やぶちゃんの電子テクスト集:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇へ
鬼火へ
生物學講話 丘淺次郎 藪野直史注釈附 目次頁へ戻る
生物學講話 丘淺次郎 はしがき 附藪野直史冒頭注を読む


生物學講話 第二章 生命の起り
第二章 生命の起り
 一 個體の起り

 二 種族の起り
 三 生物の始め
 四 刹那の生死

    第二章 生命の起り

 さて生物は如何に食ひ如何に産み如何に死ぬかをのべる前に、一通り生命の起こりについて説いておく必要がある。已に出來上がつて居る生物の生活狀態を論ずるに當つては、それが初め如何にして生じたものであつても構はぬやうに思はれるが、事柄によつてはその生じた起こりを考へぬと誤に陷り易いこともあり、特に死について論ずる場合の如きは、決して生の起源を度外視するわけには行かぬ。而して生命の起りといふ中には種々の問題が含まれてある。例へば今、目の前にある生物の各個體は如何にして起つたかといふ問題もあれば、その生物個體の屬する種族は如何にして起つたかといふ問題もあり、更に遡れば、一體地球上の生物は最初如何にして生じたかといふ問題も解かねばならぬ。又生物の身體をなせる生きた物質は日々取り入れる食物が變じて生ずる外に途はないが、死んだ食物が如何に變化して生きた組織となるか、熱や運動は原因なしには決して生ぜぬものであるが、生物の日々現す運動や熱は抑々何處にその原因があるかといふやうな問題も自然に生ずる。これらはいづれも中々大問題であるが、その中には今日の知識を以て稍々確かな解決の出來るものと、殆ど何の返答も出來ぬ程の困難なものとがある。例へば生物の各個體は如何にして起つたかといふのは發生學上の問題で、これは已に研究も進んで居るから大體に於ては誤のない答をすることが出來やう。又生物の各種族は如何にして起つたかといふことは生物進化論の説く所で、今日に於ても詳細の點に關しては尚學者間に議論はあるが、大要だけは已に確定したものと見做して差支へはなからう。之に反して、地球上には初め如何にして生物が生じたかといふ問題は實驗で證明することも出來ず、遺物から推察するわけにも行ゆかず、たゞ想像によるの外はないから、これまで隨分出放題と思はれるやうな假説さへも眞面目に唱へられたことがあり、今日と雖も未だ確かな返答をすることは出來ぬ。次に生物の體内に於ける物質の變遷や力の轉換は所謂生物化學および生物物理學の研究する所で、近來はそのための專門雜誌も出來、報告の數から見ると頗る目醒しい進歩をした。十餘年前、英國理學奨勵會の席上でフィッシャーといふ生理學者が生命の起こりについて演説したのも、生物化學の進歩に基いたことであつたが、この演説はロイテルから世界各國へ電報で知らせたゆえ、「生命人造論」などといふ勝手な見出しで新聞紙に掲げられ、我が國でも一時評判になつた。未だ解らぬ方を見ると、實に尚前途遼遠の感があるが、今日までの研究の結果、一歩づつこの間題の解決の方向に進み來つたることは疑ない。本章に於ては、以上の諸問題に就て極めて簡單に述べて、各種生物の生活狀態を論ずる前置として置く。
[やぶちゃん注:「フィッシャー」それらしき人物としては、現代推計統計学の確立者として、また、集団遺伝学の創始者として知られるイギリスのネオダーウィニズムの生物学者であったサー・ロナルド・エイルマー・フィッシャー(Sir Ronald Aylmer Fisher 一八九〇年~一九六二年)がいるが、初版の記載から考えると二十四歳ということになり、年齢が若過ぎる。実はこの部分、大正五(一九一六)年初版では、
『一昨々年の秋、英國理學奨勵會の席上でシェーフェルといふ生理學者が』
となっている。全集を底本として校訂を行ったと記す講談社学術文庫版では、
「シェーフェル」
となっているから、「シェーフェル」が正しいものと思われる(そもそも第四版で何故誤った記載に変更したのかが不思議である)。そしてこれはイギリスの生理学者・医学者エドワード=シャーピー=シェーファー(Edward Albert Sharpey-Schafer 一八五〇年~一九三五年)のことを指していると思われる。彼は糖尿病の原因が膵臓からのインスリンの分泌量にあることを確認、インスリンやエンドコリン等の命名者として知られる。ただ、この「生命の起こりについて演説した」内容はよく分からない。識者の御教授を乞うものである。]

