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骸骨 AN EXTRAVAGANZA   西尾正
[やぶちゃん注:昭和9(1934)年11月号の雑誌『新青年』に掲載された。底本は、当初、双葉社昭和51(1976)年刊の鮎川哲也編「怪奇探偵小説集」正編を用いたが、その後、より厳密な校訂と思われる論創社2007年刊の横井司解題「西尾正探偵小説選」を入手したので、そちらを新底本として再校訂を行った(実際に原底本と新底本では表記が極端に異なる)。どちらの底本も、原作を新字現代仮名遣いに改めたもので、私のポリシーに反する形だが、初出誌は容易に披見できないので、これを用いた。但し、逆にどちらの底本もルビは拗音区別がないのであるが、現代仮名遣いである以上、これはおかしなことであるので、適宜判断して拗音化した(外来語の一部はかなり恣意的に拗音化した)。傍点「ヽ」は下線に代えた。最後の手紙を示す二箇所の部分は、新底本では全体が罫線で囲まれて一字下げとなっているが、本テクストでは横罫で区切り、行書フォントでポイント上げにしてある。一部に注を附した。なお、「シレエヌのヴェニコス像」は後注やブログに示した通り、誰の、どのような芸術作品を指すのか私には不明である。お分かりの方は、是非、御教授願いたい(2007年5月3日付で新底本による全面改稿終了)。]

 

骸骨 AN EXTRAVAGANZA[やぶちゃん後注1]   西尾正

 

    稲づまやかほのところが薄の穂――骸骨絵賛に、芭蕉

                               [やぶちゃん後注2]

 
 ……溜まっていた仕事を済ませると、私はほっとした思いで散歩に出ることにした。私は晴ればれした気持で材木座から長谷の海岸を往復した後、街の本屋へ出る心算(つもり)で再び軟らかい砂丘を登った。長い松の並木路をぶらりぶらりと歩いて行くと、先方から、たぶん入れ違いに海岸へ出る人なのであろう、痩せて背のひょろひょろした粗衣無帽の男が、遠目でもそれと知られる青白い額に垂れ下がる頭髪を神経質に掻き上げながら風に吹かれる枯木のようにふらふらと私の方に近付いて来る姿が眼に入った。そういう一見病的の男が海岸地を所在無気(しょざいなげ)に逍搖している図は少しも珍しいことでは無く、たぶん結核患者であろうと気にも留めずに摺れ違おうとした時、「Nさんではありませんか?」と突然呼び掛けられたのである。私は一瞬はっとしてその声の主をよくよく見れば、その男こそこれから述べるちょつとばかり風変わりな話の主人公、この世を生きるに適せざる弱者――暫時的に惨めな顚落を見せた「吉田」と呼ぶ男だったのである。

 ――私が初めて吉田と知り合いになったのは、今から五六年前、私が
K大学の学生であった頃学業を怠つて或る新劇団の俳優を勤めていた時で[やぶちゃん後注3]、彼はその劇団の文芸部員であった。吉田は当時ようやく頭角を現し始めた優秀な劇場人(セアタア・マン)で彼の創る戯曲も二三の職業劇団によつて上演せられ、のみならず語学的才能の非常に豊富な所から逞ましい精力を駆使して各国の名戯曲を翻訳しては我が国の知識階級に紹介していた。
……知り合いになったとは言っても由来劇団の機構(メカニズム)は文芸部と演技部の人達をそれほど親密に接近させる機会を与えないのが普通で、吉田と私もつぎのごときキッカケがなかったならば路傍で出会っても単に頭を下げ合う程度の仲で永久に別れてしまったであろう。それは私達の劇団がUA老の「金玉均(きんぎょくきん)」[やぶちゃん後注4]を上演することになったからで、私がその金(きん)に幾分か似ている所から主役を命ぜられ、化粧法(メエク・アップ)研究の必要上知人から金玉均の肖像蒐集を企てたが思わしく集まらず業を煮やしていた時に、吉田が自身所蔵の明瞭な写真二葉を貸し与えてくれてから二人の関係がかなり親密となっていったのである。写真を借りに訪ねた時吉田夫人と一子(いっし)貞雄とも近付きになった。夫人は痩せた吉田とは正反対のむしろ背の低い小肥りの断髪婦人で、当時小学生であった貞雄はどっちかと言えば父親似の、緻弱な骨組の秀才少年らしい顔つきをしていた。何でも人の噂によれば、二人の結婚は劇しい恋愛の後の相惚れ結びで、家庭愛にも恵まれ文運も頓(とみ)に上がり、Nel mezzo del cammin di nostra vita 「人生の道半ばにありて」[やぶちゃん後注5]名声を獲得した吉田の得意は、当時オ坊チャンの世間知らずで、慾得無しの私にすら想像できるくらいであった。今でも思い起こすことができる――或る時は見るからに高価な蛇の鱗を思わせる真大島(ほんおおしま)の対を、また或る時は豪華な書物の装丁にでも用いたくなるような渋味の紬(つむぎ)にセルの袴を履き、錚々(そうそう)たる先輩連中を向こうに回し、青白い頰を紅(あか)らめ、潤いの瞳をきらきらと輝かし、口角泡を飛ばして劇団合評会に臨んでいた意気衝天の彼を! が、不運なことに、それから半年もたたぬうちに私達の専属していた劇団が統率者K氏の病没が契機となって分裂瓦解してしまった。[やぶちゃん後注6]私自身はその解散と時を同じゅうして無統制(アナキスティク)な長年の不摂生から健康を害し三月ほどの病床生活を送ったのをキッカケに俳優生活を清算してしまい、吉田と出会う機会を失ったが、吉田も更に不運なことに、夫人を陽チブスで失い意気沮喪のまま一切の劇団関係から身を引いてしまったという報知を新聞雑誌の消息欄で知ることができた。吉田は唯一の宝であった愛妻を失って極度の沈潜(スランプ)に陥ってしまったに相違ないのだ。それから二年の後私はそれでも落第もせず無事に学校を卒業し居を鎌倉に定めて妻帯し、或る特許を受けた商品の製造を業とする父の助手をするようになり[やぶちゃん後注7]ますます以前の仲間(グルウプ)からは疎遠となり、その間、絶えず新聞雑誌に注目して吉田の nom de plume (ノン・ド・プリュウム)[やぶちゃん後注8]を発見することにつとめていたが、どうしたことか、丸二年間も彼は何等社会的な仕事をしなかったらしい。居は転々と定まらぬと早え、送る手紙は皆住所不明で戻って来た。もうそれなり永久に会えないものと思っていた所――意外や不見目(みじめ)な『街の商人』にまで落魄し果てた吉田とN劇場工事場前の仄暗い中で、まことに劇的な意外さを以て出会うことができたのである。……その夜はたぶん生暖かい五月の初旬――季節など本編の筋(ファプラ)[やぶちゃん後注9]は関係が無いからどうでもよいが、私がH座で映画を見ての帰途、有楽町駅に向かって歩いて行くと「もしもし……もしもし……」と呼びかける蚊細い声にはっとして振り返ると、型の崩れたソフトを眼深に冠(かむ)り誇張して言えば臍の位置がうかがえるまでに厚味のない胸を肌けた相手の男は、頭上の街燈を避けるように俯向(うつむ)いたまま、燕のように素早い足取りでツツツーと灯影(ほかげ)の暗い路地裏へ呆気にとられた私を巧みに誘い込んでしまった。その奇態な男こそ吉田彼自身であったのだ。呼び留めた鴨が私であると知った彼の驚きは、久し振りで意外な姿を見た私の驚きよりも数倍の力をもって彼の胸を脅やかしたに相違ない。彼は凝乎(じっと)私の顔を瞶(みつ)めていたが、やがて、「あッはア……Nさん!」と、溜息とも叫びともつかぬ不明瞭な音を発するとそのままくるりと背中を向け、素早く私の前から消え去ろうとした。が、如何に変転はしても忍術使いにだけはなれなかったと見え、間誤間誤(まごまご)している所を「吉田さん、待ってください!」と決定的な叫びで呼び留めてしまった。相手の職業などどうでもいい、久し振りで会った懐しさを抑えることができなかったのだ。……その夜付近のバア・アオオニで麦酒(ビイル)を傾けつつ会わずにいた二年間の消息を開くことができたが、それらはことごとく私を驚かせた。吉田は死ぬほど愛していた夫人を失うと予期の如く仕事も何もできなくなり、貞雄を長崎市銅座町の故郷の母の許に預けたというそれまではいいが、直後、どうしたことか無軌道荒淫の生活が始められた。従って健康が損われ慢性下痢、赤面恐怖、不眠などの症状が頭を擡げ……斯くて肉体が衰え神経が脆弱になればなるほど肉的欲情だけが病的なほど鋭敏となり、精力と欲望との不均衝から充たすべきものは満されずついに救い難い Onanist (オナニスト)に転落したという。ロンブロオゾによれば天才には Onanist が多いとのことで、吉田が天才であるかないかはしばらく措き、女性から受ける愉悦を実際以上に買い被らねば歇(や)まぬ宿命を持った吉田が、現実の女性に幻滅を覚えて Onanism (オナニズム)に逃避したという過程も分からないことはない。

