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芥川龍之介「人を殺したかしら?――或畫家の話――」

             附 別稿「夢」及び別稿断片

[やぶちゃん注:芥川龍之介の「人を殺したかしら?」は幻の原稿である。芥川龍之介の「機関車を見ながら」(昭和2(1927)年9月15日発行の雑誌『サンデー毎日』秋季特別号に掲載)の岩波旧全集注記によると、上記の「機関車を見ながら」掲載誌の本文文末にはこの掲載に関わった編集者の文章があるとして、以下の引用がある。

 

 芥川龍之介氏の遺稿「機關車を見ながら」は恐らく氏が死の直前五六日の頃に執筆したもので、この稿と同時に『人を殺したかしら?』と題する十四枚の小説が別にあつたさうですが、その小説の方は、どういう譯か、その時、氏を訪問して二階の書齋で對談してゐた某氏の面前で破り棄てゝしまつたさうです。私どもはこゝに氏の遺稿を掲げることを得て、今更ら深く故人に哀悼の意を表するものであります。(編輯者記)

 

葛巻義敏氏は岩波書店1968年刊の「芥川龍之介未定稿集」冒頭に「人を殺したかしら?――或畫家の話――」として以下の作品を掲載した。その編者註では『この小説は一番最後(昭和二年七月二十三日夜)に捨てられたとは云え、彼の一番最後の作品である』とし、本作の実在については『内田百閒氏と大阪毎日新聞の沢村幸夫氏が書いている。内田百閒氏のは直かにその原稿の一部を読ませられた人として、かなり彼の最後に近い思い出を書いておられる。沢村幸夫氏のは東京日日新聞の記者からの聞書きとして書かれている』ものがあるとする。そうして『それらのばらばらにされた原稿は七月二十四日朝[やぶちゃん注:芥川龍之介自死直後という意味である。]、彼の書斎と編者の部屋との間の三尺の廊下に「破棄」という赤インキ書きの原稿用紙を一枚上にして置かれてあった』と記す。それを葛巻義敏氏が自己の責任と判断に基づき『つなぎ合わせ』たものが、以下の「人を殺したかしら?――或畫家の話――」である。従ってこれを真に芥川龍之介の最後の作品「人を殺したかしら?」とするのは正しいとは思われない。思われないが、しかし、我々はその片鱗を味わいたい欲求にかられることも事実ではある。この「未定稿集」はその後の全集編纂では常に鬼っ子のように扱われてきたし、葛巻義敏氏に対する批判は、没後すぐの小穴隆一氏の「芥川家に巣食う奇怪な家ダニ」発言に始まり、芥川研究者の間でも頗る不評なのはよく知られるところではある。それでも芥川龍之介を愛する一介のファンとして、私は一つの「あったかもしれない芥川龍之介の作品」として充分味わうに足る作品であると感じている。批評はそれぞれの読者の中で行われればよい。少なくとも、黙殺されることは不当である。底本は上記「未定稿集」を用いた。傍点「丶」は下線に代えた。〔 〕は編者葛巻氏による推測補足である。

 加えて従来の全集に所収されてきた明らかな「人を殺したかしら?」の別稿である「夢」及びやはり従来の全集に「〔題未定〕」で所収されてきた原稿断片を後掲した(その冒頭部分には葛巻氏の新発見とする別稿断片を挿入した)。後者を葛巻氏は本作の別稿と判断しているからである。但し、「別稿」という判断には私は微妙に留保を加えたい気はする。読者の御判断にお任せしよう。]

 

人を殺したかしら?

  ――或畫家の話――

 

 わたしはすつかり疲れてゐた。肩や頸の凝るのは勿論、不眠症も可也甚しかつた。のみならず偶々(たまたま)眠つたと思ふと、いろいろ夢を見勝ちだつた。――いつか誰かは「色彩のある夢は不健康の證據だ」と話してゐた。が、わたしの見る夢は畫家と云ふ職業も手傳ふのか、大抵色彩のないことはなかつた。わたしほ或友だちと一しょに或場末(ばすゑ)のカッフェらしい硝子戸の中へはひつて行つた。その又(また)埃(ほこり)じみた硝子戸の前は丁度柳の新芽をふいた汽車の踏み切りになつてゐた。わたしたちは隅のテエブルに坐り、何か椀に入れた料理を食つた。が、食つてしまつて見ると、椀の底に殘つてゐるのは一寸(すん)ほどの蛇(へび)の頭(あたま)だつた。そんな夢も色彩ははつきりしてゐた。

 わたしの下宿は寒さの厳しい東京の或郊外にあつた。わたしは憂鬱になつて來ると、下宿の裏から土手の上にあがり、省線電車の線路を見おろしたりした。線路は油や金錆に染つた砂利の上に何本も光つてゐた。それから向うの土手の上には何か椎しひらしい木が一本斜めに枝を伸ばしてゐた。それは憂鬱そのものと言つても、少しも差し支へない景色だつた。しかし銀座や浅草よりもわたしの心もちにぴつたりしてゐた。「毒を以て毒を制す」、――わたしはひとり土手の上にしやがみ、一本の卷煙草をふかしながら、時々そんなことを考へたりした。

 わたしにも友だちはない訣ではなかつた。それは或年の若い金持ちの息子の小説家のK・Hだつた。彼はわたしの元氣のないのを見、「旅行に出る」ことを勤めたりした。「金の工面などはどうにでもなる。」――さうも親切に言つてくれたりした。が、たとひ旅行に行つても、わたしの憂鬱の癒らないことはわたし自身誰よりも知り悉(つく)してゐた。現にわたしは三四年前にもやはりかう云ふ憂鬱に陷り、-時でも氣を紛らせる爲にはるばる長崎へ行つて見ると、どの宿もわたしには氣に入らなかつた。のみならずやつと落ちついた宿も夜は大きい火取虫が何匹もひらひら舞ひこんだりした。わたしはさんざん苦しんだ揚句、まだ一週間とたたないうちにもう一度東京へ歸ることにした。

 或霜柱の殘つてゐる午後、わたしは爲替をとりに行つた歸りにふと制作慾を感じ出した。それは金のはひつた爲にモデルを使ふことの出來るのも原因になつてゐたのに違ひなかつた。しかしまだその前にも何か發作的に制作慾の高まり出したのも確かだつた。わたしは下宿へ歸らずにとりあへず甲と云ふ家へ出かけ、十號位の人物を仕上げる爲にモデルを一人を雇ふことにした。かう云ふ決心は憂鬱の中にも久しぶりにわたしを元氣にした。「この畫さへ出來れば死んでも善い。」――そんな氣も實際したものだつた。

 わたしの部屋は北に向いた、疊の古い六疊だつた。そこには畫架や三脚の前に籐椅子が一つあるだけだつた。わたしは絨氈を一枚買ひたいと思ひ、友人のK・Hと一しよに日本橋から京橋界隈を探しまはることにした。

 唯絨氈を一枚買ふだけならば、そんな手數などをかける必要はなかつた。しかしわたしは價(ね)の安い上に、善い絨氈を買ひたいと思つた。……

 それは丁度三十日(みそか)だつた。のみならず、烈しい吹き降りだつた。わたしたちは洋傘を傾けながらアスファルトの上を歩いて行つた。水の流れてゐるアスファルトは、わたしたちの姿を映してゐた。薄茶(うすちや)色の外套を着たK・Hや黑い外套を着たわたしの姿を。

