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詩集    芥川龍之介

[やぶちゃん注:大正十四(1925)年五月一日発行の雑誌『新小説』に『「雪」「詩集」「ピアノ」』の題で、他の二作品と共に掲載された。この三作は共に作品集『梅・馬・鶯』にそれぞれの題で所収された。底本は岩波版旧全集を用いた。四度あるリフレインの最初と最後の一行目末の読点がないのはママである。]


詩集

 彼の詩集の本屋に出たのは三年ばかり前のことだつた。彼はその假綴ぢの處女詩集に「夢見つつ」と言ふ名前をつけた。それは卷頭の抒情詩の名前を詩集の名前に用ひたものだつた。

    夢みつつ、夢見つつ

    日もすがら、夢見つつ……

 彼はこの詩の一節ごとにかう言ふリフレエンを用ひてゐた。

 彼の詩集は何冊も本屋の店に並んでゐた。が、誰も買ふものはなかつた。誰も? ――いや、必ずしも「誰も」ではない。彼の詩集は一二册~田の古本屋にも並んでゐた。しかし「定價一圓」と言ふ奥附のあるのにも關らず、古本屋の値段は三十錢乃至二十五錢だつた。

 一年ばかりたつた後、彼の詩集は新しいまま、銀座の露店に並ぶやうになつた。今度は「引ナシ三十錢」だつた。行人は時々紙表紙をあけ、卷頭の抒情詩に目を通した。(彼の詩集は幸か不幸か紙の切つてない装幀だつた。)けれども滅多に賣れたことはなかつた。そのうちにだんだん紙も古び、假綴ぢの背中もいたんで行つた。

    夢みつつ、夢見つつ、

    日もすがら、夢見つつ……

 三年ばかりたつた後、汽車は薄煙を殘しながら、九百八十六部の「夢見つつ」を北海道へ運んで行つた。

 九百八十六部の「夢見つつ」は札幌の或物置小屋の砂埃の中に積み上げてあつた。が、それは暫くだつた。彼の詩集は女たちの手に無數の紙袋に變り出した。紙袋は彼の抒情詩をだの逆樣だのに印刷してゐた。

    夢みつつ、夢見つつ、

    日もすがら、夢見つつ……

 半月ばかりたつた後、是等の紙袋は點々と林檎畠の葉かげにかゝり出した。それからもう何日になることであらう。林檎畠を綴つた無數の林檎は今は是等の紙袋の中に、――紙袋を透かした日の光の中におのづから甘みを加へてゐる、あをとかすかに匂ひながら。

    夢みつつ、夢見つつ

    日もすがら、夢見つつ……