芥川龍之介「奉教人の死」参考資料
斯定筌( Michael Steichen 1857-1929 )著「聖人傳」より「聖マリナ」
[やぶちゃん注:芥川龍之介は自作「奉教人の死」について、「風變りな作品二點に就て」で、『日本の聖教徒の逸事を仕組んだものであるが、全然自分の想像の作品である。』と述べて、例の幻の長崎耶蘇会版「れげんだ・おうれあ」事件を記載するのであるが、実際には、『典拠とその書については内田魯庵の「れげんだ・おうれあ」(『文藝春秋』昭和二・八)があるが、現在では、その典拠問題について、「初め上田哲(『奉教人の死』出典考)――『岩手短歌』昭三五・九」によって見出され、ついに芥川の旧蔵書中に存在することが確かめられた『聖人伝』(秀英社、明二七)所収の『聖マリナ』が、ほぼ確定的な典拠と考えられる』(海老井英次編『鑑賞日本現代文学41 芥川龍之介』角川書店、昭和五六・七・三一)とする説がある。」(明治書院昭和60(1985)年刊の菊地・久保田・関口編著「芥川龍之介事典」より)という研究経緯を辿っている。私は、この秀英社版「聖人伝」なるものを披見したことがないが、幸い、東京・武市誠太郎・明治36(1903)年刊の斯定筌( Michael Steichen 1857-1929 )著「聖人伝」を、国立国会図書館デジタルコレクションの画像に見出した(以上の書誌情報も同サイトの記載を用いた【2016年6月23日一部変更】リンクは同書内の「聖マリナ」の冒頭にセットし直した。)。本篇は『聖人伝』(秀英社、明二七)の再版本で(但し、画像で見ると奥付の社名は「秀英舍」である。芥川龍之介の蔵書中に本書が確認されている旨、平成12(2000)年勉誠出版刊行「芥川龍之介全作品事典」の「奉教人の死」に記載がある【以上、追記】)、このプロットが芥川龍之介の「奉教人の死」と通底するものであることは疑いようがない。そこでこれを底本として、「奉教人の死」の典拠問題の一資料として、本書中の「聖マリナ」を以下に電子テクスト化する。まず、「■1」として、底本通りの総ルビ版(表題や一部にルビのない部分があるが)を置き、後に「■2」として、ルビ排除版のダブル・テクストとした。但し、かなり難解で特殊な読み(読みではなく国訓で傍注のように用いている部分も散見される)が多いので、総ルビ版と対照してお読み頂きたい。歴史的仮名遣いの誤用(非常に多い)については、注釈を加えていない。印字の潰れている部分や錯文(組版時のミスによる文字列の逆転や転倒)で読解に不可欠な部分は、前後の文脈や当該漢字から類推して正し(それらの補正はいちいち断っていない)、明白な誤字と判断したもののみ、該当部分の直後、又は欠字部分に〔 〕で正字を補った。底本の踊り字は異なったものを幾つか用いているが、「ゝ」や「/\」に揃え、「く」の字型の濁音のある踊り字は正字にし、変体の「事」は平仮名の「こと」とした。下線は底本では右傍線である。傍点「○」は、斜体に代えた。本電子テクストはすべて上記国立国会図書館蔵本の電子画像及びそれをPDFファイルに落として印刷したものを目視しながら、私が直にタイピングしたものであるので、誤植・誤記・脱落と思われる箇所を発見された方は、御一報願いたい。]
■1 総ルビ版
○聖マリナ 六月十八日
後世(のちのよ)聖人 尊號(たつときみな)を受(う)けて樂土(たのしきくに)にたのしき眠(ねむり)をとるもの數百(すひやく)の多(おほ)きに至(いた)ると雖(いへど)も皆(みな)苦(くるしみ)を好(この)み難(かたき)を樂(たのし)む人々(ひとびと)のみなるがゆゑに未信者(みしんじや)は勿論(もちろん)信徒(しんじや)と雖(いへど)も時(とき)としては是(この)行(をこなひ)を見(み)て狂人(きちがい)のしはざとなし指(ゆびさ)し笑(わら)ふ者(もの)少(すくな)からず、然(さ)れども是(これ)聖人(せいじん)の深(ふか)き心意(こゝろ)を吾(さと)らざるの愚人(ぐじん)の致(いた)す處(ところ)のみ何(なん)ぞ談(だん)ずるに足(た)るべきや古(いにしへ)來(より)聖人(せいじん)名譽心(ほまれごゝろ)爲(た)めに神(かみ)に其(その)身上(みのうへ)を祈(いの)るにあり今(いま)此(こゝ)に説(と)き出(いだ)す傳記(でんき)はかゝる内(うち)に於(おい)て最(もつと)も面白(おもしろ)く最(もつと)も愉快(ゆくわい)なる聖人(せいじん)の物語(ものがたり)なり。
