やぶちゃんの電子テクスト:俳句篇へ
鬼火へ
猪瀨達郎句集 叢蟾集   藪野唯至校訂

猪瀨達郎句集 蘭 秋   藪野唯至校訂

                                                             縦書版へ

[やぶちゃん注:亡き我が恩師の自費出版第二集『思いつきエッセイ集「右往左往」』二〇〇二年八月)に付録として掲載された氏の全俳句を掲載する(師のこうしたエッセイ集は昨年二〇〇〇年秋迄に全八冊を数える)。本人亡き後、著作権の侵害に当たるが師にはほくそ笑んで戴けると信ずる確信犯である。ちなみにこれらの句集の最初の全活字化と編集は、過ぐる十八前の私の手打ちワープロによるものであった。また、その際、二つの句集の句集名及びその部立の標題は不肖私が附したものである(本文注は底本出版時に附された師の自注)。またそれぞれの巻末に位置する鑑賞文と跋文はやはり非力の私の仕儀である。このページを私の老師への野辺の送りとする。なお、注表記法及び記号・文配り等に表記上の手を加えた(ルビは殆んどカタカナであるが原則として平仮名に換えた。ルビの仮名遣いは歴史的・現代仮名遣いが混用するが敢えて統一しなかった。私の作になる鑑賞文と跋文は本来は正字正仮名で書いたものであるので今回初稿に戻したが、その際、統一するために鑑賞文中の師の句に限って正字に直した)。また私の注を一部に附してある。第一句集の「叢蟾集」の「蟾」は「セン」、ヒキガエルで=「蟇」と同義である。当初、私が「叢蟇集」という題名を提案したところ、師は「ソウバ」は如何にも音が悪いと難色を示され、これに落ち着いた経緯がある。なお、私の姓名は底本では実名であるが、現在の私の俳号に換えた。【二〇〇八年二月十日】師が二〇〇八年一月二十一日に亡くなって、早、三年が経った。追悼の思いを新たにしつつ、読みをルビに直し、一部の誤植を訂正、読み易い縦書版も作製した。【二〇一一年二月五日追記】]

 

 

猪瀨達郎句集 叢蟾集

 

 

エゴ咲きて公園の木下闇こしたやみ仄か

 

昨日きぞ万緑今日翠嵐の高曇り

 

葛の芽の藪から蛇のごとく伸ぶ

 

愚忙多忙数日すじつ過ぐまま独活うど繁る

 

きりぎしをみて歩めば谷うつぎ

 

揺れ木にしがみつく葉を見れば柳

 

若楠も樹冠じゅかん成しつつひよを抱く

     [やぶちゃん注:底本は「ひよ」とあるが補正した。]

 

臥す岡に黄なる窪あり青嵐

 

木の間より擬宝珠ぎぼうし覗く梅雨の寺

 

花終えし藤棚出でてひわはし

 

楠若葉我も高揚の夏ありき

 

椋鳥のツンツルテンや青芝生

 

逆光のいらかつばくろ反転す

 

実をつけぬ楊梅にまた梅雨来たる

     注 楊梅:ヤマモモ。

 

かぼそくも文字摺花序は正しくて

     注 文字摺:ネジ花。

 

文字摺の螺旋らせん端倪たんげいすべからず

 

椋鳥の秩序もあらず飛び散らふ

 

思はざる一坪程に紫雲英げんげ咲く

 

野歩きの彼方なにやら小米花

    [やぶちゃん注:「小米花」はコゴメバナ。ユキヤナギのこと。]

 

くさむらひきを放てり分譲地

 

垣越しの小手鞠主婦ら立ち話

 

花木植う宅地はざまの葱坊主

 

椎若葉人繁くして建長寺

     注 椎若葉:作家葛西善蔵は建長寺の境内に住み、「椎若葉」は私小説。

    [やぶちゃん注:「葛西善蔵」は「椎若葉」にルビのように付くが誤植と判断し、補正した。]

 

青梅雨や初老の窓に街眠る

 

青嵐せいらんや送電線は数粁すキロ延ぶ

 

鶺鴒せきれいの伝ひ歩きや梅雨の岸

 

