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伊東靜雄拾遺詩篇

〔やぶちゃん注:入力には昭和46(1971)年人文書院刊「定本 伊東靜雄全集」を用い、一部、同年角川書店刊「日本の詩集 15 伊東靜雄詩集」を参照した。〕

 

空(から)の水槽   

 

午後一時の深海のとりとめない水底に坐つて、私は、後頭部に酷薄の白鹽の溶けゆくを感じてゐる。けれど私はあの東洋の祕呪を唱する行者ではない。胸奧に例へば驚叫する食肉禽が喉を破りつゞけてゐる。然し深海に坐する悲劇はそこにあるのではない。あゝ彼が、私の内の食肉禽が、彼の前生の人間であつたことを知り拔いてさへゐなかつたなら。

 

 

 

庭を見ると   

 

庭を見ると

辛夷の花が咲いてゐる

この花は この庭のもの

 

人の世を苦しみといふべからず

 

花を見る時

私は

花の心になるのである

 

 

 

ののはな   

 

のの花を

いけて

ねてみる

よろしさ

ののはなのほそばな

かずしれぬはな

 

ののはなの

よろしさ

ねてみつつ

おもふ

 

 

 

私の孤獨を   

 

私の孤獨を

一鉢の黄菊に譬えよう

つゝましい庭師に作られて

位置の正しい明るい花が

いくつも咲く

 

又それを

靜かな饗宴と言はう

美しい空氣の日には

禮に厚い貧しい人達が

一人づつ招かれて來る

 

 

 

公園   

 

私が腰を おろす場所は皆

公園になる

そこで人々は ひとりでに

水の樣な

安らかな歩調に歸り

木木の梢の樣に

自分の言葉で話を始める

 

 

 

櫻   

 

後園に

櫻は孤樹になつて立ち

淡々しい花に滿ちる

 

 

 

野茨の花   

 

お前の社交の時は

了つた

日光の正餐はもう

お前にずつと 遠い

夕影の茂みの傍を

今は

傾聽で歩いてみたり

聖孤獨の祈りを

したりすればいゝ お前は

 

 

 

追憶   

 

青葦の根に 慥か

追憶は棲んで居る

葉搖れが

五月の泉の樣に鳴るが

風は何處にも 氣はひも ない

私は 要心しなければいけない

 

 

 

夕顏   

 

妻よ 夕顏のことを話すのを

廢(よ)さう

僕等の言葉は未だ

この花の靈白な理智の

目覺め切るのに

ほんたうの薄暮でない

 

 

 

葉は   

 

葉は 葉の意思で

楡の木に

細緻な cosmos で光つて居る

 

 

 

窗   

 

何處か 無花果の匂がして

氣づかはしげに 空の

夕明むよと 自分の體を

一枚の硝子繪にしたい願で

私は窗に坐つてゐる

 

 

 

八月   

 

街路には何のも豫感なかつた

そして

自身の恢復するのを

人は待つだけだつた

 

 

 

父祖の肖像   

 

父祖の肖像を

食堂の壁に懸けて 私は

とりかへせぬ過をした

晩餐の 漾ふ樣に暗いのは

窗から入つた外の闇であらうか

 

 

不確な手元に堪へ

私の家族は 誰一人もう

灯に立たうとしないのは

食物の樂しいからであらうか

 

 

 

懼   

 

眞夏の日光の中を きつと

あの女が 私の曾て

雲の樣に去らせた女が

鋪石に影をも落さず

私の目の前を過ぎる

 

 

 

並木   

並木道を 私の過ぎたがるのは

私は 挨拶好きな樹木だからだ

 

 

 

湖   

 

湖よ 小艇の親和力を信じては

いけない

あんなに湖面に あれが白く

見ゆるのは

湖の心深いあざむきなのだ

 

 

 

花咲く   

 

私は花辨だ タイトルだ

根への諦の 底無ければ底無い程

蕋等の憧に 痛切であればある程

私は私の一番美しい力で 花咲か

うとする

 

 

ぼくのうた   

 

ゆふがた ざしきに ねころんでいたら

あらきくんが ひよつこりやつてきて

きれいな かはいいゑほん みせてくれた

 

ぼくは いゝですな こりやいいですなあ

と うつかりいついてしまつたので

なにか かゝねばならなくなり それでわかれた

さあこまつた ひとりになつて おもしろいものかかうと

あたまを ひねくるが

でてくるはずがない

 

わたしは 小がつかうのじぶんから

さくぶんが むやみに へたでしてね

じゆうだいがでると きまつて

さくぶんはほんとうにむづかしい と

いふことだけ かいたもんです

 

それで けふも そのてで

こんなへたくそなものかいて

はい さよなら

 

 

事物の詩 抄

 

母   

 

妻よ 晩夏の靜謐な日を

糸瓜の黄花(きばな)と蔓とで

頃日の僕等の唯一の

幻想である母の

家の門を飾らう

 

 

新月   

 

淡々しい穹窿をも誘うて

新月の

私の目の前で生々と凝固する夕方に

新月に啓示を拜しつゞける太古の

港を

私は靜かに出て行つた

 

 

秋   

 

事物が 事物の素朴を失ふ日

夏は去らねばならない

そして澄み渡つたその空虚に

衆人の悔恨で

目に見えぬ伽藍は建ち始める

 