 わたしたちの第一にはひつたのは、日本橋の或デパアトメントストアァの家具部とか云ふ所だつた。が、價(ね)の安い絨氈は勿論、善い絨氈も亦一枚もなかつた。それから次にはひつたのは銀座の或絨氈(じゆうたん)屋だつた。わたしはその店の入口に柱のやうに圓く卷いた、靑い絨氈を一枚見つけ、兎に角價だけ聞いて見ることにした。

「これは、つまり四疊半ですな。お價段は四百五十圓に致して〔お〕きませう。」

 わたしたちは、勿論もう一度吹き降りの往來を歩いて行つた。三番目にわたしたちのはひつたのは、日本橋の或「支那屋」だつた。わたしは古い北京(ペキン)絨氈の賣りもののあることを賴みにしてゐた。が、生憎、その店には毛氈(もうせん)の積んであるばかりだつた。

「北京(ペキン)絨氈をお探しならば、この先の××屋さんへ行つて御覧なさい。」

「××屋さん」は大きい骨董屋だつた。わたしは厚い硝子戸越しにひつそりした店の容子を眺め、どうも足を踏み入れるのにためらはない訣には行かなかつた。しかしやつと勇氣を出してかう云ふことに恐れないK・Hを先立(だ)て、兎に角硝子戸の中へはひることにした。そこには成程店の隅に花や鳥の模樣のある北京絨氈が何枚もつみ上げてあつた。K・Hは洋傘(かさ)を杖(つえ)にしたまま、顏の滑(なめ)らかな番頭を相手にわたしの代りに話し出した。

「これは一枚いくらするの?」

「こちらは八疊間でも引けますが、……六百圓でございます。」

「ははあ、六百圓ね。」

わたしたちはこの店の外(そと)へ出ると、横から煽(あふ)りつける雨脚(あまあし)に洋傘の調子をとりながら、どちらからともなしに笑ひ出した。

「ははあ、六百圓ね。」

「ははあ、――には違ひないんだから。」

 それから又わたしたちは一生懸命に日本橋や京橋を歩きまはつた。が、善い絨氈も見つからなければ、安い絨氈も見つからなかつた。わたしたちはとうとうがつかりして、ちよつと京橋の或カッフェの二階に疲れ切つた足を休めることにした。

 このカッフェの二階は靜かだつた。わたしはそこへ上(あが)つた時、何か嗅覺の鈍るのを感じた。それはわたしたちを包んでゐた雨の匀(にほひ)のしない爲だつた。わたしたちは窓際(まどぎは)に腰をおろし、どちらも卷煙草に火をつけながら、絨氈のことを話し出した。

「僕等(ら)の生活では絨氈一枚買へない。」

「文化絨氈を買へば善いのに。」

「あれぢや反つて落ちぶれたやうな氣になる。この上落ちぶれてはやり切れない。」

「そんなことを言つてゐるのもかう云ふ時代には贅澤なんだな。」

 小やみない雨は窓硝子の上にやはり絶えず流れてゐた。かう云ふ窓硝子を透かした外は、――家々の屋根や軒看板(のきかんばん)は妙にふだんよりも見すぼらしかつた。わたしは偶然テエブルの上のマッチの箱へ目を落した。それはギリシア陶器(たうき)の模樣(もやう)をレッテルに現(あらは)したマッチの箱だつた。薄茶色(うすちやいろ)の上に黑い女や馬の姿を描(ゑが)いたのはちよつと陶器らしいのに違ひなかつた。

「ここへも風ははひつて來るね。」

「しめつぽい風がね。」

「又あしたは仕事をするか。」

 わたしは紅茶をのみながら、K・Hやわたし自身を慰める爲に仕事のことを話しはじめた。が、それはいつものやうに無數(むすう)の疑問(ぎもん)を生じ出した。わたしたちは卷煙草を啣へたまま、半ば遊戲的にこれらの疑問と、――手(て)に了(お)へない怪物と闘(たたか)つて行つた。……

「モデルほもう雇つてあるの?」

「あしたから來て貰ふことになつてゐるんだ。さもなければこんなに雨のふるのに絨氈を探して歩きはしない。」

「ああ、絨氈は畫に使ふのか?」

「うん、それもーつにはね。――一つには部屋を明るくしたいんだ。」

「しかし絨氈に立ち戻ればだね。――」

「立ち戻れば、――又歩きまはるか。」

 わたしたちはこのカッフェをあとにした後(のち)、今度は芝(しば)へ出かけることにした。雨はわたしたちの休んでゐるうちに仕合せにもいつか小降りになつてゐた。けれども風は前よりも一層強くなつたくらゐだつた。わたしたちは洋傘(かさ)の骨(ほね)を折られるのを恐れ、時々落ちて來る雫(しづく)の中(なか)を洋傘をささずに歩いて行つた。

 芝にも家具屋は五六軒あつた。わたしはそれ等(ら)の一軒の店に、珍らしい色の絨氈を見つけた。絨氈には何の模樣もなかつた。が、可也よごれた上、しみもーつ隅(すみ)に殘つてゐた。その又しみはわたしの目には牛乳の罎にそつくりだつた。

「これはいくらするの?」

「二十圓位に致して置きませう。」

 病身らしい若主人(?)は晝(ひる)の電燈(でんとう)の光の中(なか)にかうわたしに返事をした。「二十圓」はわたしには誘惑だつた。わたしは何度も押し問答をした後、とうとうこの絨耗を十八圓五十錢に買ふことにした。

「では後ほどお届(とど)け申します。」

 わたしたちはかう云ふ言葉をあとにやつと荷をおろした氣もちになり、風の強い往來を歩いて行つてゐた。そこを通るのも二三度目だつた。わたしはこの絨氈を買ふ爲に何度そこここの家具屋の店を覗きこんだことだかわからなかつた。わたしは家具屋以外の店の人々に何か羞しさに近いものを感じた。

「あの煙草屋の娘などは何と思つてゐるだらう。」と。……

 Mと云ふ家からよこしたモデルは顏は餘り綺麗ではなかつた。が、体は、――殊に胸は立派だつたに違ひなかつた。それから髪の毛も常人(じやうじん)よりはずつと多いのに違ひなかつた。わたしはこのモデルにも滿足し、彼女を絨氈の上に寐かせて見た後(のち)、早速仕事にとりかかることにした。

 しかしわたしは畫架に向ふと、今更のやうに疲れてゐることを感じた。モデルは片肘ついたまま、ちよつと両膝をかがめるやうにし、部屋の隅の炭取りに目を注いでゐるポオズをした。彼女は横になつたまま、勿論身動きもしなかつた。しかし北に向いたわたしの部屋には火鉢の一つあるだけだつた。わたしは勿論この火鉢に縁(ふち)の焦げるほど炭火を起した。が、部屋はまだ十分に暖らなかつた。彼女は時々両脇の筋肉を反射的に震はせるやうにした。わたしはブラッシュを動かしながら、その度に一々苛立たしさを感じた。

 それは彼女に對するよりもストオブ一つ買ふことの出來ないわたし自身に對する苛立たしさだつた。同時に又かう云ふことにも神經を使はずにはゐられないわたし自身に對する苛立たしさだつた。

