やぶちゃんの電子テクスト:小説・随筆篇へ
鬼火へ

[やぶちゃん注:大正十一(1922)年十一月発行の雑誌『詩と音樂』に「わが散文詩」の大見出しで「秋夜」「椎の木」「虫干」が、翌十二(1923)一月発行の雑誌『女性』に「線香」の大見出しで「線香」「日本の聖母」「玄關」が掲載され、後に全六篇を「わが散文詩」として『春服』に所収。底本は岩波版旧全集を用いたが、原文は数字を除き総ルビであるので、読みの振れるものに限ったパラルビとした。]

 

わが散文詩   芥川龍之介

 

       秋  夜

 火鉢に炭を繼がうとしたら、炭がもう二つしかなかつた。炭取の底には炭の粉(こ)の中に、何か木の葉が乾反(ひそ)つてゐる。何處の山から來た木の葉か?――今日の夕刊に出てゐたのでは、木曾のおん岳の初雪も例年よりずつと早かつたらしい。

 「お父さん、お休みなさい。」

 古い朱塗の机の上には室生犀星の詩集が一冊、假綴の頁を開いてゐる。「われ筆をとることを憂しとなす」――これはこの詩人の歎きばかりではない。今夜もひとり茶を飮んでゐると、しみじみと心に沁みるものはやはり同じ寂しさである。

 「貞(てい)や、もう表をしめておしまひなさい。」

 この呉須(ごす)の吹きかけの湯のみは十年前に買つたものである。「われ筆をとることを憂しとなす」――さう云ふ歎きを知つたのは爾來何年の後(のち)であらう。湯のみにはとうに罅が入つてゐる。茶も亦すつかり冷えてしまつた。

 「奧樣、湯たんぽを御入れになりますか?」

 すると何時か火鉢の中から、薄い煙が立ち昇つてゐる。何かと思つて火箸にかけると、さつきの木の葉が煙(けむ)るのであつた。何處の山から來た木の葉か?――この匀を嗅いだだけでも、壁を塞いだ書棚の向うに星月夜(ほしづくよ)の山山が見えるやうである。

 「そちらにお火はございますか? わたしもおさきへ休ませて頂きますが。」

 

       椎の木

 椎の木の姿は美しい。幹や枝はどんな線にも大きい底力を示してゐる。その上枝を鎧(よろ)つた葉も鋼鐵のやうに光つてゐる。この葉は露霜も落すことは出來ない。たまたま北風に煽られれば一度に褐色の葉裏を見せる。さうして男らしい笑ひ聲を擧げる。

 しかし椎の木は野蠻ではない。實の色にも枝ぶりにも何處か落着いた所がある。傳統と教養とに培はれた士人にも恥ぢないつつましさがある。檞(かし)の木はこのつつましさを知らない。唯冬との閲(せめ)ぎ合ひに荒荒しい力を誇るだけである。同時に又椎の木は優柔でもない。小春日と戲れる樟(くす)の木のそよぎは椎の木の知らない氣輕さであらう。椎の木はもつと憂鬱である。その代りもつと着實である。

椎の木はこのつつましさの爲に我我の親しみを呼ぶのであらう。又この憂鬱な影の爲に我我の浮薄を戒めるのであらう。「まづたのむ椎の木もあり夏木立」――芭蕉は二百餘年前にも、椎の木の氣質を知つてゐたのである。

 椎の木の姿は美しい。殊に日の光の澄んだ空に葉照りの深い枝を張りながら、靜かに聳えてゐる姿は壯嚴に近い眺めである。雄雄しい日本の古(こ)天才も皆この椎の老い木(き)のやうに、悠悠としかも嚴肅にそそり立つてゐたのに違ひない。その太い幹や枝には風雨の痕を殘した儘。……

 なほ最後につけ加へたいのは、我我の租先は杉の木のやうに椎の木をも神と崇めたことである。

 

       虫  干

 この水淺黄の帷子はわたしの祖父の着た物である。祖父はお城のお奧坊主であつた。

 わたしは祖父を覺えてゐない。しかしその命日毎に酒を供へる畫像を見れば、黒羽二重の紋服(もんぷく)を着た、何處か一徹らしい老人である。祖父は俳諧を好んでゐたらしい。現に古い手控への中にはこんな句も幾つか書きとめてある。――「脇差しも老には重き涼みかな」

 (おや。何か映つてゐる! うつすり日のさした西窓の障子に。)

 その小紋の女羽織はわたしの母が着た物である。母もとうに歿してしまつた。が、わたしは母と一しよに汽車に乘つた事を覺えてゐる。その時の羽織はこの小紋か、それともあの縞の御召しか? ――兔に角母は窓を後ろにきちりと膝を重ねた儘、小さい煙管を啣へてゐた。時時わたしの顏を見ては、何も云はずにほほ笑みながら。

 (何かと思へば竹の枝か、今年生えた竹の枝か。)

 この白茶(しろちや)の博多の帶は幼いわたしが締めた物である。わたしは脾弱い子供だつた。同時に又早熟な子供だつた。わたしの記憶には色の黒い童女の顏が浮んで來る。なぜその童女を戀ふやうになつたか? 現在のわたしの眼から見れば、寧ろ醜いその童女を。さう云ふ疑問に答へられるものはこの一筋の帶だけであらう。わたしは唯樟腦に似た思ひ出の匀を知るばかりである。

 (竹の枝は吹かれてゐる。娑婆界の風に吹かれてゐる。)

 

