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高校生による「こゝろ」講義後小論文(全三篇)

(copyright 1999―2008 Yabtyan-osiego)

[やぶちゃん注:以下は、私が「こゝろ」を教授した高等学校二年生の教授終了後の小論文である。表現の一部に手を加えてはあるが、基本的に原稿のままである。なお、公開にあたっては、本人の承諾を既に得ている。他にも、過去の生徒のもので、公開したいものは数多くある。それぞれの承諾が得られ次第、順にお示ししたい。凡百の国文科の大学生のものよりも、優れたものが沢山ある。なお、著作権はそれぞれの教え子にあるが、掲載に際しては個人情報保護の観点から匿名としてあるので、論文末尾に以下のような著作権クレジットをしておく。
(copyright 〔執筆・記載年度〕 Yabtyan-osiego)

なお、本感想の文章や解釈の全て又は一部を盗用しようと考える高校生は、本ページを一行たりとも読んではならない。まず、そのような君にはここの学生達の謂いは全く理解できないはずであるから。更に君は「こゝろ」という作品を読んでいながら、自身が救い難い最下劣な存在に堕していることが分からないという極めて皮肉で致命的な誤謬に気づいていませんね。稚拙であっても自分の言葉と思いを大切になさい。そういう君はもう一度出直していらっしゃい。ちゃんと出口を用意してありますから。(2006年5月20日記)


《上記下線部を許諾しないか、抵触する虞れを感じる方》
→ 出口 ←

《上記下線部を許諾する》




お進みなさい、さらば開かれん!




追記:2006年8月15日、許諾を得て1999年度生徒分一篇を追加。
追記:2007年3月13日、許諾を得て2006年度生徒分「トゥワイス・ボーン」一篇を追加。]


                    *

   トゥワイス・ボーン

 生まれかわりの瞬間がある。それはさまざまな事物が、それぞれにその揺るぎないアイデンティティを獲得した瞬間である。

 明治天皇の崩御、その御大葬当日に起きた乃木大将の自殺。それらに呼応するかのように、先生は「明治の精神に殉死する」としてその直後に自らの手で生涯を閉じた。ではその「明治の精神」とは何であったのか。そして「殉死」という言葉に、先生はどんな意味を込めたのであったか。そのためには明治という時代がいかなる時空間であったかを、紐解いてみる必要がある。

 大政奉還によって、政権が幕府から朝廷に帰したその翌年の一八六七年にその時代は始まった。以後、四十五年に亙ったこの明治なるものは日本が近代化の礎を築いた時期として常に措定される。「富国強兵」をスローガンにした明治政府は、驚くべきスピードで軍産共同体的「近代化」を加速した。そうして日清・日露の戦役で順調な勝利を重ねた日本は、あっと言う間に成り上がってきた「列強」の一つとして世界に知られるようになり、日本人自身の意識にもその「列強」の自覚が浸透して行った。庶民の生活においても、文明開化は豊かな新風と認識され、文化・思想の近代化は著しいものがあった、と定義されるのである。

 確かに明治は様々な面に於いて日本が一歩踏み出した時代ということはできる。強力な外的圧力によるところが多分にあったにせよ、日本は鎖国を基礎とする江戸の情緒的安定路線から脱却し、大きな歩みを遂げたことは事実であるということである。まさに明治とは、よく言われるところの『前進の時代』なのではあった。ではその『前進の時代』であるところの「明治の精神」なるものが先生に及ぼしたものとは、一体何であったのか。

 一九一二年夏、その『前進の時代』も天皇の死とともにその幕を下ろした。先生は明治天皇の崩御の時、「明治の精神が天皇に始まって天皇に終わった気がし」たと述べている(下五十五)。明治が『前進の時代』であるという命題が真ならば、それが終わった時そこに待ち受けているのは『停滞』でしかない。「明治が永久に去った報知」(下五十六)を耳にしたとき、先生の胸に去来したのは『今しかない』という万感の思いであった。明治が終わろうとしている今、これを逃したら、もう一生涯、この自身の状況から抜け出すことはできなくなる――まさに「人間の中に取り残されたミイラ」(下一)として余生を過ごさなければならなくなる。明治の終焉の瞬間は、先生にとって前に進むラスト・チャンスだったに違いない。そうして彼は、残された唯一の道であった自殺、否、「殉死」へとその一歩を踏み出したのである。

