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Kの昇天

  ――或はKの溺死   梶井基次郎

[やぶちゃん注:大正15(1926)年9月18日稿、同年10月号の雑誌『青空』に掲載、後に単行本『檸檬』に所収された。底本は昭和41(1966)年筑摩書房刊「梶井基次郎全集」第一巻を用いた。傍点「丶」は下線に代えた。]

 

Kの昇天

  ――或はKの溺死

 

 お手紙によりますと、あなたはK君の溺死に就て、それが過失だつたらうか、自殺だつたらうか、自殺ならば、それが何に原因してゐるのだらう、或は不治の病をはかなんで死んだのではなからうかと樣ざまに思ひ惱んでゐられるやうであります。そして僅か一と月程の間に、あの療養地のN海岸で偶然にも、K君と相識つたといふやうな、一面識もない私にお手紙をくださるやうになつたのだと思ひます。私はあなたのお手紙ではじめてK君の彼地での溺死を知つたのです。私は大層おどろきました。と同時に「K君はたうたう月世界へ行つた」と思つたのです。どうして私がそんな奇異なことを思つたか、それを私は今ここでお話しようと思つています。それは或はK君の死の謎を解く一つの鍵であるかも知れないと思ふからです。

 それは何時頃だつたか、私がNへ行つてはじめての滿月の晩です。私は病氣の故でその頃夜がどうしても眠れないのでした。その晩もたうたう寢床を起きて仕舞ひまして、幸ひ月夜でもあり、旅館を出て、錯落とした松樹の影を踏みながら砂濱へ出て行きました。引きあげられた漁船や、地引網を捲く轆轤などが白い砂に鮮かな影をおとしてゐる外、濱には何の人影もありませんでした。干潮で荒い浪が月光に碎けながらどうどうと打寄せてゐました。私は煙草をつけながら漁船のともに腰を下して海を眺めてゐました。夜はもうかなり更けてゐました。

 暫くして私が眼を砂濱の方に轉じましたとき、私は砂濱に私以外のもう一人の人を發見しました。それがK君だつたのです。然しその時はK君といふ人を私は未だ知りませんでした。その晩、それから、はじめて私達は互に名乘り合つたのですから。

 私は折りをりその人影を見返りました。そのうちに私は段々奇異の念を起こしてゆきました。といふのは、その人影――K君――は私と三四十歩も距つてゐたでせうか、海を見るといふのでもなく、全く私に背を向けて、砂濱を前に進んだり、後に退いたり、と思ふと立留つたり、そんなことばかりしてゐたのです。私はその人がなにか落し物でも搜してゐるのだらうかと思ひました。首は砂の上を視凝めてゐるらしく、前に傾いてゐたのですから。然しそれにしては跼むこともしない、足で砂を分けて見ることもしない。滿月で随分明るいのですけれど、火を點けて見る樣子もない。

 私は海を見ては合間合間に、その人影に注意し出しました。奇異の念は増ます募つてゆきました。そして遂には、その人影が一度も此方を見返らず、全く私に背を向けて動作してゐるのを幸ひ、ぢつとそれを見續けはじめました。不思議な戰慄が私を通り拔けました。その人影のなにか魅かれてゐるやうな樣子が私に感じたのです。私は海の方に向き直つて口笛を吹きはじめました。それがはじめは無意識にだつたのですが、或は人影になにかの效果を及ぼすかもしれないと思ふやうになり、それは意識的になりました。私ははじめシユーベルトの「海邊にて」を吹きました。ご存じでせうが、それはハイネの詩に作曲したもので、私の好きな歌の一つなのです。それからやはりハイネの詩の「ドツペルゲンゲル」。これは「二重人格」と云ふのでせうか。これも私の好きな歌なのでした。口笛を吹きながら、私の心は落ちついて來ました。やはり落し物だ、と思ひました。そう思ふより外、その奇異な人影の動作を、どう想像することができませう。そして私は思ひました。あの人は煙草を喫まないから燐寸がないのだ。それは私が持つてゐる。とにかくなにか非常に大切なものを落としたのだらう。私は燐寸を手に持ちました。そしてその人影の方へ歩きはじめました。その人影に私の口笛は何の效果もなかつたのです。相變らず、進んだり、退いたり、立留つたり、の動作を續けてゐるのです。近寄つてゆく私の足音にも氣がつかないやうでした。ふと私はビクツとしました。あの人は影を踏んでゐる。若し落し物なら影を背にして此方を向いて搜す筈だ。

 天心をややに外れた月が私の歩いて行く砂の上にも一尺程の影を作つてゐました。私はきつとなにかだとは思ひましたが、やはり人影の方へ歩いてゆきました。そして二三間手前で、思ひ切つて、