「君の家(うち)ほどこ?」

「あたしの家? あたしの家は谷中三崎町(さんさきちやう)。」

「君一人(ひとり)で住んでゐるの?」

「いいえ、お友だちと二人で借りてゐるんです。」

 わたしはそんな話をしながら、靜物(せいぶつ)を描(か)いた古カンヴァスの上へ徐(おもむ)ろに色を加へて行つた。彼女は横になつたまま、全然表情らしいものを示したことはなかつた。のみならず彼女の言葉は勿論、彼女の聲も亦一本調子だつた。それはわたしには持つて生まれた彼女の氣質としか思はれなかつた。わたしはそこに氣安さを感じ、時々彼女を時間外にもポオズをつづけて貰つたりした。――

「君のお母さんは琉球人だつて言つたね?」

「ええ。」

「琉球はいつでも暖いだらう?」

「ええ。」

「大きい蝶が飛んでゐるさうだね?」

「ええ、ずゐぶん大きい蝶が。」

 けれども何かの拍子には目さへ動かさない彼女の姿に或妙な壓迫を感じることもない訣ではなかつた。

 わたしの制作は捗らなかつた。わたしは一日の仕事を終ると、大抵は絨氈の上にころがり、頸すぢや頭を揉んで見たり、ぼんやり部屋の中を眺めたりしてゐた。わたしの部屋には畫架の外(ほか)に籐椅子の一脚あるだけだつた。籐椅子は空氣の濕度の加減か、時々誰も坐らないのに藤のきしむ音をさせることもあつた。わたしはかう云ふ時には無氣味になり、早速どこかへ散歩に出ることにしてゐた。しかし散歩に出ると云つても、下宿の裏の土手傳ひに寺の多い田舎町へ出るだけだつた。……

 けれどもわたしは休みなしに毎日畫架に向つてゐた。モデルも亦毎日通つて來てゐた。そのうちにわたしは彼女の體に前よりも壓迫を感じ出した。それには又彼女の健康に對する羨しさもあつたのに違ひなかつた。彼女は不相變無表情にぢつと部屋の隅へ目をやつたなり、薄赤い絨氈の上に横はつてゐた。「この女は人間よりも動物に似てゐる。」――わたしは畫架にブラッシュをやりながら、時々そんなことを考へたりした。

「S君の君を畫いたのはをととしだつたね?」

「ええ、……先生とは御(ご)懇意ですか?」

「うん、……どうして?」

 わたしはふと「どうして?」と尋ねたことをわたし自身妙に感じ出した。が、彼女はそれぎり默つてしまつた。

 わたしは一週間ばかりたつた後、かう云ふわたしたちの話の中から彼女の一生を感じてゐた。感じてゐた?――それは實際「感じてゐた」だつた。彼女は勿論彼女自身のことを餘り露骨には話さなかつた。けれども薄暗い彼女の人生はありありとわたしにはわかり出した。それは花束(たば)やブラヂル・珈琲(コオフイイ)やモルヒネの匀のする一生だつた。彼女もわたしと話してゐる時にはやはりわたしたちの一人(ひとり)だつた。わたしは畫架に向ひながら、嫌應なしに生きてゐる彼女に何か輕蔑に近いもののまじつた憐みを感じることもないわけではなかつた。

 或生暖い風の立つた午後、わたしはやはり畫架に向かひ、せつせとブラッシュを動かしてゐた。モデルはけふはいつもよりは一層むつつりしてゐるらしかつた。わたしは愈彼女の體に野蠻な力を感じ出した。のみならず彼女の腋(わき)の下(した)や何かに或匀(にほひ)も感じ出した。その匀(にほひ)はちよつと黑色人種(こくしよくじんしゆ)の皮膚(ひふ)の臭氣(しうき)に近いものだつた。わたしは五分間の休憩時間にも唯卷煙草をふかしてゐた。すると彼女はどう思つたのか、半ば目をとぢるやうにしたまま、始めてわたしにかう話しかけた。

「先生、この下宿へはひる路には細い石が何本も敷いてあるでせう?」

「うん。………」

「あれは胞衣塚(えなづか)ですね。」

「胞衣塚?」

「ええ、胞衣を埋めた標(しるし)に立てる石ですね。」

「どうして?」

「ちやんと字のあるのも見えますもの。」

「?……」

「誰でも胞衣をかぶつて生まれて來るんですね?」

「つまらないことを言つてゐる。」

「だつて胞衣をかぶつて生まれて來ると思ふと、……」

「?……」

「犬の子のやうな氣もしますものね。」

 わたしはかう云ふ話の中にいつか彼女の乳首(ちちくび)の大きくなり出したのに氣づいてゐた。それは丁度キャベツの芽のほぐれかかつたのに近いものだつた。わたしは勿論ふだんのやうに一心(しん)にブラッシュを動かしつづけた。が、彼女の乳首(ちちくび)に――その又氣味の惡い美しさに妙にこだわらずにはゐられなかつた。

 彼女とかう云ふ話をしたその晩(ばん)も、風はやまなかつた。わたしはふと目をさまし、下宿の便所へ行かうとした。しかし意識がはつきりして見ると、障子だけはあけたものの、ずつとわたしの部屋の中を歩きまはつてゐたらしかつた。わたしは思はず足をとめたまま、ぼんやりわたしの部屋の中に、――殊にわたしの足もとにある、薄赤い絨氈(じゆうたん)に目を落した。それから素足の指先にそつと絨氈を撫でまはした。絨氈の與へる觸覺は存外毛皮に近いものだつた。「この絨氈の裏は何色だつたかしら?」――そんなこともわたしには氣がかりだつた。が、裏をまくつて見ることは妙にわたしには恐しかつた。わたしは便所へ行つた後、匆々床へはひることにした。

 わたしは翌日の仕事をすますと、いつもよりも一層がつかりした。と云つてわたしの部屋にゐることは反つてわたしには落ち着かなかつた。そこでやはり下宿の裏の土手の上へ出ることにした。あたりはもう暮れかかつてゐた。が、立ち木や電柱は光の乏しいのにも關らず、不思議にもはつきり浮き上つてゐた。わたしは土手傳ひに歩きながら、おほ聲に叫びたい誘惑を感じた。しかし勿論そんな誘惑は抑へなければならないのに違ひなかつた。わたしは丁度頭だけ歩いてゐるやうに感じながら、土手傳ひに或見すぼらしい田舎町へ下りて行つた。

 この田舎町は不相變靜(しづ)かだつた。人通りも殆どなかつた。わたしはふと草鞋だの駄菓子だのを賣つてゐる店を眺め、わたしの昔住んでゐた信州の或村を思ひ出した。すると路ばたの或電柱に朝鮮牛が一匹繋いであつた。朝鮮牛は頭をさしのべたまま、妙に女性的にうるんだ目にぢつとわたしを見守つてゐた。それは何かわたしの來るのを待つてゐるらしい表情だつた。わたしはかう云ふ朝鮮牛の表情(?)に穏かに戰を挑んでゐるのを感じた。「あいつは屠殺者に向ふ時もああ云ふ目をするのに違ひない。」――そんな氣もわたしを不安にした。わたしはだんだん憂鬱になり、とうとうそこを通り過ぎずに或横町へ曲つて行つた。その横町には、又或天台宗の小さい寺のあることもわたしは承知してゐた。――

 それから二三日たつた或午後、わたしは又畫架に向ひながら、一生懸命にブラアシュを使つてゐた。薄赤い絨氈の上に横たはつたモデルはやはり眉毛さへ動(うごか)さなかつた。わたしは彼是半月の間、このモデルを前にしたまま、捗(はかど)らない制作をつづけてゐた。が、わたしたちの心もちは少しも互に打ち解けなかつた。いや、寧ろわたし自身には彼女の威壓を受けてゐる感じの次第に強まるばかりだつた。