 先生は「殉死」という語を特異的に用いている事実を見逃してはならない。字義をまず云々するならば、それは、主君の死亡時にその後を追って臣下が自殺するということである。時代背景からいえば、先生は天皇や乃木大将の後を追ったのだと一見、見えなくもない(先生は単なる孤絶した自己処罰としての惨めな死に際しても、形式上の覚悟の肩書を欲したに過ぎないという解釈をする多くの人や論を私は確かに知っている)。しかしこれは、先生自身が「乃木さんの死んだ理由がよくわからない」(下五十六)と述べている以上、決してありえない。明治にあって、西洋的個人主義の急激な浸透によって、前近代的封建社会の名残りを思わせる昔ながらの「殉死」という概念は、見る見るうちに時代遅れのものとなっていた。主君のために己の命を投げ出すというのは、最早、時代の価値観に馴染まなくなっていたことは、今更に語る価値もないのである。先生は、自分が「殉死」することに関して、遺書の最後に「古い不要な言葉に新しい意義を盛りえたような心持ちがした」と記している(下五十六)。先生はこの「殉死」という言葉を、主君の後を追うという古めかしい意味では決して使ってはいない。では先生はこの「古い不要な言葉」に、いかなる新たな意義を盛りえたのであったか。

 先生は常に、エゴイズムと良心の呵責との狭間に生きてきた。二つの相容れない感情が、心の中で同居していた。だが結局、彼の恋に於いては「ぜひお嬢さんを専有したいという強烈な一念に動かされ」(下三十二)、エゴイズムがいかなる折も先行していた。先生自身、Kを完膚なきまでに叩きのめしたあの場面の叙述に於いて、自らの行ないに対して極めて自覚的に「単なる利己心の発現」と評しているのである(下四十一)。また、何度も訪れたKに対する謝罪の機会を、自身の信用を失うかもしれないという危惧から逃している点にもそれは明白に表れている。そうして、先生が行為に於いてエゴイズムを先行させた後には、決まって良心の呵責があった。Kに心から謝罪しなければならないと思い、遺書に於いても言葉を尽くして自己批判の言明を繰返す(それは当時と遺書記載時の両時空間にあってということである)。しかし一方で我々は、行動に於ける彼、ただ自らの恋にエゴイズムを自動的に貫き通していく彼を見るばかりなのである。謝りたい心とは全くもって裏腹なその態度――先生はまさに自己同一性(アイデンティティ)を確立できずにいたと言ってよい。

 勿論、先生の「殉死」に贖罪的な意味合いが含まれていない等と言うつもりはない。いや、寧ろそのようなものとして読み解くことは「自然」ではある。当然、彼が自らの命を絶つという行為行動によって、Kへの償いを果し得たという事実は否定されようがないからである。しかし、それは読む我々の側の「自然」に過ぎないのではないか。即ち、その行為は、同時に、自身の心と行動とを一致させること、先生の「自然」を体現することでもあったのである。それは紛れもない、「先生」という「個」が、自己同一性(アイデンティティ)を確立することであったと言っていい。

 先生の「殉死」は確かに、自己同一性(アイデンティティ)の確立のシンボライズである。そうして、それは――自己同一性(アイデンティティ)の確立という恐るべき定立は――西欧近代的個人主義の普及に伴い、近現代を、近現代として生きる、生きねばならない我々にとっての巨大にして致命的なテーマとなってしまった。実際に、『舞姫』を始めとして近代の多くの文学作品の根底には、このテーゼが脈々と流れている。そう考えてみると、この先生の口を突いて出た「殉死」という言葉の持つところの時代遅れの感じは瞬く間に払拭されるのだ。先生は正に、自らの「こゝろ」に、殉死したのである。そしてそこで彼は、揺るぎないオリジナルな自己同一性(殉死の旧来の語彙的意義上の意味では勿論なく、更に西欧からもたらされたインキ臭いアカデミックな定義としてでもなく)を手に入れたのであった。殉死という「古い不要な言葉」はその時、西洋的個人主義という近代的な立脚点を得、そこからまた更に新たな彼=先生=漱石自身の意義を獲得したのであった。

