心朽窩へ戾る

HP 鬼火へ


淵藪志異 やぶちゃん作(copyright 2005-2007 Yabtyan)

――鬼燈如漆點松花 李賀「南山田中行」




 大學の同級なる某バンジヨウを好ける者なりしが同好の先輩宅に友人數人と共に泊せり。主人以下家族の者は階下に寢すれども某等は二階一室に床を取り深更に至る。某左足首の冷寒に醒むるに蒲團より左足出ればこそとてさし入れて再び眠らんとす。しかれどもうとうとせしと思ふ間もなく左足首再びぞくりと冷寒を覺えたりき。而してこの繰り返しにて、夜明くる迄惻々として眠り叶はず。明朝先輩宅を辭し近鄰の煙草屋にて煙草求めんとする折から友等に昨夜の不可思議を語れり。そを聞き附けたる店頭が老婆の驚ける樣子もなく彼の家の二階にて昔男己が左足首を繩にて結び、その端を梁に引き上げ逆さ釣になりて自害せりとなむこともなげに語りしと。これ某自身より昭和五十三年聞き及べり。




 明治も末我母方祖父金澤の連隊に居りしが屋敷町に三階立の貸家を見いだせり。引き移りて程なく狹けれども景觀良ければ三階に寢起きせんとす。その夜半寢苦しければふと眼を開きたり。部屋に漂ひたる氣如何にもものすごけれども詮方なく無理に眠らんと眼瞑りたるに何物か交互に左右が頰に觸るるものありて見る。祖父の橫臥せる上方天井近き所を女の生首一飛びをりき。くわつと開きたる赤き眼、醜くく歪める口元、そが振り亂したる長き黑髮の祖父が左右の頰を撫でたりき。祖父恐ろしくあれど身躰こはばり動くに甲斐無し。されど勇の人なれば日出づる迄そが首と睨み合ひたり。翌朝宿が守の老婆に昨夜の怪異を告ぐれば老婆の言ふやう江戶も末當家主が妻物狂ひしたれば三階にありし座敷牢に押し込めたりしが程なく悶死しけるとなむ。母より聞き書きす。
 この怪話按ずるに人口に膾炙せる乃木希典が怪奇實話に酷似せり。しかれども祖父齒科醫にして謹嚴實直の人にて虛僞を憎めり。己が生涯の唯一の非科學の不可思議なりと折々母に語れりと聞く。又此祖父が話中の眼目は兩頰に觸れし黑髮也。現實を侵したる一瞬が恐怖を語りて餘りあり。金澤の町武家多かりければ此くの如き怪異多しとなむ聞く。或は乃木が宿舍と同じきものならんか。




 我飮友の某かつて日吉に住みけるに或夜酒氣醒まさんとて東急東橫線日吉驛邊迄出でつ。深夜なれば終電車もとくに過ぎ驛螢光燈のみ點き人無し。通例閉ぢられたる入口の怪しくも開きてあり。ぶらぶらと驛構内へ入りたるも人影無く靜寂なりしがホームへ通づる階段に至りて某眼を疑へり。そには人數多立ち居線路へ零れ落ちんばかりにてさんざめく人聲響きたり。某這這の體にて逃げ出でて車を止め逗子が友人宅迄飛ばしたるとぞ。蒼白なる某が面相にそが友人も狂言には當たらずと認めしことなり。昭和五十三年冬某本人より聞き書きす。
 その語り口の確かさ某酒に醉ひたれども幻覺也とは一蹴し難し。某曰く日吉近邊彼の東京大空襲の折如何と。