      一 個體の起り

 一人づつの人間、一疋づつの犬や猫が、如何にして生じたかといふ問は前に掲げた問題の中では一番答へ易いものである。即ち先づ親があり、親の生殖の働によつて新に生じたものであると答へることが出來る。犬・猫の如く胎生するもの、鷄・家鴨の如く卵生するものの區別はあるが、常に人の見慣れて居る高等動物では、子が必ず親から生まれることはいづれの場合にも極めて明瞭である。併し少しく下等の動物になると、卵や幼蟲が頗る小さいために容易に見えず、その結果としてどの子がどの親から生まれたか少しも分からぬことが珍しくない。昔の本草の書物を見ると、生物の生ずるには胎生・卵生・化生・濕生の四通りの出來方があると書いてあるが、胎生と卵生とは別に説明にも及ばぬとして、化生とは如何なることかといふと、これは無生物もしくは他種の生物から突然變化して生ずるのであって、腐草化して螢となるとか、雀海中に入っては蛤となるとかいふのがその例である。山の芋が鰻になるとか鰌が「いもり」になるとか「けら」が「よもぎ」になるとかいふ如き傳説は、どこの國にもあつて一般に信ぜられて居た。また濕生といふのは何等の種もなしに、たゞ濕氣のある所に自然に生ずるので、俗語で「湧く」といふのが即ちそれである。例へば古い肉に蛆が湧いたとか、新しい堀に鰻が湧いたとか、腹の中に囘蟲が湧いたとかいふ類が、皆これに屬する。さて斯やうな化生とか濕生とかによつて、生物の出來ることは實際にあるものであらうか。
 實物に就て實際に調べて見ると、昔から化生とか濕生とか稱へ來つたものは悉く觀察の誤りで、無生物から或種類の生物が突然生じたり、甲種の生物が突然變じて乙種の生物となつたりすることは決してない。海岸地方では漁夫が頻に「ひとで」が貝を産むと主張することがあるが、その理由を聞いて見ると、たゞ「ひとで」の腹の中にはいつでも必ず小さな貝があるといふに過ぎぬ。「ひとで」は主として貝を食ふもので、小さな貝ならばこれを丸呑みにするから、その腹の中に介殼のあることは素より當然であるが、漁夫はそのやうなことには構はず相變らず「ひとで」は貝を産むものと思ひ込んで居る。田の籾が小蝦になるといふ地方もあるがこれも同樣な誤である。又針金蟲というて長さ二尺〔約六一センチメートル弱〕以上にもなる實際針金のやうに極めて細長い蟲があるが、之を馬の尾の長い毛が水中に落ちて變じたものと信じて居る處がある。恐らく細さと長さとから考へて、馬の尾の毛より外に之に似た物はないと定めて斯く信ずるのであらうが、この蟲の幼蟲は「かまきり」の腹の中に寄生して居る細長い蟲で、子供らは「元結」と名づけてよく知つて居る。田圃道などを散歩すると屢々昆蟲が植物に變じ掛つたかと思はれるものを見つけることがある。之は冬蟲夏草というて、昔の書物には冬は蟲になり夏は草になるなどと書いてあるが、實は「けら」・「いなご」・「せみ」などの身體に菌が附着し、蟲の體から汁を吸うて成長して幹を延ばしたものに過ぎぬ。「ゐもり」は鰌から變じて生ずるといふ地方があるが、これは恐らく「ゐもり」の幼兒が極めて鰌の子に似て居る所から起つた誤りであらう。斯くの如く、從來化生と思はれたものは丁寧に調べて見ると悉く觀察の誤りであつて、甲種の生物が突然變じて乙種の生物を生ずるといふ確な例は今日の所では一つもない。
[やぶちゃん注:「針金蟲」脱皮動物上門類線形動物門 Nematomorpha 線形虫(ハリガネムシ)綱 Gordioidea に属する生物の総称。かつては、ミミズや回虫などの線虫である線形動物門 Nematoda と似ていたため、そこに含めて考えられていたが、現在では上記のような別門とするのが一般的である。線虫類とは異なり、体に伸縮性がなく、のたうち回るような特徴的な動き方を示す。体は左右対称、種によっては体長数センチメートルから一メートルに達し、直径は一~三ミリメートと細く長い。内部には袋状の体腔があって表面はクチクラで覆われ、体節はない。カマキリ(主にハラビロカマキリ)・バッタ・ゴキブリといった昆虫類に寄生する。本文中に異名で示される「元結」は「もとゆい」「もっとい」と読み、昔の日本髪を結う際に紙を束ねて縛る蠟引きの紙紐と形状が似ることによる。「ゼンマイ」という地方名もある。英名の“horsehair worms”は馬の洗い水桶の中から発見されたことに依るもので、本邦の俗信と同根である(ジャガイモや大根などの害虫として知られている「ハリガネムシ」は本種とは全く無縁な鞘翅(コウチュウ)目カブトムシ亜目コメツキムシ上科コメツキムシ科 Elateridae に属するマルクビクシコメツキ・クロクシコメツキ等の幼虫で、形状も全く異なる)。水棲生物であるが、生活史の一部を昆虫類に寄生して過ごす。水中に産卵された卵は孵化し、その幼虫は水と一緒に飲み込まれて水棲昆虫に寄生する。その宿主をカマキリなどの陸上生物が捕食、その体内で寄生生活を送って成虫になる。寄生された昆虫は生殖機能を失う。成虫になると、何らかの方法で宿主から出て、池沼や流れの緩やかな川辺等の水中で自由生活し、交尾・産卵を行なう。陸上生物に寄生した場合は水中に脱出する機会に恵まれず、陸上でそのまま乾燥して文字通り、錆びた鉄の針金のように硬くなるが、水分が与えられれば復元し得る能力を保持している。一般的に寄生生物は宿主と運命を共にするが、ハリガネムシの場合は宿主が上位者に捕食される際には宿主の体外に出ようとする行動をとるとも言われている。ヒトへの寄生例が数十例あるようだが、いずれも偶発的事象と見られ、しばしば手に載せたハリガネムシが爪の間から体内に潜り込むと言われるのは都市伝説の類いで、最終宿主から成虫が新たな寄生生活に入ることはない(以上は主にウィキの「ハリガネムシ」を参照した)。
「冬蟲夏草」虫に寄生した菌類が虫からキノコを生やしたもので、現在はこの菌を菌界子嚢菌門核菌綱ボタンタケ目バッカクキン科冬虫夏草属 Cordyceps の昆虫寄生菌に対する総称として用いられる(但し、昆虫に寄生する菌類は他にも自然界に多数存在することが知られ、それらも同様な現象を引き起こして「冬虫夏草」様のものを形成する場合もあるので注意が必要である)。昆虫や蛛形類・唇脚類等の幼体や成虫の体内に入った菌は菌糸を伸ばして生長、やがて被寄生個体の体内を完全に占領する(虫はこの時は既に死んでいる)。虫の体型は余り崩れないが、内部の菌糸が密に固まって硬い菌核という組織を形成し、やがて温度・湿度などの条件によって菌核組織からキノコが生ずる。この時の状態が虫から草が生じたように見える。キノコは種類によってかなり異なるが、多くは細く伸び上がって先は少し膨らんで小さな疣状突起で覆われる。このいぼ状突起が成熟すると先端から胞子が放出され、その胞子が再び新しい虫に付着、寄生する。セミタケ Cordyceps sobolifera・サナギタケ Cordyceps militaris (蝶や蛾などの鱗翅目の昆虫のサナギに寄生)・ミミカキタケ Cordyceps nutans(カメムシの成虫に寄生)等、多数。中国や朝鮮を中心に不老不死や強壮剤として扱われ、現在でも漢方の生薬や薬膳食材として珍重・市販されている。生薬としては健肺・強壮・抗癌効果を謳うが、その薬理効果の証明は難しいとされている(以上は主に平凡社「世界大百科事典」及びウィキの「冬虫夏草」に拠った)。]