 先生は「前進する時代」であるところの明治に倣い、自らに残された唯一の道であった自殺へと歩みを進めた。そしてその果てに得た自殺ならぬ「殉死」によって、彼は己の正しき自己同一性を確かにしっかりとつらまえるに至ったのである。

 自己同一性を確立し得たとき、人は生まれかわる。新たな、確固とした「個人」として。「殉死」によって先生は肉体を失った。が、同時にそのとき、先生の生まれかわったところの「新しい命」(下二)は、先生が求め、学生の「私」が望んだ如く、「我々」の胸に確かに宿ったのだ。

 もう一度、言おう。前進の時代であるところの明治が終わる瞬間、それは先生にとってのラスト・チャンスであったのだ。――我々は知っている。明治が去った後、そこに待ち受けていたのは「進歩」とははるかにかけ離れた時代であったことを。関東大震災・治安維持法・世界恐慌……。そうして泥沼の十五年戦争に突入した大日本帝国は、「臣民」に対し、天皇への忠誠を強いた。そこにおぞましくも蘇生してきたものは、先生が「古い不要な言葉」と評したはずの「殉死」であったではないか。

 恋は罪悪であり、そしてまた神聖なものである。同じように、絶対的な罪悪と目されながらも度々「聖」「聖なる」という冠を戴くのが、「戦」であり「戦争」である。「恋と戦争は手段を選ばない」と言われる。恋と戦さは並列関係にある。人間個人の自己同一性に問を投げかけるのが恋だとするなら、国家に於ける『それ』は戦争である。お嬢さんの「領有」をめぐる先生とKとのバトルが正に戦争であったように、国際社会は利害関係によって動く。「同盟」に友愛的な馴れ合いの性質などない。先生が親友としていたKも、お嬢さんをめぐる争いが生じてくると、恐るべき「魔」(下十八)へと変じたように。

 得たいものへの野心は隠しておかねばならぬ。そこで、如何に戦争を回避しつつその目的物を獲得するかという双方の水面下の駆け引きが始まる。お嬢さんへ直接この恋を打ち明けようか、あるいはいっそのことKに告げてしまおうか。先生の苦悩は日増しに募ってゆく。またKにあってもお嬢さんとの接触の機会を段々と増やしていっていることは明白な事実として読み取れる。勿論、Kの側が先生のお嬢さんへの想いを顕在的に念頭に置いていたか否かは、それを明確に実証することはできない。けれども、先生との議論の中でしばしば「女」を擁護する先生を見てきた彼が、先生の心の内に気づいていたとしても何らの不思議はないはずである(いや、それが恋をする者の「自然」である)。そしてKが、お嬢さんに対する自らの恋を先生に打ち明けた時、それはすなわち比喩ならざる宣戦布告の合図であった。

 首尾よくこの戦争の決着を着けたのは先生であった。しかしそれは起こるべくして起こった究極の最終決着だった。先生は当初、Kが平生のストイックな男へと戻るよう、戦意を削ぐことを目指した。そして実際は、それで十分だった。けれども、「口で先へ出たとおりを、行為で実現しにかかり」(下二十四)、「自分で自分を破壊しつつ進む」(下二十五)Kであるからして、Kの「脅威」に対する先生の不安はついに最後まで消えることがなかった。自らの利害と衝突する恐れがあるからには、その可能性の芽はきちんと摘んでおかなければならないのは兵法の基本である。そうして先生はKを「居直り強盗」(下四十一)のごとく感じ、「果断に富んだ彼の性格が、恋の方面に発揮されるのが、すなわち彼の覚悟だろうといちずに思い込んでしまった」(下四十)のだった。

