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[やぶちゃん注:文末に私の「翻訳についての方針」及び「履歴」を掲げた。]
食人鬼(じきにんき) 小泉八雲
やぶちゃん(藪野直史)訳(copyright 2005 Yabtyan)
昔、夢窓國師といふ禪宗のお坊樣が、美濃國をお一人で行脚なさつてをられましたが、案内(あない)する者とてない山奧にて、道に迷つてしまはれました。大層長いこと、一人彷徨(さまよ)はれた末、今宵は最早一夜(ひとよ)の宿りも叶ふまいと諦めなさつた、その時、殘照に輝く峰の上(へ)に、隱者の住まふところの、一屋(ひとや)の庵室(あんじつ)のあるのを見出だされたのでございます。
それは、ひどく古び、荒(すさ)んだものに見受けられました。が、それでも、とみに道を急がせてたどり着いてみますると、庵(いほり)には果たして獨りの老僧が住まふてをりました。そこで夢窓樣は、どうか、一夜の惠みをと請はれたのでしたが、老僧は、その賴みを素氣なく斷り、しかし、その代はりに、この隣りの谷に小さな、寺もない村があるが、其處へ參れば宿も食ひ物も手に入らうと、その村への道を敎へたのでございます。 さて、そこにたどり着いてみますると、まこと、十二軒にも滿たぬ寒村でございました。夢窓樣は、その村長(むらをさ)の館(やかた)に、丁重に招じられなさいました。丁度、夢窓樣がお着きになつたその折には、その館の母屋(おもや)には、四、五十人程の人々が集(つど)つてをりました。されど、御自身は、別の小さな一間に通され、そこで、すぐに齋糧(ときりやう)と夜具が供されました。未だ宵の口ではございましたが、夢窓樣は大層お疲れになつてをりました故、すぐに橫になられたのでございます……。
……ところが、夜半少し前といふ頃おひ、隣りの部屋からの、ひどく泣き叫ぶ聲に眼を醒まさせられなさいました。すると、その隔ての襖が、ゆつくり靜かに開(あ)くと、一人の若者が、行燈を下げて、部屋へ入つて參り、慇懃に禮を致すと、次のやうに申したのでございます。
「和尙樣、おのが口から申すも恥かしながら、私めは、今の、この屋の主(あるじ)でございまする。いえ、昨日までは、ただの總領でございました。和尙樣がこちらに參られた折は、痛く困(こう)じられてゐなさるやうにお見受け致しましたので、何かとご面倒をお懸けしてはなりますまいと存知申し上げませなんだが、實は、あのほんに一刻(いつとき)前に、親父が亡くなつたのでございます。お目に入りました隣りの間に居ります者共は、村の衆で、皆、通夜に參つたのでございます……さても、これより我等は、一里ほど隔たりました他所(よそ)の村へ、參ることとなつてをりまする。……さても、これは、我等が村の習ひでございましてな、この地に死人(しびと)が出ましたその夜(よ)は、誰(たれ)一人として、この村に居つてはならんのでございます。常のお供物を捧げ、當り前に拜み終はりますると、亡骸一つを殘して、我等は去(い)んでしまひまする。さうして、亡骸一つ置き去つた家の中で、まあ、その、摩訶不可思議なことが、起こるのでございます……そのやうな次第で、我等は、正直なところ、あなた樣が、我等と共に去(い)ぬらるるが、まづは良ろしからうと思ふのでございます。何(なあ)に、あちらへ參りますれば、もうちと良き宿もありませう程に……されど、さて、あなた樣は、ご出家。物の怪や魔物の類(たぐひ)等、何の恐れもなきやとも……さても、もし、あなた樣が、死人ともどもにここに獨りお殘りになられることを、幾分なりともお恐れなさらぬとなれば、かく不如意なる館でございますが、それはもう、お好きなやうにお遣ひ下さいまし……されど、申し上げねばなりませぬが、和尙樣以外には、今宵、ここに殘る者は、誰一人をりませぬで……」
