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梶井基次郎 檸檬 附 祕やかな樂しみ へ
梶井基次郎 檸檬に関わる「瀨山の話」の草稿断片(やぶちゃん版)

瀨山の話   梶井基次郎

[やぶちやん注:底本には昭和四十一(1966)年筑摩書房刊「梶井基次郎全集」第一巻を用いた。底本の編者註によれば、用紙は東京神田宮田製、四百字詰原稿用紙で、番号を打って七十枚綴じた内の六十五枚分で、一枚目に「銀の鈴」と書いて消してある、とある。底本の〔 〕は脱字を編者が補正したもの、( )は梶井の誤記を編者が補正したものである。やや恣意的と思われる部分もあるが、これは原則としてそのまま採用した。その他の梶井の歴史的仮名遣いや漢字表記の誤りに対して、底本では当該字の右に「ママ」表記があるが、後記によると煩瑣を避けて完全にはなされていないとあり、読みの邪魔にもなるので、すべて省略した。ちなみに、本文には句読点なしの空欄も一部存在する。註については、著作権上の問題があるので、その註内容を私の表現に変えてある。傍点は下線に替え、適宜、補注を加えた。]

 

瀨山の話

 

 私はその男のことを思ふといつもなんともいひ樣のない氣持になつてしまふ。強ひて云つて見れば何となくあの氣持に似てる樣でもあるのだが――それは睡眠が襲つて來る前の朦朧とした意識の中の出來事で物事のなだらかな進行がふと意地の惡い邪マに曾ふ(一體あの齒がゆい小惡魔奴はどんな奴なんだらう!)こんな事がある――着物の端に汚いものがついてゐる、みんなとつた筈だのにまだ破片がついてゐる、怪しみながらまた何の氣になしにとるとやはりついてゐる、二三度やつてゐるうちに少しあせつて來る、私はその朦朧とした意識の中でそれを洗濯する、それでも駄目だ、私は幻の中で鋏を取り出してそこを切取る、しかし汚物の破片は私の逆上をせゝら嗤ひながら依然としてとれずにゐる。――私はこの邊でもう小惡魔の意地惡い惡戲を感じる樣に此頃はなつてゐるのだ。――あゝこの惡戲に業を煮したが最後、どんなに齒がみをしてもその小惡魔のせゝら笑ひが叩き潰せるものか。要するに絶對不可能なのだ。たゞほんの汚物の破片をとり去るだけのことが!

 然しそれが汚物ならまだいゝ。相手が人間だつた時は、然もそれが現實の人間を相手である時にはどんなにその幻はみぢ(じ)めだらう。こちらが二と出れば向ふは三と出る、十と出れば、平氣で二十と出る、私はよくその呪はれた幻の挌(格)鬪でいまわしい夜を送るのだが。

 まあこの樣なことは餘計なことなのだ、今も云ふとほり私はその男のことを思つてゆくうちにはきつと、この樣な、もう一息が齒がゆい樣な、あきらめねば仕方ないと思つては見るものゝあきらめるにはあまり口惜〔し〕い樣な――苦しい氣持を經驗するのだ。

 そう云つて見れば私はこうも云へる樣な氣がする。一方はその男の澄み度い氣持でそしてもう一方は濁り度い氣持である、と。そして小惡魔が味方してゐるのはこちらの方だ。私はこれまで、前者の方にあらゆる祈願をこめて味方して來た。そしてまたこれからも恐らくはそうであらうと思ふ。然し私はもう單純には前者に味方する樣にはなれなくなつた樣に思ふ。

 假りに名をAとしておかう。

[やぶちやん注:底本全集註によると、この行間に「彼の顏付を記すかはりに、*[やぶちやん字注:*は(目+耑)]睨(端倪)すべからざる彼の顏面の變り方を述べん。」という梶井の覚書がある。]

 少し交際つた人は誰でもA[やぶちやん注:この「A」は次の段落以降、「瀨山」となる。]の顏貌が時によつて樣々に變るのに驚いてゐる。私の叔父に一人に酒精中毒者がゐたが、私が思ひ出す叔父の顏には略三通りの型がある樣に思ふ。Aの顏貌はあらましにしても三通〔り〕ではきかない。然し叔父の顏の三つの型。――一つは嚴肅な顏であつて、酒の醉が醒めてゐる時の顏である。叔父はそんな時には彼の妻に「あなた」とか「下さい」とか切口上で物を言つた。皆も叔父を尊敬した、私なども冗談一つ云へなかつた。といふのは一つにはその顏が直ぐいらいらした刺々しい顏に變り易かつたからでもあるのだが。それが酒を飮みはじめると掌をかへした樣になる。「あの顏! まあいやらしい。」よく叔母は彼がロレツがまわらなくなつた舌でとりとめもないことを(それは全然虚構な話が多かつた。)口走つてゐるのを見るといひいひした。顏の相恰(好)はまるで變つてしまつてしまりがなくなり、眼に光が消えて鼻から口へかけてのだらしがまるでなく――白痴の方が數等上の顏をしてゐる、私はいつもそう思つた。それにつれて皆の態度も掌をかへした樣にかわるのだ。叔父の顏があんなにも變つたのも不思議であるが皆の態度がまたあんなにも變つたのはなほさらの不思議である。

 も一つは弱々しい笑顏――私はこの三つの型を瀨山の顏貌の中に數へることが出來る。彼もやはり酒飮みなのである。然し瀨山の顏貌はあらましにしても三つではきかない。全く彼の顏には彼の心と同じ大きな不思議がひそんでゐる。

 瀨山とても此の世の中に處してゆくことが丸で出來ない男ではないのであるが、もともと彼の目安とする所がそこにあるのではないので、と云つておしまひにはその、試驗で云へばぎりぎりの六十點の生活をあの樣にまで渇望するのだが。全く瀨山は夢想家と云はうか何と云はうか、彼の自分を責める時程ひねくれて酷なことはなく――それもある時期が來なければそうではないので、またその時期が來るまでの彼のだらしなさ程底拔けのものはまたないのである。

 彼は、毎朝顏を洗ふことをすらしなくなる。例へば徴兵檢査を怠けたときいても彼にはありそうなことゝ思へる。私は一度彼の下宿で酒壜に黄色い液體が詰められて、それが押入の中に何本も置いてあるのを見た。それは小便だつたのだ。わたしはそれが何故臭くなるまで捨てられずにおいてあるのだらうと思つた。彼はそうする氣にならないのである。氣が向かないのだ。

 然し一度嫌氣がさしたとなれば彼はそれを捨て去るだけでは承知しないだらう。彼は眞面目になつて臭氣に充ちた押入を燒き拂はうと思ふにちがひない。彼は片方の極端にゐて、その極端でなければそれに代へるのを肯じない、背後にあるのはいつも一見出來ない相談の嚴挌(格)さなのだ。――いやひよつとすると、その極端に侈(移)る氣持ちがあればこそあんな生活も送れるのではなからうか。それともそれは最も深く企まれた立退きを催促に來る彼の心の中の家主に對する 遁辭ではないのだらうか。もう(し)そうにしてもそれは人間が出來る最高度の企みだ、何故ならば人間ならば誰一人それが企みであるとは見破ることは出來そうもない、唯、若しそんなことを云ふのが許されるならば神といふもののみがそれを審判するだらう。

 彼は後悔する、全くなんでもないことに。 

 彼は一度私にかう云つたことがある。――親といふものは手拭を絞る樣なもので、力を入れて絞れば水の滴つて來ないことはない。彼は金をとることを意味してゐたのだ。

 彼に父はなかつた。父は去(さ)る官吏だつたのが派手な生活を送つてかなりの借財と彼を頭に數人の弟妹――それも一人は妾の子だつたり一人は小間使の子だつたり、みな産褥から直ぐ彼の家にひきとられたその數人の子供をのこして死んだのだつた。その後は彼の母の痩腕一本が瀨山の家を支へてゐた。彼の話によれば彼の母程よく働く人はない、それも精力的なと云ふよりも氣の張りで働くので、それもみな一重に子供の成長を樂しみにして、物見遊山をするではなし、身にぼろを下げて機械の樣になつて働くといふのである。

 私は彼が母から煙草店をして見やうと思ふがどうだといふ相談をうけたり、宿(旅)館の老舖が賣物に出たから買はうと思ふのだがとかいふ樣な手紙が來てゐたのを知つてゐる。またある手紙は母よりと書いてあるのが消してあつて改めて瀨山○子と書き直してあつたりした。それは彼をもう子とは思はないといふ彼の親不孝をたしなめた感情的な手紙だつた。

