やぶちゃんの電子テクスト:小説・随筆篇へ
鬼火へ
 

桃太郎   芥川龍之介

 

[やぶちゃん注:大正131924)7月発行の雑誌『サンデー毎日』夏季特別号「創作」欄に掲載、後、大正141925)年12月春陽堂より刊行された岸田國士慰問集「白葡萄」なる作品集(辰野隆・山本有三・豊島与志雄・山田珠樹編纂になる病臥した岸田への作家仲間の慰問作品集)に収録された。岩波版新全集注記によれば、岩波版旧全集よりも前のもの(通称、元版・普及版・小型版と呼称)は底本が不詳である。新全集は初出に拠り、更に「白葡萄」及び岩波普及版全集の3種で校合されている。従って校訂上は岩波版新全集が最も優れていることは言を待たない。そこで、私は正字のポリシーを守るために岩波版旧全集をまず底本としてテクストを起こし、次に新全集の校訂版本文及び後記中の校異・旧全集後記中の校異と校合してテクストを構成した。但し、底本は漢数字を除いて総ルビであり、五月蠅いため、音読に迷う箇所のみのパラルビとした(その際に「黄金(おうごん)」「頼光(らいこう)」の底本ルビの歴史的仮名遣の誤りを補正してある)。結果として、正字正仮名であるが、本テクストは現存するどのテクストとも異なるものとなったことをお断りしておく。

 本作が中国旅行体験を経て得られたものであることは、一目瞭然である。そして、何故、芥川が特に桃太郎を選んだのかは、本篇発表に先立つ3ヶ月前、大正131924)年4月発行の『女性改造』に「僻見」の総標題で芥川が記した「岩見重太郎」の中に、既に明らかにされている。必ず併読されたい。末尾に簡単な注を附した。【2009年9月14日】]

 

桃太郎

 

       一

 

 むかし、むかし、大むかし、或深い山の奧に大きい桃の木が一本あつた。大きいとだけではいひ足りないかも知れない。この桃の枝は雲の上にひろがり、この桃の根は大地の底の黄泉(よみ)の國にさへ及んでゐた。何でも天地開闢の頃ほひ、伊弉諾(いざなぎ)の尊(みこと)は黄最津平阪(よもつひらさか)に八つの雷(いかづち)を却(しりぞ)けるため、桃の實を礫(つぶて)に打つたといふ、――その神代(かみよ)の桃の實はこの木の枝になつてゐたのである。

 この木は世界の夜明以來、一萬年に一度花を開き、一萬年に一度實をつけてゐた。花は眞紅の衣蓋(きぬがさ)に黄金(わうごん)の流蘇(ふさ)を垂らしたやうである。實は――實も亦大きいのはいふを待たない。が、それよりも不思議なのはその實は核(たね)のあるところに美しい赤兒を一人づゝ、おのづから孕んでゐたことである。

 むかし、むかし、大むかし、この木は山谷(やまたに)を掩つた枝に、累々と實を綴つたまま、靜かに日の光りに浴してゐた。一萬年に一度結んだ實は一千年の間(あひだ)は地へ落ちない。しかし或寂しい朝、運命は一羽の八咫鴉(やたがらす)になり、さつとその枝へおろして來たと思ふと、小さい實を一つ啄み落した。實は雲霧(くもきり)の立ち昇る中に遙か下(した)の谷川(たにかは)へ落ちた。谷川は勿論峰々の間に白い水煙(みづけぶり)をなびかせながら、人間のゐる國へ流れてゐたのである。

 この赤兒を孕んだ實は深い山の奧を離れた後(のち)、どういふ人の手に拾はれたか?――それは今更話すまでもあるまい。谷川の末にはお婆さんが一人、日本(にほん)中の子供の知つてゐる通り、柴刈りに行つたお爺さんの着物か何かを洗つてゐたのである…………。

 

       二

 