実も熟れて今朝かしましき桜鳥

     注 桜鳥:ムクドリ。

 

雉子鳩のますぐに飛びて風光る

 

球音は木谺こだま盛り上がる青葉

 

落花して黄梅なほも黄を競ふ

 

水無月や蝌蚪かと干からびて非業の死

     注 蝌蚪:お玉杓子。

 

紅蜆舞ふをたどればつばなの穂

     注 紅蜆:小さなシジミチョウ。

 

職に倦み揺るるこころや谷うつぎ

 

今年竹いまだ穂のまま丈高し

 

墜落の予感白日団地群

 

 

   残暑追想

 

来し方の恥を数ふる残暑かな

 

残暑なり小さき破局追想す

 

恋も旅も果て終わんぬる残暑の日

 

曾遊そゆうの地我を迎へてや西日照る

     注 曾遊の地:かって訪れたことのある地。

 

再訪の断崖わすれ草咲き残る

     注 わすれ草:野菅草。

 

海景は入り日の他に何あらん

 

普陀落ふだらくの光残夏の海にあり

     注 普陀落:極楽浄土。

    [やぶちゃん注:ルビは「だらく」のみであるが補正した。]

 

十八と五十路の我が残照に

 

少年のゴム草履なほ残暑かな

 

残照や草付きの崖駈け下る

 

 

   山河初秋

 

山狭にバスは入りけり立ち尾花

    [やぶちゃん注:「山狭」は「やまかひ」と読みたい。]

 

大河中流コスモス群れて県境

 

廃屋には紅コスモスがよく似合ふ

 

牧水は遠る暑き三国越え

 

かかる谷間より谷川藍の双耳峰

 

上信越いずこの里も秋まだき

 

かひ真昼線路ひそとも書立てず

 

花に廃りあり旧道にカンナ咲く

 

字画多き地酒銘柄残暑かな

 

旧き宿しゅく晩稲おくての花の香に満てり

 

赤肌の夏のゲレンデ月見草

 

ナナカマド稀には紅の深き谷

 

湿原はれ秋アカネ群れて立つ

     注 秋アカネ:赤とんぼ。

 

杉谷のウバユリに怨の文字想起せり

 

ヒカリゴケ造作もなくて嘱目す

 

荒天のリフト下ればヤナギラン

 

夏リフト見おろす斜面しゃめん車前草

     注 車前草:オオバコ(読みはそのまま音読で)。

 

吹き降りが日照雨そばえとなりて長き軌道

 

草斜面近づけばかんば大樹なり

 

リゾートや秋七草を数へ得ず

 

なめ滝に憩ふ初老や二人連れ

    [やぶちゃん注:「滑滝」は一般名詞で岩の上を水がなめるように

     流れる場所。滝の斜度が10度以下を「滑床」、45度以下を「滑滝」、

     4560度を「斜瀑」、それ以上を「滝」と称する。沢登りの際の

     登山用語。福島県磐梯町等に固有名詞としてもあるけれども筆者

     の意図は一般名詞であると思われる。]

 

沢胡桃肯きを指して子に教ふ

 

見上ぐれば栃の輪葉実験林

    [やぶちゃん注:「栃の輪葉」トチの葉は枝先に輪生する。]

 

中年や女友だち三々五々

 

中年男女俗話して夏を別れたり

 

高原ホテルあざとき羽音灯取虫

 

灯取蛾ひとりがは朝の光に動かざり

 

中年や遠く熟れたるメロンかな

 

後朝きぬぎぬようつつはロビーカンビール

     注 後朝きぬぎぬ:一夜過ごせし男女の朝の別離。

 

火口湖の青きに古き恋覗く

 

夕雨もやの上越国境きびを焼く

 

嬬恋つまごいの名に里心茸籠

 

吾妻あがつま川渡り返して鮎を喰ふ

 

吾妻や平野に出でて夏盛り

 

 

偏執的「叢集」鑑賞   藪野唯至

 

エゴ咲きて公園木下闇仄か

 

