やぶちゃんの電子テクスト集:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇
鬼火へ


猩々の養育院(Orangoutang's almshouse)
             芥川龍之介   
附やぶちゃん注

[やぶちゃん注:明治四二(一九〇九)年、芥川龍之介満十七歳(当時、東京府立第三中学校(現在の都立両国高校)第五学年在学中)の作品である。
 勉誠出版平成一二(二〇〇〇)年刊の「芥川龍之介全作品事典」の山口幸祐氏の記載によれば、龍之介の盟友恒藤恭によって、昭和二四(一九四九)年十二月発行の『図書』誌上で、「中学生芥川龍之介の作品」として「修學旅行の記」とともに初めて公に紹介されたものである。恒藤の入手経路の解説によれば、『「芥川が東京府立第三中に在学していた頃の同級生の作文を一つに綴じた」「第五学年甲学級作文」二十四人の作文の一つで、文章のはじめに「五年甲組、芥川龍之介」と書いてある、と記している』(「いた」「綴じた」はママ。私の電子テクスト「修學旅行の記」の冒頭注参照。また、そこに引用した中田睦美氏の記載を読むと、本テクストの句読点は果たして芥川龍之介自身のものであるかどうか、若干の疑義を覚えることをここに記しておく)とあり、『恒藤は「甲組生徒二十四人の中で瞭然と異彩を放つて居り、後年の彼の作品中の或種のものにおいて見られるやうな着想の芽ざしとも言ひ得べきものが既に現れてゐる」と評している』とある。
 岩波版旧全集第十二巻「雜纂」に載るものを底本としたが、恒藤の言うところの署名を一応、冒頭に配しておいたが、逆に末尾にある『(明治四十二年、中學五年)』は省略した。踊り字「〱」は正字化した。本文の下線部は底本では右傍線である。最後に十七歳の芥川龍之介の文章を大真面目に受け取った私のマニアックなオリジナル注を附してある。
 本テクストは私のブログ480000アクセス突破記念として作成した。【藪野直史 2013年7月5日】]

五年甲組、芥川龍之介
 
猩々の養育院
   (Orangoutang's almshouse)

    まこといつはりは知らねど、此一篇は、とある外國新聞記者のものしたる
    旅日記の一ひらとかきゝぬ。今これを、大和ぶりに書き和らぐるは、森深
    み、紅なる紫なる蔓草の花其處此處に咲き亂れて、白き羚羊の、小暗き椰
    子の木蔭に、さまよへる南方あふりかのゆかしき眺、幻の如く浮び出でて、
    我心を誘ふ事切なればなり。

