心朽窩へ
鬼火へ
[やぶちゃん注:2004年の文化祭で私のクラスはたこ焼きをやった。誰一人、「経験者」のいない中、どうなることかと思ったが、美事にその年の文化祭のぶっちぎりの売り上げナンバー1に輝いた。顏を煤で真っ黒にして懸命に働いた子供たちが忘れられない。彼らの努力と行列で待ってくれているお客さんに感謝の意を込めて、書き下ろしたのが以下の文章である。活字の不揃いがあるが、その当時の雰囲気を残すために、敢えて修正しなかった。](copyright 2004 Yabtyan+1C)

藪だこのひとりごと VOL.1

1年C組「藪だこ」 2004年7月3日 文化祭1日目発行

○たこ焼きのルーツ

 「たこ焼き」は一見、「お好み焼き」や「もんじゃ焼き」の一種のように見えるが、実は、なんと和菓子の「きんつば」がそのルーツである。「きんつば」は小麦粉の薄い皮でアズキのつぶしあんを包むか、ようかんのように固めて四角に切ったつぶしあんに水溶きした小麦粉の衣をつけ、油をひいた平なべで焼いたもので、江戸前期に京都清水坂で生まれた。

その「きんつば」にヒントを得たのが、「今川焼き(大判焼き)」で、小麦粉を水でといて焼型に流しこみ、あんを入れて焼く。江戸神田今川橋付近で売り出されたので、この名があるという。手軽につくれ、焼きたてのものが食べられるところが人気を集めた。

その形状に変化を加えたのが、「たい焼き」である。

大正時代になって、今のたこやき鉄板のように窪みがついた鉄板で小麦粉をといたものをちょぼちょぼと油で焼いたものがヒットした。甘く高いあんの代わりに、惣菜のこんにゃく等を用い、「ちょぼ焼き」と呼ばれた。

その「ちょぼ焼き」より幾分大きく、牛スジ肉等を入れて焼いたものは「ラジオ焼き」と呼ばれた。ラジオは当時の最先端技術、パーマを電髪と言ったのと同じく、ハイカラな語調であったのだろう。

そうしてついに「たこ焼き」が生まれる。

昭和十年代、大阪で「ラジオ焼き」を焼いていた屋台に、明石から来た客が「明石じゃあ、タコ、入れとる」と言った一言が「たこ焼き」の始まりだと言われている。

この客の言ったのは「明石焼き(明石玉子焼き)」と呼ばれるものである。明治の中期には「明石焼き」の屋台がすでにあったという。しかし、それならばその明石がルーツじゃあないのかということになるのだが、ここがややこしいところで、「明石焼き」はあくまで明石の「明石焼き」で、全国津々浦々に瞬くに広がっていった「たこ焼き」とは、やはり違うのである。

明石焼き」は、見た目はやや大きめの「たこ焼き」だが、卵とだし汁をより多く使い、食感は「たこ焼き」りもずっと柔らかで、フワフワしている。「たこ焼き」はソースをかけて食べるが、「明石焼き」はだし汁に付けて食べるのが正当な食べ方だ(関西では「明石焼き」の人気は極めて高い)。

ちなみに「明石焼き」のルーツについては、次のような面白い説がある。

天保年間に江戸の鼈甲(べっこう)細工師、江戸屋岩吉という男が金比羅詣の帰途、明石に滞在した。冬の寒い日のこと、たもとに鶏の卵を入れていたのを忘れ、卵が割れて白身が寒さで凝固、中でカチカチになってしまった。

そこに目を付けた岩吉は、卵白の性質を徹底的に研究、ついに偽造宝石、明石玉を作り出すに至った。高価な天然のサンゴに似せて、ガラス玉を赤く着色したものであるが、それをかんざしとして完成する工程で、接着剤として多量の卵白を用いた。安価な明石玉が爆発的に量産され、その副産物として多量に残ったのは、卵の黄身。それを利用して当時、明石で多く捕れていたタコを入れて始めたのが、「明石焼き」だというのだ。

以上、「きんつば」系の本家筋の進化と、別系統の現在の「たこ焼き」そっくりの「明石焼き」の発生と進化が、シンクロニティしていた、または生物学でいうところの、遠い種でありながら相似形態を持つに至る平行進化を遂げたということになろうか。

しかし、案外、普通の家庭の主婦が、卵焼きの具がなくて困っていたところ、たまたま残っていたタコを入れてみたら、存外に美味かったからという辺りが、隠された平凡な真実なのかもしれない。(やぶちゃん)

お買い上げ誠にありがとう御座いました!!!