それに對して、夢窓樣はお答へになりました。
「あなたの有り難いご配慮とお志しに、心より痛み入りまする。しかしながら、まこと、それは殘念なことを致しました。拙僧が參りました折に、ご尊父ご逝去の由、仰つてをられたならば、何、少しばかりは疲れてはをりましたものの、僧としての當然爲すべきことを爲すに支障がござるほどには、困じてをりませなんだに。最前にお話を伺つてをりますれば、あなたがたのご出發の前に、讀經の一つも出來ましたものを。いや、さればこそ、お出になられた後(のち)にでも、讀經致し、明朝まで、御父上の御體のお傍に伺候致しませうぞ。拙僧には、只今のお話の、此處に一人とどまつてをることの危ふきこととは、何とも解(げ)しかねることではござるが、されど、幽靈や物の怪といふもの、拙僧、何の恐れるものではござらぬ。拙僧のためには、そのやうなこと、どうかご案じなさいますな。」
若者は、夢窓樣のかうした請け合ひに、安堵の笑みを浮かべて、心から感謝の意を申しました。さうして、家族の者達と、隣りの間に居りました村人達も、お坊樣のありがたいお申し出があつたと若者から傳へ聞いて、夢窓樣に禮を申し上げるために出て參りました。その後、新しくなつたこの屋の主として、若者が申しました。
「それでは、和尙樣、心殘りではございますが、和尙樣お獨りを殘して、お別れを申し上げねばなりませぬ。私共の村の掟によりまして、子の刻過ぎには、家内に誰(たれ)一人居ること、出來ませぬ。どうか、和尙樣、私共があなた樣のお傍(そば)に居られませぬ間、御身お大事になすつて下さいまし。さうして、もしその不在の間(ま)に、何ぞ摩訶不思議なることを見聞きなすつたとならば、どうか、私共が明朝戾つて參りました折に、お話、お聞かせ下さいますせ……」
さう言ふと皆すぐ、夢窓樣お獨りを殘して、館を去りました。
夢窓樣は、亡骸の橫たはつてゐるお部屋に行つてご覧になられました。
ご遺體の前には、ごく普通のお供物が供されて、小さな燈明が點つてをります。
夢窓樣は、お經をお唱へになり、引導の偈(げ)を渡されました。
――さうして徐(おもむろ)に、座禪にお就きになられました。瞑想に入られたまま、ひつそりとした數刻が過ぎて參ります。
誰一人居らぬ無人の村――物音一つありません――。
――と、夜の靜寂(しじま)が最も深くなりました頃おひ、ぼんやりとした、大きな影が、音もなく、部屋の中に入つて參ります、と同時に、夢窓樣は、體から力が拔けて、聲も出せなくなつてしまはれた御自身を、感ぜられたのでございます。夢窓樣の目に映つたのは、その影が、ご遺體を兩手で抱へ上げ、瞬く間に、猫が鼠を喰らふよりも素早く、貪り喰らふ姿でした。頭より始めて、髮の毛、骨、遂には帷子(かたびら)までも、何もかも、すべて、殘る隈なく。さうして、そのおぞましき影は、盡く亡骸を喰らひ盡くすと、次はお供物に向き直り、それもすつかり喰らつてしまひました。さうして、やがて、入つて來た折と同じやうに、音もなく、すうつと立ち去つて行つたのでした――。
翌朝、村人達が戾つて參りました時、彼等は、村長の館の前に立つて彼等を向かへる夢窓樣を見出しました。人々は、殘らず夢窓樣に御挨拶申し上げ、そのまま母屋に入り、部屋内(うち)を見ましたが、さても、誰一人としてご遺體やお供物がなくなつたことを驚かぬのです。而して、この屋の主が、夢窓樣に申し上げました。