 

廢園   

 

身を野生に放たうとする

お前の努力は生ひ茂る雜草や濁つた糸藻でこそ

消し難く その古い物語を甦らす

廢園の樣だ

 

 

 

事物の本 抄   

 

淺く潛まり未だ冷やかな雲の、どうして

かう道に誘ふのか。  花らを、期待の

中で準備さするのか。

 

とき放て、とき放て、朝の風の命ずる場

所にゆけ。  從順な決心が眞に歡ばし

い。

 

私は靜かに歩るき出した。  白い花環

を編むために、獨りごとする爲にけれど

時々私は道に跼む。

 

古樅の白い膚に光り青苔は完く目覺めて

ゐた。かすかな共感にたよりながら細流

は其の下を流れた。

 

私はお前に逢ふ、太陽は近い湖のざはざ

はする岸で、其處に航路を始めてゐる舟

らを、離れて美しい氣がかりで眺める。

 

雨が洗つた十月の森の道よ、  私を超

ゆる言葉はないか、其の花季よりも尚ほ

かぐはしいお前の枝らの樣に。

 

私は物の間で目覺める。朝はまはりに響

きだし、物の高さの處へ爽やかな風が私

を翹げる。

 

陽の燿く中をゆき、まもるべき自分はな

いのを發見する。私の手にふれたがる道

の花らを觸れながら、私は林を進む。

 

この青空の爲めの日は、靜かな平野へ私

を迎へる寛やかな日はまたと來ないだら

う。そして明日も青空は明けるだらう。

 

やぶちゃん注:第六連目、「其の花季よりも尚ほ」に「季(どき)」のルビ有。この詩のスタイルを保持するため、敢えて省略した。

 

 

 

靜かなクセニエ   

 

    幸福な詩人達が

 

植物の間を、幸福な詩人達がさまよふ。

 

やぶちゃん注:クセニエ=Xenie:警句。格言。短い諷喩詩。

 

    花園

 

花園に就いて、考へてゐたので

頭の上で、雲は變はつたり

時間がすぎたりしたいのを

氣づかなかつた

 

やぶちゃん注:「靜かなクセニエ」は以上に二篇。

 

 

 

秋の夜   

 

私はねずみ好きです

私のおよめさんねずみ嫌ひです

私の 小さな家で 電燈の下で

ひつそりと二人ごはん食べてると

ちつちやいねずみが

かはい目して流しもとで

私達の夕飯みてる

 

私のおよめさん ごはんやめて

まあ いやなねずみ しいつしいつ

とおひます

こりやなに言ふのぢや

かはいねずみぢやないか

とわたしも御飯やめて

ねずみのかはりに およめさんを叱る

 

 

靜かなクセニエ 抄  

 

脚韻

 

新しい雪が白い鳥になつて

(よせばよかつたのに)

朝のシガーを吹かして居る

松の疎林にとまつて

 

 

 

輕薄   

 

私は其のまはりに

正しい花園を拵え上げ

美しいフォンテーヌを

自分のものにした

 

 

 

動物園で   

 

林澤の事を考へて

靜かに睡くなつて居ると

聲が

鵞鳥! 鵞鳥あるきをしてみろ

私ははつと起つて

不意にもすぐ鵞鳥歩きを

始めた

 

 

 

飛行機   

花辛夷の影で あゝ僕は飛行士でなくなつた

 

 

 

山中で 三篇   

霜柱のピカ/\光り出した坂徑を 谷間へ

走る野兔 谷には鮮しい翳りがある 私の

臆病な悦びも 急げ 丁度身丈に合ふ輪光

を 貰へるやうに

 

     *

 

私の足音に驚きながら

山鳥め

美しい羽色を見せびらかす

 

     *

 

私を待つ者よ お前は笑ひ 隱るゝが

私は其處の林から

小鳥を皆んな呼び寄せて

歡んで居るお前をさびしがらせよう

 

やぶちゃん注1:「靜かなクセニエ 抄」は以上七篇。

やぶちゃん注2:「*」は原本該当箇所にあるもの。

 

 

VERKEHRSINSEL    

銃   

 

私は廣大な森を所有つて居る

私が植林した樹列の間や

私が播種した草々の上に

私に自由を奪はれた

鳥らが放ち飼ひにしてある

 

やぶちゃん注1:全集版で打ち込みながら、おやと思った。「私に自由を奪はれた」で終わっており、どう考えてもおかしい。角川書店版1974年刊「日本の詩集 15 伊藤静雄詩集」を確認、最終行が落ちていた。同書で、補正した。

やぶちゃん注2:VERKEHRSINSEL=〔独〕安全地帯。

 

 

 

停つた馬車の中で   

 

草花の匂ひに私は急に眠りから覺めた

首をつき出してみると

馬の膝から下には

草花が一ぱい生えて居るのだつた

 

 

 

淡水の中で   

 

私の皮膚に卵を生みつけて

行く

無邪氣な魚の後から

私は一度は呼びかける

君 苔藻とまちがへて

うつかり自分で食べぬ樣にし給へ

 

 

 

Verkehrsinsel (交通の島)

 

私はのめる

汚れ梢の上に故郷の谷川祭が

安全地帶に殘つた私の下半身

 

 

 

修身

 