こに表はれたる主題、漱石先生生涯の追求事たる人間利己心に關はるものにして、かの「こゝろ」の先生と私の雜司谷に於ける出會ひの場にも相應し。エゴの花、隱美なる妖艷さを湛へ、木下闇、人間心理の變態的なるものを象徴暗示せるものなり。

 

 

愚忙多忙數日過ぐまま獨活繁る

 

下劣低劣なる現世の職に在つて自主獨立孤高を維持したる達郎翁の眞骨頂、ここに明白たり。獨活の持ちたる生生しき存在感を見よ。

 

 

きりぎしを倦みて歩めば谷うつぎ

 

「倦み」たる對象の「きりぎし」にあらざるは翁と一夕痛飮せば理解透徹せるものなり。斷崖の感情こそ翁の私淑せる詩人梶井基次郎氏の魂魄に美事共鳴せるものなれ。

 

 

叢に蟇を放てり分讓地

 

小生勝手に句集題とせしもの。「蟇を放てり」の中七餘人をして呻らするに足る。ここに或惡魔的呪的なる暗き情念を感じたるは我のみかは。蟇を放つ人物、かの露人ワシコフならんか。

 

 

逆光の甍燕反轉す

 

實に實に鬼才李賀を髣髴とさせたる不易の句なり。ここに初めて我日本は佛蘭西の彗星ランボオの轉生者を得、新しき俳壇の曙を拜せん。

 

 

文字摺の螺旋端倪すべからず

 

翁、微細なるものに付きて創造逞しうするに、常人の遠く及ばざる別乾坤に遊びたり。文字摺の螺旋、徐々に遠大、徐々に微小、銀河系宇宙の形状たる螺旋、デイエヌエイとか申す我等が組成たる螺旋……翁の識域の神聖にして絶對不可知なるを知れ。

 

 

水無月や蝌蚪干からびて非業の死

 

そは「冬の蠅」が主人公の透徹せる視線に同じい。そが慘状は沙翁のトラヂデイにも比すべきものならんか、されど蠅は蝌蚪、蝌蚪は我等――句、各語精密巧緻にして硬質。[やぶちゃん注:この鑑賞、底本で私は大いなる勘違い(何故か「蝌蚪」を「蚯蚓」と勘違い)していたことにこのテクスト化で気づいた。今回、前半部分を全て書き換えた。]

 

 

落花して黄梅なほも黄を競ふ

 

執着恐るべし。敢て「黄」を重ねたる處に印象強まれり。小生おぞましき婦女容色の執念等想起せり。

 

 

再訪の斷崖わすれ草咲き殘る

 

曰く有りげなる「再訪」……きりぎしの感情たる「斷崖」……ローマンス暗示せる「わすれ草」……而して「咲き殘る」に込められし微なる悔恨……憎きダンデイズム。

 

 

墜落の豫感白日團地群

 

シユールレアリスム風にしてハレイシヨンせるモノクロウムの不可思議なる映像。今日只今人間文化の抱へたる末法的不安をイメイヂせらるるか。

 

 

峽眞晝線路ひそとも立日立てず

 

「峽」「眞晝」「線路」漢語の硬き疊み込みの小氣味良き切れ味、光る軌道に密着せんとする迄急速に下降せる視點にて、米利堅西部物活動寫眞を見るが如し。

 

 

花に廢りあり舊道にカンナ咲く

ナナカマド稀には紅の深き谷

 

小生が妻の好む句にして特に選みたり。小生は「字畫多き地酒銘柄殘暑かな」のまさに蒸し暑き諧謔味を「杉谷のウバユリに怨の文字想起せり」の女妖味を好めり。

 

 

舊き宿晩稻の花の香に滿てり

 

遲れ來りしものの幽かなる香を嗅ぎ分くるに亦恰好の古色蒼然たる逆旅といふ場。翁の神意まさしく無技巧の技巧。

 

 

高原ホテルあざとき羽音燈取蟲

 