 戦争、とりわけ近代戦にあっては勝った側も負けた側も、重篤なダメージを受けることは言を俟たない。この先生とKとの二者の戦争は、全ての両者の白兵戦と、その戦後の勝者であったはずの先生の先生自身による軍事法廷の裁可によって、結果として二人の命を失うこととなった。そして戦争はその国の、「戦後」なるものの立ち位置を、「戦後」の国内の状況を、戦前とはまるで違ったものにかえる。Kに於いても先生に於いても、その「戦前」と「戦後」では、周囲との関係や、その心のうちは、まったく異なったものとなった事実を、我々はここに見出すではないか。「凱歌」(下三十二)であるとか、「要塞」(下四十)であるとか、容易に戦争を連想する言葉選びが、この作品を戦争論の比喩的視点で読むことへと我々を誘っている。自己同一性の確立とは、恋に於いても人生に於いても、そして遂に国家に於いても、絶対的なテーマであり続ける。


 全てのものは、生まれかわる。その自己同一性を確立しえた時に。その瞬間に、全く新しい命が、またそこから始まるのだ。

(原型二〇〇六年十二月執筆・二〇〇八年一月改訂最終稿 男子 
copyright 2006-2008 Yabtyan-osiego)[やぶちゃん注:戦争論としての「こゝろ」という視点は、眼から鱗、私には極めて新鮮に感じられた。→ブログ・コメントへ]




            *       *       *



 静は名前の示す通り、静謐である。発する言葉は少ない。しかし、わずかな言葉に多大な影響力がある。「議論はいやよ、よく男の方は議論だけなさるのね、面白そうに。空の盃でよくああ飽きずに献酬ができると思いますわ」(上十六)と学生に言う。理屈をこねくり回して議論ばかりする先生と学生の抽象的で観念的な言葉など静には決して届かない。

 また、Kの自殺を「変死」と言い、先生のように苦悩しない。もちろん静はKの自殺の原因を夢にも知らない。「こころ」の中では、題名と同義として、より深い意味を持つのは「血(潮)」である。Kが自殺した折、静はKの「血潮」を見ていない。これはKの心を見ていない、知らなかったということを示す。仮に、もし静が、それを知っていたら「二人揃って(Kの)御参りをしたら、Kがさぞ喜ぶだろう」(下五十一)、またある時は、すっかり変わってしまった先生に対し、「Kさんが生きていたら貴方もそんなにはならなかったでしょう」(下五十三)などと言うはずもないのである。決定的なのは、学生に対し、先生の変化の理由を友人の死が絡んでいるのかもしれないことをほのめかし、「もしそれが原因だとすれば、私の責任だけはなくなるんだから、それだけでも私大変楽になれるんですが」、そして変死の理由を「私には解らないの」(ともに上十九)とはっきりと断言しているところだ。しかし、仮にKの心の内を知ったところで、先生のようにそれに苦悩するようなロマンチストではないようにも思われるのである。

 明治天皇が崩御したとき、先生に「殉死でもしたらよかろう」(下五十五)と調戯っている。先生の長い遺書の中で「殉死」という語が使われるのは、ここが初めてである。男たちが深い意味を見出し、そして実行した「殉死」。それを静は冗談で使ったのだ。これは乃木大将の妻である静子夫人が乃木大将とともに天皇に殉死したのとは対照的である。静は「殉死」とは古い不要な言葉にしか感じない新しい女なのだ。

