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森鷗外「舞姫」やぶちゃん現代語擬訳全篇

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[やぶちゃん注:原文の内容と異ならない程度に、意訳及び補足・細工をした部分や、一種の私の特異な解釈を孕ませた仕掛けを施してある部分がある。ドイツ語その他の外来語の発音は、現在の通用表現に直したものもあるので、一部原文の表記とは異なるものがある。最後のエリスの病名(厳密には異常性格)「パラノイア」(偏執病)は明らかな誤診(当時のパラノイアの概念が異なっていたから、全くの誤謬とも言えないのではあるが)であるから、該当症状と思われる正しい病名である『「スキゾフレニア」(精神分裂病)』とした。現在はこの「精神分裂病」という病名は差別的であるために廃語となっており、「統合失調症」と呼ぶのが正しいが、本作の時代性を鑑み、敢えて「精神分裂病」と補ってある。また、作中の年齢は現代の満年齢に変換してある。「……」「――」の多用は、朗読する際のリズムを考えて施したものとお考え戴きたい。但し、「《 》」は例外的な芝居のト書き風の挿入句として声を出さずに、そのようなカメラ・ワークや演技としてイメージしてお読み頂きたい(私はかつて一度は役者を志した男である。だから如何なる文章も常に自分で台詞として自然に語り出せるものでなくてはならないと考えている。だからどうか、あなたも自分の部屋で、自分で声に出して独り読んでみて欲しいのである。――あなたが太田豊太郎になったつもりで。それが本作を鑑賞する上で、非常に重要なことなのである)。読み易さを考えて私の授業での構成段落分けを【 】で示したが、本文に照らし合わせて読む便を考え、本文の形式段落と現代語訳の段落は完全に一致させてある。但し、直接話法部分はもとより、強調表現や分かり易さを狙って、同一段落中でも文頭に一マス空けなしで文の途中に恣意的に改行を施した部分がある点はお許し頂きたい。【前篇 2010年10月13日全訳了 2010年12月23日一部改訳同日公開】]

 

 

■前篇■

 

 

森鷗外「舞姫」 やぶちゃん擬訳 前篇

 

【第1段】

 もう――すっかり終ってしまった――石炭の積み上げは。――二等船室のラウンジのテーブルの辺りはたいそう静かで、アーク灯の光が燦爛(さんらん)としているのも空しいばかり――今宵は毎夜ここに集(つど)ってくるトランプ仲間もホテルに泊って、船に残っているのは私一人だけだから。――もう五年前のことになる――年来の希望が叶って、洋行遊学の官命を受け、このサイゴンの港まで辿りついた頃には、目に見るもの、耳に聞くもの、一つとして目新しくないものとてなく、筆にまかせて書き綴った紀行文は日に日に分量を増し、それが後日、本国に送られて、当時の新聞にも載せられ、日本国内の人々にもて囃されたものだったが――今になって思えば、浅薄な考えや、身の程知らずの言いたい放題――そうでないものでも、所詮この世にあるという点で尋常なるものに過ぎぬ動植物や宝石、果ては諸国風俗などをさえ、如何にも珍しげに書いた――それを当時の知識人は、一体どんな風に読み、感じただろう――それを想像すると、全くもってお恥ずかしい限りだ。……しかし……今回、この帰日(きにち)の旅に上らんするとき、日記を書こうと買い求めたノート……もう何日も経つというのに……未だにそれは白紙のままだ……それは、ドイツで学んだこの五年間で、私が一種の「ニル・アドミラリ」――虚無無感動――の気性を養ってしまったから?……そうだな……私はニヒルにはなった……でも……いや、そうじゃない、これには別に訳がある……。

 実際、東に帰還せんとする今の私は――かつて西に向かって航海したあの五年前の昔の私では――ない。――この五年間、学問は未だ自分自身満足していないところも多いが――しかし、この世というものが辛く哀しいものであり――他人の心というものが信頼出来ないものだということは、言うまでもなく、肌身にひしと感じた――いや、それどころか、私は、私と私自身の心さえも、甚だ変わり易いものであることをも悟り得てしまった。……そんな、昨日『正しい』と思っていたことが、今日になったら『違う』といった、一瞬にして変わってしまう頼りにならぬ己れの感じた印象を日記に書いて、一体、誰に見せると言うのか?……そうだな……そんなもの、誰にだって、私にだって何の価値もないものだ。……これが日記の書けない理由か?……いや、そうじゃない、これには別に理由がある……。

 ああっ! ブリンディジの港を出てから、もう二十日あまりが経った。普通なら、初対面の客とも親しく交わりを結び、旅の退屈を慰め合うのが、これ、船旅の習慣であるのに、ちょっとした体調の不良を言い訳として、自分の船室にばかり閉じ籠もって、同行している仲間達とも話をすることが少ないのは――他人に理解して貰えぬ激しい『恨み』に己(おの)が心を悩ましているからだ。――この『恨み』、旅の初めは一群れの黒雲の如く私の心を覆い、そのためにスイスの美しき山の景観も目に入らず、イタリアの古き遺跡も記憶には残ってはいない。――旅の半ばにあっては、この『恨み』故に、この世そのものが厭(いや)になり、己(おの)が身の不幸をはかなんで、腸が日に何十回となく、ぐるぐると回るが如き魂の苦痛を私は味わった。――今は一見すると、まるで心の奥底に凝り固まったように、一点のインクの染みばかりに小さくなったかのように見えるけれど――何か、ものを読むごとに、何か、ものを見るごとに――あたかも鏡の前に立てば必ず姿が映る如く、声を発すれば必ず木霊(こだま)が応える如く――この『恨み』故に、必ず、限りない痛みを伴った懐旧の情が、激しく呼び起こされて、何度となく私の心を苦しめるのだ。ああっ! どうしたら、この恨みを消し去ることが出来る? もし、他の恨みであったなら、それは漢詩に詠(えい)じたり、和歌に詠(よ)んだ後は、何となく気持ちがすっきりするものでもあろう。ところが、この『恨み』ばかりは、あまりにも深く私の心に彫り刻まれてしまっているので、とても、そんな気持ちにはなれまいと思う――思うけれど――今夜は辺りに人気(ひとけ)もない。ボーイがやって来て、電灯のスイッチをオフにするにも、まだ相当に間がありそうだ。……では一つ、その私の『恨み』の顛末を、日記に記してみようか……。

 

【第2段】

「……私は幼い頃から厳しい家庭教育を受けた。そのお蔭で――父を早くに亡くしたけれども――学問への欲求が荒(すさ)んだり衰えたりすることもなく、旧藩の藩校に在籍していた時も、東京に出て大学の予備門に通っていた時も、また、東京大学法学部に入った後(のち)も、太田豊太郎という名は常に首席として記されていたから、一人っ子の私ばかりを頼りに生きてきた母の心も、それなりに慰められていたことであろう。十九の歳には学士の称号を受けてめでたく大学を卒業、その成績がすこぶる優秀なればこそ、大学創立以来の名誉であるとまで人にも褒められ、某省に勤務致すことと相成り、故郷にいた母を東京に呼び寄せて、楽しき月日を送ること三年(みとせ)ばかり、上司の評価も殊の外めでたければ、「洋行遊学し最新の行政司法システムを取り調べて参れ」との命を受け、私の名を高めるのも、太田家を興すのも今だ! という思いが奮(ふる)い起(た)って、五十を過ぎた母と別れることもそれほど悲しいこととも思わず、はるばると家を離れ、ベルリンの都に降り立った。

 私は漠然とした功名の念と、厳しい自己抑制に慣れた勉学欲とをもって――忽ちのうちにこのヨーロッパの新大都市(ネオ・メトロポリス)の中央に立った。――何と言う、絢爛(けんらん)たる光りか! 今にも私の眼を貫かんとするは!――何と言う、豪奢なる輝きか! 今にも私の心を惑わそうとするは!――「菩提樹の下」と訳すなら、如何にも清閑の田園のように感じられる、髪の如く一直線に遥かに伸びる、このウンター・デン・リンデンに来て、両側の石畳の歩道、そこを歩く手を組んだ男女を見るがいい! 胸を張り、肩をそびやかした士官が――未だウィルヘルム一世が御健在にて街を見渡せる窓にお寄り遊ばされた頃でもあったので――様々の徽章を附けて飾り立て、正装しているのも――また、その仕官にエスコートされて歩む、美しい少女がパリのニュー・ファッションのメイクを施しているのも――あれもこれも目を驚かさぬものはないのに加え――車道のアスファルトの上を音もさせずに走るいろいろな馬車――雲に聳えるビルディング――それが少しとぎれた所には、晴れた空から夕立が降り出したかと紛(まご)う音をさせて噴き落ちる大噴水――遠く見渡せば、ブランデンブルク門を隔てて枝をさし交わしている巨大なるリンデン・バウム(菩提樹)の街路樹――その間から中天に浮かび上がる黄金の凱旋塔女神像――と、沢山の景物がこのベルリンという狭い地域の中に、ぎゅっと一局集中しているがため――例え狭い地域であっても、それぞれのランドマークの見どころが余りにも濃いので――初めてここにやって来た者にとっては、容易には一度に総てを親しく見尽くす、ということはとても出来ぬというのも、これ、もっともなことではある。しかし、私の胸中には、たとえどのような世界に行ったとしても、惑わしをかけてくる美観――しかし所詮は、はかなき美観――に、心を動かすようなことはしないぞという強い覚悟があり、常に私を襲い来る外部からの誘惑や刺激を遮り止めたのであった。