 彼女は休憩時間にもシュミイズ一枚着たことはなかつた。のみならずわたしの言葉にももの憂い返事をするだけだつた。しかしけふはどうしたのか、わたしに背中を向けたまま、(わたしはふと彼女の右の肩に黑子(ほくろ)のあることを發見した。)絨氈の上に足を伸ばしながら、かうわたしに話しかけた。

「先生は人の死んだのを御覧になりました?」

「うん、おふくろの死んだのを見た。」

「いいえ、誰か變死したのを。」

「そんなものは見たことはない。」

「あたしは川流れを見たことがあります。」

「君の國でかい?」

「いいえ、東京の神田川で。……あたしは始め川の中に西瓜が浮いてゐるのかと思ひました。果物屋の二階にゐたせゐですかしら。」

 わたしは又彼女を前に進まないブラッシュを動かし出した。進まない?――しかしそれは必しも氣乗りのしないと云ふ訣ではなかつた。わたしはいつも彼女の中に何か荒あらしい表現を求めてゐるものを感じてゐた。が、この何かを表現することは、わたしの力量には及ばなかつた。のみならず表現することを避けたい氣もちも動いてゐた。それは或は油畫の具やブラッシュを使つて表現することを避けたい氣もちかも知れなかつた。では何を使ふかと言へば、――わたしはブラッシュを動かしながら、時々どこかの博物館にあつた石棒や石剣を思ひ出したりした。

 彼女の歸つてしまつた後、わたしは薄暗い電燈の下に大きいゴオガンの畫集をひろげ、一枚づつタヒティの畫を眺めて行つた。それ等の畫はわたしにはどれも妙に息苦しかつた。が、魅力のない訣ではなかつた。そのうちにふと氣がついて見ると、いつか何度も口のうちに 「かくあるべしと思ひしが」と云ふ文語體の言葉を、わたしは繰り返してゐた。なぜそんな言葉を繰り返してゐたかは勿論わたしにはわからなかつた。しかしわたしは無氣味になり、女中に床をとらせた上、眠り薬を嚥んで眠ることにした。しかし何か途切れ勝ちに、いろいろの夢を見つづけてゐたらしい。

 その翌日仕事をすますと、わたしは畫の具を買ひに出かけなければならなかつた。画の具屋は或裏通りにあつた。わたしはその店先に立ち、女店員に畫の具の名を話した。薄い頰紅をさした彼女は妙に上目(うはめ)にわたしを見たまま、ゆつくりと畫の具を包んでゐた。それは確かにわたしの素姓を疑つてゐる目つきに違ひなかつた。わたしはだんだん不快になり、畫の具の包みを受けとると、さつさとこの店を出ることにした。――わたしは一そモデルを雇ふのもやめてしまはうかとさへ思ひ出したりした。わたしの仕事はなかなか捗どらなかつたし、今更らのやうにわたし自身の疲れてゐるのを感じてゐた。しかし未完成の畫は勿論、このモデルにも何か冷淡にはなり切れないものを感じてゐた。――

 その晩は丁度小説家のK・Hもわたしを尋ねて來て、わたしは久しぶりに元氣になり、十時過ぎまで彼の相手をしたりした。(彼は半ば常談のやうに大家たちの作品の惡口を言つたり、彼自身の作品を――しかもまだ一行も書かない彼自身の作品を褒めたりした。)それから女中に床をとつて貰ひ、或シネマの雜誌を讀みかけたまま、わたしはいつかうとうと寐入つてしまつた。

 わたしの目をさましたのは、もう彼是十時近くだつた。わたしはゆうべ暖かつたせゐか、絨氈の上へのり出してゐた。が、それよりも氣になつたのはゆうべわたしの目の醒める前に見た夢だつた。わたしはこの部屋のまん中に立ち、〔モデルの〕彼女を絞め殺さうとしてゐた。(しかもその夢であることははつきりわたし自身にもわかつてゐた。)彼女はやや顏を仰向け、やはり何の表情もなしにだんだん目をつぶつて行つた。同時に又彼女の乳房はまるまると綺麗にふくらんで行つた。それはかすかに靜脈を浮かせた、薄光りのしてゐる乳房だつた。わたしは彼女を絞め殺すことに何のこだはりも感じなかつた。いや、寧ろ當然のことを仕遂げる快さに近いものを感じてゐた。彼女はとうとう目をつぶつたまま、如何にも靜かに死んで行つた。――かう云ふ夢から醒めたわたしは顏を洗つて歸つて來た後、濃い茶を二三杯飲み干した。けれどもわたしの心もちは一層憂鬱になるばかりだつた。わたしはわたしの心の底にも彼女を殺したいと思つたことはなかつた。しかしわたしの意識の外には、――わたしは卷煙草をふかしながら、妙に不安になる心もちを抑へ、モデルの來るのを待ち暮らした。けれども彼女は一時になつても、わたしの部屋には現れなかつた。この彼女を待つてゐる時間はわたしには可也苦しかつた。わたしは一そ彼女を待たずに、散歩に出ようかと思つたりした。が、散歩に出ることはそれ自身、わたしには怖しかつた。わたしの部屋の障子の外へ出る、――そんな何でもないことさへ、わたしの神經には堪へられなかつた。

 日の暮(くれ)はだんだん迫り出した。もうモデルは來る筈はなかつた。――そのうちに、わたしの思ひ出したのは、十二三年前の出來事だつた。わたしはまだ子供だつた。わたしはやはりかう云ふ日の暮に線香花火に火をつけてゐた。それは勿論東京ではない、わたしの父母の住んでゐた田舎の家の縁先だつた。すると誰かおほ聲に「おい、しつかりしろ。」と云ふものがあつた。のみならず肩を強く搖すぶるものもあつた。わたしは勿論縁先に腰をおろしてゐるつもりだつた。が、ぼんやり氣がついて見ると、いつか家の後ろにある葱畠の前にしやがんだまま、せつせと葱に火をつけてゐた。のみならず、わたしのマッチの箱もいつかあらまし空(から)になつてゐた。――わたしは卷煙草をふかしながら、わたしの生活には、わたし自身の少しも知らない時間のあることを考へない訣には行かなかつた。かう云ふ考へはわたしには不安よりも、寧ろ無氣味だつた。わたしはゆうべ夢の中に片手に彼女を絞め殺した。けれども夢の中でなかつたとしたら、……。

 モデルは次の日もやつて來なかつた。わたしはとうとうMと云ふ家へ行き、彼女の安否を尋ねることにした。しかしMの主人も、亦彼女のことは知らなかつた。わたしは愈不安になり、彼女の宿所を教へて貰つた。彼女は彼女自身の言葉によれば谷中三崎町(さんさきちやう)にゐる筈だつた。が、Mの主人の言葉によれば本郷の東片町にゐる筈だつた。わたしは電燈のともりかかつた頃に本郷東片町の彼女の下宿へ辿り着いた。それは或横町にある、薄赤いペンキ塗りの西洋洗濯屋だつた。硝子戸を立てた洗濯屋の店にはシャツ一枚になつた職人が二人、せつせとアイロンを動かしてゐた。わたしは格別急がずに店先の硝子戸をあけようとした。が、いつか硝子戸にわたしの頭をぶつけてゐた。この音には勿論職人たちをはじめ、わたし自身も驚かずにはゐられなかつた。

