やぶちゃんの電子テクスト集:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇
鬼火へ
芥川龍之介氏のこと 下島勲
[やぶちゃん注:昭和二(一九二七)年九月号『改造 芥川龍之介特輯』に表記の題で所載、後に昭和二十二(一九四七)年清文社刊の下島勲著「芥川龍之介の回想」に収められた。下島勲(いさをし(いさおし) 明治三(一八七〇)年~昭和二十二(一九四七)年)は医師。日清・日露戦争の従軍経験を持ち、後に東京田端で開業後、芥川の主治医・友人として、その末期を看取った。芥川も愛した俳人井上井月の研究家としても知られ、自らも俳句をものし、空谷と号した。また書画の造詣も深く、能書家でもあった。芥川龍之介の辞世とされる「水涕や鼻の先だけ暮れのこる」の末期の短冊は彼に託されたものであった。彼の著作権は消滅している。底本は昭和四十六(一九七一)年刊筑摩全集類聚版芥川龍之介全集別巻に拠った。本作は芥川龍之介の自殺直後の救急治療担当者で死亡通告者にして遺体の検案者であり、しかも俳句を介しての友人でもあった人物の死の直近直後のコメントとして重要である。本作はブログ三四〇〇〇〇アクセス突破記念として作成した。【二〇一二年一月七日】]
芥川龍之介氏のこと 下島勲
芥川氏のことについては、書きたいことも随分あるやうな気もするが、今は雑用も多く、それに心神も疲労してゐるので、落ちついて書くことが出来ない。これは改造社に対しまた読者に対し、相すまぬことである。
芥川氏と私とは十二年の長い間の接触で、単に医者としてばかりでなく、老友として、また年こそ違へ私の師として、種々の教へを受けてゐたのである。
世間の人々は、私が医者であるがために、
芥川氏の体質や病気については、世間にイヽ加減な臆説や誤りが流布されてゐる。また種々の尾鰭がついて、肺結核だの甚だしきは精神病者とまで伝へられてゐる。これは医者としてもまた友人としても忍びがたいことであるから、この機会においてその
その一は肺結核説である。なるほど、あの痩せた身長五尺四寸以上、頸のたけまでひよろ長い。しかも柳か
併し見ると実際とは違ふことがある。殊に芸術家の体格や体質は、余程注意しないと、見そこなひに終ることがある。尤も芥川氏などは、幼年時代に頭脳の発達が早い方で、斯ういふ人の常として兎角、肉体の方は余り健康ではなかつたらしい。よく風邪をひく、
先年支那視察に行かれたときは、感冒後の気管支加答児が全治しないのを、種々の都合で決行した。案じた如く大阪の宿で発熱する。無理に船に乗つて上海へ上陸早々肺炎を起して入院する。と
その後も流行感冒に罹つたこともあるが、大した後害など
その二は胃のアトニーである。この病気は三年ばかりこのかたのことで、始めは独立してゐたわけではなく、神経症状に伴なつてゐた。即ち神経症状のよいときには胃もよく悪いときにはいけないと云つたやうなことで、胃のアトニーとして症状の独立したのは、最近一年ぐらゐのことである。
[やぶちゃん注:「胃のアトニー」胃壁筋肉の緊張が低下、胃の機能が低下する状態を言う。先天的に全身的に筋肉が弱く痩せた人に多く起き、胃下垂自体が胃の機能低下を惹起することが多いために胃下垂と合併して発症することが多い。]
食事は随分注意する方で、もう二年ぐらゐ一日二食であつた。酒は飲まず特別これと云ふ嗜好を持つてゐない同氏にとつての唯一の嗜好は
時をりは苦い忠告を試みたが、こればかりはと哀願したものである。云ふまでもなく芸術家の生命は創作である。よし胃はおろか、体全体に良くない影響があるとしてからが、創作を妨げるのは忍びないことである。芥川氏の場合など実にそれであつた。
その三は痔疾である。これは
[やぶちゃん注:「出血」は「止血」の誤りか。]
その四は神経衰弱である。芥川氏の神経衰弱は
試みに芥川氏の読書するところを一見したもので、その速度に
曾て大阪の新聞社に用事があつて出張した時の如き、京都に一週間ばかり滞在を見こんで、部厚な洋書を五六冊携帯したのであつたが、列車が京都の停車場へ到着するころは、のこらずそれを読みつくして、滞在中は京都にゐる友人から借りて読んだと云ふやうな直話がある。
また元緑以後明治大正に至るまで著名な俳人の俳句の代表的のものなどは、年代を逐つて記憶しをり、俳談の場合などには、随分人を愕かすことがあつた。室生犀星氏など時々、――嫌やになつてしまふと、嘆声を発したこともある。
故鷗外先生も当時記憶力の雄をもつて聞えた人であるが、
氏は自分でよく云つた。――俺の神経は細くて弱いが、脳髄の丈夫なことは誰にもまけないと、これは一寸非科学的のやうに聞こえるが、実は芥川氏の脳神経はこれで説明が出来るのである。
時として、――俺は気ちがひになるかも知れない。などと云ふこともあつた。さう云ふときに私は、――その理智の飽くまで発達してゐる頭脳と、その聴明さでは、迚も気ちがひなどにはなれ得ないと、云つたものである。だから芥川氏の神経衰弱は、普通の意味の神経衰弱などとは大いにその趣きを異にしてゐる。沈んや、精神錯乱などとはとんでもない
遺伝については近いところに存在する。併し芥川氏の如き人にとつて、それが果して重大な意義をもつだらうか、なぜなれば、精神病の遺伝或は神経性遺伝などと云ふものは、実はいゝ加減なもので、厳密に
芥川氏は稀れに見る品行方正の芸術家であつた。また芥川氏は菊池氏の謂ゆる文壇第一の学者でもあつた。このかくれもなき博学賢明の小説家に、自殺問題について批判のないわけがない。現に彼の有名な某将軍の自殺にも、或は某文学者の死にも、礼讃することの出来なかつた芥川氏が、
芥川氏
駆けつけて先づ心臓
を聴かんとすれば
絶 望
カンフルの注射の
検体を終へて
安らけき永久の眠りよ草の雨
小穴隆一君枕辺に画
架を据ゆ。雨暗澹
そ の 夜
[やぶちゃん注:この最後の句、中七の読みが分からない。識者の御教授を乞う。]
(昭和二年八月三日)