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ブログ・コメント(『松村みね子「五月と六月」から読み取れるある事実』)へ

五月と六月   松村みね子

[やぶちゃん注:昭和4(
1929)年6月号の雑誌『若草』に松村みね子名義で掲載された。底本は2004年月曜社刊の片山廣子/松村みね子「燈火節」を用いたが、底本は新字であり、私のポリシーに加えて、「彼」=芥川龍之介の作品群と並置するためにも恣意的に正字に変換した。また、踊り字「/\」の濁点付は正字に直した。本文の雰囲気を崩さないようにするため、以下に注記を纏めて記しておく。

・第一段落の後半「路のうへの葉がひどくがさ/\した、」の読点は句点の誤植であろうと思われる。

・同段落末尾の「マアルス!と思った。」はママで、「!」の後に空欄はない。

・「すこし歩き出した時……」以下の段落中の「崖に突きだしてる樹」はママ。

・同段落の「すこうし羽のさきが」の「すこうし」はママ。【2008年1月3日】

2007年月曜社刊の正字版の片山廣子「新編 燈火節」を入手したため、再校訂を行った。但し、ルビについては編集者が適宜処理したものであり、一部は不要、一部は私が肯んずることが出来ないという理由から、採用しなかった。また、私のブログ記載『片山廣子 しろき猫 或いは 「――廣子さん、狐になって、彼のところへお行きなさい――」』をリンクする。【2009年11月22日】本作に基づく私の評論「片山廣子「五月と六月」を主題とした藪野唯至による七つの変奏曲」及び、その推論を裏付ける決定的証拠としての「未公開片山廣子芥川龍之介宛書簡(計6通7種)のやぶちゃん推定不完全復元版」をリンクする。【2010年12月25日】]

 

   五月と六月

 

 いつの五月か、樹のしげつた丘の上で友人と會食したことがある。その人は長い旅から歸つて來て私ともう一人をよんでくれたのだが、もう一人は、急に家内に病人が出來て、どうしても來られなかつた。で、一人と一人であつたが、彼は非常に好い話手であつた。さういふ時まけずに私もしやべつたやうである。九時すぎその家を出た。山いつぱいの若葉がわたくしたちの上にかぶさり、曲りくねつた路が眞暗だつた。その路で、私は彼と怪談のつゞきの話をした。寒くなつたと彼が云つた。路のうへの葉がひどくがさ/\した、立止つて見あげると、葉のあひだに赤い星が大きく一つあつた。マアルス!と思つた。

「結局、世間の藝術家なんてものゝ生活はみんなでたらめなんですから……」

 何の聯絡もなく前ぶれもなく彼がいひ出した。意味があるのかないのか、突然だつた。

「そお? 女の生活も、みんな、でたらめなんですよ」

 卑下した心か挑戰の氣持からか、ふいと私はさう云ひ返した。たぶん戰鬪の赤い星が葉の中から私たちをけしかけたのだ。それつきり二人とも無言で非常にのろい足で丘を下りた。下り切つた道をまがると河があつた。

 河を渡り、すぐそこにタキシイの大きな家が見いだされた。さやうなら、と云つた。

 

 五月、碓氷峠の上を歩いてゐた。山みちの薄日に私たちは影をひいて歩いて行つた。

 山と谷の木の芽は生れたばかりで黄ろく、がけの笹は枯葉のまゝ濕つぽい風にがさ/\して、濃いかすみが空から垂れて、遠くの山はすこしも見えなかつた。向うの山も黄ろかつた。そこは落葉松の山で、一ぽんのほそい道がその低い山をくる/\廻つて山の上を通り越してどこかへ行(ゆ)く道と見えた。道だけしろく光つた。きつと、木こりが木を背負つて通る道だらうと思つたが、その時、木こりも誰も通らなかつた。荷馬も、犬も、何も通らなかつた。

「何が通るんでせう、あの道は?」

「なにか通る時もあるんです。人間にしろ、狐にしろ。……道ですから、何かが通りますよ」

 さう云はれると忽ち私の心が狐になつてその道を東に向つて飛んでいく、と思つた。道は曇つてゐるところもあつた。曇つてるところは山の木の芽よりずつと暗い。見てゐても何も通らなかつた。

どこからか花びらが吹き流されて來た。たつた五六片、私たちの顏の前をすつと流れて谿(たに)の上に行つた。顏をふり向けて上の山を見たが、一ぽんの花の木も見えず、いちめんの木の芽であつた。

 すこし歩き出した時、ふいと谿(たに)の中から一羽の鳥が立つた。ぱさ/\/\と音がして、崖に突きだしてる樹にとまつたが、そこからまた私たちの前をすうつと横ぎり路ばたのぶなの木にばさつとをさまつた。あ、そこ、と思つて見あげると、枝のかげにすこうし羽のさきが見えたやうだつた。そして見えなくなつた。飛んだ音もしなかつた。無數の樹にはほそぼそ芽と芽が重なり、奧ぶかくその鳥をかくした。何處からか彼は小さなまるい眼を光らして私たちを見てゐるのだらうと思つたが、限りない青さに交つて一つの生物が身ぢかにゐることは嬉しかつた。

 何の鳥だつたか、ついよく見なかつた。

 

 圓覺寺の寺内に一つの廢寺がある。ある年、私はそこを借りて夏やすみをしたことがあつた。山をかこむ杉の木に霧がかゝり、蝙蝠が寺のらん間に巣くつて雨の晝まごそ/\と音をさせることがあつた。

 震災で寺がまつたく倒れたと聞いて、翌年の六月、鎌倉のかへりに寄つて見た。門だけ殘つてゐた。松嶺院といふ古い札がそのまゝだつた。くづれた材木は片よせられ、樹々は以前のとほりで、梅がしげり白はちすが咲き、うしろの崖が寺ぜんたいに被さるやうに立つてゐた。その崖からうつぎの花がしだれ咲いて、すぐ崖の下に古い井戸があつた。

 深くてむかし汲みなやんだことを思ひ出して、そばに行つて覗いて見た。水があるかないか眞暗だつた。そこへ來て死ねば、人に見えずに死ねるなと思つた。空想がいろんな事を教へた。落葉のかさなりを踏んで立つてゐると、井戸べりの岩を蜥蜴がすつと走つて行つた。その時はじめて私は薄ぐもりの日光がすこし明るく自分と井戸の上にあるのに氣がついた。同時に死んだつて、生きてるのと同じやうにつまらない、と氣がついた。その時の私に、死は生と同じやうに平らで、きたなく、無駄に感じられた。そこいらの落葉や花びらと一緒に自分の體を蜥蜴のあそび場にするには、私はまだ少し體裁屋であつたのだらう。そのまゝ山を下りて來た。