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蜃氣樓   芥川龍之介

      ――或は「續海のほとり」――

[やぶちゃん注:昭和二(1927)年三月一日発行の雑誌『婦人公論』に掲載、後に『湖南の扇』に所収された。底本は岩波版旧全集を用いたが、読みは朗読時に迷うもののみに限定し、ほとんどを省略した。]

 

蜃氣樓

     ――或は「續海のほとり」――

 

         

 

 或秋の午頃、僕は東京から遊びに來た大學生のK君と一しよに蜃氣樓を見に出かけて行つた。鵠沼の海岸に蜃氣樓の見えることは誰でももう知つてゐるであらう。現に僕の家(うち)の女中などは逆まに舟の映つたのを見、「この間の新聞に出てゐた寫眞とそつくりですよ。」などと感心してゐた。

 僕等は東家(あづまや)の横を曲り、次手にO君も誘ふことにした。不相變赤シャツを着たO君は午飯(ひるめし)の支度でもしてゐたのか、垣越しに見える井戸端にせつせとポンプを動かしてゐた。僕は秦皮樹(とねりこ)のステつキを擧げ、O君にちよつと合圖をした。

  「そつちから上つて下さい。――やあ、君も來てゐたのか?」

 O君は僕がK君と一しよに遊びに來たものと思つたらしかつた。

  「僕等は蜃氣樓を見に出て來たんだよ。君も一しよに行かないか?」

  「蜃氣樓か? ――」

 O君は急に笑ひ出した。

  「どうもこの頃は蜃氣樓ばやりだな。」

 五分ばかりたつた後、僕等はもうO君と一しよに砂の深い路を歩いて行つた。路の左は砂原だつた。そこに牛車(うしぐるま)の轍(わだち)が二すぢ、Kぐろと斜めに通つてゐた。僕はこの深い轍に何か壓迫に近いものを感じた。逞(たくま)しい天才の仕事の痕、――そんな氣も迫つて來ないのではなかつた。

  「まだ僕は健全ぢやないね。ああ云ふ車の痕を見てさへ、妙に參つてしまふんだから。」

 O君は眉をひそめたまま、何とも僕の言葉に答へなかつた。が、僕の心もちはO君にははつきり通じたらしかつた。

 そのうちに僕等は松の間を、――疎らに低い松の間を通り、引地川(ひきぢがは)の岸を歩いて行つた。海は廣い砂濱の向うに深い藍色に晴れ渡つてゐた。が、繪の島は家々や樹木も何か憂鬱に曇つてゐた。

  「新時代ですね?」

 K君の言葉は唐突だつた。のみならず微笑を含んでゐた。新時代? ――しかも僕は咄嗟の間(あひだ)にK君の「新時代」を發見した。それは砂止めの笹垣を後ろに海を眺めてゐる男女だつた。尤も薄いインバネスに中折帽をかぶつた男は新時代と呼ぶには當らなかつた。しかし女の斷髮は勿論、パラソルや踵の低い靴さへ確に新時代に出來上つてゐた。

  「幸b轤オいね。」

  「君なんぞは羨しい仲間だらう。」

 O君はK君をからかつたりした。

 蜃氣樓の見える場所は彼等から一町ほど隔つてゐた。僕等はいずれも腹這ひになり、陽炎(かげろふ)の立つた砂濱を川越しに透かして眺めたりした。砂濱の上にはいものが一すぢ、リボンほどの幅にゆらめいてゐた。それはどうしても海の色が陽炎に映つてゐるらしかつた。が、その外には砂濱にある船の影も何も見えなかつた。

  「あれを蜃氣樓と云ふんですかね?」

 K君は顋(あご)を砂だらけにしたなり、失望したやうにかう言つてゐた。そこへどこからか鴉が一羽、二三町隔つた砂濱の上を、藍色にゆらめゐたものの上をかすめ、更に又向うへ舞ひ下つた。と同時に鴉の影はその陽炎の帶の上へちらりと逆まに映つて行つた。 

  「これでもけふは上等の部だな。」

 僕等はO君の言葉と一しよに砂の上から立ち上つた。するといつか僕等の前には僕等の殘して來た「新時代」が二人、こちらへ向いて歩いてゐた。

 僕はちよつとびつくりし、僕等の後ろをふり返つた。しかし彼等は不相變一町ほど向うの笹垣を後ろに何か話しているらしかつた。僕等は、――殊にO君は拍子拔けのしたやうに笑ひ出した。