 私は幾度も彼がその母と一緒に一軒一軒借金なしをして歩いたといふ話を知つてゐる。然しそれは話だけで一度もその姿を見る機曾はなかつたのだ。瀨山の母はそれだけの金を信用して瀨山に渡したりすることは勿論、店へ直接に送ることすら危んでゐたらしい。往々其處にさへ詭計が張つてあつたりしたのだから。然しその頃はまだよかつたと云へる。七轉び八起き、性もこりもなく母は瀨山の生活の破産を繕つてやつてゐた。

 本は質屋から歸つて來る。新しい窓掛は買つて貰つた。洋服も歸つて來た。私は冬枯れから一足飛びに春になつた彼の部屋の中で、彼の深い皺が伸びて話聲さへ麗らかになつたのを見てとる。――けたたましい時計のアラームが登校前一時間に鳴り、彼は佛蘭西製の桃色の練(煉)齒磨の狸の毛の齒刷毛とニツケル鍍金の石鹼入を、彼の言葉を借りて云へば、棚の上の音樂的効(效)果である、意裝(匠)を凝した道具類の配置のハーモニーから取出し、四つに疊んだタオルを手拭籠の中から摑んで洗面所へ進出するのだ。かれはその樣な尋常茶飯事を宗教的な儀式的な昂奮を覺えながら――然もそれらの感情が唯一方恁然[段落末注参照]たる態度となつて現れるのを許すのみで――執行するのだ。[やぶちやん注:底本には永くこれを「悠然」と読み違えていたという注記があるのみであるが、極めて難解な熟語の用法である。そもそも「恁然」という熟語自体、「広漢和」にも載らない。恐らく「じんぜん」と読み、ここは「唯一方恁然たる」で『ただひたすらこのような』という意味で用いている。]

 私は瀨山に就てこうも云へる樣に思ふ。彼は常に何か昴奮することを愛したのだと。彼にとつては生活が何時も魅力を持つてゐなければ、陶醉を意味してゐなければならなかつたのだ。

 然しその朝起きも登校もやがては魅力を失つてゆく。そして彼はまたいつもの陷穽へおち込むのだ。

 それにしても彼が最近に陷つた状態は最もひどいものだつた。彼にとつても私にとつてもその京都の高等學校へ入つて三年目、私は三年生にゐたし、彼は二度目の二年生を繰返してゐた。――その時の事である。

 私は彼が何故その時々あんなにも無茶な酒をのまなければならなかつたかと考へて見る。

 或はこうでもなかつたらうか。

 彼の生活はもう實行的な力に缺けた彼にとつては彌縫することも出來ない程あまりに四(支)離滅裂だつたのだ。醒めてゐる時にはその生活の創口が口を眞紅にあけて彼を責めたてる。彼はその威赫(嚇)に手も足もでなくなつて、どうかして其處を逃げ出したいと思つてしまふ。[やぶちやん注:本段落中の「彌縫」は「びほう」と読み、欠陥や失敗を取り繕うの意。]

 私は彼が常に友達――それも彼の生活が現在どうなつてゐるか知らない樣な友達と一緒になりたがつてゐたのを知つてゐる。彼はそれらの群の中では、彼等同樣生活に何の苦しみもない樣な平然とした態度を裝つて見たり、(こうでもあつたなら!)とおもつてゐる状(條)件をそのまゝ着用したり、そしてそれが信用され通用することにある氣休めを感じてゐるらしかつた。他人の心の中に第二の自己を築きあげる――そのことは彼の性格でもあつた。現實の自分よりはまだしも不幸でないその第二の自己を眺めたり、また第二の自己の相等(當)な振舞を演じたりしてせめてもの心やりにしてゐた。――その頃は殆ど病的だつたと云へる。彼はまたその意味で失戀した男になり了せたり、厭世家になり了せたりした。

 彼にある失戀があつたことはそれより以前に私もきかされてゐた。然し兔も角それはもう黴の生えたものだつたのである。然も彼はその記憶に今日の生命を吹き込んでそれに醉佛はうとした。彼は過古や現在を通じて、彼の自暴自棄を人目に美しい樣に正當化できるあらゆる材料を引き出して、それを鴉片としそれをハッシッシュとしやうとしたのだ。[やぶちゃん注:「ハッシッシュ」の表記は底本通り。]

 とうとうお終ひに彼の少年時代の失戀が、然も二つも引き出されてきた。そして彼はその引きちぎつて捨てられた昨日の花の花瓣で新しい花を作る奇蹟をどうやらやつて見せたのだ。そればかりか、そんなことには臆病な彼がその中の一人に、恐らくは最初の手紙を書かうと眞面目に思ひ込む樣にさへなつたのだ。

 その頃彼はその戀人に似てゐると云ふある藝者に出曾つた。私は彼にそのことをきいたのだ。そして本氣になつてその方へ打込んでいつた。――私は一體何時彼が正眞正銘の本氣であるか全く茫然としてしまふ。恐らく彼自身にもわからないだらうと思ふ。然し一體どんな人間がその正眞正銘の本氣を持つてゐるだらうか――いや私はこんなことを云ひ度いのではなかつた。然し私は、恐らくはどんな人間もそれを持〔つ〕てゐないといふことを彼をつくづく眺めてゐるうちに知るようになつたのだ。

 彼はその本氣でその藝者に通ひ始めた。私は覺えてゐる。彼はその金を誰々の全集を買ふとか、外國へ本を註文するとか云つて、彼の卒業を泳ぎつく樣に待ち焦がれてゐる氣の毒な母親から引き出してゐた。或る時はまた彼の尊敬してゐた先輩から借りてそれに充てゝゐた。

 彼がその藝者を偶像化してゐたのは勿論、三味線も彈かせなければ冗談も云はず――それでゐて彼は悲しい歌を! 悲しい歌を! と云つて時々歌はせてゐたといふのだが、とにかく話としては唯彼の思つてゐた女が結婚しようとする。そしてその女はおまえによく似てゐる。といふ樣なことを粉飾して云ひ云ひしてゐたらしいのである。

 私は二三人を通してその事を聞いてゐた。その中にはその藝者を買ひ名(馴)染んでゐた一人もゐた。その男から私はある日こんなことをきいた。

 ――その女子はんがあてに似といやすのやそうどすえ。――

 ――わてはほんまにあの人のお座敷かなわんわ――その藝者がその男に瀨山の話をしたのだそうなのだ。

 その瞬間、私は何故か肉體的な憎惡がその男に對して燃え上がるのを感じた。何故か、何故か、譯のわからない昴奮が私を捕へた。

 その頃から彼は益々私の視野から遠ざかつて行つた。其の後私は彼から其の後の種々な話をきかされたのを記憶してゐる。やはりその插話もその時には彼の語るが爲のものになつてゐたことは間違はないのだ。私は今その插話を試みに一人稱のナレイシヨンにして見て彼の語り振りの幾分かを彷彿させやうと思ふ。

 

*    *    *    *    *

 

檸    檬

[やぶちやん注:底本全集註によると、梶井は「檸檬」という漢字を、この小見出しでも本文中でも、「檬*[やぶちやん字注:*は(木+孟)]」と書いている。底本は以下、すべて「檸檬」と直されている。]

 

 恐ろしいことには私の心のなかの得體の知れない嫌厭(惡)といはうか、焦燥といはうか、不吉な塊が――重くるしく私を壓してゐて、私にはもうどんな美しい音樂も 美しい詩の一節の辛抱出來ないのが其頃の有樣だつた。

 全く辛抱出來なかつたのだ、――蓄音器をきかせて貰ひにわざわざ出かけても――最初の二三小節で不意に立ち上がつてしまひ度なる。

 それで四常(始終)私は街から街へ彷徨を續けてゐたのだ。何故だか其頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覺えてゐる。風景にしても壞れかゝつた街だとか、その街にしても表通りを歩くより裏通りをあるくのが好〔き〕だつたのだ。裏通りの空樽が轉つてゐたり、しだらない部屋が汚い洗濯物の間から見えてゐたり――田圃のある樣な場末だつたら田圃の畔を傅つてゐるとその空地裏の美が轉つてゐるものだ。田圃の作物の中でも黑い土の中からいぢこけて生えてゐる大根葉が好きだつた。

