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鬼火へ

[やぶちゃん注:大正三(1914)年十月号の雑誌『風景』に掲載された。底本は昭和五十一(1976)年筑摩書房刊の「萩原朔太郎全集 第五巻」を用いた。傍点「ヽ」は下線に、傍点「○」は下線斜体に、「こ」に似た繰り返し記号は「々」に代えた。なお底本では、各台詞が二行目に及ぶ場合は、一字下げとなっている。]

 

魚と人と幼兒 (人魚詩社の畏友に捧ぐ)   萩原朔太郎

 

    暗くして寂しき南國の夜、

    三個の十字架は荒廢せる砂丘の上に建てられたり、

    その上に沈默せる三個の死屍、

    遠く海軟風の快き微流を感ず。

    三種の聲は各々の隔絶せる地位より來り各々異なる音級を有す、

    即ち魚は滄海の底にありてソプラノ、幼兒は天上にありてアルト、

    人は地上にありてテノール、

    何人も彼等の實體を視ること能はず。

 

合唱

よるがくる、

あさがくる、

よるがくる、

あさがくる。

わがゆくみちは異端の路、

禁制の路、邪淫の路、

感傷の路、狂氣の路、

わがゆくみちは異端の路、

鮮血の路、苛責の路、

ろまんちつくの天界の路、

眞實一路、十字架の路。

よるがくる

あさがくる

さんたまりや

 

幼兒―― われはくるすを背負ふ。

人―― ああ、わが額はやぶられ、掌(て)はきずつき、而して靈魂(たましひ)は深海の汝を呼ばふ。

魚―― ああ。

人―― いま、われ泳ぐ汝を見たり。わだつみの海の底より青ざめし汝はきたる。ああ、汝はきたる。

幼兒―― みよ、神と人と幽靈とを視んと思ひて彼は來れるなり。

人―― われは泳ぐ汝を見たり。瞳孔(ひとみ)はそこひなき滄海の底にもあり、瞳孔(ひとみ)はらじうむの放射のごとく、夜天の青き太陽のごとくにも光りて見ゆ。いろこは青空のうへにもあり、いろこは電光もてやぶられたるええてるのごとく、おくつきの屍蠟の白き指のごとくにも輝やきて見ゆ。

幼兒―― いまだ實體は魚なり、汝がみるところ甚だよし、しかれども魚の來らむとするまへ、汝の肢體をつつしめ。いま、あらゆるものは飛散す。

魚―― ああ。

人―― なになれば、この魚はわれを殺さんとするぞ。あまりに爾の肉の輝やくことにより我が瞳(め)はめしひ、手足(しゆそく)はちぎれ飛びなんとす。魚よ手をつつしめ。たれかよく此の接觸に耐へうるものぞ、たれか此の傷ましき「時」の眞空に耐へんとするものぞ。

幼兒―― 魚よ、手をつつしめ。

人―― ああ、爾のあまりに鋭どく近づことにより、我が肉は次の如くに粉散し、わが腦髓は白熱して酷烈の砂上をはしる。そもそも汝は太陽なるか。

幼兒―― 魚は太陽にあらず、然れども夜の太陽なり。月にあらず、沒落したる眞理なり。最初、汝が見たるところの如し。

人―― みよ、みよ、天と地との間、かの光る十字いちめんに疾行し、わが氣息すでに絶えなむとす。

幼兒―― 十字を追へ、十字を追へ。

   ――極めて長き沈默――

 

合唱(底ひなき沈默より、無限より漸次に發聲するを以て其の最終句に至るも尚全く聽くことを得ず)

よるがくる、

あさがくる、

よるがくる、

あさがくる。

 