○三十七年後平成二七年五月七日藪野直史附記
平成二七年五月六日附朝日新聞二十一頁が湘南版に連載せる「かながはの戰後七〇年 第三部 空襲の記憶」六にて記者宮嶋加菜子氏の書かれし「日吉臺地下壕保存の會」に關はる記事を讀みたり。そが中に戰爭末期一九四四年に慶應大學日吉校舍には日本海軍連合艦隊司令部の置かれ地下壕の掘られしとあり。そが故かは未だ不詳乍ら敗戰に至る迄橫濱なる日吉が街周邊は此三度の空襲を受けたることを今知れり。記事に添へられたる同會の古くより住まひせる地域住民の聲を元に作成せる日吉空襲地圖を見しにB二十九が編隊は南西方向より侵入東急東橫線日吉驛及びそが驛東に廣がれる商店街幷びに驛東慶應大學周邊域なる住宅地に向け激しき空爆を加へそれらを悉く燒失せしめんことの髣髴たり。記事冒頭昭和二十年四月四日日吉周邊を襲ひし空襲が慘狀を當時六歲なる男子の以下の如く語られし詞を掲げり。漢字は正字へアラビア數字は漢數字へ仮名は正假名遣へ代へしは許されたし。『せうゆ屋をやつてゐたのですが、母屋や藏などに落されました。家族四人が卽死してゐます。母親とおば二人、働いてゐた若い衆さんです』。かの我飮友某日吉驛にて體驗し怪異を語りし後ぽつりと我に云ひし「日吉近邊彼の東京大空襲の折如何と」の言葉昨日三十七年振りに思ひ出だせば附記せずんばならざる想ひの募りてなむ敢へて記しぬる。




 我昭和五十年八月廣島に旅せし時私淑せる原民喜が詩碑を寫眞に撮れり。彼の碑の原爆ドウム近きにありしが對面に道路ありて碑表面に車影及べり。而して車通らざるを確かめ碑面眞つ新なるを確かめ寫せり。しかるに後現像せる寫眞に何者か寫れり。そはそこかしこ燒け焦げしモンペ姿の姊妹めく二人が後姿にして姊が背には赤子背負へる如く見えたり。かく思ふが故にかく見えしか。我巷に心靈寫眞と稱せるは噴飯物と存じ候も此が己が一枚のみ不可思議也。




 兄弟仲良き者有り。夏の初弟そが友等と海釣に行きしに友等泳がんと彼も入りたるに知らぬ間に友等が視界より失せぬ。歸りたりけりと思ひなして彼等引き上ぐるに彼の消息知れず。兩親兄共に驚きて警察へ通報致し、海底改め等したるも詮方なく身上がらざるままに已む。そが夏の終兄やはり海釣に行きしが足場取りしテトラポツドが下に釣具落とせり。潛りたる海中眼前に腐りたる人型見出だせり。そが着衣改むるに確かに彼の弟なりけりとぞ。
 此話冨山の友人より聞きしものにて昭和五十二年頃のことなりとかや。弟の靈兄を呼びしか。




 昭和五十年八月小豆島尾崎放哉由緣の西光寺に泊りしが住職杉本宥玄氏息女幸(さき)女當時小學校六年生寺の廊下にて祖母が靈を見しことを語りき。夜十二時頃厠に起きたりし幸女は庭に面したる廊下の向ふに白き薄絹頭より被りたる祖母が姿を見驚きたりとなむ。
 我笑ひて此話を聞きしもその夜半尿意を催しければ件の廊下を眼瞑りて走り戾りたるなどをかしけれ。




 大學級友の友某知人を單車に乘せ事故に遭ふといふ。某は掠り傷なれども知人重篤也。左足を切斷せるも遂に息絕ゆ。或夜某寢苦しく眼醒む。身躰にかの死せる友と覺しき男影乘れり。而して言ふ我足を返せと。某驚きのあまり他の知りたる輩の名を口走りて汝が足彼の元にありと虛言せり。而して靈消ゆと。此話をこの友より聞きたる者が家にしばしばこの靈出づるとなり。靈出づる時は他の者の名を言へばそちらへ移り消ゆるとなむ。昭和五十四年年初聞き書きす。
 此話友の友たる設定靈の言擧げにて移ること及び意外なる心理的暗示效果を持ちたる落ち等怪異譚としてやや古形にして陳腐低俗ならん。




