やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇へ
鬼火へ

仙臺 きんこの記   芝蘭堂大槻玄澤(磐水)

                 注記 copyright 2007 Yabtyan

[やぶちゃん注:本作は、文化七(1810)の版行になる。作者の大槻磐水(1757―1827)は、私の電子テクスト、南方熊楠の「人魚の話」で既に登場している。蘭学者大槻玄沢、本名は大槻茂質(しげかた)。磐水は雅号で、芝蘭堂は彼の書斎の堂号。杉田玄白・前野良沢の弟子で、通称の「玄沢」はその両師匠のそれぞれ一字をもらっている。南方熊楠も引用する「六物新誌」等で、日本に於ける西洋博物学の紹介・発展に大いに貢献した。蘭学入門書「蘭学階梯」はオランダ語の教科書として高い評価を受け、師の「解体新書」の改訂も行っている(「重訂解体新書」)。底本は恒和出版昭和五十七(1982)年刊の江戸科学古典叢書44「博物学短篇集<上>」所収の影印本を用い、活字に起した。原本との比較の便宜を考え、テクスト1・2については原本の改行を踏襲している。変体仮名については原則、正字平仮名にすることとした。但し、本文後記の部分は明らかに意識的にカタカナで統一されている文体であるので、表記通りとした(変体の片仮名は正字に直した)。特異な字体については注記した。但し、筆法の書き癖と思われるものは、一々注していない。また、俗字(現行の新字に等しいもの。例:「属」(屬)、「栄」(榮)、「稲」(稻)など)も多く用いられ、歴史的仮名遣いの誤りも多い。明らかな誤字・濁音脱落についてのみ、後に〔 〕で正字を補った。最後の落款の判読不能の字は□で示した。なお、原本は総振り仮名であるので、3タイプ・テクストの構成とした。即ち、まず振り仮名を省略した翻刻(■翻刻1)を、次に読みを附したもの(■翻刻2 但し、注の一部を省略)を、最後にパラルビで適宜句読点を施して読み易く自由に改訂したもの(■やぶちゃん読解改訂版 2同様、注の一部を省略)を示した。

 底本の原本は上野文庫本(甲南女子大学図書館蔵)193cm×125cm。なお、底本で判読不能な一部については、Web上の早稲田大学図書館古典籍データーベースの大槻文彦旧蔵本を参照にした。以下で、当該書全文の影印が読める(HTML及びPDF。非常に読みやすい(正直、私が底本としたものよりも読み易い。但し、これは一部の叙述が上野文庫本と異なっている点注意されたい。本文にもその相違部分を示した)ので、古典籍の雰囲気を味わいたい方は、まずこちらを見ることをお薦めする。判読不能の字及び誤読している字を発見された方は、是非ご教授願いたい。本電子テクストの作成は、昭和三十七(1962)年内田老鶴圃刊の大島廣「ナマコとウニ――民謡と酒のさかなの話――」に大いに触発されたことをここに謝す。

 なお、キンコの画像については以下等を参照にされたい(余りピンとくるものがない)。

 

   市場魚貝図鑑 キンコ

   国立科学博物館インターネット特別企画展「海に生きる」キンコ

   近海モノコレクション (Sasakic's Web Site) 棘皮動物 Echinodermata

 

 さて、本記述は勿論、現在の生物学的見地から錯誤が多く見受けられる(以下の記述は主に上記大島廣氏の著作を参考とした)。分布域は金華山に特異的ではない。北海道に多産し「フジコ」と称していたものも同種である。これについては栗本瑞見(丹州)が翌文化八(1811)年に『栗氏千虫譜』で、この『きんこの記』を引用した上で道(蝦夷)産の「フジコ」=「キンコ」の同定をしている。また、肛門がない(「下竅あるを見ず」)という記述も誤りである。最後の黄腸というのも生殖腺を指すと思われる。それにしても、正式には1868年(ちょうど明治元年)に種としてのモノグラフが記される(下記学名参照)キンコについて、このような詳細な博物学的記述が半世紀も前の江戸時代になされていることに私は心打たれる。これこそが、心なきテクノロジーに犯された現代にあって、復権させるべき博物学という、生きている「学問」の姿であり、「知の豊饒」としてのジャーナリズムであると思うのである。