 が、この悪癖も奇妙なことから治癒をみた――つまり、吉田は彼がいかに妄想を逞しくしても達し得ないほどの魅力を持つ「F子」と呼ぶ女性と相識るようになり、偶然写真技術に堪能であった彼が、女と女の旦那(註・F子は芸者上がりの妾であった)が企てていた密画製造団の現像部の仕事をするようになってから、ケロリと病苦を忘れて元の健康を取り戻すことができたと言うのである。吉田は恥じらいながらも耽溺していたF子の肉体が如何に素晴らしいものであるか、そしてまた密写真の現像がいかに戦慄的(スリリング)な仕事であるかを礼讃した。……結核患者の微量喀血にも似た仄(ほの)かな赤洋燈(ランプ[やぶちゃん注:「洋燈」にルビ。])の前で、クリーム色の乾板(プレエト)の予期せざる方角から――或る時は真ん中或る時は四隅から見知らぬ女の肉体の様々な部分がもやもやと現れてくる陰性の歓喜!……「J・T氏の『友田と松永の話』という小説に」[やぶちゃん後注10]と吉田は説明した。「――あらゆる奔放な官能享楽の生活を送ることによってそれ以前十一貫(かん)しかなかった体重を十八貫以上にふやすことに成功した男の奇怪な話がありますが、以毒制毒とでもいうのでしょうか、F子と仕事から得られる有頂天(エクスタシー)は一切の強迫観念的なるものをおい払い、私の健康を次第に正常(ノウマル)な状態に導いていったからふしぎではありませんか! 私はF子によって初めて「女」の何たるかを知ることができたのです。Sという女の旦那が脳溢血でたおれてしまってから、ふたりは公然の夫婦関係を結び今日に至りました。これがそのF子です、どうぞ御覧下さい……」

 吉田はこういい終わって一葉のカビネ型の裸体写真を差し出した。受け取って眺めると、照明の配置宜しきを得たためか、 Obscene Picture (オブシイン・ピクチュア)にはスレている、さすがの私も一驚を喫するほど素晴らしい魅力(シャーム)を放つシロモノで、その写真ほど女体の美を――と敢えて言う――写実的に撮(うつ)し出した逸品を見たことはなかった。抒情的な浮世絵模様(註・広重『束海道五十三次』の模写であるらしい)の長屏風を背景に右手一輪の薔薇を持ち左手を腰におき正面を向いて立っている得体の知れぬ女の逞しさは、成程病的なるもの神経質的なるものの一切を脚下に見下ろす悠々たる肉体美であった。一見「シレエヌのヴェニコス像」[やぶちゃん後注11]張りの肉体とボッチチェリの描いた「聖母像」式の顔を持っている女なのだ。……と言えば如何にも嘘らしくなるが、読者は対象が飽くまでも一日本婦人であり髪を高島田に結い薔薇を持つなど俗悪な姿態(ポオズ)を構えていることを考えて、さらに日本人特有の肉体的欠点を加えて戴きたい。それがかえって、単純に造型的な作り物としか感じられぬ外国婦人の鈍感な美に陥ることから逃れ芸術品になり切ることから救われObscene Picture 独特の持ち味を発揮しているのだけれど。……

 だが何故に女団長である彼女自身までが、己れの肉体を好事家(こうずか)の眼前に曝さねばならないのであろうか?――この問に対して吉田は、F子こそ世にも救い難い露出症患者であると答えた。何れにしても繊弱な吉田が更生するほどの女であることは確かで、私も思わず「素晴らしい女(ひと)ですね!」と感嘆の音(ね)を発したくらいである。