 本校食堂裏手地下に古き貯水槽あり。修理入りて工事施行者の修理完遂確認とて水槽内寫眞を撮れり。出來上がりし寫眞貯水槽底に髮振り亂したる武者が首恨みの表情にて鮮やかに寫り込みたるとなむ。そは歷代事務長席背後金庫が匡底に隱蔽したるも彼事務長が許可を得見き。「血みどろのそれは凄慘な首だつた」蒸し暑き夏合宿の夜靑き顏にてしみじみ我に語りき。我現今在職せる神奈川縣立某高等學校體育科敎員男性より一九九八年七月聞き採れり。




 同校職員室前なる道隔てて草木鬱鬱蒼蒼たる薄暗き庭あり。三十六年前本校卒業せし數學科敎員我前に勤務せる學校より赴任決まりし時前任校歡送迎會にて酒うち飮みつつ語れる話あり。戰時下現今本校のありし場所は陸軍高射砲陣地たり。高高度を飛行せるB二九に射程距離短き對空砲火何ぞ效有らんや却つて雨霰の爆擊に凄慘慘たる被害蒙れり。而して其處なる庭當時高射砲陣地本部と附隨せる地下壕在りたるが直擊彈受け上部本部建物諸共爆裂し押潰されたりと。全壞にして救出叶はず遺體殘ししままに土砂にて覆へりとなむ。我今考ふるに然ればかの庭生徒のみならず敎員一人通る無し。或夏の一日我其が庭に凉みたり。風ありしが濕つとりと氣味惡き汗大いに吹き出で毒蟲痛く刺し息苦しきこと限りなし。かの庭、妖し。




 一九九九年七月我籠球部合宿にて學校に泊せり。夜十一時頃本館見囘れり。夜間も本館一階電氣は點燈せしままなるが定法也。體育館を出でて會議室橫入口より本館へ入りし所間隔短きひたひたと言ふ足音のせり。左手方見るに正に校長室前を正面玄關方へ茶褐色せる不思議なる塊の左右に搖れつつ動けるを見る。黑々したる太き尾あり。目凝らしたるもそは犬でも無し猫でも無し。狸也。若しくはアナグマやも知れず。素人そが區別は難かりけりとか聞く。彼我に氣づかざれば思はず狸臆病なるを思ひ出だし「わつ!」と背後より叱咤せり。狸物の美事に右手にコテンと引つ繰り返らんか物凄き仕儀にて玄關前化學室が方へ遠く逃れ去れり。我聊か愛しくなるも面白くもあり。つとめて廊下にて出勤せる校長と擦れ違へり。我思はず振り返りて校長が尻に尻尾無きか見し事言ふまでも無し。そが狸の棲み家と思しき所テニスコウト向かひが土手ならんや。されど此處五六年宅地化進めり。我に脅されし哀れ狸とそが一族も死に絕えたらんか。これこそ誠あはれなれ。


十一

 二〇〇一年七月同じく籠球部合宿が折の事なり。橫濱港花火大會が音なむ良く聞こえし晩なる。本館學校技能員室なるシヤワア室使へり。こがシヤワア室敎員連中にありて頗る評判惡し。タヰル張りにして常に淸掃されし故に衞生上問題は無き也。脫衣所を拔け洗ひ場そが左手に掘り込まれし浴槽あり。然るに彼の浴槽老朽し機能致さず底に木製なる簀子敷きてそが中にてもシヤワア浴び得る樣に成しをれり。然れども普段何としてもそが中に入る氣にならざる也。何となれば年月經り赤錆垢の目地に染みて言ふに極極無氣味の一語なれば也。我シヤワア室に入る每大江健三郞が「死者の奢り」を思ひ起こせり。醫大にて解剖死體の洗淨を事とする主人公が話なるも件の浴槽恰も彼の小說中貯留せるホルマリンに死體を浮かしをる死體槽を髣髴とさせたれば也。されどその夜我如何なる氣分にやあらむそが中に立ちてシヤワア浴びたりき。外には花火の音斷へつつ續きつ。シヤワアが水音流るる排水管の音。否はてそが音音に混ぢりて何やらん幽かなる聲のせざらんや。そは聽こうなら女の話し聲にして哀しげに何事か訴へたらん淚聲に思しき。窓はなし。そも壁が向こうは中庭にして何ぞ深更に人の居らんや。更に耳傾けて見るにそは排水溝が中より聞こゆる樣にも感じ得たり。我總身鳥肌立毛致し浴槽より飛び出でんや下着着くるも其處其處に職員室へ退散す。後刻慮るに風稍强き夜なれば何處か目に見えぬ𨻶間ありてそを風拔くる折に女の啜り泣き等に聞こえしものかは。されど我以來浴槽中に敢へて立つ事絕えて無し。シヤワア浴ぶるにも烏が行水。本年も合宿あり。恐ろし。