集末に至りて頓に三鬼調帶びたり。殊に「海濱ホテル」連作に似たる一群ぞ面白き。右句、燈取蟲のみへの言明なれど小生には男女の寢姿くつきりと見えたりけり、翁のニユアンスもそこにありとなん。さらに深く解釋したきことあれども官憲より御注意を受けんも本意にあらず、翁が私生活へ立ち入りたるも不敬にて、多くを語らず。ただ「後朝ようつつはロビーカンビール」の句、實證とのみ言ひ置く。ちなみにこの「後朝よ」の句亦も小生が妻好めりと言ひぬ。唯唯恐ろし。

 

 

火口湖の青きに古き戀覗く

 

ここに三鬼調の換骨奪胎を見たり、格調高雅、意越卓逸、一讀して作者の才の非凡を感じさせたり。中七の名調子、下五に至りてぴしりと決まれり。「覗く」の語の選み、衆生の及ばざるものなり。

 

 

春雪の折りし枝嵩惜しむべし

夕雨に上越國境黍を燒く

 

盡く小生好みの材なり。雨もやに煙れる黄昏の思ひ。越境者の感情。遠景黍燒きの旅愁。翁はもと虚無の烏……[やぶちゃん注:底本の「虚無の鳥」は誤植。]

 

  地獄の釜底にて

一九九〇年九月十二日

 

 

*   *   *

 

 

猪瀨達郎句集 蘭 秋

 

 

  春

 

残雪の折し枝嵩惜しむべし

 

残雪を下れば部落人もなく

 

犀星の金仏顔やあんず咲く

     注 犀星:作家。室生犀星。

 

花冷えや暦切とる妻の留守

 

ガラス戸に早蠅さばえとまらせ黄砂来る

 

とざし白木蓮を篝火かがりとす

 

 

丁字香にわれ陋巷ろうこうの酔歩かな

 

爺婆じじばばの梅見を見つるは誰ぞ

 

 

  夏

 

炎天下ひよの高く鳴く街に棲む

 

つまづきて醒めて身を知る大暑かな

 

裸袒らたんして念ずることのありもせず

     注 裸袒:肌脱ぎして坐る。

 

遠花火トホはなび知命の思ひなくもなし

     注 五十にして天命を知る(論語より)。

    [やぶちゃん注:「遠花火トホはなび」のルビ表記はママ。]

 

四万六千日詣でむとふと思ふ

 

初ジョッキ初老尿意にこだはれり

 

地震ないをうつつに夢は胡蝶なり

     注 古代中国、荘子の夢に通ず。

    [やぶちゃん注:底本の注は「老子」とあるが改めた。]

 

ソレガナンダと言ひつつ記す蟻の文字

 

飛ぶ鳥をひよと見とどけはちす花

 

はなだ色数をたのみに蛍草

     注 はなだ色:ブルー。

 

尚歯しょうしの意腑に落ちたりな冷奴

     注 尚歯:齢を尚ぶ。
    [やぶちゃん注:「尚ぶ」は「たっとぶ」と訓ずる。]

 

百合らしき遠きに揺るる五月闇

 

同じ坂興味索然合歓ねむの花

 

 

少年老いやすく夾竹桃の夏

 

客絶えて名のみに蛍袋咲く

 

丘越えて海風来たり夏来たり

 

 

  蘭秋心象

 

ひりひりとひわ鳴き渡る白露して

 

逝く夏やひとり色濃く女郎蜘妹

 

蚊に食はれ輪廻りんね閉じたるものとする

 

雁来紅袖ぬるるほど朝雨来る

     注 雁来紅:葉鶏頭。

 

すすきやわれは聾耳ろうじを切望す

 

日ざし未だ熱き秋あり訃のあとに

 

葬列を外れて爺婆粟拾う

 

訃のありて我に秋りん幾日ぞ

     注 秋霖:秋の長雨。

 

 

  ナンバンギセル 二句

     注 ナンバンギセル:寄生植物の一種。ススキなどに寄生する植物。思ひ草という別名あり。

訃の朝薄の下の思ひ草

 

とつおひつ立ち上がりけり思ひ草

 

ビル倒影見上ぐる我に秋の月

 

くずの花末枯すがれて垂れて色残る

 

少年の我は烏瓜からすうり見上げてし

 