 

藪だこのひとりごと VOL.2

1年C組「藪だこ」 2004年7月3日 文化祭1日目発行

タコの不思議

タコのオス・メス

タコの性別なんて、考えたこともないかもしれないが、これが、多くのタコは足の先で区別が出来るのだ。まず、タコの体制について説明しよう。

マンガでよく頭になる部分は内臓を包む「胴」である。その下に目や神経系の狭い頭部がはさまれ、すぐ腕(世間では足)になる。即ち、タコは上から「胴―頭―手足」というキテレツな構造なのだ。

さて、胴にある漏斗(ろうと。総排出口。海水を噴出して推進したり排泄したりするためのパイプで、マンガでは口になる部分)を真上に持ってくる。そこから時計回りが右腕であるが、その右の上から第3番目の腕の先が、ポイントとなる。メスでは普通に吸盤があるだけだが、オスは先の部分が溝になっていて吸盤がないのだ。

この腕を特に交接腕といい、その先端こそ精莢(せいきょう)というタコの不思議な生殖器官なのだ。

オスのタコはメスを見つけて発情すると、自分の精巣にこの第3腕を入れて、精子の入った袋、精嚢(せいのう)をこの溝にはさんで取り出す。それをメスの卵巣のそばに差し入れ、なんとオスは自らその先端部を切断してしまうのである。万事順調に行けば、精嚢は次第に膨張し、最後に破裂、受精する。

ちなみに、19世紀初頭のフランスの有名な博物学者キュビエは、メスのタコを解剖中に、この精莢を見つけ、寄生虫だと早合点し、ご丁寧にヘクトコチルス・オクトポイディス(Hectocotylus Octpodis)という学名までつけてしまった。現在もその勘違いに敬意(?)を表して、タコ学者はこの交接腕をヘクトコチルスと呼んでいる。

あなたも丸一匹のタコを買ってきたら、食べる前に、腕の先を観察して、男女を判別してから食ってみるのも、面白いかも。男がうまいか、女がうまいか!?

 

殺人ダコ

SF映画の大タコの話ではない。小さなタコが人を殺すのである。

1973年にタイのプーケット島で一人のドイツ人男性が海辺で急死した。彼は死の直前に、10cmほどのかわいいタコを捕らえ、持ってかえってペットにすると言って、肩に乗せていた。

これは、日本ではヒョウモンダコと呼ばれ、興奮すると体に青い斑紋が浮き上がることから、英語ではブルーリングオクトパスといい、三浦半島等でも採取される。

ところが、この可愛いタコには、フグと同じテトロドトキシンという神経毒があり、その毒力は青酸カリの1000倍にもなる。このタコは刺激を受けると興奮し相手にかみつき、毒を注入する。歯は小さいので痛みはそれほどではない。しかし、数分後にはしびれやめまいが起き、急激な脱力感や嘔吐、重傷の場合、15分後には心臓や呼吸麻痺に至り、90分以内に死亡する。

ゆめゆめ、青い可愛いタコにはご用心。なお藪だこには使用していないので、ご安心の程。(やぶちゃん)

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藪だこのひとりごと VOL.3

1年C組「藪だこ」 2004年7月4日 文化祭2日目発行

タコの雑学

最多タコ足?

タコは英語でオクトパスoctpusだが、これは、ラテン名オクトプスに由来し、ギリシャ語のocto「8本の」とpous「足」の合成語である。しかし、突然変異で7本とか、10数本足のタコがまれに見つかる。

現在までに記録に残された最多例は、昭和32年(1957)年8月、三重県鳥羽市答志島沖合いで漁師の中村勘三郎氏が捕獲したもので、なんと85本足であった。これは恐らく世界一の記録である。嘘だと思ったら、鳥羽水族館に行ってごらん。今も標本として残されていて、私も見た。不気味に、スゴイゾ!

タコは陸に上がって芋を食う?

一読、信じられない話だが、タコが夜、陸まで上がってきてジャガイモやスイカ、トマトを盗み食いするという話を信じている人は結構いる。近いところでは、私は千葉県の漁民が真剣にそう語るのを聞いたことがある。

実際に、全国各地で、実際に畠や田んぼに入り込んでいるのを見たという人もいるのだが、生態学的には海を遠く離れることは、不可能であろう。たとえば岩場のカニを危険を冒して、捕捉しようとするのを見たり、漁獲された後、逃げ出したタコが畠や路上でうごめくのを誤認した可能性が高い。

また、タコは雑食性で、なおかつ極めて好奇心が強い。海面に浮いたトマトやスイカに抱きつくことは十分考えられ、その辺が、この話の正体ではないかと思われる。

タコとイカの違いは?