 私はまたあの花火といふ奴が好きになつた。花火も(そ)のものは第二段として、あの安つぽい繪具が紙の一端に塗つてあつて、それが花火にすると螺線(旋)状にぐるぐる卷になつてゐるのだ。本當に安つぽい繪具で、赤や紫や靑や、鼠花火と云ふ火をつけるとシユシユと云ひながら地面を這ひまわる奴などが一ぱい箱に入つてゐるところなど變に私の心を唆つたのだ。私はまたあのびいどろと云ふ色硝子で作つたおはじきが好きになつたし、南京玉がすきになつた。それをまた私は嘗めて見るのが何とも云へない享樂だつたのだ。あのびいどろの味程幽かな涼しい味があるものか。私は小さい時よくそれを嘗めて父や母に叱られたものだが――その幼時の記憶が蘇つて來るのか知ら、それを嘗めてゐると幽かな爽かな詩美といつた樣な味覺が漂つて來るのだ。

 察しはつくだらうが金といふものが丸でなかつたのだし。――私の財布から出來る贅澤には丁度持つて來いのものなのだ。そうだ外でもない、それの廉價といふことが、それにそんなにまでもの愛著を感じる要素だつたのだ、――考へて見てもそれが一圓にも價するものだつたら、恐らくその樣な美的價値は生じてこなかつたゞらう。恐らく私はそれを金のかゝる道具同樣何等興味を感じなかつたに相違いない。

 私はこうきいてゐる、金持の婦人はある衣裝が何圓だときいて買はなかつた。然しそれがそれの二倍も三倍もの價に正札がつけかへられて慌てゝ買つた。また骨董品などゝ云ふものも値段の上下がその品質の高下を左右する傾きがありはしまいか。私はそれを馬鹿にするのでは決してない。唯それが私の場合と同樣なしかも對蹠的な場合として面白く思ふのだ。

 私はまた安線香がすきだつた。

 それも○○香とかいてあるあの上包みの色が私を誘惑したのだ。それに第一、線香の匂ひがどんなにいゝものだかは君も知つてゐるだらう。

 ――それで檸檬の話なのだが、私はその日も例の通り友人の(が)學校へ行つてしまつて私一人ぽつねんと殘された友人の下宿からさまよひ出したのだ。街から街へ――さつきも云つた樣な裏街を歩いたり駄菓子屋の前で、極りわるいのを辛抱して惡いことでもする樣に廉價な美を搜したり。――然し何時も何時も同じ物にも倦きが來る。ある時には乾物屋の乾蝦や棒鱈を眺めたりして歩いてゐたのだ。

 私が果物店を美しく思つたのはのにもその頃に始まつたことではなかつたのだが私はその日も果物店の前で足を留めたのだ。私は果物屋にしても並べ方の上手な所と下手な所をよく知つてゐた。どうせ京都だしロクな果物屋などはないのだが――それでもいゝ店と惡い店の違〔ひ〕はある。然しそれが並べ方の上手下手、正確に云へばある美しさが感ぜられる所とそうでない所と――それの區別には決してならないのだ。私は寺町二條の角にある果物店が一等好きだつた。あすこの果物の積み方はかなり急な匂(勾)配の臺の上に――それも古びた、黑い漆塗りの板だつたと思ふ――こんな形容をしてもいゝか知ら、何か美しい華やかな音樂のアレグレツトの流れが――若しそんな想像が許されるのなら、人間を石に化するゴルゴンの鬼面――的なものを差しつけられて、あんな色彩やあんなヴオリウムに凝り固まつたといふ風に堰きとめられてゐるのだ。も一つはあすこでは例の一山何錢の札がたてゝないのだ。私はあれは邪魔になるばかりだと思ふ。靑物がやはり匂(勾)配の上におかれてあつたかどうかは疑はしい、然し奧へゆけばゆく程高く堆くなつてゐて、――實際あの人參葉の美しさなどは素ばらしかつた。それから水につけてある豆だとかくわゐだとか。

 それにそこの家では――もう果物店としてはありふれた反射鏡が果物の山の背に傾き加減にたてゝあるのだ。――その鏡がまた粗惡極まるもので果物の形がおびたゞしく歪んでうつる。――それが正確な鏡面で不確な影像を映すよりどれだけ效果があるかわ(は)首肯出來るだらう。

 そこの店の美しさは夜が一番だつた。寺町通は一體に賑かな通りで飾窓の光がおびたゞしく流れ出してゐるがどういふ譯かその店頭のぐるりだけが暗いのだ、――一體角の家のことでもあつてその一方は二條の淋しい路だから素より暗いのだが、寺町通にある方の片端(側)はどうして暗かつたのかわからない。然しそれが暗くなかつたらあんなにも私を誘惑するには至らなかつただらう。も一つはそこの家の廂なのだが、――その廂が眼深にかぶつた鳥打帽の廂の樣にかなり垂れ下がつてゐる、――そしてその廂の上側、――その家の二階に當る所からは燈が射して來ないのだ。その爲にその店の果物の色彩は店頭に二つ程裸のまゝで點けられてゐる五十燭光程の光線を浴びる樣にうけて――暗いやみ(闇)の中に絢爛と光つてゐるのだ。丁度精巧な照明技師がこゝぞとばかりに照明光線をなげつけたかの樣に。[やぶちやん注:底本全集註によると、この二十枚目の原稿用紙の上欄に「細長い硝子の螺線棒をきりきりさしこむ樣に電燈が暗い大道に射出してゐるのだ」という書き込みがある(本文同様「螺線棒」は「螺旋棒」の誤記)。]

 これもつけたりだがその果物店の景色はあの鎰屋茶舗の二階から見るとそれもまたいゝ。私は鎰屋の二階の硝子戸越しにあの暗い深く下された果物店の廂は忘れることが出來ない。

 ところで私はまた序説が過ぎた樣だ。

 實はその日何時ものことではあるしするので別に美しくも思はなかつたのだが私はなにげなく店頭を物色したのだ。そして私は其處に其處の家にはあまり見かけない檸檬がおいてあるのを見つけた。――檸檬などは極ありふれてゐるが、その果物屋といふのも實は見すぼらしくはないまでも極あたり前の八百屋だつたのだから、そんなものを見附けることは稀だつたのだ。

 大體私はあの檸檬が好きだ。レモンヱロー――の繪具をチユーブから絞り出して固めた樣な、あの單純な色が好きだ。それからあの紡綞(錘)形の恰構(好)も。それで結局私は其家で例の廉價な贅澤を試みたのだ。

 私の其頃が例の通りの有樣だつたことをそこで思ひ出して欲しい。そして私の氣持がその檸檬の一顆で思ひがけなく救はれた、兔に角數時間のうちはまぎらされてゐた。――といふ事實が、逆説的な本當であつたことを首肯して欲しいのだ。それにしても心といふ奴は不思議な奴だ!

 第一そのレモンの冷たさが氣に入つてしまつたのだ。その頃私は例の肺尖カルタのためにいつも身體に熱があつた。――事實友達の誰彼に私の熱を見せびらかす爲に手の握り合〔ひ〕などをしたのだが私が誰のよりも熱かつた。その熱い故だつたのだらう、握つてゐる掌から身内に染み透つてゆく樣なその冷たさは快いものだつた。

 私は何度も何度もその果實を鼻に持つてゐ(い)つた。――それの産地の加リホルニヤなどを思ひ浮かべたり、中學校の漢文教科書で習つた賣柑者之言、の中に書いてあつた、「鼻を撲つ」といふ樣な言葉を思ひ出したりしながら。ふかぶかと胸一杯に匂やかな空氣を吸込んだりした。――その故か身體や顏に温い血のほとぼりが昇つたりした。そして元氣が何だが身内に湧いて來た樣な氣がした。

 ――實際あんな單純な冷覺や觸覺や嗅覺や視覺が――ずつと昔からこればかり探してゐたのだと云ひ度くなる位、私にしつくりしたなんて――それがあの頃のことなんだから。

 私は往來を輕やかな昴奮に彈(ハズ)んで、誇りかな氣持さえ(へ)感じながら――大輪の向日葵を胸にさして街を濶歩した昔の詩人などのことを思ひ出したりして歩いてゐた。汚れた手拭の上へのせて見たり、將行(校)マントの上へ載せて見たりして色の反映を量つてみたり、こんなことをつぶやいたり。

