保吉の手帳 芥川龍之介
[やぶちゃん注:大正12(1923)年5月発行の雑誌『改造』に掲載された。後に、『黃雀風』『芥川龍之介集』に「保吉の手帳から」という題に改められて所収された。底本として、岩波版旧全集の「保吉の手帳から」(基本的に『黃雀風』を底本として初出以下と校合したもの)を参照しながら、その巻末注記にある校異に従って、『改造』掲載時の初出形「保吉の手帳」を復元した。勿論、「保吉の手帳から」との異同も後注で示した(表現上「保吉の手帳から」を「底本」と呼ばせてもらった。違和感があると思われるが、御容赦頂きたい)。但し、『改造』の当該号をもとにしたのではないので、正式な復元とは言えない。たとえば、作業過程で判明した疑問点を挙げれば、初出ではすべての拗促音が大文字表記であったと思われる節がある。底本の参照とした「保吉の手帳から」は総ルビであるが(注記の初出の記載部分はすべてルビなしである)、読みの振れるもののみのパラルビとした。最後に、同じく岩波版旧全集第十二巻所収の「保吉の手帳から」の草稿(完成稿との一致は全く見られない)を挙げた。なお、岩波版新全集では、直接原稿に拠った校訂が行われているが、「一 拝謁」「一 式」の順で掲げ、ここに掲げた冒頭の1~14のナンバーが振られた構想メモ及び「紙幣」の稿が存在しない。これらは新全集では第二十一巻に『「保吉の手帳」ノート』、及び、同じ保吉物の一つである「十圓札」(大正13年9月発行の『改造』掲載)の草稿として『十円札」草稿』の名で別掲されてある(これは新全集が底本(写真版及び図譜)にしたものが異なるからで、書誌的に見ても、新全集の処理の方が正確であるようには思われる)。更に付け加えるならば、私はこの草稿の底本本文の「・」は、その振り方から見ても、底本親本の編者による未完結を示す安易冗長な記号であるとしか思われず、省略すべきものと思う。その証拠に、新全集第二十一巻に所収する幾多の草稿の(本作は勿論、当然)未完結部分には、このような異常に長い「・」文字列は、どこにもないのである。しかし、底本と名打った以上、同じ「・」の数を打ってはおいた。【2007年1月31日及び2007年2月11日作成】【2018年3月10日追記:この注での私の考証・表現の不備を訂し、さらに、再度、校訂して一部の表記ミスを直した。また草稿類の新全集との異同を詳細注記した。 藪野直史】]
保吉の手帳
堀川保吉は東京の人である。二十五歳から二七歳迄、或地方の海軍の學校に二年ばかり奉職した。以下數篇の小品はこの間の見聞を錄したものである。保吉の手帳と題したのは實際小さいノオト・ブツクに、その時時の見聞を書きとめて置いたからに外ならない。
わん
或冬の日の暮、保吉は薄汚いレストランの二階に脂臭い燒パンを齧つてゐた。彼のテエブルの前にあるのは龜裂(ひゞ)の入つた白壁だつた。其處には又斜(はす)かひに、「ホット(あたたかい)サンドウヰッチもあります」[やぶちゃん注:この(あたたかい)はルビではない。]と書いた、細長い紙が貼りつけてあつた。(これを彼の同僚の一人は「ほつと暖いサンドウヰッチ」と読み、真面目に不思議がつたものである。)それから左は下へ降りる階段、右は直(すぐ)に硝子窓(がらすまど)だつた。彼は燒パンを齧りながら、時々ぼんやり窓の外を眺めた。窓の外には往來の向うに亞鉛屋根(とたんやね)の古著屋が一軒、職工用の靑服(あをふく)だのカアキ色のマントだのをぶら下げてゐた。
その夜(よ)學校には六時半から、英語會が開かれる筈になつてゐた。それへ出席する義務のあつた彼はこの町に住んでゐない關係上、厭でも放課後六時半迄はこんなところにゐるより仕かたはなかつた。確か土岐哀果氏の歌に、――間違つたならば御免なさい。――「遠く來てこの糞のよなビフテキをかじらねばならず妻よ妻よ戀し」と云ふのがある[やぶちゃん注:大正二(一九一三)年十月刊の歌集「佇みて」の一首であるが、保吉の虞れた通り、間違っている。「遠く來てこの糞のよなビフテキをかじらんとする妻よ妻よ戀し」。]。彼は此處へ來る度に、必ずこの歌を思ひ出した。尤も戀しがるはずの妻はまだ貰つてはいなかつた。しかし古着屋の店を眺め、脂臭い燒パンをかじり、「ホット(あたたかい)サンドウヰッチ」を見ると、「妻よ妻よ戀し」と云ふ言葉はおのづから脣に上(のぼ)つて來るのだつた。
保吉はこの間も彼の後ろに、若い海軍の武官が二人、麥酒(ビール)を飮んでゐるのに氣がついてゐた。その中の一人は見覺えのある同じ學校の主計官だつた。武官に馴染みの薄い彼はこの人の名前を知らなかつた。いや、名前ばかりではない。少尉級か中尉級かも知らなかつた。唯彼の知つてゐるのは月々の給金を貰ふ時に、この人の手を經(へ)ると云ふことだけだつた。もう一人は全然知らなかつた。二人は麥酒の代りをする度に、「こら」とか「おい」とか云ふ言葉を使つた。女中はそれでも厭な顏をせずに、兩手にコツプを持ちながら、まめに階段を上(のぼ)り下(お)りした。その癖保吉のテエブルへは紅茶を一杯賴んでも容易に持つて來てはくれなかつた。これは此處に限つたことではない。この町のカフエやレストランは何處へ行つても同じことだつた。