 せうれらの河、渡りしは、狹霧ほの白う河面をおほひて、薄黄なる萍の花のそこはかとなく、おぼつかなき香を吐けるに、客はこゝかしこ朝雲の紫の影に染みて、殘むの星のやうやうにうすれゆく頃なりき。伴へる土人のひとり「此河には鰐多く住み候。見給へ。」と云ひつゝ、櫂とる手をやすめて、指す方を見れば、げにアシタの光をうかべて溶々と、白銀を流したる大河のたゞ中に、黑頭長身の怪物こそあれ。さながらに流れ木の水に漂ふ如く、ゆるうゆるう泳ぎ行くさま、土人の尊みて神となすも、まこと、ことはりとぞ覺えし。
 われらの乘れる獨木舟の程もなく、丈高き蘆むら立ちたる對岸の砂地につけば、土人再我を顧みて、「とつ國のまろざねに珍しきもの、御覽に入れむ」と云ふ。
 「何ぞ」と問へども笑ひて答へず。唯「來給へ」とて先に立ちつ。蘆の間を出づれば路は林に入りぬ。
 げに南の園の林ばかり、美しきものはあらじ。
 橄欖のひろ葉のかげに、葵に似たる、こがね色の花のほゝえみたる、靑葉のひまに薄紅の鸚鵡の飛びかひたる、さてはうばらかづらの茂りあひたるに虹色の蜥蜴の音もなく走り行きたる、常夏の園の人ならでは、え知らぬおかしきながめなり。
 「あなゝす」に「ばせを」の熟したるをたふべつゝ、土人と共に物語り行けば、大きやかなる紅のさうび、處々にさきこぼれて、啄木鳥の樹立の樹をたゝく音時々「ことこと」とひゞき來りつ。かくて我等は愈々森深く辿り入りぬ。
 「止り給へ。かしこなるもの見え給はずや」。忽ちかく云ひて土人は立ち止りぬ。こゝはせうれらの岸を距る三哩あまり、椰子の老樹さはさはと風にそよぎて、濃紫の罌粟の花重苦しき芳香を放ち、樹の間をもれくる日の光微に、苔と蔓草とに纏はれたる樹肌をてらしつ。
 土人は再び云ふ「これぞまろうどの見參に入れまゐらせむと云ひたる Orangoutang's almshouse (猩々の養育院)なれ !! 」
 如何に其名の奇しきことよ。土人はわが驚ける顏を快げに眺めつ「かまへて猩々の群を騷し給ひそ。木かげよりのぞみ給へ。げに珍しきものに候はずや」。「さなり。未だものの本にも、え見ざりし名なり。何とてかくは名づけたる」。我問をききて土人はさわやかにうち笑ひぬ。「聞き給へ。こは老ひたる、病める、さては幼き、猩々の群を、若き力ある猩々の養ひはぐくむ處なり。さればかゝる名をこそ得たれ。此處を知るものは、我村人にても多からず。如何に興ある處よとオボさせ給ほずや」黄色き布を頭にまきたる土人は、誇りがにかなたを指さしぬ。
 げに興ある處なりけり。棕櫚にやあらむ、ミヅ葉若葉の蓊蔚とひろごりたる木立の下に、大なる猩々の老ひたりと覺しきが、悠々と横はれるに、稍小さげなる一つのするすると木傳ひつゝ、地に下り立てるを見れば手に黄なる木の實こぼるゝばかりに、すくひ持ちぬ。さては土人の言はたがはざりけり、とうなづかれつ。小さき一つは再び木かげに隱れさりて、老猩々の、木の實を味へる姿の、そがひなる、さながらに土人の翁の繩なへる後姿にも似たりけり。げに、古の舟のりがあふりかの岸をすぎて、猩々の群を、毛むくぢやらなる人と、思ひ誤りしてふ、昔語も埋りに思ひなされつ。「見給へ、かしこなる樹の枝を」。土人はかく云ひて、老猩々の方、眺め入りたる我肩を叩きぬ。顧れば、丈たかき猩々の牝にやあらむ、高き梢に踞しつゝ、ましら程の子猩々に添乳したるが、芭蕉の廣き綠り葉のかげより見えたり。「かしこにも」と更に土人の指さす方を見れば、眼つぶらに齒黄なる大猩々の、木の葉木の枝折りしきて力無げに打ち臥しつゝ、時々腕をあげて、面近くとび來る靑蜂の群を拂ふなりけり。
 「この養育院は廣さ千二三百碼四方にわたりて、この内に養はるる猩々の數はかり難し。御國の養育院にかばかり大なるものありや。」とて土人呵々カラカラとうち笑ひつ。
 時うつるまゝに、われは此猩々王國の養育院を辭して、再びせうれらの河にそひつゝ、進むこととなりぬ。傍の紫の罌粟の一もとをつみて、後のかたみとしつゝ、土人と共に椰子の樹かげを去りし時、かへり見れば、我養育院は、はやくも木々の若葉にかくれて、唯見もしらぬ黑き蝶一羽、ひらひらと舞ひ居たりき。(千九百三年の古雜誌より)

