やぶちゃんの電子テクスト:心朽窩旧館へ
鬼火へ

 

誘惑 ――或シナリオ――   芥川龍之介

 

[やぶちゃん注:昭和2(1927)年4月発行の『改造』に掲載、後に最後の作品集『湖南の扇』に所収された。底本は岩波版旧全集を用いたが、底本は総ルビで五月蠅いため、音読に迷うと判断したもののみのパラルビとした。末尾に注を附した。因みに、私は本篇を自分の中で以前から勝手に、芥川龍之介の「聖セバスチャンの誘惑」又は「メフィストファレスと聖セバスチャン」又は「聖セバスチャンの信仰と殉教」という副題で呼んでいる。いや、私はこれをモンタージュの名手エイゼンシュタインと映像詩人タルコフスキイ、そして不条理の魔術師アラン・レネの三人それぞれに映画化してもらいたいと、本気で思っている人間なのである。【2009年9月21日】]

 

誘   惑

       ――或シナリオ――

 

 

 

         1

 

 天主教徒(てんしゆけうと)の古暦(ふるごよみ)の一枚、その上に見えるのはかう云ふ文字である。――

 御出生來(ごしゆつしやうらい)千六百三十四年。せばすちあん記し奉る。

    二月。小

 二十六日。さんたまりやの御つげの日。

 二十七日。どみいご。

    三月。大

 五日。どみいご、ふらんしすこ。

 十二日。……………

 

         2

 

 日本の南部の或山みち。大きい樟(くす)の木の枝を張つた向うに洞穴(ほらあな)の口が一つ見える。暫くたつてから木樵りが二人、この山みちを下つて來る。木樵りの一人は洞穴を指さし、もう一人に何か話しかける。それから二人とも十字を切り、はるかに洞穴を禮拜(らいはひ)する。

 

         3

 

 この大きい樟の木の梢。尻つ尾の長い猿が一匹、或枝の上に坐つたまま、ぢつと遠い海を見守つてゐる。海の上には帆前船が一艘。帆前船はこちらへ進んで來るらしい。

 

         4

 

 海を走つてゐる帆前船が一艘。

 

         5

 

 この帆前船の内部。紅毛人の水夫が二人、檣(ほばしら)の下に賽(さい)を轉がしてゐる。そのうちに勝負の爭ひを生じ、一人の水夫は飛び立つが早いか、もう一人の水夫の横腹へずぶりとナイフを突き立ててしまふ。大勢の水夫は二人のまはりへ四方八方から集まつて來る。

 

         6

 

 仰向けになつた水夫の死に顏。突然その鼻の穴から尻つ尾の長い猿が一匹、顋(あご)の上に這ひ出して來る。が、あたりを見まはしたと思ふと忽ち又鼻の穴の中へはひつてしまふ。

 

         7

 

 上から斜めに見おろした海面。急にどこか空中から水夫の死骸が一つ落ちて來る。死骸は水けぶりの立つた中に忽ち姿を失つてしまふ。あとには唯浪の上に猿が一匹もがいてゐるばかり。

 

         8

 

 海の向うに見える半島。

 

         9

 

 前の山みちにある樟の木の梢。猿はやはり熱心に海の上の帆前船を眺めてゐる。が、やがて兩手を擧げ、顏中に喜びを漲らせる。すると猿がもう一匹いつか同じ枝の上にゆらりと腰をおろしてゐる。二匹の猿は手眞似をしながら、暫く何か話しつづける。それから後(のち)に來た猿は長い尻つ尾を枝にまきつけ、ぶらりと宙に下つたまま、樟の木の枝や葉に遮られた向うを目の上に手をやつて眺めはじめる。

 

         10

 

 前の洞穴の外部。芭蕉や竹の茂つた外には何もそこに動いてゐない。そのうちにだんだん日の暮になる。すると洞穴の中から蝙蝠(かうもり)が一匹ひらひらと空へ舞ひ上つて行く。

 

         11

 

 この洞穴の内部。「さん・せばすちあん」がたつた一人岩の壁の上に懸けた十字架の前に祈つてゐる。「さん・せばすちあん」は黑い法服を着た、四十に近い日本人。火をともした一本の蠟燭は机だの水瓶(みづがめ)だのを照らしてゐる。

 

         12

 

 蠟燭の火(ほ)かげの落ちた岩の壁。そこには勿論はつきりと「さん・せばすちあん」の横顏も映つてゐる。その横顏の頸すぢを尻つ尾の長い猿の影が一つ靜かに頭の上へ登りはじめる。續いて又同じ猿の影が一つ。

 

         13

 

 「さん・せばすちあん」の組み合せた兩手。彼の兩手はひつの間にか紅毛人のパイプを握つてゐる。パイプは始めは火をつけてゐない。が、見る見る空中へ煙草の煙を擧げはじめる。………

 

         14

 

 前の洞穴の内部。「さん・せばすちあん」は急に立ち上り、パイプを岩の上へ投げつけてしまふ。しかしパイプは不相變煙草の煙を立ち昇らせてゐる。彼は驚きを示したまま、二度とパイプに近よらない。

 

         15

 

