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櫻の樹の下には   梶井基次郎

[やぶちゃん注:昭和三(1928)年十月稿。同年十二月厚生閣刊の雑誌『詩と詩論』第二冊に掲載、後に作品集『檸檬』に所収された。底本には昭和四十一(1966)年筑摩書房刊「梶井基次郎全集」第一巻を用いた。]

 

櫻の樹の下には

 

 櫻の下には屍體が埋まつてゐる! これは信じていいことなんだよ。何故つて、櫻の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことぢやないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だつた。しかしいま、やつとわかるときが來た。櫻の樹の下には屍體が埋まつてゐる。これは信じていいことだ。

 どうして俺が毎晩家へ歸つて來る道で、俺の部屋の數ある道具のうちの、選りに選つてちつぽけな薄つぺらいもの、安全剃刀の刄なんぞが、千里眼のやうに思ひ浮かんで來るのか――お前はそれがわからないと云つたが――そして俺にもやはりそれがわからないのだが――それもこれもやつぱり同じやうなことにちがひない。

 

 一體どんな樹の花でも、所謂眞つ盛りといふ状態に達すると、あたりの空氣のなかへ一種~祕な雰圍氣を撒き散らすものだ。それは、よく廻つた獨樂が完全な靜止に澄むやうに、また、音樂の上手な演奏がきまつてなにかの幻覺を伴ふやうに、灼熱した生殖の幻覺させる後光のやうなものだ。それは人の心を撲たずにはおかない、不思議な、生き生きとした、美しさだ。

 

 しかし、咋日、一咋日、俺の心をひどく陰氣にしたものもそれなのだ。俺にはその美しさがなにか信じられないもののやうな氣がした。俺は反對に不安になり、憂鬱になり、空虚な氣持になつた。しかし、俺はいまやつとわかつた。

 お前、この爛漫と咲き亂れてゐる櫻の樹の下へ、一つ一つ屍體が埋まつてゐると想像してみるがいい。何が俺をそんなに不安にしてゐたかがお前には納得が行くだらう。

 馬のやうな屍體、犬猫のやうな屍體、そして人間のやうな屍體、屍體はみな腐爛して蛆が湧き、堪らなく臭い。それでゐて水晶のやうな液をたらたらとたらしてゐる。櫻の根は貪婪な蛸のやうに、それを抱きかかへ、いそぎんちやくの食絲のやうな毛根を聚めて、その液體を吸つてゐる。

 何があんな花瓣を作り、何があんな蕋を作つてゐるのか、俺は毛根の吸ひあげる水晶のやうな液が、靜かな行列を作つて、維管束のなかを夢のやうにあがつてゆくのが見えるやうだ。

 ――お前は何をさう苦しさうな顏をしてゐるのだ。美しい透視術ぢやないか。俺はいまやうやく瞳を据えて櫻の花が見られるやうになつたのだ。咋日、一咋日、俺を不安がらせた~祕から自由になつたのだ。

 二三日前、俺は、ここの溪へ下りて、石の上を傳ひ歩きしてゐた。水のしぶきのなかからは、あちらからもこちらからも、薄羽かげらふがアフロデイツトのやうに生れて來て、溪の空をめがけて舞ひ上がつてゆくのが見えた。お前も知つてゐるとほり、彼らはそこで美しい結婚をするのだ。暫く歩いてゐると、俺は變なものに出喰はした。それは溪の水が乾いた磧へ、小さい水溜を殘してゐる、その水のなかだつた。思ひがけない石油を流したやうな光彩が、一面に浮いてゐるのだ。お前はそれを何だつたと思ふ。それは何萬匹とも數の知れない、薄羽かげらふの屍體だつたのだ。隙間なく水の面を被つてゐる、彼等のかさなりあつた翅が、光にちぢれて油のやうな光彩を流してゐるのだ。そこが、産卵を終つた彼等の墓場だつたのだ。

 俺はそれを見たとき、胸が衝かれるやうな氣がした。墓場を發いて屍體を嗜む變質者のやうな慘忍なよろこびを俺は味はつた。

 この溪間ではなにも俺をよろこばすものはない。鶯や四十雀も、白い日光をさに煙らせてゐる木の若芽も、ただそれだけでは、もうろうとした心象に過ぎない。俺には慘劇が必要なんだ。その平衡があつて、はじめて俺の心象は明確になつて來る。俺の心は惡鬼のやうに憂鬱に渇いてゐる。俺の心に憂鬱が完成するときにばかり、俺の心は和んで來る。

 ――お前は腋の下を拭いてゐるね。冷汗が出るのか。それは俺も同じことだ。何もそれを不愉快がることはない。べたべたとまるで精液のやうだと思つてごらん。それで俺達の憂鬱は完成するのだ。

 ああ、櫻の樹の下には屍體が埋まつてゐる!

 一體どこから浮かんで來た空想かさつぱり見當のつかない屍體が、いまはまるで櫻の樹と一つになつて、どんなに頭を振つても離れてゆかうとはしない。

 今こそ俺は、あの櫻の樹の下で酒宴をひらいてゐる村人たちと同じ權利で、花見の酒が呑めさうな氣がする。