淨物を貪畜す。此の妄説を作す、即ち是れ魔説なり。此等の經文【右脇注:中の意】に明らかに年代を指して、具さに行事を説く。更に疑ふべからず。且らく一文を擧ぐ、餘は皆准して知れ。

 

 次に、像法の後半には、持戒咸(ことごと)く【左脇注:減の意】少なく、破戒は巨多(こた)なり。
[やぶちゃん注:「咸」が「減」ならばここの訓読は「減少し」となろう。]


 故に『涅槃』の六に云く、「佛、菩薩に告げて言ふ、善男子、譬へば迦羅林のごとし。其の樹衆多きにて、閼菓の九分有り。是の人、識らずして、賷(も)ち來たりて、市に詣でて衒(う)る。是の林の中に唯だ一樹有り。鎭頭迦(ちんづか)と名づく。是れ迦羅迦樹と鎭頭迦樹と、二菓相ひ似て、分別すべからず。其の菓熟する時、一(ひとり)の女人有りて、悉く皆拾ひ取る。鎭頭迦菓は載(ここに)[やぶちゃん注:または「すなはち」と読むか。]唯だ一分有り。迦羅迦、之を賣るに、凡愚なる小兒は復た別たず。故に迦羅迦菓を買ひて、噉ひ已(おは)りて、命終す。知人の輩有りて、是の事を聞き已りて即ち女人に問ふ。姉、何れの處より是の菓を持つとて來れるぞ。是の時に女人、即ち方所を示す。諸人即ち言ふ。是くのごとき方所に無量の迦羅迦樹有りて、唯だ一根の鎭頭迦樹あり。諸人之れを知り、已りて笑ひて捨て去りぬ。善男子、大衆の中の八不淨の法、又復た是くのごとし。是の衆の中に於て、是くのごとくの八法を受用すること多し。唯だ一人清淨持戒なる有りて、是くのごとくの八不淨の法を受けず、而も、諸人、非法を受畜することを知れり。然も同事して相ひ捨離せざること、彼の林の中の一の鎭頭迦樹のごとし」と。

 

 又『十輪』に云く、「若し我が法に依りて出家して惡行を造作し【左振り仮名:する】、此れ沙門に非ずして自(みづか)ら沙門と稱し、又梵行に非ずして自(みづか)ら梵行と稱せん。是くのごときの比丘、能く一切の天・龍・夜叉等、一切の善法功徳の伏藏を開示す。衆生の爲に善知識なり。少欲知足ならずと雖も、鬚髮を剃除し、法服を被着す。是の因縁を以ての故に、能く衆生の爲に善根を増長し、諸の天・人に於て善道を開示し、乃至、破戒の比丘、是れ死せる人なりと雖も、而も戒の餘才、猶ほ牛黄のごとし。此の牛死せりと雖も、人故(ことさ)らに之を取ること、又麝香のごとし。死して後に之を用ふる有るがごとし云云」と。


 既に迦羅林の中に一つの鎭頭迦樹有りと云ふ。此れ像運已に衰へて、破戒、世に滿てり、僅かに一二の持戒の比丘有るに喩ふ。又云く、「破戒の比丘、是れ死せる人なりと雖も、猶ほ麝香の死して而も用有るがごとし。衆生の爲に善知識なり」と。明らかに知んぬ、此の時、漸く破戒、世の福田と爲すことを許す。前の『大集』に同じ。


 次に、像季の後、全く是れ戒無し。佛、時の運を知ろしめして、末俗を濟はんが爲に名字の僧を讚めて世の福田と爲す。

 

 又『大集』の五十二に【一マス二字:云く、「若し】後の末世に、我が法の中に於て鬚髮を剃除して、身に袈裟を著せし名字の比丘、若し檀越有りて、捨施供養をせんに、無量の阿僧祇の福を得ん」と。

 

 又『賢愚經』に云く、「若し檀越、將に末來世になんなんとして、法、盡きなんと垂欲(なんなんと)せしに、正(まさし)く妻を蓄へ、子を挾(わきはさ)ましめん、四人以上の名字の僧衆、應に敬視すること、舍利弗・大目連等のごとくすべし」と。

 

 又云く、「若し破戒無戒にて身に袈裟を著たるものを打罵(ちやうめ)せん、罪、万德の佛身より血を出さんに同じ。若し衆生有りて、我が法の爲に鬚髮を剃除して袈裟を被服せる、設(たと)ひ戒を持たずとも、彼等、悉く已に涅槃の印の爲に、又印せられんなり。是の人、猶ほ能く諸の人天の爲に涅槃道を示す。是の人、便ち已に三寶の中に於て心敬信を生ず。一切の九十五種の外道に勝ちたり。其の人、必ず能く速かに涅槃に入る。一切の在家俗人に勝ちたり。唯(ただ)し在家得忍の人をば除く。是の故に天人應に供養すべし」〔と〕。

 