[蠶の繭より蛆の匐ひ出す狀]

 また濕生といふ方もこれと同樣で、如何に濕つて居ても今まで何もなかつた處へ親なしに子だけが偶然生ずるといふ如きことは決してない。古い肉に蛆が生ずるのは蠅が飛ん出來て卵を産み付けるからであって、もし肉を目の細かい網で覆うて置いたならば、いつまで經ても決して蛆は生ぜぬ。蠶を飼うて見ると往々繭に小さな穴を穿けて蛆が匐ひ出すことがあるが、これも桑の葉の裏に蠅が卵を産み附けて置いたのを蠶が食ふ故に、その體内に生じたものである。人間の腹の中に蛔蟲や條蟲が生ずるのも理窟は全く同樣で、極めて小さな卵か幼蟲かをいつの間にか知らずに食つたから、それが腹の中で生長して大きな蟲となるのである。中には微細な幼蟲が人間の皮膚を穿つて體内に入込んで來るものもある。これらの場合には、卵も幼虫も頗る微細であるから餘程詳しく調べぬと、いつどこから入つたか分らず、隨つて世人は自然に腹の中で湧いたものの如くに思つて居る。コップに一杯の淸水を入れ、その中に藁を少し漬けておき、數日の後に顯微鏡でその水を見ると、實に無數の小さな蟲が泳いで居て、一滴の中に何百疋も何千疋も數へることが、出來るが誰もこの蟲を態々入れた覺はないから、水の中で自然に生じたものの如くに考へるのも無理ではない。然しながら斯やうな蟲にも皆それぞれ親があって、決して偶然に生ずるものではない。その證據には初め藁を漬けた水を一度煮立てて、その中にある蟲の種を悉く殺してしまひ、次に之を密閉して外から蟲の種の紛れ込んで來ることのないやうに防いで置くと、いつまで待つても決して蟲は生ぜぬ。藁を漬けた水の中に自然に蟲が湧くか湧かぬかといふ如きことは、一寸考へるといづれでも宜しいやうで、斯かる問題に實驗研究を重ねるのは、全く好事家の慰に過ぎぬ如くに思はれたが、一旦その研究の結果、生物は決して種なしには生ぜぬとのことが確になった後は、直にこれが廣く應用せられるに至つた。例へば今日最も便利な食物貯藏法は鑵詰であるが、これは人の知る通り、先づ鑵に入れた食物を熱してその中の徽菌を殺し、次に之を密閉して他から徽菌の紛れ込むのを防ぐのであるから、全く上述の學理を應用したものである。また今日外科醫學が進歩して、思ひ切つた大手術が出來るようになったのは、一つは消毒法の完全になつた結果であるが、傷口にも繃帶にも醫者の手にも、器械にも、決して黴菌の附かぬやうな工夫の出來たのは、みな以上の學理の應用に外ならぬことである。若し生物が親なしに偶然生ずるものならば、密閉した鑵の内にも自然に黴菌が生じて食物を腐らせることもあり得べく、また以下に傷口や繃帶を消毒して置いても、そこへ化膿菌が發生して、傷が自然に膿み始めることがあり得べき筈であるに、そのやうなことが實際にないのは、如何に微細な生物でも決して種なしには生ぜぬといふ證據である。
[やぶちゃん注:「古い肉に蛆が生ずるのは蠅が飛ん出來て卵を産み付けるからであって、もし肉を目のこまかい網で覆うて置いたならば、いつまで經ても決して蛆は生ぜぬ。」は、自然発生説の最初の否定を行ったイタリアの医師フランチェスコ・レディ(Francesco Redi 一六二六年~一六九七年)の一六六五年の実験に基づき、後の「初め藁を漬けた水を一度煮立てて、その中にある蟲の種を悉く殺してしまひ、次にこれを密閉して外から蟲の種の紛れ込んで來ることのないやうに防いで置くと、いつまで待つても決して蟲は生ぜぬ。」の部分は、イタリアの博物学者にして実験動物学の祖ラッザロ・スパッランツァーニ(Lazzaro Spallanzani 一七二九年~ 一七九九年)が一七六五年に行ったフラスコ密閉実験を補正補完しつつ、フランスの近代細菌学の祖ルイ・パストゥール(Louis Pasteur 一八二二年~一八九五年)が一八六一年の「自然発生説の検討」で示したパストゥール壜(白鳥の首フラスコ)による自然発生説否定実験に基づく。
「微細な幼蟲が人間の皮膚を穿つて體内に入込んで來るものもある」ヒト寄生虫感染症の大部分は経口感染であるが、一部にはこうした経皮感染(蚊などに刺されるのではなく)をするものがある。例えば鉤虫の一種でアフリカ・アジア・アメリカ大陸の熱帯地方にいるアメリカ線虫門有ファスミド綱円形線虫亜目円形線虫上科アメリカコウチュウ Necator americanus は経皮感染が主で、同科のズビニコウチュウ Ancylostoma deodenale (インド・中国・日本・地中海地方に棲息)も経皮感染をする場合がある。これらは肺炎や腸炎を引き起こし、人の皮膚下で幼虫移行症(皮膚の下をその幼体が移行するのを視認出来るという「エイリアン」並に慄然とする症状)を示す。腸に寄生して自家感染し、長期に及ぶ慢性的な下痢症状を呈する Strongyloides stercoralis による糞線虫(熱帯地方に広く分布し、本邦では南九州以南にみられる)症も経皮感染をする。]

