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[やぶちゃん注:HP版「雨月物語 靑頭巾」を原典としたが、語りの効果を保持するため、正字正仮名遣とし、場面のリアリズムを最重要と考え、適宜、理解の補いのための敷衍訳と、自由な改行を行った。【2011年1月22日追記:久し振りの授業を行ったのを期に一部表現を改めた。】]

 

 雨月物語 卷の五

 

              靑 頭 巾

   やぶちゃん訳   (copyright 2005 Yabtyan)

 

 昔、快庵禪師と言ふ、まことに、德の高いお坊樣があらしやつた。お若い頃より、禪家の敎外別傳(けうげべつでん)の敎へを明らかにされて、常に御身を行雲流水(こううんりうすゐ)の行脚の旅に委ねてあらつしやつた。或る年のこと、美濃の國の龍泰寺(りやうたいじ)での、夏安居(げあんご)を終へられ――さても、この秋は奧羽のかたにて行住坐臥と致さうぞ――と、お旅立ちになられた。さても、只管(ひたすら)、步みを重ねて、下野の國にお入りになつた。……

 富田(とみだ)といふ里まで來た頃、日もとつぷりと暮れてしまつたので、大きな構への、裕福さうな家に立ち寄り、一夜の宿りをお求めになられた。と、丁度、野良を終へて田畑から戾るさの男どもは、黃昏時の薄暗がりに、この僧の立つてゐるのを見ると、さも大いに怖れて、

「山の鬼がやつて來よつた! 皆の衆! 出て來い!」

と聲も限りに叫び喚く。家の中でも大騷ぎになつて、女子供は泣き叫び、轉がるやうにして、家内のあちこちの影に身を隱す始末。その騷ぎに、家の主(あるじ)が太い天秤棒を取つて走り出して來て、外の方を見る、と、年の頃、五十にもならうかといふ老いた僧で、頭に紺染めの頭巾を被り、身に墨染めの破れたのを着て、布に何やら包んだ物を背負ふてをる、それが、杖で主を指し招くと、

「御主人(おんあるじ)、一體、何として斯くも身構へなさるのか。諸國遍歷を旨と致す僧でありまする我、今夜一夜(ひとよ)ばかりの宿を借り申さんと、ここに取り次いで吳れるお人を待つてをりましたれど、何ともはや、思ひもよらず、斯くまで怪しまるるとはのう。斯くの如き痩法師が、强盜など致すも叶ふまいに。どうか、お怪しみなさいまするな。」

と言ふ。主は天秤棒を捨てると、手を打つて笑ひ、

「かの下男どもの愚かな眼(まなこ)によつて、お坊樣を驚ろかし申し上ぐることと相成つてしまひました。一夜の宿をお世話致しまして、この罪をつぐなひ申し上げんと存じまする。」

と、恭しく奧の方に迎へ入れ、快よく食をも供し、もてなして吳れたのであつた。

 

 さて、その晩のこと、主は次のように語つた。

「先程、下男どもがお坊樣を見て鬼が來たと恐れ騷いだのも、さるいはれのあるので御座いまする。この地に、世にも稀なる話が御座いまするのぢや。それはもう、信じ難い怪しきことなれど、どうか、人にも語り傳へて頂ければ……。

……此の里の上の山に、一宇の寺が御座る。元は小山(おやま)氏の菩提寺で、代々、德の高いお坊樣が住して居(を)られました。今の阿闍梨樣は、著名にして憚られる方の甥御(をひご)であらせられたが、殊の外、篤學修行の聞えめでたいお方で、この國の者は誰(たれ)もが、お布施致して、歸依し申し上げてをつたもので御座います。拙宅にも、しばしばお出かけ下すつて、私めも、もう、心より、お仕へ申し上げてをつたので御座いますが、去年の春のことで御座います。越後の國へ灌頂(かんぢやう)の戒師に迎へられなすつて、百日あまりあちらにお留まりになられたのですが、その國より十二、三歲ほどの少年を伴ふてお歸りになられ、身の囘りの世話をさせなさるやうになりました。この少年の、姿形のみやびやかなるを、深くお愛しになられ、……その、それまでのご修行、ご精進も、何時(いつ)とはなしに、怠りがちになられたかとも、お見受け申しました……。