植物園、Mに合ふ新衣裝、靴

「お早う」

發聲學の教材は其れから始まる

 

 

 

風景

 

傀儡師(くぐつ)は山へ去り

紙切れの化けた鳩だけが

バタ/\と私の頭の上に

飛びまはる

 

 

 

音樂

 

私は何時も風景の中で端役だつたが

或る日 高貴な花環をおくられた時

私は少しも疑はなかつた

 

 

 

川沿ひの公園

 

物靜かな遊歩も者の目に

美しい冷淡な川波にうつしたのは

ひきゝりなしに浮び上る

眞白い死角の腹だつた

 

 

 

散歩

 

水から上り 凝つとしてゐる蟹よ

硬い甲羅よ

(早や鰓は乾きだす)

私の詩の樣なはかないあぶくよ

 

 

 

神樣に

 

かいつぶりは水の上に

私はあなたに落書きする

 

 

 

牧人(エクト)   

 

私はなぜ私の犬を牧人(エクト)と呼ぶか

私の野生の花は清く小さく あまりに脆いから

 

 

 

後退   

 

私は昨日の敵に言つてやつた

それは一つの石だ

それは一莖の草だ

そして お前は私の敵だつたと

 

 

 

或る友に

     「靜かなクセニエ」のエピローグとして

 

獅子(ライオン)は晝は兔に角樂しかつた

目の前の鐵格子は

人間共を寄せつけない

自家の警句や格言とも思へたから

 

然し夜は――

或る深夜に私が公園の中を通ると

百獸の號び聲の間に

胸に沁み入る獅子(ライオン)の呻きがはつきりと聞こえた

あなたは

(僕らにもせめて眞(ほんたう)深夜があればいゝ)

と考へないか

 

 

エケード

 

私から詩人への手紙のザハリッヒな一節

 

「この夏は殊に暑い、町中が海岸に集まつてゐる

町立の無料脱衣場はいつも一杯だ

そしていたづらな青年團員が

掏摸をつつて海岸をほつつきまわる」

 

詩人から私への返事中の情熱的な一節

 

「私が田舍へ永久に歸つたことを

さぞ、そつちのしべての人は評判をしていゐるだらう

ついでがあつたら君は新聞にかう書いてくれ給へ

あの男は日記と書信の外はヴェルケを信じてないつて」

 

私が生徒達にした訓話の一箇條

 

「どんな書類のトレモロにもスィッチを入れること

テーマのためにはどんな時間も早すぎはしないといふこと

深い山林に退いて多くの舊い秋らに交はつてゐる

今年の秋を見分けるのに骨が折れるといふこと」

 

やぶちゃん注1:「VERKEHRSINSEL」は以上十四篇。

やぶちゃん注2:題名の「エケード」はずっと、「エチュード」の誤記と思っていたが、久し振りに再読した1971年新潮社刊の小高根二郎「詩人 伊東靜雄」では、その可能性のほかに、『内容が「靜雄から詩人」「敬麿から靜雄へ」「靜雄から生徒へ」の近況報告の形式をとっているところから、Ecke(多角)Karte(葉書)、つまり多角通信といった意味にこじつけられないこともない』(以下同書より引用)とあり、ドイツ語に暗愚な僕には目から鱗であった。「敬麿」とは、が最初に下宿した、京都阿弥陀寺前町のその下宿屋の主人青木敬麿であり、彼が拠ったところの同人誌「呂」の主宰でもあった人物である。

注3:ザハリッヒ= sächich : 即物的な。靜雄は新即物主義(die Neue sachlichkeit )の詩人、ケストナーに決定的な詩魂の影響を受けている。

注4:ヴェルケ=Werke:行為。作品。

 

 

 

四月   

 

彼女が 幼い時に呼びならはした

草木や昆蟲らの名前は、今は一つも通用しない。

野に 一概に白い花が咲いて、胡頽子 木苺 きづた 茨は見分けにくい。

野犬は其れらの間を、首で物を搜して絶えず不安に垂れ、

だが四肢は輕く跳んでゐる。

みどり色をした空に、烏賊の白い甲に似た雲が懸る。

變へねばならないものは、彼女自身ではなく、又植物や昆蟲らでもない。

汝ら心を騷がすな。神を信じ、又我を信ぜよ。

始め彼女に好かれず、けれど、ゆめみたこの野邊の内で彼女の頼つた、

彼があの短句を、彼女の枕元にかけてくれた。

字彙のためにある。

熟しかゝつたものを成熟させ、死にかけたものを死なせる。

姿見の奧はあまりギラ/\として眩しい。

彼女が姿見のまはりに、葡萄や獅子の唐草模樣をつけたのを、兄弟や友人達は笑つた。

彼女が眞に愛したもう一人の人よ。

彼女の、殘つた室に行つて、その暦(ひめくり)を見て下さい。

自分がつけた唐草模樣を、彼女がどんなに信じなかつたかを。

稻光りは、夕方の野邊の上を、彼女を搜して走り 自らくらんで通りすぎる。

あなたもきつと此處に誘はるゝ。

しかしこれらは何の復讎の意味もない。

いや、彼女はその時に準備し、今 彼女とあなただけが知る道に

信じないこれらの花ですら樂しく花環を編んでゐる。

あなたは、この野に一概に白い花や、その中に栖む昆蟲らを、

あなたの冠と呼ぶことを思ひつく。

 

