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То, чего не было Всеволод Михайлович Гаршин
夢がたり
――フセヴォーロド・ガルシン 神西清訳
[やぶちゃん注:これは
Всеволод Михайлович Гаршин(Vsevolod Mikhhajilpvich Garshin)
“То, чего не было”(To, chevo ne bylo)
1882 年に発表されたフセヴォーロド・ミハイロヴィチ・ガルシンの短篇童話「夢がたり」の全訳である。底本は岩波文庫1959年刊の「あかい花 他四篇」神西清訳(本書は新字新仮名版)を用いた。ルビの拗音と思われる部分(本書は旧来のルビ・システムで拗音表記がなく同ポイント活字を用いている)は拗音表記にした。なお、冒頭に現れる「列氏で二十八度」の「列氏」とはレオミュール度(échelle Réaumur)で、列氏温度ともいう。1730年にフランスの物理学者ルネ・レオミュールが作った温度表示のスケールで、水の凝固点を0゜Ré、沸点を80゜Ré(=摂氏100℃)として、その間を80等分したものであるが、現在は使われていない。我々の摂氏に直すと35℃である。なお、「列氏」という漢語はレオミュールの中国語音訳「列奥米爾」に由来する。ちなみに言っておくと、我々が通常に使用する「摂氏」はスウェーデンの天文学者アンデルス・セルシウスAnders Celsiusが1742年に考案したもので、セルシウスの中国語音訳「摂爾修」から、また欧米で一般的な「華氏」(水の凝固点を32°F、沸点を212°Fとして、その間を180等分)は、ドイツの物理学者ガブリエル・ダニエル・ファーレンハイトGabriel Daniel Fahrenheitが1724年に考案、ファーレンハイトの中国語音訳「華倫海特」から採られたものである。【2008年10月12日】]
夢がたり
六月のある素晴らしい日のこと、ただし素晴らしいと月並みなお断りをしたのは、列氏で二十八度という温度だったからですが――その素晴らしい六月のある午後のこと、どこもかしこもきびしい暑さでした。なかでもつい四五日まえに刈り入れの済んだ乾草が、禾堆(いなむら)をなして並んでいる庭の草場は、またひとしおの暑さでありました。というのはその場所が、茂りに茂った桜畑で、風上をさえぎられていたからなのです。生きとし生けるものは、たいてい寝入っておりました。人間どもはどっさり御飯をつめ込んで、昼寝の夢をむさぼっていましたし、小鳥も鳴りをひそめていますし、昆虫(こんちゅう)たちもたいていは日ざしを避けて、どこかへもぐり込んでいたほどでした。家畜のことは申すまでもありません。大きな家畜も小さな家畜も、みんな軒下(のきした)にかくれておりました。犬はどうかと言いますと、穀倉の下に穴を掘って、その中に寝そべって、半ば眼を閉じたまんま、一尺あまりもありそうな桃色の舌を吐きだして、しきりにハアハアいっておりました。ときどき犬は、このうだるような暑気のもよおす物憂さにたえかねてでありましょう、のどの奥からキューンと妙な音が出るほどの、大きなあくびをするのでありました。豚はどうかといいますと、お母さんが総勢すぐって十三匹の子豚を引きつれて、小川の岸へおりて行って、ぶくぶくした黒い泥んこの中にうずくまってしまいましたので、泥の中から見えるものといったら、ブウブウグウグウ鳴っている小さな穴が二つずつあいている豚の鼻づらと、泥んこになった細長い背中と、それにたれ下がっているみっともないほど大きな耳だけでありました。ただ鶏だけは、暑さにもめげずに、台所の登り口の下のからからにかわいた地面を、しきりにあしでほじくりながら、どうにか時間つぶしをしていましたけれど、そこにはもう鶏たちも先刻ご承知のとおり、穀粒ひとつだって残ってはいないのです。とは知りながらも、雄鶏(おんどり)はときどき何か癪(しゃく)にさわることがあると見えます。その証拠には、雄鶏はときどき間の抜けた様子をして、のどもさけよと叫び立てるのでした、――『結構(ケッコウ)ドコロジャアリャシナーイ!!』
