やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇へ
鬼火へ

冬の蠅   梶井基次郎

[やぶちゃん注:私は酒を飲みながら梶井の作品中「冬の蠅」がいっとう好きですと言った時、畏師猪瀨達郎先生はフンといった表情で、しかし頷いて下すった、あの時の思い出に(私が校訂猪瀨達郎先生した故の句集「叢蟾集」「蘭秋」「心朽窩旧館 やぶちゃんの電子テクスト集:俳句篇」にある)。昭和三(1928)年二月稿、雑誌『創作月刊』同年五月号初出。作品集『檸檬』に所収。底本には昭和四十一(1966)年筑摩書房刊「梶井基次郎全集 第一巻」を用い、傍点「丶」は下線に代え、読みに迷うと思われる字には歴史的仮名遣いを用いて〔 〕で私の読みを、また、一部に注を附した。]

 

冬の蠅

 

 冬の蠅とは何か?

 よぼよぼと歩いてゐる蠅。指を近づけても逃げない蠅。そして飛べないのかと思つてゐるとやはり飛ぶ蠅。彼等は一體何處で夏頃の不逞さや憎々しいほどのすばしこさを失つて來るのだらう。色は不鮮明に黝んで、翅體は萎縮してゐる。汚い臟物で張切つてゐた腹は紙撚〔こより〕のやうに痩せ細つてゐる。そんな彼等がわれわれの氣もつかないやうな夜具の上などを、いぢけ衰へた姿で匍つてゐるのである。

 冬から早春にかけて、人は一度ならずそんな蠅を見たにちがひない。それが冬の蠅である。私はいま、この冬私の部屋に棲んでゐた彼等から一篇の小説を書かうとしてゐる。

 

     1

 

 冬が來て私は日光浴をやりはじめた。溪間の温泉宿なので日が翳り易い。溪の風景は朝遅くまでは日影のなかに澄んでゐる。やつと十時頃溪向ふの山に堰きとめられてゐた日光が閃々と私の窓を射はじめる。窓を開けて仰ぐと、溪の空は虻や蜂の光點が忙がしく飛び交つてゐる。白く輝いた蜘蛛の糸が弓形に膨らんで幾條も幾條も流れてゆく。(その糸の上には、何といふ小さな天女! 蜘蛛が乘つてゐるのである。彼等はさうして自分等の身體を溪の此方岸から彼方岸へ運ぶものらしい。)昆蟲。昆蟲。初冬といつても彼等の活動は空に織るやうである。日光が樫の梢に染まりはじめる。するとその梢からは白い水蒸氣のやうなものが立騰る。霜が溶けるのだらうか。溶けた霜が蒸發するのだらうか。いや、それも昆蟲である。微粒子のやうな羽蟲がそんな風に群がつてゐる。そこへ日が當つたのである。

 私は開け放つた窓のなかで半裸體の身體を晒しながら、さうした内灣(うちうみ)のやうに賑やかな溪の空を眺めてゐる。すると彼等がやつて來るのである。彼等のやつて來るのは私の部屋の天井からである。日蔭ではよぼよぼとしてゐる彼等は日なたのなかへ下りて來るやよみがへつたやうに活氣づく。私の脛へひやりととまつたり、兩脚を擧げて腋の下を掻くやうな模〔ま〕ねをしたり手を摩りあはせたり、かと思ふと弱よわしく飛び立つては絡み合つたりするのである。さうした彼等を見てゐると彼等がどんなに日光を怡〔たの〕しんでゐるかが憐れなほど理解される。とにかく彼等が嬉戲〔きぎ〕するやうな表情をするのは日なたのなかばかりである。それに彼等は窓が明いてゐる間は日なたのなかから一歩も出ようとはしない。日が翳るまで、移つてゆく日なたのなかで遊んでゐるのである。虻や蜂があんなにも潑剌と飛び廻つてゐる外氣のなかへも決して飛び立たうとはせず、なぜか病人である私を模ねてゐる。しかし何といふ「生きんとする意志」であらう! 彼等は日光のなかでは交尾することを忘れない。恐らく枯死からはさう遠くない彼等が!

