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三木清「旅について」授業ノート  copyright 2006 Yabtyan


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★授業用本文(分かり易くするため新字体に直し、段落番号及び一部に段落内細分番号を用いて改行した。)


〔第1段落〕

 ひとはさまざまの理由から旅に上るであらう。或る者は商用のために、他の者は視察のために、更に他の者は休養のために、また或る一人は親戚の不幸を見舞ふために、そして他の一人は友人の結婚を祝ふために、といふやうに。人生がさまざまであるやうに、旅もさまざまである。しかしながら、どのやうな理由から旅に出るにしても、すべての旅には旅としての共通の感情がある。一泊の旅に出る者にも、一年の旅に出る者にも、旅には相似た感懐がある。恰も、人生はさまざまであるにしても、短い一生の者にも、長い一生の者にも、すべての人生には人生としての共通の感情があるやうに。

 

〔第2段落〕

①旅に出ることは日常の生活環境を脱けることであり、平生の習慣的な関係から逃れることである。旅の嬉しさはかやうに解放されることの嬉しさである。ことさら解放を求めてする旅でなくても、旅においては誰も何等か解放された気持になるものである。或る者は実に人生から脱出する目的をもつてさへ旅に上るのである。ことさら脱出を欲してする旅でなくても、旅においては誰も何等か脱出に類する気持になるものである。旅の対象としてひとの好んで選ぶものが多くの場合自然であり、人間の生活であつても原始的な、自然的な生活であるといふのも、これに関係すると考へることができるであらう。

②旅におけるかやうな解放乃至脱出の感情にはつねに或る他の感情が伴つてゐる。即ち旅はすべての人に多かれ少かれ漂泊の感情を抱かせるのである。解放も漂泊であり、脱出も漂泊である。そこに旅の感傷がある。

 

〔第3段落〕

①漂泊の感情は或る運動の感情であつて、旅は移動であることから生ずるといはれるであらう。それは確かに或る運動の感情である。けれども我々が旅の漂泊であることを身にしみて感じるのは、単に乗つて動いてゐる時ではなく、むしろ宿に落着いた時である。漂泊の感情は単なる運動の感情ではない。

②旅に出ることは日常の習慣的な、従つて安定した関係を脱することであり、そのために生ずる不安から漂泊の感情が湧いてくるのである。旅は何となく不安なものである。

③しかるにまた漂泊の感情は遠さの感情なしには考へられないであらう。そして旅は、どのやうな旅も、遠さを感じさせるものである。この遠さは何キロと計られるやうな距離に関係してゐない。毎日遠方から汽車で事務所へ通勤してゐる者であつても、彼はこの種の遠さを感じないであらう。ところがたとひそれよりも短い距離であつても、一日彼が旅に出るとなると、彼はその遠さを味ふのである。旅の心は遥かであり、この遥けさが旅を旅にするのである。それだから旅において我々はつねに多かれ少かれ浪漫的になる。浪漫的心情といふのは遠さの感情にほかならない。

④旅の面白さの半ばはかやうにして想像力の作り出すものである。旅は人生のユートピアであるとさへいふことができるであらう。

⑤しかしながら旅は単に遥かなものではない。旅はあわただしいものである。鞄1つで出掛ける簡単な旅であつても、旅には旅のあわただしさがある。汽車に乗る旅にも、徒歩で行く旅にも、旅のあわただしさがあるであらう。旅はつねに遠くてしかも、つねにあわただしいものである。それだからそこに漂泊の感情が湧いてくる。漂泊の感情は単に遠さの感情ではない。遠くて、しかもあわただしいところから、我々は漂泊を感じるのである。遠いと定まつてゐるものなら、何故にあわただしくする必要があるであらうか。それは遠いものでなくて近いものであるかも知れない。いな、旅はつねに遠くて同時につねに近いものである。そしてこれは旅が過程であるといふことを意味するであらう。旅は過程である故に漂泊である。

⑥出発点が旅であるのではない、到着点が旅であるのでもない、旅は絶えず過程である。ただ目的地に着くことをのみ問題にして、途中を味ふことができない者は、旅の真の面白さを知らぬものといはれるのである。日常の生活において我々はつねに主として到達点を、結果をのみ問題にしてゐる、これが行動とか実践とかいふものの本性である。しかるに旅は本質的に観想的である。旅において我々はつねに見る人である。平生の実践的生活から脱け出して純粋に観想的になり得るといふことが旅の特色である。旅が人生に対して有する意義もそこから考へることができるであらう。

