やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇へ
鬼火へ

機關車を見ながら   芥川龍之介
[やぶちゃん注:昭和2(
1927)年9月15日発行の雑誌『サンデー毎日』秋季特別号に掲載。底本は岩波版旧全集に拠った。底本は多くの部分にルビを持つが、読みの振れるものに限った。なお2段落目の「軌道」のルビ(本来は「きだう」)、3段落目の「椎」のルビ(本来は「しひ」)、4段落目の「小春治兵衛」のルビ(本来は「こはるぢへゑ」)、6段落目の「莊嚴」のルビ(本来は「さうごん」)すべて底本のママである。
 更に底本注記によると、掲載誌の本文文末にはこの掲載に関わった編集者の文章があるとする。以下、引用する。


 芥川龍之介氏の遺稿「機關車を見ながら」は恐らく氏が死の直前五六日の頃に執筆したもので、この稿と同時に『人を殺したかしら?』と題する十四枚の小説が別にあつたさうですが、その小説の方は、どういう譯か、その時、氏を訪問して二階の書齋で對談してゐた某氏の面前で破り棄てゝしまつたさうです。私どもはこゝに氏の遺稿を掲げることを得て、今更ら深く故人に哀悼の意を表するものであります。(編輯者記)

底本ではこの作品を掲げた後、「或阿呆の一生」そして「侏儒の言葉」(遺稿)を持って小説・随筆の部が終了している。この「人を殺したかしら?」は、破棄されながら、それを可能な限り復元したとする葛巻義敏編の「芥川龍之介未定稿集」に所収している。構成に極めて問題のあるテクストではあるが、『「人を殺したかしら?――或畫家の話――」附 別稿「夢」及び別稿断片』として私の再構成した電子化したテクストを掲げてある。興味のある方は、お読み戴きたい。
 なお、本文中の「トランス・テエブル」は蒸気機関車にはお馴染みの転車台(本来の蒸気機関車はバック出来ないため円形の方向変換装置が必要)のことを指しており、正しくはタアン(ターン)・テーブルとすべきところである。

 さて、私はこの作品のシニカルな予兆的言辞に三嘆しながら、オープニングの芥川比呂志・多加志・也寸志の機関車ごっこを、そうしてそれらを末期の慈しみの眼で見る芥川龍之介の視線を痛感しないわけにはいかない。]

 

機關車を見ながら

 
 ……わたしの子供たちは、機關車の眞似をしてゐる。尤も動かずにゐる機關車ではない。手をふつたり、「しゆつしゆつ」といつたり、進行中の機關車の眞似をしてゐる。これはわたしの子供たちに限つたことではないであらう。ではなぜ機關車の眞似をするか? それはもちろん機關車に何か威力を感じるからである。或は彼等自身も機關車のやうに激しい生命を持ちたいからである。かういふ要求を持つてゐるのは子供たちばかりに限つてゐない。大人たちもやはり同じことである。

 ただ大人たちの機關車は言葉通りの機關車ではない。しかしそれぞれ突進し、しかも軌道(きどう)の上を走ることもやはり機關車と同じことである。この軌道は或は金錢であり、或は又名譽であり、最後に或は女人であらう。我々は子供と大人とを問はず、我々の自由に突進したい欲望を持ち、その欲望を持つ所におのづから自由を失つてゐる。それは少しも逆説ではない。逆説的な人生の事實である。が、我々自身の中にある無數の我々の祖先たちや一時代の一國の社會的約束は多少かういふ要求に齒どめをかけないことはない。しかしかういふ要求は太古以來我々の中に潜んでゐる。……

 わたしは高い土手の上に立ち、子供たちと機關車の走るのを見ながら、こんなことを思はずにはゐられなかつた。土手の向うには土手が又一つあり、そこにはなかば枯れかかつた椎(しい)の木が一本斜(なゝめ)になつてゐた。あの機關車――3271號はムツソリニである。ムツソリニの走る軌道は或は光に滿ちてゐるであらう。しかしどの軌道もその最後に一度も機關車の通らない、さびた二三尺のあることを思へば、ムツソリニの一生も恐らくは我々の一生のやうに老いてはどうすることも出來ないかも知れない。のみならず――

