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芥川龍之介輕井澤日録二種

 

[やぶちゃん注:本頁は「やぶちゃん編 芥川龍之介片山廣子関連書簡16通 附やぶちゃん注」の関連資料として作製した。【2010年10月24日】]

 

輕井澤日記

 

[やぶちゃん注:大正13(1924)年9月1日発行の雑誌『隨筆』に「輕井澤日記」の標題で公開掲載されたもので、岩波版旧全集第七巻所収のものを用いた。傍点「ヽ」は下線に代えた。底本には最後の二箇所の「五葉(は)」にしかルビがないが、一部私が読みに迷ったものに( )で歴史的仮名遣の読みを附した。「五葉(は)」の部分はそのまま「(いつは)」と振って底本ルビとの区別をつけていない。【2010年10月24日】]

 

八月三日。晴。室生犀星來る。午前四時輕井澤に着せし由。「汽車の中で眠られなくつてね。麥酒を一本飮んだけれども、やつぱりちよつこしも眠られなくつてね」と言ふ。今日舊館の階下の部屋を去り、犀星と共に「離れ」に移る。窓前の他に噴水あり。鬼ぜんまい、荵(しのぶ)などの簇れる岩に一條の白を吐けるを見る。椽側に卷煙草を吸ひ居たる犀星、倏(たちま)ち歎を發して曰、「噴水と云ふものは小便によく似てゐるものだね。」又曰、「あんなに出續けに出てゐると、腹か何か痛くなりさうだね。」

 犀星と共に晩涼を逐ひ、骨董屋、洋服屋などを覗き歩く。微月(びげつ)天にあり。日曜學校の前に至れば、分別臭き亞米利加人、兩三人日本語の讃美歌を高唱するを見る。

 

 八月四日。晴。堀辰雄來る。暮に及んで白雨(はくう)あり。犀星、辰雄と共に輕井澤ホテルに赴き、久しぶりに西洋風の晩餐を喫す。客に獨逸人多し。食堂の壁に佛畫兩三幀を挂(か)く。電燈の光暗うして、その何たるかを辨ずる能はず。隣卓に禿頭の獨逸人あり。卓上四合入の牛乳一罎を置き、英字新聞に目を曝しつつ、神色自若として牛乳を飮み、五分ならざるに一槇を表す。食後サロンに閑談すること少時。雨を侵して鶴屋に歸る。

 夜半「僻見」の稿を了す。

 

 八月五日。陰。村幸主人、土屋秀夫來訪。辰雄、二時の汽車にて東京に歸る。

 薄暮、散歩の途次、犀星と共に萬平ホテルに至り、一杯のレモナアデに渇を癒す。客多くは亞米利加人。露臺に金髮紅衣の美人あり。籐椅子に倚つて郎君と語る。憾らくは郎君の鼻、鷲の嘴に似たることを。ホテルを去つてオウデイトリアムの前に至れば音樂會の最中なり。堂前樹下、散策の客少からず。偶(たまたま)御亭主と腕を組みたる黄面短軀の奧樣を見る。月を仰いで嘆じて曰、「蒼白い月だわねえ。」窮巷に文を賣ること十年、未だ甚だ多幸ならざれども、斯(かく)の如き夫人の毒手に入るを免る、亦一幸たるに近かるべし。

 夜、オオニイルの「水平線の彼方」を讀む。淺俗、映畫劇を見るに似たり。

 

 八月六日。晴。感興頓に盡き、終日文を艸する能はず。或は書を讀み、或は庭を歩し、犀星の憫笑する所となる。この庭に植ゑたる草木花卉、大體下に掲ぐるが如し。松、落葉松、五葉松、榧(かや)、檜葉(ひば)、枝垂れ檜葉、白槇(しろまき)、楓、梅、矢竹(やだけ)、小てまり、山吹、萩、躑躅、霧島躑躅、菖蒲、だりあ、凌零(のうぜん)はれん、紅輪草(こうりんさう)、山百合、姫向日葵、小町草(こまちさう)、花魁草(おいらんさう)、荵、針金草(はりがねさう)、鬼ぜんまい、雪の下、秋田蕗(あきたぶき)、山蔦、五葉(ごは)、――五葉(ごは)の紋章めきたるは愛すべし。