 わたしは怯づ々々店の中にはひり、職人たちの一人に聲をかけた。

「……さんと云ふ人はゐるでせうか?」

「……さんは、おととひから歸つて來ません。」

 この言葉はわたしを不安にした。が、それ以上尋ねることはやはりわたしには考へものだつた。わたしは何かあつた場合に彼等に疑ひをかけられない用心をする氣もちも持ち合せてゐた。

「あの人は時々うちをあけると、一週間も歸つて來ないんですから。」

 顏色の惡い職人の一人はアイロンの手を休めずに、かう云ふ言葉も加へたりした。わたしは彼の言葉の中にはつきり輕蔑に近いものを感じ、わたし自身に腹を立てながら、匆々この店を後ろにした。しかしそれはまだ善かつた。わたしは割に「しもた」家の多い東片町の往來を歩いてゐるうちに、ふといつか夢の中にこんなことに出合つたのを思ひ出した。ペンキ塗りの西洋洗濯屋も、顏色の惡い職人も、火を透かしたアイロンも――いや、彼女を尋ねて行つたことも、確かにわたしには何箇月か前の(或は又何年か前の)夢の中に見たのと變りなかつた。のみならず、わたしはその夢の中でもやはり西洋洗濯屋を後ろにした後(のち)、かう云ふ寂しい往來をたつた一人歩いてゐるらしかつた。

 それから、――それから先の夢の記憶は、少しもわたしには殘つてゐなかつた。けれども今何か起れば、それも忽ちその夢の中の出來事になり兼ねない心もちもした。……

 

 わたしは彼是一年の後、やつと前のやうに元氣になり、わたしの國へ歸ることになつた。小説家のK・Hもわたしと一しよに旅をする筈である。あのモデルはどうしたか?――それはわたしにもはつきりしない。唯、未だに氣になつてゐるのは西洋洗濯屋から歸つて來た後、切れ々々になつたへエア・ネットが一つ、わたしの部屋の隅に落ちてゐたことである。が、彼女は少くともふだんはへエア・ネットをしてゐなかつた。

   ――――――――――――――――――――――――――――――

 わたしは今は、或郊外に妻と一しよに暮らしてゐる。近所にゐる小説家のK・Hもいつか可也評半の善い新進作家の一人になりはじめた。わたしの畫もたまには賣れないことはない、わたしは妻やK・Hとあのモデルを使つてゐた頃の精神状態を話す度に、多少の羞(あづか)しさを感じてゐる。

「もう今では大丈夫だらうね?」

 K・Hはパイプヘ火をつけてはいつもかう言つて笑つてゐる。未だにアトリエの隅に敷いた、薄赤(うすあか)い絨氈(じゆうたん)へ目をやりながら。   (二・五・二六)

 

   *   *   *

 

[やぶちゃん注:以下は幻の「人を殺したかしら?」の草稿又は別稿と目される作品である。底本は岩波版旧全集を用いた。]

 

夢   芥川龍之介

 

 わたしはすつかり疲れてゐた。肩や頸の凝るのは勿論、不眠症も可也甚しかつた。のみならず偶々眠つたと思ふと、いろいろの夢を見勝ちだつた。いつか誰かは「色彩のある夢は不健全な證據だ」と話してゐた。が、わたしの見る夢は畫家と云ふ職業も手傳ふのか、大抵色彩のないことはなかつた。わたしは或友だちと一しよに或場末のカツフェらしい硝子戸の中へはひつて行つた。その又埃じみた硝子戸の外は丁度柳の新芽をふいた汽車の踏み切りになつてゐた。わたしたちは隅のテエブルに坐り、何か椀に入れた料理を食つた。が、食つてしまつて見ると、椀の底に殘つてゐるのは一寸ほどの蛇の頭だつた。――そんな夢も色彩ははつきりしてゐた。

 わたしの下宿は寒さの嚴しい東京の或郊外にあつた。わたしは憂鬱になつて來ると、下宿の裏から土手の上にあがり、省線電車の線路を見おろしたりした。線路は油や金錆に染つた砂利の上に何本も光つてゐた。それから向うの土手の上には何か椎らしい木が一本斜めに枝を伸ばしてゐた。それは憂鬱そのものと言つても、少しも差し支へない景色だつた。しかし銀座や淺草よりもわたしの心もちにぴつたりしてゐた。「毒を以て毒を制す、」――わたしはひとり土手の上にしやがみ、一本の卷煙草をふかしながら、時々そんなことを考へたりした。

 わたしにも友だちはない訣ではなかつた。それは或年の若い金持ちの息子の洋畫家だつた。彼はわたしの元氣のないのを見、旅行に出ることを勸めたりした。「金の工面などはどうにでもなる。」――さうも親切に言つてくれたりした。が、たとひ旅行に行つても、わたしの憂鬱の癒らないことはわたし自身誰よりも知り悉してゐた。現にわたしは三四年前にもやはりかう云ふ憂鬱に陷り、一時でも氣を紛らせる爲にはるばる長崎に旅行することにした。けれども長崎へ行つて見ると、どの宿もわたしには氣に入らなかつた。のみならずやつと落ちついた宿も夜は大きい火取虫が何匹もひらひら舞ひこんだりした。わたしはさんざん苦しんだ揚句、まだ一週間とたたないうちにもう一度東京へ歸ることにした。……

 或霜柱の殘つてゐる午後、わたしは爲替をとりに行つた歸りにふと制作慾を感じ出した。それは金のはひつた爲にモデルを使ふことの出來るのも原因になつてゐたのに違ひなかつた。しかしまだその外にも何か發作的に制作慾の高まり出したのも確かだつた。わたしは下宿へ歸らずにとりあへずMと云ふ家へ出かけ、十號位の人物を仕上げる爲にモデルを一人雇ふことにした。かう云ふ決心は憂鬱の中にも久しぶりにわたしを元氣にした。「この畫さへ仕上げれば死んでも善い。」――そんな氣も實際したものだつた。

 Mと云ふ家からよこしたモデルは顏は餘り綺麗ではなかつた。が、體は――殊に胸は立派だつたのに違ひなかつた。それからオオル・バックにした髮の毛も房ふさしてゐたのに違ひなかつた。わたしはこのモデルにも滿足し、彼女を籐椅子の上へ坐らせて見た後、早速仕事にとりかかることにした。裸になつた彼女は花束の代りに英字新聞のしごいたのを持ち、ちよつと兩足を組み合せたまま、頸を傾けてゐるポオズをしてゐた。しかしわたしは畫架に向ふと、今更のやうに疲れてゐることを感じた。北に向いたわたしの部屋には火鉢の一つあるだけだつた。わたしは勿論この火鉢に縁の焦げるほど炭火を起した。が、部屋はまだ十分に暖らなかつた。彼女は籐椅子に腰かけたなり、時々兩腿の筋肉を反射的に震はせるやうにした。わたしはブラッシュを動かしながら、その度に一々苛立たしさを感じた。それは彼女に對するよりもストオヴ一つ買ふことの出來ないわたし自身に對する苛立たしさだつた。同時に又かう云ふことにも神經を使はずにはいられないわたし自身に對する苛立たしさだつた。