 私が呼び鈴(りん)の紐を引き鳴らして会見を申し出、日本国政府からの正式な紹介状を示して東来の目的を告げたプロシアの役人は、皆快く私を迎えてくれ、

「日本公使館との確認手続きが何事もなく済んだならば、どんな事柄であろうと、教えもし、伝えもしましょう。」

と言ってくれた。特に嬉しかったのは、私が本国でドイツ語とフランス語を学んで来たことであった。彼らは初めて私と会った時から、

「どこで? いつの間に? これほどの語学を学ぶことが出来たのかね?!」

と、驚きながら訊ねて来ない者はなかった。

 さて官庁から命ぜられた調査の合間に、かねてより日本国政府からの許可も得ていたので、現地の大学に入学して政治学を学ぼうと、学士編入扱いで名を学籍簿に登録してもらった。

 一ヶ月二ヶ月と過ごすうちに、仕事上の打合わせも済み、調査も順調に捗っていったので、取り敢えず上司より急を要すと指定されていた諸項目についての報告書を作成して郵送、そうでないそれほど急がぬものや、今後、参考になりそうなものはメモをとっておいた。そのメモ・ノートでさえも、その頃には、もう何十冊にもなっていた。大学の方は――無知ながらも日本で想像していた如く――政治家になることの出来る特別な学科があろうはずもなく、じゃあ、どうしよう、これにするか、あれにするか、と悩みながらも、二、三の法学者の講義を受講することに定め、学費を収め、通学し、聴講した。

 

【第3段】1

 こうして三年ばかりは夢のように過ぎたのだが、時日来たれば、包み隠そうにも隠しきれぬのが、人の本性なのであろう、私は父の遺言を守り、母の教えに従い、人が「神童だ」などと褒めてくれるが嬉しさに怠りなく学んできた幼き日から、上司が「よい部下を得た」などと励ましてくれるが嬉しさに弛(たゆ)まず勤めてきた今日まで、ただただ受動的機械的な人間であったのに、それを自分では全く悟っていなかった――が――今、二十四歳となって、かれこれ三年という長い間、この自由なる大学の雰囲気に染まったからであろうか――心の中、何となく穏やかでなく、奥深くに潜んでいた本当の私が、だんだん表に現れて来て、昨日までの私でない私を責めるかのように感じられた。私には、自身が今の世の中に於いて雄飛すべき政治家になるなどということは、如何にも嫌なことと思われ、また、ひたすら法律を暗記し、ただただ判決を下す裁判官になるというのも、これ、全く以って相応(ふさわし)くないということを悟った――と思った――のであった。私が心密かに考えたことには――『……私の母は、私を生きた辞書にしようとし……上司は、私を生きた法律にしようとしたのではなかろうか。……生きた辞書であるのは、まだ我慢出来る……が……生きた法律であるというのは、とても耐えられない。……』――今までは、どんなに些細(ささい)な問題であっても、極めて丁寧に返事をしてきた私が、この頃から上司に送る手紙には、頻りに「法制度の細部にこだわるべきではない」と反駁(はんばく)し、「一度(たび)法の精神さえつかみ得たならば、複雑に見えるあらゆる事象も万事破竹の如く解決するであろう」などと偉そうな主張を展開するようになった。また、大学にては、法学部の講義はほったらかしにして、専ら歴史や文学に興味を寄せるようになり、徐々にその醍醐味を味わえる域にまで達するようになっていた。

【第三段】2

 上司は元来、意のままに使うことの出来る機械をこそ作ろうとしたのに違いない。それが、あろうことか不遜にも自主独立の思念を抱き、彼の周囲に侍っている大方の従順なる部下とは異なった顔つきになってしまった男をどうして喜ぶはずがあろう、いや、喜ぼうはずがない。――私はそのことに愚かにも気づかなかったのだが――危ういのは当時の私の地位であったのだ。……しかしながら、これだけでは、なお私の官費留学生としての地位を剥奪するまでの理由とするには、如何にももの足りぬものであったはず……ところが、常日頃、ベルリンの留学生の中の――ある勢力を持った一派――あるグループと私との間に、甚だよろしくない対立関係があって、そのグループの人々は普段から私のことを猜疑し、遂には私を冤罪に陥れるに至ったのである。……しかし、この理不尽なる彼等の行いにしても、実は相応のそうならざるを得なかった理由が、私の側にないわけでは、なかったのだ……。

【第3段】3

 ……その私と不仲であった人々は、私が彼等と共に、ビールのジョッキも挙げず、ビリヤードのキューをも執らないのを、頑固な心と、欲望を十全に抑制し得る力とのみに帰し、一方では嘲り、また一方では妬んでもいたのであろう。しかし、これは私という人間がどのような存在であるかを知らなかったからなのだ!……ああっ! これこそが総ての誤解の原因であったということは……実は私自身さえ知らなかったのだから、どうして他人に理解することが可能であったろう? いや、当然、理解不能なことだったのだ!……私の心はあの合歓(ねむ)という木(き)の葉に似て、物が触れれば縮んで避けようとするのだ!……私の心は処女の心と同(おんな)じだったんだ……私が小さな頃から年長者の教えを守って、学問の道をたどって来たのも、官吏としての道を歩んで来たのも、総ては……勇気があって努力した結果なんかでは、なかったのだ!……忍耐力や勤勉の力と見えたものも……総ては自分を騙(だま)し、他人までも欺(あざむ)いていたに過ぎず……人によって敷かれたレールの上をただただ、たどって来ただけのことだったのだ!……外のことに気持ちが乱れなかったのは……外部の事象を遮断しきって顧みないほどに勇気があったから、なんかじゃない……ただ、「私」という存在の外(そと)の、あらゆるものごとを、ただただ恐れ、自分で自分の手足を縛っていただけのことだったんだ!……確かに、意気揚々と故郷を出ずる際には、自分が才能のある人間であるということを疑わなかったし、また、自分の心がどんなことにもよく耐え得るであろうことをも深く信じてはいた……が……ああっ! それも一時のことだったじゃないか……船が横浜を離れるまでは、天晴れ、豪傑! と思っていた我が身も……相模灘の外洋に出た途端、ぼろぼろぼろぼろ涙がとめどなく出てきて、ハンカチがぐっしょりになった。……あの時は我ながら『……どうしたんだろう?……変だな?……』とは思ったが……これこそが、かえって私の本性であったのだ!……この性格は生まれながらの先天的(ア・プリオリ)なるものであったのだろうか? それとも、もしや、早くに父を失い、母独りの手で育てられたがために、後天的(ア・ポステリオリ)に生じたものででも、あったのだろうか?……

【第3段】4

 だから――私を猜疑し、私に冤罪を被(かぶ)せたかの人々が、私のことを侮(あなど)り、馬鹿にしたのはもっともなことだったのだ。……されど……嫉妬するなんていうのは、馬鹿げてるじゃないか?!……この哀れな、私の孤独な淋しい心に、嫉妬するなんて……。

【第3段】5

 赤やら白やらに顔を塗りたくって、ラメの衣装を身にまとい、カフェに座って客を引く売春婦(ストリート・ガール)を見ては、行ってこれを買おうという『勇気』もなく――山高帽を被り、伊達(だて)眼鏡を鼻に挟ませ、ここはプロシアだというのに、貴族の話すフランス語のような、鼻にかかった妙に甘ったるいドイツ語でものを言うレーベマン(遊び人)を見ては、行ってこれと交わらんとする『勇気』もなかった。……こうした『勇気』がなかったのだから、かの、ご活発なる同郷の御(おん)方々と交際しようにも、しようがなかった、というわけだ。……この交際が疎遠であったがために、かの人々はただ私を侮り、ただ私を妬むのみならず、遂には私を猜疑することとなったのであった。――これこそが、それから後(のち)、私が冤罪をこの身に被(こうむ)って、あっという間に、計り尽くせぬ艱難辛苦を舐(な)め尽くすこととなった元凶であったのである。――

 

【第4段】

 ……そんな、とある日の夕暮れのこと……私は動物園のあるティーア・ガルテンを散歩して、ウンター・デン・リンデンを通り抜けて、私のモンビシュー街にある下宿に帰ろうと思いながらも、つい何時もの癖で、クロステル街の古い教会の前までやって来てしまった。……ここで少しだけ、この街について述べておきたい――