「何か落し物をなさつたのですか」

 とかなり大きい聲で呼びかけてみました。手の燐寸を示すやうにして。

「落し物でしたら燐寸がありますよ」

 次にはそう言うつもりだつたのです。然し落し物ではなさそうだと悟つた以上、この言葉はその人影に話しかける私の手段に過ぎませんでした。

 最初の言葉でその人は私の方を振り向きました。「のつぺらぽー」そんなことを不知不識の間に思つてゐましたので、それは私にとつて非常に怖ろしい瞬間でした。

 月光がその人の高い鼻を滑りました。私はその人の深い瞳を見ました。と、その顏は、なにか極まり惡る氣な貌に變つてゆきました。

「なんでもないんです」

 澄んだ聲でした。そして微笑がその口のあたりに漾ひました。

 私とK君とが口を利いたのは、こんな風な奇異な事件がそのはじまりでした。そして私達はその夜から親しい間柄になつたのです。

 しばらくして私達は再び私の腰かけてゐた漁船のともへ返りました。そして、

「本當にいつたい何をしてゐたんです」

 といふやうなことから、K君はぼつぼつそのことを説き明かして呉れました。でも、はじめの間はなにか躊躇してゐたやうですけれど。

 K君は自分の影を見てゐた、と申しました。そしてそれは阿片の如きものだ、と申しました。

 あなたにもそれが突飛でありませうやうに、それは私にも實に突飛でした。

 夜光蟲が美しく光る海を前にして、K君はその不思議な謂はれをぼちぼち話してくれました。

 影程不思議なものはないとK君は言いました。君もやつてみれば、必ず經驗するだらう。影をぢーつと視凝めてをると、そのなかに段々生物の相があらはれて來る。外でもない自分自身の姿なのだが。それは電燈の光線のやうなものでは駄目だ。月の光が一番いい。何故といふことは云はないが、――といふ譯は、自分は自分の經驗でさう信じるやうになつたので、あるいは私自身にしかさうであるのに過ぎないかもしれない。またそれが客觀的に最上であるにしたところで、どんな根據でさうなのか、それは非常に深遠なことと思ひます。どうして人間の頭でそんなことがわかるものですか。――これがK君の口調でしたね。何よりもK君は自分の感じに賴り、その感じの由つて來たる所を説明のできない神祕のなかに置いてゐました。

 ところで、月光による自分の影を視凝めてゐるとそのなかに生物の氣配があらはれて來る。それは月光が平行光線であるため、砂に寫つた影が、自分の形と等しいといふことがあるが、然しそんなことはわかり切つた話だ。その影も短いのがいい。一尺二尺位のがいいと思ふ。そして靜止してゐる方が精神が統一されていいが、影は少し搖れ動く方がいいのだ。自分が行つたり戻つたり立留つたりしてゐたのはそのためだ。雜穀屋が小豆の屑を盆の上で搜すやうに、影を搖つて御覧なさい。そしてそれをぢーつと視凝めてゐると、そのうちに自分の姿がだんだん見えて來るのです。そうです、それは「氣配」の域を越えて「見えるもの」の領分へ入つて來るのです。――かうK君は申しました。そして、

「先刻あなたはシユーベルトの『ドツペルゲンゲル』を口笛で吹いてはゐなかつたですか」

「ええ。吹いてゐましたよ」

 と私は答へました。やはり聞こえてはゐたのだ、と私は思ひました。

「影と『ドツペルゲンゲル』。私はこの二つに、月夜になれば憑かれるんですよ。この世のものでないといふやうな、そんなものを見たときの感じ。――その感じになじんでゐると、現實の世界が全く身に合はなく思はれて來るのです。だから晝間は阿片喫煙者のやうに倦怠です」

 とK君は云ひました。

 自分の姿が見えて來る。不思議はそればかりではない。段々姿があらはれて來るに隨つて、影の自分は彼自身の人格を持ちはじめ、それにつれて此方の自分は段々氣持が杳[やぶちゃん注:(はる)と読ませている。]かになつて、ある瞬間から月へ向かつて、スースーツと昇つて行く。それは氣持で何物とも云へませんが、まあ魂とでも云ふのでせう。それが月から射し下ろして來る光線を溯つて、それはなんとも云へぬ氣持で、昇天してゆくのです。

 K君はここを話すとき、その瞳はぢつと私の瞳に魅り非常に緊張した樣子でした。そして其處で何かを思ひついたやうに、微笑でもつてその緊張を弛めました。

「シラノが月へ行く方法を竝べたてるところがありますね。これはその今一つの方法ですよ。でも、ジユール・ラフオルグの詩にあるやうに

 

   哀れなるかな、イカルスが幾人も來ては落つこちる。

 

 私も何遍やつてもおつこちるんですよ」

 さう云つてK君は笑ひました。

 その奇異な初對面の夜から、私達は毎日訪ね合つたり、一緒に散歩したりするやうになりました。月が缺けるに隨つて、K君もあんな夜更けに海へ出ることはなくなりました。

 ある朝、私は日の出を見に海邊に立つてゐたことがありました。そのときK君も早起きしたのか、同じくやつて來ました。そして、恰度太陽の光の反射のなかへ漕ぎ入つた船を見たとき、