 「君の家はどこ?」

 「あたしの家? あたしの家は谷中三崎町。」

 「君一人で住んでゐるの?」

 「いいえ、お友だちと二人で借りてゐるんです。」

 わたしはこんな話をしながら、靜物を描いた古カンヴァスの上へ徐ろに色を加へて行つた。彼女は頸を傾けたまま、全然表情らしいものを示したことはなかつた。のみならず彼女の言葉は勿論、彼女の聲も亦一本調子だつた。それはわたしには持つて生まれた彼女の氣質としか思はれなかつた。わたしはそこに氣安さを感じ、時々彼女を時間外にもポオズをつづけて貰つたりした。けれども何かの拍子には目さへ動かさない彼女の姿に或妙な壓迫を感じることもない訣ではなかつた。

 わたしの制作は捗どらなかつた。わたしは一日の仕事を終ると、大抵は絨氈の上にころがり、頸すぢや頭を揉んで見たり、ぼんやり部屋の中を眺めたりしてゐた。わたしの部屋には畫架の外に籐椅子の一脚あるだけだつた。籐椅子は空氣の濕度の加減か、時々誰も坐らないのに籐のきしむ音をさせることもあつた。わたしはかう云ふ時には無氣味になり、早速どこかへ散歩へ出ることにしてゐた。しかし散歩に出ると云つても、下宿の裏の土手傳ひに寺の多い田舍町へ出るだけだつた。

 けれどもわたしは休みなしに毎日畫架に向つてゐた。モデルも亦毎日通つて來てゐた。そのうちにわたしは彼女の體に前よりも壓迫を感じ出した。それには又彼女の健康に對する羨しさもあつたのに違ひなかつた。彼女は不相變無表情にぢつと部屋の隅へ目をやつたなり、薄赤い絨氈の上に横はつてゐた。「この女は人間よりも動物に似てゐる。」――わたしは畫架にブラッシュをやりながら、時々そんなことを考へたりした。

 或生暖い風の立つた午後、わたしはやはり畫架に向かひ、せつせとブラッシュを動かしてゐた。モデルはけふはいつもよりは一層むつつりしてゐるらしかつた。わたしは愈彼女の體に野蠻な力を感じ出した。のみならず彼女の腋の下や何かに或匀も感じ出した。その匀はちよつと黑色人種の皮膚の臭氣に近いものだつた。

 「君はどこで生まれたの?」

 「群馬縣××町。」

 「××町? 機織り場の多い町だつたね。」

 「ええ。」

 「君は機を織らなかつたの?」

 「子供の時に織つたことがあります。」

 わたしはかう云ふ話の中にいつか彼女の乳首の大きくなり出したのに氣づいてゐた。それは丁度キヤベツの芽のほぐれかかつたのに近いものだつた。わたしは勿論ふだんのやうに一心にブラッシュを動かしつづけた。が、彼女の乳首に――その又氣味の惡い美しさに妙にこだはらずにはいられなかつた。

 その晩も風はやまなかつた。わたしはふと目をさまし、下宿の便所へ行かうとした。しかし意識がはつきりして見ると、障子だけはあけたものの、ずつとわたしの部屋の中を歩きまはつてゐたらしかつた。わたしは思はず足をとめたまま、ぼんやりわたしの部屋の中に、――殊にわたしの足もとにある、薄赤い絨氈に目を落した。それから素足の指先にそつと絨氈を撫でまはした。絨氈の與へる觸覺は存外毛皮に近いものだつた。「この絨氈の裏は何色だつたかしら?」――そんなこともわたしには氣がかりだつた。が、裏をまくつて見ることは妙にわたしには恐しかつた。わたしは便所へ行つた後、匆々床へはひることにした。

 わたしは翌日の仕事をすますと、いつもよりも一層がつかりした。と云つてわたしの部屋にゐることは反つてわたしには落ち着かなかつた。そこでやはり下宿の裏の土手の上へ出ることにした。あたりはもう暮れかかつてゐた。が、立ち木や電柱は光の乏しいのにも關らず、不思議にもはつきり浮き上つてゐた。わたしは土手傳ひに歩きながら、おほ聲に叫びたい誘惑を感じた。しかし勿論そんな誘惑は抑へなければならないのに違ひなかつた。わたしは丁度頭だけ歩いてゐるやうに感じながら、土手傳ひに或見すぼらしい田舍町へ下りて行つた。

 この田舍町は不相變人通りも殆ど見えなかつた。しかし路ばたの或電柱に朝鮮牛が一匹繋いであつた。朝鮮牛は頸をさしのべたまま、妙に女性的にうるんだ目にぢつとわたしを見守つてゐた。それは何かわたしの來るのを待つてゐるらしい表情だつた。わたしはかう云ふ朝鮮牛の表情に穩かに戰を挑んでゐるのを感じた。「あいつは屠殺者に向ふ時もああ云ふ目をするのに違ひない。」――そんな氣もわたしを不安にした。わたしはだんだん憂鬱になり、とうとうそこを通り過ぎずに或横町へ曲つて行つた。

 それから二三日たつた或午後、わたしは又畫架に向ひながら、一生懸命にブラッシュを使つてゐた。薄赤い絨氈の上に横たわつたモデルはやはり眉毛さへ動かさなかつた。わたしは彼是半月の間、このモデルを前にしたまま、捗どらない制作をつづけてゐた。が、わたしたちの心もちは少しも互に打ち解けなかつた。いや、寧ろわたし自身には彼女の威壓を受けてゐる感じの次第に強まるばかりだつた。彼女は休憩時間にもシユミイズ一枚着たことはなかつた。のみならずわたしの言葉にももの憂い返事をするだけだつた。しかしけふはどうしたのか、わたしに背中を向けたまま、(わたしはふと彼女の右の肩に黑子のあることを發見した。)絨氈の上に足を伸ばし、かうわたしに話しかけた。

 「先生、この下宿へはひる路には細い石が何本も敷いてあるでせう?」

 「うん。……」

 「あれは胞衣塚(えなづか)ですね。」

 「胞衣塚?」

 「ええ、胞衣を埋めた標(しるし)に立てる石ですね。」

 「どうして?」

 「ちやんと字のあるのも見えますもの。」

彼女は肩越しにわたしを眺め、ちらりと冷笑に近い表情を示した。

 「誰でも胞衣をかぶつて生まれて來るんですね?」

 「つまらないことを言つてゐる。」

 「だつて胞衣をかぶつて生まれて來ると思ふと、……」

 「?……」

 「犬の子のやうな氣もしますものね。」

 わたしは又彼女を前に進まないブラッシュを動かし出した。進まない?――しかしそれは必しも氣乘りのしないと云ふ訣ではなかつた。わたしはいつも彼女の中に何か荒あらしい表現を求めてゐるものを感じてゐた。が、この何かを表現することはわたしの力量には及ばなかつた。のみならず表現することを避けたい氣もちも動いてゐた。それは或は油畫の具やブラッシュを使つて表現することを避けたい氣もちかも知れなかつた。では何を使ふかと言へば、――わたしはブラッシュを動かしながら、時々どこかの博物館にあつた石棒や石劍を思ひ出したりした。

 彼女の歸つてしまつた後、わたしは薄暗い電燈の下に大きいゴオガンの畫集をひろげ、一枚ずつタイティの畫を眺めて行つた。そのうちにふと氣づいて見ると、いつか何度も口のうちに「かくあるべしと思ひしが」と云ふ文語體の言葉を繰り返してゐた。なぜそんな言葉を繰り返してゐたかは勿論わたしにはわからなかつた。しかしわたしは無氣味になり、女中に床をとらせた上、眠り藥を嚥んで眠ることにした。

