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ブログ「芥川龍之介の出生の秘密」へ

[やぶちゃん注:大正7(1918)年1月発行の雑誌『文章倶樂部』に「自傳の第一頁(どんな家庭から文士が生まれたか)」の大見出しで、表記の題で掲載された。後に作品集『點心』に所載された。底本は岩波版旧全集を用いた。私の後注を付した。]

 

文學好きの家庭から   芥川龍之介

 

 私の家は代々御奧坊主[後注1]だつたのですが、父[後注2]も母[後注3]も甚特徴のない平凡な人間です。父には一中節[後注4]、圍碁、盆栽、俳句などの道樂がありますが、いづれもものになつてゐさうもありません。母は津藤の姪[後注5]で、昔の話を澤山知つてゐます。その外に伯母[後注6]が一人ゐて、それが特に私の面倒を見てくれました。今でも見てくれてゐます。家中で顏が一番私に似てゐるのもこの伯母なら、心もちの上で共通點の一番多いのもこの伯母です。伯母がゐなかつたら、今日のやうな私が出來たかどうかわかりません。

 文學をやる事は、誰も全然反對しませんでした。父母をはじめ伯母も可成文學好きだからです。その代り實業家になるとか、工學士になるとか云つたら反つて反對されたかも知れません。

 芝居や小説は随分小さい時から見ました。先の團十郎、菊五郎、秀調なぞも覺えてゐます。私が始めて芝居を見たのは、團十郎が齋藤内藏之助をやつた時ださうですが、これはよく覺えてゐません。何でもこの時は内藏之助が馬を曳いて花道へかゝると、棧敷の後で母におぶさつてゐた私が、嬉しがつて、大きな聲で「ああうまえん」と云つたさうです。二つか三つ位の時でせう。小説らしい小説は、泉鏡花氏の「化銀杏」[後注7]が始めだつたかと思ひます。尤もその前に「倭文庫」[後注8]や「妙々車」[後注9]のやうなものは卒業してゐました。これはもう高等小學校へ入つてから[後注10]です。

 

■やぶちゃん後注

1 御奥坊主:茶坊主のこと。武家の職名。江戸幕府は本丸・西丸ともに奥坊主及び表坊主をおき、茶室・茶席の管理、登城した大名らの案内、弁当・茶等の供応から、衣服・刀剣等の世話をした。剃髪・僧衣であるが、出家者ではない。

2 父:養父である芥川道章を指す。実母である新原(にいはら)フクの兄。芥川龍之介は明治25(1892)年3月1日、牛乳搾取販売業耕牧舎を経営する新原敏三とフクの間に長男として生まれたが、その年の10月の母フクの精神病発症に伴い、同月(もしくは翌年1月頃とも)、芥川家の養子となっている。生母フクは明治35(1902)年11月28日、享年42歳で逝去する。但し、敏三はことあるごとに龍之介を復籍させようとし、結局、後に裁判を経て、明治37(1904)年8月30日(龍之介12歳)、新原家から正式に除籍、初めて正式な芥川道章の養嗣子となった(ちなみにこの同じ1904年11月24日には、道章の末の妹であるフユが新原敏三の後妻として入籍している。但し、このフユはフクの精神病発症直後に、家事手伝いとして新原家に入っており、明治32(1899)年7月には敏三との間に龍之介の義弟得二が生まれている)。道章は、龍之介6歳の時、東京府内務部第五(土木)課長を最後に退職している。芥川龍之介自死の翌年、昭和3(1928)年に逝去。実父及び実母については芥川龍之介「點鬼簿」本文を読むに若くはない。

3 母:養母芥川トモ(儔)。昭和12(1937)年に逝去。

4 一中節:浄瑠璃(三味線音楽)の一流派。初代の都太夫一中が、元禄の末ごろ上方で語り出し、後に江戸に普及した。

5 津藤の姪:トモの旧姓は細木(さいき)で、彼女の母須賀の兄が森鷗外の史伝で知られる細木香以、通称を津国屋(つのくにや)藤次郎と言った幕末の通人。新橋山城河岸の酒屋の主人であったが、俳優・俳諧師・狂言作者のパトロンとして、仮名垣魯文・九世団十郎・河竹黙阿弥らと交わった。

6 伯母:実母フクの姉で道章の妹である芥川フキ。幼少時の怪我で片方の眼が不自由であった。生涯独身を通した。芥川の死後、痴呆症となり、昭和13(1938)年に逝去。

7 「化銀杏」:(ばけいてふ)本作の発表自体は芥川龍之介4歳の年の、明治29(1896)年2月の雑誌「文藝倶樂部」である。鏡花23歳の作。

8 「倭文庫」:(やまとぶんこ)幕末の合巻で、正式書名は釈迦八相倭文庫。万亭応賀(まんていおうが)の作。画は一陽斎豊国・二世歌川国貞・猩々狂斎になる。仮名草子の「釈迦八相物語」や近松門左衛門の「釈迦如来誕生会」などを典拠として、釈迦の一代記を描いた草双紙(現物画像のリンク先は「千葉県野田市立図書館所蔵・草双紙目録」)。

9 「妙々車」:(めうめうぐるま)幕末の合巻、童歌妙々車(種彦のものは「童謡」の表記となるか)。柳下亭種員・三亭春馬・二世柳亭種彦の作で、画は二世歌川国貞になる。明治25(1892)年になって全篇合巻が出版された(現物画像のリンク先は「千葉県野田市立図書館所蔵・草双紙目録」)

10 高等小學校へ入つてから:芥川龍之介の江東小学校高等科の入学は、明治35(1902)年、10歳の時である。