やぶちゃんの電子テクスト集:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇
鬼火へ

「我鬼窟日錄」より   芥川龍之介 ⇒ 縦書版へ

[やぶちゃん注:大正九(一九二〇)年三月発行の雑誌『サンエス』に「私の日常生活㈢」の見出しのもとに『「我鬼窟日錄」より』の表題で掲載され、後、「点心」に所収された。大正八年五月から六月にかけての日記であるが、実際の「我鬼窟日錄」の記載をかなりいじったり、省略したりしている。踊り字「〱」は正字に直した。本テクストには注を附さないが、これは現在、私が取り掛かっている原典「我鬼窟日錄」で詳細注作業及び本篇との比較作業を行っているからである。但し、注釈附き「我鬼窟日錄」公開には相応の時間が懸る。御寛恕願いたい。【二〇一二年八月一八日】]

「我鬼窟日錄」より

 五月二十五日 晴
 今村隆氏菊池の本の装幀の見本を持つて來る。出來思はしからず。裝幀なぞ引受けなければよかつたと思ふ。午後塚本八洲來る。一高の入學試驗を受ける由。
 五月二十六日 陰晴定らず
 手水鉢の上の椎の樹、今年は無暗に花をつける。今朝手を洗ひながら、その匂の濃いのに驚かされた。小説一向捗らず。新聞で菊池の「雜感三則」を讀む。同感なり。午後谷崎潤一郎來る。赤いタイをしてゐた。夕方一しよに菊池を訪ふ。留守なり。ミカドにて夕飯、それから神田の古本屋を門並ひやかす。神保町のカフエーヘはいつたら、給仕女が谷崎のタイを褒めた。白山まで歩いて分れる。歸つたら十二時半。
 五月二十八日
 午後南部修太郎來る。T子の寫眞を貸してやる。夕方一しよに鉢の木で飯を食ふ。それから菊池の所へ行く。後から小島政二郎來る。菊池剃刀負けがして繃帶を頭から顋へ卷いてゐる事、クリスマス・キヤロルヘ出る幽靈の如し。歸りに牡丹を買ふ。
 五月二十九日 晴
 今日よりトオデの、ミケルアンジエロを讀み出す。午後社に行き、松内氏と文藝欄の打合せをなす。序にロイテルヘ行き、ジヨオンズを尋ねたが留守なり。受附の男東洋軒にゐられるかも知れませんと云ふ。新橋驛の東洋軒へ行く。二階の窓から見ると、驛前の甘栗屋が目の下に見えて、赤い提燈と栗をかきまぜる男とが甚だ風流だつた。食後白山の窪川へ行き、俳書五六册購ふ。夜月評を書き出す。
 三十日 晴
 午後畑耕一、菊池寛來る。夕方谷崎潤一郎來る。皆の歸つたのは九時なり。今日猫を貰ふ。
 五月三十一日
 客を謝して小説を書く。第一囘から改めて出直す。午すぎはトオデ。夕方ミカドのホイツトマン百年祭に行く。始めて有島武郎氏、輿謝野鐡幹氏夫妻に合ふ。齋藤勇氏と有島氏とホイツトマンの詩を朗讀す。列席の諸君子わかつたやうな顏をして聞いてゐれど、大半はわからないのに相違なし。勿論ボクにも分らず。食卓演説をなす。生まれて二度目なり。歸途室生犀星、多田不二の兩氏と一しよに歸る。雷雨大いに催す。
 六月一日 晴
 朝室生犀星來る。「愛の詩集」第二を貰ふ。長崎で買つた阿蘭陀の茶碗を見せると本物だらうと云ふ。
 午後野口功造來る。柳橋で御馳走になる。御孃樣のやうな藝者を見て、甚だ敬意を生じた。昔の藝者の質素なりし話、やきもちの話、松の鮨の話。
 六月二日 晴
 西村熊雄氏より來翰、「猿」を英譯して發表したいが好いかと云つて來る。好いと答へる。前に「貉」の英譯あり。今又「猿」の英譯成る。ボクの小説の英譯せられる爲には、獸の名を題とせざる可らざるに似たり。午頃中根氏來る。「羅生門」の表紙、扉等を見せる。里見弴の土藏の話。○○大將全國を騎馬旅行し、大いに靑年の志氣を鼓舞する傍、女中に子を産ませる由、敬服至極。午後弟と淺草へ活動寫眞を見に行く。見ながら活動寫眞論を考へる。寫眞――現實――假感――藝術
 六月五日 雨後晴
 午後菊池來る。一しよに中戸川の所へ行く。夕飯後小柳へ伯山を聞きに行く。伯山の藝なるもの、派手すぎて蒼勁の趣なし。菊池大いに伯山を辯護す。
 六月六日 晴
 月評今日でおしまひ。夕方久米の所へ行く。湯河原より歸り立てなり。山本有三と落合ふ。久しぶりなり。今日華氏八十四度、庭の土にある日色、既に盛夏の如し。
 六月七日 陰
 朝瀧田樗陰君大きな書畫帳を二册かつぎこみ、句と歌とを書かせる。字も句も歌もものにならず。午後木村幹來る。一しよに平塚雷鳥さんを訪ひ、序に「叔父ワニヤ」の稽古を見る。畫室の中には大勢の男女。戸口の外には新綠の庭。隅の椅子に腰を掛けて見てゐると、好い加減の芝居より面白い。「大觀」大隈侯の名で茶話會に招待する。斷る。
 六月八日 陰
