やぶちゃんの電子テクスト集:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇
鬼火へ
文藝雜話 饒 舌 芥川龍之介
[やぶちゃん注:大正八(一九一九)年五月発行の『新小説』に掲載された。芥川龍之介には「饒舌」と題する小説があるが(大正七年一月『時事新報』)、全くの別物で、現在、ネット上には、この「文藝雜話 饒舌」の方の電子テクストはない。底本は岩波版旧全集を用いたが、底本は総ルビであるため、読みの振れるもの及び若い読者に難字と思われるもののみのパラルビとした。なお、表題の「文藝雜話」は、底本では「饒舌」の上にポイント落ちで割注風に左右に「文藝」「雜話」とある。繰り返し記号「〱」は正字に直した。これは私が見落としていた一種のアフォリズム集であり、また、勉誠出版平成一二(二〇〇〇)年刊の「芥川龍之介作品事典」の坂本昌樹氏の解説によれば、『芥川の怪異譚に関する知識と関心のなみなみならぬ深さを示す随筆として興味深』く、芥川龍之介の怪異蒐集記録である「椒圖志異」(リンク先は私の電子テクスト)『との内容的な関連においても注目される随筆である。この随筆に特徴的な神秘談や怪異譚への強い関心は、芥川の多彩な創作活動の一つの淵源となっていた』と評されておられる。私の趣向から言っても、これはテクスト化せずんばならぬ作品である。注釈を附す予定であったが、これは附けだすと思いの外、膨大になることが予想されるので、今回はまずは本文公開とする。【二〇一二年九月二四日 藪野直史】]
文藝雜話 饒 舌
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ハイネによると獨逸の幽靈は、佛蘭西の幽靈より不幸だとあるが、日本と支那の幽靈の間にも大分懸隔がある。第一日本の幽靈は非社交的で、あんまり近づきになつても愉快でない。精々凄い所が身上だから、御岩稻荷にしも、敬遠されるのが關の山である。所が支那の幽靈になると、教育があつて、義理人情が厚くつて、生人よりは餘程始末が好い。噓だと思つたら、一部の聊齋志略を讀んで見るがいゝ。何百かの長篇短札の中には、隨所にさう云ふ幽靈が出て來る。女鬼した所で、泉鏡花氏の女主人公が支那服を着たやうなのだつて稀ではない。
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日本の怪談を材料にした作品では、雨月が名高いが、どうも文品が稍賤しいやうな心もちがする。丁度肅白の畫にあるやうな、惡く奇峭がつた所が氣になつて仕方がないが、秋成でも春雨物語になると、到底凡手には書けない所がある。殊に「血かたびら」や「海賊」は、短篇としてどこへ出しても恥しくはない。文章は簡勁で、如何にも蒼古の趣がある。さうさう、谷崎潤一郎君は、頭の惡い時に海賊を讀んだら、返て氣分がはつきりしたと云つてゐたつけ。
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あゝ云ふ話を集めたのでは、古いもので、僕には今昔が一番面白い。文章も素朴でしつかりしてゐる。僕なんぞは新刊の英譯大陸小説よりあれを讀む方が爲になる所も餘程多い。
前に云つた聊齋はたしか乾隆の中葉頃に出來たものだから、今昔に比べると餘程新しい。所が今昔と聊齋と、よく似た話が兩方に出てゐる。たとへば聊齋の種梨の話は大體の段どりから云つて、今昔の本朝第十八卷にある以外術破盜食瓜語と云ふ話と更に變りがない。梨と瓜とを取換へれば、殆ど全く同じである。かう云ふのは日本の話が支那へ輸入されたのであらうか。
が、これなぞはどうも話の性質が支那じみてゐる。するとこの話のプロトタイプが始支那にあつて、それが先に日本に輸入されたのであらうか、暇があつたら誰か考證して見るのも面白からうと思ふ。序に云ふが、聊齋の鳳陽士人と云ふ話も、今昔の本朝第二十一卷常澄安永於不破關夢見京妻語と云ふ話とよく似てゐる。
[やぶちゃん字注:「不破」の「ふわ」のルビはママ。]