 岩の上に落ちたパイプ。パイプは徐ろに酒を入れた「ふらすこ」の瓶に變つてしまふ。のみならずその又「ふらすこ」の瓶も一きれの「花かすていら」に變つてしまふ。最後にその「花かすていら」さへ今はもう食物(しよくもつ)ではない。そこには年の若い傾城(けいせい)が一人、艷しい膝を崩したまま、斜めに誰(たれ)かの顏を見上げてゐる。………

 

         16

 

 「さん・せばすちあん」の上(かみ)半身。彼は急に十字を切る。それからほつとした表情を浮かべる。

 

         17

 

 尻つ尾の長い猿が二匹一本の蠟燭の下に蹲つてゐる。どちらも顏をしかめながら。

 

         18

 

 前の洞穴の内部。「さん・せばすちあん」はもう一度十字架の前に祈つてゐる。そこへ大きい梟が一羽さつとどこからか舞ひ下つて來ると、一煽ぎに蠟燭の火を消してしまふ。が、一すぢの月の光だけはかすかに十字架を照らしてゐる。

 

         19

 

 岩の壁の上に懸けた十字架。十字架は又十字の格子を嵌めた長方形の窓に變りはじめる。長方形の窓の外は茅葺きの家が一つある風景。家のまはりには誰もゐない。そのうちに家はおのづから窓の前へ近よりはじめる。同時に又家の内部も見えはじめる。そこには「さん・せばすちあん」に似た婆さんが一人片手に絲車(いとぐるま)をまはしながら、片手に實のなつた櫻の枝を持ち、二三歳の子供を遊ばせてゐる。子供も亦彼の子に違ひない。が、家の内部は勿論、彼等もやはり霧のやうに長方形の窓を突きぬけてしまふ。今度見えるのは家の後ろの畠(はたけ)。畠には四十に近い女が一人せつせと穗麥を刈り干してゐる。………

 

         20

 

 長方形の窓を覗いてゐる「さん・せばすちあん」の上半身。但し斜めに後ろを見せてゐる。明るいのは窓の外ばかり。窓の外はもう畠ではない。大勢の老若男女(ろうにやくなんによ)の頭が一面にそこに動いてゐる。その又大勢の頭の上には十字架に懸つた男女が三人高だかと兩腕を擴げてゐる。まん中の十字架に懸つた男は全然彼と變りはない。彼は窓の前を離れようとし、思わずよろよろと倒れかかる。――

 

         21

 

 前の洞穴の内部。「さん・せばすちあん」は十字架の下の岩の上へ倒れてゐる。が、やつと顏を起し、月明りの落ちた十字架を見上げる。十字架はいつか初ひ初ひしい降誕の釋迦に變つてしまふ。「さん・せばすちあん」は驚いたやうにかう云ふ釋迦を見守つた後、急に又立ち上つて十字を切る。月の光の中をかすめる、大きい一羽の梟の影。降誕の釋迦はもう一度もとの十字架に變つてしまふ。………

 

         22

 

 前の山みち。月の光の落ちた山みちは黑いテエブルに變つてしまふ。テエブルの上にはトランプが一組。そこへ男の手が二つ現れ、靜かにトランプを切つた上、左右へ札を配りはじめる。

 

         23

 

 前の洞穴の内部。「さん・せばすちあん」は頭を垂れ、洞穴の中を歩いてゐる。すると彼の頭の上へ圓光が一つかがやきはじめる。同時に又洞穴の中も徐ろに明るくなりはじめる。彼はふとこの奇蹟に氣がつき、洞穴のまん中に足を止める。始めは驚きの表情。それから徐ろに喜びの表情。彼は十字架の前にひれ伏し、もう一度熱心に祈りを捧げる。

 

         24

 

 「さん・せばすちあん」の右の耳。耳たぶの中には樹木が一本累々と圓い實をみのらせてゐる。耳の穴の中は花の咲いた草原。草は皆そよ風に動いてゐる。

 

         25

 

 前の洞穴の内部。但し今度は外部に面してゐる。圓光を頂いた「さん・せばすちあん」は十字架の前から立ち上り、靜かに洞穴の外へ歩いて行く。彼の姿の見えなくなつた後、十字架はおのづから岩の上へ落ちる。同時に又水瓶の中から猿が一匹躍り出し、怖(こ)は怖(ご)は十字架に近づかうとする。それからすぐに又もう一匹。

 

         26

 

 この洞穴の外部。「さん・せばすちあん」は月の光の中に次第にこちらへ歩いて來る。彼の影は左には勿論、右にももう一つ落ちてゐる。しかもその又右の影は鍔の廣い帽子をかぶり、長いマントルをまとつてゐる。彼はその上半身に殆ど洞穴の外を塞いだ時、ちよつと立ち止まつて空を見上げる。

 

         27

 

 星ばかり點々とかがやいた空。突然大きい分度器が一つ上から大股に下(さが)つて來る。それは次第に下るのに從ひ、やはり次第に股を縮め、とうとう兩脚を揃へたと思ふと、徐ろに霞んで消えてしまふ。

 

         28

 

 廣い暗(やみ)の中に懸つた幾つかの太陽。それ等の太陽のまはりには地球が又幾つもまはつてゐる。

 