 要するに、一疋づつの生物個體の生ずるには必ず先づその親がなければならぬ。人間や、犬・猫・馬・牛の如き大きなものは勿論のこと、一滴の水のなかに數百も數千も居るやうな微細な黴菌と雖も、親なしに自然に湧いて生ずる如きことは決してない。然してその親なるものは必ずその生物と同種同屬のものであつて、決して從來言ひ傳へられた如くに、甲種の生物が突然乙種の生物に變化するといふ如きことはない。生物個體の起りを一言でいへば、如何なる種類のものでも必ず先づこれと同種の生物が生存し、そのものの生殖によつて初めて生ずるのである。

    二 種族の起り

 さて生物の各個體は皆それと同種の親から産まれ生じたものとすれば、何代前まで遡つて考へても、今日世界に生存して居るだけの生物の種族が、その頃にもあつたわけになるが、若しさやうとすれば今日知られて居る數十萬種の生物はいづれも天地開闢の初めから未來永劫少しも變化せぬものであらうか、それとも又長い間には少しづつ變化して、昔の先祖と今の子孫との間には、幾分かの相違があるのではなからうかとの問題が是非とも起らざるを得ない。即ち生物の各種族は如何にして起つたものであるかとの問題が生ずるが、この問に答へるのは生物進化論である。而して進化論はそれだけでも一つの大論で、且その爲には別に適當な書物もあること故、こゝには詳しいことは略して、單に要點だけを短く書くに止める。
 昔地球上に住んで居た生物が今日のものと同じであつたか否かは、古い地層から掘り出された化石を調べて見れば大體は分ることである。今日地質學者は地層の生じた時代をその新古によつて幾つかに區別するが、各時代の地層から出た化石を比較して見ると、最も古い處から今日まで同一種類の生物の化石が引き續いて出るといふ例は一つもない。時代が違へば化石も多くは異なつて、今を去ることの遠ければ遠いほど、その時代の地層から出る化石は、我等の見慣れて居る今日の生物とは著しく異なつて居る。されば大體に於て地球上の生物の種類は時の移り行くと共に、順次變遷し來つたものであるといふことは爭はれぬ事實である。
 また今日生きて居る生物の身體を解剖し比較して見ても、その卵から發育する狀態を調べて見ても、生物各種は次第に變遷して今日の姿に達したものであると見做さねば、到底説明の出來ぬような事實を無數に發見する。一々の例を擧げることは略するが、兎や鼠では十分に働いて居る上顎の前齒が、牛・羊では胎兒のときに、一度生じて生まれぬ前にまた消え失せることや、魚類では生涯開いて居る鰓の孔が人間や鷄の發生の途中にも、形だけ一度は出來て後に忽ちなくなること、若しくは游ぐための鯨の鰭も、飛ぶための蝙蝠の翼も、樹に登るための猿の手も、地を掘るための「もぐら」の前足も、骨格にすると根本の仕組が全く相一致することなどを見ると、如何に考へても生物の各種が最初から互に無關係に生じて、その儘少しも變らずに今日まで引き續き來つたものとは思はれぬ。尚生物各種の地理上の分布の有樣、または各種相互の關係などを調べて見ると、如何なる種類でも長い時代の間に漸々變化して、今日見る通りのものとなつたと結論する外に途はない。
 古生物學・比較解剖學・比較發生學・生物地理學等の研究の結果を總合して、その結論を約めていふと、凡そ生物の各種は決して最初から今日の通りのものが出來たのではなく、その始めは如何なるものであつたかは知れぬが、長い間に漸々變化して現在見る如きものとなつたのである。而して、變化するに當つては常に少しづつその種族の生活に適するやうに變じ、大體に於ては身體の構造は簡單より複雜に、下等より高等に進み來つたのである。尤も一旦複雜な構造を待つた高等の生物が、更に簡單な下等のものに退化したと思はれる例もあるが、これはいづれも特別の場合で、寄生蟲や固着生活を營む生物の如くに、體の構造が簡單である方が、その種類の生活に特に都合の宜しいときに限られる。また今日數種に分かれて居る生物でも、その昔に遡ると共同の先祖から起つたらしく思はれることが頗る多い。世人の飼養する動物、栽培する植物には殆ど無數にその實例があるが、野生の動植物に於ても恐らくこれと同樣で、初め一種のものも後には子孫の中に種々體形性質などの相異なつたものが生じて、終に多くの種類に分れたのであらう。されば全體に通じていへば、生物なるものは昔より今日に至るまでの間に常に一種より數種に分れ、簡單より複雜に進み來つたものと見なすことが出來る。而して、この考へを先から先へと推し進めると、終に地球上に初めて生じた生物は恐らくたゞ一種であって、且最も構造の簡單な下等のものであつたに違ひないとの結論に達するが、これは實際如何であつたかは、勿論、確な證據を擧げて論ずることは出來ぬ。生物の各種族は如何にして生じたものであるかといふ問に對して、進化論は一應の確な答は出來るが、抑々生物なるものは初め如何にして生じたものであるかと、更にその先の問題を出せば、之に對しては事實に基づいた確な返答は出來ぬ。人間と猿とは共同の祖先から起つたとか、哺乳類は總べて初めは「カンガルー」などの如き有袋類であつたらしいとかいふ如き、比較的近代に屬することは隨分確に知ることが出來るが、時代が遠ざかれば遠ざかるほど我々の知識は曖昧になつて、最も古い時代まで遡ると何も分らなくなる。これはわが國の歴史でも明治時代のことならば相應に詳しく分るが、神代は邈焉として測度すべからざると同じ理窟である。
[やぶちゃん注:「約めて」は「つづめて」と読む。
「邈焉」は「ばくえん」と読み、非常に遠いさま、遠くてはっきりしないさまを言う。
「測度」は「そくたく」で、あれこれと推しはかることを言う。
 なお、現在の最新科学の知見によれば、地球最初の生命体は約四十二億年から三十八億年の昔に、原始海洋の中に誕生したと考えられている。発生当時のその生物種及びそこから分化した種は総てが単細胞で核を持たない原核生物であったと推定されている。これらの生物は当初は海洋水の中を漂っている有機物を利用し、酸素を使わずに生きている嫌気性の生物であったと思われるが(一九七〇年代の深海熱水孔の発見による原初生物独立栄養生物仮説)、有機物の量には限界があるため、やがて自身で栄養を作り出す手段として光合成を始めたと考えられ、遅くとも約三十五億年前には現在の分類学で言うところの真正細菌 Bacteria のシアノバクテリア門 Cyanobacteria に入る藍藻(シアノバクテリア)類の祖形生物がそうした担い手として登場したと考えられている(以上はネット上の複数の記載を勘案して構成した)。化学進化説の分野では、一九五〇年代以降、分子生物学のセントラルドグマから、殆んどの生物を構成する三つの物質のいずれが祖形生物の雛形となったのかが論じられてきており、それぞれDNAワールド仮説・RNAワールド仮説・プロテインワールド仮説と呼ばれる。更に、これらとはまた異なる位相的な仮説として、次章で丘先生からコテンパンにされている、生命の起源を地球上に求めず、他の天体で発生した微生物の芽胞が地球に到達したものであるというパンステルミア説(panspermia:ギリシア語の“pan”[汎]+“sperma”[種子])もある。但し、これは決して新しいものではなく、元は先の注に登場したイタリアの博物学者にして実験動物学の祖ラッザロ・スパッランツァーニが一七八七年に発表した同内容の仮説がルーツである。何れにせよ、丘先生がこれを書いた九十三年前(!)と生物起源の人類の「智」は、現象としての仮説を分子生物学的化学的な言葉で説明出来る程度にした進歩していないということは明白である。……本書が書かれてから実に一〇〇年近くが経とうとしている……しかし、その人類の生物起源の知見はいかほども進歩したと言えようか?……いや、それどころか……人類は生命の起源を探し当てるどころか……自らの「智」によって自らの生命を核によって滅ぼさんとさえしている……実に実に丘先生独自の進化学説の中の『一時全盛を極めた生物が忽ち絶滅するに至るのは初めその生物をして敵に勝つを得しめた性質が過度に發達するによる』という考え方が正しかったことを証明するものと言えはしまいか?……]