 最後に、本川達雄他「ナマコガイドブック」(阪急コミュニケーションズ2003年刊)よりキンコについての記載を転載する。

キンコ Cucumaria frondosa var. japonica  Semper, 1868

樹手目 DENDOROCHIROTIDA キンコ科 Cucumariinae

 体長1020cm。体は概して丸く茄子形で、腹面はやや膨らみ、背面はやや扁平である。体色は灰褐色のものが多いが、黄白色から濃紫色までと色彩変異の幅が大きい。体前部には同大の大きな10本の触手がある。腹面の歩帯には不規則な2~4列の管足、背面の歩帯には2列の管足がある。腹面の間歩帯には管足はなく、背面には少しある。茨城県以北、千島、サハリンに分布。浅海の礫の間に生息する。食用種;二杯酢で生食するほか、煮て乾かして「いりこ」とする。]

 

■翻刻1

 

仙臺 きんこの記

[やぶちゃん注:底本では「仙臺」のみ右から左へ横書、「臺」の字は実際には「吉」を(「其」-「ハ」-「(下部の)一」)に代えて「わかんむり」に接続した字体である。但し、底本注記によると、この題字は覆製原本とは別の刊本の題簽の模写とある。]

 

  きんこ              芝蘭堂信

[やぶちゃん字注:「芝蘭堂信」は囲いのある印記。]

きんこは奥州金華山下東北數百里の間の海底

に産す其他の海に産する事なく牡鹿.本吉.氣仙.

三郡に属する海上のみ出す金華山は牡鹿郡に属す

る海中の一島にして聖武帝の御宇本朝はじめて

黄金を出し大伴家持のすべらぎ御代栄んと東

なる美知能久屋麻にこがね花佐久と詠ぜられし

より金華山とは稱せり此島の石岩の間皆黄金色

なり土俗いひ傳ふ其精氣.海底に沈みきんこを産し

[やぶちゃん字注:「土」の字の右上には「丶」がある。以下、同じ。]

金氣より生ずるをもて方言きんこと呼べりとぞ.其

形状は土瓜の如くにして長四五寸許徑り六七寸.其色

[やぶちゃん注:「瓜」は最後の一画が欠損している。]

黒く或は黒くして微紅を帶び黒班あるあり.耳.目.鰭

骨等のものなく唯口のみありて下竅あるを見ず

生海鼠のごとく軟滑なれと〔ど〕も.※1※2なし腹面に粟粒

[やぶちゃん字注:※1=(「瘖」の「日」を「口」に代える)。]

[やぶちゃん字注:※2=(「やまいだれ」の中に「田」の字を「森」の字状に三つ。)]

を並べたるこ〔ご〕ときもの首より尾に至るまで三道あり

一道幅壱分余其一條の間七八分つ〔づ〕ゝ隔るこれにて岩に

取り付き又滑脱あるき少し身を伸べ縮めて手足の

用を爲すが如し水底石岩の間に在りて天氣美好日

口より一物を吐出す其形絹絲を聚めて作れる罌粟花

の如し色は黄青.淡黒.等ありて花の開けるが如し漁

人これをきんこ花咲くといふ.物に觸れば乍ち口中に縮み

入りて見えざるなり肉厚さ三四分余腸は線の如く腹

[やぶちゃん字注:「腸」の字は、つくりの上の部分が「なべぶた」の下に「日」を結合したような字体となっている。以下、同じ。]

内に満て空隙なく此外に別物なし黄色あり緑色あり黄

腸のものを上品とす.此物夏秋は海底藻草の間にあり

冬春は水底石岩の沙地へ出るなり冬より初春の間こ

れを漁す専ら小寒大寒の間捕るなり實に他州に出

さゞる所の一奇品なり其海邉の者は生にても食へども多

くは脯となして四方に送る其乾しかたに法ありて眞

黒色と變じ堅くなりたるを度とす生の時とは其形状

を異にす此乾きんこを東奥にての煮法は先水にて

[やぶちゃん字注:「煮」の下の「れっか」は「火」の字である。以下、同じ。]

浸すこと一夜而後溏醤汁をとりたる未醤渣三合程

[★やぶちゃん注:この一行は、早稲田大学図書館蔵の大槻文彦旧蔵本では

煮ること數沸、而後溏醤汁をとりたる未醤渣三合程

となっている。]