 午頃、田中純來る。運動服を調へ、チルデン愛用ラケツトを買ひ、毎日テニスしつつありと言ふ。

 

 

大正14(1925)年8月24日(月)芥川龍之介輕井澤日録〔やぶちゃん仮題〕

 

[やぶちゃん注:以下は、底本とした岩波版旧全集第十二巻の「雜纂」パートに「〔輕井澤日記〕」という編者の仮題のもとに納められているもので、その後記によると、元版全集では「手帳十二」として納められていたものを、公開を意図したものではない私的日録類として独立させたものである。『元版全集の月報第八號の「編集者のノオト」に「〔手帳の〕最後の十二は西洋紙のレタア・ペエパアに書かれそして手帳の間にはさまれてゐたものである。便宜上、手帳の最後に附け加へる事にした。」とある』と記されている(引用部分の「十二」は原文では太字。但し、新全集後記を見るとここは「十一」と誤記している旨の注記がある)。大正14(1925)年二度目の軽井沢での日録である。本件の記載が明らかに前者の日記体と異なるので、私は仮に題名だけで分かるように「大正14(1925)年8月24日(月)芥川龍之介輕井澤日録」とした。なお、本文中に現れるイニシャルについては、以下のように私の推定を示しておく。なお、この推定の内、「Y」及び「O」「T」については筑摩全集類聚版脚注に示された推定を参考にさせて頂いたが、「O」の小穴隆一説にはややクェスチョン(筑摩版自体も「か」と留保しているが)である。山本有三と小穴の接点を私自身が知らないからである。参考までに附した年齢は馴染みのよい満年齢で計算した。なお、「君のもRだけはよんでゐる」の「R」は芥川の第一作品集『羅生門』であろう。

○Y    山本有三   38歳

(芥川龍之介の第一高等学校一部乙類当時からの同級生。年齢差が気になるが、山本は落第している。)

○A    芥川龍之介  33歳

○H    堀辰雄    21歳

○S    萩原朔太郎  39歳

○M    室生犀星   36歳

○I子   萩原アイ   21歳

(朔太郎の妹で五女。明治37(1904)年生。後に詩人佐藤惣之助の後妻となった。)

○Y子   萩原ユキ   31歳

(最初に「丸髭の人」とあるのは朔太郎の妹で次女。明治27(1894)年生。)

○O    小穴隆一?  31歳

○T    谷崎潤一郎? 39歳

○K    片山廣子   47歳

○サトウ  佐藤不二男

(鶴屋旅館の主人。)

○R    不詳

(「氏」を附していて、俳句の指弾をするとなると、芥川よりも明らかに年長で、俳壇で相応に知られている人物であろうと推測するが、ぴんと来ない。そもそも「R」で始まる日本人姓は少なく、そうなると名のイニシャルとなるが……一つの可能性として小澤碧童はどうか? 芥川より遙かに年上の当時44歳、碧梧桐門下の新傾向俳人で「海紅」同人、おまけに彼は「露柴」(ろさい)という俳号を持っている。識者の御教授を乞うものである。)なお、文中の「劬はる」は「いたはる」と読む。底本には最終行に右インデントで「(大正十四年八月)」とある。【2010年10月24日】
 その後、新全集の当該テクストが、より正確な写真版新資料による新ソースであることを知り、新全集とも校合して空マスや行頭字下げや句読点の有無などを補正した。底本では最初の段落中の「〔一字缺〕」とあるのを、新全集の割注「〔二字欠〕」に従って補正した。【2010年10月25日】]

 

千が瀧に別荘を借りてゐるYが來てゐた。二人で二階に話してゐた。そこへ「さん」と言ふHの聲がした。肘かけ窓の障子をあけて見ると、Hは庭を隔てた廊下にゐ、姿は松や〔二字缺〕のかげになつて見えないが、「Sさんが來ました」と言つてゐる。