         29

 

 前の山みち。圓光を頂いた「さん・せばすちあん」は二つの影を落したまま、靜かに山みちを下つて來る。それから樟の木の根もとに佇み、ぢつと彼の足もとを見つめる。

 

         30

 

 斜めに上から見おろした山みち。山みちには月の光の中に石ころが一つ轉がつてゐる。石ころは次第に石斧(せきふ)に變り、それから又短劍に變り、最後にピストルに變つてしまふ。しかしそれももうピストルではない。いつか又もとのやうに唯の石ころに變つてゐる。

 

         31

 

 前の山みち。「さん・せばすちあん」は立ち止まつたまま、やはり足もとを見つめてゐる。影の二つあることも變りはない。それから今度は頭を擧げ、樟の木の幹を眺めはじめる。………

 

         32

 

 月の光を受けた樟の木の幹。荒あらしい木の皮に鎧(よろ)われた幹は何も始めは現してゐない。が、次第にその上に世界に君臨した神々の顏が一つづつ鮮かに浮んで來る。最後には受難の基督(キリスト)の顏。最後には?――いや、「最後には」ではない。それも見る見る四つ折りにした東京××新聞に變つてしまふ。

 

         33

 

 前の山みちの側面。鍔の廣い帽子にマントルを着た影はおのづから眞つすぐに立ち上る。尤も立ち上つてしまつた時はもう唯の影ではない。山羊のやうに髯を伸ばした、目の鋭い紅毛人の船長である。

 

         34

 

 この山みち。「さん・せばすちあん」は樟の木の下に船長と何か話してゐる。彼の顏いろは重おもしい。が、船長は脣(くちびる)に絶えず冷笑を浮かべてゐる。彼等は暫く話した後、一しよに横みちへはひつて行く。

 

         35

 

 海を見おろした岬の上。彼等はそこに佇んだまま、何か熱心に話してゐる。そのうちに船長はマントルの中から望遠鏡を一つ出し、「さん・せばすちあん」に「見ろ」と云ふ手眞似をする。彼はちよつとためらつた後、望遠鏡に海の上を覗いて見る。彼等のまはりの草木は勿論、「さん・せばすちあん」の法服は海風(うみかぜ)の爲にしつきりなしに搖らいでゐる。が、船長のマントルは動いてゐない。

 

         36

 

 望遠鏡に映つた第一の光景。何枚も畫を懸けた部屋の中に紅毛人の男女が二人テエブルを中に話してゐる。蠟燭の光の落ちたテエブルの上には酒杯(さかづき)やギタアや薔薇の花など。そこへ又紅毛人の男が一人突然この部屋の戸を押しあけ、劍を拔いてはひつて來る。もう一人の紅毛人の男も咄嗟にテエブルを離れるが早いか、劍を拔いて相手を迎へようとする。しかしもうその時には相手の劍を心臟に受け、仰向けに床(ゆか)の上へ倒れてしまふ。紅毛人の女は部屋の隅に飛びのき、兩手に頰を抑えへたまま、ぢつとこの悲劇を眺めてゐる。

 

         37

 

 望遠鏡に映つた第二の光景。大きい書棚などの並んだ部屋の中に紅毛人の男が一人ぼんやりと机に向つてゐる。電燈の光の落ちた机の上には書類や帳簿や雜誌など。そこへ紅毛人の子供が一人勢よく戸をあけてはひつて來る。紅毛人はこの子供を抱き、何度も顏へ接吻した後、「あちらへ行け」と云ふ手眞似をする。子供は素直に出て行つてしまふ。それから又紅毛人は机に向ひ、抽斗から何か取り出したと思ふと、急に頭のまはりに煙を生じる。

 

         38

 

 望遠鏡に映つた第三の光景。或露西亞(ロシア)人の半身像を据ゑた部屋の中に紅毛人の女が一人せつせとタイプライタアを叩いてゐる。そこへ紅毛人の婆さんが一人靜かに戸をあけて女に近より、一封の手紙を出しながら、「讀んで見ろ」と云ふ手眞似をする。女は電燈の光の中にこの手紙へ目を通すが早いか、烈しいヒステリイを起してしまふ。婆さんは呆氣にとられたまま、あとずさりに戸口へ退いて行く。

 

         39

 

 望遠鏡に映つた第四の光景。表現派の畫に似た部屋の中に紅毛人の男女(なんによ)が二人テエブルを中に話してゐる。不思議な光の落ちたテエブルの上には試驗管や漏斗(じやうご)や吹皮(ふいご)など。そこへ彼等よりも背(せい)の高い、紅毛人の男の人形が一つ無氣味にもそつと戸を押しあけ、人工の花束を持つてはひつて來る。が、花束を渡さないうちに機械に故障を生じたと見え、突然男に飛びかかり、無造作に床の上に押し倒してしまふ。紅毛人の女は部屋の隅に飛びのき、兩手に頰を抑へたまま、急にとめどなしに笑ひはじめる。

 

         40

 