 ところが、今年の四月の頃、その少年が、何でもない、ちよつとした病ひに罹りましたが、日を經るに從つて、重くなり、苦しみ悶えるのを、阿闍梨樣は痛くお悲しみになられて、國府の典藥醫の中でも、選りすぐりの方までお迎へなすつたのですが、その效(かひ)ものう、終(つひ)に亡くなつてしまつたので御座います。

 懷(ふところ)の璧(たま)をうばはれ、挿頭(かんざし)の花を嵐に散らしてしまはれた思ひ、泣くに淚なく、叫ぶに聲なく、あまりにお歎げきになるままに、火に燒き、土に葬ることをもせず、頰に頰をもたせ、手に手をとつて日をお暮らしなさるうち、……遂に心亂れ、生きてをつた時と違(たが)ふことなく、少年の骸(むくろ)と戲れつつ、……その、肉の腐りるれるを惜しんで、肉を吸ひ、骨を嘗(な)めて、すつかり喫(く)らひ盡くしてしまわれたので、御座います……。

 寺の他の人々は、もう、『院主は鬼となつて仕舞はれた!』と慌ただしく逃げ去つて、……その後(のち)は、……夜々(よなよな)里に下りて人を愕(おどろ)かし、或ひは新墓地(しんぼち)を暴(あば)いて腥々(なまなま)しい屍(しかばね)を喫(く)らふ有樣、『實(まこと)に鬼と言ふものは昔物がたりには聞きもしつれど』で御座いまする、實(まこと)に眼の前で、阿闍梨樣がこのやうに成られるのを、見てしまふたので御座います。

 しかし、どうして、この忌まわしい所行を、我等に止めることが出來ませうぞ。それ以來、家ごとに暮れを限つて、堅く門戶を鎖(とざ)してをりますれば、近頃は、國中へも聞えて、人の行き來さへなくなる始末で御座いまする。そのやうな譯が御座いますればこそ、お坊樣をも、てつきりと見誤つたのでご座います。」

と。

 快庵禪師はこの物語をお聞きになられ、

「世には不可思議な事もあるものぢやのう。凡そ人と生まれながら、佛、菩薩の、その敎への廣大無邊なることをも知らず、愚なるまま、捻(ね)ぢ曲がつた心のままに世を終はる者は、その愛慾と邪念の業(ごふ)に捕らへられ、或る時は、その元の獸(けもの)の姿形をあらはして、恨みを報ひ、また或る時は、鬼と化し、蟒(みづち)と化して祟りをなす。さう言つた例(ためし)は、古(いにし)へより今に至るまで數ふるに盡くしがたい程ぢや。また人が生きながらにして、鬼に化するもある。楚王の女官は蛇(をろち)となり、王含(わうがん)の母は夜叉(やしや)となり、吳生の妻は蛾となつた。

 また、古くは、ある僧が旅の途次、みすぼらしい一家(ひとや)に一夜(ひとよ)の宿を乞ふた。その夜(よ)は、雨風(あめかぜ)激しく、されど、燈(ともしび)さへない。そんなわびしさに一睡も出來なんだ。夜更けて、羊(ひつじ)の鳴く聲が聞える。暫らくして、その僧の眠りを覗(うかが)ひながら、しきりに僧の體(からだ)を嗅ぐものがある。僧はこれは怪しきことと見て、枕上に置いた禪杖をもつて强く擊つたところ、その怪しきものは、大聲で叫んで、その場に倒れた。この音に主(あるじ)の嫗(うば)なるものが、燈(ひ)を點(とぼ)してやつて來た。さうして見ると、若い女が倒れてをつたのぢや。嫗は泣く泣く命を乞ふた。是非もない。件(くだん)の怪しさは打ちやつて其家を出たが、……その後(のち)、また緣あつて其の里を通ることがあつた。が、田圃の中に、人が、澤山、集まつてをるのを見かけたによつて、僧も立ち寄ると、『一體何事ですかな。』と尋ねたところが、里人が答へて、『鬼に化した女を捕へて、今、土に埋めるところぢや。』と語つたと言ふことぢや。