 ――つまりは此の重さなんだな。――

 その重さこそ私が常々尋ねあぐんでゐたものだとか、疑ひもなく重みはすべての善いもの美しいものとなず(づ)けられたものを――重量に換算して來た重さであるとか、――思ひ上がつた謔*[やぶちやん字注:*は(言+介)](諧謔)心からそんな馬鹿氣た樣なことを思つて見たり、何がさて上機嫌だつたのだ。

 舞臺は換(變)つて丸善になる。

 其頃私は以前あんなにも繁く足踏〔み〕した丸善から丸切り遠ざかつてゐた。本を買つてよむ氣もしないし、本を買ふ金がなかつたの〔は〕勿論、何だか本の背皮や金文字や、その前に立つてゐる落ちついた學生の顏が何だか私を脅かす樣な氣がしてゐたのだ。

 以前は金のない時でも本を見に來たし、それに私は丸善に特殊な享樂をさへ持つてゐたものなのだ。それは赤いオードキニンやオードコロンの壜や、酒落たカツトグラスの壜や、ロコ丶趣味の浮し模樣のある典雅な壜の中に入つてゐる、琥珀色や薄い翡翠色の香水を見に來ることだつたのだ。そんなものを硝子戸越に眺めながら、私は時とすると小一時間も時を費やした事さへある。

 私は家から金がついた時など買つたことはほんの稀だつたが、高價な石鹼や、マドロス煙管や小刀などを一氣呵成に眼をつぶつて買はうと身構へる時の、壯烈な樣な悲壯な樣なあの氣持を味〔は〕ふ遊戲を試るのも其所だつた。それに私には畫の本に娯しみがあつたのだ。然し私はその日頃もう畫の本に眼をさらし終わつて後、さてあまりに尋常な周圍をみまわす時の變にそぐはない心持をもう永い間經驗せずにゐたのだつた。

 然し變にその日は丸善に足が向いたのだ。

 然しそれまでだつた。丸善の中へ入るや否や私は變な憂鬱が段々たてこめて來るのを感じ出した。香水の瓶にも、〔煙〕管にも、昔の樣な執着は感ぜられなかつた。私は畫帳の重たいのを取り出すのさへ常に增して力が要るな、と思つたりした。それに新しいものと云つては何もなかつた。たゞ少なくなつてゐるだけだつた。然し私は一册づゝ拔き出しては見る、――そしてそれを開けては見るのだ――然し克明にはぐつてゆく氣持は更に湧かない。

 然も呪はれたことには私は次の本をまた一册拔かずにはゐられないのだ。また呪はれたことには一度バラバラとやつて見なくては氣がすまないのだ。それで堪らなくなつてそこへ置く、以前の位置へ戻すことさへ出來ないのだ。――そうして私は日頃大好きだつたアングルの橙色の背皮の重い本まで、尚一層の堪え難さのために置いてしまつた。手の筋肉に疲勞が殘つてゐる。――私は不愉快氣にたゞ積み上げる爲に引き拔いた本の群を眺めた。

 その時私は袂の中の檸檬を思ひだした。

 本の色彩をゴチヤゴチヤと積み上げ一度この檸檬で試して見たらと自然に私は考へついた。

 私にまた先程の輕やかな昴奮が歸つて來た。私は手當り次第に積みあげまた慌しく潰し、また築きあげた。新しく引き拔いてつけ加えたり 削りとつたりした。奇怪な幻想的な城郭がその度に赤くなつたり靑くなつたりした。

 私はやつと、もういゝ、これで出來たと思つた。そして輕く跳り上る心を制しながら その城壁の頂きに恐る恐るすえつけた。

 それも上出來だつた。

 見わたすと、その檸檬の單色はガチヤガチヤした色の階(諧)調を、ひつそりと紡綞(錘)形の身體の中へ吸收してしまつて、輝き渡り、冴えかへつてゐた。私には、埃つぽい丸善の内の空氣がその檸檬の周圍だけ變に緊張してゐる樣な氣がした。私は事畢れりと云ふ樣な氣がした。

 次に起こつた尚一層奇妙なアイデ〔イ〕ヤには思はずぎよつとした。私はそのアイデイアに惚れ込んでしまつたのだ。

 私は丸善の書棚の前に黄金色に輝く爆彈を仕掛にきた――奇怪な惡漢が目的を達して逃走するそんな役割を勝手に自分自身に振りあてゝ、――自分とその想像に醉ひながら、後をも見ずに丸善を飛出した。あの奇怪な嵌込臺(セツテング)にあの黄金色の巨大な寶石を象眼したのは正に俺だぞ! 私は心の裡にそう云つて見て有頂天になつた。道を歩く人に、

 その奇怪な見世物を早く行つて見ていらつしやい。と云ひ度くなつた。今に見ろ大爆發をするから。――……ね、兔に角こんな次第で私は思ひがけなく愉快な時間潰しが出來たのだ。

 何に? きみは面白くもないと云ふのか。はゝゝゝ、そうだよ、あんまり面白いことでもなかつたのだ。然しあの時、祕密な歡喜に充〔た〕されて街を彷徨(うろつ)いてゐた私に、[やぶちゃん注:この「彷徨」の読みは( )表記で、編者によるものと思われる。]

 ――君、面白くもないぢやないか――

 と不意に云つた人があつたとし玉へ。私は慌てゝ抗辯したに違ひない。

 ――君、馬鹿を云つて呉れては困る。――俺が書いた狂人芝居を俺が演じてゐるのだ、然し正直なところあれ程馬鹿氣た氣持に全然なるには俺はまだ正氣過ぎるのだ。

 

*    *    *    *    *

 

 そして私は思ふのである。

 彼は何と現世的な生活の爲に惠まれてゐない男だらう。彼は彼の母がゐなければとうに餓死してゐるか、何か情けない罪のために牢屋へ入られてゐる人間なのだ。どんなに永く生きのびても必(畢)竟彼の生活は、放縱の次が燒糞、放縱―破綻―後悔―の循還(環)小數にすぎないのではないか。[やぶちゃん注:「必(畢)竟」の補正は如何なものか。「必竟」は当時の作家の多くが用いている。以下、注記はしない。]

 彼には外の人に比べて何かが足りないのだ、いや與へられてゐる種々のものゝうちの何かゞ比例を破つてゐるのだ。その爲にあの男は此の世の掟がまもれないのだ。

 私は彼が確かにこれこれのことはしてはならないのだと知つてゐることを――踏みしだいてやつてしまふその氣持を考へて見るのだ。

 一體私たちが行爲をする時は、それが反射的な行爲ではないかぎり――自分の心の中の許しを經なければ絶對にやれないものではないだろうか。

 私はまた彼にこんな話も聞いた。

 

*    *    *    *    *

 

 友人等の下宿を轉々して、布團の一枚を借(貸)して貰つたり、飯を半分食べさせて貰つたり、――そんな日が積ると私は段々彼等に氣兼をしなければならなくなつた。それでゐて獨りでゐるのが堪らない。結局は氣兼をしながらも夜晩く友達の下宿の戸を叩いたり、――この男は此夜どうも私と一緒にゐるのが苦になるらしいな! とは思ひながらも、また一方どうも俺は此頃僻み癖が昴じてゐる樣だぞ! と思つて見たり、樣々に相手の氣持を商量して、今夜の宿が賴めるかどうか探つて見る。

 ――私は益々氣兼ねが昴じて來ると、益々私の卑屈なことが堪らなくなり、一そさつぱり自分の下宿へ皈つてみやう――とその晩(といふのは或晩の事)はとうとう自分の下宿へ向けて歩いて行つた。とは云ふものゝ私の足はひどく澁りがちで ふとするとあの眞白い白川路の眞中で立留つたりした。

 あの頃の私といふのは此頃考へて見ると神經哀弱だつたらしい。身體も隨分弱つてゐた。それで夜が寐つけないのだ――一つは朝、あんまりおそくまで眠つてゐる故もあつた。然し寐つく前になると極つて感覺器の惑亂がやつて來るのだ。それはかなり健康になつた此頃でもあるのだが、然しその時のは時間にして見ても長時間だつたし、程度にしても隨分深かつた。

 それに思い出したくないと思つてゐる家のこと、學校のこと、質屋のこと――別に思ひ出すまでもなくそれらの心勞は生理的なものになつて日がな一日憂鬱を逞しうしてゐたのだが、それが夜になつてさて獨りになつてしまふと虫齒の樣にズキンズキン痛み出すのだ。私は然しその頃私を責め立てる養(義)務とか責任などが、その嚴めしい顏を間近に寄せて來るのを追ひ散らすある術を知る樣になつた。