二人は麥酒を飮みながら、何か大聲に話してゐた。保吉は勿論その話に耳を貸してゐた譯ではなかつた。が、ふと彼を驚かしたのは、「わんと云へ」と云ふ言葉だつた。彼は犬を好まなかつた。犬を好まない文學者にゲエテとストリントベルグとを數へることを愉快に思つてゐる一人だつた。だからこの言葉を耳にした時、彼はこんなところに飼つてゐ勝ちな、大きい西洋犬(いぬ)を想像した。同時にそれが彼の後ろにうろついてゐさうな無氣味さを感じた。
彼はそつと後ろを見た。が、其處には仕合せと犬らしいものは見えなかつた。唯あの主計官が窓の外を見ながら、にやにや笑つてゐるばかりだつた。保吉は多分犬のゐるのは窓の下だらうと推察した。しかし何だか變な氣がした。すると主計官はもう一度、「わんと云へ。おい、わんと云へ」と云つた。保吉は少し體(からだ)を扭(ね)じ曲げ、向うの窓の下を覗いて見た。まづ彼の目にはひつたのは何とか正宗の廣告を兼ねた、まだ火のともらない軒燈だつた。それから卷いてある日除けだつた。それから麥酒樽(ビールだる)の天水桶の上に乾し忘れた儘の爪革(つまかは)[やぶちゃん注:雨や泥などで汚れるのを避ける目的で下駄の爪先(つまさき)に蔽うようにつける装具。]だつた。それから、往來の水たまりだつた。それから、――あとは何だつたにせよ、何處にも犬の影は見なかつた。その代りに十二三の乞食が一人、二階の窓を見上げながら、寒さうに立つてゐる姿が見えた。
「わんと云へ。わんと云はんか!」
主計官は又かう呼びかけた。その言葉には何か乞食の心を支配する力があるらしかつた。乞食は殆ど夢遊病者のやうに、目はやはり上を見た儘、一二步窓の下へ步み寄つた。保吉はやつと人の惡い主計官の惡戲(あくぎ)を發見した。惡戲?――或は惡戲ではなかつたかも知れない。なかつたとすれば實驗である。人間は何處迄口腹(こうふく)のために、自己の尊嚴を犧牲にするか?――と云ふことに關する實驗である。保吉自身の考へによると、これは何も今更のやうに實驗などすべき問題ではない。エサウは燒肉のために長子權を抛(なげう)ち[やぶちゃん注:旧約聖書「創世記」に登場するイサクとリベカの子。イスラエルの民の先祖となるヤコブの双生の兄であったが、ある時、空腹のあまり、弟ヤコブの料理していた食べ物(龍之介は「燒肉」とするが、レンズ豆のスープ一杯)を乞い、代わりに長子としての権利を弟ヤコブに譲る約束をしてしまう。]、保吉はパンの爲に教師になつた。かう云ふ事實を見れば足りることである。が、あの實驗心理學者は中中こんなこと位(ぐらゐ)では研究心の滿足を感ぜぬのであらう。それならば今日生徒に教へた、De gustibus non est disputandum である[やぶちゃん注:ラテン語の諺で「食べるという趣味(食物の味や好み・味わうということ)については議論しても始まらない」の意。]。蓼食ふ蟲も好き好きである。實驗したければして見るが好(い)い。――保吉はさう思ひながら、窓の下の乞食を眺めてゐた。
主計官は少時(しばらく)默つてゐた。すると乞食は落着かなさうに、往來の前後を見まはし始めた。犬の眞似をすることには格別異存はないにしても、さすがにあたりの人目だけは憚つてゐるのに違ひなかつた。が、その目の定まらない内に、主計官は窓の外へ赤い顏を出しながら、今度は何か振つて見せた。
「わんと云へ。わんと云へばこれをやるぞ。」
乞食の顏は一瞬間、物欲しさに燃え立つやうだつた。保吉は時時乞食と云ふものにロマンティツクな興味を感じてゐたが、憐憫とか同情とかは一度も感じたことはなかつた。[やぶちゃん後注]もし感じたと云ふものがあれば、莫迦か譃(うそ)つきかだとも信じてゐた。しかし今その子供の乞食が頸を少し反らせた儘、目を輝かせてゐるのを見ると、ちよいといぢらしい心もちがした。但しこの「ちよいと」と云ふのは懸け値のないちよいとである。保吉はいぢらしいと思ふよりも、寧ろさう云ふ乞食の姿にレムブラント風の効果を愛してゐた。
「云はんか? おい、わんと云ふんだ。」
乞食は顏をしかめるやうにした。
「わん。」
聲は如何にもかすかだつた。
「もつと大きく。」
「わん。わん。」
乞食はとうとう二聲(ふたこゑ)鳴いた。と思ふと窓の外へネエベル・オレンジが一つ落ちた。――その先はもう書かずとも好(い)い。乞食は勿論オレンジに飛びつき、主計官は勿論笑つたのである。
それから一週間ばかりたつた後(のち)、保吉は又月給日に主計部へ月給を貰ひに行つた。あの主計官は忙しさうにあちらの帳簿を開いたり、こちらの書類を擴げたりしてゐた。それが彼の顏を見ると、「俸給ですね」と一言(ひとこと)云つた。彼も「さうです」と一言答えた。が、主計官は用が多いのか、容易に月給を渡さなかつた。のみならずしまひには彼の前へ軍服の尻を向けた儘、いつまでも算盤を彈いてゐた。
「主計官。」
保吉は少時(しばらく)待たされた後(のち)、懇願するやうにかう云つた。主計官は肩越しにこちらを向いた。その脣には明らかに「直(すぐ)です」と云ふ言葉が出かかつてゐた。しかし彼はそれよりも先に、ちやんと仕上げをした言葉を繼いだ。