 日光浴をするとき私の傍らに彼等を見るのは私の日課のやうになつてしまつてゐた。私は微かな好奇心と一種馴染の氣持から彼等を殺したりはしなかつた。また夏の頃のやうに猛だけしい蠅捕り蜘蛛がやつて來るのでもなかつた。さうした外敵からは彼等は安全であつたと云へるのである。しかし毎日大抵二匹宛ほどの彼等がなくなつて行つた。それはほかでもない。牛乳の壜である。私は自分の飲みつ放しを日なたのなかへ置いておく。すると毎日決つたやうにそのなかへはいつて出られない奴が出來た。壜の内側を身體に附著した牛乳を引き摺りながらのぼつて來るのであるが、力のない彼等はどうしても中途で落ちてしまふ。私は時どきそれを眺めてゐたりしたが、こちらが「もう落ちる時分だ」と思ふ頃、蠅も「ああ、もう落ちさうだ」という風に動かなくなる。そして案の定落ちてしまふ。それは見てゐて決して殘酷でなくはなかつた。しかしそれを助けてやるといふやうな氣持は私の倦怠(アンニユイ)からは起つて來ない。彼等はそのまま女中が下げてゆく。蓋をしておいてやるといふ注意もなほのこと出來ない。翌日になるとまた一匹宛はいつて同じことを繰返してゐた。

「蠅と日光浴をしてゐる男」いま諸君の目にはさうした表象が浮んでゐるにちがひない。日光浴を書いたついでに私はもう一つの表象「日光浴をしながら太陽を憎んでゐる男」を書いてゆかう。

 私の滯在はこの冬で二た冬目であつた。私は好んでこんな山間にやつて來てゐる譯ではなかつた。私は早く都會へ歸り度い。歸り度いと思ひながら二た冬もゐてしまつたのである。何時まで經つても私の「疲勞」は私を解放しなかつた。私が都會を想ひ浮べるごとに私の「疲勞」は絶望に滿ちた街々を描き出す。それは何時になつても變改されない。そしてはじめ心に決めてゐた都會へ歸る日取りは夙うの昔に過ぎ去つたまま、いまはその影も形もなくなつてゐたのである。私は日を浴びてゐても、否、日を浴びるときは殊に、太陽を憎むことばかり考へてゐた。結局は私を生かさないであらう太陽。しかもうつとりとした生の幻影で私を瞞さうとする太陽。おお、私の太陽。私はだらしのない愛情のやうに太陽が癪に觸つた。裘(けごろも)のやうなものは、反對に、緊迫衣(ストレート・ジヤケツト)のやうに私を壓迫した。狂人のやうな悶えでそれを引き裂き、私を殺すであらう酷寒のなかの自由をひたすらに私は欲した。

 かうした感情は日光浴の際身體の受ける生理的な變化――旺んになつて來る血行や、それに随つて鈍麻してゆく頭腦や――さう云つたもののなかに確かにその原因を持つてゐる。鋭い悲哀を和らげ、ほかほかと心を怡〔たのし〕ます快感は、同時に重つ苦しい不快感である。この不快感は日光浴の濟んだあとなんとも云へない虚無的な疲れで病人を打ち敗かしてしまふ。恐らくそれへの嫌惡から私のさうした憎惡も胚胎したのかも知れないのである。

 しかし私の憎惡はそればかりではなく、太陽が風景へ與へる効果――眼からの効果――の上にも形成されてゐた。

 私が最後に都會にゐた頃――それは冬至に間もない頃であつたが――私は毎日自分の窓の風景から消えてゆく日影に限りない愛惜を持つてゐた。私は墨汁のやうにこみあげて來る悔恨といらだたしさの感情で、風景を埋めてゆく影を眺めてゐた。そして落日を見ようとする切なさに驅られながら、見透しのつかない街を慌てふためいてうろうろしたのである。今の私にはもうそんな愛惜はなかつた。私は日の當つた風景の象徴する幸福な感情を否定するのではない。その幸福は今や私を傷ける。私はそれを憎むのである。