「あの逆光線の船は完全に影繪ぢやありませんか」

 と突然私に反問しました。K君の心では、その船の實體が、逆に影繪のやうに見えるのが、影が實體に見えることの逆説的な證明になると思つたのでせう。

「熱心ですね」

 と私が云つたら、K君は笑つてゐました。

 K君はまた、朝海の眞向から昇る太陽の光で作つたのだといふ、等身のシルウエツトを幾枚か持つてゐました。

 そしてこんなことを話しました。

「私が高等學校の寄宿舍にゐたとき、よその部屋でしたが、一人美少年がゐましてね、それが机に向かつてゐる姿を誰が描いたのか、部屋の壁へ、電燈で寫したシルウエツトですね。その上を墨でなすつて描いてあるのです。それがとてもヴイヴイツドでしてね、私はよくその部屋へ行つたものです」

 そんなことまで話すK君でした。聞きただしてはみなかつたのですが、或はそれがはじまりかも知れませんね。

 私があなたのお手紙で、K君の溺死を讀んだとき、最も先に私の心象に浮かんだのは、あの最初の夜の、奇異なK君の後姿でした。そして私はすぐ、

「K君は月へ登つてしまつたのだ」

 と感じました。そしてK君の死體が濱邊に打ちあげられてあつた、その前日は、まちがひもなく滿月ではありませんか。私は唯今本暦を開いてそれを確かめたのです。[やぶちゃん注:「暦」の「林」は共に(のぎへん)。以下同じ。]

 私がK君と一緒にゐました一と月程の間、その外にこれと云つて自殺される原因になるやうなものを、私は感じませんでした。でも、その一と月程の間に私が稍々健康を取戻し、此方へ歸る決心ができるやうになつたのに反し、K君の病氣は徐々に進んでゐたやうに思はれます。K君の瞳は段々深く澄んで來、頰は段々こけ、あの高い鼻柱が目に立つて硬く秀でて參つたやうに覺えてゐます。

 K君は、影は阿片のごときものだ、と云つてゐました。若し私の直感が正鵠を射拔いてゐましたら、影がK君を奪つたのです。然し私はその直感を固執するのでありません。私自身にとつてもその直感は參考にしか過ぎないのです。本當の死因、それは私にとつても五里霧中であります。

 然し私はその直感を土臺にして、その不幸な滿月の夜のことを假に組み立ててみやうと思ひます。

 

 その夜の月齡は十五・二であります。月の出が六時三十分。十一時四十七分が月の南中する時刻と本暦には記載されてゐます。私はK君が海へ歩み入つたのはこの時刻の前後ではないかと思ふのです。私がはじめてK君の後姿を、あの滿月の夜に砂濱に見出したのもほぼ南中の時刻だつたのですから。そしてもう一歩想像を進めるならば、月が少し西へ傾きはじめた頃と思ひます。若しさうとすればK君の所謂一尺乃至二尺の影は北側といつても稍々東に偏した方向に落ちる譯で、K君はその影を追ひながら海岸線を斜に海へ歩み入つたことになります。

 K君は病と共に精神が鋭く尖り、その夜は影が本當に「見えるもの」になつたのだと思はれます。肩が現はれ、頸が顯はれ、微かな眩暈の如きものを覺えると共に、「氣配」のなかから遂に頭が見えはじめ、そして或る瞬間が過ぎて、K君の魂は月光の流れに逆らひながら徐々に月の方へ登つてゆきます。K君の身體は段々意識の支配を失ひ、無意識な歩みは一歩一歩海へ近づいて行くのです。影の方の彼は遂に一箇の人格を持ちました。K君の魂はなほ高く昇天してゆきます。そしてその形骸は影の彼に導かれつつ、機械人形のやうに海へ歩み入つたのではないでせうか。次いで干潮時の高い浪がK君を海中へ仆します。若しそのとき形骸に感覺が蘇つてくれば、魂はそれと共に元へ歸つたのであります。

 

   哀れなる哉、イカルスが幾人も來ては落つこちる。

 

 K君はそれを墜落と呼んでゐました。若し今度も墜落であつたなら、泳ぎのできるK君です。溺れることはなかつた筈です。

 K君の身體は仆れると共に沖へ運ばれました。感覺はまだ蘇りません。次の浪が濱邊へ引き摺りあげました。感覺はまだ歸りません。また沖へ引去られ、また濱邊へ叩きつけられました。然も魂は月の方へ昇天してゆくのです。

 遂に肉體は無感覺で終りました。干潮は十一時五十六分と記載されています。その時刻の激浪に形骸の飜弄を委ねたまま、K君の魂は月へ月へ、飛翔し去つたのであります。