「主計官。わんと云ひませうか? え、主計官。」
保吉の信ずるところによれば、さう云つた時の彼の聲は天使よりも優しい位(くらゐ)だつた。
■やぶちゃん後注
[底本では「保吉は時時乞食と云ふものにロマンティツクな興味を感じてゐた。が、憐憫とか同情とかは一度も感じたことはなかつた。」となっている。]
西洋人
この學校へは西洋人が二人、會話や英作文を教へに來てゐた。一人はタウンゼンドと云ふ英吉利人(イギリスじん)、もう一人はスタアレットと云ふ亞米利加人(アメリカじん)だつた。
タウンゼンド氏は頭の禿げた、日本語の旨い好々爺だつた。由來西洋人の教師と云ふものはいかなる俗物にも關らずシエクスピイアとかゲエテとかを喋々(てひてふ)[やぶちゃん注:頻りに得意気に喋(しゃべ)ること。]してやまないものである。しかし幸ひにタウンゼンド氏は文藝の文の字もわかつたとは云はない。いつかウワアズワアスの話が出たら、「詩と云ふものは全然わからぬ。ウワアズワアスなども何處が好(よ)いのだらう」と云つた。
保吉はこのタウンゼンド氏と同じ避暑地[やぶちゃん注:鎌倉。]に住んでゐたから、學校の往復にも同じ汽車に乘つた。汽車は彼是三十分ばかりかかる。二人はその汽車の中にグラスゴオのパイプを啣(くは)へながら、煙草の話だの學校の話だの幽靈の話だのを交換した。セオソフィスト[やぶちゃん注:theosophist。神智学者。神秘的直観や思弁・幻視・瞑想・啓示などを通して、神と直接に結びついた神聖な知識の獲得や、高度な認識界に到達することを第一義とする神秘学(オカルト・サイエンス)者。]たるタウンゼンド氏はハムレットに興味を持たないにしても、ハムレツトの親父の幽靈には興味を持つてゐたからである。しかし魔術とか鍊金術とか、occult sciences の話になると、氏は必ずもの悲(かな)しさうに頭とパイプとを一しよに振りながら、「神祕の扉は俗人の思ふ程、開き難(がた)いものではない。寧ろその恐しい所以(ゆゑん)は容易に閉ぢ難いところにある。ああ云ふものには手を觸れぬが好(よ)い」と云つた。
もう一人のスタアレット氏はずつと若い洒落者だつた。冬は暗綠色のオオヴア・コートに赤い襟卷などを卷きつけて來た。この人はタウンゼンド氏に比べると、時時は新刊書も覗いて見るらしい。現に學校の英語會に「最近の亞米利加の小説家」と云ふ大講演をやつたこともある。尤もその講演によれば、最近の亞米利加の大小説家はロバアト・ルイズ・スティヴンソンかオオ・ヘンリイだと云ふことだつた!
スタアレット氏も同じ避暑地ではないが、やはり沿線の或町にゐたから、汽車を共にすることは度たびあつた。保吉は氏とどんな話をしたか、殆ど記憶に殘つてゐない。唯一つ覺えてゐるのは、待合室の煖爐の前に汽車を待つてゐた時のことである。保吉はその時欠伸(あくび)まじりに、教師と云ふ職業の退屈さを話した。すると緣無しの眼鏡をかけた、男ぶりの好(よ)いスタアレット氏はちよいと妙な顏をしながら、
「教師になるのは職業ではない。寧ろ天職と呼ぶべきだと思ふ。You know, Socrates and Plato …… Etc.」と云つた。[やぶちゃん後注1]
ロバアト・ルイズ・スティヴンソンはヤンキイでも何でも差支へない。が、ソクラテス・アンド・プレトオなどと云ふのは、――保吉は爾來(じらい)スタアレット氏に慇懃(いんぎん)なる友情を盡すことにした。[やぶちゃん後注2]
■やぶちゃん後注
[1:底本では、スタアレット氏の台詞が「教師になるのは職業ではない。寧ろ天職と呼ぶべきだと思ふ。You know, Socrates and Plato are two great teachers …… Etc.」と“are two great teachers”が挿入されている。そちらを訳すなら、「御存じの通り、ソクラテスとプラトンは二人の偉大な教師であり……云々」となる。]
[2:底本では「が、ソクラテスとプレトオをも教師だつたなどと云ふのは、」となっている。]
午休み[やぶちゃん後注1]
保吉は二階の食堂を出た。文官教官は午飯(ひるめし)の後は大抵隣の喫煙室へはひる。彼は今日は其處へ行かずに、庭へ出る階段を降ることにした。すると下から下士が一人、一飛びに階段を三段づつ蝗(いなご)のやうに登つて來た。それが彼の顏を見ると、突然嚴格に擧手の禮をした。するが早いか一躍(をど)りに保吉の頭を躍り越えた。彼は誰もいない空間へちよいと會釋を返しながら、悠々と階段を降り續けた。
庭には槇(まき)や榧(かや)の間に、木蘭(もくれん)が花を開いてゐる。木蘭はなぜか日の當る南へ折角の花を向けないらしい。が、辛夷(こぶし)は似てゐる癖に、きつと南へ花を向けてゐる。保吉は卷煙草に火をつけながら、木蘭の個性を祝福した。其處へ石を落したやうに、鶺鴒(せきれい)が一羽舞ひ下つて來た。鶺鴒も彼には疎遠ではない。あの小さい尻尾を振るのは彼を案内する信號である。
「こつち! こつち! そつちぢやありませんよ。こつち! こつち!」