■やぶちゃん注
・「猩々」「Orangoutang」「猩猩」(「々」という記号は日本語表記特有のもので中国語には存在しない)は確かにオランウータンの漢名であるが、サル目 Primates ヒト上科 Hominoidea ヒト科 Hominidae オランウータン亜科 Ponginae オランウータン属 Pongo に属するオランウータンはアジア熱帯域(インドネシアのスマトラ島北部・ボルネオ島、マレーシアのボルネオ島)にしか棲息しないので、本叙述は動物学的には誤りであり、荒唐無稽ではある。但し、「猩猩」に合わせて、アフリカのみに棲息するヒト科 Hominidaeヒト亜科 Homininae ヒト族 Hominini チンパンジー亜族 Panina チンパンジー Pan troglodytes のチンパンジー類を「黒猩猩くろしょうじょう」、ヒト亜科 Homininae ゴリラ族 Gorillini ゴリラ属 Gorilla のゴリラ類を「大猩猩おおしょうじょう」漢訳されたため、これが和名としても使われたことがあったことを考えると「猩々の養育院」は時代から考えても許される使用範囲であろうが、英文表記は完全な誤認である。ここで動物学的な正確さ期するとすれば(叙景から見てもゴリラではあり得ないから)、「黑猩々の養育院」「(chimpanzee's almshouse)」とすべき、ということにはなろう。