十二

 こは現今有名某私大歷史學研究室助手をたつきとせる我友人の實話なり。彼高校二年の折兩眼の網膜剝離を患ひ鎌倉なる某眼科に入院せり。手術首尾良く終へたるも術後數日絕對安靜命ぜられ病院長自宅が一部を改築せる個室に入る。早き夕餉八時が看護囘診も終へ兩眼包帶にて堅く卷きしままの全き闇の中聽き飽きたるラヂオ切りベツドにて夢うつつなり。ふた時ばかり過ぎし十時頃にや彼室内なる人が氣配に目醒む。リノリウム張る床面擦り足にて步むスリツパの幽かなる音あり。ベツドに緩々と近づかんとす。絹摩るる音やや苦しげならん息の盲しが故に硏ぎ澄まされし耳に入る。人ベツドが左脇に立ちたるらし。彼夜間巡囘の看護婦ならんかと思ひ聲懸く。「誰?」目に見えぬそが相手暫く沈默せる後言ふ。「誰でも、いいの」少女が聲也。優しき聲の又優しき故にいとど恐ろし。されど瞬く間にそが人の氣配雲散霧消す。扉開け閉めす音もなきに。彼まんじりともせず曙光を待つ。つとめての囘診に來し看護婦に問ふ。「夕べ八時以降に私の部屋に見囘りにいらしたでせうか?」「いいえ。でも如何して? 誰か來たの?」彼昨夜出來せる怪異を看護婦が方に向かひて話したり。話終はるに看護婦暫く押し默りしまま物言はず。忘れし頃「それは氣の性よ。」と震え聲に言ふや足早に部屋を出づる音せり。一週間の後彼が目本復す。かの怪異初日のみにして後は事も無し。後日彼心付きて母親に事の顛末話したり。然れば母親神妙なる顏を成し言ふ。「さふ言へば、おまへが入院してゐた病室は、院長樣の娘さんの部屋だつたつて、看護婦さんが言つてたわ。娘さんは五年程前、高校の二年の時だから、おまへと同じ年だわね、心臟の病ひで亡くなつたんださうよ。」と。彼三十年以上經る今も彼の優しくも寂しげなる「誰でも、いいの」と言ふ聲の恐ろくして然も不可思議なる懷かしき聲耳に殘りにけるとなむ我に語れる。聞き取れるは彼と出會ひし一九八〇年代初頭の事也と覺ゆ。(後記。本話中退院後日談部分に於きては怪異體驗者及び個人病院特定を避けんが爲、意識的創作を施したるを述べ置く。)