 桃から生れた桃太郎は鬼が島の征伐を思ひ立つた。思ひ立つた譯はなぜかといふと、彼はお爺さんやお婆さんのやうに、山だの川だの畑(はたけ)だのへ仕事に出るのがいやだつたせゐである。その話を聞いた老人夫婦は内心この腕白ものに愛想(あいそ)をつかしてゐた時だつたから、一刻も早く追ひ出したさに、旗とか太刀とか陣羽織とか、出陣の支度に入用(にうよう)のものは云ふなり次第に持たせることにした。のみならず途中の兵糧(ひやうらう)には、これも桃太郎の註文通り、黍團子さへこしらへてやつたのである。

 桃太郎は意氣揚々と鬼が島征伐の途(みち)に上つた。すると大きい野良犬が一疋、餓ゑた眼を光らせながら、かう桃太郎へ聲をかけた。

 「桃太郎さん。桃太郎さん。お腰に下げたのは何でございます?」

 「これは日本一の黍團子だ。」

 桃太郎は得意さうに返事をした。勿論實際は日本一かどうか、そんなことは彼にも怪しかつたのである。けれども犬は黍團子と聞くと、忽ち彼の側へ歩み寄つた。

 「一つ下さい。お伴しませう。」

 桃太郎は咄嗟に算盤を取つた。

 「一つはやられぬ。半分やらう。」

 犬は少時(しばらく)剛情に、「一つ下さい」を繰り返した。しかし桃太郎は何といつても、「半分やろう」を撤囘しない。かうなればあらゆる商賣のやうに、所詮持たぬものは持つたものゝ意志に服從するばかりである。犬もとう/\嘆息しながら、黍團子を半分貰ふ代りに、桃太郎の伴をすることになつた。

 桃太郎はその後犬の外にも、やはり黍團子の半分を餌食に、猿や雉を家來にした。しかし彼等は殘念ながら、あまり仲の好(よ)い間がらではない。丈夫な牙を持つた犬は意氣地(いくぢ)のない猿を莫迦にする。黍團子の勘定に素早い猿は尤もらしい雉を莫迦にする。地震學などにも通じた雉は頭の鈍い犬を莫迦にする。――かういふいがみ合ひを續けてゐたから、桃太郎は彼等を家來にした後も、一通り骨の折れることではなかつた。

 その上猿は腹が張ると、忽ち不服を唱へ出した。どうも黍團子の半分位では、鬼が島征伐の伴をするのも考へ物だといひ出したのである。すると犬は吠えたけりながら、いきなり猿を嚙み殺さうとした。もし雉がとめなかつたとすれば、猿は蟹の仇打ちを待たず、この時もう死んでゐたかも知れない。しかし雉は犬をなだめながら猿に主從の道德を教へ、桃太郎の命に從へと云つた。それでも猿は路ばたの木の上に犬の襲撃を避けた後(あと)だつたから、容易に雉の言葉を聞き入れなかつた。その猿をとうとう得心させたのは確に桃太郎の手腕である。桃太郎は猿を見上げた儘、日の丸の扇を使ひ使ひわざと冷かにいひ放した。

 「よしよし、では伴をするな。その代り鬼が島を征伐しても、寶物(たからもの)は一つも分けてやらないぞ。」

 慾の深い猿は圓い眼をした。

 「寶物? へええ、鬼が島には寶物があるのですか?」

 「あるどころではない。何でも好きなものゝ振り出せる打出の小槌といふ寶物さへある。」

 「ではその打出の小槌から、幾つもまた打出の小槌を振り出せば、一度に何でも手にはいる譯ですね。それは耳よりな話です。どうかわたしもつれて行つて下さい。」

 桃太郎はもう一度彼等を伴に、鬼が島征伐の途を急いだ。

 

       三

 