 望遠鏡に映つた第五の光景。今度も亦前の部屋と變りはない。唯前と變つてゐるのは誰もそこにゐないことである。そのうちに突然部屋全體は凄まじい煙の中に爆發してしまふ。あとは唯一面の燒野原ばかり。が、それも暫くすると、一本の柳が川のほとりに生えた、草の長い野原に變りはじめる。その又野原から舞ひ上る、何羽(なんば)とも知れない白鷺の一群。………

 

         41

 

 前の岬の上。「さん・せばすちあん」は望遠鏡を持ち、何か船長と話してゐる。船長はちよつと頭を振り、空の星を一つとつて見せる。「さん・せばすちあん」は身をすさらせ、慌てて十字を切らうとする。が、今度は切れないらしい。船長は星を手の平にのせ、彼に「見ろ」と云ふ手眞似をする。

 

         42

 

 星をのせた船長の手の平。星は徐ろに石ころに變り、石ころは又馬鈴薯(じやがいも)に變り、馬鈴薯は三度目に蝶に變り、蝶は最後に極く小さい軍服姿のナポレオンに變つてしまふ。ナポレオンは手の平のまん中に立ち、ちよつとあたりを眺めた後、くるりとこちらへ背中を向けると、手の平の外へ小便をする。

 

         43

 

 前の山みち。「さん・せばすちあん」は船長のあとからすごすごそこへ歸つて來る。船長はちよつと立ちどまり、丁度金(かね)の輪でもはずすやうに「さん・せばすちあん」の圓光をとつてしまふ。それから彼等は樟の木の下にもう一度何か話しはじめる。みちの上に落ちた圓光は徐ろに大きい懷中時計になる。時刻は二時三十分。

 

         44

 

 この山みちのうねつたあたり。但し今度は木や岩は勿論、山みちに立つた彼等自身も斜めに上から見おろしてゐる。月の光の中の風景はいつか無數の男女に滿ちた近代のカッフエに變つてしまふ。彼等の後(うしろ)は樂器の森。尤もまん中に立つた彼等を始め、何も彼(か)も鱗(うろこ)のやうに細かい。

 

         45

 

 このカッフエの内部。「さん・せばすちあん」は大勢の踊り子達にとり圍まれたまま、當惑さうにあたりを眺めてゐる。そこへ時々降(ふ)つて來る花束。踊り子達は彼に酒をすすめたり、彼の頸にぶら下つたりする。が、顏をしかめた彼はどうすることも出來ないらしい。紅毛人の船長はかう云ふ彼の眞後ろに立ち、不相變冷笑を浮べた顏を丁度半分だけ覗かせてゐる。

 

         46

 

 前のカッフエの床。床の上には靴をはいた足が幾つも絶えず動いてゐる。それ等の足は又いつの間にか馬の足や鶴の足や鹿の足に變つてゐる。

 

         47

 

 前のカッフエの隅。金鈕(きんぼたん)の服を着た黑人が一人大きい太鼓を打つてゐる。この黑人も亦いつの間にか一本の樟の木に變つてしまふ。

 

         48

 

 前の山みち。船長は腕を組んだまま、樟の木の根もとに氣を失つた「さん・せばすちあん」を見おろしてゐる。それから彼を抱き起し、半ば彼を引きずるやうに向うの洞穴へ登つて行く。

 

         49

 

 前の洞穴の内部。但し今度も外部に面してゐる。月の光はもう落ちてゐない。が、彼等の歸つて來た時にはおのづからあたりも薄明るくなつてゐる。「さん・せばすちあん」は船長を捉へ、もう一度熱心に話しかける。船長はやはり冷笑したきり、何とも彼の言葉に答へないらしい。が、やつと二こと三ことしやべると、未だに薄暗い岩のかげを指さし、彼に「見ろ」と云ふ手眞似をする。

 

         50

 

 洞穴の内部の隅。顋髯(あごひげ)のある死骸が一つ岩の壁によりかかつてゐる。

 

         51

 

 彼等の上半身。「さん・せばすちあん」は驚きや恐れを示し、船長に何か話しかける。船長は一こと返事をする。「さん・せばすちあん」は身をすさらせ、慌てて十字を切ろうとする。が、今度も切ることは出來ない。

 

         52

 

 Judas ………

 

         53

 

 前の死骸――ユダの横顏。誰かの手はこの顏を捉へ、マッサァヂをするやうに顏を撫でる。すると頭は透明になり、丁度一枚の解剖圖のやうにありありと腦髓を露してしまふ。腦髓は始めはぼんやりと三十枚の銀を映してゐる。が、その上にいつの間にかそれぞれ嘲(あざけ)りや憐みを帶びた使徒たちの顏も映つてゐる。のみならずそれ等の向うには家だの、湖だの、十字架だの、猥褻な形をした手だの、橄欖(かんらん)の枝だの、老人だの、――いろいろのものも映つてゐるらしい。………

 

         54

 

 前の洞穴の内部の隅。岩の壁によりかかつた死骸は徐ろに若くなりはじめ、とうとう赤兒に變つてしまふ。しかしこの赤兒の顋にも顋髯だけはちゃんと殘つてゐる。

 

         55

 