おや、いつの間にか私たちは、あの一ばん暑さのきぴしい草場を離れて遠くへ来てしまいましたが、実はその草場には、昼寝もせずにいるお歴々が、車座になってすわっていたのでした。といってもみんながみんなすわっていたわけではありません。たとえば年寄りの栗毛(くりげ)などは、馭者(ぎょしゃ)のアントソのむちを横っ腹へ食らいはしまいかとたえずびくびくしながら、乾草の山をかき分けているのですが、これは馬のことですから、もともとすわるなんて芸当はできないのです。またゆくゆくは何かの蝶(ちょう)になる毛虫も、やはりすわっているのではなく、まあ腹んばいになっている方でした。でも言葉の穿鑿(せんさく)なんぞはどうでもよろしい。とにかく桜の木陰に、小人数ではありますが、たいへんまじめな会合が開かれていたのでありました。かたつむりもいれば、くそ虫もいます。とかげもいれば、いま言った毛虫もいます。こおろぎも駆けつけて来ました。かたわらには年寄りの栗毛までがたたずんで、ねずみ色の耳毛が中から勢いよくはえている大きな片耳を、 一座の方へそばだてながら、連中の演説をじっと聞いておりました。その背中には、はえが二匹とまっておりました。
さて一座の面々は、言葉こそ鄭重ではありましたが、それでもかなり活気のある議論を戦わしておりました。かつまた、こうした場合のご多聞に漏れず、だれ一人として相手の意見に賛成するものはありませんでした。てんでに自分たち独特の考え方や気質によって、勝手な熱をあげていたからであります。
「私に言わせると」と、くそ虫が申しました、「いやしくも道をわきまえた動物は、まず何よりも子孫のことに思いをいたすべきです。生活は来たるべき世代のための労働なのである。こうした自覚をいだいて、大自然がおのれに課し与えた義務を果たそうとする者こそ、確乎たる地盤のうえに立つ者と言うべきであります。けだし彼はおのれの分を知るがゆえに、たとえ何事が起ころうと、彼は責任を問わるべきではないからであります。この私をご覧なさい、私はどよく働く者がほかにありますか? そもそもだれが日がな一日、息をつく暇もなしに、あのように重い団子を――すなわち、やがて生まるべき私同様のくそ虫たちが、すくすくと生長しうるようにとの大目的をもって、くそを材料に私がかくも手ぎわよく作りあげた団子を、せっせところがしているでありましょうか? しかもその代わり私は、やがてこの世に新しいくそ虫が生まれ出るとき、『しかり、わが輩はなしうるところのものを、またなすべかりしところのものを、ことごとくなしとげたのだ』と私が言うであろうように、かくも平らかなる良心をもって、また一点の曇りなき衷情をもって、言い切れる者が他にあろうとも思わないのであります。諸君、労働とは実にかくのごときものであります!」
「おっと兄弟、そう労働労働と大きな口をめったにきいてはもらいますまいぜ!」と、ちょうどくそ虫の演説のとき、丸太ほどもある枯れ草の茎の切れっぱしを、暑さにもめげず引きずっていた一匹の蟻が、そう申しました。蟻はちょっと立ち止まって、四本の後脚で地面にすわり、やつれた顔にしたたる汗を、二本の前脚でふきました。――「僕だって、そら、この通り労働はするんだぜ。それもお前さんなんかより働きは激しいくらいだ! それにお前さんは自分のために働くんだろう、でないまでも結局はお前さんの子孫のためだろう。ところがみんながみんな、そんな果報者じゃないんだぜ。……物はためしだ、まあお前さんもこの僕みたいに、お上の御用で丸太ん棒を引きずって見るがいいや。こんな暑さの中でまで、精も根もつき果てるほど働いていながら、さてどこのどいつが僕をこうまでこき使うのやら、僕は自分でも知らないのさ。いくら働いてやったところで、ありがとう一つ言っちゃもらえないんだ。僕たち不仕合わせな働き蟻というものは、みんなこうして働いてるんだが、僕たちの暮らしがそれで少しでもよくなるかい? みんな背負って生まれた運命なのさ!……」
