やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇へ
鬼火へ

芥川龍之介作品集『傀儡師』やぶちゃん版(バーチャル・ウェブ版)へ


枯野抄   芥川龍之介

[やぶちゃん注:大正7(1918)年十月発行の雑誌『新小説』に掲載、後に『傀儡師』『地獄變』『沙羅の花』『芥川龍之介集』等の作品集に所収された。本テクストの底本は昭和551980)年ほるぷ社『特選 名著復刻全集 近代文学館』で復刻された大正8(1919)年新潮社刊の『傀儡師』を用いた。但し、一箇所、去来の心境描写の場面の「元より」と「彼も行住坐臥に」の間には私には読解出来ない活字が入っている。該当箇所に画像で挿入し、後注で拡大して掲げておいた。同底本による岩波版旧全集版(従って異同はほとんどない。そこで同書後記にある初出との異同も今回は記した)との校異注記を作品末に提示した。なお、本作については、私の岩波版旧全集を底本とした同作品テクストの他に、「枯野抄」やぶちゃんのオリジナル授業ノートも用意してあるので、御関心のあられる向きは御笑覧頂ければ幸いである。]

 

枯野抄 大正七年九月

       芥川龍之介

 

    丈草、去來を召し、昨夜目のあはざるまま、ふと案じ入りて、呑舟に

    書かせたり、おのおの咏じたまへ

      旅に病むで夢は枯野をかけめぐる

                       ――花屋日記――

 

 元祿七年十月十二日の午後である。一しきり赤々と朝燒けた空は、又昨日のやうに時雨(しぐ)れるかと、大阪商人(おほさかあきんど)の寢起(ねおき)の眼を、遠い瓦屋根の向うに誘つたが、幸葉をふるつた柳の梢を、煙らせる程の雨もなく、やがて曇りながらもうす明い、もの靜な冬の晝になつた。立ちならんだ町家(まちや)の間を、流れるともなく流れる川の水さへ、今日はぼんやりと光澤(つや)を消して、その水に浮く葱(ねぶか)の屑も、氣のせゐか靑い色が冷たくない。まして岸を行く往來の人々は、丸頭巾(まるづきん)をかぶつたのも、革足袋をはいたのも、皆 凩(こがらし)の吹く世の中を忘れたやうに、うつそりとして歩いて行く。暖簾(のれん)の色、車の行きかひ、人形芝居の遠い三味線の音――すべてがうす明い、もの靜な冬の晝を、橋の擬寶珠(ぎばうしゆ)に置く町の埃も、動かさない位、ひつそりと守つてゐる……

 この時、御堂前南久太郎町、花屋仁左衞門の裏座敷では、當時俳諧の大宗匠と仰がれた芭蕉庵松尾桃靑が、四方から集つて來た門下の人人に介抱されながら、五十一歳を一期として、「埋火(うづみび)のあたたまりの冷むるが如く、」靜に息を引きとらうとしてゐた。時刻は凡そ、申(さる)の中刻(ちうこく)にも近からうか。――隔ての襖をとり拂つた、だだつ廣い座敷の中には、枕頭に炷きさした香の煙が、一すぢ昇つて、天下の冬を庭さきに堰いた、新しい障子の色も、ここばかりは暗くかげりながら、身にしみるやうに冷々(ひや/\)する。その障子の方を枕にして、寂然(じやくねん)と横はつた芭蕉のまはりには、先、醫者の木節が、夜具の下から手を入れて、間遠い脈を守りながら、浮かない眉をひそめてゐた。その後に居すくまつて、さつきから小聲の稱名を絶たないのは、今度伊賀から伴に立つて來た、老僕の治郎兵衞に違ひない。と思ふと又、木節の隣には、誰の眼にもそれと知れる、大兵肥滿(だいひやうひまん)の晉子(しんし)其角が、紬(つむぎ)の角通(かくどほ)しの懷(ふところ)を鷹揚にふくらませて、憲法小紋の肩をそば立てた、ものごしの凛々(りゝ)しい去來と一しよに、ぢつと師匠の容態を窺つてゐる。それから其角の後には、法師じみた丈草が、手くびに菩提樹の珠數をかけて、端然と控へてゐたが、隣に座を占めた乙州の、絶えず鼻を啜つてゐるのは、もうこみ上げて來る悲しさに、堪へられなくなつたからであらう。その容子をぢろぢろ眺めながら、古法衣(ふるころも)の袖をかきつくろつて、無愛想な頤(おとがひ)をそらせてゐる、背の低い僧形(そうぎやう)は惟然坊で、これは色の淺黑い、剛愎さうな支考と肩をならべて、木節の向うに坐つてゐた。あとは唯、何人かの弟子たちが皆息もしないやうに靜まり返つて、或は右、或は左と、師匠の床を圍みながら、限りない死別の名ごりを惜しんでゐる。が、その中でもたつた一人、座敷の隅に蹲(うづくま)つて、ぴつたり疊にひれ伏した儘、慟哭の聲を洩してゐたのは、正秀ではないかと思はれる。しかしこれさへ、座敷の中のうすら寒い沈默に抑へられて、枕頭の香のかすかな匂を、擾す程の聲も立てない。

