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鬼火へ
酒蟲 芥川龍之介
附やぶちゃん注 附原典 附同柴田天馬訳
[やぶちゃん注:大正五(一九二六)年六月発行の『新思潮』第一年第四号に掲載され、後、作品集「羅生門」「鼻」「芋粥」に所収された。底本は岩波旧全集に拠ったが、読みの振れないルビは不要と考え、除去した。踊り字「〱」「〲」は正字に変えた。最後に私の注を加えてある。
更に注の末尾に、同誌の「校正後に」に掲げられた芥川龍之介の二項と原典及びその訳である角川書店昭和五三(一九七八)年刊柴田天馬訳「聊斎志異」(角川文庫改版十五版)の訳文を配しておいた。藪野直史【二〇一三年五月五日】]
酒蟲
一
近年にない暑さである。どこを見ても、泥で固めた家々の屋根瓦が、鉛のやうに鈍く日の光を反射して、その下に懸けてある燕の巣さへ、この鹽梅では中にゐる雛や卵を、そのまゝ
不思議な事に、その中の一人は、素裸で、仰向けに
もう一人は、黄色い
あとの一人は、この二人からずつと離れて、打麥場の隅にある
この三人が三人とも、云ひ合せたやうに、口を
日は正に、亭午であらう。犬も午睡をしてゐるせいか、吠える聲一つ聞えない。打麥場を圍んでゐる麻や黍も、靑い葉を日に光らせて、ひつそりかんと靜まつてゐる。それから、その末に見える空も、一面に、熱くるしく、炎靄をたゞよはせて、雲の峰さへもこの旱に、
二
裸で、炎天に寢ころんでゐるのは、この打麥場の主人で、姓は劉、名は大成と云ふ、長山では、屈指の素封家の一人である。この男の道樂は、酒を飮む一方で、朝から、殆、
それが、何故、裸で、炎天に寢ころんでゐるかと云ふと、それには、かう云ふ因緣がある。――その日、劉が、同じ飮仲間の孫先生と一しよに(これが、
「なに、寶幢寺?」かう云つて、劉は小さな
寶幢寺にゐる坊主と云ふのは、
序に云つて置くが、劉は、一體、來客を悦ぶやうな男ではない。が、
「何の用でせう。」
「まづ、物貰ひですな。
こんな事を、二人で話してゐる内に、やがて、丫鬟の案内で、はいつて來たのを見ると、
劉は、しばらく、ためらつてゐたが、その内に、それが何となく、不安になつて來たので「何か御用かな。」と訊いて見た。
すると、蠻僧が云つた。「あなたでせうな、酒が好きなのは。」
「さやう。」劉は、あまり問が
「あなたは、珍しい病に罹つて御出になる。それを御存知ですかな。」蠻僧は念を押すやうに、かう云つた。劉は、病と聞いたので、けげんな顏をして、竹婦人を撫なでながら、
「病――ですかな。」
「さうです。」
「いや、幼少の時から……」劉が何か云はうとすると、蠻僧はそれを遮さへぎつて、
「酒を飮まれても、醉ひますまいな。」
「……」劉は、ぢろぢろ、相手の顏を見ながら、口を噤つぐんでしまつた。實際、この男は、いくら酒を飮んでも、醉つた事がないのである。
「それが、病の證據ですよ。」蠻僧は、うす
「癒りますかな。」劉は思はず
「癒ればこそ、來ましたが。」
すると、今まで、默つて、問答を聞いてゐた孫先生が、急に語を挾んだ。
「何か、藥でも御用ひか。」
「いや、藥なぞは用ひるまでもありません。」蠻僧は不愛想に、かう答へた。
孫先生は、元來、道佛の二教を殆、無理由に輕蔑してゐる。だから、道士とか僧侶とかと一しよになつても、口をきいた事は滅多にない。それが、今ふと口を出す氣になつたのは、全く酒蟲と云ふ語の興味に動かされたからで、酒の好きな先生は、これを聞くと、自分の腹の中にも、酒蟲がゐはしないかと、聊、不安になつて來たのである。所が、蠻僧の不承不承な答を聞くと、急に、自分が莫迦にされたやうな氣がしたので、先生はちよいと顏をしかめながら、又元の通り、默々として棋子を下しはじめた。さうして、それと同時に、内心、こんな
劉の方では、勿論そんな事には
「では、針でも使ひますかな。」
「なに、もつと造作のない事です。」
「では
「いや、呪でもありません。」
かう云ふ會話を繰返した末に、蠻僧は、簡單に、その療法を説明して聞かせた。――それによるに、唯、裸になつて、日向ひなたにぢつとしてゐさへすれば、よいと云ふのである。劉には、それが、甚、容易な事のやうに思はれた。その位の事で癒るなら、癒して貰ふのに越した事はない。その上、意識してはゐなかつたが、蠻僧の治療を受けると云ふ點で、好奇心も少しは動いてゐた。