十三

 我尾瀨に行きて生水飮みA型肝炎に感染す。大船中央病院雜居部屋に入院餘儀なくされぬ。或深更息苦しきに目醒む。ベツド足元向かう通路に看護婦一人立てり。電燈の消えしもナアスキヤツプ白衣にてそれと知れり。然れど顏のみ痛くぼやけ目鼻口等分明成らず。目凝らさんとせし正に其時左腕ぞ痛き程に强き力にて摑まるる。はつとして振り向くに左鄰ベツドに病臥せる腦梗塞なる老人の大きなる眼らんらんと見開きて我ベツドが足元の方を見詰め乍ら我腕をぎゆつと摑みをりたるなりけり。そが手激しく激しく震へ。我老人が形相の不氣味さに魂消え入らん思ひせるも老人が視線の先先般の看護婦が事氣になりてそに目移しぬ。既にして看護婦消え失せにけり。我ナアスコオルし老人が異變告げ遣り彼急遽手術室へと運ばれぬ。つとめて遲く目醒ますに左鄰の老人が病床新しきシヰツの敷かれ老人が名札は既に拔き取られし後なりき。我一九八七年七月三十歲が折の體驗也。


十四

 若き頃某縣立高校にてワンダアフオウゲル部顧問をせり。夏山行は槍ケ嶽定番也。殺生ヒユツテ脇にテン張りて槍目指す。五十人に爲らんといふ部員數空前絕後にして狹き穗槍に全員登頂させんには三グルウプ入れ替はりの外餘儀無し。我穗槍頂上が保守を擔當す。次グルウプ來たる迄が間想ひの外に長し。無聊如何とも耐へ難く暇潰しせんとて槍にては最難關と言はれし北尾根下りを少しく冷やかしたらんと思ひ立てり。七八米下りしに一抱へほどなるハングせる岩にぶつかれり。下見えず。兩腕にて體支へ乘り越せり。目前ハング下見ゆ。岩下窪みたる間𨻶にモノクロウムなる男が遺影位牌閼伽水入れたるカツプ等供えられたりけり。如何とも意氣消沈生理不快催し早早に穗槍へ戾れり。殺生ヒユツテへ皆々歸着致し其夜全員無事登頂祝ひ敎員三名些少のワイン飮み早く寢ぬ。「カラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラ」午前一時を囘れるか何れの者の置き忘れたるやシエラカツプが如き物テント外に轉々せる音に目醒まさせらるる。そが折り也。右足大腿を强く摑まれき。さてもここらが邊り熊出づる事あり。されどそが摑み方なむ正眞正銘人が手なる。指五本取り分けても他と離れし親指が感觸鮮明たり。我大方鄰に臥したる敎員の寢ぼけたらん手技にやあるらむとそが腕跳ね除けたらんと思ひたり。されど除けんとして止む。何となれば我テント最右端に寢ぬれば也。我體が右手は外。「カラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラ」そは三分餘りも續きけんか。ふつと力拔かれ手去りぬ。我全身氣味惡き汗かきつとめて迄凝つとし居り。明けて一番に外に出づるもカツプらしきもの影も形も無し。而してニツカボツカ脫ぎてそつと右足を見るに。我太腿に赤く充血したる大人大の手指が蹟夫々五つくつきりと殘りをりき。我一九八一年七月二十五歲が折の體驗也。

               →以上、八~十四迄口語原話へ

十五

 我大學生の折澁谷區代官山襤褸アパアト二階三畳間に下宿なしたり。一階には大家が從兄弟夫婦の住みなしそが二十代の嫁御は沖繩の產なりき。初夏の日曜吾安きジインズが下穿きを買ひそが嫁御に裾上げを賴みしに瞬時に成したらんとて縫ひ吳るるを見つつ沖繩が話に花咲きたり。そが嫁御の語りし話なり。吾小學二年の折しが風邪患ひて數日休みたり。快癒して行かば同級が女子の「やしがうんじゅは一昨日何であんなとぅくるに居ったん?」「あんなとぅくるて?」「森が傍ぬガジュマルぬ上から、わんぬこと見下ろして笑ってたさ。ずる休みいけないんだー言うとぅーし、けらけら笑つてるだけだったさ」女子の告げし日は未だ熱出でをりて家にしも臥せりける折も折にて家より出づる事等思ひも寄らぬ事故そを謂ひしに友どちぞいみじう氣味惡がりける。家に戾り來て恐懼しつつおばぁにそが話を明かしつ。時におばぁが顏色俄かに變はるや急ぎ吾を連れ近きが方の老いたるユタが許へ行きたり。ユタは短刀を吾眼前に振り翳しつつ切りかかるが如き仕草何度もせり。吾殺さるるかと思ひたり。他に恥かしく憚る處ありて話す事能はざる行ひをされしこともあり。而してユタの大事あるが如くおばぁに謂ひし事。「イキマブイはじ、マブイグミさびら」そが後吾は友どちが言ひしガジユマルが木下に連れ行かれる。ユタは地に土饅頭を作り何やらん木枝を刺して拜む。然る後件のガジユマルの木幹を何たびか撫で摩りてそが手を吾胸に置きて强くとんと押したり。「これでいいさー」とユタ言ひて後そが恐ろしくきつき顏の緩みて初めて安堵の笑みありしとなむ。昭和六十年代初頭沖繩本島にての事也。冒頭に記せし如昭和五十一年初夏筆者十九歲の折そが嫁御自身より直に聞きたる也。


