[やぶちゃん注:大正六(一九一七)年八月発行の雑誌『鐘』に掲載。底本は岩波版旧全集を用いた。「とうとう」はママ。]
產 屋
萩原朔太郞君に獻ず
男は河から蘆を切つて來て、女の爲に產屋を葺いた。それから又引きかへして、前の河の岸へ行つた。さうして切りのこした蘆の中に脆いて、天照大神に、母と子との幸ひを祈つた。
日がくれかかると、女は產屋を出て、蘆の中にゐる男の所へ來た。
さうして「七日目に又來て下さい。その時に子どもを見せませう。」と云つた。
男は一日も早く、生まれた子が見たかつた。が、女の賴みは、父らしく素直にうけあつた。
その中に日が暮れた。男は蘆の中につないで置いた丸木舟に乘つて、河下の村へさみしく漕いで歸つた。
しかし村へ歸ると、男は、七日待つのが、身を切られるよりもつらく思はれた。
そこで、頸にかけた七つの曲玉を一日每に、一つづゝとつて行つた。さうしてその數がふへるのを、せめてもの慰めにしようとした。
日は每日、東から出て、西へはいつた。男の頸にかけた曲玉は、その每に一つづゝ減つて行つた。が、六日目に男はとうとうがまんが出來なくなつた。
その日の夕、蘆の中に丸木舟をつなぐと、男はそつと產屋の近くへ忍んで行つた。
來て見ると、產屋の中はまるで人氣がないやうに、しんとしてゐた。さうして唯屋根に葺いた蘆の穗だけが暖く秋の日のにほひを送つてゐた。
男はそつと戶をあけた。
蘆の葉を敷いた床の上に、ぼんやり動いてゐるやうに見えるのが、子どもであらう。
男は、前よりもそつと產屋の中へ足を入れた。さうして、恐る恐る身をこごめた。
その時である。河の水は、恐しい叫び聲の爲に驚いて、蘆の根をゆすつた。
男が叫び聲をあげたのも、無理はない。女の產んだ子どもと云ふのは、七匹の小さな白蛇であつた。…………
この頃自分は、この神話の中の男のやうな心もちで、自分の作品集を眺めてゐるのである。