 芭蕉はさつき、痰喘(たんせき)にかすれた聲で、覺束ない遺言(ゆゐごん)をした後(あと)は、半ば眼を見開いた儘、昏睡の狀態にはいつたらしい。うす痘痕(いも)のある顏は、顴骨(くわんこつ)ばかり露(あらは)に瘦せ細つて、皺に圍まれた脣にも、とうに血の氣はなくなつてしまつた。殊に傷しいのはその眼の色で、これはぼんやりした光を浮べながら、まるで屋根の向うにある、際限ない寒空(さむぞら)でも望むやうに、徒に遠い所を見やつてゐる。「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる。」――事によるとこの時、このとりとめのない視線の中には、三四日前に彼自身が、その辭世の句に詠じた通り、茫々とした枯野の暮色が、一痕の月の光もなく、夢のやうに漂つてでもゐたのかも知れない。

「水を。」

 木節はやがてかう云つて、靜に後にゐる治郎兵衞を顧みた。一椀の水と一本の羽根楊子(はねやうじ)とは、既にこの老僕が、用意して置いた所である。彼は二品をおづおづ主人の枕元へ押し並べると、思ひ出したやうに又、口を早めて、專念に稱名(しようみやう)を唱へ始めた。治郎兵衞の素朴な、山家育ちの心には、芭蕉にせよ、誰にもせよ、ひとしく彼岸(ひがん)に往生するのなら、ひとしく又、彌陀の慈悲にすがるべき筈だと云ふ、堅い信念が根を張つてゐたからであらう。

 一方又木節は、「水を」と云つた刹那の間、果して自分は醫師として、萬方(ばんぱう)を盡したらうかと云ふ、何時(いつ)もの疑惑に遭遇したが、すぐに又自ら勵ますやうな心もちになつて、隣にゐた其角の方をふりむきながら、無言の儘、ちよいと相圖をした。芭蕉の床を圍んでゐた一同の心に、愈と云ふ緊張した感じが咄嗟に閃いたのはこの時である。が、その緊張した感じと前後して、一種の弛緩した感じが――云はば、來る可きものが遂に來たと云ふ、安心に似た心もちが、通りすぎた事も亦爭はれない。唯、この安心に似た心もちは、誰もその意識の存在を肯定しようとはしなかつた程、微妙(びめう)な性質のものであつたからか、現にこゝにゐる一同の中では、最も現實的な其角でさへ、折から顏を見合せた木節と、際どく相手の眼の中に、同じ心もちを讀み合つた時は、流石にぎよつとせずにはゐられなかつたのであらう。彼は慌(あわたゞ)しく視線を側へ外らせると、さり氣なく羽根楊子をとりあげて、