 されど、これらは皆、女の話であつて、男たるものが、このやうに變化(へんげ)したといふ話は、これ、未だ聞いたことがない。そもそも女の性(さが)が、餘りにも捻(ね)ぢ曲がつたものであるからして、このやうな淺ましい物の怪にも化するのぢや。まあ、男にも、隨の煬帝の臣家にをつた麻叔謀(ましゆくぼう)といふ者が、小兒(しやうに)の肉を好み、潛(ひそ)かに民の小兒をかどわかしては、これを蒸して喫(くら)ふたといふ話もあるやうぢやが、これは淺ましい食人(じきにん)と言ふ習はしであつて、ご主人のお語りになつたこととは、また、違ふぢやろう。

 それにしても、その阿闍梨が、鬼になつてしまふたといふことこそ、過去の因緣といふものであらう。そもそも、常の修行や人德が秀でてをつたといふことは、佛に仕へるに眞心を盡したからであつて、假(かり)に、もし、その少年を稚兒として引き取らなかつたならば、あはれ、今もよき法師であることが出來たであらうに。一度(ひとたび)、愛慾といふ、最も離(さ)り難き煩惱の迷路に入り込み、無明の熾烈なる業火によつて、鬼と化して仕舞ふたのも、考へやうに據れば、偏(ひとへ)に、强く一途な强い性(さが)の成した所爲といふものぢや。『心を放漫に致さば、妖魔となるが、その心をしつかりと引き收むる時、それは菩提心となる。』とは、此法師の事を言ふのぢやのう。拙僧が、もし、この鬼を敎化(けうげ)して本(もと)の心に立ち返らせたとならば、今宵(こよひ)の一宿一飯の恩義の報ひとも、なるで御座らう。」

と、快庵禪師は尊(たつと)いお志しを發願(ほつがん)なされた。主は頭(かふべ)を疊に摺(す)りつけて、

「お坊樣がそのやうなことを成し遂げなさつて下さつたならば、この國の者は、淨土に生まれ變はつたやうなもので御座いまする!」

と、淚を流して喜んだ。

 山里の一夜の宿り、貝鐘(かひがね)の音(ね)も聞えず、二十日過ぎの下弦の月も出、古びた雨戶の隙間からその光の洩れるのに、夜が更けたのも知られて、

「どうか、ごゆるりとお休みなさいませ」

と、主も寢所へと去つた……。

 

 ……山の寺は誰(たれ)一人使ふ者も居らねば、樓門は荊棘(うばら)が生ひ茂り、經閣も空(むな)しく苔むしてをる。蜘蛛が網を掛けて諸佛を繫ぎ、燕(つばくら)の糞(くそ)が護摩の床(ゆか)を埋め、方丈、廊房は、盡く、凄まじいまでに荒れ果ててをつた。

 日影が申(さる)に傾(かたぶ)く頃、快庵禪師は寺に入つて、錫杖をお鳴しになり、

「諸國遍歷の僧、一夜(ひとよ)ばかりの宿を、お貸し下されい。」

と何度も聲をかけたが、一向、答へる者がない。

 すると、眠藏(めんざう)から、老いさらばへた僧が、弱々しう步み出て來ると、咳(からび)た聲で、

「御僧(ごそう)は何處(いづこ)へ行かんとして此處(ここ)へ來られたのか。この寺はさる故(ゆゑ)あつて、このやうに荒れ果て、人も住まぬ荒野(あらの)となつて仕舞ふた故、一粒(いちりふ)の齋糧(ときりやう)もなく、一夜(ひとよ)を貸すことのできる用意とて御座らぬ。早く里に下(くだ)らるるが、よい。」

と言ふ。

 禪師、答へて言ふ。

「拙僧は美濃の國を出でて、陸奧(みちのく)へ參るさの旅にて御座いまするが、この麓の里を過ぎました折、山の威容(かたち)、水の流れの面白さに、思はずもここに詣でました。日も斜(ななめ)なれば、里に下るも時、既に遲きに、是非とも、一夜を、お貸し下されい。」

 主(あるじ)の僧、答へて言ふ。

「このやうな荒野にては、よからぬ事もあろうかと存じまするぞ。……されば、强ひてお引止めする譯には參らぬのぢや。……が、强ひて行けと言ふ譯でも、……これ、ない。……貴僧のお心の儘に……」