彼は鶺鴒の云ふなり次第に、砂利を敷いた小徑(こみち)を步いて行つた。が、鶺鴒はどう思つたか、突然また空へ躍り上つた。その代り背の高い機關兵が一人、小徑をこちらへ步いて來た。保吉はこの機關兵の顏にどこか見覺えのある心もちがした。機關兵はやはり敬禮した後、さつさと彼の側を通り拔けた。彼は煙草の煙を吹きながら、誰だつたかしらと考へ續けた。二步、三步、五步、――十步目に保吉は發見した。あれはポオル・ゴオギャンである。あるいはゴオギャンの轉生(てんしやう)である。今にきつとシヤヴル[やぶちゃん注:「シャベル」に同じい。スコップのこと。軍艦の機関士が燃料の石炭を掬うそれを言っている。]の代りに畫筆(ぐわひつ)を握るのに相違ない。その又擧句は氣違ひの友だちに後ろからピストルを射かけられるのである。[やぶちゃん後注1]可哀さうだが、どうも仕方がない。
保吉はとうとう小徑傳ひに玄關の前の廣場へ出た。其處には戰利品の大砲が二門、松や笹の中に竝んでゐる。ちよいと砲身に耳を當てて見たら、何だか息の通る音がした。大砲も欠伸(あくび)をするかも知れない。彼は大砲の下に腰を下した。それから二本目の卷煙草へ火をつけた。もう車𢌞しの砂利の上に蜥蜴(とかげ)が一匹光つてゐる。人間は足を切られたが最後、再び足は製造出來ない。しかし蜥蜴は尻つ尾を切られると、直(すぐ)にまた尻つ尾を製造する。保吉は煙草を啣へたまま、蜥蜴はきつとラマルクよりもラマルキアン[やぶちゃん注:ラマルクの説いた用不用説を中心とする進化論学派。]に違ひないと思つた。が、少時(しばらく)眺めてゐると、蜥蜴はいつか砂利に垂れた一すぢの重油に變つてしまつた。
保吉はやつと立ち上つた。ペンキ塗りの校舍に沿ひながら、もう一度庭を向うへ拔けると、海に面する運動場(うんどうば)へ出た。土の赤いテニス・コオトには武官教官が何人か、熱心に勝負を爭つてゐる。コオトの上の空間は絶えず何かを破裂させる。同時にネツトの右や左へ薄白(うすしろ)い直線を迸(ほとばし)らせる。あれは球(たま)の飛ぶのではない。目に見えぬ三鞭酒(しやんぱん)を拔いてゐるのである。そのまた三鞭酒をワイシヤツの神々が旨さうに飮んでゐるのである。保吉は神々を讃美しながら、今度は校舍の裏庭へまはつた。
裏庭には薔薇が澤山ある。尤も花はまだ一輪もない。彼は其處を步きながら、徑(みち)へさし出た薔薇の枝に毛蟲を一匹發見した。と思ふと又一匹、隣の葉の上にも這つてゐるのであつた。[やぶちゃん注4]毛蟲は互に頷き頷き、彼のことか何か話してゐるらしい。保吉はそつと立ち聞きすることにした。
第一の毛蟲 この教官は何時(いつ)蝶になるのだらう? 我々の曾曾曾祖父(そそそそふ)の代から、地面の上ばかり這ひまはつてゐる。
第二の毛蟲 人間は蝶にならないのかも知れない。
第一の毛蟲 いや、なることはなるらしい。あすこにも現在飛んでゐるから。
第二の毛蟲 成程、飛んでゐるのがある。しかし何と云ふ醜さだらう! 美意識さへ人間にはないと見える。
保吉は額に手をかざしながら、頭の上へ來た飛行機を仰いだ。
其處に同僚に化けた惡魔が一人、何か愉快さうに步いて來た。昔は鍊金術を教へた惡魔も今は生徒に應用化學を教へてゐる。それがにやにや笑ひながら、かう保吉に話しかけた。
「おい、今夜つき合はんか?」
保吉は惡魔の微笑の中にありありとフアウストの二行を感じた。――「一切の理論は灰色だが、綠(みどり)なのは黃金(こがね)なす生活の樹だ!」[やぶちゃん注:筑摩書房類聚版全集の脚注に、この引用はゲーテの「ファウスト」の第一部の一節(『第二〇三八・二〇三九行』)で、『書斎で悪魔メフィストファレスがファウストの身がわりの姿となり』、『学生にいう教訓』とある。]
彼は惡魔に別れた後(のち)、校舍の中へ靴を移した。教室は皆がらんとしてゐる。通りすがりに覗いて見たら、唯或教室の黑板の上に幾何の圖が一つ描(か)き忘れてあつた。幾何の圖は彼が覗ゐたのを知ると、消されると思つたのに違ひない。忽ち伸びたり縮んだりしながら、「次の時間に入用(いりよう)なのです。」と云つた。[やぶちゃん後注5]その廊下の突當りは賄ひの部屋になつてゐる。其處には今日も戸の向ふに音樂會が開かれたらしい。水道の水のヴアイオリンや皿小鉢のカスタネツトの中には炊事番のうたふ獨唱さへ聞える。「おつとオ――だハイ――イ――じやうぶゥ――よし――きたア――ア――どつこイ――しよウ――ウ」――譜は少し寫し惡い。
保吉はもと降りた階段を登り、語學と數學との教官室へはひつた。教官室には頭の禿げたタウンゼンド氏の外に誰もいない。しかもこの老教師は退屈まぎれに口笛を吹き吹き、一人ダンスを試みてゐる。保吉はちよいと苦笑した儘、洗面臺の前へ手を洗ひに行つた。その時ふと鏡を見ると、驚いたことにタウンゼンド氏は何時の間にか美少年に變り、保吉自身は腰の曲つた白頭(はくとう)の老人に變つてゐた。
■やぶちゃん後注
[1:底本では「――或空想――」という副題がつく。]
[2:底本では前文の文頭の「その又擧句は」は「その又擧句に」となっている。]
[3:底本注記によると、「黃雀風」及び「芥川龍之介集」には、「もう車𢌞しの砂利の上は蜥蜴が一匹光つてゐる。」とあるとする。]
[4:底本では「と思ふとまた一匹、隣の葉の上にも這つてゐるのがあつた。」となっている。]