 ところが、そんな静は、この物語では、基本的に性格やこころではなく、外見で判断されている。先生が初めて静に会ったときには、今まで抱いていた御嬢さんにとって有利でない推測が「お嬢さんの顔を見たときに悉く打ち消されました」(下十一)というように、先生は静に一目惚れをしている。また、先生と奥さんと静の三人で日本橋へ買い物に行った折も、その様子を見かけた級友は、静のことを「非常に美人だ」と言って賞めたとある(下十七)。学生が先生の妻である静に初めて会ったときは「美しい奥さん」という印象だけを受けている(上八)。それは「見られる」ための即物的対象でしかない。また、先生が奥さんに静との結婚を望む下りも、直接静に告げたり、静の意思を確認するということさえもなされていない。これはもちろん当時の習慣・常識という背景もあり、一概に我々現代人の価値観で判断しきれるものではないが、わざわざ、先生がその習慣の違いを遺書の中で私に説明すること自体が、ある示唆を示していると言えないだろうか。そこではあたかも、先生と奥さんとの間で静という『モノ』を取引するように見えなくもないのである。注目すべきは、Kの死後、どうしても告白できない先生の内実の表明の中で、精神的に癇症な彼に「白ければ純白でなくっちゃ」いけない「卓布(テーブルクロス)」(上三十二)という『モノ』と、同じ扱いを受けている点である。

 『モノ』。一歩踏み込んで考えてみれば、漱石の前期三部作の「門」で、お米は宗助と同じ立場に立つ自らの分身であったのに対し、「こころ」の静という存在は、先生が求める一つの血の通わぬ『対象』と見ることができるのではないだろうか。下十四で先生は静への想いを「本当の愛は宗教心とそう違ったものではないという事を固く信じているのです」と主張し、「御嬢さんの顔を見るたびに、自分が美しくなるような心持がしました。御嬢さんの事を考えると、気高い気分がすぐ自分に乗り移って来るように思いました」と、ひたすら「高い極点」としている。静は先生にとっての『高み』なのだ。「人間として肉を離れる事の出来ない」先生にとっては神聖な存在であり、「綺麗な花」(下五十)である静とは、もともと自らの存在の人としての暗部とは関わることのできない――関わることのない崇高なものとみなしていたわけである。

 『モノ』にしろ『高み』にしろ、そのこころを見つめられることのなかった静。男社会の中での、いかに生き辛いかは十分過ぎるほど知っていたろう。

 しかし、先生の過去は知らない。静はKの血潮を見ていない。それと同様に、静は、先生の血潮も見ないでいる。先生によって意図的に見せられないでいる。「私は妻に血の色を見せないで死ぬ積です」(下五十六)。最後まで血は禁じているのだ。夢にも「こころ」を知らなかった静と、決して「こころ」を知らせようとはしなかった先生。果たして二人は幸せだったのか。先生は「私達は最も幸福に生まれた人間の一対であるべき筈です」(上十)と述懐している。あるべき筈というのは、あるべきであるのに、事実はそうでないことを意味しているのか。「門」の宗助とお米を思い出させる。幸福な一対の夫婦であるべき筈でありながら、過去のある事件のため、心の底から幸福を得られず、男女の愛の結晶である子どももできず、世の中から孤立して生きている。現実の中の一対の不幸な男女として、先生と静は、宗助とお米の延長線上に描かれている。ただ決定的に違うのは、「こころ」の四年前に書かれた「門」では、宗助とお米が、罪も不幸も対話によって分かち合うことができたのに対し、「こころ」の先生は、静に哀願されても決して語ろうとはしていない点だ。「世の中で自分が最も信愛しているたった一人の人間すら、自分を理解していないのかと思うと、悲しかったのです。」(下五十三)。静が先生を理解する以前に、先生は静に理解してもらおうとはしなかったのだ。

 結婚をしてから先生が変化したのは誰もが注視するところであろうが、静も、変化した。以前のように、楽しそうに笑うことがなくなったことを見落としてはいけない。笑わなくなった二人――罪を分かち合うことができない二人――孤独を感じている二人……私にはとても幸福には見えない。では先生が静に全てを語れば万事は解決したか、そうしたら先生と静は理解し合えて真の幸福を得ることができたのか。それは、我々現代人の価値観で判断することは非常に難しいことである。単純に、理解させる手段を行使できなかった先生を責めることはできない。罪の告白ができなかったという先生。「先生」は我々の心の中にも存在するのではないか。