 ……さて、話題をもどして、右のごとき経緯(いきさつ)の後に三年振りで意外にも冒頭に述べたごとく鎌倉の並木道で吉田の心佗(うらぶ)れた姿に出会ったのである。

 二人はその後の無音(ぶおん)を謝し、幾分か気不味(きまず)い思いで海岸を歩きながら互いの生活を問うた。吉田は二年の間に秘密の職業にも倦(うと)んじ果て、現在では昨年の春から鎌倉へ移り長谷のH饅頭店の裏手の一軒家を借り受け、友人の関係している或る化粧品会社の広告部の仕事をしつつ「いい戯曲」を書くために待機生活を送っているとのことであった。貞雄については……故郷の中学二年生に無事成長した旨を述べたが、肝腎のF子に関しては一言も触れないので不遠慮な私は「例の女とはもうお別れになったのですか?」と訊くと、彼は急にドギマギして髪を掻き上げながら「え?……ええ! 別れ……ました」と答え話題を直ちに他へ転じてしまった。よほどこのことを訊かれたことが不快だったらしい。近い内に再会することを約してその日は別れたが、その翌々日散歩の途上吉田の借家に寄ることによって、私は奇態な彼の生活振りを知ることができた。

      *   *   *

 吉田自身、「ちょっと変わった家ですよ」と言っていたが行って見るとなるほど一風変わっている。H饅頭店の角の路地を数間(すうけん)行くと右に粗末な木戸が見え、その木戸を開けると七八坪の雑草の生え茂った空地がありその一番奥手に吉田の借家はあった。トタン屋根の八畳一間で、家というものから一切の無駄を省くとこうなるのではないかと思うくらい簡素を極めたもので、無論玄関は無く南に展(ひら)いた縁側の両端に便所と台所が付いている。私が立ち寄ったのは既に昼近い頃であったが、彼はまだ寝ていたらしくガタガタの雨戸が仕切られ、便所脇の竹林の根で一匹の真っ黒い小犬が暢気そうに日向ぼっこをしていた。私が声をかけると、「は……はい……」と応ずる寝呆け声が聞こえ両目を真っ赤に充血させその癖顔色は青い吉田が現れ、雨戸を慌てて繰り始めた。請じられるまでに上がってみると――赤茶気た座敷の東北に破れた障子に仕切られた窗(まど)があり上塗りも壁紙も無い壁が泥臭い陰気な臭いを放ち、部屋の片偶に脚の曲がった茶餉台(ちゃぶだい)兼用の真黒な小机が据えられ、その上に薬罐(やかん)と湯呑みと大きなインキ壺が載っていて、まだ何となく火の欲しい季節なので吉田は眼を真赤に充血させ家中を煙だらけにして火を起こしたが、その火鉢には灰が溢れ出るほど原稿紙の燃え滓や煙草の吹殻で一杯であった。吉田はその家で時計も新聞も無く標札すら貼らぬ世捨て人のような孤独な自炊生活を送っていたのだ。商家区域ですら夏以外の鎌倉は物淋しいから少しでも奥まると全く何の音も聞こえてこない。私はあまりの静かさに、「淋しくはございませんか?」と訊くと、吉田は青筋のふくらんだ握り拳の中へ力弱い咳を落としながら、「……エ――高木という絵の勉強をしている人が時折訪ねてきますが、その人より他にくる者は一人もありません。もう半年以上もいるのですが……ずいぶんのんきなはなしで、まだ戸籍調べにもきませんよ。ふだんは私とそこに寝ている知らないうちにまぎれこんできた野良犬だけです。……」と答えて、顎で黒犬を差した。雑種ではあるが何処かに微かなテリヤ種の血統を引いているらしい犬は、眠た気な眼を屢叩(しばたた)いて主人と客とを代わる代わる眺めやったがまた物倦気(ものうげ)に眼を閉じて顎を地面につけてしまった。

 雑談数刻……別れ際に私は冗談のように――「人殺しをしてお宅の押入れの中へかくしておいたら一週間ぐらいはわからないでしょうね?」というと、吉田も微笑して、「……ハハ、そうですね、ここなら少しくらい声をだしてもあたりには聞こえませんからね。……」と答えた。

 散歩をすれば自ずと知人の家の方角へ足を向いてしまう狭い鎌倉のことであるから、この訪問以来二人は互いに訪ねては話し合うようにさえなった。やがては吉田の稀な知人である青年画家高木(たかぎ)にも紹介され(註・彼は長谷通りの煙草屋の二階に間借りをしていた)吉田と高木と私の三人の生活がその後一月二月と続けられて行った。私達は相互に仇名を持つようにさえなり(註・吉田は時偶(ときたま)如何なる体の調子からか、二日間ばかり食事もとらずに、眠り続けることがあった。これを高木は「吉田さんの無着陸飛行」[やぶちゃん後注12]と呼んだ。また高木は間食を一切せず、毎食正確に四杯食い、喫茶店へ行っても珈琲は飲まず必ずミルクを摂り、早寝早起きの几帳面に、吉田はあきれて高木を『質実剛健士』と揶揄(からか)った。最後に私は、非常に散歩好きのところから『散歩魔』と呼ばれた。)……斯くて無着陸飛行の名手と質実剛健士と散歩魔は、膝を合わせると主として絵画、演劇、一般芸術に関して熾(さか)んな議論を闘わせるようになったのである。