[5:底本では、これより以下の「その廊下の突當りは……」から、当該段落最後の「……――譜は少し寫し惡い。」までが削除されている。]
恥
保吉は教室へ出る前に、必ず教科書の下調べをした。それは月給を貰つてゐるから、出たらめなことは出來ないと云ふ義務心によつたばかりではない。教科書には學校の性質上、海上用語が澤山出て來る。それをちやんと檢(しら)べて置かないと、とんでもない誤譯をやりかねない。たとえば Cat's paw と云ふから、猫の足かと思つていれば、そよ風だつたりするたぐいである。
或時彼は二年級の生徒に、やはり航海のことを書いた、何とか云ふ小品を教へてゐた。それは恐るべき惡文だつた。マストに風が唸つたり、ハツチへ浪が打ちこんだりしても、その浪なり風なりは少しも文字の上へ浮ばなかつた。彼は生徒に譯讀をさせながら、彼自身先に退屈し出した。かう云ふ時程生徒を相手に、思想問題とか時事問題とかを辯じたい興味に驅られることはない。元來教師と云ふものは學科以外の何ものかを教へたがるものである。道德、趣味、人生觀、――何と名づけても差支へない。兎に角教科書や黑板よりも教師自身の心臟に近い何ものかを教へたがるものである。しかし生憎生徒と云ふものは學科以外の何ものをも教はりたがらないものである。いや、教はりたがらないのではない。絶對に教はることを嫌惡するものである。保吉はさう信じていたから、この場合も退屈し切つたまま、譯讀を進めるより仕かたなかつた。
しかし生徒の譯讀に一應耳を傾けた上、綿密に誤(あやまり)を直(なほ)したりするのは退屈しない時でさへ、可也(かなり)保吉には面倒だつた。彼は一時間の授業時間を三十分ばかり過した後(のち)、とうとう譯讀を中止させた。その代りに今度は彼自身一節づつ讀んでは譯し出した。教科書の中の航海は不相變(あひかはらず)退屈を極めてゐた。同時に又彼の教へぶりも負けずに退屈を極めてゐた。彼は無風帶を橫ぎる帆船のやうに、動詞のテンス[やぶちゃん注:htence。時制。]を見落したり關係代名詞を間違へたり、行き惱み行き惱み進んで行つた。
その中(うち)にふと氣がついて見ると、彼の下檢べをして來たところはもうたつた四五行しかなかつた。其處を一つ通り越せば、海上用語の暗礁に滿ちた、油斷のならない荒海だつた。彼は橫目で時計を見た。時間は休みの喇叭(らつぱ)迄にたつぷり二十分は殘つてゐた。彼は出來るだけ叮嚀(ていねい)に、下檢べの出來てゐる四五行を譯した。が、譯してしまつて見ると、時計の針はその間(あひだ)にまだ三分しか動いていなかつた。
保吉は絶體絶命になつた。この場合唯一の血路(けつろ)になるものは生徒の質問に應ずることだつた。それでもまだ時間が餘れば、早じまひを宣(せん)してしまふことだつた。彼は教科書を置きながら、「質問は――」と口を切らうとした。と、突然まつ赤になつた。なぜそんなにまつ赤になつたか?――それは彼自身にも説明出來ない。とにかく生徒を護摩かす位(くらゐ)は何とも思はぬ筈の彼がその時だけはまつ赤になつたのである。生徒は勿論何も知らずにまじまじ彼の顏を眺めてゐた。彼はもう一度時計を見た。それから、――教科書を取り上げるが早いか、無茶苦茶に先を讀み始めた。
教科書の中の航海はその後も退屈なものだつたかも知れない。しかし彼の教へぶりは、――保吉は未に確信してゐる。タイフウンと鬪ふ帆船よりも、もつと壯烈を極めたものだつた。
勇ましい守衞
秋の末(すゑ)か冬の初(はじめ)か、その邊(へん)の記憶ははつきりしない。兎に角學校へ通ふのにオオヴア・コオトをひつかける時分だつた。午飯(ひるめし)のテエブルに就いた時、或若い武官教官が隣に坐つてゐる保吉にかう云ふ最近の椿事(ちんじ)を話した。――つい二三日前の深更、鐵盜人(てつぬすびと)が二三人學校の裏手へ舟を着けた。それを發見した夜警中の守衞は單身彼等を逮捕しやうとした。ところが烈しい格鬪の末、あべこべに海へ抛(はふ)りこまれた。守衞は濡れ鼠になりながら、やつと岸へ這ひ上つた。が、勿論盜人の舟はその間にもう沖の闇へ姿を隱してゐたのである。
「大浦と云ふ守衞ですがね。莫迦莫迦しい目に遇つたですよ。」
武官はパンを頰張つたなり、苦しさうに笑つてゐた。
大浦は保吉も知つてゐた。守衞は何人か交替に門側(もんがは)の詰め所に控へてゐる。さうして武官と文官とを問はず、教官の出入を見る度に、擧手の禮をすることになつてゐる。保吉は敬禮されるのも敬禮に答へるのも好まなかつたから、敬禮する暇(ひま)を與へぬやうに、詰め所を通る時は特に足を早めることにしてゐた。[やぶちゃん後注1]が、この大浦と云ふ守衞だけは容易に目つぶしを食はされない。第一詰め所に坐つたまま、門の内外(うちそと)五六間[やぶちゃん注:九・一~十一メートル弱。]の距離へ絶えず目を注いでゐる。だから保吉の影が見えると、まだその前へ來ない内に、ちやんともう敬禮の姿勢をしてゐる。かうなれば宿命と思ふ外はない。保吉はとうとう觀念した。いや、觀念したばかりではない。この頃は大浦を見つけるが早いか、響尾蛇(がらがらへび[やぶちゃん注:底本は「がらがら」の後半は踊り字「〱」。])に狙はれた兎のやうに、こちらから帽さへとつてゐたのである。