違うのは足の数だけではない。同じように見えて決定的に違うのは、吸盤の構造とスミである。

タコの吸盤は、吸着して獲物を窒息させるためのもので、僕等の使う吸盤と同じ原理で、「すいつく」のである。ところが、イカの吸盤には吸着力はほとんどなく、その代わり、キチン質のトゲトゲのリングがついており、獲物に一つ一つが「かみつく」のである。

また、スミが逃走するための手段であることは共通しているが、タコのスミは水溶成分が多く含まれ、まさにウツボ等の敵から逃れるための「煙幕」である。ところがイカの場合は、吹いたスミが水中に浮遊して拡散しない。これは、目の単純な天敵の魚類から見ると、そこにまだイカがいるように見えるのであるらしい。スミの「偽装」によって、イカは悠々と逃走するのである。

タコは自分の足をもいで食う?

タコはウツボ等の天敵に襲われると、噛み付かれた足を「自切」して逃げる。もげた足は後に再生する。

そうではなく、次の「藪だこのひとりごと VOL.4」で紹介する詩にも出てくるが、タコは自分の足をもいで食うことがまれにあるらしい。但し、それは水族館等でノイローゼに罹ったタコのする異常行動であり、だいたいは、そんなことをする前に、墨を吐き尽くして弱って死んでしまうことの方が多い。

イカやタコといった頭足類はおおむね非常に神経質で、水槽のガラスをたたく音や、円形でない水槽では、ストレスを起こして立派なノイローゼになってしまうのだ。

イカタコが人間並みなのか? それとも僕たちがイカタコ並みなのか? さて、どっちだろうね?

お買い上げ誠にありがとう御座いました!!!

 

藪だこのひとりごと VOL.4

1年C組「藪だこ」 2004年7月4日 文化祭2日目発行

萩原朔太郎「死なない蛸」

日本では「タコの八ちゃん」で、面白く漫画化されるタコであるが、西欧では、デビル・フィッシュの名の通り、印象の悪い生き物である。実は、日本人以外にとっては、タコは擬人化しにくい不気味な異界の生き物なのではないか。H.G.ウェルズの「宇宙戦争」(1898)の宇宙人がタコそっくりなのも、その辺りに起因しているのかもしれない。

有名なところでは、ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」(1865)に岩陰で目を光らせている「見えないタコ」が登場する。見えないがゆえに、闇の持つ恐るべき意志と恐怖を感じさせる。

ジュール・ベルヌの「海底二万里」では、ハバマ諸島近海でノーチラス号が8mの大ダコに襲われるシーンがある。ネモ艇長とともに、忘れがたい強烈なキャラクターだった。

最後に私の好きな萩原朔太郎の詩を紹介する。

昭和14(1939)年刊行の散文詩集「宿命」の中の一編である(表記を現代仮名遣いにし、一部漢字表記等もひらがな等に変えた)。

***

 

死なない蛸

 ある水族館の水槽で、ひさしい間、飢(う)えた蛸が飼われていた。地下の薄暗い岩の影で、青ざめた玻璃天井(はりてんじょう)の光線が、いつも悲しげに漂っていた。

 だれも人々は、その薄暗い水槽を忘れていた。もう久しい以前に、蛸は死んだと思われていた。そして腐った海水だけが、埃っぽい日ざしの中で、いつも硝子窓の槽(おけ)にたまっていた。

 けれども動物は死ななかった。蛸は岩影にかくれていたのだ。そして彼が目をさました時、不幸な、忘れられた槽の中で、幾日(いくにち)も幾日も、おそろしい飢饑(きき)を忍ばねばならなかった。どこにも餌食(えじき)がなく、食物がまったくつきてしまった時、彼は自分の足をもいで食った。まずその一本を。それから次の一本を。それから、最後に、それがすっかりおしまいになった時、今度は胴を裏がえして、内臟の一部を食いはじめた。少しずつ他の一部から一部へと。順々に。

 かくして蛸は、彼の身体全体を食いつくしてしまった。外皮から、脳髄から、胃袋から。どこもかしこも、すべて残るくまなく。完全に。

 ある朝、ふと番人がそこに来た時、水槽の中は空っぽになっていた。曇った埃っぽいガラスの中で、藍色(あいいろ)の透き通った潮水(しおみず)と、なよなよした海草とが動いていた。そしてどこの岩の隅々にも、もはや生物の姿は見えなかった。蛸は実際に、すっかり消滅してしまったのである。

 けれども蛸は死ななかった。彼が消えてしまった後ですらも、なおかつ永遠にそこに生きていた。古ぼけた、空っぽの、忘れられた水族館の槽の中で。永遠に――おそらくは幾(いく)世紀の間を通じて――あるものすごい欠乏と不満をもった、人の目に見えない動物が生きていた。

***

ここには絶対の孤独にとらわれてしまった詩人の魂が、恐ろしいまでに研ぎ澄まされて、描かれているように私には思えるのである。(やぶちゃん)

お買い上げ誠にありがとう御座いました!!!