 

〔第4段落〕

 何故に旅は遠いものであるか。未知のものに向つてゆくことである故に。日常の経験においても、知らない道を初めて歩く時には実際よりも遠く感じるものである。仮にすべてのことが全くよく知られてゐるとしたなら、日常の通勤のやうなものはあつても本質的に旅といふべきものはないであらう。旅は未知のものに引かれてゆくことである。それだから旅には漂泊の感情が伴つてくる。旅においてはあらゆるものが既知であるといふことはあり得ないであらう。なぜなら、そこでは単に到着点或ひは結果が問題であるのでなく、むしろ過程が主要なのであるから。途中に注意してゐる者は必ず何か新しいこと、思ひ設けぬことに出会ふものである。旅は習慣的になつた生活形式から脱け出ることであり、かやうにして我々は多かれ少かれ新しくなつた眼をもつて物を見ることができるやうになつてをり、そのためにまた我々は物において多かれ少かれ新しいものを発見することができるやうになつてゐる。平生見慣れたものも旅においては目新しく感じられるのがつねである。旅の利益は単に全く見たことのない物を初めて見ることにあるのでなく、――全く新しいといひ得るものが世の中にあるであらうか――むしろ平素自明のもの、既知のもののやうに考へてゐたものに驚異を感じ、新たに見直すところにある。我々の日常の生活は行動的であつて到着点或ひは結果にのみ関心し、その他のもの、途中のもの、過程は、既知のものの如く前提されてゐる。毎日習慣的に通勤してゐる者は、その日家を出て事務所に来るまでの間に、彼が何を為し、何に会つたかを恐らく想ひ起すことができないであらう。しかるに旅においては我々は純粋に観想的になることができる。旅する者は為す者でなくて見る人である。かやうに純粋に観想的になることによつて、平生既知のもの、自明のものと前提してゐたものに対して我々は新たに驚異を覚え、或ひは好奇心を感じる。旅が経験であり、教育であるのも、これに依るのである。

 

〔第5段落〕

 人生は旅、とはよくいはれることである。芭蕉の奥の細道の有名な句を引くまでもなく、これは誰にも一再ならず迫つてくる実感であらう。人生について我々が抱く感情は、我々が旅において持つ感情と相通ずるものがある。それは何故であらうか。

 

〔第6段落〕

①何処から何処へ、といふことは、人生の根本問題である。我々は何処から来たのであるか、そして何処へ行くのであるか。これがつねに人生の根本的な謎である。さうである限り、人生が旅の如く感じられることは我々の人生感情として変ることがないであらう。いつたい人生において、我々は何処へ行くのであるか。我々はそれを知らない。人生は未知のものへの漂泊である。我々の行き着く処は死であるといはれるであらう。それにしても死が何であるかは、誰も明瞭に答へることのできぬものである。何処へ行くかといふ問は、翻つて、何処から来たかと問はせるであらう。過去に対する配慮は未来に対する配慮から生じるのである。漂泊の旅にはつねにさだかに捉へ難いノスタルヂヤが伴つてゐる。人生は遠い、しかも人生はあわただしい。人生の行路は遠くて、しかも近い。死は刻々に我々の足もとにあるのであるから。しかもかくの如き人生において人間は夢みることをやめないであらう。我々は我々の想像に従つて人生を生きてゐる。人は誰でも多かれ少かれユートピアンである。旅は人生の姿である。

②旅において我々は日常的なものから離れ、そして純粋に観想的になることによつて、平生は何か自明のもの、既知のものの如く前提されてゐた人生に対して新たな感情を持つのである。旅は我々に人生を味はさせる。あの遠さの感情も、あの近さの感情も、あの運動の感情も、私はそれらが客観的な遠さや近さや運動に関係するものでないことを述べてきた。旅において出会ふのはつねに自己自身である。自然の中を行く旅においても、我々は絶えず自己自身に出会ふのである。旅は人生のほかにあるのでなく、むしろ人生そのものの姿である。

 