昔(むか)し亞弗利加(あふりか)の國(くに)ウゼノと稱(しよう)する人(ひと)ありけり妻(つま)との中(なか)に一女子(いちじよし)ありて不足(ふそく)もなく此(この)世(よ)を暮(く)らしつゝありしが盈(み)つれば缺(か)くる世(よ)の習(なら)ひ夜半(よは)に嵐(あらし)の吹(ふ)かぬものかは、一年(ひとゝせ)其(その)妻(つま)は夫(おつと)に先(さきだ)ちて葉末(はづゑ)にをく露(つゆ)よりもろく此(この)世(よ)を去(さ)りしかばウゼノの慨(なげ)き一方(ひとかた)ならず、朝夕(あさゆふ)妻(つま)のことのみ思(おも)ひなやみて哀(かなし)みの淵(ふち)に沈(しづ)みつゝ世(よ)あじきなく暮(くら)しければそが朋友等(ともがらら)大(おほひ)に心(こゝろ)をいためさまざまに慰(なぐさ)め諫(いさ)むれども、かへりて是(これ)うるさしとていつかな用(もち)ふる氣色(けしき)なく唯(ただ)部屋(へや)にのみたれこめて鬱々(うつ/\)として日(ひ)を消(け)しぬ。その頃(ころ)亞弗利加(あふりか)の最(い)と淋(さび)しき片山里(かたやまざと)に一(いつ)の行者會(ぎやうじやくわい)と云(い)ふものありけり。ウゼノは兼(か)ねて耳(みみ)にせしかば我(われ)も是(こゝ)に入(い)りて濁(にご)りたる浮世(うきよ)のきづなを絶(た)ち切(き)らんと思(おも)ひ立(た)ちしが一人(ひとり)の娘(むすめ)を捨(す)て置(を)きて往(い)かるべきにあらねば兎(と)やせん角(かく)やと思(おも)ひ煩(わづら)ひけるが此(この)行者會(ぎやうじやくわい)は女子(じよし)の入會(につくわい)を嚴禁(きびしくとどむ)せしかば共(とも)に拉(たづさ)へ往(ゆ)く能(あた)はず是非(ぜひ)なく娘(むすめ)は其(その)わたりの親戚(みより)が許(もと)に托(たく)し居(を)きて自(みづか)らは直(ただ)ちに行者會(ぎやうじやくわい)へと一身(いつしん)を投(とう)じぬ。かくて亡妻(なきつま)の慨(なげき)も漸(やうや)く薄(うす)らぎしだけに安心(あんしん)の域(いき)に立(た)ち行(い)きけれど冬(ふゆ)の雪(ゆき)秋(あき)の月(つき)親戚(しんるい)の許(もと)に托(たく)し居(を)きたる最愛(さいあい)の一人娘(ひとりむすめ)妻(つま)が片身(かたみ)の面影(おもかげ)を思(おも)ひ出(い)でゝは淚(なみだ)ハラ/\と膝(ひざ)に落(を)ちて安堵(あんど)の胸(むね)も亦曇(くも)りがちになりていとゞ堪(た)へがたく覺(おぼ)へしかばいつしかに顏(かほ)に現(あらは)れたり、院長(いんちやう)は此(この)樣子(やうす)をはやくも見(み)てとりウゼノに向(むか)つて胸(むね)の内(うち)のうやむや逐一(ちくいち)我(われ)に話(はな)し玉(たま)へと懇(ねんごろ)に問(と)ひかけしかばウゼノは是(これ)に答(こた)ふる樣(やう)、己(おの)れ一人(ひとり)の子(こ)あり、さりながら今(いま)は親戚(しんるい)のかゝり人(ひと)となり某(それがし)の里(さと)にあり耻(はづ)しながらそがことを思(おも)ひ出(い)でゝかくは物思(ものおも)ふ身(み)となりぬと云(い)ふ。院長(いんちやう)も深(ふか)く其(その)心(こゝろ)を憐(あはれ)みて根問(ねと)ひもせずに其(その)引取(ひきとり)を許(ゆる)したり。かゝりしかばウゼノの悦(よろこび)一方(ひとかた)ならず直(ただ)ちに自(みづか)ら出向(でむ)きて伴(ともな)ひ來(きた)れり、されども女子(をなご)にては伴(ともな)ひ來(きた)られず故(ゆへ)に男(をとこ)の裝(よそほひ)をなしてつれ來(きた)り名(な)をマリンと改(あらた)めさせたり。