・「almshouse」主にイギリスで救貧院(poorhouse)及び養老院を指すが、イギリスでは私設のもの、アメリカでは公立のものに対して用いる。

・「羚羊」獣亜綱 Theria ウシ目 Artiodactyla ウシ亜目 Ruminantia ウシ科 Bovidae アンテロープ亜科 Antilopinae に属するブラックバック族 Antilopini・クリップスプリンガー族 Oreotragini・ローヤルアンテロープ族 Neotragini に属する狭義のアンテロープ(英名:Antelope)類。草原・森林・高山帯等の様々な環境に生息する。草食。縄張りを形成し、特定の場所に臭腺を擦りつけたり、尿を撒いたり、糞を積み上げることで縄張りを主張する。危険を感じると物陰に隠れて相手をやり過ごしたり、走って逃げる。最大種はダマガゼルで、体長一四五~一七二センチメートル、体重四〇~八五キログラム。最小種はローヤルアンテロープで体長四五~五五センチメートル、体重一・五~二・五キログラム。ブラックバック族は多くの種が♀♂ともに角が生えるが、ローヤルアンテロープ族は主に♂のみ角が生える(ウィキの「レイヨウ」及び「ブラックバック亜科」を参照した)。
・「せうれら」これは先の注で私が「猩々」として比定したのがチンパンジーであるとすれば、ウィキの「チンパンジー」の「分布」によれば、ツェゴチンパンジー Pan troglodytes troglodytes は、ガボン・カメルーン・コンゴ共和国・コンゴ民主共和国・赤道ギニア・中央アフリカ共和国にのみ、カメルーンチンパンジー(ナイジェリアチンパンジーとも)Pan troglodytes ellioti は、カメルーン・ナイジェリアにのみ、ケナガチンパンジー Pan troglodytes schweinfurthii は、ウガンダ西部・コンゴ民主共和国・ザンビア・スーダン・タンザニア・中央アフリカ共和国・ブルンジ・ルワンダの各地に、マスクチンパンジー Pan troglodytes verus は、ガーナ・ギニア・コートジボワール・シエラレオネ・ナイジェリア・マリ共和国・リベリアの各地に棲息するから、動物学的に正しい叙述であるとすれば、「せうれら」川も、これらのアフリカの地域の何処かに限定される。
 結論を言わせて貰うと、私は「せうれら」という表記から龍之介が指そうとしたのは、現在の「シエラレオネ」ではないかと推定した。シエラレオネ共和国の正式名称は英語(現在の公用語も英語)で、“Republic of Sierra Leone”(リパブリック・オブ・シエラ・リオン)で、通称“Sierra Leone”(シエラ・リオン)である。この国名はポルトガル語の“Serra Leão”(ライオンの山)をスペイン語に翻訳した“Sierra León”に由来する(ウィキの「シエラレオネ」に基づく)。しかも調べてみると、幾つかの専門的な記載に首都フリータウンは「シエラレオネ川」の西河口岸に位置している、とある。綴りや発音を聞くと「シエラレオネ」は「シェラオン」であり、「せうれら」に近いように思われる。
 しかもグーグル・アースで調べて見ると、このフリータウンの南東約5キロの郊外に現在、“Tacugama Chimpanzee Sanctuary”(タクガマ・チンパンジー保護区)があることが分かった(Oka氏のブログ「WORLD RUNNER ~世界一周旅日記~」のこちらにその訪問記が記されてある)。この保護区(若しくはその前身)が何時出来たかが分かるとよいのだが、語学無知の私には英語サイトを調べる余力がない。何方か分ったらお教え下さると、恩幸これに過ぎたるはない。無論、本作の養育院は人工の保護地域ではなく、チンパンジーの自律的な驚くべきコミューンなのであるが。
 以上から、私はここに記されたもののモデルは、高い確率で、場所は西アフリカ西部の大西洋岸に位置するシエラレオネ共和国の首都フリータウン郊外のタクガマであり、この「猩々」とはマスクチンパンジー Pan troglodytes verus であろうと推定するものである。
 最後に。ショッキングな話であるが、二〇〇六年にこの保護区ではチンパンジーによる猟奇的殺人事件が発生している。以下に記事を示す(こちらの引用より一部を整理割愛した)。
   *
□人食いチンパンジー追跡=怪力で惨殺・シエラレオネ(AFP=時事)
【フリータウン26日】アフリカ西部シエラレオネのタクガマ動物保護区域に住んでいるオスのチンパンジーが素手でむごたらしく人を殺害、顔面を食べて逃走した。当局が捜索の網を広げて追跡しているが、まだ捕まっていない。
 この殺人チンパンジーは「ブルーノ」。保護区域管理当局によれば、米国人らを乗せた車を襲い、こぶしでフロントガラスを叩き割った。シエラレオネ人の運転手は必死に逃げようとしたが、車は保護区域の建物に激突、身動きが取れなくなった。ブルーノは運転手を引きずり出し、首根っこを押さえつけて地面に叩きつけ、両手両足の爪をはがした上に、顔面全部を食べ尽くして殺したという。地元メディアによれば、この際、同乗していた米国人3人も負傷した。
 ブルーノは生後数カ月の時に、保護区域のマネージャーに引き取られ、マイク・タイソンとも戦った英国のヘビー級ボクサー、フランク・ブルーノにちなんで名付けられた。ブルーノはその時から、怪力ぶりで注目を集めていたが、気に入らない人間を見ると、石を投げつけるなど、次第に問題行動が目に付き始めていたという。
 タクガマ動物保護区域管理組織の代表は「この保護区域の歴史で、チンパンジーが人を襲った話は初めてだ」とショックを受けている。(2006年4月26日13時58分)
   *
 芥川龍之介が、今のこの世界と、この記事を読んだら、どんな思いを抱くであろう? ちょっとそんなことを、思ってみた……。