 溪の向ふ側には杉林が山腹を蔽つてゐる。私は太陽光線の僞瞞をいつもその杉林で感じた。晝間日が當つてゐるときそれはただ雜然とした杉の秀(ほ)の堆積としか見えなかつた。それが夕方になり光が空からの反射光線に變るとはつきりした遠近にわかれて來るのだつた。一本一本の木が犯し難い威嚴をあらはして來、しんしんと立ち竝び、立ち靜まつて來るのである。そして晝間は感じられなかつた地域が彼處に此處に杉の秀竝みの間へ想像されるやうになる。溪側にはまた樫や椎の常綠樹に交つて一本の落葉樹が裸の枝に朱色の實を垂れて立つてゐた。その色は晝間は白く粉を吹いたやうに疲れてゐる。それが夕方になると眼が吸ひつくばがりの鮮やかさに冴える。元來一つの物に一つの色彩が固有してゐるといふ譯のものではない。だから私はそれをも僞瞞と云ふのではない。しかし直射光線には偏頗〔へんぱ〕があり、一つの物象の色をその周圍の色との正しい諧調から破つてしまふのである。そればかりではない。全反射がある。日蔭は日表との對照で闇のやうになつてしまふ。なんといふ雜多な溷濁〔こんだく〕だらう。そしてすべてさうしたことが日の當つた風景を作りあげてゐるのである。そこには感情の弛緩があり、神經の鈍麻があり、理性の僞瞞がある。これがその象徴する幸福の内容である。恐らく世間に於ける幸福がそれらを條件としてゐるやうに。

 私は以前とは反對に溪間を冷たく沈ませてゆく夕方を――僅かの時間しか地上に駐まらない黄昏の嚴かな掟を――待つやうになつた。それは日が地上を去つて行つたあと、路の上の潦(みづたまり)を白く光らせながら空から下りて來る反射光線である。たとへ人はそのなかでは幸福ではないにしても、そこには私の眼を澄ませ心を透き徹らせる風景があつた。

「平俗な日なた奴〔め〕! 早く消えろ。いくら貴樣が風景に愛情を與ヘ、冬の蠅を活氣づけても、俺を愚昧化することだけは出來ぬわい。俺は貴樣の弟子の外光派に唾をひつかける。俺は今度會つたら醫者に抗議を申込んでやる」

 日に當りながら私の憎惡はだんだんたかまつてゆく。しかしなんといふ「生きんとする意志」であらう。日なたのなかの彼等は永久に彼等の怡しみを見棄てない。壜のなかの奴も永久に登つては落ち、登つては落ちてゐる。

 やがて日が翳りはじめる。高い椎の樹へ隱れるのである。直射光線が氣疎(けうと)い囘折光線にうつろひはじめる。彼等の影も私の脛の影も不思議な鮮やかさを帶びて來る。そして私は褞袍〔どてら〕をまとつて硝子窓を閉しかかるのであつた。

 午後になると私は讀書をすることにしてゐた。彼等はまたそこへやつて來た。彼等は私の讀んでゐる本へ纏はりついて、私のはぐる頁のためにいつも身體を挾み込まれた。それほど彼等は逃げ足が遲い。逃げ足が遲いだけならまだしも、僅かな紙の重みの下で、恰も梁に押へられたやうに、仰向けになつたりして藻掻かなければならないのだつた。私には彼等を殺す意志がなかつた。それでそんなとき――殊に食事のときなどは、彼等の足弱が却つて迷惑になつた。食膳のものへとまりに來るときは追ふ箸をことさら緩つくり動かさなくてはならない。さもないと箸の先で汚ならしくも潰れてしまはないとも限らないのである。しかしそれでもまだそれに彈ねられて汁のなかへ落ち込んだりするのがゐた。

 最後に彼等を見るのは夜、私が寢床へはいるときであつた。彼等はみな天井に貼りついてゐた。凝つと、死んだやうに貼りついてゐた。――一體脾弱〔ひよわ〕な彼等は日光のなかで戲れてゐるときでさヘ、死んだ蠅が生き返つて來て遊んでゐるやうな感じがあつた。死んでから幾日も經ち、内臟なども乾きついてしまつた蠅がよく埃にまみれて轉つてゐることがあるが、そんな奴がまたのこのこと生き返つて來て遊んでゐる。いや、事實そんなことがあるのではなからうか、と云つた想像も彼等のみてくれからは充分に許すことが出來るほどであつた。そんな彼等が今や凝つと天井にとまつてゐる。それはほんたうに死んだやうである。