  「この方が反つて蜃氣樓ぢやないか?」

 僕等の前にゐる「新時代」は勿論彼等とは別人だつた。が、女の斷髮や男の中折帽をかぶつた姿は彼等と殆ど變らなかつた。

  「僕は何だか氣味が惡かつた。」

 「僕もいつの間に來たのかと思ひましたよ。」

 僕等はこんなことを話しながら、今度は引地川の岸に沿はずに低い砂山を越えて行つた。砂山は砂止めの笹垣の裾にやはり低い松を黄ばませてゐた。O君はそこを通る時に「どつこいしよ」と云ふやうに腰をかがめ、砂の上の何かを拾ひ上げた。それは瀝(チヤン)らしいK枠の中に横文字を並べた木札だつた。

  「何だい、それは? Sr. H. Tsuji……Unua……Aprilo……Jaro……1906……

  「何かしら? dua……Majesta……ですか? 1926 としてありますね。」

  「これは、ほれ、水葬した死骸についてゐたんぢやないか?」

 O君はかう云ふ推測を下した。

  「だつて死骸を水葬する時には帆布(ほぬの)か何かに包むだけだらう?」

  「だからそれへこの札をつけてさ。――ほれ、ここに釘が打つてある。これはもとは十字架の形をしてゐたんだな。」

 僕等はもうその時には別莊らしい篠垣や松林の間を歩いてゐた。木札はどうもO君の推測に近いものらしかつた。僕は又何か日の光の中に感じる筈のない無氣味さを感じた。

  「縁起でもないものを拾つたな。」

  「何、僕はマスコットにするよ。……しかし 1906 から 1926 とすると、二十位(はたちぐらゐ)で死んだんだな。二十位と――」

  「男ですかしら? 女ですかしら?」

  「さあね。……しかし兎に角この人は混血兒(あひのこ)だつたかも知れないね。」

 僕はK君に返事をしながら、船の中に死んで行つた混血兒(あひのこ)の年を想像した。彼は僕の想像によれば、日本人の母のある筈だつた。

  「蜃氣樓か。」

 O君はまつ直に前を見たまま、急にかう獨り語を言つた。それは或は何げなしに言つた言葉かも知れなかつた。が、僕の心もちには何か幽かに觸れるものだつた。

  「ちよつと紅茶でも飮んで行くかな。」

 僕等はいつか家の多い本通りの角に佇んでゐた。家の多い? ――しかし砂の乾ゐた道には殆ど人通りは見えなかつた。

  「K君はどうするの?」

  「僕はどうでも、………」

 そこへ眞白い犬が一匹、向うからぼんやり尾を垂れて來た。

 

         二

 

 K君の東京へ歸つた後(のち)、僕は又O君や妻と一しよに引地川の橋を渡つて行つた。今度は午後の七時頃、――夕飯をすませたばかりだつた。

 その晩は星も見えなかつた。僕等は餘り話もせずに人げのない砂濱を歩いて行つた。砂濱には引地川の川口のあたりに火()かげが一つ動いてゐた。それは沖へ漁に行つた船の目じるしになるものらしかつた。

 浪の音は勿論絶えなかつた。が、浪打ち際へ近づくにつれ、だんだん磯臭さも強まり出した。それは海そのものよりも僕等の足もとに打ち上げられた海艸(うみぐさ)や汐木(しほぎ)の奄轤オかつた。僕はなぜかこの奄鼻の外にも皮膚の上に感じた。

 僕等は暫く浪打ち際に立ち、浪がしらの仄(ほのめ)くのを眺めてゐた。海はどこを見てもまつ暗だつた。僕は彼是十年前(ぜん)、上總の或海岸に滯在してゐたことを思ひ出した。同時に又そこに一しよにゐた或友だちのことを思ひ出した。彼は彼自身の勉強の外にも「芋粥」と云ふ僕の短篇の校正刷を讀んでくれたりした。………

 そのうちにいつかO君は浪打ち際にしやがんだまま、一本のマッチをともしてゐた。

  「何をしているの?」

  「何つてことはないけれど、………ちよつとかう火をつけただけでも、いろんなものが見えるでせう?」

 O君は肩越しに僕等を見上げ、半ばは妻に話しかけたりした。成程一本のマッチの火は海松(みる)ふさや心太艸(てんぐさ)の散らかつた中にさまざまの貝殼を照らし出してゐた。O君はその火が消えてしまふと、又新たにマつチを摺り、そろそろ浪打ち際を歩いて行つた。

  「やあ、氣味が惡いなあ。土左衞門の足かと思つた。」

 それは半ば砂に埋まつた遊泳靴(いうえいぐつ)の片つぽだつた。そこには又海艸の中に大きい海綿もころがつてゐた。しかしその火も消えてしまうと、あたりは前よりも暗くなつてしまつた。

