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鬼火へ

[やぶちゃん注:底本には岩波版旧全集を用いた。本稿は同全集の第十二巻の「雑簒」の項に所収しており、文末に(大正七年)とあるのみで、後記の記載もないため、データはない。途中、読点で改行しているのはママである。]

 

寫生論   芥川龍之介

 
 寫生と云ふ意味を少し考へて見たい。
 第一に寫生には文字通りの意味がある。即ち周圍の自然をその儘句にすると云ふ意味がある。例を擧げれば子規先生の「かたまりて黄なる花咲く夏野かな」と云ふやうな句であらう。この意味の寫生を主張するのは勿論句作の上で重要な價値があるのに相違ない。殊に句作の傾向が技巧に走つた時代には一層有益だつたらうと思ふ。今日天下が句作の眞諦としてゐる寫生と云ふ語も子規先生がそれを主張した當時に於ては恐らくこの意味(だけでなくとも大部分は)で用ひられたのだらうと思ふ。が、この意味の寫生だけが句作の上に價値があるのでは勿論ない。ぢやその外にどんな意味があるかと云ふと、

 第二に周囲の自然を的確に摑んで行くと云ふ意味がある。この場合はその的確に摑んで行くと云ふ事が大切なのだから、前の意味よりはもつと内面的になつてゐるとも云ふ事が出來るだらう。例を擧げれば石鼎氏の句が殆すべてそれである。たしか一月のホトトギスだつたと思ふが、あの中で鬼城氏が水中の針金蟲を如何に寫生すべきかと云ふ事を問題にしてゐた。あれもこの意味の寫生をしようと云ふのである。前の意味だけの寫生だつたら水に動く針金蟲や秋日影とか何とか云つてもすんでしまふ。それですまされないのは針金蟲の動くのを――その動く感じを端的に句にしたかつたからである。この意味の寫生をしようと云ふ傾向は概して云ふとこの頃の句にはどれにも著しく見えてゐる。中にはこの意味の(或は前の意味をも併せて)寫生をしない限り句にならないかの如く主張する人さへ少くない。が、飜つて古今の句を見渡して見ると、前記二つの意味の寫生だけでは出來ないものが澤山ある。虚子先生の句だけとつて見ても「初空や大悪人虚子の頭上に」と云ふのがそれである。「老衲炬燵にあり立春の禽獣裏山に」と云ふのがそれである。或は又古い所で「冷奴死を出で入りし後の酒」と云ふのもそれである。これらこれらの句を見ると周囲の自然がその儘句になつてゐる訣でもなければ自然そのものの核心を捕へたと云ふ次第でもない。ここに現されてゐるのは作者自身の或心もちである。だからこの場合も寫生と云ふ語を使ふとすれば(無理にも使ふ必要があるかどうか疑問だが)、
 第三に寫生にはその對象を外から内へ移して作者自身の心もちを直下(ぢきげ)に描き出すと云ふ意味がある。と云ふと第二の意味の寫生と格段に違ひがあるやうだが實は周囲の自然を的確に摑むと云ふ事がそれ自身もう内面的な問題なのだからそれ程甚しい相違がある訣ではない。唯、この二つの寫生が多少趣を異にしてゐる點第二の意味の寫生の場合は對象が自然だから對象そのものには高下の區別がない。針金蟲の活動でも乃至秋雲の變化でも句材としての價値は同じ事である。要は唯如何にそれを句にするかにある。(ここで句にすると云ふ意味は句の形にまとめると云ふ意味だけではない。如何にその對象の眞を捕へるかと云ふ意味も含んでゐる。)所が第三の意味の寫生になると對象たる心もち自身が問題になつて來る。云ひ換へれば平俗な心もちと雅馴な心もちとの間に價値の高下が出來て來る。何時か蛇笏氏が「靈的に表現されんとする俳句」とか云ふ論文を書いたのもこの心もちの上の價値如何が問題だつたやうに思ふ。(勿論この心もち――むづかしく云へば主観の價値を定める標準に就いてはまだいくらも議論の餘地があるのに違ひない。自分としては蛇笏氏の示した標準が必しも唯一のものだとは思つてゐない事をつけ加へて置く。)が、かう云ふ差別も更に一歩進めて考へれば第二の意味の馬生の眞髄がやはり自然の感じ方にあると云ふ點で存外皮相なものに過ぎないとも云はれよう。

 そこで今まで考へて來た所をふり返つて見ると寫生或は句作の態度には三つの意味があると云ふ事になる。さうしてその三つは仮に純客観から純主観に至る三段の経過だと云ふ事が出来ると思ふ。或は眞の理想から他の理想へ移る三段の経過だとも云はれるかも知れない。この三種の意味の寫生がそれぞれどの句にも明に現れてゐる訣ではないが一般に句作の態度がこの三種の寫生を出ない事だけは云はれるかと思ふ。唯、歴史的な句或は人事の句と云ふやうな種類は多少例外の観を與へ易いがこれも三種の寫生と根本に於て相違ない。殊に歴史的の句の如きは今日でこそ歴史的の色彩を帯びてゐるものもあるがその句の出来た嘗時に於ては第一の意味の寫生の句が可成あるのに相違ない。又始から歴史的の句と云ふのも第一或は第三の意味の寫生の手段を過去の景物の上に或は景物によつて活用したまでである。だから歴史的な句と雖も俳句として別に軽蔑すべきものでも何でもない。この點に於て屢繰返される鳴雪翁の主張は甚尤もなものである。が、この種の句はその性質上第一の意味の寫生に止る時も第三の意味の寫生に出づる時も往々にして陳腐に陥り易い。さうして既に陳腐に陥る以上たとひ美の一字を借りて來てもその句を救助する事が出来ないのは云ふまでもない話である。
 最後に今まで考へて來た事を事実の上に照して見ると子規以後の俳壇は第二及び第三の意味の寫生に向つて進んで來たかの観がある。しかも最近に於てはその傾向が意識的に促進されてゐるらしい。或はもう少し仔細に観察すると第二の意味の寫生が全盛を極めつつあると同時に第三の意味の寫生を求める傾向が既に後から起つて來てゐるらしい。前に挙げた蛇笏氏の論文などはその傾向を代表する恰好な例だらうと思ふ。もしこれが季題の約束の下にあつて一層極端に進んだらシンボリズムの詩のやうな句が出來る事も全く考へられない事ではない。但しさうなる事が俳句として喜ぶべき現象かどうかは自ら又別な問題である。
 以上は極ざつと寫生と云ふ語の意味を吟味したまでだから猶細部に立ち至つたらいろいろ問題が出て來るのに違ひない。が、それは自分の如き門外漢より専門家の研究に一任する方が然る可きものだらうと思ふ。唯、自分の考へた事或はそれから必然に發展して來る問題に關しては喜んで大方の叱正を蒙りたいと思つてゐる。

                          我 鬼 生