 

 

泥棒市

 

私と弟が 市街(まち)の中央の

事務所區に通ふために利用する、

早朝の割引電車の窓から、

數年の間といふもの、眺めつゞけた泥棒市は、

私達の電車が、高い軌道堤の上を走つたし

それは、まだ朝靄の晴れ始めない時間だつたので

私達に現實に見えたことは

一度もなかつた。

 

ところが、私が新しい一人を

私達の貧しい、共同の住居(すまひ)に引き入れたいと弟に申出で

その機會に、

今迄に彼女に見せかけて來たよりも

私がどんなに多くのものを持つてゐないか

それだから、夫としての幸福な尊敬を

彼女から受けることが、

どんなに困難かといふ

悲しい告白を私がしたときに、

きいてゐた弟は笑つて、突然に

泥棒市を行つて見よう

と、私を誘ひ出た。

 

さて、泥棒市から歸つた私が、

非常な安心と確信とで、早速私のノートに書きつけた、

新しい信條は次の通りである。

泥棒市が、泥棒市でなかつたら

どんなに魅力がないことだらう。

私たちは商人の詐りの機(からくり)に

謝せねばならぬ。

私に缺けてゐるすべてのものを

盜まれたと、思ひこむのは

これは、私のこの上なく美しい權利。

 

 

やぶちゃん注:2連目の最終2行の「泥棒市を行つて見よう/と、私を誘ひ出た。」は、原本に、「泥棒市を」の「を」の横に(ママ)、「出た」の「出」の横に(ママ)と表記有。

 

 

 

市中の或る家

   

馬用水の傍(そば)で彼は歌ふ

 

何かそれで買ふことのできるものを

どうしても思ひ出せない、一つの小さい銀貨と

恐ろしく永い退屈な時間が私にある。

 

木々は銅像よりももつとよごれてゐて、その下の

馬用水の 所に馬が行きつき

よろ/\と其処からのむ。

 

さつきから私の前を往つたり来たりする、巡査は

次の、或はその次の電車で

私の思ひもかけないものが来るだらうといふ遊戯を

私に許してゐる。

 

換軌夫は鉄の棒を突つこみながら

交代の時間をはかるために胸のかくしに左手をやる。

 

 

 

殘された夫

 

私はまだ牀の中にゐるうちに妻は出て行つた。

貧乏學校の子供らに不良な日曜を與へてはならぬ。

 

彼らは紙屑や襤褸の散らばつた臭いのする廣場に集められて

彼女(あれ)の指圖でお遊戲やお相撲をしていることだらう。

 

大人だつてする事がないからぐるつと彼らを取卷いて、

寧ろ、燥いてゐる彼女(あれ)をにや/\眺めてゐることだらう。

 

匿名の慈善家は今日もそれらの哀れな子供らに、

彼女(あれ)の手から食べ物の袋を配らせるだらうか。

 

やぶちゃん注:二連目「お遊戲」「お相撲」の二語は、原本は「ヽ」の傍点付だが、ここでは斜体文字で示した。

 

 

 

市中の或る家

 

苦労をしてゐる兄さんを此処の植物園に遊ばせたい、と

農科大学にをる弟が書いて寄越した。

 

或る日訪ねて来た妻の友人と、妻は激しく議論をした。

私はその友人を慰めながらそつと停車場まで送つた。

 

妻は毎晩、こは高に野菜を売りつけられる。

私は老いて小さい箱に余念なく二三艸の花をそだてた。

 

妹らは悪い風にあふとみんな目を病んだ。

白いガーゼをあてた彼女らを、

私は蝶々のやうにつれて病院に通ふ。

 

やぶちゃん注:「市中の或る家」は以上3篇。

 

 

 

少年N君に――   

 

私を待つ君よ 君は微笑ひながら

隱れるが

私は其處の林から

小鳥をみんな呼び寄せて

歡んでゐる君を寂しがらせよう

 

 

 

入市者

 

なまあつたかい風の午後

星は梢に未しかつた。

(つい新しく市長がかはり)

門限のルーズになつた

市の公園のあつちこつち、

茂みや小徑や池のほとり

二三の家族、戀人ら

男同志が、

食べものの一つ袋をおしやつたり、

現在(いま)のかはりに希望を囁き

それで自身に納得し、

相手の不幸を慰めては

自分の憧れを氣づかれまいと

氣だるい顏で骨折つてゐると

そんな時、れいの男はやつて來る

放浪の幾十番めかのこの市(まち)に。

(構はれず)落ちつき拂い

ギラギラと目は輝き

踵(きびす)に泥をくつつけて……。

誰もが彼を見なかつた。

しかし誰も心底(てい)かれを識つてゐて、

ただほんのり明るい場所で

時(ぢ)き辨へぬ噴水の

しつし しつしとよぶ方に

(ああ心外な、調子者!)と

あらぬ目著きを投げてゐた。

 

 

 

まだ獵せざる山の夢

 