 赤兒の死骸の足のうら。どちらの足のうらもまん中に一輪づつ薔薇の花を描いてゐる。けれどもそれ等は見る見るうちに岩の上へ花びらを落してしまふ。

 

         56

 

 彼等の上半身。「さん・せばすちあん」は愈(いよ/\)興奮し、何か又船長に話しかける。船長は何とも返事をしない。が、殆ど嚴肅に「さん・せばすちあん」の顏を見つめてゐる。

 

         57

 

 半ば帽子のかげになつた、目の鋭い船長の顏。船長は徐ろに舌を出して見せる。舌の上にはスフィンクスが一匹。

 

         58

 

 前の洞穴の内部の隅。岩の壁によりかかつた赤兒の死骸は次第に又變りはじめ、とうとうちやんと肩車をした二匹の猿になつてしまふ。

 

         59

 

 前の洞穴の内部。船長は「さん・せばすちあん」に熱心に何か話しかけてゐる。が、「さん・せばすちあん」は頭を垂れたまま、船長の言葉を聞かずにゐるらしい。船長は急に彼の腕を捉へ、洞穴の外部を指さしながら、彼に「見ろ」と云ふ手眞似をする。

 

         60

 

 月の光を受けた山中の風景。この風景はおのづから「磯ぎんちやく」の充滿した、嶮しい岩むらに變つてしまふ。空中に漂ふ海月(くらげ)の群。しかしそれも消えてしまひ、あとには小さい地球が一つ廣い暗の中にまはつてゐる。

 

         61

 

 廣い暗の中にまはつてゐる地球。地球はまはるのを緩めるのに從ひ、いつかオレンヂに變つてゐる。そこへナイフが一つ現れ、眞二つにオレンヂを截つてしまふ。白いオレンヂの截斷面(せつだんめん)は一本の磁針(じしん)を現してゐる。

 

         62

 

 彼等の上半身。「さん・せばすちあん」は船長にすがつたまま、ぢつと空中を見つめてゐる。何か狂人に近い表情。船長はやはり冷笑したまま、睫毛一つ動かさない。のみならず又マントルの中から髑髏(どくろ)を一つ出して見せる。

 

         63

 

 船長の手の上に載つた髑髏。髑髏の目からは火取蟲が一つひらひらと空中へ昇つて行く。それから又三つ、二つ、五つ。

 

         64

 

 前の洞穴の内部の空中。空中は前後左右に飛びかふ無數の火取蟲に充ち滿ちてゐる。

 

         65

 

 それ等の火取蟲の一つ。火取蟲は空中を飛んでゐるうちに一羽の鷲に變つてしまふ。

 

         66

 

 前の洞穴の内部。「さん・せばすちあん」はやはり船長にすがり、いつか目をつぶつてゐる。のみならず船長の腕を離れると、岩の上に倒れてしまふ。しかし又上半身を起し、もう一度船長の顏を見上げる。

 

         67

 

 岩の上に倒れてしまつた「さん・せばすちあん」の下半身。彼の手は體を支へながら、偶然岩の上の十字架を捉へる。始めは如何にも怯づ怯づと、それから又急にしつかりと。

 

         68

 

 十字架をかざした「さん・せばすちあん」の手。

 

         69

 

 後ろを向いた船長の上半身。船長は肩越しに何かを窺ひ、失望に滿ちた苦笑を浮べる。それから靜かに顋髯を撫でる。

 

         70

 

 前の洞穴の内部。船長はさつさと洞穴を出、薄明るい山みちを下(くだ)つて來る。從つて山みちの風景も次第に下へ移つて來る。船長の後ろからは猿が二匹。船長は樟の木の下へ來ると、ちよつと立ち止まつて帽をとり、誰か見えないものにお時宜をする。

 

         71

 

 前の洞穴の内部。但し今度も外部に面してゐる。しつかり十字架を握つたまま、岩の上に倒れてゐる「さん・せばすちあん」。洞穴の外部は徐ろに朝日の光を仄めかせはじめる。

 

         72

 

 斜めに上から見おろした岩の上の「さん・せばすちあん」の顏。彼の顏は頰の上へ徐ろに涙を流しはじめる、力のない朝日の光の中に。

 

         73

 

 前の山みち。朝日の光の落ちた山みちはおのづから又もとのやうに黑いテエブルに變つてしまふ。テエブルの左に並んでゐるのはスペイドの一や畫札ばかり。

 

         74

 

 朝日の光のさしこんだ部屋。主人は丁度戸をあけて誰かを送り出したばかりである。この部屋の隅のテエブルの上には酒の罎や酒杯やトランプなど。主人はテエブルの前に坐り、卷煙草に一本火をつける。それから大きい欠伸(あくび)をする。顋髯を生やした主人の顏は紅毛人の船長と變りはない。

(昭和二・三・七)

 

        *    *    *    *    *

 

 後記。「さん・せばすちあん」は傳説的色彩を帶びた唯一の日本の天主教徒である。

 浦川和三郎氏著「日本に於ける公教會の復活」第十八章參照。

 

 

 

□やぶちゃん注

         1

 