「あとで行く、今Y君が來てゐるから。」

しかしYにSの來たことを話し、すぐに自分だけMの部屋へ行つた。廊下に桃色や黑のパラソルがねかしてあるので Sの細君も來たのかと思つた。が、部屋へはひつて見ると、一人はI子と言ふSの妹、もう一人は丸髷に結つた、知らない人だつた。Sは白い背廣を着、あぐらをかいたまま、「やあ」と言つた。I子やもう一人の女の人は「どうぞあちらへ」と言つた。「あちら」と言ふのは座敷の奧、即ち床の間の前なのだ。好い加減な所に坐ると、Mは(机の前に坐つてゐたが)「I子さんは知つてゐるね。これもS君の妹さんだ」と丸髭の人を紹介した。丸髷の人は愛想よくお時宜をした。

暫く(五六分)話してから、部屋へかへり、Yと一しよに午飯を食つた。Oの惡口など話題になつた。それから、又YとMの部屋へ行き、YをSに紹介した。(Sの妹たちは彼等の部屋へ行つてゐた。Sは短いMの單衣をきてゐた。)二時頃皆で散歩に出た。宿の前には昨夜來た羽左衞門や梅幸の立つ所だつた。梅幸(洋服を着た)はYに「やあYさん」と言つた。「あなたこちらですか?」「いいや僕はA君をたづねてやつて來たんだ」梅幸はちよつと自分の方を見た。自分は何だか嫌な氣がして、匆々貸下駄をはいて外へ出た。SやSの妹たちはもう外に立つてゐた。ちよつとMの來のを待つてゐると、女中が下駄ばきで午飯のメニユーを持つて來た。往來で「チキンカツレツにお椀に」などとやるのはちよつときまりが惡かつた。これは何もSの妹たちに對してではない。女中がSやMにメニユーを見せてゐる間に 自分はHやSの妹たちと宿の前の路へはひつた。右側が別莊の塀になつてゐ、左側はやはり石垣をつんだ別莊の庭になつてゐる。その小路へはひつて四人と立ち止まつた。が、自分は手もち無沙汰だつたので少し先へ歩いて行き、綺麗な流れの橋の上へ行つた。ふりかへつて見ると、もうSやMもおひついて皆こちらへ歩いて來た。

テニスコートを見た。これを見るのはMの發議だ。けふは女は一人もテニスをしてゐない。皆男ばかりだ。テニスコートの横を萬平の方へ歩きながら、Mは「萬平へ行つてアイスクリィムをのまう」と言つた。自分は三尺をしめてゐたし、素足だつたし、ひげものびてゐたから、それに反對し、Brett’s Pharmacy でアイスクリィムをのまうと言つた。Brett’s Pharmacyと言ふのはコートの側にある藥屋なのだ。Mは「ぢやよすか」と言つた。橋まで行つてひきかへし、(auditorium の芝生には白樺の影が落ちてゐた。)Brett へはひつた。板張りの床へ下駄で上るのはいつもながら氣がとがめた。皆でココアサンデエをのんだ。自分の鄰にはI子さんが坐つた。I子さんもY子(Sにきいた)さんも言葉少なだつた。相客にスポオトできたへ上げたらしい、體格の好い二十七八の男が學生と一しよにゐた。二人と運動服を着、ラケツトを持つてゐた。(自分のパナマをSが褒めた。自分はこのパナマの手にはひつたことを話した。Y子さんはパナマを手にとつて見て、「上等でございますわね」と言つた。)自分はサンデエをもう一杯のみたかつたが誰も贊成しなかつた。

郵便局の前でYに別れた。Yはこれから千が瀧へかへるのだ。かへる時にあした來ないかと言つた。行つて好いと答へた。

煙草屋の横をはひり、アタゴ山の方へはひつた。別莊ばかり並んだ小路だ。一二町行つた所でMは「休まう」と言つた。Mは疲れ易かつた。男は皆別莊の低い石垣に腰かけて休んだ。女は立つてゐた。それが如何にも手もち無沙汰らしかつた。五分ばかりして引き返した。西洋人の子供が二人自轉車にのり、「はい、はい」と變な調子で言つてゐた。