――私は、かの燦爛(さんらん)たるウンター・デン・リンデンの繁華街の灯火(ともしび)の海を渡りきって、この狭く薄暗い、何やら得体の知れぬ匂いのするクロステル街に潜り込んで――アパートの木製の古びた欄干に干してある敷布や肌着などが、暗くなっているのに未だに取り入れられていない人家――頬髭を長く生やしたユダヤ教徒の老人が戸口に佇んでいる居酒屋――一つの石段は、そのまま真直ぐに天空を仰ぐ屋上へと通じ――また一つの石段は、遙かな地下にある穴蔵住まいの鍛冶屋の作業場に通じている――といった迷宮(ラビリンス)のような古色蒼然たる貸家――などなどに向かっては――この子宮の如く凹(おう)の字型に引っ込んで建てられている――ネオ・メトロポリス・ベルリンの中にあって――忘れられたようにぽつんとある、この三百年前の遺物のようなクロステル街を目にするたび……何だか心が恍惚(エクスタシー)に包まれて……ぼうっとしたまま……長い時間、佇むことが何度となくあったのだ……

 ……さて、今この教会の前を通り過ぎようとした時、鎖された教会の門扉に依りかかって、声を呑んで泣く一人の少女の姿を見とめた。――歳は十五、六であろう――被ったスカーフからこぼれ出た髪の色は薄い美しい金髪で――かかる宵、かかる場所でありながら、着ている服も垢がついたり汚れたりしているようにも見えない。私の足音に驚かされて振り返ったその顔――私には詩人の才がないので、これを描くすべもない――ともかくも、その青く清らかで何かもの言いたげに愁いを含んだ目(まみ)――それが半ば涙を宿した長い睫毛に覆われているその目(まみ)が――何故にその目(まみ)が――ただ一度振り返って見ただけで――この用心深いはずの、この私の心の奥底にまで、ズンと貫き透すことが出来たのか?!――

 彼女は思いがけぬ深い悲しみに遭って、前後を顧みる暇(いとま)もなく、ここに立って泣いているのか?……私の他者を警戒せんとする臆病な心は、この少女に対する憐憫の情に打ち負かされて、思わず、そばに寄り、

「……どうして泣いていらっしゃるのですか?……私のように、この地に係累のない異邦人は、かえって力を貸し易い、ということもありますよ?……」

と問いかけたのだが……いや、我ながら、この時の自分の大胆さは、今考えれば、あきれたものだ。

 彼女は驚いて私の黄色い顔をじっと見つめていたが、私の真摯(しん)なる心持ちが、それなりに私の表情に表れていたからででもあろうか、

「……あなたはいい方のようね。……よもや、彼のようには酷(むご)くはないわ!……また……私の母のようには!……」

と独り言のように呟くと、少し湧きよどんでいた涙の泉が再び溢れ、可憐な頬を流れ落ちてゆく。

「……私をお救い下さい、あなた!……私が、恥を恥とも思わぬ人間になり下がってしまうのを!……母は、私が彼の言葉に従わないと言って、私を打(ぶ)つの!……父は死んでしまったわ!……明日は葬らなくてはならないのに……家(うち)には一銭の蓄えさえ……ありません……」

 後はすすり泣きの声ばかり。――私の眼は、この、俯いて泣く少女の、震える真っ白な項(うなじ)にのみ注がれていた――。

「取り敢えず、貴女(あなた)の自宅まで送って行って差し上げますから、まずは気をお鎮めなさい。そう泣き声を人にお聞かせになってはいけません。ここは往来……誰が、どう聞かぬとも、限りませんからね……。」

とこう、話をしているうちに……彼女は無意識ながら私の肩に寄り添っていたのだが……そう私が言い終えた時、はっと頭を上げ、また、初めて私を見たかのように、恥ずかしがって私の側から飛びのいた。

 人に見られるのを嫌って、足早に行く少女の後について、教会の筋向かいにあるクロステル街の大木戸(おおきど)を入るとすぐ、すっかり欠けて磨り減った石の階段があった。これを登って四階に相当するところに、腰を折り曲げ屈まねば通れぬほどの戸がある。少女は、錆びついた先を輪のようにねじ曲げた針金に手を掛けて強く引いたところ、鍵が掛かっており、開かない。すぐに内から、しわがれた老婆の声で、

「誰じゃ!?」

と鋭く誰何(すいか)する声。

「私、エリス。帰りました。」

と答える間もなく、戸を荒々しく引き開けたは、半ば白髪の――悪い人相ではないけれども、貧苦の跡を額に深き皺として刻んだ顔の――老婆で、古ぼけて縒(よ)れ、ぼそぼそと毛玉のぶら下がったラシャを着、如何にも汚ならしいスリッパを履いている。エリスが私に会釈して入るのを、老婆は待ちかねるように、バン! と激しく戸を立てきった。――後には老婆のねめつけるような視線が空(くう)に残った――

 ――私は暫くの間、茫然としてそこに佇んでいたが、ふと階段の途中に据えられた、遠いランプの光に透かして戸をよく見てみると、『エルンスト・ワイゲルト』と漆(うるし)で書かれ、その下に『仕立物師』と添えられている。これが亡くなったという少女の父の名なのであろう。――室内からは何か言い争うような声が聞こえたが、じきに静かになって戸は再び開かれた。さっきの老婆が、今度は如何にも慇懃(いんぎん)に、自分がとった無礼な振舞いを詫びるや、素直に私を中へと迎え入れた。戸の内はすぐ台所になっており、右手の低い窓のところには真っ白に洗った麻布が懸けられてある。左側には粗末に積み上げられた煉瓦の竈(かまど)がある。狭い通路の正面に見通せる一室の戸は、半ば開いていて、その部屋には白いシーツで覆われたベッドが見える。――そこに横たわっているのは、かの亡き人なのであろう。――老婆は竈のそばにある戸を開いて、そこにあるもう一つの別な部屋に私を導いた。ここは、所謂(いわゆる)、フランス語で「マンサード」と呼ばれるところの屋根裏部屋で、街路に面した一室であるから、天井とてもない。隅の屋根裏から窓に向かって斜めに下がっている梁(はり)を紙で張って覆っただけの下に、立てば頭がつかえてしまいそうな所にベッドが置かれている。狭い部屋の中央にあるテーブルには美しい毛織りのテーブル・クロスが掛けてあり、その上には、聖書と思しい書物一、二冊とアルバムとを並べて、その脇の陶器の花瓶には、この貧家に相応(ふさわ)しからぬ値(あたい)高き花束が生けてある。そのテーブルの傍らに――少女は――はにかんで佇んでいる――。

 彼女は――たとえようもないほど、美しい!――乳(ち)の如く抜けるような白い肌(はだえ)の顔は――部屋に吊られたランプの灯火(ともしび)に――少し赤味を潮(さ)している。――手足は、小鹿のようにか細く、しなやかな感じで――これはもう貧しき家(や)の娘とは見えぬ。――案内(あない)した老婆が部屋を出ると、少女は少し訛(なま)りのあるドイツ語で言った。

「……お許し下さい。……あなたを、遠慮もなく、こんなところにまで連れてきてしまったことを。……あなたはいい方でしょう? 私のこと、まさか、憎んだりはなさらないでしょう?……明日に迫るのは、父の葬儀、頼りにしていたシャウムベルヒ……そうだわ、あなたは彼のことはご存じではないでしょうね……彼はね、『ヴィクトリア座』の座長なの。……彼お抱えの専属ダンサーになってから、もう丸二年にもなるから、難なく私たちのこと、助けてくれると思ってたのに……人の憂いにつけ込んで……身勝手な言いがかりをつけてくるなんて……。どうか私をお救い下さい、あなた!……お借りしたお金は私の薄給を割(さ)いて、必ず、お返し申し上げます。……たとえ我が身は何も食べずとも、必ず……。……それも叶わないとなれば……母の言葉に従うしか…………」

そう言うと、彼女は涙ぐんで身体(からだ)を震わせた。そうして――そうして決然と私を見上げた。――その目(まみ)――その目(まみ)には、人に否とは言わせない――摩訶不思議な――曰く言い難い――ある雰囲気があった。……この目の働きは……分かっていて意識的にやっているのだろうか?……それとも、自分では全く気づかずにやっていること、なのだろうか?……

 スーツの内ポケットには二、三「マルク」の銀貨はあったが、勿論、それにて足るはずもない。そこで、私は懐中時計を鎖から外し、机の上に置いた。

「これで一時の急場を凌(しの)がれるがよい。質屋の小僧には『この時計を持ってモンビシュー街三番地に太田を訪ねて来たならば、そっちが支払っただけの金で確かに買い戻す』と伝えてくれ給え。」