  「晝間ほどの獲物はなかつた訣だね。」

  「獲物? ああ、あの札か? あんなものはざらにありはしない。」

 僕等は絶え間ない浪の音を後(うしろ)に廣い砂濱を引き返すことにした。僕等の足は砂の外にも時々海艸を踏んだりした。

  「ここいらにもいろんなものがあるんだらうなあ。」

  「もう一度マッチをつけて見ようか?」

  「好いよ。………おや、鈴の音(おと)がするね。」

 僕はちよつと耳を澄ました。それはこの頃の僕に多い錯覺かと思つた爲だつた。が、實際鈴の音はどこかにしてゐるのに違ひなかつた。僕はもう一度O君にも聞えるかどうか尋ねようとした。すると二三歩遲れてゐた妻は笑ひ聲に僕等へ話しかけた。

  「あたしの木履(ぽつくり)の鈴が鳴るでせう。――」

 しかし妻は振り返らずとも、草履をはいてゐるのに違ひなかつた。

  「あたしは今夜は子供になつて木履をはいて歩いてゐるんです。」

  「奧さんの袂の中で鳴つてゐるんだから、――ああ、Yちやんのおもちやだよ。鈴のつゐたセルロイドのおもちやだよ。」

 O君もかう言つて笑ひ出した。そのうちに妻は僕等に追ひつき、三人一列になつて歩いて行つた。僕等は妻の常談を機會に前よりも元氣に話し出した。

 僕はO君にゆうべの夢を話した。それは或文化住宅の前にトラック自動車の運轉手と話をしてゐる夢だつた。僕はその夢の中(うち)にも確かにこの運轉手には會つたことがあると思つてゐた。が、どこで會つたものかは目の醒めた後(のち)もわからなかつた。

  「それがふと思ひ出して見ると、三四年前にたつた一度談話筆記に來た婦人記者なんだがね。」

  「ぢや女の運轉手だつたの?」

  「いや、勿論男なんだよ。顏だけは唯その人になつてゐるんだ。やつぱり一度見たものは頭のどこかに殘つてゐるのかな。」

  「さうだらうなあ。顏でも印象の強いやつは、………」

  「けれども僕はその人の顏に興味も何もなかつたんだがね。それだけに反つて氣味が惡いんだ。何だか意識の閾(しきゐ)の外(そと)にもいろんなものがあるやうな氣がして、………」 

  「つまりマッチへ火をつけて見ると、いろんなものが見えるやうなものだな。」

 僕はこんなことを話しながら、偶然僕等の顏だけははつきり見えるのを發見した。しかし星明りさへ見えないことは前と少しも變らなかつた。僕は又何か無氣味になり、何度も空を仰いで見たりした。すると妻も氣づいたと見え、まだ何とも言はないうちに僕の疑問に返事をした。

   「砂のせゐですね。さうでせう?」

 妻は兩袖を合せるやうにし、廣い砂濱をふり返つてゐた。

   「さうらしいね。」

  「砂と云ふやつは惡戲ものだな。蜃氣樓もこいつが拵(こしら)へるんだから。………奧さんはまだ蜃氣樓を見ないの?」

  「いいえ、この間一度、――何だかいものが見えたばかりですけれども。………」

 「それだけですよ。けふ僕たちの見たのも。」

 僕等は引地川の橋を渡り、東家の土手の外を歩いて行つた。松は皆いつか起り出した風にこうこうと梢を鳴らしてゐた。そこへ背の低い男が一人、足早にこちらへ來るらしかつた。僕はふとこの夏見た或錯覺を思ひ出した。それはやはりかう云ふ晩にポプラアの枝にかかつた紙がヘルメット帽のやうに見えたのだつた。が、その男は錯覺ではなかつた。のみならず互に近づくのにつれ、ワイシャツの胸なども見えるやうになつた。

  「何だろう、あのネクタイ・ピンは?」

 僕は小聲にかう言つた後(のち)、忽ちピンだと思つたのは卷煙草の火だつたのを發見した。すると妻は袂を銜(くは)へ、誰(たれ)よりも先に忍び笑ひをし出した。が、その男はわき目もふらずにさつさと僕等とすれ違つて行つた。

  「ぢやおやすみなさい。」

  「おやすみなさいまし。」

 僕等は氣輕にO君に別れ、松風の音の中を歩いて行つた。その又松風の音の中には蟲の聲もかすかにまじつてゐた。

  「おぢいさんの金婚式はいつになるんでせう?」

  「おぢいさん」と云ふのは父のことだつた。

  「いつになるかな。………東京からバタはとどいてゐるね?」

  「バタはまだ。とどいてゐるのはソウセェヂだけ。」

 そのうちに僕等は門の前へ――半開きになつた門の前へ來てゐた。

(昭和二・二・四)