 のみならず我々はどこまでも突進したい欲望を持ち、同時に又軌道を走つてゐる。この矛盾は善い加減に見のがすことは出來ない。我々の悲劇と呼ぶものは正にそこに發生してゐる。マクベスはもちろん小春治兵衞(こはるぢへえ)もやはり畢(つひ)に機關車である。小春治兵衞は、マクベスのやうに強い性格を持つてゐないかも知れない。しかし彼等の戀愛のためにやはりがむしやらに突進してゐる。(紅毛人たちの悲劇論はここでは不幸にも通用しない。悲劇を作るものは人生である。美學者の作るわけではない。)この悲劇を第三者の目に移せば、あらゆる動機のはつきりしないために(あらゆる動機のはつきりすることは悲劇中の人物にも望めないかも知れない。)たゞいたづらに突進し、いたづらに停止、――或は顚覆するのを見るだけである。從つて喜劇になつてしまふ。即ち喜劇は第三者の同情を通過しない悲劇である。畢竟我々は大小を問はず、いづれも機關車に變りはない。わたしはその古風な機關車――煙突の高い3236號にわたし自身を感じてゐる。トランス・テエブルの上に乘つて徐(おもむろ)に位置を換へてゐる3236號に。

 しかし一時代の一國の社會や我々の祖先はそれ等の機關車にどの位(くらゐ)齒どめをかけるであらう? わたしはそこに齒どめを感じると共にエンヂンを――石炭を、――燃え上る火を感じないわけにも行かないのである。我々は我々自身ではない。實はやはり機關車のやうに長い歴史を重ねて來たものである。のみならず無數のピストンや齒車の集まつてゐるものである。しかも我々を走らせる軌道は、機關車にはわかつてゐないやうに我々自身にもわかつてゐない。この軌道も恐らくはトンネルや鐵橋に通じてゐることであらう。あらゆる解放はこの軌道のために絶對に我々には禁じられてゐる。こういふ事實は恐ろしいかも知れない。が、いかに考へて見ても、事實に相違ないことは確(たしか)である。

 もし機關車さへしつかりしてゐれば、――それさへ機關車の自由にはならない。或機關手を或機關車へ乘らせるのは氣まぐれな神々の意志によるのである。たゞ大抵の機關車は兔に角全然さびはてるまで走ることを斷念しない。あらゆる機關車の外見上の莊嚴(そうごん)はそこにかゞやいてゐるであらう。丁度油を塗つた鐵(てつ)のやうに。……

 我々はいづれも機關車である。我々の仕事は空(そら)の中に煙や火花を投げあげる外はない。土手の下を歩いてゐる人々もこの煙や火花により、機關車の走つてゐるのを知るであらう。或はとうに走つて行つてしまつた機關車のあるのを知るであらう。煙や火花は電氣機關車にすれば、ただその響きに置き換へても善い。「人は皆無、仕事は全部」といふフロオベエルの言葉はこのためにわたしを動かすのである。宗教家、藝術家、社會運動家、――あらゆる機關車は彼等の軌道により、必然にどこかへ突進しなければならぬ。もつと早く、――その外に彼らのすることはない。


 我々の機關車を見る度におのづから我々自身を感ずるのは必ずしもわたしに限つたことではない。齋藤緑雨は箱根の山を越える機關車の「ナンダ、コンナ山、ナンダ、コンナ山」と叫ぶことを記(しる)してゐる。しかし碓氷峠を下る機關車は更に歡びに滿ちてゐるのであらう。彼はいつも輕快に「タカポコ高崎タカポコ高崎」と歌つてゐるのである。前者を悲劇的機關車とすれば後者は喜劇的機關車かも知れない。