 少女は、驚きと同時に感じ入ったという表情で、私が別れのために差し出した手に、接吻した。――その時、彼女は、はらはらと流れ落ちる熱い涙を――私の、その背(そびら)に注いだのであった。――

 

【第5段】

 ああっ! 何と、結果、悪しき事態を生み出すこととなった悪因であろう!――この時の恩を謝そうと、自(みずか)ら私の下宿にやって来た少女は、ショーペンハウエルを座右に、シラーを左に置き、日がな一日凝っと座ったまま読書している、暗い私の部屋の窓辺に、一輪の美しい花を咲かせたようなものであった。――この時を始めとして、私と少女の交際は、次第に頻繁なものとなってゆき、それがかの、私とは険悪なる関係にあったところの、同郷人連中にまで知られるようになってしまった。そしてそれを彼等は早合点し、私のことを『その色欲をダンサーに向けて手当たり次第に発揮し、女漁(あさ)りをしている輩』と断じた。――私たち二人の間には、何をするでもない、ただ二人いるだけで楽しいといった、まだがんぜない子供同士の喜びだけしか、なかったのに……。

 その名をはっきりと言うには憚りがあるので控えるが、同郷の日本人留学生の中に、所謂、事を好む輩がおり、私がしばしば劇場に出入りし、いかがわしい女優連中と頻繁に交際している、という事実無根の話を、本国の私の直接の上司に報告してしまった。そうでなくてさえ、私が極めて重大な学問的岐路あって、明らかに『誤った方向に走らんとしている』と、極めて不快に思っていた上司は、遂に命を下して日本公使館に伝え、私の官を免じ、解職としてしまった。突然、公使館に呼び出され、公使からこの免官解職の通告を伝えられた際、最後に公使が私に言ったことは、

「……君がもし――即時帰国するというのであるなら――まあ、帰国の旅費は出してやろう。――しかし、万一、なお、このベルリンに留まるというのであれば――最早、日本国からの援助は、これ――一切仰ぐことは出来ないと心得給え。――」

とのことであった。私は――最早、無駄とは分かっていたが――冤罪の由(よし)、縷々(るる)訴え、取り敢えず一週間の猶予を請いて――さても、あれこれ、結局、何の善処も浮ばぬことも、やはり分かってはいたものの――いろいろと思い煩っているうち……

……この時、私の生涯に於いて最も悲痛を覚えた二通の書状に接した。

――その二通は、ほとんど同時に本国にて投函されたものであったが――一通は母の自筆――もう一通は親族何某からの――母の死を――私がこの上なく慕う――母の死を――報じた手紙であった。――

……私にはその母の最後の手紙の……何時(いつ)に変わらぬ、私を案ずる暖かな優しい言葉を……ここに今また、書き写すことは……とても堪えられない。……涙がこみ上げてきて、この先、是が非でも語らざればすまざるこの筆の運びを、妨げてしまうからである。……

 私とエリスの交際は、この時までは、よそ目に見るよりも誓って潔白であった。彼女は、父が貧しかったために充分な教育を受けられず、十四の時、ダンスの教師が生徒を募集したのに応じてからというもの、この賤(いや)しい芸を仕込まれ、「クルズス」(一般教程講習)を終えた後(のち)、「ヴィクトリア」座の舞台に出、今や、座中ナンバー2の人気ダンサーの地位を占めている。――しかし、かの詩人ハックレンデルが『現代の奴隷』と評したように、如何にも浮き草の如くはかないのは、踊り子という生業(なりわい)である。薄給にて縛られ、昼の稽古、夜の舞台と厳しく使役され、楽屋に入(い)らばこそ化粧をもし、美しい衣装をもまとうけれども、一歩外へ出れば――己(おの)が一人の衣食さえも足らぬがちの給金、親兄弟(おやはらから)をも養わねばならぬ者は、その艱難辛苦はいかばかりであろう……。されば、彼女らの仲間には、賤しい限りなる生業(なりわい)――私娼――に墜ちぬ者は稀であると聞いている。――エリスがこうなるのを避けられた理由は、その如何にもおとなしい性質(たち)と、堅実にして剛毅な気性の父エルンストの守護とがあったからであった。聡明なる彼女は、幼い時からさすがに物を読むことを好んでいたけれども、当時、彼女が入手出来た書物は、「コルポルタージュ」と呼ぶ下賤なる貸本屋の通俗小説ばかりであった。――しかし、私と交際するようになってからは、私が貸し与えた本を読み習い、だんだんに人並みの文芸趣味をも身につけ、また、俗語多き言葉の訛りも直し、ほどなく私に寄せる手紙にも綴りの誤りが少なくなっていった。こうであったから、私たち二人の間には、まず、師弟の関係が生じたのであった。――

――私の思いがけない免官を聞いた時には、彼女は色を失った。――勿論、私は、彼女のことがこの免官に関係していることは包み隠していたのであるが――彼女は私に向かって、

「……母には、このこと、黙っていらしてね。……」

と言った。これは彼女の母が、金蔓(かねづる)である私が留学費の支給資格を失ったことを知れば、瞬く間に私は邪魔者と見なされて、疎まれるようになるであろうことを恐れたからである。

 ああっ! 詳しいことは……ここに写しとる必要もあるまいが……私が彼女を愛する心は、この時、俄かに強くなって……遂に……離れ難き仲となったのは……この折りであった。――自分一身の一大事が眼前に横たわって、誠(まっこと)、危急存亡の時であるにも拘わらず――この行いあったことを訝(いぶか)しく思い、また、厳しく指弾する向きもあろう……が……私がエリスを愛する心は、これ、初めて一目見た時より、とても深く切実なものであった上に……今、私の不幸を憐れみ、また、私が日本に戻ることになってしまうであろうと考えたエリスは……その別離を悲しんで……顔を伏せた……その、うち沈んだ顔……その顔に鬢(びん)の毛が……ほつれ乱れ、乱れ掛かって……ああっ! その美しい、いじらしい姿!……それが……私の悲痛な感慨の強烈な刺激によって、尋常ならざるものとなってしまった脳髄を射貫き……恍惚(エクスタシー)のうちに……そのことに及んでしまったのだから……どうしようもなかった…………。

 公使に約束した猶予の期日も近づき、私の運命の岐路は迫った。

……このままで故郷に帰ったとすれば、学問も十分でないままに、冤罪の汚名を負ってしまった私は、最早、日本にては社会的生命が絶たれたも同じこと……

……かといって、このベルリンに留まって学び続けるには、その学費や生活費を得る手だてが、これ、全くない。――

 この時、私に救いの手を差しのべてくれたのは――今、帰日(きにち)する私の同行者の一人である――旧友相沢謙吉であった。彼は東京にあって、当時、既に天方伯爵の秘書官であったのだが、私の免官処分が官報に出ているのを見て吃驚り仰天、取り敢えず○○新聞社の編集長を説得、私を俄仕立ての同新聞社特派員とすることに成功し、ベルリンに留まってアップ・トゥ・デイトな政治や学芸のことどもを本国に通信報道させる職務――生業(なりわい)を与えてくれたのである。

 社の報酬は言うに及ばぬほどのものではあったが、下宿ももっと安いところに引越し、昼食を摂(と)りにゆくレストランをも安いバールに変えるなら、質素ながら暮しも立つというものだ――などと考えているうち――誠意をもって助けの綱を私に投げかけてくれたのは、誰あろう、エリスであった。――彼女は一体どうやって母を説得したものか、私は、彼女ら親子の、例のクロステル街のマンサードに居候することとなり、エリスと私とは、いつからともなく、あるかなきかという二人の収入を合わせて、辛(つら)い中にも楽しき月日を送ったのであった。

 朝のコーヒーを飲み終えると、彼女はダンスの稽古に行き、稽古のない日には家に留まって、私はといえば、キョーニッヒ街の、間口が狭く奥行きばかりが大層長い、鰻の寝床のようなカフェに赴き、そこに置かれた各種新聞を読み、鉛筆を取り出しては、あれこれと記事の材料を集めるために筆写した。――この、天井近くに大きく開かれてある引き窓から光を採り入れた長屋のような部屋で――定職を持たぬ若者――多くもない金を人に貸して己(おのれ)は遊び暮らす老人――証券取引所の仕事の合間を盗んで一服している商人――といった怪しげな連中と肱(ひじ)を並べ、冷たい石のテーブルの上に、いかにもせかせかと筆を走らせ、ウェイトレスが持ってきた一杯の珈琲(コーヒー)が冷めるのも構わず、誰も読んでいない新聞を読み漁る――新聞は細長い板切れに挟んで止めてあり、それがまた、カフェの側面の壁に何種類も掛け連ねてある――その壁とテーブルの間を幾度となく行ったり来たりしている背の低い猿のような、これまた怪しい黄色い面(つら)の日本人を、人々は――あいつは何をやってるんだ?――と怪訝(けげん)に思ったに違いない。……また昼も一時近くになると、稽古に行った日は、帰り道に、このカフェに立ち寄って、私と連れ立って店を出てゆく――この常ならぬ小鹿のようにしなやかに軽い、掌の上ででも舞えそうな少女を――美女と野獣を見るように――不思議な面持ちで見送った人もあったであろう。