・「尊みて神となす」以下はウィキの「ワニ」の「神話・伝承」からの引用。『ワニの棲息する地方では、水泳中の人間が襲われることもあり、ワニは邪悪な動物、魔性の動物とされていることが多い。一方で、ワニを神聖視する例もまた多く見られ、世界中にワニの姿をした神がいる。古代エジプトでは、ワニは豊穣や、ナイル川そのものを象徴し、テーベではワニの頭部を持つセベク神の信仰が盛んであった。神殿ではワニが飼育され、神官が餌を与え、多数のワニのミイラが作られた。インドにもワニを神聖な生き物として飼う寺院がある。日本の、船の守護神である海神の金毘羅権現も、サンスクリット語でワニを意味するクンビーラに由来するという。中国の伝説上の動物、竜のイメージの原型は、絶滅したマチカネワニではないかという説』『もある。また、パプアニューギニア、インドネシア、カメルーンなど世界各地に、ワニを自分の氏族のトーテム(祖霊)として祀る人々がいる。ブラジルのアマゾン川流域では、ワニのペニスは幸運を呼び込むものとして祀られている。西洋では、ワニは涙を流して獲物を油断させるという伝承があり、「ワニの涙」は、偽りを意味した』。因みにシエラレオネには爬虫綱Reptilia 双弓亜綱 Diapsida 主竜型下綱 Archosauromorpha クルロタルシ類 Crurotarsi ワニ形上目 Crocodylomorpha ワニ目 Crocodilia クロコダイル科 Crocodylidae クロコダイル属 Crocodylus のアフリカクチナガワニ Crocodylus cataphractus・ナイルワニ Crocodylus niloticus・ニシアフリカコビトワニ Osteolaemus tetraspis の三種が棲息するが、ワニの神格化や崇拝があるかどうかについては不詳。識者の御教授を乞う。

・「獨木舟」は丸木舟のこと。ここも「まるきぶね」と訓じていよう。

・「まろざね」「客實(実)」「賓實(実)」で、「まらうどざね(まろうどざね)」の略。主客。主賓。

・「うばらかづら」「荊蕀薜蘿」で「うばら」は「茨・荊棘」で、棘のある植物の総称であり、「かずら」は「葛」「蔓」(かずら)でつる性の植物の総称であるから、棘のある蔓草のこと。

・「あなゝす」単子葉植物綱Liliopsida ショウガ亜綱 Zingiberidae パイナップル目 Bromeliales パイナップル科 Bromeliaceae アナナス属 Ananas パイナップル Ananas comosus のこと。

・「ばせを」本邦の芭蕉はショウガ亜綱 Zingiberidae ショウガ目 Zingiberales バショウ科 Musaceae バショウ Musa basjoo にであるが、ここはバナナ(古くは「甘蕉」「実芭蕉」とも書き、バショウ科バショウ属の中で果実を食用とする品種群の総称である)の実を指していよう(バショウはバナナの実に似た実をつけ、英名も“Japanese fiber banana”という。但し、本邦の芭蕉は中国原産らしい)。

・「三哩」三マイルは約四・八キロメートルであるから、先に私が比定したタクガマ・チンパンジー保護区にもよく一致する。

・「誇りがに」は、「得意そうだ・誇らしげだ」の意の形容動詞「誇りかなり」の連用形「誇りかに」、若しくは「誇るがに」の誤り(或いは両者の混同誤記)であろう。後者ならば「がに」は接続助詞で、動詞の連体形に付いて願望・命令・意志などの表現を受けて目的・理由を表す謂いとなるから、ここでは、誇るように、の謂いとなる。

・「蓊蔚と」は「をうゐ(おうい)と」と読み、「蓊鬱」(「をううつ(おううつ)」)に同じい。草木が盛んに茂るさまをいう。

・「そがひなる」「背向なる」で、後ろ姿は、の意。

・「千二三百碼四方」「碼」はヤード。一二〇〇~一三〇〇ヤード四方の謂いならば、約一~一・二キロメートル四方となる。

・「千九百三年の古雜誌より」1903年は明治三十六年。因みにこの明治三十六年当時、芥川龍之介は江東小学校高等科二年で、既に前年から同級生との回覧雑誌『日の出界』を出し、自ら編集、表紙画やカットなども描いており、文学書も読み漁っていた。なお、私は本話の元となった何らかのモデル記事が存在すると考えているが、遭遇出来ない。ご存知の方は是非御教授を乞うものである。]