〔第7段落〕

①既にいつたやうに、ひとはしばしば解放されることを求めて旅に出る。旅は確かに彼を解放してくれるであらう。けれどもそれによつて彼が真に自由になることができると考へるなら、間違ひである。解放といふのは或る物からの自由であり、このやうな自由は消極的な自由に過ぎない。旅に出ると、誰でも出来心になり易いものであり、気紛れになりがちである。人の出来心を利用しようとする者には、その人を旅に連れ出すのが手近かな方法である。旅は人を多かれ少かれ冒険的にする、しかしこの冒険と雖も出来心であり、気紛れであるであらう。旅における漂泊の感情がそのやうな出来心の根柢にある。しかしながら気紛れは真の自由ではない。気紛れや出来心に従つてのみ行動する者は、旅において真に経験することができぬ。旅は我々の好奇心を活発にする。けれども好奇心は真の研究心、真の知識欲とは違つてゐる。好奇心は気紛れであり、一つの所に停まつて見ようとはしないで、次から次へ絶えず移つてゆく。一つの所に停まり、一つの物の中に深く入つてゆくことなしに、如何にして真に物を知ることができるであらうか。好奇心の根柢にあるものも定めなき漂泊の感情である。また旅は人間を感傷的にするものである。しかしながらただ感傷に浸つてゐては、何一つ深く認識しないで、何一つ独自の感情を持たないでしまはねばならぬであらう。

②真の自由は物においての自由である。それは単に動くことでなく、動きながら止まることであり、止まりながら動くことである。動即静、静即動といふものである。人間到る処に青山あり、といふ。この言葉はやや感傷的な嫌ひはあるが、その意義に徹した者であつて真に旅を味ふことができるであらう。真に旅を味ひ得る人は真に自由な人である。涙することによつて、賢い者はますます賢くなり、愚かな者はますます愚かになる。日常交際してゐる者が如何なる人間であるかは、一緒に旅してみるとよく分るものである。人はその人それぞれの旅をする。旅において真に自由な人は人生において真に自由な人である。人生そのものが実に旅なのである。

 

★授業案


□1 旅の感情(旅と人生の共通感情) 第1段落

 

命題提示 A∧A´⇒A≒A´

 

旅〈A〉には旅としての共通感情がある

∧(そして)

人生〈A´〉には人生としての共通感情がある

⇒(ならば)

旅〈A〉と人生〈A´〉は相似である〈≒〉

 

 

 

□2.1 漂泊感Ⅰ(旅の感情分析Ⅰ) 

■2.1.1 筆者の見解の提示(1)~旅の属性としての感覚 第2段落①

 

A=B

 

旅〈A〉=日常性からの「解放」「脱出」の感情〈B〉=日常性の枠の外に出た自由感

 

■2.1.2 筆者の見解の提示(2)~旅の本質としての感情 第2段落②

 

A=B=C

 

Bの自由感に同時に伴う不安感・流動感=旅の感傷=旅情=漂泊の感情〈C〉

 

 

 

□2.2 漂泊感Ⅱ(旅の感情分析Ⅱ)

■2.2.1 「漂泊の感情」の説明(1) 第3段落①

 

C≠α

 

旅≠日常空間内での物理的移動=単なる運動の感情〈α〉≠漂泊の感情〈C〉

 

C⊉α

C⊈α

C∩α≠∅

 

*厳密に考えるなら、上記のように、旅と運動の感情の共通部分は空集合ではなく、共通部分をα₁とおき、共通部分でない日常の移動をα₂とおくなら、

 

C=α₁

 

である。しかし、ここでは論理の展開上、そのままαを用いておく。

 

■2.2.2 「漂泊の感情」の説明(2) 第3段落②

 

C=(α+β)

 

旅=日常的空間から非日常的空間への移動=運動の感情〈α〉+不安〈β〉=漂泊の感情〈C〉

 

■2.2.3.1 「漂泊の感情」の説明(3) 第3段落③

 

C=(α+β)=γ

 

旅=日常的時間・空間からの離脱=遠さの感情=浪漫的心情〈γ〉=漂泊の感情〈C〉

 

◇「(ア)旅を(イ)旅にする」

(ア)……単なる物理的移動〈α〉としての「旅」

(イ)……精神的な意味での旅情〈C〉を伴う「旅」

 

romantic:現実の時間・空間をはるかに越えて、無限に空想・憧憬する傾向。フランス語由来なので、ローマはフランス人にとって、空想的情緒的で、恋愛感情を想起させる地であったということか。

 

■2.2.3.2 「旅」の非日常性について 第3段落④

 