に水三升を入れ煮熟する事二三時許にして取出し

渣の付たるを洗ひ右のたれ汁少し煮調ひ食ふ佳味いふべからず

よく煮熟さざれば堅靭食ふに堪へず味も亦美ならず

又其便法は米※汁にて久しく煮れば至て軟かになる

[やぶちゃん字注:※=(さんずい)+丼。推察するに「研」(とぐ)という字義で用いており、「汧」(ヘイ。綿を水にさらすの意)の字と誤ったか。]

なり又稲藁を共に入れて久しく水に煮るも亦柔か

になるなり能煮和ぎたる時酒醤にて煮調ひ食ふ

極めて美味なり其余の調理は意に任すべし其

功は乾海參の條に先輩のひと/\の説るがごとく

なれどもほしきんこは逈に其上に出るなりこれぞ遠

近試み知りて珍奇とする所以なり扨乾腊となし

たる物頗る熬海鼠に似たりそれ故にや他邦の人

これを得れば調理法も同様と心得誤りて或は黄

腸を取り去りて皮肉のみ用る者まゝありこれ其佳

[やぶちゃん字注:「去」は「大」の下に「ム」を入れた字体。]

味を弃てゝ熬海鼠のこどく〔ごとく〕するは其本性を知らざ

るが故なり生海鼠は全躰これとは形異にして尤

其腹内に三條の腸ありこれすははち古のわたなり漁

人取出し熬海鼠となすといふきんこはこれと大に異

なり其腹内の黄腹甚佳味あり宜しく腸を連ねて其

まゝ煮食ふべし

[やぶちゃん注:以下の文は底本では全体が二字下げでやや字が小さくなる。]

按ニ生海鼠(ナマコ)ト.キンコトハ一類ニシテ自別品ナリサテ海鼠ノ名

昔ハ和名古ト訓ジタリ後世煮乾スモノヲ伊里古と稱シ食

料トス往昔ハ生ハ食用セザルト見ユ漸々生ニテ用フルコトトナ

リテ後ニ生マコ.ノ名ハ出タリト覺ユ奥海ノ漁人モ亦當時

海鼠ノ類ト心得シヤ金古ト名ケシハ此物金華山下ノ海

中ニ産シテ金腸ヲ具有スル物ユヘトハ知ラル蓋熬海鼠ノ漢

名ハ海參ナリ乾スモノヲ他方ヨリ致セシヲ見テカク命シ〔ジ〕

タルト見ユ本草從新海參ノ條ニ無刺者名光參ト云フ

[やぶちゃん注:底本では「無」と「刺」の間にレ点、「名」と「光」の間に「二」、「參」と「ト」の間に「一」の訓点が入る。] 

モノハ此即キンコ.ナルベシト某先生ハイヒキ此品愚老カ〔ガ〕郷

國ノ名産ナレバ嘗テコレ等ノ諸説ヲ編集シテ金海一

[やぶちゃん字注:「嘗」の字は中の「ヒ」が「ノ+一」のような字体。]

珠ト題セル一小冊アリ詳カニ其中ニ載セタリ今其略ヲ抄書

シテ木ニ上セ贈遺スルノ諸君ニ附呈ス 玄澤□

[やぶちゃん字注:「玄澤□」は落款である。篆書で右側に「玄澤」、左に大きく一字がある。「氏」か。]

 

■翻刻2

 

仙臺 きんこの記

 

  きんこ              芝蘭堂信

 

きんこは奥州(あうしう)金華山(きんくわさんの)下(した)東北(ひがしきた)數百里(すひやくり)の間(あひだ)の海底(うみのそこ)

に産(さん)す其他(そのほか)の海(うみ)に産(さん)する事(こと)なく牡鹿(お〔を〕しか).本吉(もとよし).氣仙(けせん).