 それにしても、妻のために、命を引きずって世の中を歩いてきたような先生の不幸以上に、そんな夫に長年連れ添わなければならなかった静の不幸を思わずにはいられない。上八で静は、先生に毎晩少しずつお酒を飲むことを勧めている。「召上がって下さいよ。その方が淋しくなくって好いから」。ここで「淋し」いのは静である。静が、学生を前に本音を吐露するのは、極めて異例なことである。こんな一言からも静の不幸の影が読み取れる。

 男中心の社会の中で、男たちから一方的に意味づけられ、遠ざけられ、排除されてきた静。先生からだけではない。先生の言葉を借りるなら「塵に汚れる前の私」である学生、先生の「血」を受け継いだ学生もその例外ではない。学生は上八で「初めて知り合になった時の奥さんに就いては、ただ美しいという外には何の感じも残っていない」(下線筆者)と述べている。これは先生の遺書を読む前と、読んだ後では、静に対する気持ちが変化したことを示している。先生を慕い、その思想に大きな影響を受けた学生は、遺書を読み、静を「策略家」と感じたのだろうか? 確かに策略家としての静も見逃せないことは事実である。結婚前の静は、わざとKと親しげにして、先生の嫉妬心を煽っているように見える。先生がKの部屋から静の笑い声を聞き、立ち去る静の後ろ姿を認める場面(下三十二)、雨後の路上で先生が一緒にいるKと静に遭遇し、その後、静が「何処へ行ったのか当ててみろ」と笑いながら言う場面(下三十三~三十四)、歌留多取りで静がKに加勢して私に対抗する場面(下三十五)などでは、先生を翻弄する悪女のようにも、漱石の言う『無意識の偽善者』のようにも見えるかも知れない。

 しかし、夫に先立たれ、下宿屋を営む身寄りのない未亡人と若い娘。婿養子として迎えることのできる、財産もあり、帝大生で、将来有望な先生との結婚をこの女たちが望むのは、極めて自然なことだ。

 したたかな女、静は決して男たちのようには死なない。学生が先生の生き方を模倣するようには、しないのだ。静はまさに、作中、誰よりも『固有の存在』なのである。だからこそ、先生、私、K、と名前が与えられていない男たちとは別に、『静』という『名』が与えられたのであったと、私は感ずるのである。

(一九九九年十二月執筆 女子 copyright 1999-2006 Yabtyan-osiego)→ブログコメントへブログコメントへ(続)



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 先生は、様々な形で不可思議な円運動をみせている。海岸へ戻る時の一種の弧線、財産について語る際に地面に描いた円のようなもの、プロポーズ後のいびつな円の形の散歩コース、それから、Kが自殺した晩から早暁にかけて八畳の中をぐるぐる廻る先生。

 図像としての「円」は汎世界的に重要な象徴物として使われている。その中でも、「自分の尾を喰らう蛇」(ウロボロス)は特に有名である。この蛇が創る円は終点が始点につながり、終りがない。それは、永遠に循環し続けることを示すシンボルである。だが、これをキリスト教的な側面から見ると、「無意識・混沌を示めす円循環」=「繰り返し続ける進歩のない歴史」となる。先生の謎の円運動、これはまさに、前に進むことなく、同一円上をなぞってきた『先生の時間』そのものを示しているのではないだろうか。先生とお嬢さん、それに絡まるKとの関係のは無論のこと、Kが自殺し、お嬢さんと結婚した後も、先生は進歩できていない。先生の「時間」は循環するばかりである。「上」での先生の学生への語り、これは一見、過去に自分の周囲で起きた事件を、先生が乗り越えた結果の言葉のように聞える。しかしその実、先生は一歩たりとも前に進んではいない。いなかったのである。先生は自分を含めた人間を信用できなくなるようなことを遣り、驚き、怖くなったと言う。こうなってしまった後の先生の持つ覚悟は、現代に生きる人々一般に対する言葉であると同時に、実際は自己合理化でしかないと僕には思える。怖くなって進めなくなった自分のための言い訳なのである。自由と独立と己れの犠牲として今の淋しみを味わうことをよしとする――この言葉はとりもなおさず、先生が未来の自分と向き合うことを避けていることにほかならない。先生の言うように、確かに、未来はもっと淋しいかもしれない。しかし、それと向き合うことことから始めなければ、「今」という「時間」から一歩たりとも進むことはできないのだ。