「では、御先へ」と、隣の去來に挨拶した。さうしてその羽根楊子へ湯呑の水をひたしながら、厚い膝をにじらせて、そつと今はの師匠の顏をのぞきこんだ。實を云ふと彼は、かうなるまでに、師匠と今生の別をつげると云ふ事は、さぞ悲しいものであらう位な、豫測めいた考もなかつた譯ではない。が、かうして愈末期(まつご)の水をとつて見ると、自分の實際の心もちは全然その芝居めいた豫測を裏切つて、如何にも冷淡に澄みわたつてゐる。のみならず、更に其角が意外だつた事には、文字通り骨と皮ばかりに瘦せ衰へた、致死期の師匠の不氣味な姿は、殆面を背(そむ)けずにはゐられなかつた程、烈しい嫌惡の情を彼に起させた。いや、單に烈しいと云つたのでは、まだ十分な表現ではない。それは恰も目に見えない毒物のやうに、生理的な作用さへも及ぼして來る、最も堪へ難い種類の嫌惡であつた。彼はこの時、偶然な契機(けいき)によつて、醜き一切に對する反感を師匠の病軀の上に洩らしたのであらうか。或は又「生」の享樂家たる彼にとつて、そこに象徴された「死」の事實が、この上もなく呪ふ可き自然の威嚇だつたのであらうか。――兎に角、垂死の芭蕉の顏に、云ひやうのない不快を感じた其角は、殆何の悲しみもなく、その紫がかつたうすい脣に、一刷毛の水を塗るや否や、顏をしかめて引き下つた。尤もその引き下る時に、自責に似た一種の心もちが、刹那に彼の心をかすめもしたが、彼のさきに感じてゐた嫌惡の情は、さう云ふ道德感に顧慮すべく、餘り強烈だつたものらしい。

 其角に次いで羽根楊子をとり上げたのは、さつき木節が相圖をした時から、既に心の落着きを失つてゐたらしい去來である。日頃から恭謙の名を得てゐた彼は、一同に輕く會釋をして、芭蕉の枕もとへすりよつたが、そこに横はつてゐた老俳諧師の病みほうけた顏を眺めると、或滿足と悔恨との不思議に錯雜した心もちを、嫌でも味はなければならなかつた。しかもその滿足と悔恨とは、まるで陰(かげ)と日向(ひなた)のやうに、離れられない因緣を背負つて、實はこの四五日以前から、絶えず小心な彼の氣分を搔亂してゐたのである。と云ふのは、師匠の重病だと云ふ知らせを聞くや否や、すぐに伏見から船に乘つて、深夜にもかまはず、この花屋の門を叩いて以來、彼は師匠の看病を一日も怠つたと云ふ事はない。その上之道(しだう)に賴みこんで手傳ひの周旋を引き受けさせるやら、住吉大明神へ人を立てゝ病氣本復を祈らせるやら、或は又花屋仁左衞門に相談して調度類の買入れをして貰ふやら、殆彼一人が車輪になつて、萬事萬端の世話を燒いた。それは勿論去來自身進んで事に當つたので、誰に恩を着せようと云ふ氣も、皆無だつた事は事實である。が、一身を擧げて師匠の介抱に沒頭したと云ふ自覺は、勢、彼の心の底に大きな滿足の種を蒔いた。それが唯、意識せられざる滿足として、彼の活動の背景に暖い心もちをひろげてゐた中は、元より彼も行住坐臥に、何等のこだはりを感じなかつたらしい。さもなければ夜伽(よとぎ)の行燈の光の下で、支考と浮世話に耽つてゐる際にも、故(ことさら)に孝道(かうだう)の義を釋(と)いて、自分が師匠に仕へるのは親に仕へる心算(つもり)だなどゝ、長々しい述懷はしなかつたであらう。しかしその時、得意な彼は、人の惡い支考の顏に、ちらりと閃いた苦笑を見ると、急に今までの心の調和に狂ひの出來た事を意識した。さうしてその狂ひの原因は、始めて氣のついた自分の滿足と、その滿足に對する自己批評とに存してゐる事を發見した。明日にもわからない大病の師匠を看護しながら、その容態をでも心配する事か、徒(いたづら)に自分の骨折ぶりを滿足の眼で眺めてゐる。――これは確に、彼の如き正直者の身にとつて、自ら疚しい心もちだつたのに違ひない。それ以來去來は何をするのにも、この滿足と悔恨との扞挌(かんかく)から、自然と或程度の掣肘を感じ出した。將に支考の眼の中に、偶然でも微笑の顏が見える時は、反つてその滿足の自覺なるものが、一層明白に意識されて、その結果愈自分の卑しさを情なく思つた事も度々(たび/\)ある。それが何日か續いた今日、かうして師匠の枕もとで、末期の水を供する段になると、道德的に潔癖な、しかも存外神經の纖弱な彼が、かう云ふ内心の矛盾の前に、全然落着きを失つたのは、氣の毒ではあるが無理もない。だから去來は羽根楊子をとり上げると、妙に體中が固くなつて、その水を含んだ白い先も、芭蕉の脣を撫でながら、頻にふるへてゐた位、異常な興奮に襲はれた。が、幸、それと共に、彼の睫毛に溢れようとしてゐた、涙の珠もあつたので、彼を見てゐた門弟たちは、恐くあの辛辣な支考まで、全くこの興奮も彼の悲しみの結果だと解釋してゐた事であらう。