      *   *   *

 その夜は五月の清風明月の素敵な夜であった。吉田が次のような『怪談』を語ったのは……。

 吉田と私は海を望(なが)める私宅の階上の露台で、はからずも夕刻から十二時近くまで
vis-a-vis(ヴィ・ザ・ヴィ)[やぶちゃん後注13]の時間を過した、というのもその夜があまりに快適だったからで……月の懸っている気帯は清澄なのだが、地上海面に近い辺には春夜独特の薄靄が一面に降りて遠い地平線を被い尽しその境目が皆目分からず、あたかも一枚の広大な薄布を渚から天に向けて直角に張り立てたごとく海全体には立体感が無かった。そしてその薄い布――靄とも霞ともつかぬ気流を通して沖の燈台の灯や漁火や左右の岬の人家の灯が睡た気に光っている。海は湖水同然に鎮まり返り皎々(こうこう)たる月光を受けて黄金の衣のごとくきらきらと輝き渡っている……気がついたら既に十二時だったのだ。
「物騒だから50銭タクシーでも呼びましょうか?」というと、意外や吉田は享楽的な眼差で海を覗きながら――「今夜は寒くもないし月もいいから海岸伝いに歩いてかえります」と平然と答えた。臆病者の私が、「およしなさいよ、吉田さん、夏とちがって今頃はキミがわるいですよ」というと、彼は私の小心が滑稽なのかニヤニヤ笑って「……多分私は幻想(ファンタジイ)を欠いているのか、どういうものだか平気な性(たち)で――ですけど、今夜のような月のいい風のない夜だと気味のわるくなることがあります」と前置きし咳くような小声で続けた。「――私、海岸をあるく時には、乾いた砂地は下駄の歯がめりこんで歩きにくいので、いつも波打ち際の湿った砂をふんで帰ってゆく習慣があります。怕(おそ)ろしいというのはその時の話で……月を背にサクサクと歩いてゆくとどういうものか独りでに足が左へ左へとむいて――海水の方へ進んでいってしまうのです。人は誰でも絶対に長さの等しい両脚をもっているものではなく、私の脚は左が幾分短いのでしょうか、それと渚がゆるく海に傾斜しているので……どうしても歩いてゆくうちに、水にはいりそうになって困るのです。ハッと気づいて慌てて陸の方へ方向転換をするが、家へ帰るまでには二三度そういう目に会う。つまり海にひきずりこまれそうな気持になるのですよ。そして陸にむいてゆく時にはなんとなく重苦しく意志に反した行動に感ぜられ、海に引きいれられそうになる時には反対に滑らか(スムゥス)[やぶちゃん注:「滑らか」にルビ。]な足の運びを感じるというのは、ちょっと気味がわるくはないでしょうか?……夭折した詩人鍵井暴次郎の短編に――月夜の渚を歩く自身の影に「生物の気配」を感じ醜悪な現実に生ぎる第一の実体である自分に嫌悪を覚え、昼間は宛然(さながら)鴉牙吸飲者(オピアム・イイタア)の倦怠な時間を過し夜ともなれば渚を往還して第二の自身である『影』――それは最早単なる影ではなく人格をそなえ始めた第二の実体(見えるものへの領域に入り込んだ物体で)――その別個の自身に詩的陶酔を覚え、総ての現実感覚を超越して月光に憑(ひ)かれたまま、ハイネの詩《ドッペルゲエンゲル》を礼讃しつつ「月夜に昇天した男」の奇態な話がありますが[やぶちゃん後注14]、私の場合はそのような詩的厭世哲学に根拠をおいているのでもなくまたロオレライの唄声に誘われるわけでもありません。いわば気紛れ(ホイム)な感覚……肌アイという奴で、こんないい月夜にボチャボチャ水の中へはいりこんでいったらどんな気持がするだろう、さぞやウットリしたいい気持だろうなア……といった、溺死の苦痛をすら快適に感じられるマゾッホ的な至極享楽的な気持なのですよ。無論私には理性があり直ちにそういう陶酔を嗤(わら)うのですが、先だって――故郷の貞雄のことを考えながら歩いていたら思わず両足をジャブジャブ踝まで濡らしてしまった時には、なんですかゾォウッとしましたよ。その場合何か環境の変化で自暴自棄になっているとしたら一体どういうことになるか? 私は奇妙な劇的自殺(ドラマティック・シュイサイド)を決行してしまうことになるのですよ。……」と吉田は語を結んだ。

 話も嫌だがそれ以上に私は吉田自身に鬼気を感じた。五尺八寸の身長ある私がさらに見上げるほどあるから有に六尺以上はあろう。そして目方が十三貫足らずだというから、どれほど彼が痩せっぽち(スキンニー)であるか想像できると思う。宛然骸骨の吉田が夜半の渚をふらりふらり歩いて行く姿を見たら、相当気の強い男でも避けて通るであろう。正直にいって、右の話を聞いた時も話としては面白いが朝になれば白々しく感じるほど現実感に乏しく、神経質な人間に有り勝ちの事大主義の一片だと嗤おうとしたが、さらに交際を続けてゆくうちに吉田はしばしば唐突に凶暴なことをいい出したり、生活にも何やら秘密気なところがあるのを知るようになると、私には段々吉田という男が――薄気味悪く覚えて来た。と言うのは、吉田のあの風変わりな家を訪問する者が決して私と高木の二人だけでは無いということが判ったからである。

      *   *   *

 或る梅雨(つゆ)の晴れ間の日、私が例によって長谷通りで散歩魔振りを発揮していると、或る薬局の前に自動車が止まって客席(シート)から纔(わず)かに顔を半面を覗かせ、「……吉田さんですよ、そこのお饅頭やさんの裏の――間違えないでね……大急ぎですよ」と内部の店員に呼び掛けている女の片影を発見した。

 「吉田さん……」という呼名がふと耳に引っ懸かったのだ。立ち止まって顔を確かめようとすると、車は素早く彼女が洋装の踊り子(ダンサア)風の女であることを認めさせただけで駅方面へ風のように疾走して行ってしまった。私は呆気にとられながらも、彼女こそ三年前見せられた写真の素敵な婀娜(あだ)女F子ではないかと直感した。吉田の生活に女が介在しているらしいことを嗅ぎ出したのは私ばかりではなく、それから数日の後私を訪ねて来た高木の話に、二三日前彼が吉田を訪問すると、彼がまだ空地に足を踏み入れるか入れないかに障子の硝子(ガラス)から、獲物を狙う猫のような怕(こわ)い眼で凝乎(じっ)と戸外を窺(うかが)っていた吉田が間髪をいれずに跳び出て来て、「エーきょうはちょっと客があるんですがねえ……失、失礼させていただきます!」と呶鳴るように言ってポカンとしている高木を外へ追い出してしまった。その時障子を通して客の後ろ姿が微かに見えたが、洋装断髪の三十歳前後の妖艶な女で矢張り踊り子らしかったと言う、そういう場面を他人に見られることが吉田には極度に恥ずかしいのであろう、高木が女の訪問者に出ッ喰わしたのはそれまでにも数回あり、女が泊まって行く夜もあるらしいと言う。

 とまれ――雲切れも無い涙ぐんだ空から千遍一律な雨がシトシトと落ちる重苦しい梅雨時になると、吉田は次第に衰弱して行くようであった。またしても神経病か胸の病いでも出たのであろうか?(註・女が薬局で注文した品は何かの催眠剤なのであろう、彼が激しい不眠に襲われていたから。)窓開けて人現れず梅雨の家――昼間はボロ船の底のようにジトついた部屋で寝床に潜り込んだまま仕事もせず、夜となりザザザン、ザンザザン……と単律的(モノトナス)な海の泣き声が聞こえ始めるとわずかに起き出でて、薄暗い電灯の下で物倦気(ものうげ)な瞳を空に向けたまま小机に肱を突いて煙草ばかりをふかしていた。手首にはますます静脈が浮き出し、眼は不気味な凶暴性をもって凹み、唇は黝(くろ)ずんで、真っ青な額から宛然三角定規の鷲鼻にかけて絶えずヌラヌラと生汗を垂らしていた。かの「青い花」[やぶちゃん後注15]は一体何処へ行ってしまったのだろう?……こういうNil-Admirari (ニル・アドミラリ)[やぶちゃん後注16]の彼が酷暑を前に突如「東京へ行く、秋になったらまた帰って来る」といい出したのであるから、私は彼の健康が非道(ひど)く気になった。もっとも居たくとも夏季になると非常識に暴騰する家賃の支払い能力は彼には無かったのだが――。梅雨が明けると、鎌倉は長い冬眠から覚めた獣のごとく縦横無尽に、年一回の夏は浮わついたジャズ的な豪華を発揮し始めるのである。……