 鬼が島は絶海の孤島だつた。が、世間の思つてゐるやうに岩山ばかりだつた譯ではない。實は椰子の聳えたり、極樂鳥の囀つたりする、美しい天然の樂土だつた。かういふ樂土に生を享けた鬼は勿論平和を愛してゐた。いや、鬼といふものは元來我々人間よりも享樂的に出來上つた種族らしい。瘤取りの話に出て來る鬼は一晩中踊りを踊つてゐる。一寸法師(すんはうし)の話に出て來る鬼も一身の危險を顧みず、物詣での姫君に見とれてゐたらしい。成程大江山の酒顚童子や羅生門の茨木(いばらき)童子は稀代(きだい)の惡人のやうに思はれてゐる。しかし茨木童子などは我々の銀座を愛するやうに朱雀大路を愛する餘り、時々そつと羅生門へ姿を露はしたのではないであらうか?、酒顚童子も大江山の岩屋に酒ばかり飮んでゐたのは確である。その女人を奪つて行つたといふのは――眞僞は少時問はないにもしろ、女人自身のいふ所に過ぎない。女人自身のいふ所を悉く眞實と認めるのは、――わたしはこの二十年來、かういふ疑問を抱いてゐる。あの賴光(らいくわう)や四天王はいづれも多少氣違ひじみた女性崇拜家ではなかつたであらうか?。

 鬼は熱帶的風景の中に琴を彈いたり踊りを踊つたり、古代の詩人の詩を歌つたり、頗る安穩(あんおん)に暮らしてゐた。その又鬼の妻や娘も機を織つたり、酒を釀したり、蘭の花束を拵へたり、我々人間の妻や娘と少しも變らずに暮らしてゐた。殊にもう髮の白い、牙の脱けた鬼の母はいつも孫の守りをしながら、我々人間の恐ろしさを話して聞かせなどしてゐたものである――。

 「お前たちも惡戲(いたづら)をすると、人間の島へやつてしまふよ。人間の島へやられた鬼はあの昔の酒顚童子のやうに、きつと殺されてしまふのだからね。え、人間といふものかい?、人間といふものは角の生えない、生白(なましろ)い顏や手足をした、何ともいはれず氣味の惡いものだよ。おまけに又人間の女と來た日には、その生白い顏や手足へ一面に鉛の粉(こ)をなすつてゐるのだよ。それだけならばまだ好(よ)いのだがね。男でも女でも同じやうに、嘘はいふし、慾は深いし、燒餠は燒くし、己惚(うぬぼれ)は強いし、仲間同志殺し合ふし、火はつけるし、泥棒はするし、手のつけやうのない毛だものなのだよ……」

 

         四

 

 桃太郎はかういふ罪のない鬼に建國以來の恐ろしさを與へた。鬼は金棒を忘れたなり、「人間が來たぞ」と叫びながら、亭々と聳えた椰子の間を右往左往に逃げ惑つた。

 「進め! 進め! 鬼といふ鬼は見つけ次第、一匹も殘らず殺してしまへ!」

 桃太郎は桃の旗を片手に、日の丸の扇を打ち振り打ち振り、犬猿雉の三匹に號令した。犬猿雉の三匹は仲の好い家來ではなかつたかも知れない。が、饑ゑた動物ほど、忠勇無雙の兵卒の資格を具へてゐるものはない筈である。彼等は皆あらしのやうに、逃げまはる鬼を追ひまはした。犬は唯一嚙みに鬼の若者を嚙み殺した。雉も鋭い嘴(くちばし)に鬼の子供を突き殺した。猿も――猿は我々人間と親類同志の間がらだけに、鬼の娘を絞殺す前に、必ず凌辱を恣(ほしいまま)にした……。

 あらゆる罪惡の行はれた後、とうとう鬼の酋長は命をとりとめた數人の鬼と、桃太郎の前に降參した。桃太郎の得意は思ふべしである。鬼が島はもう昨日のやうに、極樂鳥の囀る樂土ではない。椰子の林は至る處に鬼の死骸を撒き散らしてゐる。桃太郎はやはり旗を片手に、三匹の家來を從へたまゝ、平蜘蛛(ひらぐも)のやうになつた鬼の酋長へ嚴かにかういひ渡した。