と言ふと、二度と口を利かぬ。此方(こなた)からも一言も問はず、主の傍らに座を占めて坐つた。

 みるみるうちに日は入り果て、大層暗い宵闇(よひやみ)の夜となる。燈(ひ)も擧げないので、眼の前さへ、定かでない。……ただ谷水(たにみづ)の音だけが、間近に聞える。……

 あるじの僧もまた眠藏に入つて、物音一つ、立てぬ……。

 

 ……夜が更け、昇り來たつた月の夜となつた。月影、玲瓏(れいろう)として、邊り一帶、隈なく照らし出す。

 子(ね)一つにもなつたかと思はれる頃おひである。

 主の僧が眠藏を出て來た。と、慌ただしく何かを搜してをる樣子。しかし、それが見つからずに、大きな聲で叫び、

「糞坊主! 一體、何處(どこ)に隱れをつた! この邊りに、確かに、居つたに!」

と、禪師の前を幾度(いくたび)も走り過ぎた。しかし、少しも禪師を見ることはなかつた。堂の方に駈けゆくかと見れば、庭をめぐつて躍り狂ひ、遂に疲れ伏した儘、起き上がる氣配ものうなつた。……

 

 夜が明けて朝日がさし出づると、阿闍梨は、深酒の醉ひが醒(さめ)た如く、よろよろと起き上がると、禪師が元の所に在(いま)すを見て、ただ呆れに呆れた樣子で、ものさへ言はず、柱に凭(もた)れ、溜め息をつくと、押し默つて坐つてをるのであつた。

 禪師は近く進み寄つて、

「御住持、何をお歎きになつてをらるる? もし、飢ゑてをらるるとなら、拙僧が肉を喫(くら)らひ、御腹(おほんはら)をお滿たしになられよ。」

と言ふた。

 主の僧は尋ねる。

「師は、夜もすがら、そこに、居られたのですか。」

 禪師、答へて言ふ。

「ここに坐つて、一睡もしませなんだ。」

 主の僧、言ふ。

「私めは、淺ましくも、人の肉を好みまする……が、未だ佛者の肉味(にくみ)を知りませぬ…………師は、まことに、佛で、御座る! 鬼畜の暗い眼(まなこ)をもつて、生き佛(ぼとけ)の來迎(らいがう)を見んとするとも、見ること、叶はぬこと、これ、まことの道理で御座つた! ……ああつ、何と尊(たつと)いことぢや!……」

と頭(かうべ)を垂れて、再び押し默つてしまつた。

 禪師は徐ろに言ふ。

「……里人の語るを聞けば、汝は一度(ひとたび)愛慾に心亂れてより、忽ち、鬼畜に墮罪したと。されば、それは、あさましいとも、哀しいとも言ふべき、世にも稀なる惡因緣ぢや。加へて、宵々(よひよひ)里に出でては、人を脅かすゆゑに、近くの里人は、皆、恐れ慄(おのの)いてをる。我はこれを聞いて、捨つるに忍びず、わざわざ此處(ここ)に來たつて、汝を敎化(けうげ)し、本(もと)の心に返らせんと思ふが――汝は――我が敎へを――聞くや否や?!」

 主の僧は答へた。

「師は――まことの佛――このやうに淺ましい己(おの)が惡業を、今、直ちに捨て去ることの出來る理(ことわり)を――お敎へ下されい!」

 禪師、言ふ。

「――汝が聞くとならば――ここに、來い――」

 さうして、緣の前の、平たい石の上に阿闍梨を座らせると、自(みづか)らがお被(かぶ)りになつて居られた紺染(あをぞめ)の頭巾を脫ぎ、僧の頭(かうべ)に被らすと、證道(しやうだう)の歌の二句を、お授(さづけ)になつた。

 

  江月照松風吹(かうげつてらしせうふうふく)

     ――月影 川面を照らし 松風 吹く――

  永夜淸宵何所爲(えいやせいせうなんのしよゐぞ)

     ――この永き夜(よ) 淸らかな淸々(すがすが)しき宵 これは何故(なにゆゑ)か?――

 