彼方に 晝は睡りこみ

 懈怠は續き夜が來る

この國の夜のならはし

野づらを覆ひ

  絶え間なく

稻妻は 今宵もわが窓を射る

 その十の鋭矢が

  小舍の内外を十倍に

      ふかむる闇の恐ろしさ

 待ちうけたるその樂しさ

 わが眩みの底に

    この世ならぬ山脈(なみ)に

あゝ 鹿が飛ぶ

     鹿が飛ぶ

その四つの脚は

無限に 地を蹴ず

刄金よりもなほ薄く

 尚蒼白い尾根を飛ぶ

 

やぶちゃん注1:原本には以下の通り、ルビがあるが、スタイルを保持するため、省略した。「彼方に 晝は睡りこみ/懈怠は續き夜(よ)が來る/この國の夜(よ)のならはし/野づらを覆ひ/絶え間なく/稻妻は 今宵もわが窓を射る/その十の鋭矢が/小舍(こや)の内外(と)を十倍に/ふかむる闇の恐ろしさ/待ちうけたるその樂しさ/わが眩(めくら)みの底に/この世ならぬ山脈(なみ)に/(以下ルビなしのため省略)」。

やぶちゃん注2:最終から二行目の「刄金」の「刄」の字は最終画が右払いではなく、左払いの点となっている。

 

 

 

拒絶   

 

荒れにし寺井のほとり

白き石の上に坐り

多くのときをわれは消しぬ

意味ありげなる雲浮び

草は莖高く默し……

またも夏の來れるさまを見たり

わが胸を通らずなりにしのち

しかく尚わが目にうつり

四季のめぐり至るは何ゆゑぞ

萬物よはやわれに關(かゝ)はるなかれ

隱井(こもりゐ)の井水(ゐみづ)あへて

汝らを歌ふことはあらじ

 

 

 

さる人に   

 

曾て我らそのほとりに生ひ立ちし川の上に

汝はいま自(みづか)ら宵の金星として輝く

朝(あした)に太陽の上(のぼ)りしとき

われはわが鷄鳴をこそ信じたりしか

即ち鳥は果實をついばみ始め

流れを越えて蜂飛び

汝は角(かく)の笛を携えて

かの片丘のうへに到りぬ

されど汝の笛の調べに

やがてわれは己(おの)が決意に於ける如く醉ひ

なだめられ

川は音變へて海に交(まじ)れば

腹みちし鳥は枝に

蜂は事もなく巣に歸り宿りて

あゝ曾てわれ等そのほとりにて生ひ立ちし川の上に

汝はいま自(みづか)ら宵の金星として輝く

 

 

 

追放と誘(いざな)い   

 

恥知らずの詩人よ!

あのときのあの土地を去るのは

何がお前に缺けてゐたか

私はようく知つてゐる

ひどくそれをお前は欲しがつてゐた

そして私は見たのだ

町はづれの並樹の松に

お前の切な願ひに招かれて

まつ黒に鴉どもが集り

糞を放ち落し

お前にののしり叫ぶのを

いまいましい私の心臟よ!

そして寒い朔風は

川面を越えて

何處へ? 何處へ? と低く

問うたと汝は言ふ

 

 

 

疾風

 

わが脚はなぜか躊躇ふ

疾風よいづこに落ちしぞ

われかの暗き生活(たつき)の巷を過ぎて

心たじろがざりし

そは地を襲ひ砂を飛ばせしが

また抗せし難くわれを驅りぬ

疾風よいづこに落ちしや

何故に恐ろしき靜寂のなかにわれを見捨つるや

わが髮に氷れる雪は

のぞまざる月さへ

いまは虚空の中(うち)に浮びぬ

 

 

 

誓ひ

 

いかにわが誓ひの氣高かりしよ

太陽の老ゆる日には

喜びかの痛かりし場所に囘歸して

われは涕涙と休息とを得むと

希へり

あゝそを裏切るものよ!

わが傷痕の失せし胸よ答へよ!

かの痛みも既にわが傲りなりしか

この問ひに答ふる如く

不幸なる太陽は頭上に輝き

白髮の豫感なほその息吹だに

われに送らず

 

 

 

   幻

 

野より雪消ゆ

陽炎は無限にわれを休ましめず

危く地中を逃げ出て

蝶は狂ふ

憑かれし羽根 蟹の白

 

ふり放て この現身を深みに沈めよ

あゝ楡は芽ぶきて

梢に御使の座をつくる

光る微塵を吸へども

われは何故に飛び立たざる

 

見よ哀れなる魚ら

水面に口を浮べて

わが投げ与ふべき厭はしきものを待ちたり

 

 

 

睡眠の園

 

われを追ひしはまこと汝が睡眠なり――

陽はまつたく沈みはて

わが旅路の杖

安息のしづかなる場所に魅(ひ)かれつ

園あり 近づかんとして驚けり

目(まなこ)不思議にうたれたり

輝く砂地なり

眞晝まの夏にあらず 月光の夜(よ)にあらず

懼れは襲ひきぬ

見ずや 櫻の並木はわれを取圍む

その群花(むればな)は紙より白くうかび

地上に影を有たず……

徐々に 徐々にわれは退りぬ

其のとき慥に流水を聞きたり

そは疲勞の耳鳴の如くはじまり

われは急ぐ

そはわが血脈のなかを走り

わが吐く息よりも激しくなりぬ――

あゝ 暗き礫の道によろめき

いまぞ知る わが分身よ

かし處(こ)よ汝が睡眠の園

われを追ひしまこと汝が睡眠なり

 

 

 