     三 生物の始め

 かやうに生物の個體の起りと種族の起りとに就ては、ある程度まで確な答が出來るが、抑々生物なるものは最初如何にして生じたものであるかとの問に對しては、今日の所、學問上確と見做せる答はない。併し答の出來ぬ所を何とか答へたいのが人間の知的要求であると見えて、今まで種々樣々の想像説が持ち出された。そのなかには初めから相手にするに足らぬと思はれるものもあれば、また比較的に無理の少ない穩當な説と思はれるものもある。地球は始め熱した瓦斯の塊で、次には鎔けた岩の塊となり、その後段々冷却して今日の有樣になつたものであらうとは、天文學上確らしい説であるが、これから考へると、地球の表面には最初から生物があつたわけではなく、地面が冷めて生物の生活に適する狀態になつてから生物が現れたものに違ひない。然らばいつ頃如何なる生物が初めて生じたかと尋ねると、前にいうた通り想像説を以て答へるの外に仕方はない。或人は地球上の生物の先祖は、流星の破片にでも附著して天から降つて來たのであらうと説いたが、これなどは如何にも眞らしからぬのみならず、かりに眞としても流星に著いて居た生物は如何にして生じたかといふ問が更らに起こる故、單に疑問を一段先へ推しやつただけで、實は何の解決をも與へぬ。また或人は、地球の尚熱して温度の高かつた頃は、今日と違つて種々の化學的變化も盛に起つたであらうから、無機物から生物の生ずるのに必要な條件が具はつて居たのであらうと論じて居るが、これは或はそうかも知れぬ。併しながらその條件とは如何なることであつたかは全く分らず、隨つて今日はそのやうな條件が具はつて居ないと斷然いひ切ることも出來ぬ。當今多數の學者は、生物が無機物から生じたのは地球の歷史中のある時期に起つたことで、今日は最早その頃とは地球の狀態も異なつて居るから、無機物から直に生物の生ずる如きことは決してないと考へて居るやうであるが、この説は實際如何ほどの根據を有するものであろうか。
 親なくして生物の生ずることは決してないといふ今日の考へは、多くの實驗の結果であつて、その應用に誤りのないところを見ると、恐らく疑いなく確なことであらうが、地球が昔は生物の生活に適せぬ火の塊であつたとすれば、その後いつか一度初めて生物の生じたといふ時があつたに違ひなく、その生物には親はなかつたに相違ない。また今日と雖もどこかで、無生物から漸々生物が出來て居るかも測り難い。なぜといふに最も簡單な生物は最も微細なもので、現に黴菌の類には千倍、二千倍に擴大せねば明に見えぬものもあり、病原の中には微生物であることが餘程確に思はれながら、最高度の顯微鏡を用ゐてもその正體を見出すことの出來ぬものもある。それ故、無機化合物から漸々複雜な分子が組立てられ、終に生物が出來たとしても、これは決して直に形には見えぬであらう。我々が見てこれは明に生物であると考へるものは、已に生物として幾分か進歩したもので、まだこの程度に達せぬ前のものは、あるいはこれを見ることが出來ぬやも知れぬ。されば種々の實驗によつて、生物は決して親なしに生ずるものでないといふことが確になつても、これは已に幾分か進歩した明な生物についての論であつて、出來始まりの生物が無機物から漸々生ずることも、決してないと斷言することは出來ぬ。
 前にも述べた通り、生物の個體は必ず親から生じ、生物の種族は長い間に漸々變化して終に今日の姿に達したものとすれば、今日の生物は皆長い歴史の結果である。斯く長い歴史の結果として生じた生物各種と同じものが、今日それだけの歴史を經ずして突然生ずることは到底出來さうに思はれぬが、その歴史の最初の生物に似たものが、今も尚生じつゝある如きことはないかとの問に對しては、否と確答するだけの證據はない。著者の考によれば、無機物から生物になるまでには無數の階段があつて、その間の移り行きは、恰も夜が明けて晝となる如く、決して之より前は無生物之より後は生物と、判然境を定めて區別すべきものではない。地球の表面に初めて生物が出來たといふ時も恐らくかやうな具合で、簡單な化合物から漸々複雜な化合物が生じ、いつとはなしに終に生物と名づくべき程度までに進み來つたのであらう。