三郡(ぐん)に属(ぞく)する海上(かいしやう)のみ出(いだ)す金華山(きんくわさん)は牡鹿郡(お〔を〕しか)に属(ぞく)す

る海中(かいちう)の一島(しま)にして聖武帝(しゃうむてい)の御宇(ぎよう)本朝(ほんてう)はじめて

[やぶちゃん注:「一島」は二字で「しま」と読ませている。]

黄金(わうごん)を出(いだ)し大伴家持(おほとものやかもち)のすべらぎの御代(みよ)栄(さかえ〔へ〕)んと東(あづま)

なる美知能久(みちのく)屋麻(やま)にこがね花(はな)佐久(さく)と詠(えい)ぜられし

より金華山(きんくわさん)とは稱(しよう)せり此島(このしま)の石岩(いしいは)の間(あひだ)皆黄金色(こがねいろ)

なり土俗(ところのもの)いひ傳(つた)ふ其(その)精氣(せいき).海底(かいてい)に沈(しづ)みきんこを産(さん)し

金氣(きんき)より生(しやう)ずるをもて方言(ところのなに)きんこと呼(よ)べりとぞ.其(その)

形状(かたち)は土爪〔瓜〕(からすうり)の如(ごと)くにして長(ながさ)四五寸許(ばかり)徑(わた)り六七寸.其(その)色(いろ)

黒(くろ)く或は黒くして微(すこし)紅(あかみ)を帶(お)び黒(くろき)班(ほし)あるあり.耳(みみ).目(め).鰭(ひれ)

骨(ほね)等(とう)のものなく唯(たゞ)口のみありて下(したの)竅(あな)あるを見ず

生海鼠(なまこ)のごとく軟滑(なめらか)なれと〔ど〕も.※1※2(いぼ/\)なし腹面(はら)に粟粒(あはつぶ)

[やぶちゃん字注:※1=(「瘖」の「日」を「口」に代える)。]

[やぶちゃん字注:※2=(「やまいだれ」の中に「田」の字を「森」の字状に三つ。)]

を並(なら)べたるこ〔ご〕ときもの首(かしら)より尾(お)に至(いた)るまで三道(みすぢ)あり

一道(ひとすじ)幅(はゞ)壱分余(よ)其(その)一條(ひとすぢ)の間(あひだ)七八分つ〔づ〕ゝ隔(へた〔だ〕ゝ)るこれにて岩(いは)に

取(と)り付(つ)き又滑脱(すべり)あるき少し身(み)を伸(の)べ縮(し〔ち〕ゞ)めて手足(てあし)の

用(やう)を爲(な)すが如(ごと)し水底(みなそこ)石岩(いしいは)の間(あひだ)に在(あ)りて天氣(てんき)美好(よき)日

口より一物(いちもつ)を吐出(はきいだ)す其(その)形(かたち)絹絲(きぬいと)を聚(あつ)めて作(つく)れる罌粟花(けしのはな)

の如(ごと)し色(いろ)は黄青(きあを).淡黒(うすぐろ).等(とう)ありて花(はな)の開(ひら)けるが如(ごと)し漁

人(れうし)これをきんこ花咲く(はなさく)といふ.物(もの)に觸(ふる)れば乍(たちま)ち口中(こうちう)に縮(ちゞ)み

入りて見えざるなり肉(にく)厚(あつ)さ三四分余(よ)腸(はらは〔わ〕た)は線(いとすぢ)の如(ごと)く腹

[やぶちゃん注:「腸」の字は、つくりの上の部分が「なべぶた」の下に「日」を結合したような字体となっている。以下、同じ。]

内(はらのうち)に満(みち)て空隙(すきま)なく此外(このほか)に別物(べつもの)なし黄色(きいろ)あり緑色(みどりいろ)あり黄

腸(きわた)のものを上品(じやうひん)とす.此(この)物(もの)夏秋(なつあき)は海底(うみのそこ)藻草(もくさ)の間(あひだ)にあり

冬春(ふゆはる)は水底(みなそこ)石岩(いしいは)の沙地(すなぢ)へ出(いづ)るなり冬より初春(はつはる)の間(あひだ)こ

れを漁(すなとり)す専(もは)ら小寒(せうかん)大寒(だいかん)の間(あひだに)捕(と)るなり實(まこと)に他州(たこく)に出(いだ)

さゞる所の一奇品(めつ〔づ〕らしきしな)なり其(その)海邉(うみべ)の者(もの)は生(なま)にても食(くら)へども多(おほ)

[やぶちゃん注:(めつらしきしな)のルビは「一奇品」全体に振られている。]