それが今聞けば盜人の爲に、海へ投げこまれたと云ふのである。保吉はちよいと同情しながら、やはり笑はずにはゐられなかつた。
すると五六日たつてから、保吉は停車場の待合室に偶然大浦を發見した。大浦は彼の顏を見ると、さう云ふ場所にも關らず、ぴたりと姿勢を正した上、不相變(あひかはらず)嚴格に擧手の禮をした。保吉ははつきり彼の後ろに詰め所の入口が見えるやうな氣がした。
「君はこの間――」
少時(しばらく)沈默が續いた後(のち)、保吉はかう話しかけた。
「ええ、泥坊を摑まへ損じまして、――」
「ひどい目に遇つたですね。」
「幸ひ怪我はせずにすみましたが、――」
大浦は苦笑を浮べた儘、自ら嘲(あざけ)るやうに話し續けた。
「何、無理にも摑まへようと思へば、一人位(ぐらゐ)は摑まへられたのです。しかし摑まへて見たところが、それつきりの話ですし、――」
「それつきりと云ふのは?」
「賞與も何も貰へないのです。さう云ふ場合、どうなると云ふ明文は守衞規則にありませんから、――」
「職に殉じても?」
「職に殉じてでもです。」
保吉はちよいと大浦を見た。大浦自身の言葉によれば、彼は必ずしも勇士のやうに、一死を賭してかかつたのではない。賞與を打算に加へた上、捉ふべき盜人(ぬすびと)を逸したのである。しかし――保吉は卷煙草をとり出しながら、出來るだけ快活に頷いて見せた。
「成程それぢや莫迦莫迦しい。危險を冒すだけ損の譯ですね。」
大浦は「はあ」とか何とか云つた。その癖變に浮かなささうだつた。[やぶちゃん後注]
「だが賞與さへ出るとなれば、――」
保吉はやや憂鬱に云つた。
「だが、賞與さへ出るとなれば、誰でも危險を冒すかどうか?――そいつも亦少し疑問ですね。」[やぶちゃん後注3]
大浦は今夜[やぶちゃん注:「度」の誤字。]は默つてゐた。が、保吉が煙草を啣へると、急に彼自身のマチ[やぶちゃん注:ママ。]を擦り、その火を保吉の前へ出した。保吉はちよいと禮を云ひながら、黃色い焰を煙草に移した。
しかし保吉は承知してゐる。あの一點のマツチの焰は彼の爲に擦られたのではない。大浦の士道を照覽し給ふ神神の爲に擦られたのである。
■やぶちゃん後注
[1:底本では「詰め所を通る時は特に足を早めることにした。」となっている。]
[2:底本注記によると、「黃雀風」及び「芥川龍之介集」には、「その癖變に浮かなさうだつた。」とあるとする。]
[3:底本では、これ以下、末尾までが、
大浦は今度は默つてゐた。が、保吉が煙草を啣へると、急に彼自身のマッチを擦り、その火を保吉の前へ出した。保吉は赤あかと靡いた焰を煙草の先に移しながら、思はず口もとに動いた微笑を悟られないやうに嚙み殺した。
「難有う。」
「いや、どうしまして。」
大浦はさりげない言葉と共に、マッチの箱をポケットへ返した。しかし保吉は今日(こんにち)もなほこの勇ましい守衞の祕密を看破したことと信じてゐる。あの一點のマツチの火は保吉のためにばかり擦られたのではない。實に大浦の武士道を冥々の裡に照覽し給ふ神神のために擦られたのである。
と、なっている。]
*
保吉の手帳から(草稿) 芥川龍之介
1 就任――大本教、軍人勅語
2 生徒 {higher than English
{lower than humanity
[やぶちゃん注:底本ではこの二つの「{」は大きな一つの括弧で、上の「2 生徒」の下に等分で左右に配す。但し、新全集ではこの「{」は存在しない。]
3 葬
4 ホのfool――Contempt
[やぶちゃん注:「ホ」不詳。
「Contempt」は軽蔑・侮辱・侮り・軽視の意。]
5 死
[やぶちゃん注:「6」は飛んでいて、存在しない。]
7 髮結床――Heroism
8 書庫――Rogue(Authrity なき爲の親しみ、實は保吉も共犯者)
[やぶちゃん注:「Rogue」は新全集では「rogue」と頭文字が小文字。悪党・ごろつき・悪漢・腕白者・悪戯っ子・おちゃめ等の意。]
9 入學試驗――學校の humbag
[やぶちゃん注:新全集では「――」はなく、空きマス。]
10 東宮殿下、兵卒石をひらふ{honour
{殿下と小石
[やぶちゃん注:底本ではこの二つの「{」は大きな括弧で上の「10 東宮殿下、兵卒石をひらふ」の下に等分で左右に配す。但し、新全集ではこの「{」は存在しない。また、読点もない。]
11 U教官
[やぶちゃん注:新全集では「上村教官」となっている。旧全集の編者が個人特定を憚ってイニシャルに変えていたことがこれによって判る。]
12 T教官
[やぶちゃん注:新全集では「豊島教官」(豐島教官)となっている。以下、同前。]
13 Projit
[やぶちゃん注:新全集では「Projet」となっている。前後から見て、外人教官の姓であろうが、「Projit」の方がそれらしくは感じる。]
14 Horace
[やぶちゃん注:新全集ではこの後に一字下げで、「水兵」とし、同じく改行して一字下げで、「植物」同じ仕儀で「海」という三行がある。]
式