往還へ出る角の果物屋へより、Sは淺間ぶだうを買つた。紫より藍に近い色のぶだうだ。「西洋人は煮てジヤムにする」と果物屋の主人が言つてゐた。買つたのはSの發案らしかつた。往還には西洋人の青年と子供とが大きい犬を二匹引つぱつてゐた。ちょつと無氣味だつた。水車の横を通り、宿へかへつた。

その晩自分は自分の部屋で食事をした。それからMの部屋へ行つた。MはSとビイルをのんでゐた(Sの妹たちは部屋へかへつてゐた。自分はSにY子さんの名を教はつた。Sは「あれ Tが好きなんだ。あれもTの小説をよんでゐる。君のもRだけはよんでゐる」と言つた。MはY子さんよりもI子さんが好きらしかつた。「あの顏は特色があるね」などと言つてゐた。そこへHも來た。それから皆で花をやるかKさんの麻雀戲をかりてやるか、どちらかしようと言ふ事になつた。が、麻雀戲はMもSも知らないので(Sは教はつてもやりたがつてゐたが)花にする事にした。花は宿のを借りた。カトオサンが持つて來た。黑ばかりだつた。

花はSの部屋へ行つてした。妹たちは二人とももう浴衣に着かへてゐた。生憎碁石は宿で碁を打つてゐる人に借りられてゐるので、その代りにSの名刺を使つた。Y子さんは小さいサツクにはひつた日本鋏を出し、Sの名刺を四つに切りながら、「何しろ鋏が小さいものだから」などと言つてゐた。三十一と聞いて見れば成程もう皮膚も荒れてゐる。しかしSには多少甘えた、親しみのある口をきいてゐた。M、S、I子、Y子、H、自分の六人に名刺の切れを分け(一枚一貫)、借り貫は軸の赤いマチにきめ、更にSが規則を半紙へ鉛筆で書いた。Mは面倒臭がつて「もう好いぢやないか」と何度も言つた。

花は一勝一敗あつたが、Mの親になつた時、Mは札を配る前にSにのぞんで貰ふのを忘れた。それをSに注意されてやり直した。やり直したが今度はまく順を間違つた。それで又やり直すと、今度は又のぞんで貰ふのを忘れた。皆可笑しがつてMにいろいろの事を言つた。Hも「Mさんはうちで花をやる時に僕等が何かやると、生意氣だと言ふ」と言つた。するとMは怒つてHの顏を見、「僕がそんな事を言ふかな」と言つた。と思ふと花をチヤブ臺に叩きつけ、「よさう」と言つて部屋へ歸つて行つた。皆ちよつと毒氣を拔かれた。Mは癇癪を起す動機を數日前から蓄へてゐた。それは第一に天候、第二に鄰室の肺病の客、第三にKさんなどと話す時にHや自分に優先される不快、第四に今日立たうとしてゐた所へSの來たことなどだつた。

僕等はつづけて花をやつた。Hは存外ふだんと變らなかつた。Sは「あれはM君の癖だ」と言つた。しかしMの氣もちを劬はる氣色はないでもなかつた。一番その時特色のあつたのはY子さんだつた。Y子さんは濃い眉一つ動かさずに「すぐにお直りなさるんでせう」と微笑してSに尋ねてゐた。いかにもそんな事には慣れ切つた態度だつた。どこか冷たい強さのある態度だつた。そのうちにSは便所へ行き、かへつて來ると、「今M君の部屋を覗いたら、よく寐てゐる」と言つた。「寐てゐても眠つちやゐないよ。」「さうかな。」――それから皆花をした。

その晩R氏が自分の俳句の惡口を言つたので、自分は怒つて、R氏の銅色の頰をぴしやぴしや打つた。しかしR氏はすまして惡口を言つてゐる。それを父や伯母が心配してゐる。そんな夢を見た。あけがたに見たので、さめたあとも變な氣もちがして不快だつた。Mの怒つた印象が夢になつたのだと思つた。