「天主教徒」キリシタンと同義。語源であるポルトガル語“christão”は英語の“Christian”で、原義から言えばキリスト教徒全般を指す語であるが、日本語として禁教であった「キリシタン」は禁教であったところのキリスト教最大の会派である“Roman Catholic Church”ローマン・カトリック教会の信者のみを指す。天主教という呼称は中国・朝鮮でのローマン・カトリック系会派の通称として現在も用いられ、日本でも大正期まではカトリックの信者に対して一般的に用いられた。

・「古暦」ここで芥川が活字化したものは「バスチャンの日繰り」と呼ばれる、バスチャンが伝えたとされる長崎外海(そとめ)・五島の隠れキリシタンに伝承されたカトリックの祝祭日を和暦に換算した教会暦である。「せばすちゃん」の注に示したページに片岡弥吉の「キリシタン殉教史」(559p)に正にズバリこの1634年の画像が引用されており、そのキャプションを孫引きすると、『バスチャンの日繰り。1634年の陰暦による教会ごよみ。18世紀までの教皇大勅書などに用いられた「告知暦年」に拠り,2月26日〔1634年の陰暦2月26日はグレゴリウス暦の3月25日「御告げ」(受胎告知)の祝日に当たる〕から起算していることが注目される。』とある。また、カトリック土井の浦小教区2001年9月発行の「からし種」第3号の『「バスチャンの日繰り」について』によれば、『隠れキリシタンの小集団を帳(元帳旧帳)というのは、この日繰りをお帳ということから起こり、日繰りを用いて祝日等を繰り出す役職のことを帳方と呼びその集団の最高の指導者でもあ』ったときす。岩波版新全集注解で三島譲氏は『キリストの生涯に行われた人類救済を記念する祭式を年間に配分するとともに、サンタ・マリアの生涯び重要事項と聖人たちの記念日も記した、一年を通じて信仰心を保つための典礼暦』と解説し、更に本篇の終わりに芥川が示している『浦川和三郎「日本に於ける公教会の復活」には』この「1」で芥川が示している『古暦と同じものが、附録として載せられている。』とある(私は未見)。

・「御出生來千六百三十四年」キリスト御生誕以来(=グレゴリオ暦=西暦)1634年。日本は寛永11年。

・「せばすちあん」伝説的日本人伝道師。生没年及び日本名不詳で、洗礼名バスチャンのみで知られる。佐賀藩深堀領であった平山郷布巻(現・長崎市布巻町)の生まれとされる。1610年頃にジワンという神父の弟子となって長崎各地を伝導したが、神父は帰国すると言って失踪(ジワン神父は後に前述の「日繰り」がどうしても出来ないバスチャンのために何処からともなく帰って来て彼に日繰り仕方を教えると再び海上を歩いて消えたとも言う)、1657年の郡(こおり)崩れで、600余のキリシタン断罪が行われ後、浦上・外海地方の隠れキリシタンを指導して長く山に隠れたが、遂に捕縛され長崎の牢で3年3ヶ月78回の拷問を受けて斬首された。上でも引用したカトリック土井の浦小教区2001年9月発行の「からし種」第3号の『「バスチャンの日繰り」について』によれば、『彼は処刑される前に四つの予言をしたと言われ』る。以下、そのまま引用すると、

[引用開始]

 Ⅰ お前達を七代迄は我が子と見なすが、後はアニマ(霊魂)の助かりは困難となる

 Ⅱ コンヘソーロ(告白を聞く神父)が大きな黒船に乗ってやってくる。毎週でもコンヒサン(告白)ができる。

 Ⅲ どこでも大声でキリシタンの歌を歌って歩ける時代が来る。

 Ⅳ 道でゼンチョウ(異教者)に出会うと先方が道を譲るようになる。

[引用終了]

であったという。『「バスチャンの日繰り」について』は『その後のキリシタン達はこの予言を大切に心に抱きながら大声でお祈りができる日を七代250年間待ち続け、遂にその七代目の時に予言の通りキリシタンが復活致しました。』が、しかし『告白も自由にでき、聖歌も大声で歌えるようになってから既に130年がたった今日、その子孫である私たちの信仰は一体、どうであろうか? 考えさせられるところです。』と結んでおられる。バスチャンの事蹟については、大魚正人氏のHP「聖母に出会った少女、ベルナデッタの歌」の中の「第8節 五島のキリシタンの故郷、外海(そとめ)・長崎」「第1項 七世代後の栄光を予言した、日本人伝道士バスチャン」に詳述を極め。先に記した通り、この1634年版「バスチャンの日繰り」るが、該当サイトが無断リンクを拒絶しているため、以下に同トップ・ページのアドレスを表示するに止める。

http://homepage3.nifty.com/oouo/index.htm

言わずもがなであるが、本篇「誘惑」の主人公は、この日本人伝道師バスチャンの物語である。――私は本篇に、

「聖セバスチャンの誘惑」

又は

「メフィストファレスと聖セバスチャン」

又は

「聖セバスチャンの信仰と殉教」

という画題をつけたい誘惑に駆られるのである――

・「二月。小」陰暦で、この年の二月が小の月であることを示す。一ヶ月が29日の月であることを言う。次の「三月。大」は、この年の三月は一ヶ月が30日の月であることを言う。但し、陰暦の一ヶ月は月の朔望に依るため、現在のように特定の月が小の月(29日の月)・大の月(30日の月)とが固定しているわけではないので注意。岩波版新全集注解で三島譲氏は「一ヶ月が二八日」としているが? 何じゃ、これは? なお、寛永11年は2月が小、3月が大の月であった(陰暦確認は個人HP「こよみのページ」の「(AD 1634)甲戌年 寛永11を用いた)。