保吉は新調のフロツク・コオトを着、やはり新調の山高帽を持ち、出來るだけ眞面目に直立してゐた。彼の鄰にゐる淺井教授もフロツク・コオトは彼と同じだつた。唯帽子は山高帽の代りにけば立つたシルク・ハツトを手にしてゐた。淺井氏は保吉の就任と共に、辭任することになつてゐたのである。
二人の一步後ろには文官教官が七八人、二列橫隊に並んでゐた。これも服裝は一人殘らず、フロツク・コオトにシルク・ハツトだつた。さう云ふ中にたつた一人、宮川と云ふ理學士だけはシルク・ハツトの代用にオペラ・ハツトをぶら下げてゐた。
二人の向うに並んでゐるのは武官教官の一群だつた。これは川村とか云ふ中佐を筆頭に勳章の胸を並べてゐた。
二人の左には鍵の手に大勢の生徒が並んでゐた。生徒は海軍の學校だけに逞しい人間ばかりだつた。二人の右には壇の上に木本と云ふ少將の校長が上半身を少しかがめながら、始業式の辭か何か話してゐた。
保吉は由來何によらず、式と云ふものを好まなかつた。式は一切を退屈にするか、滑稽にするものだと信じてゐた。勿論この五六年このかた、免狀を貰ふ卒業式以外に、式に出たことは一度もなかつた。其處へ今始業式に列つたのだから、眞面目に直立してゐたとは云へ、内心は不愉快そのものだつた。
校長の式辭は何時になつても、盡きるところを知らなかつた。尤も生徒や教官は木乃伊のやうに嚴肅にしてゐた。しかしそれが又保吉には一層堪へ切れない重荷だつた。彼ほとうとう窘窮の餘り、顏は少しも動かさずに、そつと淺井氏へ話しかけた。
「川村さんと云ふのですか、武官教官の首席にゐるのは?」
淺井氏はやはりこちらを向かずに、小聲にかう云ふ返事をした。
「ええ、川村君。しかしありや狐ですよ。」
保吉は思はず問ひ返さうとした。が、咄嗟に了解した。淺井氏は出口王仁三郎の創めた大本教の信者だつた。大本教の説によれば、我我俗人は天狗を始め、狐や狸にとり憑れてゐる。淺井氏はかう云ふ信仰により、川村大佐にとり憑いてゐるのは狐だと判斷したのであらう。しかし「狐にとり憑れてゐる」は「狐ですよ」の直截なのに若かない。保吉ははつきりと眶の裏に、首だけ狐になつてゐる海軍士官を思ひ浮べた。同時に微笑を嚙み殺した。
その後のことは書かずとも好い。保吉はこの一語の爲に、息苦しい退屈から救はれたのである。式には在職二年の間にまだ何度か參列した。が、もう淺井氏は彼の鄰に二度と姿を現さなかつた。保吉は時時勇ましい軍人勅語を謹聽しながら、淺井氏の姿を思ひ出した。すると妙に寂しい氣がした。淺井氏は夙に「クリスマス・キヤロル」や「スケツチ・ブツク」などを飜譯した、英吉利文學の紹介に貢獻の多い篤學・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
紙 幣
或初夏の午後である。堀川保吉は口笛を吹き吹き、教官室へ歸つて來た。白い窓かけの垂れた教官室には粟野教官がたつた一人、相不變煙草を啣へたまま、橫文字の本をひろげてゐる。保吉はその橫顏を見ると、忽ち口笛をやめたのは勿論、出來るだけ靴の音もさせないやうにそつと彼自身の机の前へ行つた。窓を右にした彼の机は粟野さんの机と向ひ合つてゐる。尤も向ひ合つたとは云ふものの、お互に顏の見える訣ではない。机の前にとりつけた書架は海語辭典だの兵語辭典だの會話辭典だのを並べた向うに、すつかり粟野さんを隱してゐるのである。
保吉はマドラスの本屋の出したマハトマ・ガンディの傳記を拔き出し、休み時間の退屈を紛らせる爲に刷りの惡い本文を讀みはじめた。ガンディは聖雄と云ふのださうである。聖雄とは如何なる牡の意味か、詳しい説明を聞いたことはない。が、兎に角父祖傳來の瘦せ我慢の強い男である。保吉は一本のバツトに火をつけ、かう云ふ一節を讀み下した。――「ガンディの母親は彼女の息子に下の三個條を誓はせた後、やつと英吉利へ留學することを許した。卽ち酒を飮まぬこと、女人の肌に觸れぬこと、肉類は食はぬことの三個條である。英吉利の土を踏んだマハトマ・ガンディは『英吉利紳士』にならんことを期した。その爲に舞踏を學んだり、ヴァイオリン[やぶちゃん注:新全集では「ヴアイオリン」。]の𥡴古をはじめたりした。……すると或日のこと、或晩餐會に臨んだ彼は一皿のスウプを啜るはめになつた。これは一生の危機だつた。母親に誓つた三個條を破るか? それとも一人前の『英吉利紳士』になるか? 彼はこの二つの途のどちらかを選ばなければならなかつた。しかし彼の良心はとうとう誘惑を征服した。ガンディは 啞然たる一座を後に、スウプの皿を殘したまま、晩餐のテエブルを離れたのである。……」
讚んで此處に至つた時である。粟野さんは保吉の机の側へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[やぶちゃん注:新全集ではこの後に、この「紙幣」の以下の別稿が載る。新全集は漢字が新字であるので、恣意的に正字化して示した。「■」は判読不能とされた字。
