やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇へ
鬼火へ

[やぶちゃん注:大正7(1918)年11月発行の雑誌『文章倶樂部』に「私の創作の實際」の大見出しのもとに掲載されているが、芥川龍之介以外の文はない。底本は岩波版旧全集を用いたが、多くのルビを排除した。傍点「△」は、下線に代えた。]

 

私の創作の實際   芥川龍之介

 

      よく書ける時

 

 小説のよく書けるのは、時候でいふと、秋から冬にかけて。時刻でいふと、午前と夜――夜も十二時まで、それから先は、急がないやうでも急いでゐる――場所でいふと、明るくて静かな處に限る。但し、その室の戸や障子の締め切つてある事が必須の條件で、若し戸や障子が開いてゐると、そこから書かうとする物が逃げて行く様な氣がしていけない。又人が傍に居ては書けない。殊に書けないのは風の吹く日だ。

 

      書けなくなつた時

 

 若し書いてゐるうちに、ちよつと筆のつかへる事があると、私は、心持を寛げるといふか、緩めるといふか、よくそこらにある本を開けて見る。或は家(うち)の者か、近所に住む友達かに合つて、一時間ばかりも話をする。すると又直ぐに書き出せる。

 

      題のつけ方

 

 標題その物を切り離して見ると、極く人目を聳動(しようどう)しない、そして、その題を小説と照應して見る場合に、初めてそれが十分な意味を持つて來る。これまでの私の小説の中では、「忠義」「手巾」などが、殊に自分の意に適つた標題で、「首の落ちた話」などは、寧ろ例外のものである。

 

      書く速さ

 

 私の原稿を書く速さは、全く分らぬ。一日に十枚以上も書いたのを、翌日になつて皆捨てゝしまふ。かと思ふと一日に書き上げた三枚が、その儘遺る事もある。

 書いてしまふと草臥(くたび)れる。しかし好い心持で、何時までもぶら/\遊んでゐたいと思ふ。けれども、それが二三日經つと、矢張り又書き度くなる。

 

      ペン、原稿紙その他

 

 ペンは、萬年筆が嫌ひで金G(きんジイ)を使ひ、インキは、普通のブリュウ・ブラックで、松屋の半枚の原稿紙に書いてゐる。

 創作の筆を執らない時間は、一週五時間づつの英語の授業と、本を讀む事と、芝居や活動――大抵西洋の寫眞――を見に行つたり、散歩をしたり、友人の訪問をしたり受けたり、旅行をしたり、又下手な俳句を作つたり、更に下手な繪を書いたりする事に過ごす。運動と云つては別にしないが、唯夏の間丈けは盛んに海に入る。