 やがて去來が又憲法小紋の肩をそば立てゝ、おづおづ席に復すると、羽根楊子はその後にゐた丈草の手へわたされた。日頃から老實な彼が、つゝましく伏眼になつて、何やらかすかに口の中で誦しながら、靜に師匠の脣を沾(うるほ)してゐる姿は、恐らく誰の見た眼にも嚴(おごそか)だつたのに相違ない。が、この嚴(おごそか)な瞬間に突然座敷の片すみからは、不氣味な笑ひ聲が聞え出した。いや、少くともその時は、聞え出したと思はれたのである。それはまるで腹の底からこみ上げて來る哄笑が、喉と脣とに堰かれながら、しかも猶可笑(をか)しさに堪へ兼ねて、ちぎれちぎれに鼻の孔から、迸つて來るやうな聲であつた。が、云ふまでもなく、誰もこの場合、笑を失したものがあつた譯ではない。聲は實にさつきから、涙にくれてゐた正秀の抑へに抑へてゐた慟哭が、この時胸を裂いて溢れたのである。その慟哭は勿論、悲愴を極めてゐたのに相違なかつた。或はそこにゐた門弟の中には、「塚も動けわが泣く聲は秋の風」と云ふ、師匠の名句を思ひ出したものも、少くはなかつた事であらう。が、その凄絶なる可き慟哭にも、同じく涙に咽ばうとしてゐた乙州は、その中にある一種の誇張に對して、――と云ふのが穩でないならば、慟哭を抑制すべき意志力の缺乏に對して、多少不快を感じずにはゐられなかつた。唯、さう云ふ不快の性質は、どこまでも智的なものに過ぎなかつたのであらう。彼の頭が否(いな)と云つてゐるにも關らず、彼の心臟は忽ち正秀の哀慟の聲に動かされて、何時(いつ)か眼の中は涙で一ぱいになつた。が、彼が正秀の慟哭を不快に思ひ、惹いては彼自身の涙をも潔しとしない事は、さつきと少しも變りはない。しかも涙は益眼に溢れて來る――乙州は遂に兩手を膝の上についた儘、思はず嗚咽(をえつ)の聲を發してしまつた。が、この時歔欷(きよき)するらしいけはひを洩らしたのは、獨り乙州ばかりではない。芭蕉の床の裾の方に控へてゐた、何人かの弟子の中からは、それと殆同時に涕(はな)をすゝる聲が、しめやかに冴えた座敷の空氣をふるはせて、斷續しながら聞え始めた。