木通あけび一顆いっか手にして虚し我がよはひ

    [やぶちゃん注:底本ルビは「よはい」であるが改めた。]

 

苦いのは胃の薬ぞと木通あけび

 

庭先に生ひし群茸食ひて怖ぢず

 

うら枯れの葵ひとつは咲き残る

 

 

  食味

 

秋到来細魚さよりを一夜干しとする

 

秋刀魚皿何処より箸を付くべきか

 

さわらふと迷ふ手の送り塩

 

秋天や飛魚干して書にもどる

 

心太ところてん酢をかけ足すや夏残る

 

秋鯖を〆て喰らふに酒ぬるし

 

小粒なる葡萄心の色にして

 

梨の芯酸きを少年ねぶりたり

 

指先につるりなつかし衣被きぬかつ

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藷を喰ひふつふつうごくわが句才

 

煮ても焼いても食へぬ蓮の穴

 

吾が恥の照魔鏡なる芋の露

 

八ッ頭出刃で割る手の快味かな

 

今宵何故か豚を茗荷みょうがの味で喰ふ

 

茗荷の子花も刻みておらが蕎麦

 

翳る日に焼茄子なすびして独り酒

 

枝豆や不惜身命ふしやくしんみやう屁のごとし

 

 

  運河迷妄

 

何喰はぬ語調なりがたし法師蝉

 

空蝉うつせみををみなの胸にかざしみむ

 

秋夕陽あきゆうひ煩悩無尽誓願断

     注 煩悩無尽誓願断:四弘誓願文の一句。
    [やぶちゃん注:「四弘誓願文」は「しぐせいがんもん」と読み、浄
    
 行菩薩が修行に先立ち誓つた願を示す。それは、この世の凡ての
    
 悩を断つことを願うという意である。]

 

ゆくりなくふれしぬくもり街は秋

 

佇めば秋やふたつの影長く

 

少年のごとき秋の日終んぬる

 

晩るる秋韜晦とうかいこそが恋ならん

 

秋思せる運河水際黒びて

 

沈黙もだしをれば運河ざわめき風波る

 

秋灯やをみな謎話めいごせる頬のかげ

 

夜寒にて小暗き橋をひそと渡る

 

運河の気はらむ小部屋の夜寒し

 

廃船は朽ち沈みゆく夜長かな

 

吾は揺るる水面も揺るる秋の夜

 

醒むれば独歩満天に秋の星

 

我が秋思酒場に老女二人居て

 

ばらりずん別離秋夜の酔歩かな

 

 

   ――痴夢洞仙人蟇瘴翁隱痴奇居士寄釜底諦仙子   藪野唯至我鬼

 

 猪瀨達郎翁の句はその實世界に對する反骨的猥雜の表明に於て、小生の遊んでゐる詩的幻想と決して遠き懸隔を持つものではないと思つてゐる。

 世間的に翁と室生君の友情は、金佛顏の適正確實なる比喩を待つ事なく、自明のことであらう。しかし、過日の夕暮れのことである。田端の鰻屋に翁と室生君小生の三人で會食した折、小生は例に無く、快飮に及んだ末、小生と翁との友情の方が室生君とのそれを凌駕するのだと不敬にも言ひ放つてしまつた。それはだが、既に或ぼんやりとした不安にとらはれてゐた小生にとつて、叶はぬ心願の國の姿でもあつたのかも知れない――かも知れぬ? いやあの時、田端の坂を下つて兩人を見送つた後、悲嘆限りなき思ひのうちに坂上にて振り返つた小生の影に手を振って別れた翁は、小生に殘したものは何もないといふ諦觀に滿ちた安堵と、滅びを前に微かに震へてゐた神經の鎭靜を與へてくれたのだとは言へないだらうか。

 ――我鬼にして釜底諦仙子。曾て小生は地獄よりも地獄的な世を語つたが、未だ釜の湯は自墮落な湯治客に向く程には生ぬるくはないのである。

 

 原稿を受けて即日出版に及ぶべき所、僚友岩波茂雄君が又しても心得違ひから屎尿所へ落ち込み、大幅に遲延致し、深く陳謝々々。

 

一九九〇年十一月十三日