されば今日と雖も、かやうなことの行はれ得べき條件の具はつてある場合には、無生物から生物の生ずることがあるべき筈で、若しかやうな場合を眞似ることが出來たならば、人爲的に無生物から生物を造ることも出來ぬとは限るまい。新聞か雜誌にときどき出て來る生物の人造といふのは、現今人の知つて居る如き進歩した生物を試驗管内で突然生ぜしめるとのことであるゆえ、これは恐らく無理な註文であらうが、生物の出來始めの程度のものを造るといふことならば、これは決して不可能であるといひ放つことは出來ぬであらう。要するに、生物のなかつたところに新に生物の生ずるのは如何なる場合であるかといふ問に對しては、我等の知識は極めて貧弱であつて、今日の所到底滿足な答は出來ぬ。たゞ實驗によつて、消毒した鑵の内に自然に黴菌の生ずる如きことはないといふことを、確に知り得たのみである。
[やぶちゃん注:丘先生からは評価の低いパンスペルミア説(panspermia あるいはパンスペルミア仮説とは「宇宙空間には生命の種が広がっている」「地球上の最初の生命は宇宙からやってきた」とする生命起源仮説)であるが、本説に肯定的な資料をウィキの「生命の起源」から抜粋しておく。まず支持者の中で注目すべきは『DNA二重螺旋で有名なフランシス・クリック』が挙げられよう。また前章注で示した通り、『パンスペルミア説はオパーリンの論じた化学進化よりも時代的に先行している生命の起源に関する仮説の一つであるが、仮説とするには余りにもブラックボックスが多いと考える学者は大勢いた。一見、判らないものは宇宙に由来させよう、という消極的な考えに見えるが、「地球上で無機物から生命は生まれた」ということを否定しているのみで、また化学進化は否定していない』点には着目しておくべきであろう。『この説は化学進化と同様現在でも支持されている学説の一つで本仮説の可能性を示唆出来るデータとして以下の項目が掲げられている。一つは、三十八億年前の地層から『真正細菌らしきものの化石が発見されている。地球誕生から数億年でこのようなあらゆる生理活性、自己複製能力、膜構造らしきものを有する生命体が発生したとは考えにくい。パンスペルミア説では有機物から生命体に至るまでの期間に猶予が持て』るとし、次に、『宇宙から飛来する隕石の中には多くの有機物が含まれており、アミノ酸など生命を構成するものも見られ』、彗星の中の塵にさえ『アミノ酸が存在すること確認されている』点、『地球の原始大気は酸化的なものであり、グリシンなどのアミノ酸が合成されにくい』が、『酸化的な原始大気でも隕石が海に衝突する際の化学反応で、アミノ酸などの有機物が合成できるという発表もある』等、『特に、地球誕生後数億年で生命体が発生したと言う点で、パンスペルミア仮説が支持されることが多い』 と書かれている(但し、この最後の部分には「要出典」が請求されている)。最後に『二〇一一年、日本の海洋研究開発機構で、大腸菌など、五種類の細菌を超遠心機にかけ、超重力下での生物への影響を調べる実験が行われた。その結果、五種とも数千から数万Gの重力の下でも正常に増殖することが確かめられ、中には四〇万三六二七Gもの重力下でも生育した種もあった。地球に落下する隕石の加速度は最大三〇万Gに達すると予測されており、この実験は、パンスペルミア仮説の証明とはならないが、このような環境を生き延びる可能性を示している』と附言されている(最後の引用はアラビア数字を漢数字に直した)。但し、この仮説は丘先生が止めを刺しておられるように、『流星に著いて居た生物は如何にして生じたかといふ問が更らに起こる故、單に疑問を一段先へおしやつただけで、實は何の解決をも與へぬ』という点で、他の生物起源説と並べて等価に評価出来ない弱点があることは事実である。しかし丘先生の言を逆手に取れば、今現在、そうした原初生物の発生に類する現象が認められず、アルケミーよろしく実験をしてみてもそうした片鱗も見いだせないという事実は、寧ろ、パンスペルミア説をどうしてもとっておくべき必要がある、とも言えるであろう。]

