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鬼火へ

[やぶちゃん注:底本は1984年平凡社刊「南方熊楠選集 第三巻 南方随筆」を用いた。冒頭の章題の下部には、ポイント落ち二行で、以下の記載がある。『前田「通り魔の俗説」参照(『人類学雑誌』二七巻九号五七三頁)』。]

 

通り魔の俗説   南方熊楠

 

 山崎美成の『世事百談』にこのことを記せり。いわく、「前略、ふと狂気するは、何となきに怪しきもの目に遮ることありて、それに驚き魂を奪われ、思わず心の乱るるなり。俗に通り悪魔に逢うと言う、これなり」とて、むかし川井某なる士、庭前を眺めたりしに、縁前の手水鉢下の葉蘭叢中より、焰三尺ばかり、その煙盛んに上るを不審に思い、刀、脇指を別室へ運ばしめ、打ち臥して気を鎮めて見るに、焔の後方の板塀の上より、乱髪白襦袢着たる男躍び降り、鎗打ちふり睨む。心を臍下に鎮め、一睡して見れば焰、男、ともになし。尋(つ)いで隣宅の主人発狂し、刃揮い譫語(うわごと)したり。また四谷辺の人の妻、類焼後留守しおりたるに、焼場の草葉の中を、白髪の老人杖にすがり、蹣跚(まんさん)して笑いながら来たるさま、すこぶる怪し。彼女心得ある者にて、開眼して『普門品』を誦し、しばらくして見ればすでに消え失せぬ。さて三、四軒隔てたる医師の妻、暴かに狂気せり、とあり(撮要)。

 熊楠按ずるに、『古事談』巻三僧行部に、関東北条の孫なる少女、にわかに気絶、忠快僧都に祈らしめしに、少女に天狗ついて種々のことども言いければ、忠快いわく、これは験者などにて「加持(かじ)し奉るべきの儀にあらず」、止(や)んごとなきの人、-念の妄心によって、あらぬ道に堕ちたまうこと不便なれば、経を誦んで聞かせ奉って、菩薩をも「祈り奉りたるなり」、去るにても誰にて御坐侯かなと言いければ、恥かしければ詞にては得申し出でじ、書きて申さんと言いければ、硯紙など取らせければ、はかばかしく仮名などだに書かざる少女、権少僧都良実と書きたりければ、周防僧都御房御(おは)するにこそ侍りなんとて、物語りなどしけり。全く害心も侍らず、これを罷り通ること侍りつるにて候いつるに、きと目を見入れて侯いつるなり。今は罷り帰り候いてんとて退散し、少女無為たり、云々、とあり(目を合わせば魔の害を受くること、『塵塚物語』より『東京人類学会雑誌』二八〇号四〇六頁[やぶちゃん注:南方熊楠の「邪視について」を指す。]に引けるを見よ)。通り悪魔の迷信、中古すでに本邦にありしを知るに足れり。        (大正元年八月『人類学雑誌』二八巻八号)