「和尙樣、和尙樣は、さぞかし、昨夜中、厭なものをご覽になられたことでございませう。まこと、一同、御心配申し上げてをりましたです、はい。されど、かうして御無事で、怪我もなくてをらつしやるのは、ほんに私共にとつて、幸せなことででございます。願はくば、私共はお坊樣と御一緖に居りたかつたのでございますが、昨夜も申しました通り、私共の村の掟、死人が出ますれば、亡骸一つを殘して、家を空くるが必定。さても、この掟を破るやうなことがありますると、これまで、必ず何やら大きな祟りに見舞はれました。さて、その通りに致しますと、私共が居りませぬ間(ま)に、きつと亡骸とお供物が消えてなくなるのでございます。多分、その理(ことわり)は、お坊樣御自身が、ご覽になつたことと、存じまするが……」
そこで夢窓樣は、あの朦朧とした恐ろしい影が、通夜の間に入り込んで來、ご遺體お供物諸共に喰らひ盡くしたことを、話してお聞かせなさいました。されど、その話を聽いても、誰一人として驚く者とてありません。さうして夢窓樣のお話を受けて、この屋の主が申しました――。
「さても和尙樣、今、仰つたお話は、このことにつきまして古(いにしへ)より言ひ傳へられてをります話と、そつくり、同じで、ござりまする。」
――さて、夢窓樣は、暫く間を置いてから、お尋ねになられました。
「時に、あちらの峰の上(へ)に居らるるご出家は、時にはお弔ひを修せられぬのかな?」
「はあ? お坊樣、ですか?」と若い主は聞き返しました。
「ええ、ご出家です、その方が昨夜、この村へと行かれるがよいとお敎へ下された」と夢窓樣はお答へになられ、「拙僧は向かうの峰の庵室をお訪ね申した。ご出家は宿りは斷ると仰せられたものの、此方(こなた)へ向かふ道をお敎へ下されました」
これを聞く者達は、吃驚(びつ)くりした樣子で、一樣に互ひの顏を見合わせ、さうして、暫くおし默つてをりましたが、漸く、その屋の主が口を開きました。
「和尙樣……あの峰には、一人のお坊樣も、一つの庵室も、ございませぬ。……私共數代この方、この近在に、どんなお坊樣も、居(ゐ)なすつた例(ためし)は、ござりませぬが……」
夢窓樣はそれぎり、このことについて、もう何も仰しやいませんでした。それは、この懇ろにもてなしをしてくれた人々が、ここにきて、御自身のことを、何か物の怪にでも化かされたもの、と思ひ込んでゐるといふことが、はつきりと感ぜられたからなのでございます。
しかし、やがて彼らに別れの言葉を述べつつ、この先の知つておくべき道途の模樣などをあらかた聞き終へ、村を後にして後(のち)、夢窓樣は、今一度、あの峰の上(へ)の庵室を訪ねて見、さうして、御自分が、本當に物の怪に欺されたものかどうかを、確かめて見やうといふ決心をなされたのでした。
庵室は、難なく見出だされました。
さうしてこの度は、老いた庵主(あんじゆ)は夢窓樣を中へと招じ入れました。
さう致しますと、その僧は俄かに、夢窓樣の前に卑屈に頭(かうべ)を垂れると、
「ああつ、恥づかしや!……何と、恥づかしきことか!……まさに、恥の……恥の極みでござる!……」
と叫ぶので御座います。
「拙僧の一夜の宿(やどり)をお斷りになられたからと言ふて、何もそのやうに恥じ入るには及びませぬぞ」
と夢窓樣は語りかけられました。
「いや、ご出家の導いて下すつた向かうの村にて、大層丁重なもてなしを受けました。これも皆、ご出家の御蔭、有難きことでございます」
……すると、世捨て人が語り始めました……
「……私(わたくし)めは、どななたにも宿をお貸し出來ぬ身……
……いや、恥ぢ入つてをりまするのは、宿をお斷り申したことにてはござらぬ。……おのがまことの正體を、あなた樣に見られたことを、ただただ、恥ぢ入つてをるのでござる……
……昨晩、あなた樣の眼の前で、亡骸とお供物をむさぼり喰らふたは、實は、この私めでござつた……
……左樣、國師樣、私は、……人の肉を喰らふ……食人鬼(じきにんき)なのでござる!……
……どうか私めにお慈悲を!……さうして、斯くなる境遇に身を墜すに至つたその咎(とが)について、懺悔(さんげ)致すことを私めにお許しあれ……