人―― 我れ既に眠り、我れ既に十字を捉へ、我れ既に爾を視たり、我れ既に爾を知る。

幼兒―― ……………………。

人―― 幼兒よ、爾は耶蘇なり、爾は賤しきものの馬屋に生れ、キリストと呼ばれき。幼兒よ、爾の名は耶蘇なり。われ既に爾を知る。

幼兒―― 眞(まこと)に我は人の子なり。聽け、曾て汝は我が側にありき。汝もまた彼と同じく我が側にありき。

人―― 魚もまた曾て人の子なるか。

幼兒―― 視よ、彼の輝やく白日の砂丘の上に我れの死はあり、爾等の死はあり、視よ、三個(みつ)の標柱(しるし)は十字架なり。その一個(ひとつ)は魚、その一個は人、その一個は幼兒(をさなご)。その一個(ひとつ)は盗びと、その一個は欺騙(かたり)、その一個は人の子を懸けたり。眞(まこと)に眞に、われ爾に告げん。かくして「凡庸」の沒薬は我が鼻孔に捧げられ「概念」の穂先ひらめきて血はそのつめたき「理智」の柄をながれたり。日すでに暮(くれ)に及びて、悩ましき黄昏の微動のあひだ、我れ烈しく血を吐き、哀しみ極まり、正に息絶えんとしてゑりゑりらまさばくたにと叫べり。これぞ人間が有する唯一の「眞實」にして、わが唯一の奇蹟、唯一の信仰、唯一の教理、唯一の生命、唯一の智識、言葉の中の言葉なり、眞(まこと)に爾等に告げん、これを譯すればせんちめんたりずむといふ言葉なり。

人―― 「眞實」も尚幼兒(をさなご)のごとくに殺さるることありや。

魚―― ああ。

幼兒―― すでにして我が哀傷は電光を呼び、涙は洪水の如く地を流れ、惡鬼は呪文を失ひ、侏儒はその黒き覆面を地になげうてり。時にわれ眼をあげて、遠き丘陵の偏路を望みたるに、蟻の如き群集の兵卒と共に走りつつ、我れを指さし或は恐怖し或は悲しみ或は嘲笑しつつ脱るるものを見たり。これ群盲なり。既にして夜の闇黒は我が砂丘を覆ひ全地を覆ひ、物象は全くその形を失へり。[やぶちゃん注:ここのみ改行されている。従って、底本では次行の冒頭は二字下げ。]

 この時戸外にあるもの、只我れと汝と爾の三個のみ。想へ、かの荒郊の砂丘に建てられたる三個の十字架の傷ましさを。そはかの醜き外面の形體にあらずして生命の韻律なるがために傷ましき也。建てられたる標柱(しるし)は劫久に拔かるることなからん。此の故に光榮の堕落はありとあらゆる眞人の世界にありて最も傷ましき哉。そは最終の日に至るまで「光」地上を離るること能はざれば也。およそ時流の圏外に立つて眞實の一路を歩むものは斯の如し。「假面」の異端は常に十字架に釘うたる。

人―― 黎明はつひに來らざるか。

幼兒―― いま地は闇黒なり。われは黎明なれども人々我れを視ず。われ喇叭を吹けども人々我れを聽かず。地は眠れり。彼等は「力」と「遊戲」を失ふこと久しきに過ぐ。

人―― しばらく、我が邪宗感傷門の扉(とびら)に燭を點じて待たんとす。

魚―― ああ。

人―― 魚の言葉なきは傷むべき哉、併し。

幼兒―― 魚は魚の言葉を有す。眞實(まこと)の言葉は遊行の韻律(リズム)にのみ現はる。斯くするは眠れる善人の耳より入り、聲なく語ることなくして其の額に泳げばなり。聴け、いま我等は荒廢の砂丘にありて三位一體なり。地上に於ける唯一の「光」唯一の「瞳」唯一の「奇蹟」況んや「不可解」にして「眞」「美」にして「善」なり。過去、我等の右に新らしきものなく、未來、我等の左に古きもの無からん。素より我れは元始より甚だ古くして元始より甚だ新らしければ也。

   ――沈默、遙かに海のけはひし何處ともなく次第に鮮緑の螢光を感ず――

 

人―― ああ我れは肉をもつて金屬を研く、諸々(もろもろ)の苦痛、諸々の忍辱(にんにく)に額は裂け、指より絹のごとき血したたりて今既に感傷の涅槃を感ず。主よ、願はくは吾と魚との上にあれ。榮光、主のをさな兒のうへにあれ。亞眠(あめん)。

幼兒――みよ、海より日の如きもの昇り、さんらんたる、跳躍せる、合掌せる女體を見る。之れ人魚なり。況んや爾等の母體なり。

 

合唱

わがゆくみちは異端のみち、

感傷のみち、狂氣のみち、

眞實一路、十字架のみち、

よるがくる、

あさがくる、

さんたまりや。         (幕)