尾生の信 芥川龍之介
[やぶちゃん注:大正九(一九二〇)年一月発行の雑誌『中央文學』に掲載され、後に『影燈籠』『或日の大石内藏助』『沙羅の花』に所収。底本は岩波版旧全集を用いた。この作品については、「沼」の「ブログ コメント」をも参照されたい。なお、最後に「未定稿集」の「詩」より、同題の芥川龍之介の文語定型詩を参考として附した。]
尾生の信
見上げると、高い石の
尾生はそつと口笛を鳴しながら、氣輕く橋の下の洲を見渡した。
橋の下の黃泥の洲は、二坪ばかりの廣さを剰して、すぐに水と續いてゐる。水際の蘆の間には、大方蟹の棲家であらう、いくつも圓い穴があつて、其處へ波が當る度に、たぶりと云ふかすかな音が聞えた。が、女は未だに來ない。
尾生は稍待遠しさうに水際まで步を移して、舟一艘通らない靜な川筋を眺めまはした。
川筋には靑い蘆が、隙間もなくひしひしと生えてゐる。のみならずその蘆の間には、
尾生は水際から步をめぐらせて、今度は廣くもない洲の上を、あちらこちらと步きながら、徐に暮色を加へて行く、あたりの靜さに耳を傾けた。
橋の上には暫くの間、行人の跡を絕つたのであらう。
尾生は險しく眉をひそめながら、橋の下のうす暗い洲を、愈足早に步き始めた。
その内に川の水は、一寸づつ、一尺づつ、次第に洲の上へ上つて來る。同時にまた川から立昇る藻の匂や水の匂も、冷たく肌にまつはり出した。見上げると、もう橋の上には鮮かな入日の光が消えて、ただ、石の橋欄ばかりが、ほのかに靑んだ暮方の空を、黑々と正しく切り拔いてゐる。が、女は未だに來ない。
尾生はたうとう立ちすくんだ。
川の水はもう
尾生は水の中に立つた儘、まだ一縷の望を便りに、何度も橋の空へ眼をやつた。
腹を浸した水の上には、とうに蒼茫たる暮色が立ち罩めて、
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夜半、月の光が一川の蘆と柳とに溢れた時、川の水と微風とは靜に囁き交しながら、橋の下の尾生の死骸を、やさしく海の方へ運んで行つた。が、尾生の
それから幾千年かを隔てた後、この魂は無數の
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●参考[やぶちゃん注:以下の詩は、葛巻義敏編「芥川龍之介未定稿集」の「詩」に所収する本作と同題の文語定型詩である。編者によれば、これは一応、大雑把に大正三、四年から大正六、七年に書かれた未発表詩稿である。これは、もう、プロトタイプと言ってよい。]
尾生の信
たそがるる渭橋の下に
來む人を尾生ぞ待てる。
橋欄ははるかに黑し
そのほとり飛ぶ蝙蝠
いつか來むあはれ明眸
かくてまつ時のあゆみは
さす潮のはやきにも似ず
さ靑なる水はしづかに
いつか來むあはれ明眸
足ゆ腰ゆ ふとはら
浸々と水は滿つれど
さりやらず尾生が
月しろも今こそせしか
いつか來むあはれ明眸
わざ
いたづらに來む日を待てる
われはげに尾生に似るか
よるべなき「生」の橋下に
いつか來むあはれ明眸