ウゼノはかくして一先(ひとまづ)心(こゝろ)を安(やす)んじけるが、さるにても子供(こども)の身(み)にて行者(ぎやうじや)の如(ごと)き嚴格(きびしき)なる規則(きそく)を守(まも)り得(う)べきかと叉々(また/\)一(ひと)つの心(こゝろ)がゝり出來(いできた)りしが此マリンすこしも嫌(きら)ふ氣色(けしき)なくいとまめ/\しく働(はたら)きて朝(あさ)は早朝(まだき)に起(を)き出(い)で、夜(よる)は更(ふく)るをも知(し)らず、マリン此處(こゝ)に來(きた)りしより男(をとこ)の形(かたち)に裝(よそ)ほひしかば女子(をなご)のたしなみとて重(おも)んぜらるゝ顏(かほ)のつくり衣服(いふく)の飾(こしらへ)なんどなすは思(おも)ひもよらねどこを少(すこ)しもいたふことなく常(つね)に男(をとこ)のものごしに扮(ふん)するを難(かた)しとせず勤(つと)めて人(ひと)にさとられざるやうになしける。故(ゆへ)多(をほ)くの行者(ぎやうじや)一人(ひとり)として是(これ)を女子(をなご)なりと思(おも)ふものなく皆(みな)男(をとこ)として交(まじは)りぬ。かくて春秋流水(はるあきながるゝみづ)の如(ごと)くマリン十七歳(さい)となりける年父ウゼノは風の心地(こゝち)とて打臥(うちふ)せしまゝ終(つい)に得(え)起(たゝ)ず、臨終(いまわ)に及(およ)びてマリンを枕邊(まくらべ)に呼近(よびちか)づけ後々(のち/\)の事(こと)ども懇(ねんごろ)に言置(いひをき)やがて眠(ねむ)る如(ごと)く死(し)につけり。マリンは父(ちち)に別(わか)れし身(み)の心(こゝろ)かなしく其(その)當座(とうざ)はなきかなしみてのみありけるが、なきかなしみありけるが父(ちち)が臨終(いまわ)のきはに禱(いのり)を神(かみ)に捧(ささ)げて受得(うけゑ)玉(たま)ひし言(い)ふなる我身(わがみ)の行末(ゆくすへ)。此(この)行者(ぎやうじや)の集(あつまり)にありて身(み)を終(をは)れよとの玉(たま)ひたる父(ちち)の御言葉(おんことば)かく心(こゝろ)よはくては男(をとこ)の集(あつまり)にありて末(すへ)はかり知(し)られぬ歳(とし)を終(を)へんと出來得(できう)べきかと自(みづか)ら自(みづか)らの心(こゝろ)を勵(はげ)まし奮然(ふんぜん)として志(こゝろざし)を起(をこ)し、かよはき女子(をなご)の身(み)にて男子(だんし)の集合(しふごう)したる行者會(ぎやうじやくわい)ぶ難行苦行(なんぎやうくぎやう)を甘(あまん)んじ受(う)けんと決心(けつしん)せしぞ勇(いさ)ましけれ、多(おほ)くの行者等(ぎやうじやら)はウゼノの死去(しきよ)せし後(のち)は定(さだ)めてマリンは行者會(ぎやうじやくわい)を脱(だつ)するならんと心組(こゝろぐみ)なし居(ゐ)けるにさはなくて却(かへ)りて父(ちゝ)ありし頃(ころ)よりも信心(しんじん)一層(いつそう)の度(ど)を増(ま)したらん如(ごと)く謙遜辭讓(けんそんじやじう〔じやう〕)倍々(ます/\)厚(あつ)く柔順(じうじゆん)なること諸行者(しよぎやうじや)中(ちう)にも其(その)比(くらべ)なき迄(まで)なりければ院長(いんちやう)は更(さら)にも云(い)はず諸々(もろ/\)の行者等(ぎやうじやたち)一度(いちど)に驚(をどろ)き感(かん)じつゝ賞(しやう)せざるものなかりき此(この)行者會(ぎやうじやくわい)の建(た)てられたる所(ところ)よりして三里(り)ばかり隔(へだた)りたる邊(ほとり)一市街(いつのまち)あり行者會(ぎやうじやくわい)の食糧(かて)及(およ)び諸雜品(おほくのもの)は皆(みな)此處(このところ)にて買(か)ひ調(ととの)ふるを常(つね)とせりさりながら此(この)使(つか)ひとしては非常(ひじやう)に道德(どうとく)堅(かた)く温柔(をとなしき)なるものならでは能(あた)はざることなれば是迄(これまで)は一高弟(いちかうてい)とも云(い)ふべき行者(ぎやうじや)の任(つとめ)なりしが院長(いんちやう)はマリンが至(いた)つて温和(をとなしき)なるを愛(あい)し且(か)つ其(その)道德(どうとく)のたしかなるを信(しん)ぜしかばやがて諸行者(しよぎやうじや)と評議(さうだん)の末(すへ)終(つひ)にマリンを此(この)重役(おもやく)に撰拔(えらみいた)せり。マリンは此(この)重任(ぢゆうにん)に當(あた)りしを大(おほい)に悦(よろこ)び我(わが)信仰(しんかう)の程(ほど)を試(こゝろみ)んは此時(このとき)なりとて其(その)後(ご)は此(この)ことにいそしみけり。