      *   *   *

 夏の鎌倉について何も事新しく語るには当たるまい、先刻御承知のことと思うから、私はただちに最後の高潮場面(クライマックス)の前奏曲とも謂うべき何かしら不気味な暗示を思わせる惨忍な一事件を綴らねばならぬ。

 吉田が再び帰鎌(きけん)して、例の饅頭店裏の奥まった一軒家に住むようになってから私が第一回の訪問をした時に、気味の悪いことをやってのけてしまったのだ。

 日中は暑いがさすがに日晷(ひあし)も短く黄昏れば冷々とした風の吹く九月の六日――私が久し振りで吉田の御機嫌うかがいに床屋帰りの散歩かたがた立ち寄った時のことだ。毎時(いつも)なら格子を開ければ尻尾だけでは足りなくて体中を振りながら一散に飛んで来る例の野良犬が何故か姿を見せない……と言って別に気にもかけず空地に足を踏み入れると、吉田が庭に下りて縁側の左手に備えてある手洗い鉢の前に立ち私に背を向けて頻りに手を洗っている姿が眼に映った。跫音(あしおと)を聞き突如振り向いて鋭く一眄[やぶちゃん注:「(いちべん)」で、振り返り見ること。]した彼の眼の凄さたら無かった。それは彼の生活に何か異常が突発したことを語っている。私がさらに一二歩前進すると吉田は両手をぶらんと垂らし私に対面の姿勢をとって彳立(てきりつ)した。[やぶちゃん後注17]日頃肉体が疲労している時は前髪が額に下がって仕方がないといっていたが、その日の疲労は極度であるのか、毛髪が束の如く虫気[やぶちゃん後注18]の強い眼まで垂れ下がり、体全体を絶えずビクビクと震わせていた。「どうしたんです?」と声をかけようとするなり先に私は彼の寒竹のような両手が真っ赤な鮮血に塗れている態(さま)を認めて、折角の声も咽喉で痞(つか)えてしまった。そして彼の爪ののびた足下には――例の黒犬の頭蓋を割られた惨殺死体が、四肢を硬直させ半開の眼には苦悶の痕跡を残し、顎を血溜りの地にすりつけて横たわっていた。吉田が殺(や)ったのだ! 私はそれでも彼の異様な興奮した模様からもっと大事件を予想したのであったから、犬であったことに安堵を覚えた。「一体どうしたというんです?」と私はできるだけ平静な調子で問いかけると、吉田は、「……私が、私が殺ったんです……どうしたわけかこいつが急に吠えかかって嚙みついてきたので、落ちていた石で頭を叩きわってしまったんです……無論、無論殺す意思など毛頭なかったんです……こいつの自信ありげな顔つきが無性に癪にさわって……一時の逆上でカッとしてしまって……ああ、僕、僕は……!」と喘ぎ喘ぎ答えると、胸が悔恨の苦汗に責められるものか、骨のような長身を顚(ふる)わせつつ私の眼前を檻の中の獣の様に苛々しく歩き廻った。一時の発作で罪無き犬を殺害した罪は大きいが、相手は主無き野良犬で飽くまでも犬に過ぎない。吉田に斯(か)ほどまで苦悶の必要があろうか! 況んや、相手が先に嚙みついてきたのであるから、外部にも内部にも弁解と慰安の余地はあるはずだ。ここで最も問題となるのは斯様に繊弱に歪められた彼の病的神経である。大いにわらねばならぬ[やぶちゃん注:「劬」は「(いた)」と読ませて「労わる」の意味で用いているが、誤用である。]。私はこう思うと、死体の始末など到底彼にはできそうにもないので、私自身取り掛かろうとすると、吉田はさらに激しい狂乱を見せ「……失、失礼ですが、Nさん、どうか帰って下さい! 私が……私がやりますよ! 余計なことはしないでください!」と悍(あせ)りたって、私の肩と首筋を痛いほど摑み無理矢理に格子の外へ追い出してしまった。その手のぶるぶる慄(ふる)える強烈な感覚は、さっき当てられたばかりの床屋の電気按摩器を想わせたくらいである。

      *   *   *

 私は読者の退屈も顧りみず、吉田がどういう人間であるのか大体の輪郭を摑んでもらうために、長々と陳腐な言葉(ヴィエィユ)[やぶちゃん後注19]を並べ立てた。筆を最後の破局(カタストロフィ)に転じよう。

 吉田が犬を殺した日から三日飛んで四日目の九月十日、俗に言う二百二十日――この日の午前中は至極長閑(のどか)な秋日和で空には拳ほどの雲も無く、この分なら今日の厄日も無事に過せると思っていた総ての人の予想を裏切り、昼下がりからいやアに生温(なまぬる)い烈風が吹き始めると、夕刻になって、暗澹たる黒雲が簇々(ぞくぞく)と重なり合い陽の落ちるとともに小石のような雹(ひょう)を混えた大粒の雨がパラパラと屋根を鳴らし始めた。人々が来たぞと思った瞬間には世にも物凄い大暴雨と変じた。最初のうち遠くの空で鳴っていた雷が次第に近付く気配が感ぜられ、やがてぴかりぴかりとあまり気味のよくない稲妻が閃き始めると、到頭本物の大雷雨となってしまった。私は雷を愛さない性分なので夕飯後の散歩魔振りを発揮できないまま、階上の書斎で読みかけのショオペンハウエル「人生達観」[やぶちゃん後注20]を読み出したが、戸外は……ブリキ罐に砂利を入れ振り廻わして発する音を何万倍かに拡大したような囂々(ごうごう)たる騒擾世界で、何分私の家は前方に遮ぎる物の無い砂丘にあり、直接南方から荒海を渡って吹きつける疾風に家(や)の棟がぐらぐら揺れ出し、搗(か)てて加えてピカッピカッゴロゴロズシンズシンとくるのでどうにも達観できず「何て礼儀をしらぬ天気だ!」と愚痴を滾(こぼ)しながら、階下の茶の間に避難して妻相手に雑談を始めた。