「くそ虫さん、あんたみたいに人生をみちや、あんまり無味乾燥というものですよ。だが蟻さんも、人生をあまり暗く考え過ぎますねえ」と、こおろぎが二人に反対しました、「そんなもんじゃありませんよ、くそ虫さん、僕はこうしてコロコロ啼(な)いたり、はね回ったりするのが大好きですが、それでいっこう平気ですよ! べつに気がとがめたりはしませんよ! それにまたあなたは、さっきとかげの奥さんが提出なすった問題に、ちっとも触れなかったじゃありませんか。奥さんは、『世界とは何でしょう』とお尋ねだったのですよ。だのに自分のお団子の話をするなんて、それじゃむしろ失礼と言うもんじゃありませんか。世界とは――世界というものは、僕に言わせると、こうして僕らのために若草があり、太陽があり、そよそよ風がある以上、すこぶる結構なものだと思いますね。それにまた実に大きなものですよ! あんたなどは、こうしてこの木とあの木のあいだを天地として暮らしておられるから、世界がどれほど大きなものかということについては、とても理解が行くはずはありませんよ。僕はよく耕地へ行って見ますがね、そこでときどき、思いっきり高くとびあがって見るんです。そして正直な話が、とても高いとこまでとびあがれるんですがね、その高みから見渡すと、つくづく世界には際限がないと思いますねえ。」
「まったくその通りじゃ」と、分別顔で栗毛の馬が相槌(あいづち)をうちました、「とはいうもののお前さんたちはみんな、わしがこの歳までに見て来たものの、百に一つも見られはせんのじゃよ。お気の毒じゃがお前さんたちには、一露里がどんなものじゃやら見当がつくまい。……ここから一露里行ったところには、ルパーレフカという村がある。わしは毎日その村へ水をくみに、たるを背負って出かけるのだ。だがあの村じゃ一ぺんだって飼料(かいば)をくれたことがないな。それからまた別の方角には、エフィーモフカだのキスリャーコフカだのという村がある。このあとの方には教会というものがあってな、鐘がころんころんと鳴っておる。その先はスヴヤト・トローイツコエ村、またその先はポゴヤーヴレンスクじゃ。ポゴヤーヴレンスクでは、行くたんびに乾草をくれるが、あすこの乾草は風味がよくない。だがほれ、ニコラーエフへ行くと――これはここから二十八露里もある町じゃがな、あすこの乾草はなかなかええし、それに燕麦(えんばく)の御馳走(ごちそう)も出るのじゃ。ただどうもあそこへ行くのがいやでならんというのは、あの町へ行くときは旦那を馬車に乗っけて行くのでな、馭者(ぎょしゃ)というものが旦那の言いつけでわしらを駆り立てるのじゃ。いやその馭者の振りおろすむちの痛いのなんのって……。まだそのほかに、アレクサンドロフカ、ベロジョールカなどいう村もあるし、ヘルソーンというのもある――これも町じゃ。……じゃがせっかくこうして話して聞かせても、お前がたにはさっぱりわけがわかるまいて!……世界というものはまずこうした物じゃ。それで全部とは行かぬにしても、まあま、とにかく大部分じゃよ。」
そう言って栗毛は口をつぐみましたが、下くちびるだけはまだもぐもぐと動いていて、まるで何かつぶやいているようでありました。それは寄る年波のせいだったのです。何しろもう十七歳でしたし、馬の十七といえは人間の七十七も同じことですから。
「せっかくの馬さんのお話ですが、私にはなんのことやらちんぷんかんぷんですわ。それにまた正直のところ、別にわかりたいとも思いませんの」とかたつむりが申しました、「私はごぼうさえあれは結構なんですが、ありがたいことにごぼうは充分ありますのよ。だってこれでもう四日もはっていますけど、まだ頂ける葉が尽きはいたしませんものね。このごぼうの向こうにはまたごぼうがはえていなすわ。そのごぼうのうえには、きっとまたかたつむりがとまっているんでしょうよ。私の申しあげたいのはこれだけですわ。上へだって下へだって、はねることなんかいっさい無用ですわ――そんな事はみんな、くだらない、いいかげんなうそっぱちですわ。お行儀よく葉のうえにすわって、その葉を食べていればいいんですわ。ああ、はうのさえ面倒でなかったら、とっくにあなたがたのところは御免をこうむっているのにねえ。そんなお話を伺っていると頭痛がして来ますわ。頭痛がして来るだけですわ。」