A=B=C≒D

 

ユートピア〈D〉=あるべくもない理想郷=実人生にも理想郷はないという事実

しかし

非日常性と浪漫的心情と想像力が結び付いた旅〈A〉≒ユートピア〈D〉


・utopia:イギリスの思想家トマス・モアが1516年にラテン語で出版した書名で、同時に同書に現れる国家の名前。「無可有郷」「理想郷」等と訳された。ギリシア語で ou(not)+topos(place)=nowhere「どこにもない場所」の意味であるが、原作では"Eutopia"としている部分もあって、eu(good)の意味も持たせて「すばらしく良いがどこにもない場所」を意味するものであったとも言われる。

 

■2.2.4 「漂泊の感情」の説明(4) 第3段落⑤

 

C=(α+β)=γ=δ

 

旅=「慌ただしさ」の感情=「近さ」の感情=過程〈δ〉=漂泊の感情〈C〉

 

◇「旅は常に遠くて同時に常に近い」

過去・未来の座標軸(遠い)……「浪漫的心情」の無限性

現在の座標軸(近い)……「慌ただしさ」の有限性

 

 

 

□3 日常性に対する「旅」の本質について  第3段落⑥

 

C=(α+β)=γ=δ=ε

 

◇日常の生活→「到達点」「結果」中心=「行動」「実戦」の世界

◇旅→「過程」〈δ〉中心=「観想」〈ε〉の世界

 

◇旅〈A〉が人生〈A´〉に対して有する意義を観想〈ε〉から考えることができる。

 

◎εを用いてA≒A´であることを証明できる

 

・観想:[哲学]真理・実在を他の目的のためではなく、それ自身のために静かに眺めること。

 

 

 

□4 旅の効用~旅は教育である

■4.1 旅のまとめ(1) 第4段落①……第3段の①~⑤を受ける

◇「既知」=すべてがわかったものであり、わかったもののように考えられている「習慣的になった生活様式」=日常性 

◇「未知」=すべてがわかったもののように考えていたものに「驚異を感じ、新たに見直す」=旅の意味

 

■4.2 旅のまとめ(2) 第4段落②……第3段の⑥を受ける

 

A=ε=E

 

旅において人は純粋に観想的になる

 

◇「なす人」=行動者・実践者

◇「見る人」=観想者=「未知」への驚異と好奇心=人間としての成長と発展

 

旅〈A〉=観想〈ε〉=経験=教育〈E〉

 

・経験~ a posteriori(ア・ポステリオリ)⇔ a priori(ア・プリオリ)

 

 

 

□5 旅の行程と人生の行路(旅は人生の姿)

■5.1 問題提起 第5段落

 

A≒A´であるのは、なぜか。

 

■5.1.2 解1 第6段落①

 

A=Cであり、A´≒Cである。ゆえにA≒A´である。

 

人生の根本問題=「どこからどこへ」≒旅

 

{(α+β),γ,δ}

 

旅〈A〉のごとく、人生〈A´〉も、

「遠い」「慌ただしい」「遠くて、しかも近い」という(運動の感情〈α〉+不安〈β〉)、

「夢見る」「想像」という浪漫的心情〈γ〉、

「どこへ行くか」「何処から来たか」(=「過程」)〈δ〉、

という「未知のものへの漂泊」〈C〉としての特異的属性を同様に内包する。

 

nostalgia

R. НОСТАЛЬГЙЯ

E. NOSTALGIA

I. NOSTALGHIA

F. NOSTALGIE

Gk.nostos(return home)+ algos(pain)

J. 死に至る郷愁,懐郷病

 

◇人生〈A´〉は未知のものへの漂泊〈C〉

 

■5.1.2 解2(εを用いての証明) 第6段落②

 

A=ε=E≒A´ ∴ A≒A´

 

旅〈A〉は「本質的に観想的〈ε〉」

ゆえに

人に人生〈A´〉を味わあせる。その人生〈A〉は、日常性の中に埋没して見失っている自己自身を改めて発見し、取り戻すことによって味わう(教育〈E〉≒人生〈A´〉)ことができる。

 

 

 

□6 旅・人生・自由~旅及び人生における自由 第6段落①

◇旅と人生のまとめ

 

F´≠F

 

解放=(出来心,気まぐれ,冒険,好奇心,感傷)=物からの自由(消極的自由)〈F´〉=擬似的自由≠真の自由〈F〉

 