墜ちし蝶

     I・Tに

 

電光に逸せられた人は坐る

幻暈の薄明の窓に

蝶――海に墜ち

陽は嘲りながらゆるる

 

光なく……白く……

情怒の海の面に

蝶は涯しなくひろがりて

分離の萬物のうへに了れるを見る

 

 

 

宿木

 

冬のあひだ中 かれ枯れた楢の樹に

その一所だけ青んでゐたやどり木の

おまはこの目に區別もつかずに、

すつかりすつかり梢は緑に燃えてゐる。

 

何故(なぜ)にまた冬の宿木(やどりぎ)のことなど思ふのか。

外部世界はみんな緑に燃えてゐる。

數へ切れないほどの子供らが

花も過ぎた野薔薇のやぶで笑つてゐる。

そしてわたしの戀人はとうの昔

ひとの妻になつてしまつた。

 

疾うの昔に などとなぜ私は考へるのか。

いゝえ、あのひとにもわたしにも

やつと今朝青春は過ぎて行つたところだ。

窓邊につるした玻璃壺に

あはれに花やいだ金魚の影は、

はつきりとそのことを私につげる。

 

 

 

高野日記より

 

八月二十三日友を大門(だいもん)のほとりに送る

その道よ朝ごとの霧にしめれり

とだえつつ山かげに鳴くはかなかな

つとに來し行高野(かうや)の秋の

土産(みやげ)ものすすむる店に

並べしはされど春の鶯笛(うぐひすぶえ)

青塗りの竹の小ぶえなり

ともに店頭(みせさき)にたち

こころみる單調(たんちょう)のその音(ね)

ゆくりなく二人が笛の

共鳴(きょうめい)かなしからずや

見はるかす木の國

雲移る檜原(ひばら)杉山(すぎやま)

家に待つ汝(な)が愛(は)しき兒に

えらぶらむ同じその笛

友よわれも一つ欲(ほ)し

多寶塔いよよ朱(あか)きに

われ獨りふかみゆく秋にのこりて

いかに居む山の宿りぞ

 

 

 

わが笛

  故辻野久憲君に捧ぐ

 

君(きみ)が花(はな)さきし命(いのち)よそは實(げ)に五月(ごぐわつ)の

夜(よ)の庭(には)の橘(たちばな)の如(ごと)くなり

君(きみ)は開花(かいくわ)もて專(もつぱ)らわが憂愁(いうしう)と

追慕(ついぼ)とを歌(うた)ひぬ

その中(なか)にして

いかに灝氣(エーテル)のうちに於ける如(ごと)く安(やす)らけく

われは古人(こじん)と語(かた)りしよ

術(すべ)ぞなし

いま君(きみ)が若(わか)き命(いのち)をかけて眺(なが)めし野(の)より

灝氣(エーテル)は消(き)え失(う)せたり

そはもと君(きみ)が呼吸(こきふ)にてありしかば

さあれわれ十月(じふがつ)の葉(は)がくれに見出(みい)でて

黄(き)なる君(きみ)が果實(くわじつ)の

わが掌(て)に重(おも)きに驚(おどろ)く

友(とも)よ讚(ほ)めよこれの現(うつつ)に殘(のこ)りし野(の)に

わが吹(ふ)きて行(ゆ)く笛(ふえ)の音(ね)を

 

 

 

   詩一篇

 

危(あやう)く、うつくしい方よ、あなたが出會(であ)つたひとは、終焉(しゆうえん)をいそいでゐたのです。

あのひとは死(し)を通(つう)じてあなたを呼び、あなたは、喪(うしな)ふために近(ちか)づかれたのです。

 

そこであのひとはつか/\と死(し)の中(なか)に、あなたの目の前で歩(あゆ)み入(い)られた。

すべて美(うつく)しいものの、それが運命(うんめい)です。  青春(せいしゆん)の意味(いみ)なのです。

美(うつく)しい、ひややかな方(かた)よ。あなたは引返(ひきかへ)しも、降(お)りられもしないところで、

殘(のこ)るでせう。  そして御自分(ごじぶん)のことで涙(なみだ)をお流(なが)しになることはなくなるでせう。

 

また、よしこのさき幸福(しあわせ)と怡悦(よろこび)のなかに居(を)られる時(とき)のあるにしても、

あなたのふかくなつたお瞳(め)は、それを得(え)信(しん)じないでせう。

 

 

 

虎に騎る

 

うらやまし 天臺國の(てんだいこく)の

阿羅漢(あらかん)豐干(ぶかん)

人類(ひと)にはあらぬ尊さは

猛(たけ)き獸(けもの)の虎に騎(の)り

詩(うた)を吟じて悠然たり

 

われもまた 五黄(ごこう)の寅(とら)の

女(め)をこそ得たれ

無明凡下(むみやうぼんげ)の是非なさに

獸(けもの)にあらぬわが妻を

御(ぎよ)し兼ねたるぞ哀れなる

 

 

 

朝顏

 

父の沒後、母は故里の家をたゝみ、朝顏の種を持つて、都會のわたしの小家に住むためにやつて來た。そして間もなく死んだ。わたしはこの頃「あさがほ」と母の手で書かれた紙袋の、檐に吊してあるのを發見した。

 