 「では格別の憐愍により、貴樣たちの命は赦してやる。その代りに鬼が島の寶物は一つも殘らず獻上するのだぞ。」

 「はい、獻上致します。」

 「なほその外に貴樣の子供を人質の爲にさし出すのだぞ。」

 「それも承知致しました。」

 鬼の酋長はもう一度額を土へすりつけた後、恐る恐る桃太郎へ質問した。

 「わたくしどもはあなた樣に何か無禮でも致した爲、御征伐を受けたことゝ存じて居ります。しかし實はわたくしを始め、鬼が島の鬼はあなた樣にどういふ無禮を致したのやら、とんと合點が參りませぬ。就いてはその無禮の次第をお明し下さる譯には參りますまいか?」

 桃太郎は悠然と頷いた。

 「日本一の桃太郎は犬猿雉の三匹の忠義者(もの)を召し抱えた故、鬼が島へ征伐に來たのだ。」

 「ではそのお三かたをお召し抱へなすつたのはどういふ譯でございますか?」

 「それはもとより鬼が島を征伐したいと志した故、黍團子をやつても召し抱へたのだ。――どうだ?、これでもまだわからないといへば、貴樣たちも皆殺してしまふぞ。」

 鬼の酋長は驚いたやうに、三尺ほど後(うしろ)へ飛び下ると、愈々又叮嚀にお時儀をした。

 

       五

 

 日本一の桃太郎は犬猿雉の三匹と、人質に取つた鬼の子供に寶物の車を引かせながら、得々と故郷へ凱旋した。――これだけはもう日本中の子供のとうに知つてゐる話である。しかし桃太郎は必ずしも幸福に一生を送つた譯ではない。鬼の子供は一人前になると番人の雉を嚙み殺した上、たちまち鬼が島へ逐電した。のみならず鬼が島に生き殘つた鬼は時々海を渡つて來ては、桃太郎の屋形へ火をつけたり、桃太郎の寢首をかゝうとした。何でも猿の殺されたのは人違ひだつたらしいといふ噂である。桃太郎はかういふ重ね重ねの不幸に嘆息を洩らさずにはゐられなかつた。

 「どうも鬼といふものの執念の深いのには困つたものだ。」

 「やつと命を助けて頂いた御主人の大恩さへ忘れるとは怪(け)しからぬ奴等でございます。」

 犬も桃太郎の澁面(じうめん)を見ると、口惜(くや)しさうにいつも唸つたものである。

 その間(あひだ)も寂しい鬼が島の磯には、美しい熱帶の月明りを浴びた鬼の若者が五六人、鬼が島の獨立を計畫する爲、椰子の實に爆彈を仕こんでゐた。優しい鬼の娘たちに戀をすることさへ忘れたのか、默々と、しかし嬉しさうに茶碗ほどの目の玉を赫(かゞや)かせながら、……

 

       六

 

 人間の知らない山の奧に雲霧を破つた桃の木は今日(こんにち)もなほ昔のやうに、累々と無數の實をつけてゐる。勿論桃太郎を孕んでゐた實だけはとうに谷川を流れ去つてしまつた。しかし未來の天才はまだそれらの實の中に何人とも知らず眠つてゐる。あの大きい八咫鴉は今度は何時(いつ)この木の梢へもう一度姿を露はすであらう? あゝ、未來の天才はまだそれらの實の中に何人とも知らずに眠つてゐる。……

 

