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■芥川龍之介「開化の殺人」やぶちゃん注

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「開化の殺人」大正六年十一月 芥川龍之介 本文へ

 

○本ページは、私の電子テクストである大正8(1919)年新潮社刊の芥川龍之介作品集『傀儡師』所収版の「開化の殺人」(但し、底本は昭和551980)年ほるぷ社『特選 名著復刻全集 近代文学館』で復刻されたもの)の別ページ注である。各章末ごとに岩波版旧全集本文との相違箇所及びオリジナルな注を施してある。明治期の日記文を擬古してあり、送り仮名が省略され、漢文脈音読みで、若い読者には甚だ読みにくい字が多いと思われるが、意味が取れ、読みも類推出来る字については細かな送り仮名を振らないで、高校生には調べ難く難解と思われる部分、及び私の読みが振れた部分に限定した。それは、またあなたの学びの部分でもある。なお、注釈の幾つかについては昭和461971)年刊の筑摩書房版全集類聚「芥川龍之介全集」の脚注を参考にした。
 また、検索で此方に直に来られた方は、このリンクで私のHP「鬼火」又は私の「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」へ一度向われることをお勧めする。

 

   「開化の殺人」 注

 

・下に掲げるのは……ひき寫したと云つても差支へない。:実は、このイントロダクション全体は初出にはない(恐らく当然のことながら、その後の長いダッシュも)。

・下に掲げるのは:筑摩書房全集類聚版では「下(しも)」とルビを振る。

Candid:岩波版旧全集は「Candide」とし、校異を記さない。原著題名としては確かに“Candide”が正しいが、底本では“Candide”前後のスペースは均等であり、たとえば“e”が誤植で脱落したようには見えない。フランス語で「純真な」を意味する“candide”の一般名詞としての英語の綴りは“candid”であるから、私にはこのままで違和感がない。さて、作品としての“Candide”であるが、フランスの啓蒙思想家Voltaire16941778)が1759年に発表した風刺小説で、原作には副題があり、“Candide, ou l'Optimisme”「カンディド、或いは楽天主義」である。師であるパングロス(哲学者ライプニッツを揶揄した人物)の教え「この正しい可能な現実世界にあっては、あらゆる事象はすべて最善である」を馬鹿正直に受け入れ、信じて疑わない純真なカンディド青年は、従妹キュネゴンドを恋して追放される。その苦難の遍歴の途次、彼が体験するのは、戦争や地震という現実世界のあらゆる天災や人災であった。結末に至ってキュネゴンドやパングロスと再会し、労働の中に意義を見出して、ささやかな暮らしを立てることとなるが、結句、未だにライプニッツ流の楽天主義を口にするパングロスに対してカンディドは言う、「もっともなことです。しかし、私たちはまず私たちの庭を耕さなければなりません」と。

・北庭筑波:きたにわつくば(1841-1887) 明治初期の写真家。本名伊井孝之助。横山松三郎及び下岡蓮杖に学び、明治三年に浅草で写真館を開業。その後、写真の手彩色や夜間撮影に成功した写真創成期の著名なカメラマン。

・鄭板橋:ていはんきょう(1693-1765) 清代の文人。画・詩・書の何れにも優れた。視覚に訴える筆法は、書画一体を体現しているとする。特に中国の近代画壇への影響力は大きいとされる。

・淋漓:墨のしたたりや筆の流れるさま。

・卿等:「卿等(けいら)」と読む。同列の高い位の仲間に対する二人称複数形。

・誣ふる:「誣(し)ふる」と読む。事実を曲げて、作り事を言う。

・藉る:「藉(か)る」と読む。借りる。

・硯に呵し:凍った硯を息を吹きかけて温めつつ。真剣に文章を書いていることを示す。

・惶々として:「惶々(こうこう)として」と読み、恐ろしさを感じて、びくびくして、の意。

・惟ふに:「惟(おも)ふに」と読む。

・予にとりて再過去の生活を營むと……:以下の段落最後までの四回の「再」はすべて、「ふたたび」と訓じている。以下の文中でも同じ。

・桑間濮上の譏:「桑間濮上(そうかんぼくじょう)の譏(そしり)」と読む。不純な異性交遊をなしているという非難を受けること。

・孤笈:「孤笈(こきゅう)」と読む。笈(おい)は修験者や行脚僧が仏典仏具・衣服食器などを収めて背に負う箱。この場合は書物を入れた鞄一つでの意。

・ハイド・パアク:Hyde Park ロンドン中心部に位置する1.4平方キロに及ぶ広大な公園。

・パルマル:Pall mall ロンドンの Trafalgar Square St. James Palace を結ぶ通りの名。上流紳士の集う会員制高級クラブが多い。なお、後で見るように、芥川は本作の最後に、この発音表記についての附記を作品集刊行時に追加している。

・怯懦:「怯懦(きょうだ)」と読む。臆病で気が弱いこと、意気地のないこと。

・チヤイルド・ハロルド:イギリスのロマン主義の詩人バイロン(George Gordon Byron 17881824)が、1812年に刊行した「チャイルド・ハロルドの巡礼」“Childe Harold's Pilgrimage”を指す。異国の地を舞台に自身の倦怠と憧憬の思春期を描き込んで、大ベストセラーとなった。

