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鬼火へ


都會で   芥川龍之介

  ――或は千九百十六年の東京―

[やぶちゃん注:昭和二(1927)年三月・四月・五月に発行された雑誌『手帖』の三号分に連載された。底本は岩波版旧全集を用いた。なお、一部を底本のスキャン画像とした。]

 

 都會で

    ――或は千九百十六年の東京――

 

     

 

 風に靡いたマツチのほのほほど無氣味にも美しい靑いろはない。

 

     

 

 如何に都會を愛するか?――過去の多い女を愛するやうに。

 

     

 

 雪の降つた公園の枯芝は何よりも砂糖漬にそつくりである。

 

     

 

 僕に中世紀を思ひ出させるのは嚴めしい赤煉瓦の監獄である。若し看守さへゐなければ、馬に乘つたジアン・ダアクの飛び出すのに遇つても驚かないかも知れない。

 

     

 

 或女給の言葉。――いやだわ。今夜はナイホクヽヽヽヽなんですもの。

  註。ナイホクヽヽヽヽはナイフだのフォオクだのを洗ふ番に當ることである。

 

     

 

 並み木に多いのは篠懸すゞかけである。とちも三角楓も極めて少ない。しかし勿論派出所の巡査はこの木の古典的趣味を知らずにゐる。

 

     

 

 令孃に近い藝者が一人、僕の五六歩前に立ち止まると、いきなり擧手の禮をした。僕はちよつと狼狽した。が、後ろを振り返つたら、同じ年頃の藝者が一人、やはりちやんと擧手の禮をしてゐた。

 

     

 

 最も僕を憂欝にするもの。――カアキイ色に塗つた煙突。電車の通らない線路の錆び。屋上庭園に飼はれてゐる猿。…………

 

     

 

 僕は午前一時頃或町裏を通りかかつた。すると泥だらけの土工が二人、瓦斯か何かの工事をしてゐた。狹い路は泥の山だつた。のみならずその又泥の山の上にはカンテラの火が一つ靡いてゐた。僕はこのカンテラの爲にそこを通ることも困難だつた。すると若い土工が一人、穴の中から半身を露したまま、カンテラを側へのけてくれた。僕は小聲に「ありがたう」と言つた。が、何か僕自身を憐みたい氣もちもない譯ではなかつた。

 

     

 

 夜半の隅田川は何度見ても、詩人S・Mの言葉を越えることは出來ない。――「羊羹のやうに流れてゐる。」

[やぶちゃん注:「詩人S・M」は室生犀星。]

     十一

 

 「××さん、遊びませう」と云ふ子供の聲、――あれは音の高低を示せば、×× である。あの音はいつまで殘つてゐるかしら。

 

     十二

 

 火事はどこか祭禮に似てゐる。

 

     十三

 

 東京の冬は何よりも漬け菜の莖の色に現れてゐる。殊に場末の町々では。

 

     十四

 

 何かものを考へるのに善いのはカツフエの一番隅の卓子、それから孤獨を感じるのに善いのは人通りの多い往來のまん中、最後に靜かさを味ふのに善いのは開幕中の劇場の廊下、……