「……遠い、遠い昔……、私はこの侘しい地方の僧でござつた。この周り十數里四方といふもの、一人として僧は居りませなんだ。さればこそ、亡くなつた山賤(やまがつ)の亡骸は、時には遠く離れた場所から此處まで人に擔はれて參り、……さうして、私が、その者達に引導を渡すのでござつた……
「……されど、我は、それらの誦經(ずきやう)も引導も、ただただ、生業(たつき)とのみ心得て繰り返すばかりにて……私は僧といふ立場から容易に稼ぐことによつて得らるるところの、衣食のことのみに執心してござつた……さうして、この私利私慾の不信心なる妄執故に、我は轉生(てんしやう)させられましたのぢや……死ぬるや、卽座に、斯くなる食人鬼に……
「……それからと言ふもの、この邊りで亡くなる者共がありますれば、きつとその死體をむさぼり喰らはねば居(を)られぬといふ因果に陷ることと、あひなつたのでござりまする。……誰彼(たれかれ)の區別なく、むさぼり喰はねばならぬのです、昨夜、あなた樣がご覽になられた通りに……
「……國師樣! 後生でござる! お願ひでござりまする! 我が爲に施餓鬼會(せがきゑ)を修されんことを!……どうかあなた樣の御法力により、我をお救ひ下され! この恐ろしい苦界(くがい)から、速やかに拔け脫(だ)すことが出來まするやうに…………
――さう請ふたかと思ふと……庵主の姿は……忽然と……搔き消えてをりました。
――同時に、庵室もまた、消え失せてをりました。
――夢窓樣は、八重葎(やへむぐら)の中、古(いにしへ)の僧の墓と思しき、古び壞(こぼ)つた、苔蒸した五輪塔の傍らに、ただ獨り、跪坐(きざ)してゐる御自身を見出されたのでございます…………
(了)
☆やぶちゃん注:翻訳についての方針
1.セツが八雲に語った話の、その原話への復元を一義とし、正字、歴史的仮名遣、「語り」としての口承文芸の雰囲気を保持するために敬體を採用した。また、原典の一つである「通俗 佛敎百科全書」でも、当然の如く夢窓国師には敬語が用いられているので、それに習った。
2.オリジナリティを旨とするため、貧困な己が英語力による和訳作業を行ったが、どうしても尊敬する平井呈一氏の名訳の一部で、念頭から振り払うことが不可能な言い回し、語彙があった。極力、禁欲的に排除する努力に勤めたが、特に仏教用語については、私のイメージとほぼ一致する部分多く、模倣と思われることを敢えて辞せず、使用した部分がある。
3.和訳作業後、実際の「語り」という観点を重視、実際に何度も訳者自身、語って見ることで、その不自然な部分を最終的に原文と付き合せて再検討し、改稿した。特にそのために改行、一行空け、点線とダッシュを、かなり自由に多用、その点は原文と大きな相違を示すことを付け加えておく。
4.小泉八雲が原文に付した注については、原文の最後に私の訳及び補注があるので、そちらを参照にされたい。
5.履歴
2005年11月13日:公開。
2010年 1月18日:行空き及び食人鬼の台詞の配置を変更、一部の歴史的仮名遣の誤りを補正した。
2020年 4月14日:旧コードで使用出来なかった正字部分を直すとともに、全体のタグに問題があったので、HTML全体を新たに作り直した。その際、今の私の気に添わぬ数箇所について、表現に手を加えた。また、昨年から本年年初にかけて、私は小泉八雲の来日後の作品総てについて、ブログ・カテゴリ「小泉八雲」で電子化注を完遂したが、その中の「小泉八雲 食人鬼(田部隆次訳)」をここにリンクさせて参考に供するものである。そこでは、小泉八雲が原拠とした長岡乘薰(じょうくん)編の「通俗佛敎百科全書」(明治二四(一八九一)年仏教書院編刊)も電子化してある。