 何でもない。頭を振つたり、聲を立てるかすれば事は濟むのだ。――然し眼近にはやつて來ないまでも私はそれら〔の〕債鬼が十重二十重に私を取り卷いてゐる氣配を感じる、それだけは必(畢)竟逃れることは出來なかつた。それが結局は私を生理的に蝕んで來た奴等なのだ。

 それが夜になつて獨りになる。つくづく自分自身を客觀しなければならなくなる。私は横になれば直ぐ寐附いてしまふ快い肉體的な疲勞をどんなに欲したか。五官に訴えて來る刺戟がみな寐靜まつてしまふ夜といふ大きな魔物がつくづく呪はれて來る。感覺器が刺戟から解放されると、いやでも應でも私の精神は自由に奔放になつて來るのだ。その精神をほかへやらずに、私は何か素張らしい想像をささうと努めたり、難しい形而上學の組織の中へ潛り込まそうと努めたりする。そして「あゝ氣持よく流れて出したな」と思ふ隙もなく私の心は直ぐ氣味のわるい債鬼にとつ捕まつてゐるのである。私は素早く其奴を振りもぎつてまた「幸福とは何ぞや!」と自分自身の心に乳房を啣ませる。

 然し結局は何もかも駄目なのだ、――その樣な循還(環)小數を、永い夜の限りもなく私は喘ぎ喘ぎ讀みあげてゆくに過ぎない。

 そうしてゐる中には私の心も朧ろ氣にぼやけて來る――然しそれが明瞭に自認出來る譯ではないが。その證據には、仕事が閑になつた感覺器の惡戲と云はうか、變な妖怪が此のあたりから跳梁しはじめる。ポオの耳へ十三時を打つてきかせたのも恐らくはこの輩の惡戲ではなかつたらうか。不思議にも私には毎晩極つた樣に母の聲がきこえた。何を云つてゐるのかは明瞭〔り〕しないが、何か弟に小言を云つてゐるらしい。母はよくこせこせ云ふ性なのだが、何故かまた極つた樣に毎晩そんな聲がきこえて來たのだらう。初め私にはそれが堪らなかつた。――然し段々私はそれを喜ぶようになつた。怪しくも慕しくもあつた。何故かといへば、それは睡りのやつて來る確實な前觸を意味してゐたからなのだ。時とすると私は呑氣にもその聲が何を一體言つてゐるのだらうと好奇心を起して追求して見るのだが、さてそれは大きな矛盾ではないか。

 私の耳の神經が錯亂をおこしてゐるのに、私の耳がそれをきかうとあせるのだ。自分の齒で自分の齒に噛みつかうとしてゐる樣な矛盾。私はそれでも熱心になつて聽耳を欹てる。私はその聲が半分は私の推測に從つて來るらしい――といつてそれもはつきりしないが、つまりはいつまで經つてもはつきりしないまゝでそれは止んでしまふのだ。私は何と云つていゝかわからない樣な感情と共に取殘されてしまふ。

 そんなことから私は一つの遊戲を發見した。これもその頃の花火やびいどろの悲しい玩具乃至は樣々な悲しい遊戲と同樣に私の悲しい遊戲として一括されるものなのだが、これは此頃に於ても私の眠むれない夜の催眠遊戲である。

 げき(闃)として聲がないと云つても夜には夜の響きがある。とほい響きは集つてぼやけて、一種の響を作つてゐる。そしてその間に近い葉觸(擦)れの音や、時計の秒を刻む音、汽車の遠い響〔き〕や汽笛も聞える。私の遊戲といふのはそれらから一つの大聖歌隊を作つたり、大管弦(絃)樂團を作ることだつた。[やぶちゃん注:「(闃)」は、人気がなくひっそりとしているさま。この段落の底本の編者の校訂はおかしい。〔き〕を送るなら、前文の「一種の響」に先に送るべきであるし、「管弦(絃)」と補正しなければならない根拠もよく分からない。]

 それは丁度ポンプの迎へ水といふ樣な工合に夜の響のかすかな節奏(リズム)に、私の方の旋律(メロデイー)を差し向けるのだ。そうしてゐる中に彼方の節奏(リズム)は段々私の方の節奏(リズム)と同じに結晶化(クリスタライズ)されて來て、旋律が徐々に乘りかゝつてゆく。その頃合を見はからつてはっと肩をぬくと同時にそれは洋々と流れ出すのだ。それから自分もその一員となり指揮者となり段々勢力を集め この地上には存在しない樣な大合唱隊を作るのだ。[やぶちゃん注:本段落の「はっと」は底本通りである。]

 この樣な譯で私が出來るのは私がその旋律を諳んじてゐるものでなければ駄目なので、その點で印象の強かつた故か一高三高大野球戰の卷は怒號、叫喚、大太鼓まで入る程の完成だつた。それに比べて、合唱や管げん樂は大部分蓄音器の貧弱な經驗しか持たないのでどうもうまくはゆかなかつた。然し私はベートオーフエンの「神の榮光(エーレ・ゴツテス)……」やタンノイザーの巡禮の合唱を不完全ながらきくことが出來たし、ベートオーフエンの第五交響樂は終曲(フイナーレ)が一番手がゝりのいゝことを知る樣になつた。然しヴアイオリンやピアノは最後のものとして殘されてゐた。

 時によつては、獨唱曲を低音の合唱に縯(演)繹し、次にそれの倍音を搜(探る)りあて、たゞそれにのみ注意を集めることに依〔つ〕て私はネリイ・メルバが胸を膨らまし、テトラツチニが激しく息を吸込むのが彷彿とする程の效果を收めた。おまけに私は拍手や喝采のどよもしを作つて喜んでゐた。然し全く出鱈目な中途でこれが出て來たりした。出鰭(鱈)目はそれどころではなかつた。寮歌の合唱を遠くの方に聞いてゐる心持の時、自分の家の間近の二階の窓に少女が現はれてそれに和してゐる、――そんな出鱈目があつた。あまり突飛なので私はこの出鱈目だけを明瞭り覺えてゐる。

 然し出鱈目は却て面白い。丸で思ひかけない出鱈目が不意に四辻から現はれ私の行進曲に參加する、又天から降つた樣にきまぐれがやつて來る、――それらのやつて來方が實に狂想的で自在無碍なので私は眩惑されてしまふ。行進曲は叩き潰されてしまひ、絢練とした騷擾がそれに代わるのだ。――私はその眩惑をよろこんだ。一つは眩惑そのものを、一つは眞近な睡眠の豫告として。

 感覺器の惑亂は視覺にもあつた。その頃私は晝間にさへそれを經驗した。

 ある晝間、私はその前晩の泥醉とそれから――いやな話だが泥醉の擧句宮川町へ行つたのだ――私はすつかり身體の調子を狂わせて白日娼家の戸から出て來た。

 あの泥醉の翌日程頭の變な時はない。七彩に變はる石鹼玉の色の樣に、悠(倏)忽に氣持が變つて來る。[やぶちゃん注:「倏忽」は音読みでは「しゅくこつ」で、きわめて短い時間の形容。たちまち。但しここでは、「にわか(に)」と読ませていると思われる。]

 胃腑の調子もその通りだ――なにか食べないではゐられない樣ないらいらした食欲が起る。私はその駄々つ子の樣な食欲に色々な御馳走を心で擬して見る。一つ一つ、どれにも首(かぶ)りをふらないのだ。それでゐて今にも堪ならない樣に喚く。

(私にはこんな癖がある。私が酒によふと、よく、酒をのむ私に對して酒に虐げられる私を想像する、そして私はこの犧牲者にぺこぺこ辭儀をしたり、惡いのはわかつてゐるがまあ堪忍してくれと云つて心の中で詫びたりそんなことをするのだ。)そう思つて見ると私がこの括弧のあちら側で、私の胃腑を擬人的に呼んでゐるのも萬ざら便宜のためばかりでもないのだ。――そこで虐げられた胃腑はもう醉の醒めた私にやけになつて無理を云ひはじめる。

 ――若葉の匂ひや花の匂ひに充ちてゐる風のゼリーを持つて來いとか、何か知らすかすかと齒切れのする、と云つてもそれだけではわからないが、何しろそんなものが欲しいのだとか。また急に、濁つたスープを! 濁つたスープを! といひ出す。然し私がその求めに應ずべく行動を開始し出すと、あそこのは厭だなあ! とか、もう嫌になつた、反吐が出そうだ。とか――私は前夜の惡業をつくづく後悔しながら白日の街の中程に立つて全く困却してしまふのだ。