くは脯(ほじゝ)となして四方(はう/\〔ばう〕)に送(おく)る其(その)乾(ほ)しかたに法(しかた)ありて眞

黒(まつくろ)色と變(へん)じ堅(かた)くなりたるを度(よきほど)とす生(なま)の時(とき)とは其(その)形状(かたち)

を異(こと)にす此(この)乾(ほし)きんこを東奥(せんだいかいあひ)にての煮法(にかた)は先(まづ)水(みづ)にて

[やぶちゃん字注:「煮」の下の「れっか」は「火」の字である。以下、同じ。]

浸(ふやか)すこと一夜(いちや)而後(それより)溏醤汁(たれしる)をとりたる未醤渣(みそかす)三合(さんがう)程(ほど)

[★やぶちゃん注:この一行は、早稲田大学図書館蔵の大槻文彦旧蔵本では

煮(に)ること數沸(すたび)、而後(それより)溏醤汁(たれしる)をとりたる未醤渣(みそかす)三合(さんがう)程(ほど)

となっている。なお、「數沸」の二字で(すたび)と訓じている。]

に水(みづ)三升(さんじやう)を入(い)れ煮熟(にじゆく)する事(こと)二三時(ふたときみとき)許(ばかり)にして取出(とりいだ)し

渣(かす)の付(つ)たるを洗(あら)ひ右のたれ汁少し煮調(にととの)ひ食(くら)ふ佳味(あじ〔ぢ〕のむまきこと)いふべからず

よく煮熟(にじゆく)さざれば堅靭(しなごはく)食(くら)ふに堪(た)へず味(あぢはひ)も亦(また)美(び)ならず

又其(その)便(てやすの)法(ほう〔ふ〕)は米(こめの)※汁(みず〔づ〕)にて久(ひさ)しく煮(に)れば至(いたつ)て軟(やはら)かになる

[やぶちゃん字注:※=(さんずい)+丼。推察するに「研」(とぐ)という字義で用いており、「汧」(ヘイ。綿を水にさらすの意)の字と誤ったか。]

[やぶちゃん注:「便法」と「※汁」の部分の読みは最後まで悩んだ。未だ不確定要素がある。]

なり又稲藁(わら)を共(いつしよ)に入(い)れて久(ひさ)しく水(みづ)に煮(に)るも亦(また)柔(やはら)か

[やぶちゃん注:「稲藁」で(わら)と読ませている。]

になるなり能(よく)煮和(にやはら)ぎたる時(とき)酒醤(さけしほ)にて煮調(にととの)ひ食(くら)ふ

極(きは)めて美味(うまきあぢはひ)なり其余(そのほか)の調理(りやうり)は意(こころ)に任(まか)すべし其(その)

功(こうのう)は乾海參(いりこ)の條(くだり)に先輩(むかし)のひと/\〔びと〕の説(とけ)るがごとく

なれどもほしきんこは逈(はるか)に其上(そのかみ)に出(いづ)るなりこれぞ遠

近(ゑんきん)試(こゝろ)み知(し)りて珍奇(ちんき)とする所以(ゆへ〔ゑ〕ん)なり扨(さて)乾腊(きんこ)となし

たる物(もの)頗(すこぶ)る熬海鼠(いりこ)に似(に)たりそれ故(ゆへ)にや他邦(たこく)の人

これを得(う)れば調理法(りやうりかた)も同様(おなじこと)と心得誤(こころえあやま)りて或(あるひ)は黄

腸(きわた)を取(と)り去(さ)りて皮肉(ひにく)のみ用(もちゆ)る者(もの)まゝありこれ其(その)佳

味(うまきあぢはひ)を弃(す)てゝ熬海鼠(いりこ)のこどく〔ごとく〕するは其(その)本性(ほんしやう)を知(し)らざ

るが故(ゆへ)なり生海鼠(なまこ)は全躰(ぜんたい)これとは形(かたち)異(こと)にして尤(もつとも)

其(その)腹内(はらのうち)に三條(みすぢ)の腸(はらわた)ありこれすははち古(こ)のわたなり漁

人(れうし)取出(とりいだ)し熬海鼠(いりこ)となすといふきんこはこれと大(おほき)に異(こと)

なり其(その)腹内(ふくない)の黄腹(きわた)甚(はなはだ)佳味(うまみ)あり宜(よろ)しく腸(はらわた)を連(つら)ねて其(その)