  わたしはうけ繼がう この朝顏の種を

  夏の日わが庭に咲き出(づ)る

  あゝその花の姿の

  絶えよとばかり 想つただけで目くるめく

  けれど 八十八夜が來れば

  きつとわたしは種を下地(おろ)さう

  そして花の盃から

飮み乾さう 死に振ひたつ勇氣を

 

 

 

   無題

 

四邊(あたり)がくらくなつて來たやうな氣がして、

  わたし達は、繁木(しげき)の下(した)を離れた。

空にはしかし未(ま)だ、晝の涯しない、

  淡(あは)い藍色が行き渡つてゐた。

女(おんな)は、先刻(さつき)言葉少なに見續けてゐた

  あやめの花をも一度、ちらと振り返つた。

 

私達は徐(しづ)かに柵(さく)の方へと歩いて行つた。

  そこの弓場(ゆば)に、ひとりの少年が、

額(ひたひ)を青白ませて最後の禮射をしてゐた。

  矢は射られた。

少年はしばらく射放(いはな)した姿勢のままに、

  凝(じつ)と、正しい禮儀で立つてゐた。

 

師の教への尊いかな!

  さうわたしは呟(つぶや)いて、女の目を見た。

と、言いやうのない、孤獨な悲しみが

  わたしの胸に滿ちるまへに、

女(おんな)の瞳(ひとみ)に、夕方の空の明るさが、

  かすかに、水のやうに搖れるのを認めた。

 

 

   稻妻

     肥前の思い出

 

暗い、暗い地平を、一瞬にして閃かし

蒼白な稻妻が、水田(すいでん)の面(おもて)を奔(はし)る

強く涼しい風は、烈しく額(ひたひ)や目口(めくち)を撲(う)ち

着物を押へ難く飜す。

子供は怖(こは)がらない。夏の夕べ、

徃還に立つて、それを見るのを樂しむ。

 

征矢(そや)よりも疾(と)く蒼白な稻妻が

ひつきりなしに、水田(すいでん)の面(おもて)を奔(はし)る

 

晝間(ひるま)見なれぬ遠い部落々々

川の帶の煌(きら)めきや不思議な大きい雲の印象が、

 

一時にはつとするほど瞳(ひとみ)の底に閃いては、

後(あと)は、一層暗いくらい闇。

 

その小氣味(こきみ)よい光と闇の鬼遊(おにあそ)び!

………………………………

 

田舍の人は言つてゐる。稻妻多い夏の夜は、

豐饒な秋の實りの豫告だと。

 

子供はそれを、きつと然(さ)うだと思ふ。

そして、凝(じつ)と地平を視つめる。

 

大勢(おほぜい)其處には子供らが集まつゐて、

盛んにおほ聲で笑ひこけながら

 

こんなに賑やかな、にぎやかな惡戲(いたづら)を、

してゐるではないか?

 

往還の、強く涼しい風に額(ひたひ)も冷えて、

そんなふうに子供は樂しく考へる。

 

 

 

   柳

 

やま柳の 咲きゐる垣ねのへに、やなぎは幾日(いくか)

ちりにし穗状花(すゐじやうくわ)ぞ。

葉をもるしろきひかりに交はりて、

わが取りおとす、堪へごころ 人に知られず。

春をよろこぶものの目に、朝かげと

夕陽(ゆふひ)のひかり目立たぬ季節なれ、

山吹はいつか移りし、卯のはなのいましろき垣べを

柳はおのれさ搖れつつ、青くかすかに照らすなり。

 

かかるとき、かかるこころの、玉ゆらの青きかげに

誰か驚きて見入らざらん。

かの 奇しくあかるきおもかげぞ そこに立てば。

 

 

 

   ざれ歌

 

われ世にありしとき

御身は無關心もて我を鍛錬し給ひぬ

おん身のその無關心のみよ

よくわが高貴なる夢想に價するものぞと

信じこみし程なりし

あゝされどいま日毎御身はわが墓邊を訪れたまふ

さなり! わが願ひは一つなり

いまは不用のわが肉體の

一日もはやく腐り果てむことを!

さてわが墓のほとり

日々訪ひたまふ御身の目に

まこと心地よき木草の花を咲かしめむ

 

 

 

   みちのべに

     友來たりこのごろ歌なきをわれに責む

 

かなしみふりぬ

こころのくま

わがうたのふしに

われうみぬ

わがうたに

みづからうえて

みちのべに

たれかはきかせむ

 

 

 

   送別

     君が「神軍」と題する詩をよめば

 

神人(しんじん)が虚空にひかり

見しといふ

みんなみのいくさ

君もみにゆく

 

 

 

   うたげ

 

神にささげてのむ御酒(みき)に

われら醉ひたり

二めぐり三(み)めぐり

軍立(いくさだち)すがしき友をみてのめば

ゆたけくもはや

われら醉ひにけり

座にありし老叟(をぢ)のひとりの

わが友の肩をだきて

ゑみこぼれいふ言(こと)は

「かくもよき

たのもしき漢子(をのこ)に

あはれなれ

あはれなれうつくしき妻も得させで……」

 

われら皆共にわらへば

わが友も自(みづか)ら手を拍(う)ち

うたひ出(だ)しふる歌ひとつ

「ますらをの

屍(かばね)草むす荒野(あらの)らに

咲きこそにほへ

やまとなでしこ」

 