 今注文したばかりの料理が不用になつたり、食ひはじめても一箸でうんざりしたり、無茶酒の翌日と云へば私は結局何も食はずに夕方迄過すか、さもなければ無理やりに食つてお茶を濁すのが關の山なのだ。

 情緒が空の雲の樣に、カメレオンの顏の樣に姿をかへ色を變へるのもその時だ。

 英雄的な氣持に一時なつたかと思ふと私はふと鼻緒に力が入り過ぎてゐるのに氣がつく――と思つてゐる間にも私の心は忽ち泣けそうになつて、眼頭に涙をこらへる、お祭りの行列が近所を通る氣配の樣なものを感じるかと思へば――鴨川の川淀の匂ひにさへ郷愁と云つた樣な氣持にひきこまれる。それでゐては、何か大きな失策をしてゐるのにそれが思ひ當らない樣な氣持になる。それはす(饐)えた身體から發(醱)酵するにはあまりに美しく澄んでゐて、いゝ音樂に誘はれでもしなくてはとても感ぜられない樣な泪ぐましい氣持である。[やぶちゃん注:次の段落との間、一行空き。]

 

 ともすればそのまゝ街上で横になり度い樣な堪らない疲勞と 腋の下を氣味惡く流れ傳つて來る冷汗。酒臭い體臭やべとべとまつはりつく着物 それは何といふ呪はれた白晝だ。

 丁度その日も私はその樣な状態で花見小路の方から四條大橋の方へ、丁度二びきの看板の下あたりまでやつて來たのだ。

 その時私はふと、天啓とでも云ひ度い樣な工合に、ありあり弟の顏を眼の前に浮かべたのだ。然しそれが不思議なことには丁度五六年前の弟の顏だ、白い首からの前だれをかけて飯を食てゐる、どんな譯があるのか弟はしかめつ面をして泪をポロッポロッ滾してゐる――その涙が頰から茶碗の中へ落ち込むのだ。然も一體どうしたと云ふのか弟は強ひられたものゝ樣にまた口惜しまぎれの樣にガツガツ飯を食つてゐるのだ――今こそ私はその事實だけを覺えてゐるだけで弟の五年前の顏など思ひ出せはしないのだが、その時はその五年前の顏ばかりが浮かんで來るのだ、いくら今の顏を思ひ出そうと努めてもその顏、然もその歪んだ顏が出て來るばかりなのだ。[やぶちゃん注:本段落の「ポロッポロッ」は底本通り。]

 一體何の因果だ!私はその日一日それが何を意味するのか、ひよつとして何かの前兆なのぢやないのかななどと思つて惱まされ通したのだ。(私はその顏をもう一度その夜だつたか、その翌晩だつたか――例の精神の大禍時(オホマガドキ)の幻視にそれを見た。)

 何しろその頃は變なことがちよいちよいあつた。ある時は京阪電車にのつてゐて、私の坐つてゐる向側の、しめ切つた鎧戸を通して、外の景色が見えて來た。一體私はその邊の風景をよく覺えてゐたのだが、それがまるで硝子越しに見てゐる樣に、窓の外の風景が後へ後へと電車の曳(走)るのにつれてすさつてゆくのだ。大方私はクツシヨンの上で寐ぼけてゐたのかも知れない。然し氣がついて見ておどろいた。

 とは云ふものゝ私一流にそれがまた享樂でもあつたのだ。――

 丁度その頃は百萬遍の錢湯で演じた失策談が友人の間で古臭くなつてきた時分だつた。私は直ぐそれを友人達に吹聽してまわつた。

 錢湯での失策といふのも確か泥醉の翌朝だつた。私は湯から上つて何の氣なしにそこにそこに備へてあつた貫々にのつて目方をはかつて見たのだ。私は十三貫の分銅をかけておいて、目盛の上の補助分銅を動かしてゐた。その頃の私は量る度に身體の目方が減つて來てゐたのだが、不思議にもその補助分銅は前の日の目盛を通り過ぎて百目二百目と減じてゆくのに――それをまた私は蟻の歩みの樣にほんの少しづゝ少しづゝ難しい顏をして動かしてゐたのだ、――三百匁四百匁とへらしてゐるのに片方の分銅の方は一向あがつて來ない。私のその時の悲しさと怪訝の念を察して見るがいゝ、私は、もうこれは變だと、とうとう思ひ出したのだ。もう君にもわかつてゐるだらう。私は貫々の上へ乘らずに板敷の上にゐたまゝそれをやつてゐたのだ。

 氣がついて しまつたと思ふと同時に私は顏があかくなつた。然し人がそれを見てゐなかつたと氣が附いた後も、私は一切れの笑ひさへ笑へなかつたのだ。――私は前と同じ、これは變だぞといふ疑をみぢめにも私自身に向けなければならなくなつたのだ。私の顏の表情が固くこびりついてしまつた。私はその自分自身に向けられた疑ひが一落附きするまで――それには一日二日かゝつたのだが、友達一人にさへそのことは話せなかつた。――私はやつと一落附になつてから、俺は變だと皆に觸れてあるいたのだが。

 何しろこんな時代だ。逢魔が時の薄明りに出て來る妖怪は榮えたのに無理もないことは君もわかつて呉れるだらう。

 夜の幻視にもいろいろあつた、然し幻視と云つても眼をあけてゐる時に見える樣なものでは決してなかつた。突飛なのだけは忘れない。

 こんなのがあつた。セザンヌの畫集の中で見る、繪畫商人かなにかのタンギイ氏の肖像がある時出て來た。その畫では日本の浮世繪を張りつけた壁の樣なものが背景になつてゐて、人物は此頃文學靑年がやつてゐる樣に丸く中折の上を凹ませたのを冠り、ひげの生えた顏を眞正面にしてゐる。私はその人物が畫の中から立ち上がつて笑ひ出すのを見たのだ。どうしてタンギイ氏の肖像などが出て來たのだらうか、何か柏(拍)手で私がそれを思出すと同時に、眼前に彷彿として來て、動き出したのぢやないか、――どうもそう思ふのが正當らしい。――幻視も不意に出鱈目にやり出すのだ。

 こんなこともあつた。

 例のもやもやとした、氣持の混亂を意識し出した最中に、「今だ‼ 杖をつかんでうつつぶせになり深い谿谷を覗く樣な姿勢をして見ろ!」と不意に自分自身に命じたのだ。私は次の瞬間そうしてゐた。すると丁度私はヨセミテの大峽谷の切尖に身を伏せて下を眼(見)下すときはさもあらうかと思はれた程、唯ならない胸の動悸と、私を下に引摺る樣にも思へる高層氣流と、高い所から見下す時を眩暈を感じた。私は手品師がハッ!ハッ! と氣合をかけて樣々の不思議を現出せしめる樣に、やはりそのハッハッといふ氣合がどつからか聞こえて來る樣な氣持で寐床の上を海老の樣に跳ねて――奈落に陷ちる氣持やら何やら樣々の氣持を身内に感じたのもその頃の夜中の事だつた。[やぶちゃん注:本段落のすべての「ハッ」表記は底本通り。]

 君には多分こんな經驗があるだらう。――私の力ではそれがどうしても口では傳へることが出來ないのだが――若し君がそれを經驗してゐるのだつたら、或はこの樣な甚だ齒がゆい言ひ方だがそれで、あゝそれそれ! と相槌を打つて呉れるだらうと思ふ。

 經驗しながら探つてゐると一度何かで經驗したことのある氣持であるにちがひないといふ氣がする、觸感からであつたか、視覺からであつたか、――それが思ひ當ればそれらを通してその氣持を説明出來るのだが、然し見す見すそれが思ひ浮かばないのだ。子供の時ではそれが風邪などで臥せつてゐる時の夢の中へ出て來た。私が覺えてゐるのは――

 涯しもない廣々とした海面だ、――海面だと云ふのは寧ろ要(かなめ)ではない、何しろ涯しもない涯しもない、涯しもなく續いてゐる廣い廣いそれこそ廣いー「ずーつと」といふ氣持、感じがそれなのだ、――それが刻々に動いてゐる樣でもあり、私が進んでる樣でもあり――遂にはそのあまりの廣茅(袤)が私のこころを壓迫し、恐怖させる樣にまでなる。[やぶちゃん注:本段落の「要」の読みは( )表記で、編者によるものと思われる。「廣袤」は「こうぼう」と読み、土地の広さのことを言う。]