 柱時計が九時を報じて間もなく……何者かが玄関の雨戸を力委せに叩きながら声を嗄らして、「今晩はア……Nさん、Nさん……今晩はア、今晩はア!!」と呼ぶ声が、嵐の音を通して微かに聞こえた。私と妻はハッとして聞き耳を立てた。声は続く――どうも家らしい。私は土間に下り、「誰方(どなた)ですか?!」と鳴り返した。すると相手は、「高木です、高木ですよ、ちょっとあけてくれませんか?」と答えた。私は何事があってこんな暴風雨の夜にやって来たのかと急いで戸を開けると、猪口(ちょこ)になった傘を持て余しながら高木がずぶ濡れの尻端折りで突っ立っていた。直ちに座敷に招じ入れ、「一体どうしたんです!」と突っ込むと、妻の出した着換えの浴衣をまだる気に羽織りつつ――「実はNさんのお宅へ吉田さんが来ていはしまいかと思って……つい先刻まで僕の部屋にいたのですが、急にいなくなってしまったのです」と答えた。その様子が非常に不安気なので私も心配となり、「一度もきょうは吉田さんとあっていませんがね、あの人について何かあったのですか?」と問いかけると、高木は熱い茶で舌を焼きながらこんなことをいった――「実は吉田さんの子供貞雄さんが、盲腸炎で死んだのだそうです。一時間ばかり前このふる中を吉田さんが紙のような顔をして何者かにおわれるように『怕(こわ)い――怕い!』と喘ぎながら僕の部屋へにげこんできたのです。あの人は体中をぶるぶる震わせて『こんな嵐で私の家は気味が悪くてとても一人でいられないから今夜泊めてくれ』というんですよ。そして右手に握っていた電報を差しだしながら『高木さん、子供が……子供がね……死んでしまったんですよ』といい終わるとさめざめと泪を流して泣き始めたのです。いそいで開いてみると――サダ オ モウチヨウ デ シス スグ カエレ――とある。なにぶん四十近い人に泪を流されたので、どうして慰めていいか見当がつきません。茶でものめば落ち着くだろうと台所にたつと、それまですすりないていた吉田さんはピタリと黙り、今度はいっそうきみのわるいことに、まるで馬鹿か気狂いのようなポカンとした顔つきになって、口の中で何やらぶつぶつ訳のわからない独り言をつぶやいていましたが……再び部屋へ帰ってみるといつのまにかあの人の姿が見えないのです。土間にははいてきた下駄がないので、吉田さん、傘もささずにこのふきぶりの中へとびだしたに相違ないのですよ。Nさんにあいたいともらしていたから、間違いがあっては大変といそいでとんできたのですが……やはりきていませんかねえ。……」と高木は暗然たる表情を見せた。

 一体何処へ行ったのだろう、吉田は? 私にも全然心当たりは無い。もし以上の話が事実だとすると飛んでもない事件が起こってしまったのだ。いや、高木が嘘を吐(つ)く訳がない。もし芝居をうつとすればあの底知れぬ吉田自身だ。が、子供が死んでそんな余裕があるであろうか? 高木は吉田が「何者かに追われるように逃げ込んで来た」といったが、吉田は一体何を怖れていたのであろう? が、私の怪奇を嗜まぬ性分は飽くまでも平凡な解釈を下そうとし、吉田は私以上の雷嫌いで雷鳴を聞くと下痢をするくらいだから、もうしばらく待てばこうしているうちにも人懐かしがる彼の姿を見ることができるであろうと結論した。だが高木は私の解釈には不服らしく凝乎(じっ)と黙って何事かを考えていたが、突然キラリと瞳を光らせると、「――ね、Nさん、吉田さんは海へはいりこんでしまったのではないでしょうか? ホラ、いつかNさんがいってたでしょう、吉田さんが海の中ヘザブザブ歩み入ってそのまま帰ってこなくなるという話を!……ね、ちょっと、海をのぞいてみませんか?」――と飛んでもないことをいいだしたのである。私が高木の野放図(のほうず)も無い空想を嗤った。吉田がいくら物好きだと言って、かく暴風雷雨の夜に仄かに快適な肌合とやらを感じて海水に歩み入る訳がない。それまでの緊急な場合が高木の一言によって、ほっと救われたような安易な気分にさえなったのである。だが私もそうはいいながら、ふッと不安の気に押されて、立ち上がって階上に至るや、不承不承、海に面した露台の雨戸を一尺ばかり開け放った。

 サアッ!……と烈風が吹き込むと水を浴びるよう、大粒の雨の塊が踊り込んで来た。慌てて硝子(ガラス)戸で侵入を防ぎ、戸の隙間から首を揃えて渚を窺うと……空は文目(あやめ)も分かたぬ暗黒で一物も目に入れることはできなかったが、断続的に雷鳴に先行する物凄まじき稲妻の閃光は、スピイド・モンタアジュ[やぶちゃん後注21]的に荒狂う海面と拉(ひし)がれた草木雑草を映し出した。そして、これはまた何という神様の思し召しだ!――私の家の真ん前の渚に真っ白い浴衣を纏い脊の高い無帽の男が立っていて、徐々に徐々に暴海に歩み入ろうとしている姿が瀝々(まざまざ)と眼に入ったではないか?

「あッ、吉田さんだ!」――私と高木が思わずこう叫んだのは正確に同時であった! 私は素早く雨外套(レエイン・コオト)と雨帽子(レエイン・ハット)を付けると、高木を促して戸外へ跳び出た。が、私達が岩を転がすほどの雨風に妨げられつつ砂丘の突端に達した時には、吉田は最早腰の辺まで水に浸り、つぎの閃光を待つ頃には次第に深間に塡(はま)って行く「嵐の夜の昇天」振りを目撃するのみでどうすることもできなかった。

 諸君、試みに想像し給え――「真黒なあたかも墨汁を流したような雲々の間を縫い眩いばかりに閃きわたる稲妻の燦然たる光の氾濫」を! 或る時は山のような激浪と闘い鎮まれば牛のようにのろのろと海に呑まれて行く吉田の形容できぬむしろ超自然の発狂振りを! 二人の目撃者――散歩魔と質実剛健士とは救助の不可能と恐怖を覚える暇(いとま)も無く、彼無着陸飛行士の体から発する不気味な妖光と、大自然の無意識に芸術的効果を挙げた舞台装置に圧倒されて身動きすらできず……西東に相闘う稲妻の下で、濡れ鼠のままあたかも男女の抱擁のごとく確乎(しっか)と抱き締め合い、首だけの海の光景に向けて突っ立っていた。左方飯島岬と右方稲村ヶ崎の各突端を結ぶ無限広袤(こうぼう)[やぶちゃん後注22]たる水平線は、吉田の死霊を焦燥を以て待ち佗びつつある如く宛然手招きの調子で荒れ狂い、ビリッビリッズシンズシンと閃光が赤味を帯びると雷鳴はますます数を増し、それ自身衝突し合う海面が白昼の如く映し出され、あれほど雷をおそれていた「骸骨」は雷に守られる大自然の精霊の如く悠々と波に揉まれたまま……斯くて最後に、高浪の天辺に手足を延ばして気を失った吉田の体が瞬間的に見えたが、たちどころに底知れぬ暗黒の海に姿を没してしまった。

