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三つのなぜ   芥川龍之介


[やぶちゃん注:昭和2(1927)年4月発行の雑誌『サンデー毎日』(春季特別号)に掲載された。底本は岩波版旧全集を用いた。但し、底本には多くのルビが付されているが、読みの振れるもののみのパラルビとした【2007年1月27日】。なお、吉田精一はこの「二」のソロモンとシバの関係は、芥川龍之介と片山廣子の面影が投射されたものとするが、それは言わずもがな、正しく「そう」である。そもそもがこの「二」は、廣子の龍之介宛書簡(リンク先の私のテクストの龍之介宛廣子書簡Ⅰを参照されたい)に誘発されたものであったのだから(この注の最後の一文は2010年12月24日に追記した)。]

 

三つのなぜ

 

        なぜフアウストは惡魔に出會つたか?

 

 フアウストは神に仕へてゐた。從つて林檎はかういふ彼にはいつも「智慧の果」それ自身だつた。彼は林檎を見る度に地上樂園を思ひ出したり、アダムやイヴを思ひ出したりしてゐた。

 しかし或雪上りの午後、フアウストは林檎を見てゐるうちに一枚の油畫を思ひ出した。それはどこかの大伽藍にあつた、色彩の水々しい油畫だつた。從つて林檎はこの時以來、彼には昔の「智慧の果」の外にも近代の「靜物」に變り出した。

 フアウストは敬虔の念のためか、一度も林檎を食つたことはなかつた。が或嵐の烈しい夜、ふと腹の減つたのを感じ、一つの林檎を燒いて食ふことにした。林檎は又この時以來、彼には食物(くひもの)にも變り出した。從つて彼は林檎を見る度に、モオゼの十戒を思ひ出したり、油の繪具の調合を考へたり、胃袋の鳴るのを感じたりしてゐた。

 最後に或薄ら寒い朝、フアウストは林檎を見てゐるうちに突然林檎も商人には商品であることを發見した。現に又それは十二賣れば、銀一枚になるのに違ひなかつた。林檎はもちろんこの時以來、彼には金錢にも變り出した。

 或どんより曇つた午後、フアウストはひとり薄暗い書齋に林檎のことを考へてゐた。林檎とは一體何であるか?――それは彼には昔のやうに手輕には解けない問題だつた。彼は机に向つたまま、いつかこの謎を口にしてゐた。

「林檎とは一體何であるか?」

 すると、か細い黑犬が一匹、どこからか書齋へはいつて來た。のみならずその犬は身震ひをすると、忽ち一人の騎士に變り、丁寧にフアウストにお時宜をした。――

 なぜフアウストは惡魔に出會つたか?――それは前に書いた通りである。しかし惡魔に出會つたことはフアウストの悲劇の五幕目ではない。或寒さの嚴しい夕、フアウストは騎士になつた惡魔と一しよに林檎の問題を論じながら、人通りの多い街を步いて行つた。すると瘦せ細つた子供が一人、顏中淚に濡らしたまま貧しい母親の手をひつぱつてゐた。

「あの林檎を買つておくれよう!」

 惡魔はちよつと足を休め、フアウストにこの子供を指し示した。

 「あの林檎を御覽なさい。あれは拷問の道具ですよ。」

 フアウストの悲劇はこういう言葉にやつと五幕目の幕を擧げはじめたのである。

 

        なぜソロモンはシバの女王とたつた一度しか會わなかつたか?

 

 ソロモンは生涯にたつた一度シバの女王に會つただけだつた。それは何もシバの女王が遠い國にゐたためではなかつた。タルシシの船や、ヒラムの船は三年に一度金銀や象牙や猿や孔雀を運んで來た。が、ソロモンの使者の駱駝はエルサレムを圍んだ丘陵や沙漠を一度もシバの國へ向つたことはなかつた。

 ソロモンはけふも宮殿の奧にたつた一人坐つてゐた。ソロモンの心は寂しかつた。モアブ人、アンモニ人、エドミ人、シドン人、ヘテ人等(とう)の妃たちも彼の心を慰めなかつた。彼は生涯に一度會つたシバの女王のことを考へてゐた。

 シバの女王は美人ではなかつた。のみならず彼よりも年をとつてゐた。しかし珍しい才女だつた。ソロモンはかの女と問答をするたびに彼の心の飛躍するのを感じた。それはどういふ魔術師と星占いの祕密を論じ合ふ時でも感じたことのない喜びだつた。彼は二度でも三度でも、――或は一生の間でもあの威嚴のあるシバの女王と話してゐたいのに違ひなかつた。