 午前高等工業學校の中原虎男氏來る。俳談を少々やる。しまひに例の講演を賴まれ、トウトウ承諾す。
午後赤木桁平、小島政二郎、富田碎花、室賀文武の諸氏來る。桁平先生例の如く氣焰萬丈なり。先生常にその卓勵風發を以て僕と相當ると倣す。豈敢て當らんや。富田氏に「草の葉」の飜譯を貰ふ。皆十時頃歸る。今夜牡丹悉く散つてしまふ。下女散つた花片を掃かうとする。その儘にして置けと云ふ。
 六月九日 陰後雨
 大阪より原稿催促の電報來る。モウ送ツタと返電する。午後木村幹來る。一しよに谷崎の家へ行く。久米、中戸川、今東光の三人が來てゐた。夕方雨の中を谷崎、久米、木村と四人づれで烏森の古今亭へ飯を食ひに行く。谷崎例の如くよく食ふ。久米食前に飮む藥を忘れ、手を束ねて我々の食ふのを見てゐる。夜タキシで谷崎の所まで行き、それから又俥で歸る。谷崎の説によれば、香水を澤山集めて、匂を嗅ぎ分けようとしたら、判然しないばかりか頭痛がして來た由。日本や支那の香の事も調べて見たら面白からう。
 六月十日 兩
 頭の調子非常によし。イバネスの長篇卒業。夕方八田先生を訪ふ。留守なり。十日會へ行く。始めてなり。岩野泡鳴氏と一元描寫論をやる。それから室生犀星の「愛の詩集」の會へ顏を出す。もう會が散じた所で、北原白秋氏等と平民食堂百萬石へ行く。白秋醉つて小笠原島の歌をうたふ。歸りに夏帽子を買つた。この頃夜往來を歩くと、若葉の匂、花の匂、苔の匂、樹の肌の匂などが盛にする。その中で錢湯の匂などがすると、急に人間臭い氣がして不愉快になる。
 六月十四日 雨
 午後成瀨來る。一しよに晩飯を食ふ。ロオラン曰、藝術の窮る所無限の靜なり。プウサンを見よ。ミシエルアンジユの如きは未しと。又曰年長じて愈ゲエテの大を知ると。いづれも至極御尤なり。九時頃成瀨歸る。
 六月十五日 陰
午前御客四人。夜瀧井折柴が來て又俳論を鬪はせる。海紅句集を一册呉れる。細君の齒痛未癒えず。大に齒醫者を輕蔑してゐた。細君のこの態度は甚だ月評家の態度に似てゐる。
 六月十六日 陰後雨
 夜成瀨と有樂座へ「叔父ワニヤ」を見に行く。玄關で岩淵の奥さんに遇つた。ワニヤは戲曲國小説郡の産物なり。二幕目四幕目殊に感服した。但し見物の諸先生存外冷靜なり。僕と感服を同くしたのは、唯久保田万太郎氏のみ。幕合ひに廊下を歩いてゐると、妙に戲曲が書いて見たくなる。はねてから成瀨、岡其他の諸氏と牛肉を食ふ。
 六月十七日 陰
 今日トオデ一册だけ卒業。夕方久米の風見舞に行く。關根正二氏葬式に出かけた由にて、留守なり。暫くの後黑縞の紋附で、大いに男振りをあげながら歸つて來る。關根は死ぬまで畫を書く眞似をしてゐたと云ふ。今宗教畫のやうな物が大半出來てゐると云ふ。病氣は風邪だつたと云ふ。二十一位で死んだのぢや、死に切れない。關根に君の體は強さうだなと云つた事を思ひ出す。あの時は確、一週間位は徹夜しても平氣だと云ふ答があつた。關根が死んでボクが生きてゐるのは偶然も甚しい氣がする。夜うちへ歸つたら、留守に土田善幸君がピアストロの音樂會の切符を屆けてくれた。
 六月十八日 雨
 姉、弟、細君、「ワニヤ」見物。紫陽花を澤山剪つて瓶にさす。橋場のどこかの別莊に紫陽花が澤山咲いてゐたのを思ひ出す。丸善より本來る。コンラツド二、ジヨイス二。
 六月二十日 陰
 朝香取先生の所へ行く。雲坪の話、奈良の大佛の話、左千夫の話。歸ると今村隆氏が來て「バルタザアル」を新小説にくれと云ふ。仕方なく承知する。又大阪から電報で原稿の催促あり。
 六月二十一日 晴
 夜折柴來る。忙しいから玄關で歸つて貰ふ。折柴我等の句境をくれる。いろいろ貰つてばかりゐて恐縮なり。
 六月二十二日 雨
 午から「赤い鳥」の音樂會へ行く。澤木梢、井汲淸治の諸氏に合ふ。オーケストラの連中練習足らず。甚危うげなり。三重吉氏「赤い鳥」の羽根を胸にさして得意になつてゐる。尤も紅茶と菓子とを我々に御馳走してくれたから、あの位得意になつても差支へない。風月で夕飯、慶應へ行き、ピアストロ、ミロウイツチ兩氏の演奏を聞く。休憩時間南部と外へ出て煙草をのむ。安倍能成氏に遇ふ。能成氏、ミロウイツチの公衆を眼中に置かない所が偉いと云つて褒める。
 六月二十三日 晴後陰
 先考百ケ日なり。但寺へは行かず。芝の家にて夕飯。歸りに龍泉堂で詩箋を買ふ。
 六月二十四日 晴
 午後菊池を誘つて、久米の所へ行く。久米の前の下宿の婆さん等、一人は發狂して既に歸國し、もう一人はその世話をする爲これから歸國すると云ふ。但し東京を去るのがいやだと云つて泣く由。氣の毒千萬なり。一しよに鉢の木へ行く。淺倉屋で方秋崖詩鈔を買ふ。留守に中原虎男君來り、櫻ん坊を一箱くれる。