そこでとうとう、劉も、こつちから頭を下げて、「では、どうか一つ、癒して頂きませう。」と云ふ事になつた。――劉が、裸で、炎天の打麥場にねころんでゐるのには、かう云ふ謂いはれが、あるのである。
すると蠻僧は、身動きをしてはいけないと云ふので、劉の體を細引で、ぐるぐる卷にした。それから、僮僕の一人に云ひつけて、酒を入れた素燒の
酒蟲と云ふ物が、どんな物だか、それが腹の中にゐなくなると、どうなるのだか、枕もとにある酒の瓶は、何にするつもりなのだか、それを知つてゐるのは、蠻僧の外に一人もない。かう云ふと、何も知らずに、炎天へ裸で出てゐる劉は、甚、迂濶なやうに思はれるが、普通の人間が、學校の教育などをうけるのも、實は大抵、これと同じやうな事をしてゐるのである。
三
暑い。額へ汗がぢりぢりと湧いて來て、それが玉になつたかと思ふと、つうつと
それまでは、眼を
しかし、これは、後になつて考へて見ると、まだ苦しくない方の部だつたのである。――そのうちに、喉のどが渇いて來た。劉も、曹孟德か誰かが、
すると、はげしい
すると、その途端である。劉は、何とも知れない
と、その拍子に、例の素燒の瓶の方で、ぽちやりと、何か酒の中へ落ちるやうな音がした。
すると、蠻僧が、急に落ちつけてゐた尻を持ち上げて、劉の體にかゝつてゐる、細引を解きはじめた。もう、酒蟲が出たから、安心しろと云ふのである。
「出ましたかな。」劉は、
四
蠻僧の治療の効は、
しかし、それ以來、衰へたのは、劉の健康ばかりではない。劉の家産も亦、とんとん拍子に傾いて、今では、三百畝を以て數へた
酒蟲を吐いて以來、何故、劉の健康が衰へたか。何故、家産が傾いたか――酒蟲を吐いたと云ふ事と、劉のその後の零落とを、因果の關係に並べて見る以上、これは、
第一の答。酒蟲は、劉の福であつて、劉の病ではない。偶、暗愚の蠻僧に遇つた爲に、好んで、この天與の福を失ふやうな事になつたのである。
第二の答。酒蟲は、劉の病であつて、劉の福ではない。
第三の答。酒蟲は、劉の病でもなければ、劉の福でもない。劉は、昔から酒ばかり飮んでゐた。劉の一生から酒を除けば、後には、何も殘らない。して見ると、劉は
これらの答の中で、どれが、最よく、
■やぶちゃん注
龍之介は後掲する原典、蒲松齢「聊斎志異」の短い「酒蟲」という原作(白文二百六十七字)を、実に四節からなる凡そ二十五倍近く(単純字数換算)まで膨らませた。冒頭に酒蟲出現直前の炎天の麦内場の療治のシークエンスを見た目で謎めいて配し、「二」で時間を巻き戻して解き、「三」で酒蟲の吐出までを描く。この怪しげな療治シーンは「鼻」療治シーンの二番煎じの感が甚だ強く感じられ、その謂わんとするところの部分的テーマも酷似している。シークエンスを緻密に映画的なモンタージュを積み上げて、原話にない強いリアリズムの物語を構築した手腕は勿論だが、最後に近代的でパラドキシャルな人生的哲学的並列命題を読者に投げ出して見えを切って終わるという変化球も、やはり若き日のストーリー・テラー龍之介ならではのものではある。因みに勉誠出版平成一二(二〇〇〇)年刊の関口安義・庄司達也編「芥川龍之介全作品事典」の「酒虫」(菅聡子執筆)によれば、この第二の解釈は蒲松齢没後に「聊斎志異」に評釈を施した清の但明倫の評、第三の解釈は芥川龍之介のものとされており、その最後のシニカルな解は如何にも龍之介好みであり、「侏儒の言葉」或いは「或阿呆の一生」にやや整形して記してあっても、これ、おかしくないアフォリズムと私には読める(リンク先は私のテクスト)。――売文が不能となってしまえば最早、芥川龍之介は芥川龍之介でなくなる、と芥川龍之介が考えたかのように。――
「一」注
・「畑と云ふ
・「温氣」蒸し暑さ。
・「奇古」奇怪で古めかしいさま。
・「象貌」は「しやうばう(しょうぼう)」と読む。姿形。風体。