 

【第6段】

 私の学問は荒(すさ)んでしまった。――屋根裏の灯火(ともしび)が一つ、微かに燃えている部屋――エリスが劇場から帰ってきて、椅子に座って縫い物などをしている――その、そばの机で、私は新聞の原稿を執筆していている。――昔、上司からの命令でプロシアの法令条目の枯れ葉をノートにかき集めていたのとはわけが違う――今は、今まさに活発に動きつつある政界の運動、その力学、文学・美術に関わる新現象についての批評などをオリジナルに書き下ろし、またそうした異なった分野の事象を有機的にあれこれと結びつけて、力の及ぶ限り――理智に勝った冷徹なビョーネよりは、寧ろ、詩性と情熱に富んだハイネに学んで――種々の記事の構想を練った。いろいろ書いたけれども、その中でも、ウィルヘルム一世とフレデリック三世の崩御が相次いであり、新皇帝の即位及びビスマルクの進退問題がどうなるかなどといったことについては、特に綿密な調査と考証を以って詳細な報告記事を書き送ったのが、一番、記憶に残っている。されば、この頃より、当初想像していたよりも案外に忙しくなってきて、多くもない蔵書を紐解いたり、かつて学んでいた法律学の研究に立ち戻ったりすることも難しくなり、大学の学籍は未だ除籍にされてはいなかったものの、学費を収めることが困難であったがために、たった一つに絞って受講していた講義でさえ行って聴くことは最早、稀になってしまっていた。

 私の学問は荒んでしまった。――しかし――私は別に『ある一種の見識』なるものを確かに展(の)ばしたのである。――『ある一種の見識』――それはどのようなものかと言えば――そもそも民間学(ジャーナリズム)が広く知れ渡っているという状況は、ヨーロッパ諸国の中でも、このドイツに若(し)くはない。――何百種もの新聞や雑誌に散見される議論には、非常に格調の高いものが多く、私が特派員となった日から――かつて大学に足繁く通っていた折りに養い得たところの――対象を鋭く見抜くこの隻眼(せきがん)を以って――読んではまた読み、書き写してはまた写すうちに――今まで、ただ単なる一本道のみを走っていたに過ぎなかった私の知識は、自然、多岐多様――知が生き物のように結びついて綜合的包括的となって――かの同郷の留学生なんぞのほとんどの連中には夢にも見ねば夢にも知らぬといった――高みをつらまえた境地に到達していたのである。……彼等の仲間内には、ドイツの普通の新聞の社説でさえ、ろくに読めない奴がいるくらいなのに、だ!……。

 

■休憩■

 

天晴れ! 豪傑豐太郎!――

躍り出でたる大獨逸!――

嫉妬渦卷く官界に!――

飽いて彷徨ふクロステル!――

故郷喪ふ瀨戸際に!――

踊り出でたるエリス姫!――

エリ、エリ、エリスのラマサバクタニ?!

 

〝歐洲大都伯林を舞臺に!〟

〝繰り廣げらるる一大ローマンスの展開や如何?〟

〝森鷗外「舞姫」、前卷の終わり!〟

〝乞御期待!〟

〝「舞姫」やぶちやん擬譯後篇!〟

〝近日公開!〟

 

 

■後篇■

 

 

森鷗外「舞姫」 やぶちゃん擬訳 後篇

 

【第7段】

……あの……明治二十一(一八八八)年の冬が、やって来た。ウンター・デン・リンデンを始めとする表通りの歩道には滑り止めの砂も撒かれ、雪掻きもなされているけれど、――忘れられた町――クロステル街の辺りは手も加えられず、凸凹(でこぼこ)で歩きにくい上に、積もった雪が一面に凍っている――朝、扉を開けると、飢え凍えた雀が下に落ちて死んでいたりする――それは――如何にも哀れであった。――部屋を暖め、竈(かまど)に火を焚きつけても、壁の石を通して服の綿を穿(うが)つような北ヨーロッパの寒さは、五年住んでいても、なかなかに堪え難い。……エリスは二、三日前の夜のこと、舞台で卒倒したと、人に助けられて帰宅したが、それからというもの、気分が悪いと休み、物を食べるたびに吐くのを、悪阻(つわり)なのではなかろうか、と初めて気付いたのは、母であった。……あぁ! そうでなくてもおぼつかないのは……これからの我が身の行く末であるのに、もし、それが本当だったとしたら……一体、どうしたらよいのか?……

 今朝は日曜なので二人とも家にあったが、私の気持ちは面白くない。エリスは床に臥すほどではないけれど――今一つ、体調がすぐれぬのか――小さな鉄のストーブの傍らに椅子を寄せて座り、言葉も少ない。――この時、戸口に人の声がして、ほどなく台所にいたエリスの母は、封書を持ってきて、私に渡した。その宛名書きを見ると、見覚えのある友人相沢の筆跡、しかし切手はプロシアのもので、消印はベルリンとある。彼は日本にいるはずだがと不審に思いつつ、開いて読んでみると、

『前略。急のことで事前に知らせる手だてがなかったが、昨夜ベルリンに到着された天方大臣に随行して私も来独した。天方伯爵が、お前に会ってみたいと仰せられるので、早く来い。お前の名誉を回復するのもまさに今だと心得よ。気持ちばかりが急(せ)かれるので、まずは用件のみ告げる。草々』

とのこと。読み終わった私の茫然たる顔付きを見て、エリスが言う。

「……故郷からのお手紙ですか?……まさか、悪い知らせでは……」

彼女は、例の新聞社の給与に関わる悪い通知とでも思ったようである。

「……いいや、気にしなくて大丈夫だ。前に君にも名前だけは教えた友人の相沢が、大臣と一緒にベルリンに来て私を呼んでいるんだ。……急いでいると言っているから、今から直ぐにでも出かけようと思う。」

 可愛い一人子(ひとりご)を旅に送り出してやる母親でも、ここまでは気を遣うことはあるまい――『大臣さま』に拝謁するかも知れないと思うからであろう――エリスは病いを押して立ち働き、Yシャツも真っ白なものを選んで、丁寧に仕舞っておいた「ゲェロック」と称する二列釦(ボタン)のフロック・コートを出して自ら着せ、ネクタイさえ私のために手ずから結んでくれる。

 「これをみっともないなんて、誰にも言わせないわ! ねぇ、ほら、私の鏡に向かって見てみて!」

――《鏡の中の豊太郎の顔を見て》――

「……どうしてそんなに不機嫌な顔をなさってるの? 私も一緒に行きたいくらいなのに!……」

――《しかし、少し真面目な表情をして、鏡の中の豊太郎の顔を凝っと見ると》――

「……いいえ……こんな風に服をお改めになった、お姿を見ると……何だか……私の豊太郎さまのようには……見えない……」

――《また少し何か考えてから、再び鏡の中の豊太郎の顔を見て》――

「……たとえ富貴(ふうき)におなりになることがあっても、私をお見捨てにならないでしょうね?……私の病いが……母の言う通りでは、なかったとしても……」

「なに言ってるんだ、富貴なんか。」

私は微笑(ほほえ)んで、隣りに立つエリスの顔を直に見て言った。

「政治や社会の表舞台に打って出ようなんて望みは、もう断ってから何年にもなる。大臣なんて見たくもないよ。ただ、長年逢ってない友人に逢いに行くだけさ。」

エリスの母が張り込んで呼んだ一等「ドロシュケ」(一頭立馬車)は、車輪の下に軋(きし)む雪道を窓の下までやって来た。私は手袋をはめ、少し汚れたオーバー・コートを、袖を通さずに背中に引っ掛けると、帽子を取ってエリスにキスし、階段を下りた。

……彼女は四階の凍った窓を開け、乱れた金髪を北風に美しく靡(なび)かせて、大きく手を振りながら、私が乗った馬車を永く見送っていた……。

 

【第8段】

 私が馬車を下りたのは「カイゼルホーフ・ホテル」の入り口である。ベル・ボーイに大臣秘書官相沢のルーム・ナンバーを聞き、免官になってからというもの、永く訪れることもなかった、踏み慣れぬ大理石の階段を昇り、中央の柱に「ブリュッシュ」(ビロード)で覆われたソファを据え付けた、正面に鏡を立ててある豪華なエントランス・ルームに入った。オーバー・コートをここで脱ぎ、廊下を抜けて部屋の前まで行ったところで、私は少し躊躇した。……大学で同窓であった砌(みぎり)、私が品行方正であったことを激賞していた相沢が、今日はまた、一体、どんな顔付きで私を出迎えるだろう?……しかし、部屋に入って面と向かって見ると、体格こそ昔に比べれば太って逞(たくま)しくなってはいるものの、依然として変わらぬ快活な性格、私のかの『過ち』についても、それほど意に介していないように見受けられた。日本で別れて後(のち)のことを細かく話すゆとりとてもなく、直ちに彼に連れられて大臣に謁見、そこで委託されたのは、ドイツ語で記された急を要する文書を翻訳せよ、との命であった。私が文書を受領し、大臣の部屋を出た時、相沢は後から走って来て、