まゝ煮食(にくら)ふべし

[やぶちゃん注:以下の文は底本では全体が二字下げでやや字が小さくなる。]

按ニ生海鼠(ナマコ)ト.キンコトハ一類ニシテ自別品ナリサテ海鼠ノ名

昔ハ和名古(コ)ト訓ジタリ後世煮乾スモノヲ伊里古(イリコ)ト稱シ食

料トス往昔ハ生(ナマ)ハ食用セザルト見ユ漸々(オヒ/\)生ニテ用フルコトトナ

リテ後ニ生(ナ)マコ.ノ名ハ出タリト覺ユ奥海ノ漁人モ亦當時(マヱ/\ヨリ)

海鼠ノ類ト心得シヤ金古(キンコ)ト名ケシハ此物金華山下ノ海

中ニ産シテ金腸ヲ具有スル物ユヘトハ知ラル蓋熬海鼠ノ漢

名ハ海參ナリ乾スモノヲ他方ヨリ致セシヲ見テカク命シ〔ジ〕

タルト見ユ本草從新海參ノ條ニ無刺者名光參ト云フ

[やぶちゃん注:底本では「無」と「刺」の間にレ点、「名」と「光」の間に「二」、「參」と「ト」の間に「一」の訓点が入る。] 

モノハ此即キンコ.ナルベシト某先生ハイヒキ此品愚老カ〔ガ〕郷

國ノ名産ナレバ嘗テコレ等ノ諸説ヲ編集シテ金海一

珠ト題セル一小冊アリ詳カニ其中ニ載セタリ今其略ヲ抄書

シテ木ニ上セ贈遺スルノ諸君ニ附呈ス 玄澤□

 

■やぶちゃん読解改訂版(読みやすさを第一に考え、適宜、送り仮名・読みを増補省略し、誤字を修正、一部表現を別な漢字に置き換え、括弧も用いた。)

 

仙臺 きんこの記

 

  きんこ              芝蘭堂信

 

きんこは奥州金華山の下(した)、東北數百里の間の海底に産す。其の他の海に産する事なく牡鹿・本吉・氣仙三郡に属する海上のみ出す。金華山は牡鹿郡に属する海中の一島にして、聖武帝の御宇、本朝はじめて黄金を出し、大伴家持の

すべらぎの御代栄んと東(あづま)なる

   美知能久(みちのく)屋麻(やま)に

     こがね花佐久(さく)