 さうした、錯覺に似た彼等を眠るまへ枕の上から眺めてゐると、私の胸へはいつも廓寥〔くわくれう〕とした深夜の氣配が泌みて來た。冬ざれた溪間の旅館は私のほかに宿泊人のない夜がある。そんな部屋はみな電燈が消されてゐる。そして夜が更けるにしたがつてなんとなく廢墟に宿つてゐるやうな心持を誘ふのである。私の眼はその荒れ寂びた空想のなかに、恐ろしいまでに鮮やかな一つの場面を思ひ浮べる。それは夜深く海の香をたてながら、澄み透つた湯を溢れさせてゐる溪傍〔たにそば〕の浴槽である。そしてその情景はますます私に廢墟の氣持を募らせて行く。――天井の彼等を眺めてゐると私の心はさうした深夜を感じる。深夜のなかへ心が擴がつてゆく。そしてそのなかのただ一つの起きてゐる部屋である私の部屋。――天井に彼等のとまつてゐる、死んだやうに凝つととまつてゐる私の部屋が、孤獨な感情とともに私に歸つて來る。

 火鉢の火は衰へはじめて、硝子窓を潤ほしてゐた湯氣はだんだん上から消えて來る。私はそのなかから魚のはららごに似た憂鬱な紋々があらはれて來るのを見る。それは最初の冬、やはりかうして消えて行つた水蒸氣が何時の間にかそんな紋々を作つてしまつたのである。床の間の隅には薄うく埃をかむつた藥壜が何本も空になつてゐる。何といふ倦怠、なんといふ因循だらう。私の病鬱は、恐らく他所の部屋には棲んでゐない冬の蠅をさへ棲ませてゐるではないか。何時になつたら一體かうしたことに鳬〔けり〕がつくのか。

 心がそんなことにひつかかると私は何時も不眠を殃〔わざは〕ひされた。眠れなくなると私は軍艦の進水式を想ひ浮べる。その次には小倉百人一首を一首宛思ひ出してはそれの意味を考へる。そして最後には考へ得られる限りの殘虐な自殺の方法を空想し、その積み重ねによつて眠りを誘はうとする。がらんとした溪間の旅館の一室で。天井に彼等の貼りついてゐる、死んだやうに凝つと貼りついてゐる一室で。――

 

     2

 

 その日はよく晴れた温かい日であつた。午後私は村の郵便局へ手紙を出しに行つた。私は疲れてゐた。それから溪へ下りてまだ三四丁も歩かなければならない私の宿へ歸るのがいかにも億劫であつた。そこへ一臺の乘合自動車が通りかかつた。それを見ると私は不意に手を擧げた。そしてそれに乘り込んでしまつたのである。

 その自動車は村の街道を通る同族のなかでも一種目だつた特徴で自分を語つてゐた。暗い幌のなかの乘客の眼がみな一樣に前方を見詰めてゐる事や、泥除けそれからステツプの上へまで溢れた荷物を麻繩が車體へ縛りつけてゐる恰好や――そんな一種の物ものしい特徴で、彼等が今から上り三里下り三里の峠を踰えて半島の南端の港へ十一里の道をゆく自動車であることが一目で知れるのであつた。私はそれへ乘つてしまつたのである。それにしてはなんといふ不似合な客であつたらう。私はただ村の郵便局まで來て疲れたといふばかりの人間に過ぎないのだつた。

 日はもう傾いてゐた。私には何の感想もなかつた。ただ私の疲勞をまぎらしてゆく快い自動車の動搖ばかりがあつた。村の人が背負ひ網を負つて山から歸つて來る頃で、見知つた顏が何度も目動車を除けた。その度私はだんだん「意志の中ぶらり」に興味を覺えて來た。そして、それはまたそれで、私の疲勞をなにか變つた他のものに變へてゆくのだつた。やがてその村人にも會はなくなつた。自然林が廻つた。落日があらはれた。溪の音が遠くなつた。年古りた杉の柱廊が續いた。冷い山氣が泌みて來た。魔女の跨つた箒のやうに、自動車は私を高い空へ運んだ。一體何處までゆかうとするのだらう。峠の隧道を出るともう半島の南である。私の村へ歸るにも次の温泉へゆくにも三里の下り道である。そこへ來たとき、私はやつと自動車を止めた。そして薄暮の山の中へ下りてしまつたのである。何のために? それは私の疲勞が知つてゐる。私は腑甲斐ない一人の私を、人里離れた山中へ遺棄してしまつたことに、氣味のいい嘲笑を感じてゐた。