さはやけき心かよひに

またひとしきりわらひさざめき

のむ御酒(みき)や

門出(かどで)をうながす聲を

きくまでは

 

 

 

二十五周年祝歌

 

あたらしく世の 立ち出づるとき

すぎてきし   二十五年を

あへりみる   想ひはふかし

 ああ わが住吉中學校

殘されしその  玉はひろひて

わがひとの   のぞみかがやき

新しき     世の星たらん

 ああ わが住吉中學校

 

 

 

   薪の明り 散文詩

 

冬になるとよく思い出す詩がある。

誰の作か忘れたが、「捨てられた下女」と題するドイツの詩である。寒い冬の朝、人も家畜もまだぐつすり睡つているまつ暗な時期に、はやひとり起出て、かまどの前にうずくまつて、その顏を薪の火に照らされながら かすかにひとり言をいゝ、涙を流す、

それは男に捨てられた下女の悲しみをあわれんだ詩である。

子供の時三里はなれた町の中學校に通學していた私もそういう時期にふと目ざめて、御飯をたいている母や姉の姿を、かまどの明りの中に度々見た。

そんな時、「もうしばあく寢てなさい。」と彼らは言つてくれた。

今私は、田舍に罹災疎開したまゝ、まだ都會に歸れずにいるが、曾ての母や姉の代りをしてくれるのは、妻だ。

暗い冬の朝、かまどの前まきの火の明りの中にうずくまる女の姿ほど、あはれなものはない。

 

やぶちゃん注:最終の一文は原文の組版からは改行していない可能性があるが、ここまでのスタイルと詩想から判断して改行した。

 

 

 

   未定稿 (假題 闇をゆく牛)

 

わたしはみた 十頭の牛の

つぎつぎに 闇をぬうてゆくのを、

電車の灯は華やかに 間どほに

折々牛らを照らしてゆくが

 

たれもみぬこれらの牛は

同じ向きに角をむけて

つぎつぎに乏しい燈(あかり)をぬけてゆく、

たれもゐぬ 電車道路を

 

風さへねむる 夜半のみちのべ

まがきのばらの匂ひはたかく

灯の下を やみの下を

十頭の牛がゆくのを見た。

 

 

 

   未定稿 阿部野高校

 

三とせの わかきひ ここにつどひて

むすべば たのしや はなのともがき

かたみに きそはむ にほへそのいろ

 

せかいは やめり いたくはげしく

このとき わがひと つよくおひたち

よりそひ はぐくめ あいとちゑのひ

 

わかきひ まなびし ここの三とせを

ほこれば ひとみな ゆるすごとくに

れきしを きずかむ 阿部野高校

 

 

 

   譯詩

 

                   ヘルデルーリン

冬が來たなら。何處に、草花と、陽の光と、土の影とを覓(もと)めよう。

 

 

 

    上流社會の人達・海拔千二百米

              ケストネル

 

彼らはグランド・ホテルに居る

周圍(ぐるり)には氷と雪とがある。

周圍(ぐるり)には嶺と森と岩がある。

彼らはグランド・ホテルに居る

そして絶えずお茶を飮む。

 

彼らはスモーキングを着てゐる。森で凍寒が鳴つてゐる。

一匹の小鹿が樅の大森林をくゞつて跳ぶ。

彼らはスモーキングを着てゐる。

そしてポーストをにらんでゐる。

 

彼らは青いホールでブルースをおどる

その時外では雪が降る。

何べんも何べんも稻妻や雷鳴がする。

彼らは青いホールでブルースをおどり

とても忙しい。

 

彼らは非常に自然を崇拜する

だのにこんな處まで交通をせり上げる。

彼らは非常に自然を崇拜する

だのにこゝいらについて知つている事といへば

みんな繪葉書知識ばかり。

 

彼らはグランド・ホテルに居る

そしていろ/\スポーツの話をやる。

だがグランド・ホテルの玄關までだが―

そして車にのつてこの地を去つてしまふ。

 

やぶちゃん注:原本では第四連二行目の「交通」の右に(ママ)の表記有。

 

 

 

    清掃

              ハイネ

 

お前は自分の海の深みに引つこんでをれ

氣狂ひじみた夢想め。

お前は曾てあんなに幾夜も

虚(うそ)の幸福で私のハートを苦しめた、

だのに今は又海幽靈になつて、

明るい日にさへ私を脅す――

 

お前はあちらに下に引きこんでをれ、永久に。

そしたら私はきつとお前のところまで投げてやる。

私の苦痛と罪業をみんな。

又あんなに永く私の頭で鳴つてゐた、

愚昧の鈴附帽子を。

そして又あんなに永く私の魂に、

病氣をしてゐる魂に、

神に背いた、天使に背いた、

罪ふかい魂に卷きついてゐた

冷たいキラキラ光る僞善の蛇の頭を――。

ホイホー! ホイホー! さあ風が出た!

帆を上げろ! 飜るぞ膨れ上がるぞ!

じつと危險を孕んで靜まつてゐる海面を

船は急ぎ、

今や歡聲を上げる、自由になつた魂が。

 

やぶちゃん注:原本の二段組の組版では、第一連の後は凡そ四行空きで、第二連が下段から始まっている。それが正しいのかもしれないが、やや不自然なので、一行空きとした。