       線  香

 わたしは偶然垂れ布を掲げた。…………

 妙に薄曇つた六月の或朝。

 八大胡同(こどう)の妓院(ぎいん)の或部屋。

 垂れ布を掲げた部屋の中には大きい黒檀の圓卓(テイブル)に、美しい支那の少女が一人、白衣(びやくえ)の兩肘をもたせてゐた。

 わたしは無躾を恥ぢながら、もと通り垂れ布を下さうとした。が、ふと妙に思つた事には、少女は默然(もくねん)と坐つたなり、頭の位置さへも變へようとしない。いや、わたしの存在にも全然氣のつかぬ容子である。

 わたしは少女に目を注いだ。すると少女は意外にも幽かに眶(まぶた)をとざしてゐる。年は十五か十六であらう。顏はうつすり白粉を刷(は)いた、眉の長い瓜實顏である。髮は水色の紐に結んだ、日本の少女と同じ下げ髮、着てゐる白衣は流行を追つた、佛蘭西(フランス)の絹か何からしい。その又柔かな白衣の胸には金剛石(ダイアモンド)のブロオチが一つ、水水しい光を放つてゐる。

 少女は明を失つたのであらうか? いや、少女の鼻のさきには、小さい銅の蓮華の香爐に線香が一本煙(けむ)つてゐる。その一本の線香の細さ、立ち昇る煙のたよたよしさ、――少女は勿論目を閉ぢたなり、線香の薫りを嗅いでゐるのである。

 わたしは足音を盜みながら、圓卓の前へ歩み寄つた。少女はそれでも身ぢろぎをしない。大きい黒檀の圓卓は丁度澄み渡つた水のやうに、ひつそりと少女を映してゐる。顏、白衣、金剛石のブロオチ――何一つ動いてゐるものはない。その中に唯線香だけは一點の火をともした先に、ちらちらと煙を動かしてゐる。

 少女はこの一炷(しゆ)の香(かう)に清閑を愛してゐるのであらうか? いや、更に氣をつけて見ると、少女の顏に現れてゐるのはさう云ふ落着いた感情ではない。鼻翼は絶えず震えてゐる。唇も時時ひき攣るらしい。その上ほのかに靜脈の浮いた、華奢な顳顬(こめかみ)のあたりには薄い汗さへも光つてゐる。…………

 わたしは咄嗟に發見した。この顏に漲る感情の何かを!

 妙に薄曇つた六月の或朝。

 八大胡同の妓院の或部屋。

 わたしはその後、幸か不幸か、この美しい少女の顏程、病的な性慾に惱まされた、いたいたしい顏に遇つたことはない。

 

       日本の聖母

 山田右衞門作(ゑもさく)は天草の海べに聖母受胎の油畫を作つた。するとその夜聖母「まりや」は夢の階段を踏みながら、彼の枕もとへ下つて來た。

 「右衞門作! これは誰(たれ)の姿ぢや?」

 「まりや」は畫の前に立ち止まると、不服さうに彼を振り返つた。

 「あなた樣のお姿でございます。」

 「わたしの姿! これがわたしに似てゐるであらうか、この顏の黄色い娘が?」

 「それは似て居らぬ筈でございます。―― 」

 右衝門作は叮嚀に話しつづけた。

 「わたしはこの國の娘のやうに、あなた樣のお姿を描き上げました。しかもこれは御覽の通り、田植の裝束でございます。けれども圓光がございますから、世の常の女人とは思はれますまい。

 「後ろに見えるのは雨上りの水田、水田の向うは松山でございます。どうか松山の空にかかつた、かすかな虹も御覽下さい。その下には聖靈を現す爲に、珠數懸け鳩((じゆずかけばと)が一羽飛んで居ります。

 「勿論かやうなお姿にしたのは御意に入らぬことでございませう。しかしわたしは御承知の通り、日本の畫師でございます。日本の畫師はあなた樣さへ、日本人にする外はございますまい。何とさやうでございませんか?」

「まりや」はやつと得心したやうに、天上の微笑を輝かせた。それから又星月夜(ほしづくよ)の空へしつしづとひとり昇つて行つた。…………

 

       玄  關

 わたしは夜寒(よさむ)の裏通りに、あかあかと障子へ火の映つた、或家の玄關を知つてゐる。玄關を、――が、その蝦夷松の格子戸の中へは一遍も足を入れたことはない。まして障子に塞がれた向うは全然未知の世界である。

 しかしわたしは知つてゐる。その玄關の奧の芝居を。涙さへ催させる人生の喜劇を。

 去年の夏、其處にあつた老人の下駄は何處へ行つたか?

 あの古い女の下駄とあの小さい女の子の下駄と――あれは何時(いつ)も老人の下駄と履脱ぎの石にあつたものである。

 しかし去年の秋の末には、もうあの靴や薩摩下駄が何處からか其處へはひつて來た。いや、履き物ばかりではない。幾度もわたしを不快にした、あの一本の細卷きの洋傘(かさ)![やぶちゃん注:ここは「洋傘」で(かさ)とルビを振っている。] わたしは今でも覺えてゐる。あの小さい女の子の下駄には、それだけ同情も深かつたことを!

 最後にあの乳母車! あれはつひ四五日前から、椅子戸の中にあるやうになつた。見給へ、男女の履き物の間におしやぶりも一つ落ちてゐるのを。

 わたしは夜寒の裏通りに、あかあかと障子へ火の映つた、或家の玄關を知つてゐる。丁度まだ讀まない本の目次だけざつと知つてゐるやうに。