 その惻々として悲しい聲の中に、菩提樹の念珠を手頸にかけた丈艸は、元の如く靜に席へ返つて、あとには其角や去來と向ひあつてゐる、支考が枕もとへ進みよつた。が、この皮肉(ひにく)屋を以て知られた東花坊には周圍の感情に誘ひこまれて、徒に涙を落すやうな纖弱な神經はなかつたらしい。彼は何時もの通り淺黑い顏に、何時もの通り人を莫迦にしたやうな容子を浮べて、更に又何時もの通り妙に横風に構へながら、無造作に師匠の脣へ水を塗つた。しかし彼と雖もこの場合、勿論多少の感慨があつた事は爭はれない。「野ざらしを心に風のしむ身かな」――師匠は四五日前に、「かねては草を敷き、土を枕にして死ぬ自分と思つたが、かう云ふ美しい蒲團の上で、往生の素懷を遂げる事が出來るのは、何よりも悦ばしい」と繰返して自分たちに、禮を云はれた事がある。が、實は枯野のただ中も、この花屋の裏座敷も、大した相違がある譯ではない。現にかうして口をしめしてゐる自分にしても、三四日前までは、師匠に辭世の句がないのを氣にかけてゐた。それから昨日は、師匠の發句を滅後(めつご)に一集する計畫を立てゝゐた。最後に今日は、たつた今まで、刻々臨終に近づいて行く師匠を、どこかその經過に興味でもあるやうな、觀察的な眼で眺めてゐた。もう一歩進めて皮肉に考へれば、事によるとその眺め方の背後には、他日自分の筆によつて書かるべき終焉記の一節さへ、豫想されてゐなかつたとは云へない。して見れば師匠の命終(めいしう)に侍しながら、自分の頭を支配してゐるものは、他門への名聞(みやうもん)、門弟たちの利害、或は又自分一身の興味打算(ださん)――皆直接垂死の師匠とは、關係のない事ばかりである。だから師匠はやはり發句の中で、屢豫想を逞くした通り、限りない人生の枯野の中で、野ざらしになつたと云つて差支へない。自分たち門弟は皆師匠の最後を悼(いた)まずに、師匠を失つた自分たち自身を悼(いた)んでゐる。枯野に窮死した先達を歎かずに、薄暮に先達を失つた自分たち自身を歎いてゐる。が、それを道德的に非難して見た所で、本來薄情(はくじやう)に出來上つた自分たち人間をどうしよう。――かう云ふ厭世的な感慨に沈みながら、しかもそれに沈み得る事を得意にしてゐた支考は、師匠の脣をしめし終つて、羽根楊子を元の湯呑へ返すと、涙に咽んでゐる門弟たちを、嘲るやうにじろりと見廻して、徐に又自分の席へ立ち戻つた。人の好い去來の如きは、始からその冷然とした態度に中(あ)てられて、さつきの不安を今更のやうに又新にしたが、獨り其角が妙に擽つたい顏をしてゐたのは、どこまでも白眼で押し通さうとする東花坊のこの性行上の習氣を、小うるさく感じてゐたらしい。

 支考に續いて惟然坊が、墨染の法衣(ころも)の裾をもそりと疊へひきながら、小さく這ひ出した時分には、芭蕉の斷末魔も既にもう、彈指の間に迫つたのであらう。顏の色は前よりも更に血の氣を失つて、水に濡れた脣の間からも、時々忘れたやうに息が洩れなくなる。と思ふと又、思ひ出したやうにぎくりと喉が大きく動いて、力のない空氣が通ひ始める。しかもその喉の奧の方で、かすかに二三度痰が鳴つた。呼吸も次第に靜になるらしい。その時羽根楊子の白い先を、將にその脣へ當てようとしてゐた惟然坊は、急に死別の悲しさとは緣のない、或る恐怖に襲はれ始めた。それは師匠の次に死ぬものは、この自分ではあるまいかと云ふ、殆無理由に近い恐怖である。が、無理由であればあるだけに、一度この恐怖に襲はれ出すと、我慢にも抵抗のしやうがない。元來彼は死と云ふと、病的に驚悸する種類の人間で、昔からよく自分の死ぬ事を考へると、風流の行脚(あんぎや)をしてゐる時でも、總身に汗の流れるやうな不氣味な恐しさを經驗した。從つて又、自分以外の人間が、死んだと云ふ事を耳にすると、まあ自分が死ぬのではなくつてよかつたと、安心したやうな心もちになる。と同時に又、もし自分が死ぬのだつたらどうだらうと、反對の不安をも感じる事がある。これはやはり芭蕉の場合も例外には洩れないで、始まだ彼の臨終がこれ程切迫してゐない中は、――障子に冬晴の日がさして、園女の贈つた水仙が、淸らかな匂を流すやうになると、一同師匠の枕もとに集つて、病間を慰める句作などをした時分は、さう云ふ明暗二通りの心もちの間を、その時次第で徘徊してゐた。が、次第にその終焉が近づいて來ると――忘れもしない初時雨の日に、自ら好んだ梨の實さへ、師匠の食べられない容子を見て、心配さうに木節が首(かうべ)を傾けた、あの頃から安心は追々不安にまきこまれて、最後にはその不安さへ、今度死ぬのは自分かも知れないと云ふ險惡な恐怖の影を、うすら寒く心の上にひろげるやうになつたのである。だから彼は枕もとへ坐つて、刻銘に師匠の脣をしめしてゐる間中、この恐怖に祟られて、殆末期(まつご)の芭蕉の顏を正視する事が出來なかつたらしい。いや、一度は正視したかとも思はれるが、丁度その時芭蕉の喉の中では、痰(たん)のつまる音がかすかに聞えたので、折角の彼の勇氣も、途中で挫折してしまつたのであらう。「師匠の次に死ぬものは、事によると自分かも知れない」――絶えずかう云ふ豫感めいた聲を、耳の底に聞いてゐた惟然坊は、小さな體をすくませながら、自分の席へ返つた後も、無愛想な顏を一層無愛想にして、なる可く誰の顏も見ないやうに、上眼ばかり使つてゐた。