さる程(ほど)にマリンは彼(この)市街(まち)に度々(たび/\)往(ゆ)くこととて市内(まちなか)の人々(ひとびと)に名(な)を知(し)らるゝ樣(やう)になりかつ温和(をとなしく)、謙遜(へりくだる)なるを愛(あい)せられて評判(ひやうばん)市中(まちぢ〔ゆ〕う)に高(たか)くなれり然(しか)るに惡魔(あくま)はマリンの信仰(しんかう)厚(あつ)きをいたく嫉(ねた)み、神(かみ)乞(こふ)ふて是(これ)に害(がい)を與(あたへ)んことを望(のぞ)めり、神(かみ)も其(その)信仰(しんかう)の度(ど)を試(こゝろみ)んが爲(た)めにこを赦(ゆる)せり此(こゝ)に於(おい)て惡魔はいたく悦喜(よろこび)し己(おのれ)が技量(わざ)を盡(つく)してマリンに害(がい)を與(あた)へ初(めはじ)めたり。此(この)町(まち)の魚店(さかなや)に一人(ひとり)の娘(むすめ)あり性(せい)甚(はなは)だ放逸(みだら)にて所謂スレカラシと云ふなればいつしかマリンの男(をとこ)ぶり(マリンは女(をんな)なれ共(ども)男裝(をとこすがた)し居(を)れば誰(たれ)しも男(をとこ)と思(おも)ひ〔た〕り)のよきに思(おも)ひをかけ、いかにもして我(わが)心(こゝろ)に從(したが)はせんと自(みづか)らの家(うち)に來(く)る毎(ごと)に言(い)ひよりけるが「マリンは心(こゝろ)におかしく柳(やなぎ)に受(う)けて居(ゐ)たりける。娘(むすめ)はしば/\口説(くど)きけれども少(すこ)しもマリンの從(したが)はざるを大(おほい)に恨(うら)みいつか此(この)恨(うらみ)を晴(は)らすべしと考(かんが)へ居(ゐ)ける。かゝる女(をんな)なれば間(ま)もなく或(ある)男(をとこ)と姦通(かんつう)し遂(つい)に妊娠(にんしん)したりしかば兩親(ふたおや)いたく憤(いきどう)り其(その)相手(あいて)を白狀(はくじやう)せよと責(せ)めたり娘は此時(このとき)こそマリンに恨(うらみ)を晴(はら〔は〕)らす時(とき)なりと思(おも)ひ相手(あいて)は行者(ぎやうじや)マリンなりといつはり告(つ)げぬ。兩親(ふたおや)はいたく憤怒(いかり)し直(ただ)ちに行者會(ぎやうじやくわい)に至(いた)りて其事(そのこと)を院長(いんちやう)に話(はな)しかゝる※[やぶちゃん注:※=「言」+「爲」。]善者(ぎぜんしや)は一日(いちじつ)もはやく此所(このところ)を立去(たちさ)らるゝ樣(やう)はからはれたし我(わが)娘(むすめ)は彼人(かのひと)の爲(ため)に疵者(きずもの)となれりと談(だん)じかけしかば院長(いんちやう)大(おほい)に驚嘆(おどろき)し直(ただ)ちにマリンを膝下(ひざもと)に呼(よ)びよせ嚴(きび)しく其(その)罪(つみ)を責(せ)めたり、され共(ども)マリンは少(すこ)しも返答(こたへ)なく只(ただ)心(こゝろ)に神に禱(いの)り猶(なほ)一層(いつそう)の苦(くるし)みを我身(わがみ)に與(あた)へ給(たま)へとぞ願ひける。院長(いんちやう)はマリンの答(こた)へなきを見(み)て益(ます/\)是(これ)を事實(じじつ)なりと誤解(ごかい)し此(この)行者會(ぎやうじやくわい)の創立(たてはじめ)以來(このかた)はや十數年(すねん)の久(ひさ)しき間(あいだ)一人(いちにん)のかゝる汚行(けがれしをこなひ)をなせし者(もの)なきにマリンを行者會(ぎやうじやくわい)より放逐(ほふちく)せり。マリンは素(もと)より決心(こゝろきめ)せしことながら流石(さすが)に女子(をなご)の身なれば長(なが)の歳月(としつき)此會(こゝ)に住みなれてあらぬ罪(つみ)を身(み)にかふむり出(い)でゝ行身(ゆくみ)いとかなしく幾度(いくど)となく顧(かへりみ)て父(ちゝ)の墳墓(ふんぼ)に遠(とおざ)かる心(こゝろ)の内(うち)ぞいたましき。かくて此(こゝ)を去(さ)りし后(のち)は淋(さび)しき野邊(のべ)に家(いへ)とは名(な)のみ雨露(あめつゆ)を凌(しの)ぐにも足(た)らざるあばらやを女子(をなご)の手一(てひと)つにて漸(やうや)くしつらひ此所(このところ)に入(い)りて夜(よ)となく晝(ひる)となく神(かみ)に禱(いのり)を捧(ささ)げ道(みちゆ)く人(ひと)の爲(ため)にも祈(いの)りつゝ三度(さんど)の食事(くひもの)も思(おも)ふまゝには食(しよく)せず只(ただ)命(いのち)を保(たも)つばかりなるぞ哀(あは)れなる。