 樫鳥が何度も身近から飛び出して私を愕ろかした。道は小暗い谿襞〔たにひだ〕を廻つて、どこまで行つても展望がひらけなかつた。このままで日が暮れてしまつてはと、私の心は心細さで一杯であつた。幾たびも飛び出す樫鳥は、そんな私を、近くで見る大きな姿で脅かしながら、葉の落ちた欅〔けやき〕や楢〔なら〕の枝を匍ふやうに渡つて行つた。[やぶちゃん注:梶井はこの「谿襞」で初めて「溪」ではなく「谿」を用い、これ以降、本「2」の最終段落の「溪」の一字を除いてすべて「谿」を用いている。]

 最後にたうとう谿が姿をあらはした。杉の秀が細胞のやうに密生してゐる遙かな谿! 何といふそれは巨大な谿だつたらう。遠靄〔とほもや〕のなかには音もきこえない水も動かない瀧が小さく小さく懸つてゐた。眩暈〔めまひ〕を感じさせるやうな谿底には丸太を組んだ橇道〔そりみち〕が寒ざむと白く匍つてゐた。日は谿向ふの尾根へ沈んだところであつた。水を打つたやうな靜けさがいまこの谿を領してゐた。何も動かず何も聽こえないのである。その靜けさはひよつと夢かと思ふやうな谿の眺めになほさら夢のやうな感じを與へてゐた。

「此處でこのまま日の暮れるまで坐つてゐるといふことは、何といふ豪奢な心細さだらう」と私は思つた。「宿では夕飯の用意が何も知らずに待つてゐる。そして俺は今夜はどうなるかわからない」

 私は私の置き去りにして來た憂鬱な部屋を思ひ浮べた。そこでは私は夕餉の時分極つて發熱に苦しむのである。私は着物ぐるみ寢床へ這入つてゐる。それでもまだ寒い。惡寒に慄へながら私の頭は何度も浴槽を想像する。「あすこへ漬つたらどんなに氣持いいことだらう」そして私は階段を下り浴槽の方へ歩いてゆく私自身になる。しかしその想像のなかでは私は決して自分の衣服を脱がない。衣服ぐるみそのなかへはいつてしまふのである。私の身體には、そして、支へがない。私はぶくぶくと沈んでしまひ、浴槽の底へ溺死體のやうに橫はつてしまふ。いつもきまつてその想像である。そして私は寢床のなかで滿潮のやうに惡寒が退いてゆくのを待つてゐる。――

 あたりはだんだん暗くなつて來た。日の落ちたあとの水のやうな光を殘して、冴えざえとした星が澄んだ空にあらはれて來た。凍えた指の間の煙草の火が夕闇のなかで色づいて來た。その火の色は曠漠とした周圍のなかでいかにも孤獨であつた。その火を措〔お〕いて一點の燈火も見えずにこの谿は暮れてしまはうとしてゐるのである。寒さはだんだん私の身體へ匍ひ込んで來た。平常外氣の冒さない奧の方まで冷え入つて、懷ろ手をしてもなんの役にも立たない位になつて來た。しかし私は暗〔やみ〕と寒氣がやうやく私を勇氣づけて來たのを感じた。私は何時の間にか、これから三里の道を歩いて次の温泉までゆくことに自分を豫定してゐた。犇ひしと迫つて來る絶望に似たものはだんだん私の心に殘酷な欲望を募らせて行つた。疲勞または倦怠(アンニユイ)が一たんさうしたものに變つたが最後、いつも私は終りまでその犠牲になり通さなければならないのだつた。あたりがとつぷり暮れ、私がやつとそこを立上つたとき、私はあたりにまだ光があつたときとは全く異つた感情で私自身を艤装〔ぎさう〕してゐた。[やぶちゃん注:「艤装」とは「偽装」ではない。造船に於いて船体部分が完成後に実際の航海に必要な物品・装備を整え就航に至るまで続く作業の総称である。]