「一緒に昼飯でも食おうや。」

と言った。

 ホテルのレストランのテーブルでは、彼が多く問い、私が多く答えた。彼の人生は概(おおむ)ね順調であったのに対し、数奇(すうき)にして不幸なる運命は、私の身の上であったから……。

 私は思うところを素直に打明けた。――その不幸な私の顛末(てんまつ)を聞いて、彼は話の途中、たびたび驚いたが、さして私を責めようとはせず、かえって他の凡庸な留学生諸氏を罵った。……しかし私の話が終わった時、彼は表情を改め、諌(いさ)めるように言った。

「……今度の一連のことは、もともとお前の生まれながらの心の弱さから生じたことだから、今更何を言ってもしょうがない。……とは言っても、学識があり、才能のある者がだ、……いつまでもたかが一小娘の情けにかかづらわって、目的のない生活をしてていいはずがない。……今は、天方伯爵も、ただ、お前のドイツ語の才能を利用しようというだけのお気持ちだ。……俺もまた――伯爵はお前の免官の理由を知ってる――だから、無理に伯爵の先入観を変えようとは思っちゃいない。――なぜなら、伯爵が俺のことを、『友達だからといって、非道な男を、道理を曲げてまでかばうような卑劣な奴』と思われるのは――友人であるお前に対しても利がなく、俺にも損になるからさ。……ともかく、人を推挙するには、まず、その持っている才能を見せるに越したことはない。これを示して伯の信用を手に入れろ!……それと、……その少女との関係だが、……たとえ彼女に誠意があったとしても、たとえ情交が深くなっていたとしても、……それは、おまえという人間の人物や才能を認めての恋じゃあ、ない。ままある留学生妻といった習慣、……言うなら、一種の惰性から生じた交際に過ぎん。……意を決して、別れろ。」

以上が、その相沢の語った内容の概(おおむ)ねである。

 ……大海に舵を失った舟人が、遥かな水平線にわずかに山の頂きを見出したような……それが、相沢が私に示した前途の方針であった。しかしこの山はなお重なり合った深い霧の中にあって、いつたどり着けるかも分からず、……いや、果たしてたどり着いたとしても、……それが、私の心に満足を与え得るものであるかどうかということも……定かではなかった。……

……貧しい中にも楽しいのは今の二人の生活、捨て難いのはエリスの愛。……

……勿論……私の弱い心では決意するべき方法とてもなかったのだが……

……とりあえず……友人の言葉に従い……

「……分かった。……このエリスとの関係は……絶とう。」

と、約束してしまった。……………………

……私は……自分の守るべき場所を決して失うまいと思って、自分に敵対する相手に対しては、激しく抵抗するが……互いに信頼し合っている友人に対しては……自分の守っている場所が侵される危機を感じても……直ちに「ノー」とは……答えられないのが、常であったのである。……………………

 相沢と別れ、ホテルを出ると――激しい寒風が顔を打った。外気を二重ガラスの窓でしっかりと遮断し、大きな暖炉で火を焚いているレストランから出たため、安っぽい薄いオーバー・コートを貫く、午後四時の寒さは殊更に耐え難く、鳥肌が立つと同時に、……何か私は、心のうちに一種の寒さを覚えたのであった。……

 翻訳は一夜で成し遂げた。――「カイゼルホーフ」へ通うことは、この時から次第に頻繁になっていったが――その間、初めは天方伯爵の言葉も単純な用件だけであったのが、後(のち)には、最近、日本で起こった出来事などを挙げて、私の意見を求め、また、折に触れては、ドイツへ来る道中で随行の人々が仕出かした、プライベートな、とんでもない失敗のエピソードなどをも話されて、お笑いになれれる、といった和(なご)やかな雰囲気を共有できるようにさえなった。

 

【第9段】

 一ヶ月ばかりが過ぎた、ある日のこと、天方伯爵は突然、私に向かって、

「私は明朝、ロシアに向かって出発することになっておるが……随行出来るかね?」

と問うた。――私はこの数日の間、公務で忙しく飛び回っていた相沢とは逢っておらず――この、事前に心構えが出来ていなかった問いかけは、不意に私を驚かせた。しかし、

「どうして御命令に従わぬことがありましょうか。」

と、即座に答えてしまった。

……私は自分の恥をここに書こう。……この答えは一早く決断して明言したものでは、実は、ない。……私は、自分が信じ、その人のことを頼りにする気持ちが生じたところの相手に、卒然、何かを問われた時には……とっさの間に、その答えが如何なることを意味し……更に、如何なる事態を生ぜしめることとなるのかといった……その結果のもたらす範疇(はんちゅう)をよく考えもせずに……直ちに「イエス」と答えてしまうことがあるのだ。……いや、そのように承諾した後(あと)になって、それが実は実現し難いということに、今さらながら気がついても……無理をして……その「イエス」と言った時の気持ちが、実はいい加減で空虚であったことを、あくまでも覆い隠し……耐え忍んで、これを力技(ちからわざ)で実行、なんとか成し遂げてしまう、といったようなことが、これまでの過去の人生に於いて、しばしばあったのである。……

 この日は今までの何度にも及んだドイツ語文書の翻訳料に加えて、ロシア行(こう)の旅費まで添えて頂戴したのを持ち帰り、翻訳料の方はエリスに預けた。これでとりあえず、ロシアから帰って来るまでの生活費は十分賄(まかな)うに足るであろう。

――彼女は、医者に見せたところ、妊娠している、とのことであった。……

……平素から貧血症であったがため、何ヶ月か気付かずにいたようである。……

……座長からは休むことが余りに長いので馘首(クビ)にした、と言ってよこしてきた。……

……ナンバー2の踊り子で、未だ休暇を貰って一月(ひとつき)程しか経っていないのに、このように仕打ちが厳しいのは、例の父の葬儀にまつわる一件があるからに違いあるまい。……

――私のロシア行については、エリスは余り心配しているようには見えない。……『偽りのない』私の心を、深く信じているから……。

 鉄道では遠くもない旅であるから、用意とてもない。体に合わせて借りた黒の礼服、新たに買い求めたゴタ版のロシア宮廷の貴族譜と、二、三種類の辞書などを、小さな「カバン」に入れたのみ。エリスは、さすがに妊娠やら解雇やらと心細くなるようなことばかりが多い近頃であったので――私が出て行った後に家に残っているのも鬱々として気がめいるであろうし――また見送りに行ってベルリン駅で涙を流したりしたら、私が後ろ髪を引かれる気にもなるであろうと言うので、翌朝早くに、エリスを母に付けて母の知人の所へ出してやった。だから私は独り、旅装を整えて扉を閉めると、鍵をアパルトメントの入り口に住む靴屋の主人に預けて出かけた。

 

【第10段】

 ロシア行についてはこれといって語るべきこともない。私の通訳としての任務は、あっという間に貧民窟クロステル街から私を拉致(らっし)去って、雲上(うんじょう)のロシア宮廷に堕(お)とした。大臣一行に随ってペエテルブルグに滞在していた間(あいだ)、私を取り囲んでいたもの――フランスはパリの最高の贅沢を氷雪のロシアに移したツアーリの宮殿の装飾――贅沢にも蜜蠟の蠟燭を数限りなく灯したシャンデリア――それが、幾つもの勲章やエポレット(肩章)に反射する、その光――装飾の限りを尽くしたカミン(暖炉)の火に、寒さを忘れて、ぱたぱたとはためかせる宮廷女性の扇の閃(ひらめ)き――といったようなもの――そうして――そして、このロシア行の間(あいだ)、フランス語を最も滑らかに使える者は私であったが故に、客と主人の間(あいだ)を取りもって、それぞれの意志を通じ合わせる役目――もまた、多くは私が演じたのであった。

 この間、私はエリスを忘れなかった……いや、彼女は毎日、手紙をよこしたので、忘れられなかった、と言うべきであろう。

『……あなたが旅立った日、私は、いつになく独りランプに向かっているのがつらかったものですから、知人のところで夜になるまでお話をして、疲れるのを待って家に帰って、すぐに寝ました。……でも、次の朝目覚めた時!……後に一人残ったことが夢ではないかしらと思ったの! 起きたときの心細さと言ったら!……こんな思い! 私がもう先(せん)、生計(たつき)に苦しみ、その日に食べる物がなんにもなかった時にも、決して、したことがなかったわ!……』

