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鬼火へ

 [やぶちゃん注:底本は1984年平凡社刊「南方熊楠選集 第三巻 南方随筆」を用いた]

 

睡中の人を起こす法   南方熊楠

 

 インドに古く貴人を睡眠より覚起せしむるに、音楽を奏して徐々に清めしめしことは、『人類学雑誌』二七巻五号三一三頁と同誌二八巻八号四四一頁[やぶちゃん注:南方熊楠の「睡眠中に霊魂抜け出づとの迷信」の第一節及び第二節を指す。]に述べおいたが、このごろ日本にも、足利家の公方を睡眠より起こすに特別の作法あるを見出だした。『宗五大艸紙』(明治三十五年、経済雑誌社再翻刻『群書類従』四一三巻五八四頁)に、「毎年節分に伊勢守宿所へ御成り候。中略。また同時御成に供御(くご)過ぎて、そと御静まり候時、同名備後守方に定まりて障子の際へそと参り侯うて鶏の唱うまねを三声仕る。雀の鳴きまねを仕り候えば御ひる(起)ならせ給い候うて還御成り侯。定まりたることにて侯」とある。鶏の鳴き音があまり大きく急に聞こえぬよう隣宅で擬唱し、それでも将軍が眼を覚まさぬ虞(おそれ)あるゆえ、雀の鳴き声をずいぶん長くまねし続けたるなるべし。(大正四年十一月『人類学雑誌』三〇巻二号)