かゝる可憐(かれん)なる乙女(をとめ)にかゝる苦難(くるしみ)を與(あた)へても惡魔(あくま)は尚(なほ)飽(あ)き足(た)れりとなさず、叉ゝ(また/\)一(ひと)つの苦(くるしみ)をぞ與(あた)へける。そは其頃(そのころ)の法律(をきて)にて若(も)し姦通(かんつう)にて小兒(こども)出生(しゆつしやう)する時(とき)は男兒女兒(をのこめのこ)の別(わかち)なくすべて是(これ)を男子(だんし)の手(て)にて養(やしな)ふことなりけりば彼(か)の魚店(さかなや)の娘(むすめ)は心太(こゝろふと)くも妊娠(にんしん)して出生(うまれ)したる小兒(こども)の乳(ちゝ)ばなれすると其(その)まゝマリンの移住地(すみか)に持(も)ち行(ゆ)きて渡(わた)したり、マリンは是(これ)を少(すこ)しもいままず心(こゝろ)よく受(うけ)取(と)りて貧苦(ひんく)の身(み)として姦通(かんつう)し其兒(そのこ)養(やしな)ふて耻(はづ)る色(いろ)なくあまつさへ食(しよく)を人(ひと)に乞(こ)ふとは見(み)るも汚(けが)らはしき者(もの)なりとて是迄(これまで)のこと知(し)るものは惠(めぐみ)與(あた)へることいと尠(すく)なし、かゝる辛苦(つらきくるしみ)に少(すこ)しも屈(くつ)せず片時(かたとき)も神(かみ)の御名(みな)を口(くち)に絶(た)やすことなく足手(あして)まとひの他人(たにん)の子(こ)を我身(わがみ)の食(しよく)を減(げん)じても小兒(こども)には餓(う)へを感(かん)ぜしめず我身(わがみ)の衣(ころも)を薄(うす)ふしても小兒(こども)には寒(さむ)さを覺(おぼ)へしめざる樣(やう)此(この)淋(さび)しき山野(やまの)を厭(いと)はず此(この)信用(しんよう)地(ち)に落(を)ちたる地(ち)を嫌(きら)はず苦(くる)しみの上に尚(なほ)益(ます/\)苦(くるしみ)を與(あた)へられんことを切望(しきりにのぞむ)しつゝ五ヶ年の星霜(つきひ)を艱難(かんなん)の内(うち)に送(おく)りけるは、いともあはれに勇(いさま)しき忍耐(にんたい)の程(ほど)ぞありがたき。
行者會(ぎやうじやくわい)の人々(ひとびと)はマリンの忍耐(にんたい)を見、にたすら罪(つみ)を償(つぐな)はんとする樣(さま)を見聞(みきゝ)して、いたく哀(あわ)れを催(もよ)ふし、一同(いちどう)に院長(いんちやう)の前(まへ)に出(い)でゝマリンの忍耐(にんたい)のたしかなるをのべ、赦免(ゆるし)あらんと乞(こ)ひけるが院長(いんちやう)はたやすく是(これ)受引(うけひ)かずかぶりをのみふりけるが行者等(ぎやうじやら)の度々(たび/\)乞(こ)ふて止(や)まざるにぞさらば心(こゝろ)まかせにせらるべしと許(ゆる)したり、諸行者等(しよぎやうじやら)は大(おほい)に悦(よろこ)び直(ただ)ちにマリンの許(もと)に人(ひと)を走(はし)らせ赦免(ゆるし)の由(よし)言(い)ひつかはしければマリンも甚(はなはだ)悦(よろこ)びて其(その)試写(ししや)と共(とも)に來(きた)れり。され共(ども)もとの如(ごと)く諸行者(しよぎやうじや)と同(おな)じく住(す)み諸行者(しよぎやうじや)と同(おな)じく食(しよく)するにはあらず、恰(あたか)も諸行者(しよぎやうじや)の奴僕(しもべ)の如(ごと)く使役(つかふ)すべしと院長(いんちやう)は命(めい)を下(くだ)したり
マリンが行者會(ぎやうじやくわい)に皈(かへ)り來(きた)りし時(とき)の有樣(ありさま)は實(じつ)に哀(あは)れむべきものあり。其(その)豐(ゆた)かなりし頰(ほゝ)の肉(にく)は落(お)ちて骨(ほね)を露(あら)はし、其(その)濃(こ)く引(ひ)かれたる眉(まゆ)、其(その)白(しろ)く玉(たま)の如(ごと)かりし肌(はだ)、紅(くれなひ)をさしたらん如(ごと)くなる唇(くちびる)、ふさ/\として柔(やわら)かなりし髮(かみげ)、皆(みな)昔(むかし)の姿(すがた)は消(き)へて異人(ことびと)とのみぞ見(み)ゆめり。かく長(なが)の歳月(としつき)苦(くるし)みに苦(くるし)みを重(かさ)ねて漸(やうや)會(くわい)に皈(かへ)り來(きた)りしかば心(こゝろ)の梁(は)り、しだひにゆるびて、其(その)后(ご)二月(ふたつき)ばかり經(へ)て終(つひ)に此世(このよ)を遠逝(ゑんせい)せり。