・英吉利宣教師ヘンリイ・タウンゼンド氏:如何にもありそうな名前(綴りは“Henry Townshend”であろう)であるが、不詳。筑摩書房全集類聚版注では『架空の名か。』とする。

・兩國橋畔の大煙火:隅田川の両国橋近くで行われる川開きの花火大会。

・校書:芸妓。

・柳橋萬八の水樓:江戸時代から続く両国柳橋の北にあった高級料亭。「水樓」は川を見下ろす高座敷のこと。

・賤貨:安物。下種。

・一肚皮の憤怨:「一肚皮(いっとひ)の憤怨(ふんえん)」と読み、はらわた一杯の怒りと怨みの意。

・奸譎:「奸譎(かんけつ or かんきつ)」と読み、邪(よこしま)で、心に偽りが多いこと。姦譎とも。

・水靄:「水靄(すいあい)」読む。川面を漂うもや。

・隊々相銜んで:「隊々(くみぐも)相(あい)銜(ふく)んで」と読み、川面に小船が互いに幾艘も重なり合って続いて見えて、の意。

・畫舫:「畫舫(がぼう)」は本来は、船体に絵を描いたり彩色を施したりした中国の遊覧船のことであるが、ここでは洒落た花火見物の遊覧の小舟。

・雛妓:筑摩書房全集類聚版では「雛妓(すうぎ)」とルビを振る。確かに前の一人前の芸妓を指す「大妓」は「だいぎ」であろうから、半人前の芸妓の意である「雛妓(すうぎ)」を音読みするのは不自然ではない。漢文調の日記という観点からもそれが正しいであろう。しかし私ならつい、「雛妓(はんぎょく)」又は「「雛妓(おしゃく)」と読みたくなるところではある。

・涼棚:筑摩書房全集類聚版では「涼棚(りやうはう)」とルビを振る。涼むために川に張り出す形で設えた涼み台・桟敷。

・肥大豕:「肥大(ひだい)豕(い)」と読む。肥え太った醜いブタ。

・黒絽:「黒絽(くろろ」と読む。縦糸と横糸をからませて織った透き目のある絹織物で、これはそれを黒く染めてある。

・抱明姜:抱き茗荷(みょうが)。茗荷の子を左右向かい合わせた紋。

・悖らざる:「悖(もと)らざる」と読む。 一般には「悖る」は、道理にそむくとか、人道に反するの意で用い、他には、ねじり曲がる、ゆがめるの意がある。ここでは「一夕の観察に悖らざる痴漢なり」とあるから、「あの晩の、卑劣にしてブタのように見えた観察が歪められたものではない、正真正銘の破廉恥漢であると」という意味でとっておく。芥川はしかし、この表現の中にまさに人の道に「悖る」というニュアンスを持ち込みたかったのであろうと思われる。

・啻に:「啻(ただ)に」と読む。

・行跡:筑摩書房全集類聚版では「行跡(ぎやうせき)」とルビを振る。

・成島柳北:なるしまりゅうほく(18371884) 江戸末期の漢詩人・将軍侍講、明治期に入ってからは随筆家・ジャーナリストとして活躍した。1874年に『朝野新聞』を創刊、言論取締法や新聞紙条例の批判キャンペーンを展開、自由民権運動では改進党のシンパであった。1877年には漢詩文雑誌「花月新誌」も創刊。特にここで芥川が意識下と思われる1874年刊行の「柳橋新誌」は、柳橋(現在の台東区柳橋付近)の花柳界を描いた漢文随筆で、近代化によって変貌する東京、失われゆく江戸情緒の美を描いた、柳北畢生の傑作である。

・未春:「未(いまだ)春(はる)を」と読む。

・梳※[※=(へん)「木」+(つくり)「龍」]:筑摩書房全集類聚版では「そろう」とルビを振って、脚注で『処女を失わせること。』と記す。前後から意味は分かるが、「大漢和辭典」を引いても、「梳」は当たり前の櫛、梳るの意しかなく、「※」の字は、獣を入れておく檻、連子窓、家の意しか見出せない。語義不明である。敢えて言うなら、そうした連子窓を処女膜に、尖った櫛を男根に譬えているのか。識者の意見を乞う。

・夙に:「夙(つと)に」と読み、ずっと以前からの意。

・一般なり:同等である、の意。

・疫癘:「疫癘(えきれい)」と読み、疫病・悪疫の意。

・做さざる:「做」の字は「作」の俗字であるから、「成す」=「作す」で「做(な)さざる」であろう。

・抑亦不幸:この「抑」は繰り返さず「抑(そも)亦(また)」と読む。

・墨上の旗亭柏屋:筑摩書房全集類聚版注に『墨上は墨田川中流東岸の雅称。旗亭は料理屋。柏屋は墨田区向島三囲にあった。』と記す。

・酒燈一穗、畫樓簾裡に黯淡たるの處、:「酒燈(しゅとう)一穗(いっすい)、畫樓(がろう)簾裡(れんり)に黯淡(あんたん)たるの處」と読む。「二人きりで差し向かいで酒を酌み交わす、傍らには灯火一つきり、そのともし火が、洒落た絵を描いた高座敷の、降ろした簾の中をほの暗く照らし出している中、……」という情景描写。