 續いて乙州、正秀、之道、木節と、病床を圍んでゐた門人たちは、順々に師匠の脣を沽した。が、その間に芭蕉の呼吸は、一息毎に細くなつて、數さへ次第に減じて行く。喉も、もう今では動かない。うす痘痕(いも)の浮んでゐる、どこか蠟のやうな小さい顏、遙な空間を見据ゑてゐる、光の褪せた瞳の色、さうして頤(おとがひ)にのびてゐる、銀のやうな白い鬚――それが皆人情の冷(つめた)さに凍(い)てついて、やがて赴くべき寂光土を、ぢつと夢みてゐるやうに思はれる。するとこの時、去來の後(うしろ)の席に、默然と頭を垂れてゐた丈艸は、あの老實な禪客の丈艸は、芭蕉の呼吸のかすかになるのに從つて、限りない悲しみと、さうして又限りない安らかな心もちとが、徐に心の中へ流れこんで來るのを感じ出した。悲しみは元より説明を費すまでもない。が、その安らかな心もちは、恰も明方の寒い光が次第に暗の中にひろがるやうな、不思議に朗(ほがらか)な心もちである。しかもそれは刻々に、あらゆる雜念を溺(おぼ)らし去つて、果ては涙そのものさへも、毫も心を刺す痛みのない、淸らかな悲しみに化してしまふ。彼は師匠の魂が虛夢の生死を超越して、常住涅槃(じやうぢうねはん)の寶土(はうど)に還つたのを喜んででもゐるのであらうか。いや、これは彼自身にも、肯定の出來ない理由であつた。それならば――ああ、誰か徒に――䠖跙(しそ)逡巡して、己を欺くの愚を敢てしよう。丈艸のこの安らかな心もちは、久しく芭蕉の人格的壓力の桎梏に、空しく屈してゐた彼の自由な精神が、その本來の力を以て、漸く手足を伸ばさうとする、解放の喜びだつたのである。彼はこの恍惚たる悲しい喜びの中に、菩提樹の念珠をつまぐりながら、周圍にすすりなく門弟たちも、眼底を拂つて去つた如く、脣頭にかすかな笑(ゑみ)を浮べて、恭しく、臨終の芭蕉に禮拜した。――

 かうして、古今に倫を絶した俳諧の大宗匠、芭蕉庵松尾桃靑は、「悲歎かぎりなき」門弟たちに圍まれた儘、溘然として屬纊(しよくくわう)に就いたのである。



□バーチャル・ウェブ版芥川龍之介作品集『傀儡師』の次篇「開化の殺人」へ




□やぶちゃんによる校異注記

・呑舟に書かせたり、→(初出)三册に書かせたり、

・幸葉をふるつた柳の梢を、→幸、葉をふるつた柳の梢を、

・皆 凩(こがらし)の吹く世の中を忘れたやうに、→皆凩(こがらし)の吹く世の中を忘れたやうに、

・枕頭に炷きさした香の煙が→枕頭に炷(た)きさした香の煙が

・一すぢ昇つて、→(初出)一すぢ靑く立ち昇つて、

・彼はこの時、偶然な契機(けいき)によつて、→(初出)彼は唯この時、この偶然な契機(けいき)によつて、

・彼の活動の背景に暖い心もちをひろげてゐた中は、元より彼も行住坐臥に、何等のこだはりを感じなかつたらしい。:下に画像を拡大して示す。恐らく破損した活字混入による誤植と思われる。
       

・この時胸を裂いて溢れたのである。→(初出)時に胸を裂いて溢れたのである

・多少不快を感じずにはゐられなかつた。→(初出)多少の不快を感じずにはゐられなかつた。

・涕(はな)をすゝる聲が→洟(はな)をすゝる聲が

・皮肉(ひにく)屋→皮肉屋(ひにくや)

・まあ自分が死ぬのではなくつてよかつたと、→(初出)まあ自分が死ぬのでなくつてよかつたと、

・順々に師匠の脣を沽した。→順々に師匠の脣を沾した。:底本の誤植。