マリン死去(しきよ)せしと聞(きこ)へしかば諸行者等(しよぎやうじやら)人(ひと)を賴(たのみ)て其(その)死躰(したい)を洗(あら)はせたりしに其折(そのをり)始(はじ)めて彼(か)の男(をとこ)にあらずして女なりしこと顯(あらは)れたり。諸行者等(しよぎやうじやら)は云(い)ふも更(さら)なり院長(いんちやう)の駭(をどろ)き大方(をふかた)ならず、直(ただ)ちに死躰(したい)の前(まへ)に往(ゆ)きて地(ち)に伏(ふ)し吾(われ)知(し)らずして此(この)歳月(としつき)聖人(せいじん)を苦(くる)しめしことまことに罪(つみ)萬死(ばんし)に當(あた)れりとて大(おほい)に謝(しや)したり。かくて其(その)ことあたり隠(かく)れなく傳(つた)はりしかば先(さき)に罵(ののし)りたる人々(ひとびと)皆(みな)明(めい)なきを耻(は)ぢかつ悔(くや)みける。此(こゝ)に聖人(せいじん)を苦(くるし)めたる魚店(さかなや)の娘(むすめ)は此(この)ことを聞(きく)やいな恐(おそ)れ戰(おのゝ)き忽(たちま)ち魔(あくま)の爲(ため)に魅(み)せられていたくなやみ苦(くるし)みたり。行者會(ぎやうじやくわい)の院長(いんちやう)ははやくも此(この)ことをきゝつけいそぎ其(その)娘(むすめ)を伴(ともな)ひ來(きた)りてマリンの衣服(きもの)に觸(ふ)れしめしかばやがて魔(あくま)は退(の)きて娘(むすめ)はもとの身(み)となりたり此(こゝ)に於(おい)て彼(かれ)は其〔甚〕(はなはだ)前非(まへのつみ)を悔(く)ひ、マリンの死躰(したい)の前(まへ)にて是迄(これまで)の己(おのれ)がせしあしきことを、遺(のこ)す所(ところ)なく白狀(はくじやう)せりとぞ、マリンが死後(しご)の奇蹟(ふしぎ)はこれのみならず色々(いろ/\)樣々(さまざま)の大(おほひ)なる不思議(ふしぎ)ありしかば時人(ときのひと)大(おほい)にマリンの謙遜(へりくだり)にして其(その)熱信(ねつしん)の度(ど)の非常(ひじやう)に高(たか)かりしを賞(しよう)しあひけるとぞ。
[やぶちゃん注:底本では、以下の文章はすべて一字下げ。]
此マリンの不撓(たゆまざる)なる大忍耐(だいにんたい)をもて吾々(われ/\)が日々(ひゞ)の行(をこなひ)に比(くらべ)せば其(その)差(ちがひ)幾何(いくばく)ぞや、まことに雲泥月龞(うんでいげつべい〔べつ〕)の嘆(たん)なき能(あた)はず。然(しか)れ共(ども)、吾々(われ/\)亦(また)是(これ)をなし能(あた)はざるにあらず、麤(そ)より細(さい)に入(い)り、俗(ぞく)より雅(が)に入(い)るの予(われ)を守(まも)つて、然(しか)してことをとらば、遂(つい)には此(この)マリンの如(ごと)き大忍耐(だいにんたい)を成就(じやうじゆ)して聖人(せいじん)の尊號(そんがう)を握(にぎ)ることを得(う)べきなり。
■ルビ排除版
○聖マリナ 六月十八日
後世聖人 尊號を受けて樂土にたのしき眠をとるもの數百の多きに至ると雖も皆苦を好み難を樂む人々のみなるがゆゑに未信者は勿論信徒と雖も時としては是行を見て狂人のしはざとなし指し笑ふ者少からず、然れども是聖人の深き心意を吾らざるの愚人の致す處のみ何ぞ談ずるに足るべきや古來聖人名譽心爲めに神に其身上を祈るにあり今此に説き出す傳記はかゝる内に於て最も面白く最も愉快なる聖人の物語なり。