……これがエリスの第一の手紙のあらましである。

 また、暫らく経ってからのある一通の手紙は、ひどく思いつめて書いたように見受けられるものであった。それは、手紙の冒頭を「いいえ(ナイン)!」という字から書き起こしていた。

『ナイン! あなたを思う気持ちの深さを、今の今こそ、知ったのです! あなたは、故郷に頼りになるような、これといった親戚はいない、とおっしゃっていたわ! だからね、このドイツの地で生活して行けるだけのお仕事があれば、ここにお留まりにならないなんてことはないでしょう? いいえ、それより、私の愛で引き留めずにはおかないわ!……って思ってた……でも……でも、それもかなわず……日本へ帰るとあなたがおっしゃるのなら……その時は親と一緒に日本に行くことは、た易いことです!……けれど、二人分もの多くの旅費を、一体、どこから手に入れることが出来ましょう。……だから……だから、私はどんなつらい仕事に就いてでも、この地の留まって、あなたがいつか世にお出になられる日を……そうして私を迎えに来て下さる日を……待とう、と今までは思っていた……いた、のですけれど……ナイン! 少しばかりの旅、あなたがいなくなってから、この方(かた)二十日ばかり……あなたと別れて生きることのつらさが、日に日に募ってゆくばかりなの!――離れるのは一時の苦しみ――なんて思ってたのは大間違い!――私の、常ならぬ身が、次第次第に目立って参りましたわ。――そのこともあるのですから、たとえどんなことがあっても、決して私をお見捨てにならないで!――母とはひどく争いました。しかし昔の私とは違って、私が固い決心をしているのを知って、遂に諦めてくれました。――私があなたと東の日本へ赴く日には、シュチェチン辺りの農家に遠い親戚がいるので、そこに身を寄せると言っています。――以前に書き送って下さった通り、一国の大臣というお方に重く用いられていなさったならば、私一人ぐらいの日本への渡航の費用なんどは、どうにでもなるもので御座いましょう。――今はただひたすら、あなたがベルリンにお帰りになる日を待っています。』

 ……あぁ! 私はこの手紙を見て初めて、自分がその時、どんな状況にあるのかということを、はっきりと自覚した。……

……恥ずかしいのは、この私の鈍感な心だ!……それまで私は、自分一身の進退についても、また自分には無関係な他者に関わる裁可すべきことについても、常に決断力があるものと、内心、自負を持っていた……が……この決断力は順境の時にのみにあって……逆境の時には……これっぽっちも、ありはしなかったのだ!……今、この逆境の中にあって、私と他者との関係を照らし出そうとする際には……私の自慢の、頼みの、この心の鏡は……すっかり曇って何(なん)にも……写しだしてはくれないのであった。……

【第11段】

 大臣の私への信頼は既に厚いものとなっていた。……しかし私の近視眼は、ただ私が尽力した職務ばかりを見ていたに過ぎなかったのだ。……言っておくが私は……この職務の遂行によって、未来に望みをつなぐなどということは――神に誓って――全く考えてもいなかったのだ!……しかし今、ここに、それに――この職務完遂がダイレクトに私の将来と結びついている事実に――やっと、気づいた。……その時、私の心は冷静でいられたか? いや、いられようはずもなかった。……前に相沢が推挙してくれた時、大臣の信用は未だ屋上の鳥のように、手を伸ばしても届かないほど遠い存在だったが、今は少しばかりこれを手中に入れたかとも思ってはいたのだが……相沢との最近の会話の中で、彼の言葉の端々に、「日本に帰ってから後も、こんな風に一緒に仕事が出来るといいだがなぁ……。」などという台詞が交じっていたのは……実は、大臣がそのように――『君の友人の、あの太田君だが、彼の冤罪を雪(すす)いだ上で、日本に帰還させ、君と同じように自分の部下として使おうと思うが、どうだ?』といったようなことを――仰せられたのを、友人とは言え、公務への復職といった公(おおやけ)の内容を含むが故に、大臣が決断なさるまでは、はっきりとは告げられなかったからなのではなかったろうか?……今になってよく考えてみると……私が軽率にも相沢に向かって「エリスとの関係を絶つ」と言ったのを……早計にも、相沢は……大臣に告げてしまっていたのでは、ないだろうか?……

 ……ああ、ドイツに来た初め、――三年目のあの時――『本来の自分とは何かということを悟った』と思い、また『機械的人間には決してなるまい』と誓ったのであったが……これは足を縛られて放たれた鳥が、ちょっと羽を動かしてくるくると円形に飛び回り、『自由ヲ手ニ入レタ! 自由ヲ手ニ入レタ!』と誇っていたのと変わりがなかったのではないか?!……足の糸を解く術(すべ)は、なかったのだ!……以前、これを操っていたのは、某省の上司であり……今、この糸は……あぁっ! 何ということか! ……天方伯爵の手中にある!……!

――私が大臣の一行とともにベルリンに帰って来たのは、まさに明治二十二(一八八九)年元旦の朝であった。駅で皆に別れを告げ、我が家を指(さ)して馬車を走らせた。ここドイツにては今でも、大晦日(おおみそか)には眠らずに夜明かしをして新年を祝い、元旦には朝早くから眠ってしまう習慣なので、ベルリン中が静まり返っている。寒さは強く、路上の雪は氷結し、寒風に研ぎすまされて尖(とが)りきった氷のかけらとなって、それに晴れた朝日の光が反射して、きらきらと輝いている。馬車はクロステル街に曲がって、家の入り口に止まった。――

――この時、窓を開く音がしたが、車内からは見えない。――

――馭者(ぎょしゃ)に鞄を持たせて階段を昇ろうとした――その時、いち早くエリスが階段を駆け下りてくる!――

――彼女は一声叫ぶと、私の項(うなじ)に飛びつく!――

――見ていた馭者があきれたといった顔付きで、何言か髭の中でぶつぶつ言ったが、何を言ったのか、分からなかった。いや、そんなこと、どうでもいいんだ!――

 「――よくぞ、お帰りになられました! お帰りにならなかったら、私は死んでいてよ!」

 ――私の心はこの直前までふらふらと定まらず、故郷日本を思う気持ちと栄達を求める心とが、時として愛情を圧倒せんとしていたのだが――

――まさに、この一刹那、あれかこれかとためらい悩む思いは綺麗に消え去って――

――私はエリスを抱きしめ――彼女の首は私の肩に寄り添い――彼女の喜びの涙は――はらはらと我が肩の上に散ったのであった――

 「何階まで持って行きゃいいんで?!」

と銅鑼(ドラ)を鳴らすよう叫んだ御者は、気がつけば、すでに上の階の階段の途中に立っていた。……

 扉の外に出迎えたエリスの母親に、馭者を労(ねぎら)って下さい、とチップの銀貨を渡して、私は手を取って引っ張るエリスに伴われ、急いで部屋に入った。ちらと見て私は驚いた。何せ、机の上には白い木綿(もめん)や白い「レース」などが、うずたかく積まれていたから。

 エリスは微笑(ほほえ)みながらこれを指さして、はにかむと、

「……どう御覧になられるかしら? この気の早い仕度(したく)のこと……」

と言いながら、一つの木綿布(もめんぎれ)をいとおしそうにつまみ上げたのを見ると、それは産着(うぶぎ)なのであった。

「……私の心の喜びをお考えになってみて!……産まれてくる子は、あなたに似て黒い瞳を持っているかしら?……」

――《豊太郎の目を凝っと見つめて》――

「……この瞳……ああ、ずっと夢の中でしか逢えなかった、このあなたの黒い瞳! いいえ、私はそれしか夢を見なかったの!……子が生まれた折りには、あなたの誠実な心でもって、まさか、太田以外の姓を名乗らせるなんてことをなさったりは、なさらないわよね?」

余りに高ぶったものの言い方に恥じたのでもあろうか、急に彼女はしゅんとして、頭を下げた。

「……子供っぽいって、お笑いになるかも知れない……でも……その子が教会で洗礼を受ける日は、どんなにか嬉しいことでしょう!……」

と言いつつ、見上げたその目には、涙がいっぱい溢(あふ)れていた。――

 

 

【第12段】

 二、三日の間は大臣も旅の疲れがおありになるだろうと敢(あ)えて訪ねず、家にばかりこもっていたのだが、ある日の夕暮れのこと、天方伯爵からの使いが来て招かれた。行ってみると、その待遇、殊に厚く、ロシア行の折りの苦労などをお尋ねになり、ねぎらって下さった後(のち)、

「――私とともに東に帰る気持ちはないかね?――君の持っている知識や才能――そりゃあ、私なんぞにはとても計り知れないほどのものをお持ちのようだが――その語学の才能だけでも、十二分に世の中の役には立とうというもんじゃないか……しかし、ベルリン滞在が余りに長いので、『この地に様々な縁者も居(お)ったりするのかのう?』と相沢に尋ねてみたんじゃが、彼は『そんな気遣いは無用』との返事であったので、安心しておるんじゃよ!」

と仰せられた。

……その話し振りや態度は、最早、断ることなど出来ない、ある『強い何か』を持っていた。……

……あぁっ! と思ったが……

……さすがに相沢の言葉が嘘であるとも言い難い上に……

……もしこの手にすがらなかったならば……

……本国をも失い……

……名誉を取り戻す道も絶たれ……

……身はこの広漠としたヨーロッパの大都会の人の海に葬られてしまうのか……

……という念が心を激しく突き上げてきたのであった。……

……あぁ、なんという節操ない心か!!!

