やぶちゃんの電子テクスト:小説・随筆篇へ

鬼火へ


乾あんず   片山廣子

 

[やぶちゃん注:昭和23(1948)年9月刊行の雑誌『美しい暮しの手帖』一号に掲載された。底本は2004年月曜社刊の片山廣子/松村みね子「燈火節」を用いたが、底本は新字であり、私のポリシーに加えて、「彼」=芥川龍之介の作品群と並置するためにも恣意的に正字に変換した。底本解題によれば、本篇の文末には『(筆者はアイルランド文学研究家)』と附されている。

 文中、「部從(ごもまはり)」の読みはママであるが、このような読みを不学にして私は知らない。可能性としては「ともまはり」の単純な誤植とも考え得る。識者の御教授を乞う。2010年12月26日追記:2007年月曜社刊の正字版の片山廣子「新編 燈火節」では「ともまはり」とあり、それで訂した。

 「牀」は底本自体が本字を用いているのであって、「床」の正字変換ではない。

 「青緑(みどり)」は「青緑」二字で「みどり」と読んでいる。

 末尾に登場する「ウビガン」は、Houbigant、フランスの香水のブランド名。Jean-François Houbigantジャン・フランソワ・ウビガンが1775年にパリで創業した。この香水の愛好者にはマリー・アントワネットやポンパドゥール夫人、ナポレオン等の錚々たる面々が並ぶ。現在のライセンスはDana Parfumeダナ・パフューム社が所有。

 ――いや、そんなことは、どうでもいい――この一篇は、片山廣子の確信犯的恋愛告白である――廣子はかなり白々しくわざとらしい連想を用いて、実景の乾杏から乾葡萄を引き出し、それを聖書のソロモンとシバの話に附会させる――最早、みなさんもお分かりであろう。これは芥川龍之介の「三つのなぜ」の「二 なぜソロモンはシバの女王とたつた一度しか會わなかつたか?」、あの廣子への愛するがゆえに訣別せねばならなかったソロモン芥川の恋文への、シバ廣子の、亡きソロモンへの、23年目の哀しいラヴ・レターの返しなのであった――

 ――最後に、もう一つ――この一篇の情景の中の、以上とは全く別なところに――私は芥川龍之介の姿が見えるのだ――庭から振り返った室内――廣子の眼に映るのは――「部屋の中には何の色もなく、ただ棚に僅かばかり並べられた本の背の色があるだけだつた。ぼたん色が一つ、黄いろと靑緑と。」――芥川龍之介の単行本、「支那游記」「侏儒の言葉」の背は正真正銘の牡丹色、「羅生門」「傀儡師」の背は黄色、遺稿「西方の人」の背は青緑色である――東洋英和女学院資料室委員会発行「資料室だより No.67」(2006年11月30日発行)の保坂綾子『東洋英和女学院所蔵「片山廣子氏寄贈本」について』に附帯する『東洋英和女学院所蔵「片山廣子氏寄贈本」一覧』には以上の「羅生門」「支那游記」を見出せる――【2009年4月11日】

2007年月曜社刊の正字版の片山廣子「新編 燈火節」を入手したため、再校訂を行った(結果はタイプ・ミスが2箇所、無意味な半角空隙と全角空隙がそれぞれ1箇所あった)。但し、ルビについては編集者が適宜処理したものであり、不要と私が判断した一部は採用していない。【2010年12月26日】]

 

乾あんず

 

 十坪に足りない芝庭である。ひさしく手を入れないので一めんに雜草が交つて野芝となつてしまつた。しかし野も林も路もすべての物が靑む季節になれば、野芝の庭もめざましく靑い。庭のまん中よりやや西に寄つて一本のいてふの樹が立つてゐる。心をきり落したので、いてふはずんぐりとふとつて無數の枝を四方にさし伸べて、むかしの武藏野の草はらに一ぽんのいてふが立つて風に吹かれてゐたであらう風景を時をり私の心にうつしてくれる。去年の初夏この野芝の庭に一つの異變がみえた。庭のごく端の方に一株の小さな小さな靑い花が咲き出したのである。何か見なれた花のやうで熟視すると、ああ、これは忘れなぐさであつた。優しく靑く細かく、たよたよと無數の花が夏ふかむまで咲いてゐた。雨にも日でりにもそれをいたはつて眺めたが、今年も五月がくると去年の花の見えたあたり、一面に幾株もいく本も同じ花が咲いて、芝の上の一部は朝日ゆふ日にうす靑く煙つて見えた。

 けふも梅雨めいた雨で、いてふは荒く白いしづくを落し、芝は沼地の革みたいに濡れてゐる。わすれな草はもうすつかり終るのだらう。ガラス戸越しに庭を見ながら私はお茶をいれた。お茶の香りが部屋にあふれて、飮む愉しみよりももつとたのしい。靜かに鼻にくる香りはのどに觸れる感じよりももつと新鮮に感じられる。乾杏子を二つ三つたべて、これはアメリカの何處に實つた杏子かと思つてみる。