「いや、お話中ですが、それはまたなぜですね?」と、こおろぎがさえぎりました、「しやベるということはことにそれが永遠だとかなんだとか、まあそういったたぐいの立派な題目に関する場合、じつに愉快なことじゃありませんか。そりゃもちろん、世帯じみた生まれつきというものもあります。その連中はただもう、いかにしてお腹(なか)をくちくするかということばかり、くよくよしているんです。たとえばあなただとか、またそこにおられるあでやかな毛虫さんみたいにね。……」
「あら、いけませんわ、私をおかまいになっちゃいけませんわ。お願いですからそっとして置いてちょうだい、かまわないでちょうだい!」と、毛虫は哀れっぽい声で叫びました、「私がこうして葉っぱをいただくのは、未来の生活のためなんですもの。ただただ未来の生活のためなんですもの。」
「未来の生活のためとかお言いだが、この先まだどんな生活があるのかね?」と、栗毛の馬がたずねました。
「まあおじさん、あんたは知らないの、私が一ぺん死んで、だんだらのきれいな羽をした蝶々になって生まれ変わることをさ?」
栗毛もとかげもまたかたつむりも、そうとは知らずにいたのですが、昆虫たちはどうにか知ってだけはおりました。そこで一座の話はしばらくとだえました。だれ一人として、未来の生活について条理(すじみち)の立った文句の言える者がなかったからでありました。
「確乎たる信念には、よろしく敬意を払うべきですな」――やがてこおろぎが、コロコロ申しました、「まだ何かおっしゃりたい方はありませんか? あなた一ついかがです?」と、こおろぎが二匹のはえに向かって申しましたので、年上の方がこう答えました。
「私どもは、べつに不仕合わせな暮らしをして参ったとも申せませんわ。私どもは今しがた、お邸(やしき)の部屋から出て参りましたの。ちょうど奥様がジャムをたくさん煮て、洗い鉢に分けていらしたので、私どもはふたの下へもぐり込んで、どっさりちょうだいしましたわ。私どもは何の不足もございません。お母さんはジャムに脚をとられてしまいましたけど、今さらどうしようもありませんわ。それにお母さんはもうずいぶんと長生きをしたんですものね。とにかく私どもは何の不足もございませんわ。」
「皆さん」ととかげが申しました、「あたくしは、皆さんのおっしやることは一々ごもっともだと存じます! しかしまた、一面から申しますと……。」
けれどとかげは、一面から言うとどうなるのか、その先はとうとう言わずじまいになりました。なぜといって、そのとき不意に何ものかが、彼女の尻尾をぎゆつと地面へ押しっけたのを、感じたからでありました。
それは昼寝の夢からさめた馭者のアントンが、栗毛を迎えにやって来たのでありました。アントンが大きな長靴で、その会合の席へ踏み込んで、一座の者を押しつぶしてしまったのでありました。無事だったのは二匹のはえだけで、これはジャムだらけになって死んでしまった母親のからだをしゃぶりに、さっさと飛んで行きましたし、一ぽうとかげは命からがら、尾をちょん切られたままで逃げ出しました。アントンは栗毛のたてがみをつかまえて、庭から引き出して行きました。それはたるをつけて水をくみに行くためでした。道々アントンは、『ドオドてばよお、ええ、このよぼよぼのやせ馬め!』と口小言をいうのでしたが、栗毛はその返事にただもぐもぐと口を動かすだけでした。
さてあのとかげは、尾なしのとかげになりました。もっとも二三週間すると、尻尾がまたはえはしましたが、はえた尾はいつまでたっても変に先っぽのとんがっていない、黒っぼい尻尾でありました。でとかげは、いったいどうして尻尾にけがをしたのかと尋ねられますと、小さくなってこう答えるのでありました。
「あたくしは自分の信念を述べようと決心したばかりに、こうしてちょん切られてしまいましたの。」
まったくとかげのいう通りでした。