・「さんたまりやの御つげの日」受胎告知の日。処女マリアに大天使ガブリエルが降誕し、マリアが聖霊によってイエスを身ごもることを告げた日、またはマリアがその事実を知ってそれを受け入れることを告げた出来事を言い、現在もカトリックを初めとしてグレゴリオ暦の325日を「お告げの祭日」とする。勿論、寛永11年2月26日は、正しくグレゴリオ暦で3月25日である(陰暦換算表は御用達の個人のHP「こよみのページ」の「(AD 1634)甲戌年 寛永11を用いた。以下同じ)。

・「どみいご」“domingo”ポルトガル語で「主日」(しゅじつ)・「主の日」の意。キリスト教での日曜日を指し、この曜日を主キリストの復活の日とする。安息日。勿論、寛永11年2月27日は、グレゴリオ暦で正しく「どみいご」=日曜日である。

・「ふらんしすこ」Francesco Paola1416?~1507)。フランシスコ・パオラ隠世修道士。イタリアのパオラ市生まれ。13歳でサン・マルコのフランシスコ会修道院に入り、イタリアの守護聖人にして会の創立者Francesco d'Assisiアッシジのフランチェスコ(1181or11821226)の教えに忠実に生きることを決意、修道院を出る。14年の間、隠棲して黙想と断食の厳しい苦行を積んだ。彼を慕う小人数の青年たちが集まり、修道会として公的に認められ、1493年には彼は「ミニモ会」(最も小さき者の会)の創立者となり、歴代国王の尊崇を受けて、カトリックの聖人に列せられている。彼の祝日はグレゴリオ暦4月2日である。勿論、寛永11年3月2日はグレゴリオ暦4月2日で正しく「どみいご」=日曜日である。因みに、フランシスコ・パオラが尊崇し、また我々のよく知る鳥と話が出来た聖人アッシジのフランチェスコはグレゴリオ暦の10月4日が祝祭日である。

 

         2

 

・「樟」双子葉植物綱クスノキ目クスノキ科ニッケイ属クスノキCinnamomum camphora。ウィキの「クス」から以下、引用する。『全体に特異な芳香を持つことから、「臭し(くすし)」が「クス」の語源となった。「薬(樟脳)の木」が語源とする説もある。またそのことや防虫効果から元来虫除け(魔除け:アジア圏では古来から虫(蟲)は寄生虫や病原菌などの病魔を媒介すると考えられていた)に使われたくす玉(楠玉)の語源であるという説もある。材や根を水蒸気蒸留し樟脳を得る。そのため古くからクスノキ葉や煙は防虫剤、鎮痛剤として用いられ、作業の際にクスノキを携帯していたという記録もある。また、その防虫効果があり、巨材が得られるため家具や仏像などにも広く使われていた。』『容易に巨材が得られ、虫害や腐敗に強いため、古代の西日本では丸木舟の材料として重宝されていた。大阪湾沿岸からは、クスノキの大木を数本分連結し、舷側板を取り付けた古墳時代の舟が何艘も出土している。その様は、古事記の「仁徳記」に登場するクスノキ製の快速船「枯野」の逸話からもうかがうことができる。』また、クスには特異な性質として「ダニ室」が挙げられ、それについて以下の記載がなされる。『クスノキの葉に2つずつ存在するダニ室にはクスノキにとって無害なフシダニの一種が生息している。ダニ室で増殖したフシダニは少しずつダニ室の外に溢れ、これをダニ室には侵入できないサイズの捕食性のダニが捕食することでクスノキの樹上には常にフシダニ捕食性のダニが一定密度で維持されている。このダニ室を人為的に塞いでダニ室のフシダニやこれを捕食する捕食性のダニを排除すると、クスノキにとって有害な虫えいを形成するフシダニが増殖し、多くの葉がこぶだらけになることが知られている。従って、クスノキの葉のダニ室はクスノキに病変を引き起こすフシダニの天敵の維持に役立っていると考えられている。』

 

         3

 

・「尻つ尾の長い猿」猿は後出する夜行性の蝙蝠や梟、獣の脚を持つものやスフインクス同様、キリスト教ではしばしば、不吉なもの、悪魔の手下や化身として修行する修道僧の前に現れて邪魔をする。ルターが聖書のドイツ語訳をしたヴァルトブルク城をおとずれた時、彼の部屋のドアの上に猿のミニチュアが掛けられていたのを思い出す。

 

         19

 