 神秘を否定し異様(ウトレ)[やぶちゃん後注23]を嗤(わら)う私の常識主義は敗北したのである。……


     ――――――

 翌朝はケロリとした秋晴れで、昨夜の嵐をどこで過したものか――無数の赤蜻蛉(あかとんぼ)がすいすいと青空を網目模様に飛び交っていた。だがこの日もさらに私達を驚かす事実――主を失った吉田の借家の押入の中から或る物体の腐敗臭がH饅頭店主人によって嗅ぎだされ、内部に若い女の屍体と一匹の黒犬の屍体が発見せられたのである。参考人として屍体検分に立ち合わされた私と高木は、かつてバア・アオオニで見た裸体写真の露出症患者F子に相違ないこと及び最近吉田の家をしばしば訪問していた踊り子風の女であることを証言した。二人は結句同一人物だったのだ。屍体と共に一梃の血塗られた短刀が隠されてあった。そして犯人は吉田に相違なくそれは兇器と断定され、腐爛状態の裡にも瞭(あき)らかに犯行時を想わせる刺創が頸部に残っていた。吉田はF子の屍体に或る種の動物的遊戯を企てたのであろう。「牝」は最後の姿を全裸に曝し年とともに脂の増した四肢を淫らがましく[やぶちゃん注:ママ。]開いていたが、その卑猥感はちょっと素敵だった。私も吉田の「病的」に感化されたのかも知れない。その圧迫感が私に屍体の描写を強制するのだが、卑猥に渉ることでもあるし、潔癖な紳士淑女的読者の怒りを買うことを虞れ遠慮する――といっても実は、私自身も付け焼刃で、それから五日間ばかり飯が不味くて弱った。

 ところで――一体何故?……そしてまた何日(いつ)?……吉田はF子を殺害したのであろう? 脚の折れた真黒な茶餉台の上に文鎮代わりのインキ壺に押えられた、吉田が失踪間際に綴ったのであろう真っ白な私宛の遺書が発見された。

 余白にはインキの色あせた字で



 

 ただ人は情あれ夢の夢の夢きのふはけふのいにしへけふはあすのむかし……一匹の猿、墓の上に踊る……日ねもす夕ぐれまでわれは見守りつ雨の窗がらすのうへ打ちたたくそのうれたさ……[やぶちゃん後注24]





 ――と連絡無き詩句が落書きしてあり本文には次の字句がこれは新鮮に走り書きで誌(しる)され、それによって彼の発狂死の原因も推察することができたのである。次に再録して本篇を結ぼう。


      ・   ・   ・


 Nさん――貴方はいずれ私が忌むべき殺人者であることを知って驚くことと思う。私は一人の、(いや「一匹の」といった方が適切かもしれない)……女と更に一匹の犬を殺して押入の中へ隠して置いたが、その女こそかつて話したことのある、異性に女の愉悦を身をもって教えるために生まれてきたあのF子だったのだ。何故私があの牝を殺したか?――この問に答えるものこそ常日頃恐れていたサードイズムの実践に他ならない。いや厳密にいえば、この殺人の動因になったものこそ一匹の犬だ……私は愛していた犬を一時の逆上発作で頭蓋を叩き割ってしまった。が、元々善人であるのか私の悔恨はもじ通り断腸の想いであった。神に懺悔をしたいほど苦しんだ。私の目からはどれほどの泪が流れたことであろう……私はそれから二時間ほど後訪ねてきたF子を全くささいなことから――というのは私の犬に対する悔恨を嘲笑したからだ、私は逆上をけすためにさらに大きな逆上を欲して彼女を殺してしまった。私には在来の殺人者の毒喰ワバ皿マデという気持が理解できるような気がする……良心の呵責に堪えられずその苦悩をけすために更に大きな過失を犯そうとする気持ちを! F子はさほどの声もたてずに地獄におちた。悦楽に脆いものは死にももろい。F子をやってしまってから私は自殺を決意した。が、貞雄のことが気になってどうしても死ねなかった。今こうして貞雄の死報に接し軽がると死んでゆくことができる。あの日貴方はF子を殺した直後にこられた。洗い落とす血を犬の血と思ったかもしれぬが……もし貴方があのままいつまでも帰らなかったら、F子への悔恨の苦しみをけすために貴方まで血祭にあげたかもしれない。貴方は帰ってくれてよかった、あの時、本当に! 今夜はひどい嵐だ。風音や雷鳴に混じってF子の嘲笑やら歔欷やら嬌泣が響いてきて怖ろしい。私はどこかへ逃げだそう、どこか誰もいないところへ! これ以上もうこの恥多い姿をさらさないですむ、くらい……くらい……なんにも見えない世界へ……!


■やぶちゃん後注

 

1 EXTRAVAGANZA:

イタリア語語源の英語で、①狂詩曲、狂想曲、狂想劇。②エクストラヴァガンザ (豪華絢爛な催しの意味合いで、特に19世紀アメリカのの豪華な映画ミュージカルを指す)③狂気じみた言動、狂態の意味を表す。イタリア語の“estravaganza”が、英語の“extra-” に同化、若しくは、「乱費・浪費・贅沢」の意味の“extravagance”の影響で語頭が変化した。

 

2 骸骨絵賛に、芭蕉:
芭蕉「骸骨の絵讃」より。前書は以下。なおこれは「続猿蓑」のも載る。前書の最後の「かの髑髏を枕として……」の部分は「荘子」の「至楽篇」の荘子と髑髏の問答を指す。

本間主馬が宅に、骸骨どもの笛・鼓をかまへて能するところを描きて、舞台の壁に掛けたり。まことに生前のたはぶれ、などかこの遊びに異ならんや。かの髑髏を枕として、つひに夢うつつを分かたざるも、ただこの生前を示さるるものなり。

稲妻や顔のところが薄の穂

 

3 私が
K大学の学生であった頃学業を怠つてある新劇団の俳優を勤めていた時:

作者西尾正は慶応大学経済学部卒。また、底本の編者である鮎川哲也氏による解説によると、西尾正が新劇の役者として舞台に立ったことも事実であると述べている。

 

