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[やぶちゃん注:底本は1984年平凡社刊「南方熊楠選集 第四巻 続南方随筆ほか」を用いた。底本文中の編者の校注補訂は省略した(一部、私の注の参考とした)。私は南紀白浜の南方熊楠記念館でウガの当該標本を実見したが、まずは爬虫綱有鱗目ヘビ亜目コブラ科セグロウミヘビPelamis platurus (Linnaeus, 1766)と見て良いのではないかと思われる(←リンク先:星野一三雄氏「日本の鱗たち じゃぷれっぷ in FIELD Star」内)。「バーナックル」とはエビ・カニの甲殻類のフジツボの仲間(蔓脚類)を指す。「エボシ貝」はその蔓脚類の足動物門甲殻亜門顎脚綱鞘甲(フジツボ)亜綱蔓脚(フジツボ)下綱完胸上目有柄目エボシガイ亜目エボシガイ科エボシガイLepas anatifera (Linnaeus, 1758)である(←リンク先:ウィキ「エボシガイ)。なお、熊楠が本種の名称として疑義を懐いているカイラケザメについては、これが梅花皮鮫(カイラギザメ)を指すものとすれば、本種ではない。カイラギザメという名称は本邦では一般に稀種の軟骨魚綱板鰓亜綱トビエイ目アカエイ科イバラエイ Urogymnus asperrimus (Bloch and Schneider,1801) のことを指す(←リンク先:沖縄美ら海水族館HP内「美ら海だより」2009年08月14日付記事)。ちなみに、このイバラエイは古くからその鱗状突起のある上皮が刀の鞘巻等の装飾などに用いられた。これについては私の電子テクスト、寺島良安「和漢三才圖會 巻第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鮫」の項の「加伊羅介(かいらげ)鮫」の注も参照されたい。【2010年1月28日追記】本注記のリンクが古くなったので一部を変更した。]

 

ウガという魚のこと   南方熊楠

 

 田辺町の大字片町の漁夫、海のことを多く知った宮崎駒吉話に、当地でウガ、東牟婁郡三輪崎でカイラギという魚は、蛇に似て身長く、赤白の横紋あってすこぶる美なり。尾三つに分かれ、真中の線(すじ)に珠数ごとき玉を多く貫き、両傍の線は玉なく細長し。游(およ)ぐを見ると、なかなか壮観だ。動作および頸を揚げて游ぐ状(さま)、蛇に異ならず。舟の帆柱に舟玉を祝い籠めある。その前の板は平生不浄を忌み、その上で物をきらず。ウガを獲れば件(くだん)の板を裏返し、その上でウガの尾をきり、舟玉に供え祀る。しかる時は、その舟にのる老海幸を得。この魚の長(たけ)二尺ばかり、と。『和漢三才図会』五一、鮫の条に加伊羅介鮫(かいらけさめ)の名を出し、『重訂本草啓蒙』四〇には錦魴をカイラギと訓じたれど、共にその記述を欠くゆえ、当地方でいわゆるカイラギは、果たして鮫の類か否か一向分からぬ。(大正三年一月『民俗』二年一報)

【追記】

 一昨年[やぶちゃん注:大正十三(1924)年。]六月二十七日夜、田辺町大字江川の漁婦浜本とも、この物を持ち来たり、一夜桶に潮水を入れて蓄い、翌日アルコールに漬(ひた)して保存し、去年四月九日、朝比奈春彦博士、緒方正資氏来訪された時一覧に供せり。これ近海にしばしば見る黄色黒斑の海蛇の尾に、帯紫肉紅色で介殻なきエボシ貝(バーナックルの茎あるもの)八、九個寄生し、鰓(えら)、鬚(ひげ)を舞(まわ)してその体を屈伸廻旋すること速ければ、略見には画にかける宝珠が線毛状の光明を放ちながら廻転するごとし。この介甲虫群にアマモの葉一枚長く紛れ著き脱すべからず。尾三つに分かれというは、こんな物が時として三つも掛かりおるをいうならん。左にアルコール漬の略図を出す。[やぶちゃん注:図1]詳細の記載は他に譲る。『重訂本草啓蒙』に、海蛇は数品あり、蛇形にして色黒く、尾端寸ばかり分かれてフサのごとくして、赤色なるもの、また白色なるものあり、と言えるはこの物であろう。この物手に入れた時、江川の漁夫等、古老の伝えた、海幸を舟玉に祈るに験著しい物はこれだろうと言ったが、何という物かその名を知った者一人もなかりし。かつてその名を予に伝えた宮崎翁は、大正十四年、双眼ほとんど盲(めしい)しながら夜分独りで沖へ釣に出で、翌朝船中に死しありしと今夜初めて聞き、かかる家業を世襲せる老人の口伝には必ず多少の実拠ありと暁(さと)れるにつけて、今少し多くを聞き留めおいたらよかったと、後悔これを久しうする。ついでにいう、『塵添壒囊抄』三に、鰄をカイラキと訓ず。紀州でいう物およびカイラケザメと同異判らぬ。同書四に、蛇をウカということと、その起原を説きある。(大正十五年八月二十七日記)



ウガ,一名カイラギ.蛇の体これよりずっと長いが,紙面の都合上縮めて画く[やぶちゃん注:以上、挿入画の下にある南方熊楠自身の説明。コンマ、ピリオドはママ。]


藪薇獸辭團