■やぶちゃん注

   「一」注

・「黄最津平阪」通常は「黄泉比良坂」と表記する(私は不勉強ながらこの芥川のような表記を見たことがない)。高天原は葦原中国(あしはらのなかつくに=日本)を介して根堅州国(ねのかたすくに=黄泉国)とつながっているが、その葦原中国と黄泉国の間にあるのが黄泉比良坂である。伊邪那岐(伊弉諾 イサナキ)は。国産み・神産みの過程で迦具土神(カグツチ)を産んだために陰部が焼け爛れて亡くなった妻伊邪那美(伊弉冉・伊弉弥 イサナミ)を追ってこの坂を抜けて黄泉国へと入る。闇の中、イサナキの帰還を乞うが、黄泉御喫(よもつへぐい:黄泉国の食物を口にすること)をしたイサナミは冥界の王の許諾を得るために隣室に退く。それをイサナキは盗み見、そこに腐れ爛れ変容したイサナキを見出して、驚いて逃げ出す。自らの恥を知られたイサナキは怒って、黄泉醜女(よもつしこめ)に追撃させるが、逃げるイサナキはまず自身の髪飾りのエビ(山葡萄)の蔓を投げ、そこから生えた葡萄を黄泉醜女らが食べるうちに逃げ、次に髪に挿していた竹製の湯津津間櫛(ゆつつまくし)の歯を投げ、筍となったそれを彼女らが食べるうちに逃げ延びる。遂に自ら追ってきたイサナミにまさにこの黄泉比良坂で追いつかれるのであるが、その坂の葦原中国側の入り口は桃の木が生えており、その実をイサナキに投げつけることで逃走に成功する(こうした構成を呪的逃走神話と呼称し、汎世界的に見られるものである。三つのアイテム、その中に櫛が含まれる点等、極めて興味深い共通項がある)。

・「八つの雷」「日本書紀」の諸本では前述の黄泉醜女は8人となったり、更に彼女らの後に、イサナミが覗き見をした際にイサナキの腐った身体から生まれ出でていた醜悪な雷神8神(頭部の大雷・胸部の火雷・腹部の黒雷・陰部の柝雷・左手の若雷・右手の土雷・左足の鳴雷・右足の伏雷)の別働隊を発したともある。

・「衣蓋」は絹を張った柄の長い傘。古く、貴人の外出の際、後ろからさしかけるのに用いた。また、仏像にかざす天蓋の謂いもある。

・「流蘇」は「りゅうそ」とも読み、本来は中国の装身具の一種である。清代満州族の女性が大拉翅(だいろうし:頭部に載せる扇状の髪飾り。)の上にぶら下げる飾り。多色の羽毛または絹糸を束ねて房状にしたもので、単体としては「穂子」(スイズ:中国語の「房」の意。)として京劇等の舞台衣装のスカートの下についているものを言う。これ自体が「流蘇樹」、キク亜綱ゴマノハグサ目モクセイ科ヒトツバタゴ Chionanthus retususの花の形から発想されたものと言われる(以上は主にフレッシュアイペディアの「流蘇を参照した)。

・「八咫鴉」は神武東征の際に天から遣わされて熊野から大和への神武天皇に道案内をしたとされる烏で、一般には3本足とされる。八咫は「大きい」の意。熊野牛玉宝印参照。

・「運命は一羽の八咫鴉になり、さつとその枝へおろして來たと思ふと、小さい實を一つ啄み落した。」この部分、岩波普及版全集では「運命は一羽の八咫鴉になり、さつとその枝へおろして來た。と思ふともう赤みのさした、小さい實を一つ啄み落した。」となっている。

   「二」注

・「地震學などにも通じた雉」地震とキジとの関係は古来から言い伝えられており、キジが鳴いたり、高い木に止まったりした直後に地震が発生するという記事は、現在のネットキジ(記事)にも枚挙に暇がない。

   「三」注

・「茨木童子」は酒呑(しゅてん)童子の強力な配下の一人。生まれた時に既に歯が生え揃い、巨体であったと言われる。御伽草子の「酒呑童子」では一味は源頼光とその四天王(渡辺綱・坂田金時・卜部季武・碓井貞光)によって退治されたとするが、茨木童子は辛くも逃げ延び、その後も渡辺綱と一条戻り橋や羅生門で戦い、片腕を切り落とされたりして、後世の説話や芸能にインスパイアされて長命を保っている(以上は主にウィキ茨城童子」を参照した)。