昔し亞弗利加の國ウゼノと稱する人ありけり妻との中に一女子ありて不足もなく此世を暮らしつゝありしが盈つれば缺くる世の習ひ夜半に嵐の吹かぬものかは、一年其妻は夫に先ちて葉末にをく露よりもろく此世を去りしかばウゼノの慨き一方ならず、朝夕妻のことのみ思ひなやみて哀みの淵に沈みつゝ世あじきなく暮しければそが朋友等大に心をいためさまざまに慰め諫むれども、かへりて是うるさしとていつかな用ふる氣色なく唯部屋にのみたれこめて鬱々として日を消しぬ。その頃亞弗利加の最と淋しき片山里に一の行者會と云ふものありけり。ウゼノは兼ねて耳にせしかば我も是に入りて濁りたる浮世のきづなを絶ち切らんと思ひ立ちしが一人の娘を捨て置きて往かるべきにあらねば兎やせん角やと思ひ煩ひけるが此行者會は女子の入會を嚴禁せしかば共に拉へ往く能はず是非なく娘は其わたりの親戚が許に托し居きて自らは直ちに行者會へと一身を投じぬ。かくて亡妻の慨も漸く薄らぎしだけに安心の域に立ち行きけれど冬の雪秋の月親戚の許に托し居きたる最愛の一人娘妻が片身の面影を思ひ出でゝは淚ハラ/\と膝に落ちて安堵の胸も亦曇りがちになりていとゞ堪へがたく覺へしかばいつしかに顏に現れたり、院長は此樣子をはやくも見てとりウゼノに向つて胸の内のうやむや逐一我に話し玉へと懇に問ひかけしかばウゼノは是に答ふる樣、己れ一人の子あり、さりながら今は親戚のかゝり人となり某の里にあり耻しながらそがことを思ひ出でゝかくは物思ふ身となりぬと云ふ。院長も深く其心を憐みて根問ひもせずに其引取を許したり。かゝりしかばウゼノの悦一方ならず直ちに自ら出向きて伴ひ來れり、されども女子にては伴ひ來られず故に男の裝をなしてつれ來り名をマリンと改めさせたり。
ウゼノはかくして一先心を安んじけるが、さるにても子供の身にて行者の如き嚴格なる規則を守り得べきかと叉々一つの心がゝり出來りしが此マリンすこしも嫌ふ氣色なくいとまめ/\しく働きて朝は早朝に起き出で、夜は更るをも知らず、マリン此處に來りしより男の形に裝ほひしかば女子のたしなみとて重んぜらるゝ顏のつくり衣服の飾なんどなすは思ひもよらねどこを少しもいたふことなく常に男のものごしに扮するを難しとせず勤めて人にさとられざるやうになしける。故多くの行者一人として是を女子なりと思ふものなく皆男として交りぬ。かくて春秋流水の如くマリン十七歳となりける年父ウゼノは風の心地とて打臥せしまゝ終に得起ず、臨終に及びてマリンを枕邊に呼近づけ後々の事ども懇に言置やがて眠る如く死につけり。マリンは父に別れし身の心かなしく其當座はなきかなしみてのみありけるが、なきかなしみありけるが父が臨終のきはに禱を神に捧げて受得玉ひし言ふなる我身の行末。此行者の集にありて身を終れよとの玉ひたる父の御言葉かく心よはくては男の集にありて末はかり知られぬ歳を終へんと出來得べきかと自ら自らの心を勵まし奮然として志を起し、かよはき女子の身にて男子の集合したる行者會ぶ難行苦行を甘んじ受けんと決心せしぞ勇ましけれ、多くの行者等はウゼノの死去せし後は定めてマリンは行者會を脱するならんと心組なし居けるにさはなくて却りて父ありし頃よりも信心一層の度を増したらん如く謙遜辭讓倍々厚く柔順なること諸行者中にも其比なき迄なりければ院長は更にも云はず諸々の行者等一度に驚き感じつゝ賞せざるものなかりき此行者會の建てられたる所よりして三里ばかり隔りたる邊一市街あり行者會の食糧及び諸雜品は皆此處にて買ひ調ふるを常とせりさりながら此使ひとしては非常に道德堅く温柔なるものならでは能はざることなれば是迄は一高弟とも云ふべき行者の任なりしが院長はマリンが至つて温和なるを愛し且つ其道德のたしかなるを信ぜしかばやがて諸行者と評議の末終にマリンを此重役に撰拔せり。マリンは此重任に當りしを大に悦び我信仰の程を試んは此時なりとて其後は此ことにいそしみけり。さる程にマリンは彼市街に度々往くこととて市内の人々に名を知らるゝ樣になりかつ温和、謙遜なるを愛せられて評判市中に高くなれり然るに惡魔はマリンの信仰厚きをいたく嫉み、神乞ふて是に害を與んことを望めり、神も其信仰の度を試んが爲めにこを赦せり此に於て惡魔はいたく悦喜し己が技量を盡してマリンに害を與へ初めたり。此町の魚店に一人の娘あり性甚だ放逸にて所謂スレカラシと云ふなればいつしかマリンの男ぶりなれ共男裝し居れば誰しも男と思ひ〔た〕り)のよきに思ひをかけ、いかにもして我心に從はせんと自らの家に來る毎に言ひよりけるが「マリンは心におかしく柳に受けて居たりける。娘はしば/\口説きけれども少しもマリンの從はざるを大に恨みいつか此恨を晴らすべしと考へ居ける。かゝる女なれば間もなく或男と姦通し遂に妊娠したりしかば兩親いたく憤り其相手を白狀せよと責めたり娘は此時こそマリンに恨を晴らす時なりと思ひ相手は行者マリンなりといつはり告げぬ。兩親はいたく憤怒し直ちに行者會に至りて其事を院長に話しかゝる※[やぶちゃん注:※=「言」+「爲」。]