 病氣の時の時の夢に見た經驗を私は醒めてゐて、もう毎晩繰〔り〕かへす樣になつた。

 同じやうなことは以前にもあつた。――然しその頃はそれが單なる氣持の認識(?)では留まらない程の性惡なものになつてしまつてゐた。

 劫初から末世まで吹き荒ぶと云はうか、量りしられない宇宙の空間に捲き起る、想像も出來ない樣な巨大な颶風が私を取卷いて來たのを感じはじめる。それがある流れを作つてゐて、急に狹い狹い――それもまた想像も出來ない樣な狹さに收斂するかと思ふと再び先程の限りもない廣さに壙がるのだ。その變化の頻繁さは時と共に段々烈しくなり、收斂、開散に併(伴)ふ變な氣持も刻一刻強くなつてくる。

 若しその時に自分自身の寐てゐる姿が憶ひ浮んで來ると、その姿はその流れの中に陷ち、その流〔れ〕の通りの收斂、開散をする。その大きさを思ふと實に氣味がわるい。ゴヤの畫に出て來る、巨男が女を食つてゐる圖や大きな鷄が人間を追ひ散らしてゐる圖 規模は小さいが ちよつとあれを見た時の氣持に似てゐる樣にも思はれる。[やぶちゃん注:梶井はここでゴヤの「わが子を食らうサトゥルヌス」を挙げているが、これはサトゥルヌスの「息子」であって、「女」ではない。]

 然し何も浮べないでもその氣持は、機械の空廻りと同じで 形の見えない、形の感じといふ樣なものゝおおきな空廻りをやつてゐる。

 私はそれが增大してゆくにつれて恐ろしくなつて來る、氣が狂ひそうに、餘程しつかりしてないとさらつてゆかれるぞと思ふ。――そしていよいよ堪え切れなくなると私は意識して あゝゝゝと聲を立てゝそこから逃れるのが習慣になつてしまつた。私は寐るまでには必ずそのアヽヽヽをやる樣になつたのだ。

 隨分話が横にそれてしまつたが、――これが今も云ふ精神の大禍時の話なのだ。

 さて云つた樣に、この樣な妖怪共は却て消極的な享樂にさへその頃は變へられてゐたのだ、――云つた樣にその間だけでも私は自分の苦しい思ひ出から逃れられた譯だし、またそれが睡眠の約束であつたからだ。

 然しこれが仲々やつて來ない、眞夜中過ぎて三時四時までも私は寐床の中で例の債鬼共の責苦にあはなければならないのだ。

 そんな夜を、どうして私は自分の下宿の自分の部屋で唯一人過す樣なことが出來よう。

 ――こゝで私が私の下宿へ皈る所だつたことを思ひ出して貰ひ度い、話はそこへ續いてゆく。[やぶちゃん注:次の段落との間、一行空き。]

 

 その當時私の下宿は白川にあつた。私は殆ど下宿の拂ひをしなかつた。それが、一學期に一度になつたり、正確に云へば改悛期が來る迄滯らせておいた。

 初め私の借金はその改悛期の法定期間といふ樣なものを勤めあげるかあげない裡にそろそろ始り出す。それが苦になる頃にはまず(づ)大きなかさになつてゐる。

 學校の缺席もその通りで、新學期のはじめ一月間は平氣で缺席する。そしてまだ平氣だまだ平氣だと云つてゐるうちにその聲にどうやら堆高いブランクの壓迫を捩じ伏せ樣とする樣な調子を帶びて來る。私は一日一日、自分の試み樣と思ふ飛躍の脛がへなへなとなつてゆくのを――いまいましく思ふ。昨日が十の努力を必要とした樣な状態だとすると今日はまた一日遲れたゞけの十一の努力を必要とする。然し私はまだ自身を持つてゐる。然し一日勉強にとりかゝつて見ると勉強といふものが實に辛い面倒なことだと思ふ、そして私の自信が少し崩されて私は不愉快な氣持でそれをやめて、次のベターコンデイシヨンの日を待つのだ。そうして私は藻がきながら這ひ出られない深みへ陷ちてゆく。そして段々やけの色彩を帶びて來る。

 當時、私はもうその程度を超えてゐた。借金と試驗の切迫――私はそれが私の囘復力に餘〔つ〕てゐることを認めてはゐながら然もそれに望みをかけずにはゐられなかつた。何故と云つてそれまでに私は幾度をその樣な破産で母を煩はせてゐて、此度と云ふ此度はいくら私が厚顏しくてもそれが打ちあけられる義理ではなくなつてゐたし、若しその試驗がうけられなければその學年は落第しなければならない然も前年に一度落第したのだからそれを繰歸(返)へす樣なことがあつては私は學籍から除かれなければならないのだ。

 然しその重大な理由も私の樣な人間にとつては飛躍の原動力とはならなかつた。それが重大であればあるだけ私の陷ち込み方はひどくなり、私の苦しみは益々烈しくなつて行つた。

 丁度木に實つた林檎の一つで私はあつた。虫が私を蝕むでゆくので他の林檎の樣に眞紅な實りを待つ望みはなくなつてしまつた。早晩私は腐つておちなければならない。然しおちるにはまだ腐りがまわつてゐない、それまで私は段々苦しみを酷くうけながら待たなければならない。然し私は正氣でそれを被(う)けるには餘りに弱い。とうとうお終ひに私は腐らす力の方に加名(盟)する、それと同時に自分自身を麻痺さゝなければならない。借金がかさんで直接に債務(権)者が母を仰天さすまで、また試驗が濟んで確實に試驗がうけられなくなつたことを得心するまで――私は自分の感情に放火(つけび)をして、自分の乘つてゐる自暴自棄の馬車の先曳きを勤め、一直線に破滅の中へ突進してそして椎(摧)けて見やう。始まれるものならそこから始めやう。――其頃私はそういふ風な狂暴時代にゐたのだ。

 下宿はすでに私の爲の炊事は斷つた。ひと先づ拂ひをして呉れ。そして私の前へ三ヶ月程の間の借金の書きものが突き出された。

 そして下宿は私の部屋の掃除さへしなくなつたのだ。

 私が最後に下宿を見棄てた時、私の部屋には古雜誌が散亂し、ざらざらする砂埃りがたまり寐床は敷つ放し、煙草の吸殼と、虫の死骸が枕元に散らかつてゐる樣な状態だつた、そして私は二週間も友人の間を流轉してゐたのだ。

 そんな部屋へ其夜どうして歸る氣など起こるものか。そんな夜更けに夜盜の樣に錠前をこぢあけ、歸つて見た處で義務を思ひ出させるものに充滿し、汚れ切つてゐる寐床の中で直ぐ寐つける譯でもない。それにいつかの樣に布團の間で鼠が仔を産んでゐたりしたら。

 私は病み且つ疲れてゐた。汚れと悔いに充されたこの私は地の上に、あらゆる莊嚴と豪華は天上に、――私はそんなことを思ふともなく思ひながら、眞暗な路の上から、天上の載(戴)冠式とも見える星の大群飛を眺めた。[やぶちゃん注:底本によると、この段落と次の段落の行間に、「私のお母樣。」と書いたのを消し、「この續あひわるし」と記す。また、原稿用紙上欄に「私は段々自分がいかに取るに足りない存在であるかといふ考へに導かれ」と書いて抹消、また右欄外(原稿用紙のということであろう)に、「決算の算盤から彈き出された自分」と書かれている、とある。]

 私はその時程はつきり自分が獨りだといふ感じに捕へられたことはない。――それは友達に愛想盡しをされてゐる爲の淋しさでもなかつたし、深夜私一人が道を辿つてゐるといふその一人の感じでもなかつた。情ないとか、淋しいとかさの樣な人情的なものではなく、――何と云つたらいゝか、つまり状(條)件的(コンデイシヨナル)ではない絶對的(アブソリユート)な寂蓼、孤獨感――まあその樣なものだつた。私はいつになつたらもう一度あの樣な氣持になるのかと思つて見る。

 その次に私は浮圖母のことを思ひ出したのだ。私は正氣で母を憶ひ出すのは苦しい堪らないことだつたのだ。然も私はどういふ譯かその晩は、若し母が今、此の私を見つけたならば、息子の種々な惡業など忘れて、直ぐ孩兒だつた時の樣に私を抱きとつて呉れるとはつきり感じた。――そしてそんなことをして呉れる人は母が一人あるだけだと思つた。――私はその光景を心の中で浮べ、浮べてゐるうちに胸が迫つて來て、涙がどつとあふれて來た。[やぶちゃん注:本段落冒頭の「浮圖」は「不圖」(ふと)の誤り。「孩兒」は「がいじ」、乳飲み子。]