 又『大悲經』に云く、「佛、阿難に告げたまはく、『當來世に於て法滅しなんと欲せん時、當に比丘・比丘尼に有て、我が法の中に於て出家を得ん。己が手に兒の臂(ひぢ)を牽き、共に遊行し、酒家(しゆけ)より酒家に至り、我が法の中に於いて、非梵行を作し、彼等、以て酒の因縁爲(な)りと雖も、此の賢劫に於て、一切皆當に般涅槃を得べし。此の賢劫の中に、當に千佛有りて世に興出す。我れ第四爲(た)り、次後、彌勒に當に我が處を補(つ)ぐべし。乃至、最後の盧至如來まで、是くのごとく次第に、汝、應に知るべし、阿難、我が法の中に於て、但(ただ)し、使(つかひ)性は、是れ沙門にて、沙門の行を汗して、沙門を自稱し、形、沙門に似たらん、尚ほ袈裟を被著せる者有りて、賢劫に於て彌勒を首と爲して、乃至、盧至如來、彼の諸の沙門、是くのごとくの佛所にして、無餘涅槃に於て次第に涅槃入ることを得て、遺餘(ゆいよ)有ること無からん。何を以ての故ぞ。是くのごときの一切沙門の中に、乃至、一たび佛名を稱し、一たび信を生(な)す者は、所作の功徳、終に虚しからず。設(たと)ひ[やぶちゃん注:ここは訓読の誤りと思われる。「終に虚設(こせつ)ならず。我れ」と続くところであろう。]我れ佛智を以て法界を測知(しきち)するが故に』云云」と。

 

 次に『維摩經』に云く、「佛十号の中に初めの三号を聞くは、佛、若し廣く説かば、劫を經(ふ)とも盡きず云云」と。

 

 此等の諸經、皆、年代を指し、末來世の名字の比丘を將(も)て、世の導師と爲す。若し正法の時の制文を以て、末法世の名字の僧を制せば、教と機と相ひ乖(そむ)き、人(にん)・法、合せざらん。此れに由りて、『律』に云く、「非制を制すれば、是れ即ち三明を斷じて、所説を説くなり。[やぶちゃん注:ここの部分、こう読むには語順がおかしい。しばらく送り仮名に従っておく。]。豈に罪有らんや」と。

 

 此の上に經を引きて配當し、以已訖(をは)んぬ。

 

 後に教を擧げて比例すとは、

 

 末法には法爾として正法毀壞(くゐゑ)し、三業無記にして、四儀、乖くこと有らんには、且らく『像法決疑經』に云ふがごとし。「若し復た人有りて、塔寺を造り、三寶を供養すと雖も、敬重生(な)さず、僧に請じて寺に在(お)いて、飲食・衣服・湯藥を供養せず、返りて更に乞〔假?〕(きつか)して、僧の食を噉(くらは)す。貴賤を問はず、一切專ら衆僧の中に於て欲するなり。不饒益を作し、惱亂を侵損す。此くのごときの人輩、永く三途に堕す」と。

 

 今、俗間を見るに、盛んに此事を行ず。時運、自(みづか)爾(しか)り。人の故に爾るに非ず。檀越、既に檀越の志無し。誰か誹を僧に得ん。僧の行、無ければなり。

 

 又、『遺教經』に云く、「一日車馬に乘れば五百日の齊を除くと。當代の行者の罪、何ぞ持齊の德を呈さん。」と。

 

 又、『法行經』に云く、「我が弟子、若し別請を受けば、國王の地の上を行ふことを得じ。國王の地の水を飲むことを得じ。五百の大鬼、常に其の前に遮ぎる。五千の大鬼、常に從ひて罵しりて言(いは)く、佛法にて大賊なり」と。

 

 『【右脇注:鹿か。】子母(ろくしも)經』に云く、「別請せば、五百の羅漢、猶ほ福田と名(なづく)ことを得じ。若し一の似像の惡比丘に施するは、無量の福を得」と。

 

 當代の道人、已に別請を好む。何(いづれ)の處にか福を植へ〔ゑ〕ん。持戒の人、豈に之に加へんや。既に王の地の上を踐(ふ)まず、又、王の地の水を飲むことを許さず【ここには「又不許」が繰返されているが、それぞれの三字の右脇の「┏」及び左脇の「レ」の記号は、この三字が衍字であることを示しているのであろう。】五千の大鬼、常に大賊なりと罵しる。嗟乎(ああ)、持戒僧の罪、何ぞ其れに於て、過ちを改めんや。

 

 又、『仁王經』言く、「若し我が弟子、官の爲に使はるれば、我が弟子に非ず。大小僧〔統〕を立して、共に相ひ攝縛(せつばく)せん。爾(しかる)の時に當たりて、佛法滅沒す。是れを佛法を破し、國を破する因縁と爲すなり云云」と。

 

 『仁王』等を推するに、僧〔統〕を拜するを以て、破僧の俗と爲す。彼の『大集』等に、無戒と稱するを以て、世を濟ふの寶と爲す。豈に破國の蝗を留めんとして、遂に保家の寶を棄てんや。

 

 須く二類を分たずして、共に一味を(さん)すべし。僧尼、跡を絶たずして、鳴鐘、時を失はず。然れば乃ち、末法の教を允(まことと)かんがへて、國の道を有らしめん。【左脇訓読を用いると、「國の道を有(たも)つを令(よ)くせん。」と訓読しているか。】[やぶちゃん注:「允(まことと)かんがへて」という訓読は、「允」の字の送り仮名(もしくは読みの一部を含む送り仮名)の判読に自信がない。]

 



末法燈明記



延文三歳【戊戌(つちのえいぬ/ぼじゆつ)】七月五日、以て圓福寺、本書、之を寫すと雖も、其の點、義理に思はざる樣有るの間、愚意の點に任せ訖(おはん)ぬ。            <花押>