・『「さん・せばすちあん」に似た婆さんが一人片手に絲車をまはしながら、片手に實のなつた櫻の枝を持ち、二三歳の子供を遊ばせてゐる。子供も亦彼の子に違ひない。が、家の内部は勿論、彼等もやはり霧のやうに長方形の窓を突きぬけてしまふ。今度見えるのは家の後ろの畠。畠には四十に近い女が一人せつせと穗麥を刈り干してゐる。』これは「さん・せばすちあん」の母と妻と子の幻影であるが、先の大魚正人氏のページの記述を見ると、「さん・せばすちあん」は深堀にあった教会の門番であったという伝承があるとし、彼に所縁の牧野岳の上里地区には「バスチャン屋敷」・「バスチャン川」やバスチャンの妻が糸を繰ったという「ぬのまき平」があるとあり、隠れていた山で夕餉の炊飯の煙から知られて拘引される途中、とある道端で妻と逢うが、互いに目配せをしたのが今生の別れとなったともある。こうした伝承を芥川が再構成したシークエンスである。

 

         26

 

・「マントル」英語の“mantle”。袖なしの外套。マント。

 

         27

 

・「分度器」ここで芥川が言っているのは、我々の言うコンパスであろうと思われる。但し、コンパスは「ぶんまわし」「両脚器」「円規」等とは言うが、分度器とは言わない。

 

        30

 

・「ピストル」これはキューブリックの「2001年宇宙の旅」の無意識的淵源である。これと以下の32の「四つ折りにした東京××新聞」によって、本篇が当代の、軍国主義化してゆく日本の現実の物語として強烈に寓話化されてゆく。

 

         38

 

・「或露西亞人の半身像」レーニンか。彼は本篇に先立つ3年前、1924年に死去している。

 

         39

 

・「表現派の畫に似た」これは恐らく32の「四つ折りにした東京××新聞」に既に暗示されているシーンクエンスである。芥川の言う「表現派」は、「ドイツ表現主義」を意味している。この20世紀初頭にドイツに起こったこの芸術運動は、社会的現実や生活の中で目を瞑りたくなる矛盾を殊更に抉り出した。彼らに最も影響力を持ったものは芥川が好んだファン・ゴッホであり、特に映画芸術での日本への紹介が著しかった。それは主題の難解な抽象化表現に止まらず、装置・メーキャップ・演技・モンタージュ手法に及び、その最たるものが1920年に制作されたRobert Wieneローベルト・ヴィーネ監督のドイツのサイレント映画の傑作“Das Kabinett des Doktor Caligari”(カリガリ博士の櫃 邦題「カリガリ博士」)である。私は、芥川龍之介は、この映画から本篇のこの望遠鏡のシークエンス群(特にこの「39」)の着想を得たものと推測する。芥川が本作を見たという明らかな記録はないが、三島譲氏は岩波版新全集第十四巻の芥川龍之介の「文藝雜談」(昭和2(1927)年1月発行の『文藝春秋』初出)の注解「表現主義の映画」で、芥川が「カリガリ博士」を見た痕跡がある、と述べておられる。

 

         43

 

・「二時三十分」これは丑満つ時を指している。

 

         53

 

・「橄欖」双子葉植物綱ゴマノハグサ目モクセイ科オリーブOlea europea の和名。

・「三十枚の銀」イスカリオテのユダは、「マタイによる福音書」によれば、祭司長たちにイエスを銀貨三十枚で売ることを約束し、イエスへの裏切りの後、その後、自身の行いを悔い、三十枚の銀貨を神殿に投げ込み、イエスを返せと言い、縊死した。

・「猥褻な形をした手だの」私にはこの手の形象が殊の外に気になる。これは「あれ」か?――識者の御教授を乞う。この注をすっきりと付けた時、きっと僕の憂鬱は完成するのだ――

 

・『浦川和三郎氏著「日本に於ける公教會の復活」第十八章』浦川和三郎(明治9(1876)年~昭和30 1955)年)は本邦のカトリック司祭。長崎大浦天主堂主任司祭・長崎公教神学校長・仙台司教を歴任、キリシタン研究者として著名。「五島キリシタン史」「東北キリシタン史」等。この「日本に於ける公教會の復活」については、三島譲氏の岩波版新全集注解に「日本に於ける公教會の復活・前編」として、大正8(1919)年5月1日天主堂刊行で、『これは浦川が長崎大浦天主堂主をしていた時の著作であり、その「第十八章 九州各地に於ける昔の切支丹」に「バスチャンの伝説」が載せられている。』とある。

 

・「(昭和二・三・七)」この頃、既に芥川龍之介は「この頃又半透明なる齒車あまた右の目の視野に廻轉する」(同年7月28日附齋藤茂吉宛書簡)ようになっていた。芥川の受難曲「齒車」の世界の軋りが、既に始まっていたのである……。

 

――このテクストを打ち終へた九月二十一日二時三十分――さつき確かにこの書齋にあつてスリツパで荒俣宏の「世界大博物圖鑑 蟲類」の脇に叩き潰し黄色い肚(きも)が露出した筈のゴキブリが今は影も形も消えてゐるのだつた。僕はこれから寢るのだけれど……あれはきつと「この」猿だ……誰(たれ)かあの肚を引き摺つた奴が僕の口に登つてMk.3フアツトマンに變身して浦上天主堂となった僕の口の上で炸裂しようとするのを……ぢつと見張つてゐてはくれまいか――