 乾杏子からほし葡萄を考へる。ほし棗を考へる。乾無花果も考へる、どれもみんな甘く甘く、そして東洋風な味がする。過去の日には明治屋か龜屋かで買つて來て、菓子とは違ふ風雅なしづかな甘みを愉しく思つたものである。ゆくりなく今度の配給で、すこしも配給らしくない好物を味はふことが出來た。私はことに乾いちじくが好きだつた。むかし讀んだ聖書の中にも乾いちじくや乾棗が時に出てくる。熱い國の産物で、東方の博士たちが星に導かれて、ユダヤのべツレヘムの村にキリストの誕生を祝ひに來たときのみやげ物の中にもあつたやうに思はれる。ソロモン王の言葉にも「請(こ)ふ、なんぢら乾葡萄をもてわが力をおぎなへ、林檎をもてわれに力をつけよ、われは愛によりて疾(や)みわづらふ」と言つてゐる、雅歌の作者はこんな甘いものや酸つぱい物を食べながら人を戀ひしてゐたらしい。

 「もろもろの薫物(かをりもの)をもて身をかをらせ、 煙(けむり)の柱(はしら)のごとくして荒野より來るものは誰ぞや」ソロモンがシバの女王と相見た日のことも考へられる。世界はじまつて以來、この二人ほどに賢い、富貴な豪しやな男女はゐなかつた。その二人が戀におちては平凡人と同じやうになやみ、そして賢い彼等であるゆえに、ただ瞬間の夢のやうに戀を斷ちきつて別れたのである。

 「シバの女王ソロモンの風聞(うはさ)をきき、難問をもつてソロモンを試みんと甚だ多くの部從(ともまはり)をしたがへ香物(かうもつ)とおびただしき金と寶石とを駱駝に負せてエルサレムに來たり、ソロモンの許に至りてその心にあるところを悉く陳べけるに、ソロモンこれが問にことごとく答へたり。ソロモンの知らずして答へざる事はなかりき。

 シバの女王がソロモン王に贈りたるが如き香物(かうもつ)はいまだ曾つてあらざりしなり。ソロモン王シバの女王に物を送りてその携へ來たれる物に報いたるが上に、また之がのぞみにまかせて凡てその求むる物を與へたり。」

 舊約聖書の一節で、ここには何の花のにほひもないけれど、二人が戀をしたことは確かに本當であつたらしい。イエーツの詩にも「わが愛する君よ、われら終日おなじ思ひを語りて朝より夕ぐれとなる、駄馬が雨ふる泥沼を終日鋤き返しすき返しまた元にかへる如く、われら痴者(おろかもの)よ、同じ思ひをひねもす語る……」詩集が今手もとにないので、はつきり覺えてゐないが、女王もこれに和して同じ嘆きを歌つてゐたやうに思ふ。

 彼等がひねもす物語をした客殿の牀(とこ)は靑緑(みどり)であつたと書いてある。あまり物もたべず、酒ものまず、ただ乾杏子をたべて、乾葡萄をたべて、 涼しい果汁をすこし飮んでゐたかもしれない。女王が故郷に立つて行く日、大王の贈物を載せた數十頭の駱駝と馬と驢馬と、家來たちと、砂漠に黄いろい砂塵の柱がうづまき立つて徐々にうごいて行つた。王は物見臺にのぼつて遙かに見てゐたのであらう。

 女王が泊つた客殿の部屋は美しい香氣が、東洋風な西洋風な、世界中の最も美しい香りを集めた香料が女王自身の息のやうに殘つてゐて王を悲しませたことであらう。「わが愛するものよ、われら田舍にくだり、村里に宿らん」といふ言葉をソロモンが歌つたとすれば、それは王宮に生まれてほかの世界を知らない最も富貴な人の夢であつた。あはれに無邪氣な夢である。

 私は村里(むらざと)の小さな家で、降る雨をながめて乾杏子をたべる、三つぶの甘みを味つてゐるうち、遠い國の宮殿の夢をみてゐた、めざめてみれば何か物たりない。庭を見ても、部屋の中をみても、何か一輪の花が欲しく思ふ。

 部屋の中には何の色もなく、ただ棚に僅かばかり並べられた本の背の色があるだけだつた。ぼたん色が一つ、黄いろと靑緑と。

 私は小だんすの抽斗から古い香水を出した。外國の物がもうこの國に一さい來なくなるといふ時、銀座で買つたウビガンの香水だつた。ここ數年間、麻の手巾も香水も抽斗の底の方に眠つてゐたのだが、いまそのびんの口を開けて古びたクツシヨンに振りかけた。ほのかな靜かな香りがして、どの花ともいひ切れない香り、庭に消えてしまつた忘れな草の聲をきくやうな、ほのぼのとした空氣が部屋を包んだのである。村里(むらざと)の雨降る日も愉しい。