善者は一日もはやく此所を立去らるゝ樣はからはれたし我娘は彼人の爲に疵者となれりと談じかけしかば院長大に驚嘆し直ちにマリンを膝下に呼びよせ嚴しく其罪を責めたり、され共マリンは少しも返答なく只心に神に禱り猶一層の苦みを我身に與へ給へとぞ願ひける。院長はマリンの答へなきを見て益是を事實なりと誤解し此行者會の創立以來はや十數年の久しき間一人のかゝる汚行をなせし者なきにマリンを行者會より放逐せり。マリンは素より決心せしことながら流石に女子の身なれば長の歳月此會に住みなれてあらぬ罪を身にかふむり出でゝ行身いとかなしく幾度となく顧て父の墳墓に遠かる心の内ぞいたましき。かくて此を去りし后は淋しき野邊に家とは名のみ雨露を凌ぐにも足らざるあばらやを女子の手一つにて漸くしつらひ此所に入りて夜となく晝となく神に禱を捧げ道く人の爲にも祈りつゝ三度の食事も思ふまゝには食せず只命を保つばかりなるぞ哀れなる。
かゝる可憐なる乙女にかゝる苦難を與へても惡魔は尚飽き足れりとなさず、叉ゝ一つの苦をぞ與へける。そは其頃の法律にて若し姦通にて小兒出生する時は男兒女兒の別なくすべて是を男子の手にて養ふことなりけりば彼の魚店の娘は心太くも妊娠して出生したる小兒の乳ばなれすると其まゝマリンの移住地に持ち行きて渡したり、マリンは是を少しもいままず心よく受取りて貧苦の身として姦通し其兒養ふて耻る色なくあまつさへ食を人に乞ふとは見るも汚らはしき者なりとて是迄のこと知るものは惠與へることいと尠なし、かゝる辛苦に少しも屈せず片時も神の御名を口に絶やすことなく足手まとひの他人の子を我身の食を減じても小兒には餓へを感ぜしめず我身の衣を薄ふしても小兒には寒さを覺へしめざる樣此淋しき山野を厭はず此信用地に落ちたる地を嫌はず苦しみの上に尚益苦を與へられんことを切望しつゝ五ヶ年の星霜を艱難の内に送りけるは、いともあはれに勇しき忍耐の程ぞありがたき。
行者會の人々はマリンの忍耐を見、にたすら罪を償はんとする樣を見聞して、いたく哀れを催ふし、一同に院長の前に出でゝマリンの忍耐のたしかなるをのべ、赦免あらんと乞ひけるが院長はたやすく是受引かずかぶりをのみふりけるが行者等の度々乞ふて止まざるにぞさらば心まかせにせらるべしと許したり、諸行者等は大に悦び直ちにマリンの許に人を走らせ赦免の由言ひつかはしければマリンも甚悦びて其試写と共に來れり。され共もとの如く諸行者と同じく住み諸行者と同じく食するにはあらず、恰も諸行者の奴僕の如く使役すべしと院長は命を下したり
マリンが行者會に皈り來りし時の有樣は實に哀れむべきものあり。其豐かなりし頰の肉は落ちて骨を露はし、其濃く引かれたる眉、其白く玉の如かりし肌、紅をさしたらん如くなる唇、ふさ/\として柔かなりし髮、皆昔の姿は消へて異人とのみぞ見ゆめり。かく長の歳月苦みに苦みを重ねて漸會に皈り來りしかば心の梁り、しだひにゆるびて、其后二月ばかり經て終に此世を遠逝せり。
マリン死去せしと聞へしかば諸行者等人を賴て其死躰を洗はせたりしに其折始めて彼の男にあらずして女なりしこと顯れたり。諸行者等は云ふも更なり院長の駭き大方ならず、直ちに死躰の前に往きて地に伏し吾知らずして此歳月聖人を苦しめしことまことに罪萬死に當れりとて大に謝したり。かくて其ことあたり隠れなく傳はりしかば先に罵りたる人々皆明なきを耻ぢかつ悔みける。此に聖人を苦めたる魚店の娘は此ことを聞やいな恐れ戰き忽ち魔の爲に魅せられていたくなやみ苦みたり。行者會の院長ははやくも此ことをきゝつけいそぎ其娘を伴ひ來りてマリンの衣服に觸れしめしかばやがて魔は退きて娘はもとの身となりたり此に於て彼は其〔甚〕前非を悔ひ、マリンの死躰の前にて是迄の己がせしあしきことを、遺す所なく白狀せりとぞ、マリンが死後の奇蹟はこれのみならず色々樣々の大なる不思議ありしかば時人大にマリンの謙遜にして其熱信の度の非常に高かりしを賞しあひけるとぞ。
[やぶちゃん注:底本では、以下の文章はすべて一字下げ。]
此マリンの不撓なる大忍耐をもて吾々が日々の行に比せば其差幾何ぞや、まことに雲泥月龞の嘆なき能はず。然れ共、吾々亦是をなし能はざるにあらず、麤より細に入り、俗より雅に入るの予を守つて、然してことをとらば、遂には此マリンの如き大忍耐を成就して聖人の尊號を握ることを得べきなり。