 ――私は生ける屍のフエージヤが、自分は妻に對して濟まないことをする度毎に妻に對する愛情が薄らいだと云ふ樣な意味のことを云つてゐるのを知つてゐる、私も友人や兄弟などにはその氣持を經驗した。丁度舟に乘つた人が櫂で陸を突いた樣に、おさえられた陸は少しも動かず、自分の舟が動いて陸と距たるといふ風に――自分の惡業は超えられない距りとなつてしまふ。然し母との間は丁度つないだ舟の樣なもので、押せば押す程、その綱の強いことがわかるばかりなのだ。[やぶちゃん注:「フエージヤ」はレフ・トルストイの「生ける屍」の主人公。]

 然しそんな談理では勿論ない、――あとからあとから、悲しいのやら有難いのやらなんともつかない涙が眼から流れ出て來たのだ。

 しかしその頂點を過ぎると涙も收り氣持は浪の樣に退いて行つた。

 私は自分が歩むともなく歩んでゐたのを知つた。心の中は見物が歸つて行つた蹟の劇場の樣に空虚で、白々してゐた。身體は全く疲れ切つて、胸はやくざなふいごの樣に、壞れてゐることが恐れではなく眞實であることを敎へる樣にぜいぜい喘いでゐるのだ。

 あと壹丁程が、早く終つてほしい樣な、それでゐてまたそれと反對の心が私の中に再び烈しく交替した――然も私の足は元の通りぎくぢやくと迭(たが)ひに踏み出されてゐる。[やぶちゃん注:この「迭」の読みは( )表記で、編者によるものと思われる。]

 何とまあ情ないことだ、此の俺が、あのじたばた毎日やけに藻がいてゐた苦しみの、何もかもの總決算の算盤玉から彈き出されて來た俺なのか。

 私は何だか母が可哀そうに思つてくれるよりもこの私自身がもう自分といふ者が可哀そうで堪らなくなつて來た。

 私はもう何も憤りを感じなかつたし、悔ひも感じなかつたし嫌惡も感じなかつた。

 そして深い夜の中で私は二人になつた。

「お前は可哀そうな奴だな。」と一人の私が云ふのだ。も一人の私は默つて頭をうなだれてゐる。

「一體お前のやつたことがどれだけ惡いのだ。」

「あゝゝゝ。可哀そうな奴。」

…………………………………

 そして一人の私が大きいためいきをつくともう一人の私も微かにためいきをつく。

 そして私は星と水車と地藏堂と水の音の中を歩み祕めてゐたのだ。

 そして私は眼をあげた、ずつと先程から視野の中にあつた筈の私の下宿を私ははじめて見た。

 學生あて込みのやくざ普しんのバラツクの樣に細長くそして平屋の私の下宿を。

 私には心が二人に分かれてゐたことの微かな後味が殘つてゐた。――ふとその時また私に悲しき遊戲の衝動が起こつた。

 此の夜更けに、此の路の上で此の星の下で、此の迷ひ犬の樣な私の聲が一體どんなに響くものなのだらうか。皺枯れてゐるだらうか、かさかさしてるのか知ら、冥府から呼ぶといふ樣な聲なのか知ら。――そう思つてゐるうちにも私は自分自身が變な怪物の樣な氣がして來た。私がこゝで物を言つても、たとへそれらが言つてゐる積もりでも、その實は何か獸が悲しんで唸つてゐる聲なのぢやないか――一體何是(故)アと云へばあの片假名のアに響くのだらう。私は口が發音する響きと文字との關係が――今までついぞ疑つたことのない關係が變挺で堪らなくなつた。[やぶちゃん注:「變挺」は「へんてこ」。]

 一體何是(イ)と云つたら片假名のイなんだらう。

 私は疑つてゐるうちに私がどういふ風に疑つて正當なのかわからなくさえなつて來た。

「(ア)、變だな、(ア)。」

 それは理解すべからざるもので充たされてゐる樣に思へた。そして私自身の聲帶や唇や舌に自信がもてなくなつた。

 それにしても私が何とか云つても畜生の言葉の樣に響くのぢやあないかしら、つんぼが狂つた樂器を叩いてゐる樣に外の人に通じないのぢやないか知ら。

 身のまわりに立罩めて來る魔法の呪ひを拂ひ退ける樣にして私の發し得た言葉は、

「惡魔よ退け!」ではなかつた。

 外でもない私の名前だつた。

「瀨山!」

 私は私の聲に變なものを味〔は〕つた。丁度眞夜中自分の顏を鏡の中で見るときの鬼氣が、聲自身よりも、聲をきくといふことに感ぜられた。私はそれにおつ被せる樣に再び

「瀨山!」と云つて見た、その聲はやゝ高くフーガ( fuga )の樣に第一の聲を追つて行つた。その聲は行燈の火の樣に三尺もゆかないうちにぼやけてしまつた。私は聲を出すといふことにはこんな味があつたのかとその後味をしみじみ味はつた。

「瀨山」

     「瀨山」

  「瀨山」

          「瀨山」

 私は種々に呼んで見た。

 然し何といふ變挺な變曲なんだろう。

 一つは恨む樣に、一つは叱る樣に、一つは嘲る樣に、一つ一つ過古を持つており、一つ一つ記憶の中のシーンを蘇らしてゆく樣だ。何といふ奇妙な變曲だ!

「瀨山」

   「瀨山」

      「瀨山」

「瀨山!」今度は憐む樣に。

 先程の第一の私と第二の私はまた私の中で分裂した。第一の私が呼びかけるその憐む聲に、第二の私はひたと首をたれて泪ぐんでゐた。

「瀨山!」第一の私の聲もうるんで來た。

「瀨山」…………

 そして第一の私は第二の私と固く固く抱擁しあつた。

 私はもう下宿の間近まで來てゐた。

 私はそこに突立つた。つきものがおちた樣に。「歸らうか、歸るまいか。」私はまた迷つた。

 然し私は直ぐ決心した。歸るまいと決心した。そのかわり私は不意に喚き出した。

「瀨山!」

 友達の誰彼からも省(顧)みられなくなつた瀨山極のために、私は深夜の訪客だ。「俺はお前が心配でやつて來たのだ。」[やぶちゃん注:底本は「省み(顧)られなくなつた」とあるのを、表記のように補正した。]

「瀨山君!」

 私は耳を澄して見たが、その聲が消えて行つた後には何も物音もしなかつた。

「瀨山!」

 蓄(畜)生、糞いまいましい、今度は郵便屋だ、電報だ、書留だ、電報爲替だ、家から百圓送つて呉れたのだ。

「澤田さん!電報!

 瀨山さんといふ方に電報。」

 私はヒステリツクになり聲は上釣つて來た。そして下駄で玄關の戸を蹴り飛〔ば〕した。

「へい!」マキヤベリズムの狸親爺奴、おきて來やがつたな。

 私は逃足になつて來たのを踏みこらへて、

「三五郎の大馬鹿野郎」

 と喚いたまゝ、一生懸命に白川道をかけ下りたのだ

          *    *    *    *    *

 瀨山極の話は其所で終つたのではなかつたが、然し私はその末尾を割愛しやう。

 然し私は彼が當然の結果として今年も又落第したことをつけ加えておかねばならない。私は學校の規則として彼が除籍される爲に、彼が職業を搜す相談にも與つた。

 私はその中に東京へ來てしまつた。

 彼の最近の下宿へ問合わせを出したり、京都の友人に訪(尋)ねて見たりしたが、彼の行衞(方)はわからなかつた。ある者は復校したと云ひある者は不可能だと云つた。私は彼の夢を二度まで見た。

 それで心がゝりになつてまた問合せを出した上、私の友達が徴兵で京都へ歸るのに呉々も言傳〔て〕た。

 そして最近彼の手紙がやつと私の許に屆いた。私が彼についてのことを書きかけたのはその手紙を受取つてからのやゝ輕い安緒(堵)の下にである。私は彼の手紙を讀んでゐるうちに彼の思出が繪卷物の樣に繰擴げられて行つた。私はそれを順序もなくかき出した。然しいつまでもかいでも切りがない。私は彼の手紙の抄録をすることによつて此の稿を留め樣と思ふ。[やぶちゃん注:以下は書かれていない。]

(大正十三年)