       四 刹那の生死

 生物の個體が生活を續けるには常に外界から食物を取らねばならぬが、植物と動物とではその食物に大なる相違がある。先づ普通の植物は何を食うて居るかといふと、空中からは水と炭酸瓦斯を取り、地中からは水と灰分とを吸ふのであるが、これらのものが材料となり、相集まつて次第に植物體の組織が出來る。試に材木を燒けば、炭酸瓦斯と水蒸氣と灰とになつてしまふが、これは一度植物の體内で組合せられたものを、熱によつて再び舊の材料に碎き離したと見做すことが出來る。而して植物が灰・水及び炭酸瓦斯の如き無機成分から、自身の體を造るに當つて必要なるものは日光である。綠葉を日光が照せば、綠葉内で水の成分なる酸素・水素と炭酸ガス中の炭素とが結びついて澱粉が生じ、次に澱粉は糖分に變じ、溶けて植物體の各所に流れ行き、或は芽に達して、新たな組織を造ることもあれば、また根や莖の中で貯藏せられることもあらう。葡萄の中の糖分も、甘藷の中の澱粉も、大豆の中の油も、皆かやうにして生じたものである。日光が當れば綠葉内に澱粉粒の生ずることは、極めて簡單な試驗で、誰でも自身に試して見ることが出來る。即ち黑い紙か錫板かで葉の一部を蔽ひ、暫時日光に照らした後にこれをヨヂウム液に浸ければ、日光の當つて居た處だけはその中に生じた澱粉粒がヨヂウムに觸れて濃い紫色になるが、影になって居た處はかやうなことがない。若しアルコールで葉の綠色を拔いてしまへばそこは白くなるから、澱粉粒の出來たところとの相違が頗る明瞭に見える。かやうな次第で、植物は常に日光の力を借り、無機成分より有機成分を造り、之を用ゐて生活して居るのである。


[澱粉實驗]

[やぶちゃん注:「ヨヂウム液」「ヨヂウム」は“iodine”ヨウ素 (沃素)の英名の当時の音訳。ヨウ化カリウム(Potassium Iodide)の水溶液である三ヨウ化物イオンの溶解したヨウ素ヨウ化カリウム溶液を指す。この溶液は一般には「ヨウ素液」(本件の「ヨヂウム液」)と通称され、ヨウ素デンプン反応の試薬としてお馴染みである。――が、最近では――原子力災害時の放射線障害予防薬としてこのヨウ化カリウムとしての方が人口に膾炙するようになってしまった。以下、ウィキの「ヨウ化カリウム」から引用する。『「安定ヨウ素」製剤として用いる。 動物の甲状腺は、甲状腺ホルモンを合成する際にヨウ素を必要とするため、原子力災害時等の放射性ヨウ素を吸入した場合は、気管支や肺または、咽頭部を経て消化管から吸収され、その一〇~三〇%程度が二十四時間以内に甲状腺に有機化された形で蓄積される。放射性ヨウ素はβ崩壊により内部被曝を起こしやすく、甲状腺癌、甲状腺機能低下症等の晩発的な障害のリスクが高まる』。『そのため、非放射性ヨウ素製剤である本剤を予防的に内服して甲状腺内のヨウ素を安定同位体で満たし、以後のヨウ素の取り込みを阻害することで放射線障害の予防が可能である。この効果は本剤の服用から一日程度持続し、後から取り込まれた「過剰な」ヨウ素は速やかに尿中に排出される。 また、放射性ヨウ素の吸入後であっても、八時間以内であれば約四〇%、二十四時間以内であれば七%程度の取り込み阻害効果が認められるとされる』。『本剤に副作用は少ないが、ヨウ素への過敏症や、甲状腺機能異常を副作用として惹起する可能性があるため、一般人の判断での服用は極力避けるべきである』(記号・数字等の表記を改めてある)とある。こんな注を附さねばならなくなった現代は――恐ろしく不幸な時代ですね、丘先生――。]

 之に反して、動物の方は已に出來て居る有機成分を食はねば命を保つことが出來ぬ。動物の中には植物を食ふものと、動物を食ふものとがあるが、食はれる動物は必ず植物を食ふもの、または植物を食ふものを食ふものであるから、動物の食物は、その源まで遡れば必ず植物である。されば植物なしに動物のみが生存するといふことは到底出來ぬ。而して動物の呼き出す炭酸瓦斯や、その排泄する屎尿は、また植物の生活に缺くべからざるものである。即ち植物と動物とは相依り相賴つて生活して居る有樣故、若し適當量の植物と動物とを硝子器の中に密閉して外界との交通を全く遮斷しても、日光さへ受けさせて置けば長く生存する筈であるが、實際試して見るとその通りで、硝子の試驗管に海水を入れ、海藻を少しと小さな「いそぎんちやく」一疋とを入れて管の上端を閉ぢれば、海岸から遠い處へ生きたまゝ容易に運搬も出來、また長く飼うても置ける。斯くの如く植物は日光の力によつて絶えず無機成分から有機成分を組立て、これを動物に供給し、動物は有機成分を食うて之を破壞し、舊の無機成分として之を植物に返するのであるから、同一の物質が常に循環して或る時は無機成分となり、或る時は有機成分となつて、動植物の身體に出入して居るといふことが出來やう。


[試驗管に生物を入れたもの]
[やぶちゃん図注:本文のそれはバランスド・アクアリウム(BALANCED AQUARIUM:オーストリアの動物学者コンラート・ローレンツ(Konrad Lorenz 一九〇三年~一九八九年)が「ソロモンの指環」(一九四九年刊)で言及して有名になったので“LORENZ AQUARIUM”とも呼ばれる)の一種、若しくは試験管を密封しているから疑似的なバイオスフィア(BIOSPHERE)の紹介としては本邦の濫觴とも言えるものとも思われる。但し、上下にあるのは見るからに同一の藻類であるが、原画像を拡大してみても「動物」の指示線が何を指しているか分からず、イソギンチャクが現認出来ない。残念ながらこの挿絵は杜撰である。]

[やぶちゃん注:「呼き出す」は、これで「はきだす」と読む。「呼吸」と言う熟語で分かる通り、「呼」は元来が「息を吐く」の意である。]