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もう一つ序に云ふが、聊齋の諸城某甲と云ふ話には、戰で頭に創を負つた男が、後で笑ひすぎて頭を落した事が書いてある。それと同じやうな思ひつきは、西洋人にもあつたと見えて、アプレイウスの一番始めか何かにも魔女に首を斬られた男が、あくる日泉を飮まうとして、首を落してしまふ所があつた。但し「首を落す話」は聊齋の話が材料になつてゐる。
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支那の話を譯したのでは明治になつてからも、依田學海氏や小金井きみ子女史があつた。ずつと遲れて、支那奇怪集の著者がゐるが、これは同一人でないと見えて、同じ本の中にも、話によつて大分出來不出來がある。讀んで面白いのでは、泉鏡花氏の「櫻草」の中にあるのに及ぶものはない。「奇情雅趣」の中の話を譯したのなぞは殊巧だつたやうな記憶がある。
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支那の本を譯すのに、全部國文にしてしまつた程莫迦げた事はない。(同じ漢字を使つてゐると云ふが少しも利用されないのだから)最近に出た和詳の西廂記なぞが原作の俤を少しも傳へてゐないのも、七五調か何かの國文に譯した爲である。「風簾間に靜にして紗窓に透り蘭麝の香散ず。朱扉を啓いて雙環を搖響すれば、絳臺高し。金荷小にして銀紅猶燦たり。暖帳を輕彈するに及ぶ頃、先この梅紅羅の軟簾を掲起す」と云ふやうな所を、「風は簾にかよひ來て」とか何とかやつたのでは、到底原作の美しさが現されるものではない。
尤も七むづかしい割に、大して面白いとも思はない雜劇の事だから、格別原作の肩を持つ必要もないが、序だから引き合ひに出した。
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兎に角、支那の幽靈は概して可愛いが、縊鬼と云ふ奴には、餘り同情がない。これは人を唆して首を縊らせるのだから、危險である。殊にいつか拍案驚異記と云ふ俗書を讀んだら、これが動物になつてゐた。なつてゐたと云ふのは、縊鬼が化けたと云ふのではない、縊鬼と云ふ奴が元來動物だと云ふのである。何でも毛むくぢやらな、小さな人間みたいなものだと云ふから、イワンの莫迦の中の小惡魔だと思へば間違ひはない。さうなつては、愈共に伍するのは不愉快である。
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動物と云へば狐のやうな變化自在な先生も好いが、夜譚隨錄の※1※2と云ふ奴が、もしどこにでもゐたら、甚重寶である。「通體烏黑無頭無面無手足、唯二目雪白、一嘴尖長烏喙の如し。」それでゐて、酒屋へ使ひに行つたりなんかする。勿論怪獸だから、瓶と錢さへ持たせてやれば、夜中でも何でも、戸の閉つてゐる酒屋へはいつて、錢だけ置いて酒を持つて來る。尤も桝目はどうするのだかわからないが、格別勘定に合はない酒を持つて來る事なんぞはないらしい。
[やぶちゃん字注:「※1」=「衤」+「能」。「※2」=「衤」+「戴」。]
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こいつは便利だが、莊子以來有名な鵬は大きい丈に大害をする。一度空をとびながら、糞をしたら一村悉くこの糞に埋れてしまつたと云う。尤も後で糞の中を、村中總出で掘ぢくり返したら、鵬の食つた海老や鯛が、まだぴんぴんしてゐたと云ふから、損にはならないかも知れない。併しアラビアのロツク鳥に此べると、甚不行儀な譯である。
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右の鵬糞の話は袁隨園だが、趙甌北の通臂猿も、とぼけてゐる點では出色である。これは腕が衣紋竹のやうに、右へも左へも二倍だけに延びる猿で、その代一方が延びてゐる時は、一方は手頸が肩の所へ來てしまふ。手長猿か何かを誰かが見間違へたものだらう。水滸傳にこの猿の名を渾名にした侯健と云ふ仕立屋の親方のある事は誰でも知つてゐる。何かに蠻僧の腕が、此通常猿のやうに延びたり縮んだりしたのがあつたと思ふが、本の名は覺えてゐない。