「――汝は此處を去ることなく、靜かに、この句の心を求むるがよい――その眞意を解くことが出來た時――自(おのづ)から、本來の佛心に――會ふであらう――」

と、懇(ねんご)ろに敎へ諭すと、そのまま、山をお下りになられた。 

 これより後(のち)、里人は阿闍梨の恐ろしい災ひから、一切、救はるること相ひ成つた。

 とは言ふものの、猶、僧の生死を知ることがなかつた故に、疑ひ恐れ、人々は山に登ることを戒めてをつた。――

 

 一年が瞬く間に過ぎた。

 明くる年の冬、十月(かんなづき)の初め、快庵樣は。奧州路の歸るさに、再び、この富田(とみだ)の地をお通りになられたが、あの一夜(ひとよ)の主の家に立ち寄り、かの僧の消息をお尋ねになられた。

 主は喜んで迎へると、

「お坊樣のありがたい御德(おほんとく)によりまして、鬼は、二度と、山を下つて參りまさねば、ほんに、人は、皆、淨土に生まれ變はつたやうなもので御座いまする!……しかし、山に行くことは、皆、恐ろしがりまして、一人として登るものは御座いませぬ。されば、あの阿闍梨樣の御消息も存じませぬが、如何しても、今まで、生きては、をられますまい。……今宵のお泊りに、かの阿闍梨樣の菩提をお弔ひ下さいませ。誰(たれ)も皆、隨緣仕りまする。」

と言ふた。

 禪師はそれを聽くと、次のように答へた。

「――彼(か)の阿闍梨が、善行(ぜんぎやう)のお蔭にて、遷化(せんげ)せしとならば――拙僧にとつては――道の先達(せんだつ)の師――とも言ふべき者ぢや。――また、もし、生きてある時は――拙僧のために、一人の弟子――されば、何(いづ)れに致いても、その消息を見ないでは、をられぬ。」

と。

 

 再び禪師は山にお登りになつた。

 まこと、人の行き來の全く絕えたと見えて、去年(こぞ)、踏み分けて辿つた道とも思はれぬ。

 寺に入(い)つて見ると、荻、尾花が、人の丈よりも高(たか)ふ生ひ茂り、草木におく露は、時雨(しぐれ)めいて、禪師の袖に降り零(こぼ)るる。

 寺内(てらうち)の道さへも、最早、判然とせず、堂閣の戶は右左に倒れ、方丈、庫裡に巡らせた廊も、朽ちた其處彼處(そこここ)に雨水を含み、すつかり苔むしてをる。

 さて、あの僧を座らせた緣の邊りを探して見た。

――と――薄ぼんやりとした人影が――僧とも俗とも判らぬままに――髭や髮も――茫々と亂れた――その上に――葎(むぐら)が――幾重にも絡み付き――尾花も一面に押し靡いてをる――

――その中に――蚊の鳴くばかりの――細い聲が聽こえる――

――それは――物を言ふやうにも聞えぬやうなれど――

――ぽつり

――ぽつりと

――唱ふるを――聞かうなら――

 

「……江月照松風吹……永夜淸宵何所爲……」

 

禪師は、それをご覽になるやいなや、卽座に禪杖を拿(と)り直し、

 

「作麼生何所爲(そもさんなんのしよゐ)ぞ!」

    ――如何に!――それは何の故か?!

 

と――一喝!

――彼(かれ)の――頭(かうべ)を撃ちなすつた――

――と――

忽ち、彼(かれ)の姿は、氷が朝日に逢ふて溶くるが如く、消え失せ、あの靑頭巾と……白い……白い骨のみが……草葉の蔭に……留(とど)まつて御座つた……。

――げにも、久しい彼の執念が、今、此處に、消え盡くしたのであらうか――

――尊(たつと)い佛の道の理(ことわり)が、此處にこそ、あるのであらう――。

 

 さうして、禪師のご高德は、遠く雲の彼方、海の果てまでも聞えて、

『初祖の肉いまだ乾かず――達磨大師樣は今も生きて居らるる――』

と、賞讚されたと言ふことで御座る。

 かくして、里人は集(つど)ふて、寺内(てらうち)を淸め、修理修繕を致いて、禪師を開祖と推し戴き、此處(ここ)にお住み頂いたことから、それを以つて、元の眞言の密宗を改め、曹洞の靈場をお開きになられた。

 今猶、お寺は、尊(たつと)く榮えて續いてをる、と言ふことで御座る。