・「葱嶺」現在の西アジア最東端のヒンドゥークシュ山脈の付近にあるパミール高原の中国名。「パミール」はペルシャ語で「世界の屋根」を意味するといわれる。タジキスタン・アフガニスタン及び中国に跨り、平均標高五千メートル。タクラマカン砂漠を通るシルク・ロードはこの高原を越えて東西を結んでいた(以上はウィキの「パミール高原」に拠った)。
・「朱柄の麈尾」朱色の柄の
・「草房」草庵。
・「皁布衫」黒色の
・「茶褐帶」筑摩全集類聚版脚注に『黒味がかった茶色の帯』とある。
・「亭午」「亭」は至るの意で、太陽が真南に至る南中のことをいう。
・「炎靄」は「えんあい」と読む。炎のようなもや。陽炎。
・「長山」現在の山東省煙台市附近か。
「二」注
・「獨酌する毎に輒、一甕を盡す」原典の「毎獨酌、輒盡一甕」に基づく。後掲する原典を参照。独りで晩酌するたびに必ず一
・「負郭の田三百畝、半は黍を種う」原典の「負郭田三百畝、輒半種黍」に基づく。同前。「三百畝」は後掲する柴田天馬氏の注に『中国の一畝は、わが六畝ほどにあたる。三百畝は、わが十八町歩ぐらい』とあるから、一七八・五平方キロメートル相当。「負郭」とは「
・「累はされる」は「わづらはされる」と読む。
・「惧」「おそれ」と読む。
・「萬々」は呼応の副詞「ばんばん」で下に打消を伴い、「少しも~ない」の意。
・「竹婦人」片腕や片足をこれに乗せて寝てことで涼を取る、竹製の筒状の抱き枕。ために。アジアに広く見られる。英名ダッチ・ワイフ(Dutch wife)。
・「丫鬟」筑摩全集類聚版脚注によれば、この名は
・「房術」房中術。中国古来の養生術の一種で、房事(性生活)に於ける技法で男女和合の秘術をいう。詳しくはウィキの「房中術」を参照されたいが、筑摩全集類聚版脚注では、『元来は節欲の必要を説いたものらしいが、後には強精のための一種奇怪な霊力の術となり、病気もこれにて癒るとされた』と記す。
・「黑内障」黒そこひ。かつては瞳孔の色調が黒いままで、視力障害をきたす疾患を一纏めにかく呼称していたが、現在では網膜剥離や硝子体出血、黒内障などを指す複数の疾患を含む(ここまでウィキの「そこひ」の「黒そこひ」の記載)。狭義の「黑内障」(amaurosis)は、本来は眼底に異常な所見がないにも拘らず、視力が著しく悪い状態を指すもので、中枢性の疾患が原因と考えられるものを指すが、習慣的には眼底疾患によるものをも含む。瞳孔が白く濁る白内障に対し、瞳孔が黒くて正常のようにみえることから発生した語で黒
・「病閹」本来、この「閹」は門番・宮刑(去勢刑)に処せられた者・宦官の意であるが、別に「覆う」の意があり、筑摩全集類聚版脚注では、『腫物のこと』と注する。
・「信施」布施。
・「紫石稜」筑摩全集類聚版脚注では、『隴州から出る紫色で角のある石』と注する。隴州は現在の甘粛省南東部の地。アルアダイトなどとも呼ばれるものの仲間の、この紫石(Purpurite)か(リンク先は weblio 辞書の鉱物図鑑)。
・「貧道」仏道修行の乏しいことから、一般に僧侶が自分を遜っていう一人称代名詞。拙僧。筑摩全集類聚版脚注では『主として道士の自称』とある。
・「棋子」碁石。
・「糟邱の良友」筑摩全集類聚版脚注に『糟邱は丘の如く積み上げた酒のかす。酒友達のこと』とある。
「三」注
・「眶」「まぶた」と読んでいよう。
・「屠所の羊」屠殺場へと引かれて行く羊で、刻々と死に近づいてゆくことの譬え。また、不幸にあって気力をなくしていることをも譬える「北本涅槃経」を典拠とする語。
・「曹孟德」魏の武帝曹操の
・「梅子の甘酸」梅の実の甘酸っぱさ。
・「芬々」「ふんぷん」と読み、においの強いさま。
・「朱泥」鉄分の多い粘土を焼いて作る赤褐色の無釉陶器。明代に煎茶の流行に伴って
「四」注
・「一飮一甕」は「いちいんいちをう(いちいんいちおう)」と読む。
・「迭」は「かたみ」と読む。
・「支那の小説家の Didacticism に倣ならつて」「Didacticism」は教訓主義(ダイダクティシズム)で、文学その他の芸術の中で教育的で有益な特質を強調する芸術観のことをいうが、蒲松齢が志怪譚を渉猟した「聊斎志異」に於いてしばしば教訓的附言を述べていることを指している。
■原典