 けれどもソロモンは同時に又シバの女王を恐れてゐた。それはかの女に會つてゐる間は彼の智慧を失ふからだつた。少くとも彼の誇つてゐたものは彼の智慧かかの女の智慧か見分けのつかなくなるためだつた。ソロモンはモアブ人、アンモニ人、エドミ人、シドン人、ヘテ人等の妃たちを蓄えてゐた。が、彼女等は何といつても彼の精神的奴隷だつた。ソロモンは彼女等(ら)を愛撫する時でも、ひそかに彼女等を輕蔑してゐた。しかしシバの女王だけは時には反つて彼自身を彼女の奴隷にしかねなかつた。

 ソロモンは彼女の奴隷になることを恐れてゐたのに違ひなかつた。しかし又一面には喜んでゐたのにも違ひなかつた。この矛盾はいつもソロモンには名狀の出來ぬ苦痛だつた。彼は純金の獅子を立てた、大きい象牙の玉座の上に度々太い息を洩らした。その息は又何かの拍子に一篇の抒情詩に變ることもあつた。

 わが愛する者の男の子等(ら)の中にあるは

 林の樹の中に林檎のあるがごとし。

 …………………………………………

 その我上に飜したる旗は愛なりき。

 請ふ、なんぢら乾葡萄をもてわが力を補へ。

 林檎をもて我に力をつけよ。

 我は愛によりて疾みわづらふ。

 或日の暮、ソロモンは宮殿の露臺にのぼり、はるかに西の方を眺めやつた。シバの女王の住んでゐる國はもちろん見えないのに違ひなかつた。それは何かソロモンに安心に近い心もちを與へた。しかし又同時にその心もちは悲しみに近いものも與へたのだつた。

 すると突然幻は誰(たれ)も見たことのない獸を一匹、入り日の光の中に現じ出した。獸は獅子に似て翼を擴げ、頭を二つ具へてゐた。しかもその頭の一つはシバの女王の頭であり、もう一つは彼自身の頭だつた。頭は二つとも嚙み合ひながら、不思議にも淚を流してゐた。幻は暫く漂つてゐた後、大風の吹き渡る音と一しよに忽ち又空中へ消えてしまつた。そのあとには唯かがやかしい、銀の鎖に似た雲が一列、斜めにたなびいてゐるだけだつた。

 ソロモンは幻の消えた後もぢつと露臺に佇んでゐた。幻の意味は明かだつた。たとひそれはソロモン以外の誰にもわからないものだつたにもせよ。

 エルサレムの夜も更けた後、まだ年の若いソロモンは大勢の妃たちや家來たちと一しよに葡萄の酒を飮み交してゐた。彼の用ひる杯や皿はいづれも純金を用ひたものだつた。しかしソロモンはふだんのやうに笑つたり話したりする氣はなかつた。唯けふまで知らなかつた、妙に息苦しい感慨の漲つて來るのを感じただけだつた。

 番紅花(サフラン)の紅(くれなゐ)なるを咎むる勿れ。

 桂枝の匂へるを咎むる勿れ。

 されど我は悲しいかな。

 番紅花は餘りに紅なり。

 桂枝は餘りに匂ひ高し。

 ソロモンはかう歌ひながら、大きい豎琴(たてこと)を搔き鳴らした。のみならず絕えず淚を流した。彼の歌は彼に似げない激越の調べを漲らせてゐた。妃たちや家來たちはいづれも顏を見合せたりした。が、誰(たれ)もソロモンにこの歌の意味を尋ねるものはなかつた。ソロモンはやつと歌ひ終ると、王冠を頂いた頭(かしら)を垂れ、暫くはぢつと目を閉ぢてゐた。それから、――それから急に笑顏を擧げ、妃たちや家來たちとふだんのやうに話し出した。

 タルシシの船やヒラムの船は三年に一度金銀や象牙や猿や孔雀を運んで來た。が、ソロモンの使者の駱駝はエルサレムを圍んだ丘陵や沙漠を一度もシバの國へ向つたことはなかつた。(一五・四・一二)

 

    なぜロビンソンは猿を飼つたか?

 

 なぜロビンソンは猿を飼つたか? それは彼の目のあたりに彼のカリカチユアを見たかつたからである。わたしはよく承知してゐる。銃を抱(いだ)いたロビンソンはぼろぼろのズボンの膝をかかへながら、いつも猿を眺めてはもの凄い微笑を浮かべてゐた。鉛色の顏をしかめたまま、憂鬱に空を見上げた猿を。(一五・七・十五)