[やぶちゃん字注:「趙甌北」のルビはママ。これは正しくは「てうおうほく(ちょうおうほく)」である。]
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動物と云へば、思ひ出す事がある。小學校の時に先生が紙を一枚づつくれて、それに「可愛いひもの」「綺麗なもの」とを書いて出せと云ふから、前項の下に象と書き、後項の下に蜘蛛と書いた。象の可愛いひものは同感の士も多いだらうが、蜘蛛も當時女郎蜘蛛の大きいのを見て、心から綺麗だと思つたのだから仕方がない。所が象は大きくつて可愛くないし、蜘蛛は毒々しいから綺麗とは云へないとか反て先生に小言を云はれた。その先生がもし今でも生きてゐたら、文藝批評家になればいゝにと思つてゐる。
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小説もその頃始めて書いた。勿論小説も凄じいがロビンソンクルウソオか何かの模傚で、無人島へ流れついたり、大蛇を射殺したりする甚勇壯活潑な冐險談である。長さは半紙十枚位だつたかと思ふ。口繪にはその無人島の地圖を、赤インキと靑インキとで、刻銘に描いたのが挾んである。これが尋常の何年かで、高等一年――今の尋常五年頃には、友だちと一しよに囘覧雜誌を拵へて、春日散策だとか中秋觀月だとか云ふ作文を、毎號五六篇づつ掲載した。大彦の若主人なんぞもその頃は同級で、舟は出て行く煙は殘るとか何とか、都々逸で始まる小説を大眞面目で書いてゐたものである。事によると德富蘆花氏の小説なんぞを讀み出したのも、その時分の話だつたかも知れない。
[やぶちゃん字注:「模傚」の「傚」はママ。]
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すべて立志談を讀むと、どうも主人公には貧乏人の息子が多い。夜本を讀みたくも油がなかつたとか親が養へないので毎朝納豆を賣つたとか、そんな類の事ばかりである。そこでその時分には、妙に兩親がもつと貧乏してくれればいいにと思つた。と同時に自分も草鞋を作つたり、薪を樵たりして、立志傳の眞似がしたかつた。それが大人になつて互に話し合つて見ると、かう云ふ事を考へたのは、何も僕ばかりではないらしい。どうも小供の時は、誰でも皆ロマンテイケルなのだらうと思ふ。
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そのロマンテイシズムが高じた結果、ガアフヰルドが小供の時に、卵を殼ごと食つたと書いてあるのを讀んで、ちよいとその眞似をした事がある。それから友だちと二人で、學校の窓掛を破つた時に、一人でその罪を背負つて出た事がある。と云ふと立派だが、先生の前へ出て、「先生。私はあの窓掛を一人で破りました」と云つたのだから、恐縮する。こればかりは今考へても、下等な氣がして仕方がない。それに比べれば、毎日乾物屋の豆を少しづゝ盜んで學校で豆のぶつけつこをやつた方が、遙に高尚な思ひ出である。
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それから貸本屋の恩惠を蒙つたのも、その時分から中學の三四年位迄の間だが、中でも平田篤胤の稻生平太郎何とか錄と云ふ寫本を借りて讀んだ時程、面白かつた覺えはない。今でも日本の化物では少くとも發明の才に富んでゐる點で、あの本の中に出る魔が最も非凡だと思つてゐる。幻の虚無僧が何人となく家の中へはいつて來るのも面白いが、殊に節足動物の足のやうな、曲尺をつないだやうな、節の澤山ある妙なものを部屋の隅から何本も出してその節々を鍵の手に曲げたり延ばしたりする手腕に至つては、敬服の外はない。名前は確、山本五郎右衞門とか何とか云つた。同類に神野惡五郎なるものがゐるさうだが、これは唯名前が、擧つてゐるだけである。山本を「さんもと」と讀み、神野を「しんの」と讀むのは大方魔界の發音法であらう。
文藝雜話 饒 舌 芥川龍之介 完