 ウロボロスの話には続きがある。この円を創る「蛇」は「竜=ドラゴン」で表されることもあるのであるが、この蛇と竜はキリスト教世界でほとんど同一視される存在である。そうして、世界各地に、竜を英雄が退治するという伝説が数多く残されているのは周知の通りだ。竜は「進歩のない歴史を繰返す円」であることは既に述べた。その竜を倒すことは、円を壊すこととなり、それによって、世界に、「前に進むことのできる直線的な時間」が始まるのである。

 「こゝろ」という小説は、一種の内なる蛇=竜退治の物語なのではないか。先生は、財産の話をする時、地面にステッキで円のようなものを描く。それが済むと先生は「ステッキを突き刺すように真直ぐに立て」るのである。これはまさに、円を壊す行動にほかならない。実際、先生はこの直後に初めて、自分の過去について語り出すではないか。今まで触れたことのなかった叔父に欺かれたおぞましい過去について。その忌まわしい円を破壊することによって、先生は、この時初めて、前に進み始めたのである。自己の体験したことのない新たな「時間」へと、前に進み始めたのである。

 翻って見ると、先生だけでなく、Kも数珠という「円い輪となっているもの」を一粒ずつ爪繰ることで、円運動をしている。Kは「道」という理想と、「恋愛」という現実に挟まれて進めなくなっている「円」なのである――「精神的に向上」することのできない「円」なのである。そして彼は、自分という「円」を自殺という形で壊すのである。しかし、この「円」は彼の死だけでは終わらない。先生の遺書には「妻が中間に立って、Kと私を何処までも結びつけて離さないようにする」とある。即ち「円」は、Kと先生、それぞれの別個のものの如く見えながら、同時に二人で一つのものなのだ。Kと先生の創る「こゝろ」の「円」とは、お嬢さん=妻を中心点として回る複雑に絡まる輪で出来た「円」なのではなかったか。先生とKがお互いの尾をかみ合いつながる終わりのない「円」、お嬢さん=妻の近くに在りながら、ただ回り続けることしかできなかった「円」なのではと。

 先生は「明治の精神」の終焉とともに、「必竟時勢遅れ」と感じている自分自身の生命を絶つ。先生が自身の生命を破壊することで初めて、先生とKという二人の循環し続けてきた「円」を壊すことができたのではないか。

 二人は繰り返し続ける時間を終わらせ、前に進むために自殺した。そこには友の裏切りがあり、乃木大将の殉死があった。だが、その自殺には常にお嬢さん=妻がいた。そして何よりも、先生に殉死という言葉を思い出させたのは妻だった。「円」を描いていたのは先生であり、Kである。自殺をし、円運動を終わらせたのは先生とKである。だが、考えてみれば、円を創り、それを回していたのは、実はお嬢さん=妻ではなかったのか。本当に円を壊し、繰り返し続ける時間を終わらせ、前に進むのは、お嬢さん=妻なのではないだろうか。お嬢さんこそが竜を退治した英雄として、ここにたち現れてくるとも言えるのである。

 先生の円運動、これは、前に進むことができない自分の心の表象であり、先生の存在自身の象徴なのであろう。先生は、自分の生命を、「円」を破壊することで、初めて前に進むこと、即ち「他の参考」になることができると考えた。死によってしか前に進むことができなかった先生の過去、先生とお嬢さんとKの創る「円」の秘密。これらを学生と共に知ってしまった僕は、これからどう生きていけばいいのだろうか。「こゝろ」の先生の人生から、僕は、生きた教訓を得ることができただろうか。僕は自分の胸に新しい命を宿らせることはできないかも知れない。

(二〇〇五年十二月執筆 男子 copyright 2005-2006 Yabtyan-osiego)[やぶちゃん注:ウロボロスは私もまた感じている要素であり、その点で大いに興味を引いた論文であった。]