 私は山の凍てついた空氣のなかを暗をわけて歩き出した。身體はすこしも温かくもならなかつた。ときどきそれでも私の頰を輕くなでてゆく空氣が感じられた。はじめ私はそれを發熱のためか、それとも極端な寒さのなかで起る身體の變調かと思つてゐた。しかし歩いてゆくうちに、それは晝間の日のほとぼりがまだ斑〔まだ〕らに道に殘つてゐるためであるらしいことがわかつて來た。すると私には凍つた闇のなかに晝の日射しがありありと見えるやうに思へはじめた。一つの燈火も見えない闇といふものも私には變な氣を起させた。それは灯がついたといふことで、若しくは灯の光の下で、文明的な私達ははじめて夜を理解するものであるといふことを信ぜしめるに充分であつた。眞暗な闇にも拘はらず私はそれが晝間と同じであるやうな感じを抱いた。星の光つてゐる空は眞靑であつた。道を見分けてゆく方法は晝間の方法と何の變つたこともなかつた。道を染めてゐる晝間のほとぼりはなほさらその感じを強くした。

 突然私の後ろから風のやうな音が起つた。さつと流れて來る光のなかへ道の上の小石が齒のやうな影を立てた。一臺の自動車が、それを避けてゐる私には一顧の注意も拂はずに走り過ぎて行つた。しばらく私は盆槍〔ぼんやり〕してゐた。自動車はやがて谿襞を廻つた向ふの道へ姿をあらはした。しかしそれは自動車が走つてゐるといふより、へツドライトをつけた大きな闇が前へ前へ押し寄せてゆくかのやうに見えるのであつた。それが夢のやうに消えてしまふとまたあたりは寒い闇に包まれ、空腹した私が暗い情熱に溢れて道を踏んでゐた。

「何といふ苦い絶望した風景であらう。私は私の運命そのままの四圍のなかに歩いてゐる。これは私の心そのままの姿であり、ここにゐて私は日なたのなかで感じるやうな何等の僞瞞をも感じない。私の神經は暗い行手に向つて張り切り、今や決然とした意志を感じる。なんといふそれは氣持のいいことだらう。定罰〔ぢやうばつ〕のやうな闇、膚を劈〔さ〕く酷寒。そのなかでこそ私の疲勞は快く緊張し新しい戰慄を感じることが出來る。歩け。歩け。ヘたばるまで歩け」

 私は殘酷な調子で自分を鞭打つた。歩け。歩け。歩き殺してしまヘ。

 

 その夜晩〔おそ〕く私は半島の南端、港の船着場を前にして疲れ切つた私の身體を立たせてゐた。私は酒を飲んでゐた。しかし心は沈んだまますこしも醉つてゐなかつた。

 強い潮の香に混つて、瀝靑〔チヤン〕や油の匂が濃くそのあたりを立て罩〔こ〕めてゐた。もやひ綱が船の寢息のやうにきしり、それを眠りつかせるやうに、靜かな波のぽちやぽちやと舷側を叩く音が、暗い水面にきこえてゐた。

「××さんはゐないかよう!」

 靜かな空氣を破つて媚〔なま〕めいた女の聲が先ほどから岸で呼んでゐた。ぼんやりした燈りを睡むさうに提げてゐる百噸〔トン〕あまりの汽船のともの方から、見えない聲が不明瞭になにか答へてゐる。それは重々しいバスである。

「ゐないのかよう。××さんは」

 それはこの港に船の男を相手に媚〔こび〕を賣つてゐる女らしく思へる。私はその返事のバスに人ごとながら聽耳をたてたが、相不變曖昧な言葉が同じやうに鈍い調子で響くばかりで、やがて女はあきらめたやうすでゐなくなつてしまつた。