 

 

□7 結論 旅と真の自由について 第6段落②

 

(A=F)⊃(A=A´)

 

A=F ならば、A=A´である。

 

真の自由〈F〉=「物においての自由」=自律的な自由=積極的自由=「真に体験する」=「真の研究心を持つ」=「真の知識欲を持つ」=「真の認識」


・「人間(じんかん)到る処に青山あり」:吉田松陰との交友もあった幕末の本願寺派僧にして尊王攘夷論者、釈月性(げつしょう)[文化14(1817)年~安政5(1858)年]の七言絶句「將東遊題壁」(「清狂遺稿」所収)の結句。人の世はどこであろうと青山(=死に場所・墳墓の地)はあるという意。覚悟さえあれば人はこの世界のどこであろうと死ねるものだ、故に我等は故郷を出でて雄飛すべきである、との意を含む。

   將東遊題壁   釋月性
  
  男兒立志出郷關
  學若無成不復還
  埋骨何期墳墓地
  人間到処有青山

   將に東遊せんとして壁に題す   釋月性

  男兒 志立てて 郷關を出づ
  学若し成る無くんば 復た還らず
  骨埋むるに 何ぞ期せん 墳墓の地
  人間 到る処に 青山有り

 

◇「人は人それぞれに旅をする」

旅の様式は様々である→人の人格・人間性の反映

人間の行動様式は様々である→(同じく)人の人格・人間性の反映

 

◎旅〈A〉においてその固有の人間存在は明らかとなる=実人生〈A´〉においてその固有の人間存在は明らかになる

 

◇題名の重層性 旅について=人生について

 本作は三木清の「人生論ノート」の一節である。


 

◇彼の旅

三木清(1897-1945 明治30-昭和40)

 哲学者。兵庫県に生まれ、京都大学哲学科で西田幾多郎や波多野精一に学び、さらに192225年ワイマール・ドイツを中心にヨーロッパに留学、リッケルトやハイデッガーに学んだ。そこで開眼した20世紀哲学の課題への挑戦は、まず《パスカルに於ける人間の研究》(1926)となって現れ、日本の哲学を革新するものという評を得た。また、マルクスの思想が一定の人間学をもつことを構造論的に明らかにした論文《人間学のマルクス的形態》(1927)をはじめ、やつぎばやにマルクス主義研究の論文を発表し、また羽仁五郎とともに雑誌《新興科学の旗の下(もと)に》を創刊(1928)して、折から昂揚したマルクス主義革命運動に大きな影響を与えた。それは、政治的革命運動を超えて世界観(哲学)としてのマルクス主義の探求を促すものであった。

 やがて30年、非合法化された日本共産党に資金を与えたことから治安維持法違反に問われて検挙投獄され、一方その間に革命運動家の側からはプチ・ブル思想家として排除されると、《歴史哲学》(1932)や《哲学的人間学》(草稿のみ)をはじめ、多くの哲学的省察において、独自の歴史的人間学の構想を展開した。それとともに、ジャーナリズムの場で活発な時代と文化の批判を行い、ファシズム、軍国主義に抗して、〈新しいヒューマニズム〉を主張する言論と実践活動を行い、戦前昭和期のもっとも輝かしい思想家の一人となった。岩波文庫や岩波新書の発刊にあたっての彼の協力はよく知られている。

 日中戦争が拡大して太平洋戦争が迫った3840年のころ、近衛文麿のブレーン・トラストとして結成された昭和研究会に参加し、抽象的でない世界主義に基づく〈東亜新秩序〉論に理論的根拠を与えようとする活動も行ったが、結局挫折した。この間にも現実のうちに哲学的問題を探る努力を続け、これまでの探求を《構想力の論理》全2(193946)に集約した。それは、歴史的世界の構造と論理を解明すべき、主体と客体、パトスとロゴスを統一する〈行為の哲学〉の確立を目ざすものであったが、戦争の激化とともに未完に終わった。45年、警察を脱走した共産主義者タカクラテル(高倉輝)を庇護したことから検挙投獄され、敗戦後間もなく、釈放を待たずに獄死した。遺稿として未完の《親鸞》が残された。《三木清全集》全19(196668)がある。 荒川 幾男

(平凡社「世界大百科事典」より。傍線、やぶちゃん。)