と詠ぜられしより金華山とは稱せり。此の島の石岩の間皆黄金色なり土俗(ところのもの)いひ傳ふ其の精氣、海底に沈みきんこを産し、金氣より生ずるをもて方言(ところのなに)きんこと呼べりとぞ。其の形状は土瓜(からすうり)の如くにして長さ四五寸許り徑(わた)り六七寸。其の色黒く或は黒くして微(すこ)し紅(あか)みを帶び黒き班(ほし)あるあり。耳・目・鰭・骨等のものなく唯口のみありて下の竅(あな)あるを見ず。生海鼠のごとく軟滑(なめら)かなれども、いぼ/\なし。腹面に粟粒を並べたるごときもの、首(かしら)より尾に至るまで三道(みすぢ)あり。一道幅壱分余(よ)、其の一條(ひとすぢ)の間七八分づゝ隔る。これにて岩に取り付き、又滑脱(すべ)りあるき、少し身を伸べ縮めて手足の用を爲すが如し。水底石岩の間に在りて天氣美好(よき)日、口より一物を吐出す其の形絹絲を聚めて作れる罌粟(けし)の花の如し。色は黄青・淡黒(うすぐろ)等ありて花の開けるが如し。漁人これをきんこ花咲くといふ。物に觸れば乍(たちま)ち口中に縮み入りて見えざるなり。肉厚さ三四分余、腸は線(いとすぢ)の如く、腹内に満て空隙(すきま)なく、此の外に別物なし。黄色あり、緑色あり。黄腸(きわた)のものを上品とす。此の物夏秋は海の底藻草の間にあり。冬春は水底石岩の沙地へ出るなり。冬より初春の間、これを漁(すなとり)す。専ら小寒大寒の間、捕るなり。實に他州に出さゞる所の一奇品(めづらしきしな)なり。其の海邉の者は生にても食へども、多くは脯(ほじゝ)となして四方(はうばう)に送る。其の乾しかたに法ありて、眞黒色と變じ堅くなりたるを度(よきほど)とす。生の時とは其の形状を異にす。此の乾きんこを東奥(せんだいかいあひ)にての煮法は、先づ水にて浸(ふやか)すこと一夜(いちや)、[★やぶちゃん注:この部分、早稲田大学図書館蔵の大槻文彦旧蔵本では、『先づ煮ること數沸(すたび)、』となっている。]而後(それより)溏醤汁(たれしる)をとりたる未醤渣(みそかす)三合(さんがう)程(ほど)に、水三升を入れ、煮熟する事、二三時許りにして取出し、渣の付たるを洗ひ、右のたれ汁少し煮調ひ食(くら)ふ。佳味(あぢのむまきこと)いふべからず。よく煮熟さざれば堅靭(しなごはく)食ふに堪ず味(あぢはひ)も亦美ならず。又其の便(手易)の法は米の※汁(みづ)[やぶちゃん字注:※=(さんずい)+丼。推察するに「研」(とぐ)という字義で用いており、「汧」(ヘイ。綿を水にさらすの意)の字と誤ったか。]にて久しく煮れば至て軟かになるなり。又稲藁を共(いつしよ)に入れて久しく水に煮るも亦柔かになるなり。能く煮和ぎたる時、酒醤(さけしほ)にて煮調ひ食ふ。極めて美味(うまきあぢはひ)なり。其の余(ほか)の調理は意(こころ)に任すべし。其の功(効能)は乾海參(いりこ)の條りに先輩(むかし)のひとびとの説けるがごとくなれども、ほしきんこは逈(はるか)に其の上に出るなり。これぞ遠近試み知りて、珍奇とする所以なり。扨て、乾腊(きんこ)となしたる物頗る熬海鼠(いりこ)に似たり。それ故にや、他邦(たこく)の人これを得れば、調理法も同様と心得誤りて、或は黄腸(きわた)を取り去りて皮肉のみ用る者まゝあり。これ其の佳味(うまきあぢはひ)を弃(す)てゝ、熬海鼠のごとくするは、其の本性を知らざるが故なり。生海鼠は全躰これとは形異にして、尤も其の腹内に三條(みすぢ)の腸(はらわた)あり。これすははち古(こ)のわたなり。漁人取出し熬海鼠となすといふ。きんこはこれと大に異なり。其の腹内の黄腹甚だ佳味(うまみ)あり。宜しく腸を連(つら)ねて其のまゝ煮食ふべし。

[やぶちゃん注:以下の文は底本では全体が二字下げでやや字が小さくなる。]

按ニ「生海鼠(ナマコ)」ト「キンコ」トハ、一類ニシテ自(おのづから)別品ナリ。サテ、海鼠ノ名、昔ハ「和名古(コ)」ト訓ジタリ。後世、煮乾スモノヲ「伊里古(イリコ)」ト稱シ、食料トス。往昔ハ、生(ナマ)ハ食用セザルト見ユ。漸々(オヒ/\)、生ニテ用フルコトトナリテ、後ニ「生(ナ)マコ」ノ名ハ出タリト覺ユ。奥海ノ漁人モ、亦當時(マヱ/\ヨリ)、海鼠ノ類ト心得シヤ、「金古(キンコ)」ト名ケシハ。此ノ物、金華山下ノ海中ニ産シテ、金腸ヲ具有スル物ユヘトハ知ラル。蓋シ「熬海鼠」ノ漢名ハ、「海參」ナリ。乾スモノヲ他方ヨリ致セシヲ見テカク命ジタルト見ユ。『本草從新』ノ『海參ノ條ニ、『刺(とげ)無キ者ヲ光參ト名ヅク』ト云フモノハ、此レ即チ「キンコ」ナルベシト、某先生ハ云ヒキ。此ノ品、愚老ガ郷國ノ名産ナレバ、嘗テコレ等ノ諸説ヲ編集シテ『金海一珠』ト題セル一小冊アリ。詳カニ其ノ中ニ載セタリ。今其ノ略ヲ抄書シテ木ニ上セ、贈遺スルノ諸君ニ附呈ス。 玄澤□