「承りまして御座います。」

と応えてしまったのは……………………。

 ……如何に面(つら)の皮が厚かったとしても……帰って、エリスに何と言おう?……「カイゼルホーフ・ホテル」を出た折りの私の心の錯乱は、譬(たと)えようもないものであった……私は道の東西も分からず、思いに耽(ふけ)ったまま行くうちに……行き交う馬車の馭者に何度も怒鳴られ、驚いては何ども飛び退いた。……暫らくして……ふと辺りを見てみると……あのティーア・ガルテン、動物園の傍(かたわ)らに出ていた……倒れるように道端のベンチに腰掛け……焼けるように熱い、ハンマーで叩(たた)かれるかのようにずきずきする頭を、ベンチの背にもたせかけて……死んだようになって……そのまま、一体、何時間過ごしたのだろう……激しい寒さが、骨に染み通ると感じて……ふと目が醒めた時は既に夜となっていて、雪が激しく降りしきっており……帽子の庇(ひさし)やコートの肩には……既に……雪が三センチほども積もっていたのであった……

 ……もう十一時は過ぎたか……モハビット・カルル街線の鉄道馬車の軌道も雪に埋(うず)もれて、ブランデンブルク門辺りのガス灯は、寂しい光を放っているばかり……立ち上がろうとしたが……足が凍えて動かない……両手でさすって、やっとのこと、そろそろと歩けるほどにはなった……

 ……気持ちの上からも……歩みは、まるではかどらぬ……やっとクロステル街まで来た時は、既に夜半を回っていたものと思われ……ここまで来た道さえ……どこをどうやって歩いてきたかも分からず――一月上旬の夜のことであったから、ウンテル・デン・リンデンのバーやカフェは、未だ人の出入りが盛んで、賑やかだったはずなのだが――私には……そうした記憶も全く、なく……私の頭の中は……ただただ……

――『私は許すべからざる罪人なのだ!』――

という思いだけに……満ち満ちていた。……

 ……四階の屋根裏部屋が見えた……エリスはまだ寝ていないものと思われ……煌々(こうこう)と光り輝く、星のような一つの灯(ともしび)が……暗い空を背景に、はっきりと透かして見えた……が、それは……降りしきる鷺のような雪片に……忽ち覆われては、また、忽ち現われ……あたかも風に弄(もてあそ)ばれているかのようであった……

……アパルトメントの戸口に入った時から、激しい疲れを感じ……体中の節々が耐え難いほどに痛い……這うように階段を昇る……台所を抜け……部屋の戸を……開いて……入った……すると……机近くで、産着を縫っているエリス……そのエリスが、振り返る……

「あっ!」

……と、叫んだ……

「どうなさったの!? あなたの! その、お姿は!?……」

 ……エリスが驚いたのはもっともなことであった。……まっ青になって死人に等しい顔色、……帽子はいつの間にか失い、……髪はおどろおどろしいまでに乱れて、頬にべっとりと張り付き……何度か道で躓(つまず)いて倒れたために、服は泥交じりの雪に汚れ、所々裂けてさえいたから。……

 ……私は答えようとした……が……声が出ない……膝が……頻りにがくがくとして……立っていられない……だから……椅子を……つかもうとした……そこまでは……覚えている……が……そのまま……床(ゆか)に……倒れた……………………

 

【第13段】

 ……私の意識が回復するまでになったのは、数週間後のことであった。――その間、熱が高く、うわ言ばかり言うのを、エリスが懇(ねんご)ろに看病してくれていたのであるが――ある日のこと、相沢が尋ねて来て、私が彼に隠していた顛末――エリスとの関係を絶たずにいたこと――エリスの妊娠――エリスが日本へ豊太郎と一緒に行くつもりでいること――等々(とうとう)を詳しく知ったが……

……とりあえず、大臣には病気のことのみを告げて、うまく取り繕っておいてくれたのであった。……

……私は初めて病床に寄り添っているエリスの姿を見て……その変わり果てた姿に驚いた。……

……彼女は、この数週間のうちに、ひどく瘠せて……血走った目は窪み……頬もげっそりと落ち、血の気を失っている。……

……相沢の助けで、エリスとその母は日々の生計(たつき)には困ってはいなかった……が……

……しかし……

……しかし、この恩人は……

――エリスを精神的に殺してしまった――――――――

 

 ……後(のち)に聞いたことには……エリスは相沢と会った折りに、私が相沢に与えた、エリスとの関係を絶つという約束を聞き……また、あの夜(よ)、大臣に申し上げた帰国承諾の一件を知るや――

――俄かに椅子から飛び上がり――

――顔色(がんしょく)さながら土の如く青黒くなって、

「――! 私の豊太郎ッ! そなたッ!! かくまで我を――欺(あざむ)き給いしかッ!!!」

と叫んだぎり、その場に昏倒した……………………

……相沢は、エリスの母を呼び、ともに助け起こしてベッドに寝かせたが……暫らくして目を醒ました時には……

……その目は凝っと前を直視したままで、そばにいる人が何者であるかも分からぬ体(てい)……

……私の名を呼んでは激しく罵(ののし)り、自分の髪を掻きむしり、布団を嚙むなどし……

……また――急に正気に戻ったような感じになって――何かを探し求める。……

……母が、いろいろなものを取って与えてみたが……それらは悉く投げ捨ててしまう……

……が……机の上にあった産着を与えた時――――――――

……暗闇の中を手探りするように、それを探っては……顔に押し当て……涙を流して……泣いた……………………

 

 ……これから後(のち)、騒ぐことはなくなったが、通常の精神作用はほとんど完全に消失し、その呆(ほう)けた様子は、赤子(あかご)と同じであった。医者に診せたところ、激烈なる心労によって急に発症した重度の精神痴呆「スキゾフレニア」(精神分裂病)という病であるから最早、治癒の見込みは全くない、とのことであった。ダルドルフの精神病院に入院させようとしたが、泣き叫んで言うことをきかない。……後(のち)には……

……例の産着一つをポケットに忍ばせ、何度も出しては見、見てはすすり泣いた。……

……エリスは……それでも、まだ……まだ病み臥せっていた私のベッドのそばを離れようとは、しない。……

……が、これさえも……はっきりと意識してそうしているようには、見えなかった。……

……ただ、時折り……思い出したように……

「豊太郎さまに……薬を、薬をあげなくては……」

と言うばかり。……………………

 

 私の病いはすっかり完治した。

――生ける屍となったエリスを抱いて、私は何度、千行(ちすじ)の涙を流したことであろう。……

――大臣に随行して帰東の途(みち)に上ることとなった折りには、相沢と相談して、エリスの母に、質素ながらも生活するに足るほどの金を与え、哀れな狂女の胎内に遺された子が生まれた折りのことも、頼みおいた。……

 

【第14段】

 ……ああっ! 相沢謙吉のような良き友は、世に二人とは得られぬであろう……しかし……しかし、私の脳裏に……一点の……彼を憎む『心』が……今日(こんにち)只今までも、残って、いるのである……………………

 

「舞姫」やぶちゃん現代語擬訳 本文 完

 

眞砂の數も有り餘る――

己(おの)が惡事の數々を――

救ふて呉れた相澤に――

被せた丈ぢや氣が濟まず――

恨みの一句で〆を打つ――

鐡面皮(おたんちん)たあ――

豐太郎――

ア! 御前(おめえ)の汚名(おめえ)に他ならねえ!――

文學野郎がどうホザこうが!――

俺は御前(てめえ)が大嫌ひ!――

西歐近代自我覺醒――

自由獨立自己同一――

象牙の塔の誰彼が――

眞實(まこと)しやかに貴樣が事――

惱める日本近代の――

知者象徴(インテリゲンツア)と成さんとも――

尻(けつ)が靑いと笑はれようが――

俺の腦裏にや一點の汝を憎む心在り!

 いやさ!

  豐太郎!

   手前(てめえ)はやっぱり!

    ア! 汚~ね~え~ぜ~え!

 

〝森鷗外「舞姫」、全卷の終わり!〟

 

■2000年に私の教え子が描いたエリス■

 

 

――彼女は私の「舞姫」の授業を受けた後――

――「人の本当の優しさとは何かを知りました」――

――と、この絵に感想を添えて私にプレゼントして呉れた――

 

森鷗外「舞姫」やぶちゃん擬訳全篇 終了