十六

 我敎員になりし頃我行きつけたりしパコてふ大船がスナツクにて三十絡みの仲宗根某といふ飮み仲間から聞きし話。吾小學生の折首里郊外が借家に住なしけり。おかぁは病にて身罷り三人兄弟末つ子にて道路工事土方の生業にて遲きおとぅは吾等を起すを憚らんか玄關脇直ぐの四疊半に寢起きするを常とせり。されど每夜一時過ぎぬと覺えし頃父寢ぬる部屋より鄰なる吾等が雜魚寢せし六疊居間に「うー、うー」てふおとぅの如何樣苦しげなる呻き聲の聴こゆ。そは小學低學年なる吾にても慄つと目醒まさんが程のおどろおどろしき響きなりき。或日思ひ餘りて吾父に聞きぬ。「おとぅ、每晩でーじ苦しそう」然ればこそおとぅ吾等に下の如語りき。遅く歸り來て疲るればばたり眠る。されどそがうちに赤ん坊が泣き聲の遠きより聞こえ來る。薄く眼開くるに御前等が寢ぬる部屋と己が四畳半の間の障子に空きたる小さき穴の見ゆるに其處より更に小さきいとをかしげなる女の出で來たるとなむ。「ぐまさん、ぐまさんうふちゅぬいなぐさ、とーがうとぅるさん」と。或日學校より歸り來りし吾近きがユタなるおばぁの吾家前にて御拂ひに用ふべき木枝を地面に刺し豈圖らんや吾家が方を拜みしに出くはしたり。おばぁの吾に氣づくにそそくさと立去りしが吾その夜件の晝の出來事をおとぅに告ぐ。翌日おとぅはユタが元を訪ね懇ろに前日の晝の拜みの譯を尋ねたり。然ればこそユタのおとぅに下の如語りき。沖繩戰にて燒かるる前汝が借家が前身なるは產婆が住まふ家なりき。そが產婆いらぬ子を子慾しき家へ按配し吳れんが故に、大いに流行りたり。然れど滅多にそが周旋せし子の消息を聞くものは無きがやや不審なりたりき。戰後行方知れずになりしそが產婆の家の燒けし蹟見るにそが家の中に隱し井戶の拵へたるを見出したりと云々。家に戾りしおとぅは自身の寢ぬるところの四疊半の板敷きを上げて見たり。そが眞下には黴蔓延り苔蒸したる廢井戶の奈落へ黑き口開けて在りきとなむ。彼のユタを呼びて御祭せしは言はずもがな。そが後おとぅの魘さるること絕えてなかりきと。昭和三十年代の事也。昭和六十五年年末我二十三歲の折直に仲宗根某より採話す。因みに本話及び前十五話中沖繩方言はインタアネツト内沖繩言語研究センタアデエタベエスが頁を參考にせし我の手前勝手に想像致せしものなるに因りて正確には程遠きものなるを重々承知されたし。


               →以上、十五及び十六口語原話へ