 わたしの目を醒ましたのは彼是十時に近い頃だつた。わたしはゆうべ暖かつたせゐか、絨氈の上へのり出してゐた。が、それよりも氣になつたのは目の醒める前に見た夢だつた。わたしはこの部屋のまん中に立ち、片手に彼女を絞め殺さうとしてゐた。(しかもその夢であることははつきりわたし自身にもわかつてゐた。)彼女はやや顏を仰向け、やはり何の表情もなしにだんだん目をつぶつて行つた。同時に又彼女の乳房はまるまると綺麗にふくらんで行つた。それはかすかに靜脈を浮かせた、薄光りのしてゐる乳房だつた。わたしは彼女を絞め殺すことに何のこだはりも感じなかつた。いや、寧ろ當然のことを仕遂げる快さに近いものを感じてゐた。彼女はとうとう目をつぶつたまま、如何にも靜かに死んだらしかつた。――かう云ふ夢から醒めたわたしは顏を洗つて歸つて來た後、濃い茶を二三杯飮み干したりした。けれどもわたしの心もちは一層憂鬱になるばかりだつた。わたしはわたしの心の底にも彼女を殺したいと思つたことはなかつた。しかしわたしの意識の外には、――わたしは卷煙草をふかしながら、妙にわくわくする心もちを抑へ、モデルの來るのを待ち暮らした。けれども彼女は一時になつても、わたしの部屋を尋ねなかつた。この彼女を待つてゐる間はわたしには可也苦しかつた。わたしは一そ彼女を待たずに散歩に出ようかと思つたりした。が、散歩に出ることはそれ自身わたしには怖しかつた。わたしの部屋の障子の外へ出る、――そんな何でもないことさへわたしの神經には堪へられなかつた。

 日の暮はだんだん迫り出した。わたしは部屋の中を歩みまはり、來る筈のないモデルを待ち暮らした。そのうちにわたしの思ひ出したのは十二三年前の出來事だつた。わたしは――まだ子供だつたわたしはやはりかう云ふ日の暮に線香花火に火をつけてゐた。それは勿論東京ではない、わたしの父母の住んでゐた田舍の家の縁先だつた。すると誰かおほ聲に「おい、しつかりしろ」と云ふものがあつた。のみならず肩を搖すぶるものもあつた。わたしは勿論縁先に腰をおろしてゐるつもりだつた。が、ぼんやり氣がついて見ると、いつか家の後ろにある葱畠の前にしやがんだまま、せつせと葱に火をつけてゐた。のみならずわたしのマッチの箱もいつかあらまし空になつてゐた。――わたしは卷煙草をふかしながら、わたしの生活にはわたし自身の少しも知らない時間のあることを考へない訣には行かなかつた。かう云ふ考へはわたしには不安よりも寧ろ無氣味だつた。わたしはゆうべ夢の中に片手に彼女を絞め殺した。けれども夢の中でなかつたとしたら、……

 モデルは次の日もやつて來なかつた。わたしはとうとうMと云ふ家へ行き、彼女の安否を尋ねることにした。しかしMの主人も亦彼女のことは知らなかつた。わたしは愈不安になり、彼女の宿所を教へて貰つた。彼女は彼女自身の言葉によれば谷中三崎町にゐる筈だつた。が、Mの主人の言葉によれば本郷東片町にゐる筈だつた。わたしは電燈のともりかかつた頃に本郷東片町の彼女の宿へ辿り着ゐた。それは或横町にある、薄赤いペンキ塗りの西洋洗濯屋だつた。硝子戸を立てた洗濯屋の店にはシヤツ一枚になつた職人が二人せつせとアイロンを動かしてゐた。わたしは格別急がずに店先の硝子戸をあけようとした。が、いつか硝子戸にわたしの頭をぶつけてゐた。この音には勿論職人たちをはじめ、わたし自身も驚かずにはいられなかつた。

 わたしは怯づ々々店の中にはいり、職人たちの一人に聲をかけた。

 「………さんと云ふ人はゐるでせうか?」

 「………さんはをととひから歸つて來ません。」

 この言葉はわたしを不安にした。が、それ以上尋ねることはやはりわたしには考へものだつた。わたしは何かあつた場合に彼等に疑ひをかけられない用心をする氣もちも持ち合せてゐた。

 「あの人は時々うちをあけると、一週間も歸つて來ないんですから。」

 顏色の惡い職人の一人はアイロンの手を休めずにかう云ふ言葉も加へたりした。わたしは彼の言葉の中にはつきり輕蔑に近いものを感じ、わたし自身に腹を立てながら、匆々この店を後ろにした。しかしそれはまだ善かつた。わたしは割にしもた家の多い東片町の往來を歩いてゐるうちにふといつか夢の中にこんなことに出合つたのを思ひ出した。ペンキ塗りの西洋洗濯屋も、顏色の惡い職人も、火を透かしたアイロンも――いや、彼女を尋ねて行つたことも確かにわたしには何箇月か前の(或は又何年か前の)夢の中に見たのと變らなかつた。のみならずわたしはその夢の中でもやはり洗濯屋を後ろにした後、かう云ふ寂しい往來をたつた一人歩いてゐたらしかつた。それから、――それから先の夢の記憶は少しもわたしには殘つてゐなかつた。けれども今何か起れば、それも忽ちその夢の中の出來事になり兼ねない心もちもした。………

(昭和二年)

 

   *   *   *

 

[やぶちゃん注:以下の断片は葛巻氏が『「人を殺したかしら?」→「夢」等の初稿』とするものに私が次に述べるような構成処理を加えたものである。ここで葛巻氏はこの「二 昼」の後に、従来知られている「人を殺したかしら?」の別稿と思われる旧全集所収の「〔題未定〕」の、欠落した冒頭一行を新発見したとして、それが(「〔題未定〕」が)この「二 晝」の「一」に相当する部分であるとして掲げているが、これは如何にもまどろつこしい。そこで葛巻氏の言説が的を射ているかどうかは別として、まず最初にこの新発見の冒頭の部分(《a》とした)、次に旧全集所収の「〔題未定〕」(《b》とした)を、最後に「二 晝」を掲げることで葛巻説による初稿(別稿)復元を示してみた(その際、葛巻氏が注で述べている原稿注記に従つた抹消処理を再現してもいる。但し底本の「未定稿集」はこの「一」についての部分が新字体になつてしまっているため、恣意的に正字に直してある)。「〔題未定〕」の部分は岩波版旧全集を底本とした。]

 

《a》

「〔題未定〕」小説[やぶちゃん注:葛巻氏原稿用紙冒頭部に題と署名を入れるためのスペース五行分が空けてあるとする。]

 僕はかねがね彼の家に或氣味の惡さを感じてゐた。それはコンクリイの壁を蔽つた、夥しい蔦の葉の震へる爲だつた。――震へる?――それはどうしても「吹かれる」のではなかつた。僕はその蔦の葉の震へるのを見る度に何か赤屋根の家全體も一しよに震へてゐるやうに感じた。……この家の主人は或弁護士だつた。僕は或関係上、可也彼と懇意にしてゐた。

僕の書かうとしてゐるのは此一家の出來事だつた。この家の主人は或事件の爲に何年かの刑を言ひ渡される、が、執行猶豫中に或事業に失敗する、此火事の爲に主人は自殺を遂げると云ふ出來事を中心に何人かの男女を描(ゑが)き分けながら[やぶちゃん注:葛巻氏によれば以下は欠である。]