・「酒顚童子も大江山の岩屋に酒ばかり飮んでゐたのは確である。その女人を奪つて行つたといふのは――眞僞は少時問はないにもしろ、女人自身のいふ所に過ぎない。女人自身のいふ所を悉く眞實と認めるのは、――わたしはこの二十年來、かういふ疑問を抱いてゐる。あの頼光や四天王はいずれも多少氣違ひじみた女性崇拜家ではなかつたであろうか?。」御伽草子の「酒呑童子」では、山伏に変装した頼光と四天王一行が大江山に分け入ると、

十七八の上臈の、血のつきたるものを洗ふとて、涙と共にましますが、頼光此よし御覽じて、「いかなる者ぞ。」と問はせ給へば、姫君此よし聞こし召し、「さん候、自らは都の者にて候ふが、ある夜鬼神につかまれて是まで參りて候ふが、戀しき二人の父母や、お乳や乳母に逢ひもせで、かくあさましき姿をば、あはれとおぼしめせや。」とて、たゞさめさめと泣き給ふ。落つる涙のひまよりも、「あらあさましや此所は、鬼の岩屋と申して、人間更に來る事なし。客僧たちは是まで來らせ給ふぞや。いかにもして自らを都へ歸してたび給へ。」と、仰せもあへずたゞさめさめと泣き給ふ。頼光此よし聞こし召し、「御身は都にて誰の御子」と問はせ給へば、「さん候自らは花園中納言の、ひとり姫にて有りけるが、われらばかりに限らず十余人おはします。此程池田中納言くにたかの姫君も、とられてこれにましますが、愛して置きてその後は、身の内よりも血をしぼり、酒と名づけて血をば呑み、肴と名づけてしゝむらを、そぎ食はるゝ悲しみを側にて見るもあはれなり。堀河中納言の姫君も、けさ血をしぼられ給ふぞや。その帷子をわれわれが洗ふことこそ悲しけれ。まことに物うきことぞ」とてさめさめと泣き給へば、鬼をあざむく人々も、げにことわりとて共に涙にむせび給ふ。

とある。

・「鉛の粉」鉛を焼いた炭酸鉛は鉛白(えんぱく)・鉛粉(えんぷん)と呼ばれ、白色顔料として古くから白粉(おしろい)に用いられた。特に容易に入手できるようになった江戸時代以降は花魁・歌舞伎役者はもとより、庶民に至るまで広く愛用され、明治中期まで一般的であったが、鉛中毒の深刻さが知られるようになって急速に姿を消した。

   「四」注

・「平蜘蛛」平たくなった蜘蛛の謂いではない。種としての固有名詞である。こう書いて「ひらたぐも」とも読む。節足動物門鋏角亜門クモ綱クモヒラタグモ科ヒラタグモUroctea compactillis8~10㎜で、腹部背面に独特の灰色の紋を持つ。

・「亭々」樹木などが高く真っ直ぐに聳え立つさま。

   「五」注

・「鬼が島の獨立を計畫する爲」冒頭注に記した3ヶ月前に発表した芥川龍之介の「岩見重太郎」(「僻見」)には、中国上海で会見した章炳麟の桃太郎を嫌悪する肉声を伝えた後、「桃太郎もやはり長命であらう。もし長命であるとすれば、暮色蒼茫たる鬼が島の渚に寂しい鬼の五六匹、隱れ蓑や隱れ笠のあつた祖國の昔を嘆ずるものも、――しかし僕は日本政府の植民政策を論ずる前に岩見重太郎を論じなければならぬ。」と述べている。この時既に「桃太郎」の構想ははっきりと出来ていた。いや、芥川龍之介が「日本政府の植民政策を論ずる」ことを目的として諷諭したもの――それが本作「桃太郎」であることがここで明解になるのである(但し、「岩見重太郎」の内容は微妙に重層的で多角的である。岩見重太郎はその豪傑性に於いて実は本来の中国人にも通底する。そうした複眼的読みで「岩見重太郎」に向かわれたい)。

   「六」注

・「あゝ、未來の天才はまだそれらの實の中に何人とも知らずに眠つてゐる。」の末尾部分は岩波普及版全集では「あゝ、未來の天才はまだそれらの實の中に何人とも知らず眠つてゐる。」となっている。