4 「金玉均」:

小山内薫に同名の戯曲がある。金玉均(キム・オッキュン)1851-1894 李朝末の政治家。開国による朝鮮の近代化を目指し、日本の協力を得て閔氏政権打倒のクーデター(甲申事変)を起こすも失敗、日本に亡命、後、上海に渡るが、閔妃の刺客洪鐘宇に暗殺された。

 

5 Nel mezzo del cammin di nostra vita

イタリア語。ダンテ「神曲」の冒頭の一節。

 

6 私達の専属していた劇団が統率者K氏の病没が契機となって分裂瓦解してしまった。:

小山内薫が創始した築地小劇場は昭和3(1928)年の小山内の病没後、翌年、丸山定夫らが新築地劇団に分裂、残留組による築地小劇場も昭和5(1930)年に解散している。

 

7 居を鎌倉に定めて妻帯し、或る特許を受けた商品の製造を業とする父の助手をするようになり:

西尾正は、結核罹患後、幼少期から避暑地として馴染んでいた鎌倉に転居している。また、彼は束子(たわし)で有名な西尾商店の一族であり、ここで言う「ある特許受けた商品」とは、当主西尾正左衛門が発明し大正4年に特許を受けた「亀の子束子」(この名称は登録商標)を指す。

 

8 nom de plume

フランス語(但し、英製仏語であるらしい)で pen name の意味。

 

9 筋(ファプラ):

恐らく、これは「ファブラ」の誤植ではないかと思われる。即ち、フランス語の fable で、「本編の筋」とは、即ち『本作品という寓話』=“fable”という意味か、もしくは『本文学作品の主題』=“fable”という意味であろう。

 

10 「J・T氏の『友田と松永の話』という小説に」:

谷崎潤一郎「友田と松永の話」を指す。

 

11 「シレエヌのヴェニコス像」

≪不明・御教授乞≫(「シレエヌ」はフランス語 Sirènes で、ギリシャ神話の女怪「セイレーン」のことであろうか? 2007/01/25及び2007/01/27のブログも参照されたい。)

 

12 「吉田さんの無着陸飛行」


これは直後に示される梶井基次郎の「Kの昇天」中に現われる以下のイカルスのモチーフを元としているのではないかという教示を教え子から受けた。興味深い解釈であるので該当すると思われる箇所を掲げておく。

「影と『ドツペルゲンゲル』。私はこの二つに、月夜になれば憑かれるんですよ。この世のものでないといふやうな、そんなものを見たときの感じ。――その感じになじんでゐると、現實の世界が全く身に合はなく思はれて來るのです。だから晝間は阿片喫煙者のやうに倦怠です」
 とK君は云ひました。
 自分の姿が見えて來る。不思議はそればかりではない。段々姿があらはれて來るに隨つて、影の自分は彼自身の人格を持ちはじめ、それにつれて此方の自分は段々氣持が杳[やぶちゃん注:(はる)と読ませている。]かになつて、ある瞬間から月へ向かつて、スースーツと昇つて行く。それは氣持で何物とも云へませんが、まあ魂とでも云ふのでせう。それが月から射し下ろして來る光線を溯つて、それはなんとも云へぬ氣持で、昇天してゆくのです。
 K君はここを話すとき、その瞳はぢつと私の瞳に魅り非常に緊張した樣子でした。そして其處で何かを思ひついたやうに、微笑でもつてその緊張を弛めました。
「シラノが月へ行く方法を竝べたてるところがありますね。これはその今一つの方法ですよ。でも、ジユール・ラフオルグの詩にあるやうに

   哀れなるかな、イカルスが幾人も來ては落つこちる。

 私も何遍やつてもおつこちるんですよ」
 さう云つてK君は笑ひました。


 

13 vis-a-vis(ヴィ・ザ・ヴィ):

フランス語。顏と顏を付き合わせること。社交場などでの同伴者。相方。

 

14 ……夭折した詩人鍵井暴次郎の短編に(……)『月夜に昇天した男』の奇態な話がありますが:

梶井基次郎の「Kの昇天」を指す。本編はこの「Kの昇天」に強いインスピレーションを得た産物であると考えられる。

 

15 『青い花』:

ノヴァーリスの同名小説から。主人公の青年の夢に現れる青い花は、種々の多層的な象徴として暗示されるが、ここではかつての吉田の、戯曲家や翻訳家としての確信と自負に満ちた黄金時代の姿を言うのであろう。

 

16 Nil-Admirari (ニル・アドミラリ):

ラテン語。何事にも動じない、感動しないこと。森鷗外の「舞姫」でよく知られる言葉であるが、この語は本来、ピタゴラス学派に於いて、外界からの如何なる影響も受けない生き方を言う語であった。但し、ここでは最早「虚無的」という意味で用いられている。

 

17 彳立:

少し歩いて立つ。たたずむ。

 

18 虫気の強い:

「虫気」は、本来は「疳の虫」によって引き起こされる、腹痛や癇癪のことを言うが、ここでは「癇の強い」という意味。

 

19 陳腐な言葉(ヴィエィユ)

筆者は「陳腐な言葉」全体に「ヴィエィユ」というルビを振っている。これはフランス語の“vieil”もしくは“vieeille”で、これは原義が「年老いた」の意の“vieux”である。“vieil”が第二男性形(母音で始まる男性単数の前で用いられる)、“vieeille”が女性形である。この語は、物に付くと、「年数を経た」、「古びた」、「使い古された」、「時代遅れの」の意となる。

 

20 ショオペンハウエル『人生達観』:
新底本の解題で、横井司氏は本書について、『ショーペンハウエル[やぶちゃん注:ママ。] Artuer Schopenhauer 一七八八~一八六〇、独)の『人生達観』は、一九二四年に増富平蔵訳で玄黄社から実際に刊行されている。』但し、『同書は仏訳編纂書をもとに訳者がさらに編纂したもので、ショウペンハウアー[やぶちゃん注:ママ。]の該当原著は存在しない。』と記している。

 

21 スピイド・モンタアジュ:

映画用語。フラッシュ・バックのこと。

 

22 無限広袤:

字義的には「広」は東西の、「袤」は南北の広さ、広がりを言う。

 

23 異様(ウトレ)

フランス語(もしくはフランス語由来の英語)の“outré”。「度を越した」、「極端な」、「過激な」、「一風変わった」、の意。

 

24 うれたさ:

古語。「心痛し」=「うらいたし」の転化した語である「慨(うれ)たし」の名詞化したもの。腹立たしいこと、うらめしいこと、いまいましいこと、の意。ここは憂えに沈む状態を指すか。