《b》

〔題未定〕[やぶちゃん注:底本には冒頭欠落を示す傍点一行分があるが、《a》でそれを補つたと理解し、省略した。]

 僕の書かうとしてゐるのは或一家の出來事だつた。或家の主人は或事件の急に何年かの刑を言ひ渡される、が、執行猶豫中に或事業に失敗する、主人はその爲に自殺を遂げる、――大體かう云ふ出來事を何人かの男女を描(ゑが)き分けながら、その間にからまつた金の問題も取り扱つて見ようと思つてゐた。しかしそれはペンを動かして見ると、始めに豫期したよりも大仕事だつた。のみならず僕はベンを動かしてゐるうちにだんだん憂鬱を感じ出した。誰でも苦勞は多いのにそんな小説を讀ませるには當るまい、――かう云ふ氣も多少はしないわけではなかつた。

僕は机の前に仰向けになり、「名將言行録」を讀みはじめた。「皺腹一つ掻き切れば何もすむことなりと申されたり、」――かう云ふ安藤帶刀の言葉は妙に僕を心丈夫にした。僕は僕の小説の主人公の一生を考へ、(それは實在の人物だつた。)彼も亦やぶれかぶれだつたらうと思つたりした。彼も或時は自動車を持つたり、大きい屋敷に住んだりしてゐた。しかし彼の死んだ時は或山の中に彼の死骸を運び、雨のふる夜更けに火葬にした。彼の死骸は肥つてゐただけに絶えず脂肪の燒ける音や匀をさせてゐたとか云ふことだつた。……

そこへ僕を尋ねて來たのは田舍の或靑年だつた。この靑年は農業の合ひ間に時々短篇を仕上げてゐた。僕は彼を机の前へ坐らせ、彼の短篇に目を通す前に彼のゐる田舍の話などをした。彼は骨の太い手を膝の上へのせ、快活に僕と話をした。若し生活力と云ふ言葉を使ふとすれば、彼の體は逞しい生活力に漲つてゐた。僕はいつか彼を見た時、椎の木を感じたことを思ひ出したりした。

「僕は一そ君の田舍へでも住み着かうかと思つてゐるんだがね。」

「なぜかね?」

「田舍は東京よりも暮らし善いだらう?」

「譃を! 何が暮らし善いもんかね。何でも東京よりは高いずら。野菜は安いには安いけれども。」

 「風俗淳良とも行かないかな?」

「風俗ね、わしはこの間わしの家(うち)の畠(はたけ)の柿の木を一本盜まれてしまつた。」

僕は默つて卷煙草に火をつけ、椎の若葉を眺めたりしてゐた。が、彼の話したことは何かとうに知つてゐる氣もしてゐた。

「それよりも書いたものを見ておくんなさい。」

彼の懷ろからとり出したのは罫(けい)の赤い和紙の原稿用紙に筆細(ふでぼそ)の楷書(かいしよ)を並べたものだつた。僕はこの短篇を讀みながら、時々誤字を指摘したりした。が、讀んでしまつて見ると、今更のやうに憂鬱にならずにはゐられなかつた。それは子供の出來ないやうにしてゐても、いつか子供の生まれた爲にその子供を殺さうとする或貧しい自作農の心もちや所業を描いた短篇だつた。「どろどろに水に溶かしたセメンを赤ん坊の口へ流しこんだ」――かう云ふ一行は前後の關係もあり、就中僕にほ主人公の苦しみを感じさせずには措かなかつた。

「これほほんたうにあつたことかね。」

「ええ、わしのしたことです。」

 彼は洩黑い面長(おもなが)の顏に頰笑みに近いものを浮かべてゐた。僕はかう云ふ彼自身に少しも不快を感じなかつた。が婆婆苦をものともしない、――彼自身の言葉を使へば、陰惡さへ積まうとしてゐる彼に子供の荷になつてゐると云ふことを意外に感じたのは確かだつた。彼は忽ち僕のけはひを察し、彼自身も卷煙草を啣へたまま、詰じるやうに僕に話しかけた。

「お前さんはわしのしたことを惡いことと思つてゐる?」

僕は暫く返事をせずに卷煙草ばかりふかしてゐた。椎の若葉の茂つた空はいつかどんより曇つてゐた。のみならず蒸し暑さも加はり出してゐた。彼は卷煙草を煙草盆の灰に突きさし、もう一度僕の顏を見て尋ねかけた。

「どうだね?」

「善いとも惡いとも思つてゐない。」

「ぢや何でもないと思ふ?」

「唯不便だと思つてゐる。」

「不便とは?」

「唯君の生活を便利にしないと云ふことさ。それは一度は便利にしてね。……」

「どうしてだね?」

「それでわからなければ默つてゐろ。」

僕も亦いつか頰笑んでゐた。が、彼は默つたなり、何か考へてゐるらしかつた。それから急に僕の顏を見上げ、「さうかも知れないね」と言つたりした。僕はだんだん氣安さを感じ、もう一度話を當り障りのない彼の生活の上へ引き戻した。

「君の細君はどうしてゐる?」

 「不相變です。」

 「君の暮らしも不相變かね?」

 「ええ、……畠はだんだん賣るばかりだがね。それでも子供が死ねば善いと思ふのはわしの貧乏してゐるせゐぢやないだよ。」

 「そんなことは勿論わかつてゐる。」

 「手前(てめえ)可愛さに思つてゐるかね?」

 「それも思つてゐないことはない。」

 「しかし何もそればかりぢやないだよ。第一わしは生まれて來ることを一番惡いことと思つてゐる。」

 彼はそんなことを話した後、「又來ます」と言つて歸つて行つた。僕は彼の歸つたあとの煙草盆や茶碗や菓子鉢を眺め、妙に僕ひとりのとり殘されたのを感じた。彼と話してゐることはいつも僕を野蠻にした。それは僕には檻の前に立ち、コオルタアルじみた匀のする野獸を見てゐるのと變らなかつた。僕はふと彼に或懷しさを感じ、彼の帽でも見る爲に二階の縁側に立つて行つた。しかし椎の若葉の向うにはもう何も見えなかつた。椎の木は目のあたりに立つて見ると、若葉や新芽を盛り上げた中に枯れ葉も可也まじへてゐた。………

                                   (昭和二年)

 

      二 晝

 僕は妙に苛(いら)いらし出し、僕の友だちの下宿へ遊びに出かけた。が彼の部屋の前に立つと、ちよいと來たことを後悔した。僕は彼のモデルを使つて仕事をしてゐるのを知らないではなかつた。その又仕事の邪魔になるのは勿論、彼にモデルを見たがつてゐるやうに思はれ易いのも知らないではなかつた。しかし僕の後悔したのは僕の苛立たしさの彼に移り、彼を不快に(僕に對せずとも)し兼ねないからだつた。しかし僕の利己主義はいつも僕を無分別にした。僕は障子を前にしたまま、「ゐる?」と彼に聲をかけた。

「おはひんなさい。」

 彼は畫架を前にしたまま、せつせとブラッシュを動かしてゐた。その又彼の前にはモデルが一人(ひとり)花束の代りに新聞紙を持ちロッキング・チェエアに腰をかけてゐた。僕は彼等に挨拶した後、部屋の隅に腰をおろし、彼の畫面・・・