 私は靜かな眠つた港を前にしながら轉變に富んだその夜を囘想してゐた。三里はとつくに歩いたと思つてゐるのにいくらしてもおしまひにならなかつた山道や、谿のなかに發電所が見えはじめ、しばらくすると谿の底を提灯が二つ三つ閑かな夜の挨拶を交しながらもつれて行くのが見え、私はそれが大方村の人が温泉へはいりにゆく灯で、温泉はもう眞近にちがひないと思ひ込み、元氣を出したのに見事當てがはづれたことや、やつと温泉に着いて凍え疲れた四肢を村人の混み合つてゐる共同湯で温めたときの異樣な安堵の感情や、―― ほんたうにそれらは囘想といふ言葉に相應しい位一晩の經驗としては豐富すぎる内容であつた。しかもそれでおしまひといふのではなかつた。私がやつと腹を膨らして人心つくかつかぬに、私の充されない殘酷な欲望はもう一度私に夜の道へ出ることを命令したのであつた。私は不安な當てで名前も初耳な次の二里ばかりも離れた温泉へ歩かなければならなかつた。その道でたうとう私は迷つてしまひ、途方に暮れて暗のなかへ蹲〔うづく〕まつてゐたとき、晩い自動車が通りかかり、やつとのことでそれを呼びとめて、豫定を變へてこの港の町へ來てしまつたのであつた。それから私は何處へ行つたか。私はそんなところには一種の嗅覺でも持つてゐるかのやうに、堀割に沿つた娼家の家竝のなかへ出てしまつた。藻草を纏つたやうな船夫達が何人も群れて、白く化粧した女を調戲〔からか〕ひながら、よろよろと歩いてゐた。私は二度ほど同じ道を廻り、そして最後に一軒の家へ這入つた。私は疲れた身體に熱い酒をそそぎ入れた。しかし私は醉はなかつた。酌に來た女は秋刀魚船の話をした。船員の腕に相應しい逞しい健康さうな女だつた。その一人は私に婬〔いん〕をすすめた。私はその金を拂つたまま、港のありかをきいて外へ出てしまつたのである。

 私は近くの沖にゆつくり明滅してゐる廻轉燈臺の火を眺めながら、永い繪卷のやうな夜の終りを感じてゐた。舷の觸れ合ふ音、とも綱の張る音、睡たげな船の灯、すべてが暗く靜かにそして内輪で、柔〔なご〕やかな感傷を誘つた。何處かに捜して宿をとらうか、それとも今の女のところへ歸つてゆかうか、それはいづれにしても私の憎惡に充ちた荒々しい心はこの港の埠頭で盡きてゐた。ながい間私はそこに立つてゐた。氣疎い睡氣〔ねむけ〕のやうなものが私の頭を誘ふまで靜かな海の闇を見入つてゐた、――

 

 私はその港を中心にして三日ほどもその附近の温泉で歸る日を延した。明るい南の海の色や匂ひはなにか私には荒々しく粗雜であつた。その上卑俗で薄汚い平野の眺めは直ぐに私を倦かせてしまつた。山や溪が鬩〔せめ〕ぎ合ひ心を休める餘裕や安らかな望みのない私の村の風景がいつか私の身についてしまつてゐることを私は知つた。そして三日の後私はまた私の心を封じるために私の村へ歸つて來たのである。

 

     3

 

 私は何日も惡くなつた身體を寢床につけてゐなければならなかつた。私には別にさした後悔もなかつたが、知つた人びとの誰彼がさうしたことを聞けばさぞ陰氣になり氣を惡くするだらうとそのことばかり思つてゐた。

 そんな或る日のこと私はふと自分の部屋に一匹も蠅がゐなくなつてゐることに氣がついた。そのことは私を充分驚ろかした。私は考へた。恐らく私の留守中誰も窓を明けて日を入れず火をたいて部屋を温めなかつた間に、彼等は寒氣のために死んでしまつたのではなからうか。それはありさうなことに思へた。彼等は私の靜かな生活の餘德を自分等の生存の條件として生きてゐたのである。そして私が自分の鬱屈した部屋から逃げだしてわれとわが身を責め虐んでゐた間に、彼等はほんたうに寒氣と飢ゑで死んでしまつたのである。私はそのことにしばらく憂鬱を感じた。それは私が彼等の死を傷んだためではなく、私にもなにか私を生かしそしていつか私を殺してしまふきまぐれな條件があるやうな氣がしたからであつた。私は其奴〔そいつ〕の幅廣い背を見たやうに思つた。それは新しいそして私の自尊心を傷ける空想だつた。そして私はその空想からますます陰鬱を加へてゆく私の生活を感じたのである。