 昔は化合物を分けて有機化合物と無機化合物との二組とし、有機化合物の方は、動植物の生活作用によつてのみ生ずるものであつて、人爲的に無機物から造ることは出來ぬと考へたが、今より百年ばかり前に有機化合物の一種なる尿素を人造し得たのを始めとして、今日では多數の有機化合物を化學的に組立てて製造し得るに至つた。藍・茜などの染料は昔はその植物がなければ出來ぬものであつたのが、今は澤山に人造せられるから、面倒な手間を掛けて藍や茜を培養するに及ばなくなつた。有機化合物中の最も複雜な蛋白質でさへ、近年は人造法によつて稍々これに似たものを造ることが出來る。されば有機化合物・無機化合物といふ名稱は便宜上今も用ゐては居るが、その間には決して判然たる境があるわけではなく、分子の組立てが一方は複雜で一方は簡單であるといふに過ぎず、然もその間には無數の階段がある。綠葉の内で澱粉が生ずるというても、無論炭素・酸素・水素が突然集まつて澱粉になるのではなく、一歩一歩分子の組立てが複雜になつて、終に澱粉といふ階段までに達するのである。また動物が死ねば、その肉や血は分解して水・炭酸瓦斯・アンモニヤ等になつてしまふが、これまた急劇に斯く變ずるのではなく、一段づつ簡單なものとなり、無數の變化を重ねて終に極めて簡單な無機化合物までになり終るのである。無機化合物から有機化合物となり、有機化合物から無機化合物になる間の變化は今日尚研究中であつて精しいことは十分に分らぬが、その一足飛びに變化するものでないことだけは確である。
[やぶちゃん注:「無數の變化を重ねて終に極めて簡單な無機化合物までになり終るのである。」の句点は読点であるが、訂した。]

 生物個體の身體の各部に就てその物質の起源を尋ねると、以上述べた如く決して同一分子が長く變化せずに留まつて居るわけではなく、一部分毎にそこの物質は絶えず新陳代謝する。毛や爪を見ればこの事は最も明白であるが、他の體部とてもやはり同樣で、役を濟ませた古い組織は順を追うて捨てられ、之を補ふ爲には新しい組織が後から生ずる。昔の西洋書には人間の身體は七年毎に全く換はると書いてあるが、これは素よりあてにならぬ説で、障子の如きものも紙は度々貼り換へる必要があるが、框の方は長く役に立つのと同樣に、人間の身體の中にも速に換はる部分と遲く換はる部分とがあらう。例へば血液の如く絶えず盛に循環して居るものは新陳代謝も頗る速であらうが、骨格などは新陳代謝が稍々緩慢でも差し支へはない。併し、とにかく常に新陳代謝することは確であるから、生物の體が昨日も今日も明日も同じに見えるのは唯、形が同じであるといふだけで、その實質は一部分づつ絶えず入れ換はつて居る。その有樣は恰も河の形は變らぬが、流れる水の暫時も止まらぬのに似て居る。生物は一種毎に體質が違ふから、人間が牛肉を食うても、決して牛の筋肉がそのまゝ人間の筋肉とはならぬ。先づ之を分解して人間の組織を造る材料として用ゐるに適するものとし、更に之を組立て直して人間の組織とするのであるが、食物をかやうに分解するのが消化の働である。また一旦出來上つた血液・筋肉等も之を働かせれば少しづつ分解して老廢物となり、大小便となつて體外に排出せられる。乳のみを飮む赤兒や、飯と豆腐とを食うた大人の大小便に色のついて居るのを見ても、大小便が單に飮食物中から滋養分を引き去つた殘りのみでないことは知れる。かやうに考へると、生物の身體は一方に於ては時々刻々に生じ、他方に於ては時々刻々死して捨てられて居るのであるが、このことに就ては世人は別に不思議とも思はずに居る。人間の身體は無數の細胞の集まりであるが、その一個一個の細胞を見たならば、今生まれるものもあり、今死ぬものもあり、若いものもあり、老いたものもあつて、恰も一國内の一人一人を見ると同じであらう。斯くの如く體内の細胞の生死は時々刻々行はれて居ても、これは當人が知らずに居るから、別に問題ともせず、たゞ細胞の集まりなる個體の生と死に關してのみ、昔から樣々の議論を鬪わせて居たのである。生物の起りに關する議論は殆ど際限のないことで、然もその大部分は假説に過ぎぬから、以上述べただけに止めて置く。
[やぶちゃん注:「框」は「かまち」で、窓・戸・障子の周囲の枠。この場合は障子の桟も含んだ謂い。
 ここで語られるのは、しばしば耳にする生物学的言説で、例えば、
〇人間の細胞は一日で約三千億個死滅する。
〇人間の体を成り立たせている細胞の総数は約六十兆個である。
〇60000000000000÷300000000000=200で七ヶ月もすれば体中の細胞は新しいものに入れ替わる。
という謂いである(資料によっては約三千億個の細胞とは二〇〇グラム程のステーキに相当する分量とまで記す)。但し、ここで注意しなくてはならないのは、これは通常の体細胞についての、しかも極めて大雑把な機械的単純計算によるものであることだ。丘先生の言を俟つまでもなく、それぞれの部位で新陳代謝に伴う速度差があるし(早いものでは皮膚細胞は約一ヶ月であるが、脳の一部・肝臓や腎臓は凡そ一年、骨は幼児期一年半/成長期二年未満/成人二年半/七十歳以上約三年と言われる)、言わずもがな、脳細胞のニューロンや眼球を構成する細胞の一部は幼児期に器官形成した後は、欠損や老化はあっても代謝によって入れ替わることはなく、骨髄の血球を生成する母細胞及び生殖器官でも精原細胞・精母細胞・卵原細胞は分裂して精子や卵子(若しくはその元)を造るけれども、それ自体は代謝しないから、「新陳代謝によって新しく入れ替わる」という定義からは外れると言える。丘先生が「入れ替わる」ということを非科学的なニュアンスで捉えておられるのは、蓋し、正しいと言えよう。]