・伉儷:連れ合い。夫婦。夫婦としての関係。

・獨逸皇孫殿下:(18591941) フリードリヒ3世の長男、後の第9代プロイセン王国国王にして第3代ドイツ帝国皇帝であったヴィルヘルム2世(Wilhelm II 在位18881918)。彼はその当時、実際に来日している。殿下が新富座で観劇したのは、筑摩書房全集類聚版注によれば明治121879)年6月4日の夜のことであった。なお、筑摩書房全集類聚版注にある「ハインリヒ」という名は誤りと思われる。ハインリヒはフリードリヒ3世の次男で、ヴィルヘルム2世の弟の名である。

・纍々たる紅球燈:「纍々(るいるい)たる紅球燈(こうきゅうとう)」と読む。劇場の表に上下左右に連なって飾られた丸く赤い提燈(ちょうちん)のこと。

・霖雨:「霖雨(りんう)」と読む。長雨のこと。梅雨。

・奔馳:「奔馳(ほんち)」と読む。急いで駆け走ること。

・一霎時:「一霎時(いっしょうじ」と読む。暫時。ちょっとの間。

・三鞭酒:筑摩書房全集類聚版では「三鞭酒(しやんぺんしゆ)」とルビを振る。“champagne”シャンパンの当字。

・日子:「日子(にっし」と読む。日数。

・蟲蛆:「蟲蛆(ちゅうそ)」と読む。数多の虫や蛆。

・蘇色:蘇生したが如き顔色・気分。しかし、そう世間に知られるというのは、私に明子という女性へのやや不快な気が起こるのは、前近代的日本男性の残滓が私にあるからか。

・花瓦斯:新富座の劇場内のガス燈のシャンデリア。

・掛毛氈:新富座の劇場内の桟敷の欄干に掛け渡してある赤い毛氈(もうせん)。

・歩々:「歩々(ほほ)」と読む。一足ごとに。

・水蛇(ハイドラ):ギリシャ語の“Hydrā”。ギリシャ神話で、ヘラクレスに退治されたレルネー沼沢地の九つの頭を持つ蛇。ヒュドラ。

・荏苒:「荏苒(じんぜん)」と読む。事態が延び延びになってしまい、歳月が経ってしまうこと。

・子爵は予に先立ちで:「子爵は予に先立ちて」の誤植。

・匇惶として:「匇惶(そうこう)として」と読む。あわてて。足早に。

・歸趣:帰着すべき、たどり着くはずだった満足すすはずであった場所、状態。

・流燈會:燈籠流し。旧暦の十五日前に行われていたと思われる。

・屠りし:「屠(ほう)りし」と読む。殺(やっ)た。

・如何の地にか:筑摩書房全集類聚版では「如何(いかん)の地にか」とルビを振る。一体何処に。

・僵れたる:「僵(たお)れたる」と読む。

・擔はん:「擔(にな)はん」と読む。

・如上:筑摩書房全集類聚版では「如上(じよじやう)」とルビを振る。以上の如き。

・縷々:「縷々(るる)」と読む。細々と。

・潔せんと:「潔(いさぎよく)せんと」と読む。

・擱いて:「擱(お)いて」と読む。

・啣みて:「啣(ふく)みて」と読む。

・節物:「節物(せつぶつ)と読み、その季節の景物、の意。

・北畠義一郎拜。:岩波版旧全集後記によれば、初出では注記で示したように冒頭のイントロダクションがない代わりに、この後に一行あけて、

 

 追白、この遺書の書かれた當時は、まだ爵位の制が定められてゐなかつた。茲に子爵と云ふのは、本多家の後年の稱に從ふのである。

 

という一文があるとする。

・この小説を……:以下は、改ページ(幸い本文はかっちり85ページの終行まで入っている)して、「蜘蛛の糸」の表題ページ前に86ページ中央にポイントを落として入っている(一行字数底本と同じにし、字配りを一致させてある)。岩波版旧全集後記によると、これは勿論、初出にはなく、本底本の後の作品集の内、『戯作三昧』及び『沙羅の花』にはない。岩波版旧全集に先行する普及版及び小型版全集では『「開化の殺人」附記』の表題で作品末に収めている、とする。また、筑摩書房全集類聚版では、

「が、自分はやはりほかにPell Mell と云ふ語がある以上、」

の部分が、

「が、自分はやはりほかにPell Mall と云ふ語がある以上、」

となっているが、これは誤植と思われる。芥川がほかにある、という“Pell Mell”とは、“pell-mell”という、やや古語に属する副詞で、

pell-mell

 ① 乱雑に。ごっちゃに。②大慌てで。あたふたと。

の意味で、さらに形容詞化すると、

 向こう見ずに。(物が)乱雑な。ごっちゃな(人が)大あわての。大急ぎの。

という語である。