[やぶちゃん注:中文サイト「開放文學」の「聊齋誌異」に載るものを参考に、句読点や記号を変更・省略して原典表記に近づけ、一部の漢字をユニ・コードの正字に変えた。また、直接話法(若しくはそれに準ずると私の判断した部分)を改行、さらに後に示した天馬氏の訳の段落構成に合わせても改行を施し、対照して読めるように便宜を施した。]
酒蟲 蒲松齡
長山劉氏、體肥嗜飮。毎獨酌、輒盡一甕。負郭田三百畝、輒半種黍。而家豪富、不以飮爲累也。一番僧見之、謂、
「其身有異疾。」
劉答言、
「無。」
僧曰、
「君飮嘗不醉否。」
曰、
「有之。」
曰、
「此酒蟲也。」
劉愕然、便求醫療。曰、
「易耳。」
問、
「需何藥。」
俱言不須。但令於日中俯臥、縶手足、去首半尺許、置良醞一器。
移時、燥渴、思飮爲極。酒香入鼻、饞火上熾、而苦不得飮。忽覺咽中暴癢、哇有物出、直墮酒中。解縛視之、赤肉長三寸許、蠕動如游魚、口眼悉備。
劉驚謝。酬以金、不受、但乞其蟲。問、
「將何用。」
曰、
「此酒之精、甕中貯水、入蟲攪之、即成佳釀。」
劉使試之、果然。劉自是惡酒如仇。體漸瘦、家亦日貧、後飮食至不能給。
異史氏曰、「日盡一石、無損其富、不飮一斗、適以益貧。豈飮啄固有數乎。或言、『蟲是劉之福、非劉之病。僧愚之以成其術。』然歟否歟。」
■やぶちゃんの書き下し文
[やぶちゃん注:書き下しに際し一部で竹田晃・黒田真美子編著「中国古典小説選9 聊斎志異」(明治書院二〇〇九年刊)を参考にした。]
酒蟲 蒲松齡
長山の劉氏は、
「其の身に異疾有り。」
と。
劉答へて言ふ、
「無し。」
と。
僧曰く、
「君、飮みても嘗つて醉はざるや否や。」
と。
曰く、
「之れ有り。」
と。
曰、
「此れ、
と。
劉、愕然として、
「易きのみ。」
と。
問ふ、
「
と。
時を移して、
劉、驚きて謝。
「
と。
曰く、
「此れは酒の精にして、
と。
劉、之れを試みしむれば、果して然り。劉、是れより酒を
■柴田天馬訳
ある時、
「ないよ」
と答えると、坊主は言った、
「あんたは、酒を飲んでも、いつも、酔わんじゃないかね」
「そうだ」
「それは、酒虫というやつなんだ」
劉は驚いて、
「わけは、ない」
と言うので、どんな薬がいるのか、聞くと、坊主は、
「いらんよ」
と言って、日なかに、うつむけに寝させ、手足を縛ってから、五寸ばかり頭を離れたところに、一
劉は驚いて、金をやったが、坊主は受けとらず、ただ虫をくれと言うので、何に使うのかと聞くと、
「これは酒の精なのです。甕の中に水を貯え、虫を入れて、かきまぜると、良い酒が、できるのです」
と言った。劉が試させてみると、果たして、そのとおりだった。
劉は、それから、酒を、かたきのように、にくんだが、からだが、だんだん瘦せてきて、家も、日々、貧乏になってゆき、のちには、飲み食いも、できなくなった。
注
一 城郭に接した良田である。史記の蘇秦伝に、蘇秦が「吾をして負郭の田二頃あらしめば、吾あに能く六国の相印を僻びんや」と言ったとある。ここでは負郭を、くるわ外、と訳しておく。
二 中国の一畝は、わが六畝ほどにあたる。三百畝は、わが十八町歩ぐらいである。
三 饞は、食慾であるが、ここでは飲慾に用いてある。くいたさ、では前文と一致せず、のみたさ、では原字と一致せぬので、ほしさ、と訳した。苦しいのである。
[やぶちゃん補注:原典への不審。「一石」「一斗」について、老婆心乍ら、附注しておくと、清代の「一斗」は現在のそれとは異なり、一〇・三五五リットルしかないから、凡そ五升五合五勺ほどに当たる。「一石」はその十倍相当。どうでもいいことであろうが、これでは孰れもとんでもない大酒のみに変わりはなくなってしまい、それこそ芥川のいうダイダクティシズムから見れば、「一斗をも飮まざれども」は「年に」かせいぜい「月に」辺りが頭にあった方が、「日に一石を盡せども」との対句の意が効果的に生きるような気が私にはする。]
■芥川龍之介「校正後に」
□酒蟲は材料を聊齋志異からとつた。原の話と殆變つた所はない。 (芥川)
□酒蟲は「しゆちう」で「さかむし」ではない。氣になるから、書き加へる。 (芥川)
*
[やぶちゃん注:この「校正後に」の箇条の二つ目については、初出時、標題及び本文の「酒蟲」にはルビがなかった(ため)と底本後記にある。]