或初夏の午後である。堀川保吉は口笛を吹きながら、二階の教官室へ歸つて來た。教官室の中には誰もゐない。いや、オツクスフオドの大辭書だの大英百科全書だのの書棚の向うに煙草の煙のあがつてゐるのを見ると、■■口笛をやめたのは勿論、出來るだけ靴の音もさせないやうにそつと彼自身の机の前へ行つた。窓を右にした彼の机は栗野さんの机と向ひ合つてゐる。尤も向ひ合つたとは云ふものの、お互に顏の見える訣ではない。机の前にとりつけた書架は海語辭典だの兵語辭典だの會話辭典だのを並べた向うに、唯粟野さんの煙草の煙を燈火のやうに擧げてゐるばかりである。
保吉はマドラスの本屋の出したマハト・ガンディの傳記を拔き出し、休み時間の退屈を紛らせる爲に刷りの惡い本文を讀みはじめた。ガンディは聖雄と云ふのださうである。聖雄とは如何なる牡の意味か、はつきりしたことは吹聽出來ない。が、兎に角父祖傳來の瘦せ我慢の強い男である。保吉は一本のバツトに火をつけ、かう云ふ一節を讀み下した。――「ガンディの母親は彼女の息子に下の三箇條を誓はせた後、やつと英吉利へ留學することを許した。卽ち酒を飮まぬこと、女人の肌に觸れぬこと、肉類を食はぬことの三箇條である。英吉利の土を踏んだマハトマ・ガンディは完全なる『紳士』にならんことを期した。又或英吉利化した印度人は彼に『紳士』の教育を與へる教師の役を引受けたりした。……或日ガンディは或パアティイヘ赴き、一皿のスウプを啜るはめになつた。これは一生の危機だつた。母親に誓つた三箇條を破るか? それとも一人前の『紳士』になるか? ガンディの良心は動搖した。が、彼は
「パアティイ」はママである。]
拜 謁
六七年前の初秋である。堀川保吉は××の宮殿下に拜謁を仰せつけられることになつた。尤も小説家堀川保吉として拜謁を仰せつけられる次第ではない。或海軍の學校の教官として拜謁を仰せつけられるのである。
拜謁を仰せつけられるのは微臣保吉の光榮である。が、御前へ現れる爲にはフロツク・コオトを着用し、シルク・ハツトをかぶらなければならぬ。それも格別大したことではない。しかしフロツク・コオトを着用し、シルク・ハツトをかぶる爲には、――兎に角フロツク・コオトやシルク・ハツトの存在を必要とする訣である。けれども保吉は不幸にも丁度一月ばかり前に[やぶちゃん注:新全集版では、ここに読点がある。]フロツク・コオトやシルク・ハットを質屋の藏に託[やぶちゃん注:新全集は「托」次文のそれも同じ。]してゐた。質屋の藏に託してあつても、三十何圓かの金さへあれば、勿論恐れるには當らぬ訣である。しかし三十何圓かの金は、――金のないことは斷らずとも好い。彼は既に金になるものは大抵金にし盡してゐた。
保吉はその爲に當日は母を病氣にしなければ彼自身病氣にならうと思つてゐた。すると殿下の行啓になる一日前の午休みである。彼は海風の通つて來る校舍の裏庭を步いてゐるうちに粟野教官と一しよになつた。粟野さんは彼と同じやうに英吉利語を教へてゐるばかりではない。同時に又最古參の首席教官である。保吉はとりあへず粟野さんに母の急病を報告しようとした。が、粟野さんは彼よりも先にかう彼に話しかけた。
「ああ、堀川さん。さつきあなたの授業中に拜謁者名簿がまはつて來ましたから、代りにちよつとサインして置きました。勿論あしたはお出でになりますね?」
保吉は少からず狼狽した。のみならず狼狽した拍子にうつかり「ええ」と返事をしてしまつた。
「拜謁は始めてでせう?」
「ええ。」
「××の宮殿下にはわたしも始めてです。何でもあしたは御學友も大勢見えると言ふことですが、……」
粟野さんは氣輕にしやべりながら、秋薔薇のさいた庭を步いて行つた。保吉は何度も「出るつもりですが」とか「實は母が」とか言はうとした。が、一度言ひそびれたことは誰でも手輕に言はれるものではない。そのうちに突然鳴り渡つたのは授業開始を知らせる喇叭である。粟野さんは步みをつづけたまま、ちらりと腕時計へ目を落した。
「おや、喇叭が遲れてゐる。――ぢやあしたの拜謁時間は十一時半になつてゐますから。」
保吉は殆ど捨鉢にもう一度「ええ」と返事をした。同時に又あしたは何でも彼でも出なければならぬと覺悟をした。しかしこの決心を實行にするのは必しも容易の業ではない。彼は蝶結びのタイの下に重苦しい氣もちを抑へたまま、悄然と下宿へ歸つて來た。一食五十錢の賄料と一月五圓の間代とをとる或避暑地の安下宿へ。
金になるもののないことは前に言つた通りである。が、全然ない訣ではない。床の間へ一ぱいに積み上げた本は、――少くともヴォラアルのセザンヌ傳やマイエル・グレエフェの近代藝術史は十二三圓の金になる筈である。その外懷中時計、ネクタイ・ピン、萬年筆等を加へれば、――保吉はふとニツケルの時計の狂つてゐることを思ひ出した。時計は藥罎を振るやうに力一ぱい振りさへすれば、一二分の間は動いてゐる。しかし龍頭は全然利かない。これでは到底三圓以上借りられないことは確かである。けれども土耳古玉のネクタイ・ピンは――姊はこのピンをくれる時に「この玉は安ものとは違ふんですからね」などと大いに勿體をつけたりした。が、姊に貰つた下駄の貼りものだつたことを考へると、薄靑い土耳古玉の正體も多少疑問になるのは勿論である。……
保吉はその晩の八時前後、やはり古袷の襟・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(大正十二年)